作品タイトル不明
154:もちろん踏破した
早朝、ジルは一人で冒険者ギルドへと向かっていた。
何故か一人で受けたい時に依頼を受けに来る事に定評のあるリゼル達のパーティだが、今日も例に漏れない。三人揃わずとも受けたい時に受ける。
リゼルは宿で熟睡中。イレヴンは不明。そんな中、今日は討伐依頼を受ける気分なジルは慣れたようにギルドの扉を潜った。
「お」
目が合った冒険者に、嫌な予感がしなかったと言えば嘘になる。
穂先をカバーで覆った槍に凭れるように立っている男だ。連れのメンバー三人、そして依頼人らしき人物が一人。ギルドの真ん中で何やら話し合っていたようだ。
ジルはかち合った視線を何事も無かったかのように逸らし、ごく自然に依頼ボードへと歩んでいく。特に気に掛ける必要もないだろうと、いつもの事だった。
「そう邪険にするなよ」
しかし、相手はそうではなかったようだ。
微かに眉を寄せ、ジルは後ろから笑い声と共に近付いて来る靴音を気付かない振りを通す。整然と張り出された依頼用紙を眺め、リゼルが居ない時で良かったのか悪かったのかと内心で溜息をついた。
そんなジルの明確な拒否の姿勢を気にする事なく、その冒険者が隣に並ぶ。
「よう、ちょいと頼まれて欲しいんだがな」
何かを企むような、しかし人好きのする笑みで話しかけて来た彼を一瞥する。
以前、リゼルに喧嘩を売って快勝していた冒険者だ。流れだけみれば接戦だったかもしれないが、リゼルが割と本気だったのに対して目の前の相手には随分と余裕があった。
そんな男が手を貸せなどと、受ける気もないが厄介事としか思えない。ジルは不愉快そうに眉を寄せ、視線を外した。
「他当たれ」
「なぁ、そう言うなって」
ちょっと、と冒険者のパーティメンバーから声が上がる。それに対して男はひらりと手を振り返し、周囲の冒険者が興味津々で成り行きを見守っている前で肩を竦めてみせた。
「俺らのお得意さんなんだが、まぁこれが変な商人でなぁ。無償で子供達に菓子を配り歩いて、それが楽しくて仕方ないって言う様な根っからの善人なんだ」
依頼人である商人が困ったように笑っているのを、男は気にせず言葉を続けた。
「だが、痛恨のミスをやらかした! 良い子で留守番してる自分の娘の誕生日が、いつのまにか三日後に迫ってるらしいじゃないか。村までは最短で片道三日、ただしその道は“亡霊の森”を突っ切る必要がある」
あーあ、と言う視線が周囲の冒険者から商人へと注がれる。
“亡霊の森”は、王都では誰しもが知る有名な森だ。迷宮ではなく、ただの森。ただしゴースト系の魔物がわんさかと棲み着いている。
本来迷宮にしか現れない筈のゴーストが、何故その森に棲みついているのか。理由は分かっていない。だが森の真ん中に一つの迷宮があり、その迷宮もいかにもな洋館である事から過去の大侵攻の名残と言われたり、寂しがりな迷宮のチラ見せなんじゃないかと言われていたりする。
「俺達の得意はガードでね。まぁ、お陰で護衛依頼にゃ困らないが、時間制限が付いちゃあ攻撃力に欠ける」
男は肩に立てかけた槍をトントンと指先でノックしながら、にやりと笑った。
「最愛の女を泣かせたとあっちゃあ、善人が極悪人に早変わりしちまうだろ?」
それが自分に何の関係がある、と普段のジルならば言うだろう。
だが、互いに王都で数年顔を合わせている相手だ。親しくはないが、必要ならば最低限の言葉も交わして来た。その程度の交流しか無いとはいえ、ここまで食い下がって来るのならば何かしらの勝算があるのだろうと想像が出来る。
「他にもこなせる奴は居んだろ」
「まぁ、そう言うなって」
だが嫌なものは嫌なジルが、そう告げて話を終わろうとした時だ。
男の手が肩に伸ばされ、しかしジルはそれを避ける。肩を組もうとしたのだろう、スカした手をぶらぶらと振って肩を竦めた男の顔に浮かぶのは、それでも不敵な笑みだった。
「そういやぁ、貴族さんの機嫌は直ったか?」
低く潜められた囁きに、ジルはぴくりと片眉を上げた。
思い浮かべるのは、とある迷宮で魔物の毒を吸った時のこと。ああいう時に限って迷宮は記憶を消してくれないのだから、有り得ない感情を抱き見下ろした先にある、あの時のリゼルの顔をよく覚えている。
微かに瞠られた瞳が、すぐに平静を保たれるのを見るのは初めてではないが。
「可哀想に、随分と落ち込んでてなぁ。たまたま会ったもんだから慰めたんだが」
「…………」
「なーに、落ち込むこたぁない。あんなもん初見で避けられるモンじゃねぇし、何なら俺も食らった事がある。そのお陰で、まぁ良い助言をしてやれたんじゃねぇかなぁ」
カラカラと笑う男が、槍に凭れるように体勢を崩した。
ジルは微かに不快そうに顔を顰め、笑みに細まる男の目を見ながら一つ舌を打つ。
「借りは早めにチャラにしといた方が良いと、おいちゃん思うけどね」
もし言われたのがイレヴンならば、それは地雷と成り得ただろう。リゼルの名を安易に取引材料にしてくれるなと、ギルドは阿鼻叫喚の光景へと変貌しかねない。
だがジルは違う、呑まざるを得ない。男の言う“借り”は、ともすればリゼルにもかかってくる。リゼルが借りを作ったという事実など好める筈がなく、それは相手の排除という手段では決して解決しない。
その“借り”をジル自身の物とする。その唯一の方法が、男の要求を呑む事だ。
「でけぇ借りだな」
「貴族さんのご機嫌とあっちゃ、安くは出来ねぇな」
交渉成立を悟り、男が握った手を自らのパーティメンバーへ数度揺らしてみせた。
してやったり、と浮かべられた笑みに舌を打つ。肝心の交渉内容が聞こえなかった周囲が「マジかよ」やら「どうやったんだよ」とざわついている中、ジルは取り出したギルドカードを指で弾いた。
「そう不貞腐れんなよ。なーに、長めの遠足だ。仲良くしようぜ」
「そもそも余計な世話なんだよ」
カードを指で挟んでキャッチした男を一瞥し、依頼ボードの前から離れる。
「てめぇらが何かしなくてもあいつは俺を許す」
「おっと、甘やかされてんのはこっちだったか」
とはいえ、恩は感じるものではなく押し付けられるもの。
その隙を与えてしまったのは此方なのだから仕方ない。ジルは内心で溜息をつき、ギルドの扉へと向かう。子供じゃないのだから二日三日姿を消そうと互いに気にしないが、およそ一週間。ならば一声かけておかなければいけない。
心配はしないだろうが、パーティ揃って依頼を受けようとした時に“あれっ”となってしまう。
「出発は」
「次の鐘、西門だ」
「早ぇよ」
「クライアントはお急ぎだからな」
男もそれを分かっているのだろう。やや後ろから、送り出すように簡潔な声が投げられた。ジルは適当に一度手を上げ、了解を示す。
出発は、鐘の鳴る間隔的におよそ三十分後。空間魔法のお陰で荷物に不足はない。迷宮内でいつでも野営が出来るように最低限の用意はしていた。軽い食料、毛布、火種、瓶入りの水も今日は幾つか。
リゼルが居ればパッと出て来る火も水も、そうでなければ用意しなければならない。それを不便に思う程度には一緒にいるのだろうと、何となく考えながら早朝の人通りの少ない道を歩いて行った。
宿に辿り着いたジルは、無人の廊下を抜けて階段を上る。
女将は亭主と共に朝食作りに勤しんでいるのだろう。リゼルを待たなくて良い時は、普段より早く出る為に宿で朝食をとらない。馬車の待ち時間だったり迷宮内だったりと流れで食べる。
そしてリゼルの部屋の扉を、どうせ起きてやしないと無断で開けた。案の定、リゼルは毛布に包まってぐっすり寝ている。
「おい」
ベッドに近付き、その肩を毛布越しに揺すった。しかし、いつ見ても横向きに寝ている。
顔は向こうを向いているが、瞼が閉じられたままなのは想像に難くない。あまり寝起きの良くないリゼルは、人を選んで更に寝起きが悪くなる。
「何日か王都離れるぞ」
「んー……」
もぞりとリゼルの顔が毛布に埋まる。煩いと言いたいのだろう。
これは余程寝るのが遅かったようだとジルは呆れたように溜息をついた。
「一週間はかかる」
「はい」
「おい、もう出るからな」
「はい」
毛布の中でこくりこくりと頷くリゼルの瞼は相変わらず開かない。
「後で聞いてねぇって言うなよ」
「はい、……いってらっしゃい」
ふにゃふにゃと定まらない声ながら、一応会話が成立する。
ならば良いかとジルはリゼルの肩から手を離し、毛布に潜り込んでいる所為であらぬ方向へと一房跳ねた髪をぺしりとはたいて部屋を出た。出発時刻まで後どれくらいかは知らないが、寄り道した訳でもないのだし遅れて文句を言われる事もないだろうと、そんな事を思いながら。
馬車は、商人が普段使用している幌馬車だ。それ程大きいものではない。
スピードを重視している為か積み荷は少なく、空いている床のスペースに冒険者達は各々腰を下ろす。膝をつき合わせる狭さ、些細な振動も腰に直撃する痛み、つまりは通例通りの護衛依頼。
「(贅沢に慣れてんな)」
ジルは壁に凭れかかって座り、それらの煩わしさを意識の外へ追い出そうとするかのように目を閉じていた。
ジャッジのリゼルへの尽くし方然り、スタッドやイレヴンが嫌がる為にこういう馬車の護衛を受けないのも勿論。レイやシャドウに至っては所有する馬車を迎えに来させるし、唯一これに近い冒険者ギルドの馬車ではリゼル自らクッションを用意する始末。
常々普通の状況じゃないとは思っていたが、どうやら自身も随分とそれに慣れていたようだ。何も感じなかった筈の馬車旅に、少なからずうんざりとしてしまう。
「どうだ、貴族さんは快く送り出してくれたか?」
ふと槍遣いの男から声がかかり、目を開いた。
正面に座る男の持つ長い槍は、肩に立てかけては幌を破ってしまいかねないからだろう。ジル側と反対側とを分けるように横たわっている。
「寝てた」
「まぁ、依頼受けねぇ日は寝てるよなぁ」
納得顔で笑う男の言い分が、冒険者としては一般的なのだろう。
早くギルドに行かないと良い依頼がなくなる、目的地によっては明るい内に帰って来られなくなるなどで、冒険者達の朝は早い。その分、依頼を受けない日は昼まで惰眠を貪る。
だが、ジルには同意できなかった。多少は遅いとはいえ、ほぼ変わらない時間に目が覚める。リゼルには何故だと不思議そうにされるが。
「にしても、意外だよなぁ」
槍使いの隣、片手剣と盾を隣に放り出している一番若い男が、尻の痛みに耐えかねたのか荷物を腰と壁の間に挟むようにしながら口を開いた。
「その割に朝のギルドでは、何つうか……ピシッとしてんのに。何つうの、恰好キメてる訳じゃねぇけどスッとしてる感じ」
「まぁ眠たそうには見えないね」
ジルの隣に座る弓使いの女も、勇ましく胡坐をかいて頷く。
彼女は向かいに座る片手剣使いから荷物を奪い、そして自らの尻に敷いた。そこにレディファーストの空気など欠片もない。“下っ端は上を敬え”という徹底した冒険者的上下関係のみだ。
「でっけぇ尻してんだからいらねぇだろ!」
「その貧相な尻を少しは鍛えな」
「ひ、貧相じゃねぇし……!」
何故か尻を隠して謎のショックを受けている片手剣使いに、弓使いは鼻で笑う。
最速で目的地まで向かう馬車は、その分振動も激しい。普段から護衛依頼に慣れている者達でも、辛いものがあるだろう。いざという時に動けないのでは話にならない。
だからだろうか。残る一人の魔法使いの男など、最初から腰を落ち着ける事を諦めてヤンキー座りに徹している。
「にしても、一刀が同行してるなんて凄い光景だね」
その表情が和やかなものだから、傍から見ていると違和感が強い。
「ごめんね、うちのリーダーが卑怯な手ぇ使ったみたいだ」
「おっと、人聞きが悪ぃな」
一番奥、御者の真後ろにしゃがんでいる魔法使いがにこにことジルを見ていた。
槍、片手剣、弓、魔法使いとなかなかにバランスの良いパーティだ。それを狙ってスカウトで揃えたパーティなのか、気の合う者達で偶然そうなったのかは分からない。ジルにとっては大して興味もない事だ。
「おいちゃんの些細な親切心だろ。なぁ、一刀」
「言って良いよ。余計な世話だって」
「お前さんはなぁ、それだから」
どうやら魔法使いには歓迎されていないようだと、ジルはそちらを一瞥せず思う。
魔法を主力とする程の実力者はパーティの主砲だ。パーティがガードを得意と言うのも、普段から彼を守りながらの戦闘に慣れているからだろう。一発が出れば決まる、それが冒険者の中での魔法使いの立ち位置だ。
「悪いね、アンタにはうるさいだろ」
槍使いと魔法使いの慣れたような言い合いを聞き流していれば、隣から声がかかる。仕方なさそうに眉を寄せた弓使いが、その瞳に気遣いを滲ませてこちらを見ていた。
ジルも相手に興味を抱く事がないだけで、他の冒険者との交流を敢えて拒絶している訳ではない。面倒事でない限り、話しかけられれば一言二言は普通に返す。
「うちにも煩ぇのがいる」
「あぁ、あの獣人」
納得したように視線を流した弓使いが、つっと視線をジルへと戻した。
「ありゃ、大丈夫なのかい」
「……」
「貴族さんに懐いちゃいるようだけど」
潜められた声に、しかし馬車中の視線が集まる。
ジルは表情を変えないまま、内心でため息をついた。表面上は愛想の良いイレヴンを見て、その深淵に気付く者は少ない。本人が然して隠す気がない事もあり、上位ならば気付くか。
普段の行いから“こいつやべぇな”と思われる事は多々あるイレヴンだが、彼女が言うのは正しく深淵の方なのだろう。
「さぁな。あいつに飼い慣らす気がねぇ」
やろうと思えば出来る癖に、リゼルは決してそうしないのだから。イレヴンが何をしようと、どうなろうと、リゼルや自身に実害が生じない限りジルには関係のない事だった。
それでも上手くやっているらしい。目の前のパーティらも、実際にイレヴンの何かを知った訳でもなさそうだ。いかにも裏の住人だからと、その程度だろう。
「ま、冒険者にとっちゃ珍しい人種でもないわな」
槍使いが肩を竦め、振動で壁を滑っていく槍を捕まえながら口を開く。
「程度が違うって話じゃないかい」
「なんだ、いつからそんな心配性になった?」
「貴族さんを見てると、どうもね」
「あー、分からないでもねぇなぁ」
「むしろ珍しさじゃトップだよね、彼」
めっきり冒険者らしくなったと思い込んでいるリゼルには聞かせられないなと、ジルは内心で呟いた。あれで地味にショックを受けるのだ。
「お、めっずらし」
ふいに片手剣使いが割り込んだ。
「お前、貴族さんのこと嫌いじゃねぇの? 一刀嫌いだろ」
槍使いが隣から彼の脇腹を肘でえぐり、弓使いが向かいから立てられた膝を引っ叩き、魔法使いが笑みを深くした。
ジルは不特定多数に好かれようとは考えた事もない。気が合わない人間に好かれて得もない。自らの落ち度を開き直るような真似はしないが、そもそも落ち度を見せるまで他者に関わらない。ある意味、究極の自己中だ。
「ごめんね、君が嫌いなんじゃないんだ」
「別に」
だからこそ全く気にならないし、それが原因で相手の評価を変える事もしない。
そんなジルを察して肩の力を抜いたパーティメンバーの前で、笑顔の魔法使いが眉を下げた。ちなみに片手剣使いは脇腹を押さえて撃沈している。
「ただ、才能のある人間が全員嫌いなだけだから」
流石のジルもそれはそれでどうなのかと思った。
「アンタはいい加減それ治しな」
「治らないね。何年経っても治らなくて困るよ」
「それ、お前さんの基準なんだろ。いきなり嫌われる奴のこと考えてやれよ」
「僕も嫌いたくて嫌ってる訳じゃないんだよね」
魔法使いが、言葉通り本心から困ったように告げる。
いくら人柄がよくても、いくら話が合っても、嫌いなものは嫌いなのだと言う。嫌いなだけで“話したくない”や“近寄りたくない”とは思わないそうだから不思議だ。
つまり、「仲良いよ、嫌いだけど」と矛盾したことを平気で言ってしまえるタイプ。相手はショックにも程があるだろう。
「貴族さんはね、才能あるなと思ったことないから」
「へぇ」
意外そうな槍使いと同時に、ジルもそちらへ視線を向けた。
「魔力量も多分、僕のが多いからね。貴族さんも勿論多いけど。魔力の使い方も普通に理解は出来る。すっごく手間かかるから真似しようとは思えないけど」
リゼルが度々魔法使いから抱かれる評価だ。
ジルには魔法についてのアレコレなど全く分からないが、まぁ自分が“こいつ頭おかしいな”と思っているのと似たようなものなのだろうと結論付けている。悪口ではない。褒め言葉でもないが。
「魔法を、自分の得意分野に落とし込んでるって言えば伝わるかな」
「それは才能じゃないのかい」
「いいや。工夫って大事だよね」
これこそが、本人にしか分からない基準。
ジルは既に理解を放棄して聞き流しているし、他のメンバー達もいつもの事だとばかりに適当な相槌を返していた。結局の所、好き嫌いが原因で依頼の遂行に支障が出なければそれで良い。
むしろ魔法使いにはマイペースが多い分、納得出来る所がある。戦闘中だろうと一切心乱されない必要がある魔法使いは、集中力が物を言う。周囲を気にしてなどいられない。
「前方、遠くに魔物の影が見えたけど止まらんぞ!」
「おー、飛ばせ飛ばせ」
ふいに御者席から報告が上がるが、本人に止まる気はない。
商人として国を行き来し、護衛依頼にも慣れた依頼人だ。多少の無理は通しても、本当に厳しい状況は把握している。槍使いがコンコンと壁をノックしながら許可を出した。
「何?」
「あー……あれか。人狼っぽいの」
「まだ昼だよ」
「じゃあ違うわ」
「適当言うなよなぁ」
一番後部側に座っている片手剣使いが、幌の隙間から外を覗き込んでいる。
平和な道中で何よりだ。このままさっさと終われば良いがと、ジルはそんなことを思いながら再び目を閉じた。
限界まで飛ばしながらの馬車旅二日目は、やや早めに野営へと落ち着いた。遠くに見える鬱蒼とした森、“亡霊の森”への突入を明日へと持ち越す為だ。
迂回しようにも時間がかかる。森を抜け切るまで休憩も挟めない。抜ける頃には深夜過ぎ。そもそも夜に“亡霊の森”に入るなど命知らずと言われても仕方がない。
ならば早めに休んで早朝に突入した方がリスクも小さければ、時間的にも大して変わりがない。
「尻痛ぇー……」
「一刀は?」
「狩りだよ」
「あいつは本当に肉しか食わねぇなぁ」
商人である依頼人が馬車に載せているのは、最愛の娘へのプレゼントと必要な物資のみ。その中には冒険者たちに振舞う食料も当然含まれているが、肉と言えば干し肉のみ。後は栄養だけは高い木の実一つで腹を膨らませる。
それが嫌なのか、昨晩もジルは一人で何処かへ狩りに出かけて獲物を引きずって帰ってきた。
「マイペースだよね」
「あそこのパーティ、どうやって成立してんだろ。全員マイペース」
「貴族さんに付き合える一刀も凄いけど、一刀に付き合える貴族さんも凄いね」
「獣人も大概だしなぁ。そこは貴族さんがちゃんとリーダーやれてんだろうよ」
四人は雑談を交わしながら、手を止めずに野営の準備を進めていく。
槍使いは肩と腰にダメージを食らってフラフラの依頼人に毛布を渡してやり、火を起こした焚き木の前へと座らせてやった。勿論地面の上なので尻の痛みは継続するが、追い打ちが来ないだけマシだろう。
「つか俺、内心冷やッ冷やなんだけど」
片手剣使いが腰を伸ばしながら言う。
「分かるよ。私も、嫌とかじゃないけどね。どうしても気を張るね」
「あの一刀だしね」
「貴族さんと会ってねぇ頃の奴なら、誘えやしないだろうな」
冒険者最強と噂され、孤高であった筈の存在と依頼を同じくする。
実際、槍使いも要求を呑ませた直後には冷や汗交じりで肩の力を抜いている。笑みも思わず引き攣っていた。依頼人の為とはいえ、無茶をするものだとパーティメンバーも唖然としたものだ。
「まぁ、無茶苦茶する奴よか断然良いだろ」
「そりゃ勿論」
他所のパーティと合同依頼を受けると、それなりにトラブルも付き物だ。
依頼料を多く得るために出し抜こうとする輩も多い。それが依頼遂行に致命的な行動へと繋がる事もある。しかしジルは、行動だけみれば実にやりやすい相手だった。密かな緊張感は凄いが。
「その一刀の真価を拝めてないのが、ちと惜しいな」
道程は順調だ。依頼人の気迫が伝わったかのように、今まで一度も魔物に遭遇していない。
「明日には嫌でも目にするよ。僕も少し楽しみだ」
「嫌いなのにか?」
「嫌いだけど」
弓使いが焚き木に三脚を立て、その上に口が広く底が浅い鍋を置く。
魔法使いが水を注ぎ、湯を沸かしている間に本日の料理当番である片手剣使いが雑に芋の皮を剥いていった。護衛依頼で誰が食事を提供するかは状況により様々だが、この依頼人とはいつもこうだ。
食材を彼が用意し、冒険者が作る。そしてパーティの中では食事当番は持ち回り。今回は片手剣使いだ。
「一刀、何の肉とって来んだろ」
「さて、今日もおこぼれが貰えると良いけどね」
「昨日の獲物はでかかったからなぁ」
昨晩、巨大な猪の魔物を見事狩ってきたジルにより贅沢な夕食を得られた身としては、思わず期待せずにはいられないのだろう。冷や冷やしっぱなしだと言う割に、それを楽しみに待つ片手剣使いに槍使いは馬に水を飲ませてやりながら笑った。
「とはいえ、ここらじゃ大物はなかなか見ないしな。期待はし過ぎるなよ」
「げ」
しかし予想に反してジルの狩ってきた獲物はなかなかの大物で、必要なら使えと渡されたそれを片手剣使いは大喜びで受け取る事となる。なんとも現金な事だ。
その頃のリゼルはと言うと、ジルの部屋の扉をノックして返事がない事に一つ頷いていた。
明日依頼を受けないかと誘いに来たのだが、居ないのならば仕方ない。普段から宿に居る事が少ないジルなので、特に気にせず自身の部屋へと戻る。
彼は、とある朝に交わした会話など一切覚えていなかった。
護衛依頼三日目、勝負の朝だ。
依頼人は今日中に村まで帰らなければならない。明日では意味がないのだ。最愛の娘の為、手綱を持つ手にも力が入る。
そんな彼を尻目に、冒険者たちは至って普段通りだった。自らの得物を装備し、森に入ってからの工程を確かめ合い、そして尻も腰も完全に回復している事を確認する。切実だ。
「よし、じゃあ行くか旦那」
「お、おう」
「何があっても止まんなよぉ」
幌馬車は幌を全て畳み、荷台を剥き出しにしている。
今日中に到着するのだから物資などもはや必要ない。少なくなったそれらを荷台の隅に縛り付け、そして娘へのプレゼントは依頼人が自らのリュックへと詰め込んだ。
槍使いの声を合図に、馬車がゆっくりと走り出す。
「一刀は森には?」
「無ぇ」
「俺らは一回だ」
全員座りながらも前方を見据えていた。
朝日に照らされた森は、しかし外から見ても鬱蒼と暗い。近づく人間が居ないのも納得だろう。いかにも死霊が蔓延る不気味な森だ。
「どっからでも攻撃が来るって事だけ肝に銘じておけよ。まぁ、余計なアドバイスだと思うが一応な」
「ああ」
短い返答に不快の色はない。
槍使いは声を上げて笑い、近付いてくる森を見据えた。馬車はどんどんと速度を上げている。車体の振動も徐々に激しくなっている為、ともすれば大立ち回りで振り落とされてしまいそうだ。
「これ落ちたら拾って貰えんのかな」
「追いかけておいで」
「マジで?」
片手剣使いが地面を見下ろしながらポツリと零した言葉は、笑顔の魔法使いにより無慈悲に切り捨てられた。
「よーし、気合入れろよ!」
槍使いの声に、パーティメンバーは異口同音に了承を叫んだ。
暗い森は、まるで一行を呑み込まんとするかのようにぽかりと口を開けていた。誰が切り開いたのか、自然とそうなったのか、唯一存在するその道へと馬が飛び込んでいく。
目には見えない冷たい霧が頬を撫でたように感じた、次の瞬間だ。突如自らの真横に現れた振り降ろされる鎌を、ジルは大剣を抜いた勢いのままに受け止めた。
「ひえっ」
「おら、止まんな止まんな!」
金属同士がぶつかる鋭い音に竦められた依頼人の肩を、槍使いが強く叩く。
その頃には既に、ジルの大剣は振り抜かれていた。何も無い筈の空間を鎌ごと両断した直後、甲高い悲鳴と共に透けた体を現した亡霊が溶けるように消える。
「すっげ、一撃」
「ゴーストが即死とか意味わからないよね」
片手剣遣いと魔法使いが口笛を吹かんばかりにそう言っている間に、弓使いが矢を番えた。
木々は不気味に騒めき、枝の隙間から何者かの視線を感じるような空間。凄まじい勢いで過ぎ去る光景を見送れば、何処からか響く笑い声も遠ざかる。
彼女が警戒するのはそんな後方だ。馬車を飛ばす今、前方の道を開く事こそ重要であるが、それが後ろを蔑ろにして良い理由にはならない。
神出鬼没なゴーストが相手なら尚の事。
「この矢、高いんだけどね……ッ」
馬車の真下から身を乗り出した亡霊を、縁に足をかけ彼女は超至近距離で射抜いた。
顔のど真ん中に風穴を開けられた亡霊はそれを意に介さず、臆さぬ弓使いへと手を伸ばす。しかし透けた手が彼女へ触れようとする直前、その頭が弾けるように霧散した。
「ほら、ぼさっとしてんじゃないよ!」
「いや、つっても一刀がさ」
前方で馬を狙って振り下ろされる鎌を、手にした短剣を投げつけ砕く姿を片手剣使いは眺める。人間業ではない、というのは後の彼の談。
「こりゃあ貴族さんも大変だ」
「あ?」
武器を砕かれ、木々の隙間を風が通り抜けるような不気味な笑い声を上げて姿を現した亡霊を、すり抜け様に目で追いながら槍使いが笑う。
「一人で充分って奴とパーティ組んでんだからな」
「気にしてねぇよ」
それは、互いに。
戦闘でもジルが手を抜いた事などパーティを組んでから一度も無い。リゼルの存在を不要だと思った事もない。自然と今の形に落ち着いていた。
勝つ為に必要な存在と言うよりは、居れば楽な存在。ジルやイレヴンの趣味嗜好も全て考慮した上で、効率的に戦闘を済ませようとする。ストレスフリーと言えば良いか。
「俺も、俺のパーティも、貴族さんより強いって自負はあんだがなぁ」
「俺には必要ねぇ」
「だろうよ」
肩を竦めた槍使いは、馬車を追うように枝を伸ばしたトレントすら一閃の内に沈めたジルに口笛を吹いた。
「順調だな……!」
「ははっ、予想以上にな」
舌を噛みそうになる振動の中、依頼人が声に喜色を滲ませる。
その時だ。何処からか射られたボロボロの鉄の矢を掴んで止めたジルが、ふと背後へと視線を向ける。ちなみにその光景を目撃した片手剣使いは思わず二度見した。
「何か来る?」
魔法使いの問いかけに、ジルは何も答えない。
握り締めた矢を振り被り、そして投げた。過ぎ去る風景、木々の生えぬ道、真っ直ぐに背後へと投擲された鉄の矢は直後、馬の嘶きと共に現れた首なし騎士の胸へと突き刺さった。
「デュラハン!」
「げぇっ、深層級出んのか!」
「しかも二体だね」
矢に貫かれ、割れた鎧から青い炎を漏らしながら首無し騎士は馬を駆る。武装された馬の瞳は暗く、呼吸を知らぬかのように蹄の音しか聞こえない。
剣を振り上げ、馬車を猛追する姿はまさしく恐怖の具現であった。
「並ばれんなよ!」
「分かってるよ!」
槍使いに弓使いが応え、矢を番えた。
魔法使いも無言の詠唱に入っている。片手剣使いは荷物から足止め用の魔石を取り出した。二体の首なし騎士は道の両端に分かれながら肉薄する。
「一刀! 右の一体任せ」
そして槍を構えた男が見たのは、首が刎ね飛ばされた二体の馬の姿だった。
トト、トト、と速度を緩めた蹄の音が離れて行く。首なし騎士は剣を下ろし、首のないままじっと此方を見ていた。その姿がどんどんと遠ざかっていく。
「……こりゃあ、依頼料の相談が必要だな」
「五割で良い」
「そりゃ有難い」
槍使いは苦笑を零し、未だ剣を握ったまま視線を横の森に向けているジルを見る。
「どうした、まだ何か居るか?」
「殺気はねぇ」
だから何故神出鬼没な筈のゴーストの気配が分かるのかと、全員心の中で突っ込んだ時だった。
ただでさえガタガタと揺れている馬車に、コッと軽い衝撃。一瞬横へと揺れた車体に、体勢を崩さないよう踏ん張りながら何事かと周囲を見れば、自身らの乗る馬車の隣に薄っすらと浮かび上がる白い影がある。
「なッ」
一番近くに立っていた片手剣使いが振るった剣は、何も捉えず空を斬った。
「は? ちょ、げ」
バランスを崩した片手剣使いが馬車の外に転がり落ちそうになるのを懸命に耐えている。
そのすぐ隣で、煙のように揺れる白い影ははっきりと自らを象った。四頭立てのチャリオット。しかし戦士が立つべき漆黒の車体には、美しいヴェールを纏った花嫁がレースをはためかせながら立っていた。
つ、と彼女がジル達を見る。まるでビスクドールのような、可憐で美しい相貌。
『 ご め ん あ そ ば せ 』
葉擦れにも似た、可憐な囁き声だった。
くすくすと、笑みを零し彼女の乗るチャリオットはジル達の馬車を追い越して行く。道の先、道の真ん中へ滑るように移動し、そして霧が薄れるようにその姿を消した。
「成程なぁ。案外、この道はあの美人さんの為にあるのかもな」
「ていうか、魔物って話さないよね」
「じゃあ魔物じゃないんだろうさ」
なら何。知らないよ。良いじゃねぇか何でも。
そんな話で盛り上がる後ろで、ジルは信頼するパーティから存在を忘れられている片手剣使いを眺めていた。頑張って堪えていたが落ちそうだ。
「おい、これ無理無理む……ぎゃー!」
落ちた。
その後、彼は当初の予定通りに走って追い付く事となる。根性で何とかなった。
そして一行は無事に森を抜けた。昼でも薄暗い森に居た所為か、日の光が眩しい。
とはいえ全員、馬車を止めて幌を付け直すのも面倒臭く、風通しの良い車上で村へと向かう事となる。
日差しがある為、体が冷えるという事もない。魔物を警戒しながらも森の中に比べれば酷くゆったりと馬車に揺られ、村へと辿り着いたのは昼過ぎだった。
父の帰還が幼い少女には一番のプレゼントだったのだろう。忘れちゃったのかと思った、と不貞腐れる少女は、しかし喜びを隠し切れずに父の足に抱き着いていた。
「俺らは村で一泊だ。で、明日王都に戻る」
槍使いは、馬車によりかかりながら剣の手入れをしているジルにそう声をかけた。
ちなみに明日王都へ馬車を出すのも行きと同じく依頼人だ。慌ただしい、とは思うものの仕方がない。彼は娘の誕生日に間に合わせる為、荷物のほぼ全てを王都に置いて来ている。
今まさに顔を出した妻が何やらお叱りなのは、その件についてか。
「宿にはあいつが話を通してくれるらしい。好きに使ってくれ、だとよ」
「一番近い迷宮は分かるか」
「おいおい、今から潜る気か?」
目を見開いた槍使いは、しかし直ぐに大笑いして一方向を指さした。
あの川沿いを下って行って、歩いて十五分。橋の直ぐ横にあるから酷く目立つ。それだけ聞いて去って行く後姿に、大したもんだと感心せずにはいられない。
「ああでもないと、Sランクってのにはなれないのかね」
そして彼は使い込んだ槍を肩にかけ、自らのパーティの元へと歩んで行った。
その頃のリゼルは、再度ジルの部屋をノックして首を傾げていた。
「ニィサンまた居ねぇの?」
「そうみたいですね」
「ふぅん」
女将も三日四日見ていないというし、宿に帰っていないのだろう。
泊まり込みで迷宮攻略か、それとも遠くの迷宮に足を延ばしているのか。この辺りでジルが未攻略の、それ程時間のかかる迷宮があっただろうかと話しながら二人は宿の階段を下りる。
ジルの迷宮攻略数が多すぎて、どの迷宮をどれだけ攻略しているのかなど二人は一切把握していない。一緒に訪れた事がある迷宮のみだ。
「じゃあ今日は二人で依頼を受けましょうか」
「うぃッス。つうかリーダー、何も聞いてねぇんスか」
「聞いてないです」
あっさりと告げたリゼルに、珍しい事があるものだとイレヴンもあっさり頷いた。