軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

153:帰りの馬車が凄く寒い

リゼルがアスタルニアで手に入れたものの中に、釣りの腕がある。

腕が良いか悪いかは置いておくとして、釣りというものを覚えた。種喰いワームを落としたり振り回したり毒魚を釣ったりしただけだが、とにかく釣りという経験を得たのだ。

リゼルはその点に関して某宿主に深く感謝している。なにせやってみたら面白かった。のんびり釣り針を下ろして他愛無い会話をするのも良い。魚がかかった時に手に伝わる振動も楽しい。

「あれが良いです」

「(あれな)」

「(あれかァ)」

よって、是非やりたいと指差した依頼にジル達が訳知り顔で頷いたのも納得だった。

彼らはリゼルが楽しそうに竿を握っていた姿を知っている。実はせっせと酒場の作業員らにコツを聞いていたり、宿主が意気揚々と話す釣り知識に感心したように頷いていたりしているのも知っている。

二人は実はリゼルより先に見つけ、選ぶだろうなと見当を付けていた依頼用紙を眺めた。

【幻の釣りスポット?】

ランク:D~

依頼人:釣り名人

報酬:銀貨20枚

依頼内容:迷宮“無限の浮島”内に、まさかの釣りスポットがあると聞いて。

可能な限りの詳細な地図、進み方、魔物の情報などが欲しい。よろしく頼む。

「確実に行く気がすげぇ」

「準備を万端にするあたり本気だよな」

いつか依頼ボードで釣りスポットまでの護衛依頼を目にする日が来るのだろうか。

しげしげと眺めるジルとイレヴンの前で、リゼルがピッと依頼用紙を剥がした。二人から反対意見が出なかった事もあり、機嫌が良さそうに受付窓口へと進んで行く。

「リーダーも釣んのかな」

「さぁな」

ジル達もその後に続きながら、片や面白そうに笑い、片や呆れたようにそう零した。

“無限の浮島”は、その名の通り多数の浮島を渡って攻略していく。

見渡す限りの湖。風はなく水面は凪ぎ、青い空が美しく映り込んだ。そこに点々と存在する浮島は自然の緑に覆われ、それらは梯子のような足場で繋がっている。

大小様々なそれらは三人が乗ろうと不思議と沈む事はない。ただ少し揺れるのが慣れない内は肝を冷やす、そんな迷宮だった。

「釣りスポットって言や、全部そうな気もすっけど」

その浮島の一つ、端の方にしゃがんで水面を覗き込みながらイレヴンが言う。

澄んだ水は水底まではっきりと見え、流木や色鮮やかな苔が美しく広がっていた。ちゃぷちゃぷと指先で掻き回して遊んでみれば、水温は低いのが分かる。

「そういえば普通の魚って見た事ないですよね」

「魚いねぇなら釣り出来ねぇじゃん」

ぴっと水を払いながらイレヴンが立ち上がる。

リゼルも水を覗き込んだ。釣り針を下ろすにも、肝心の魚がいない場所では意味が無い。釣りスポット、というからには釣れる場所があるのだろうが。

「つっても噂は聞いた事あんスよね」

「まぁな」

ジルも同じく覗き込めば、三人が偏った所為か浮島が微かに傾く。それでも転覆は決してしないので危機感は無い。

「噂?」

「すげぇ釣り出来そうなとこ見た、ぐらいだぞ」

「何処の迷宮とかは知らねぇんスけど」

その噂を依頼人も聞いたのだろう。

冒険者内で出回っているという事は、複数人が目撃しているという事だ。実際釣れたという話が無い割に凄い釣れそうだというのなら、見れば分かるタイプの場所なのかもしれない。

普通は迷宮で釣りを始めるという発想がもはや無い事など考えもせず、リゼルは納得したように頷いた。

「見つけるの自体はそんなに難しくなさそうですね」

「つっても当たりが出るまで攻略すんだろ」

「そうなんですけど」

リゼル達は足を進めながら話し合っていた。

梯子のような足場を一列になりながら渡る。深層ならばこのタイミングで襲われる事もあったが、まだ一階なので意地の悪い事はされないだろう。

三人は以前にも依頼でこの迷宮を訪れた事があるので、勝手知ったるとばかりにどんどんと進んで行く。

「なんかヒントとか無ぇんスか」

「ジルはどうですか?」

三人の内、唯一迷宮を一から攻略しているのはジルだけだ。

リゼルとイレヴンは、遠慮なく魔法陣の恩恵を受けているのみ。互いが互いに“効率的だよな”と思っているので誰も気にしない。

「釣りね」

足場を渡りきり、次の浮島へ足をつきながらジルが言う。

三人の重さに微かに揺れた浮島が、凪いだ水面に小さく波を起こした。空を映す青い水面が音もなく揺らぐ。

「魚」

「ん?」

「何?」

そんな水面を眺め、ぽつりと呟いたジルをリゼル達は見た。

波紋は遠く広がり、そして交差するように帰って来る。一方向から、二方向から、徐々に増えるそれらに剣へと手を触れながら、ジルは難しそうにガラの悪い顔を顰めた。

「ここで魚、見た気がすんな」

「は? 何処で?」

「覚えてねぇよ」

「そこを何とか」

リゼルもじっと見れば、ジルは眉間の皺を深くして記憶をひねり出し始める。

既に浮島から発生した波紋は遠く消えたというのに、此方へと流れて来るものは徐々に増えていた。浮島が揺れる程ではない、細やかな波。それらがやってくる方向を見れば、幾つもの影が近付いて来るのが分かる。

「……中層」

「曖ッ昧!」

「思い出しただけマシだろ」

ジルは鼻で笑い、大剣を抜いた。イレヴンもそれに続き、リゼルも浮かしっ放しの魔銃を近付いて来る影へと向ける。

「なら、戻って魔法陣を使いましょうか」

「りょーかい。その前にこいつらッスね」

水面を滑るように迫る巨大な水蜘蛛が三匹。

体高はリゼル達の腰ほどまであり、硬質な六本の脚が艶めく。何処を見ているのか分からない楕円の目が鈍く輝き、ツィとまた浮島へと近付いた。

ゆるゆると速度を落とし、止まる直前。まだ剣が届かぬ位置から、ふいに一匹が触角を伸ばして振り上げた。

「またこの届かねぇ位置からっつうのがさァ」

鞭のように撓った触角が浮島へと叩きつけられる。土を削るそれを避け、イレヴンが手にしたナイフを放った。そのナイフは的確に水蜘蛛の目を抉る。

「あ、ひっくり返りそうです」

「げ」

「あ、ヤバ」

「え?」

目が潰れた方の長い脚をバタつかせ、ぐらりと体勢を崩した水蜘蛛にジルとイレヴンは嫌そうに声を上げた。どうしたのかとリゼルが二人を見る間に、魔物がころりと裏返る。

他の二匹も迫る中、裏返った水蜘蛛はというと。

「ぎゃー! やっぱすっげぇ跳ねる!!」

「おい責任取れ」

「俺の所為じゃねぇし!」

「水が……」

びょんびょんと裏返ったまま猛烈な勢いで跳ね始めた。大混乱だ。近くの魔物を吹き飛ばし、もう一匹を上から潰し、元の体勢に戻ろうとしているのか盛大に水を撒き散らしながら右に左に跳ね回る。

それを感心したように眺め、水に濡れた頬を拭うリゼルの腕をジルが引っ張った。そして、ついには浮島の上で跳ね回り始めた水蜘蛛を避ける。無差別すぎてもうどうしようもない。

「…………置いてこ」

「そうしましょうか」

「近寄れねぇしな」

後退しながら顔を引き攣らせたイレヴンにリゼルは頷いた。

そして三人は跳ね回る水蜘蛛を置いて、来た道を戻り始める。狭い足場の上で突っ込んでこられては大変だと速やかに離れて行くその後ろ、ようやく上下を取り戻した魔物は何事もなかったかのようにスイスイと何処かへ消えて行った。

中層の湖は、まるで夕日のような赤色をしている。岩に張り付いた水草の色だ。

揺らぐそれらのグラデーションは見惚れる程に美しく、水草が途切れる部分の鮮やかな青との対比に目を奪われる。

まるで水面を歩くかのように細い足場を歩けば、直ぐ足元を銀の鱗を輝かせた魚の群れが通り過ぎて行った。

「ようやく当たりッスね」

「本当にこの階しかいないんですね」

水面を見下ろしながらうろうろ歩き回り、中層を探索し始めて四つ目の階。

それが今リゼル達の歩く階層だった。今まで一度も目にしなかった普通の魚の姿に、リゼル達もこり始めた首が軽くなる思いだ。

「どうする」

「取り敢えず一通り歩きましょうか」

「見りゃ分かると良いけど」

トス、と茂った草を踏みながらリゼル達は浮島の一つへと降り立った。

見渡しても他の階層と変わらず、青い空を背景にぽつぽつと存在する浮島と水平線。遠くでポチャンポチャンと水エレメントが跳ね、重力に逆らって雫が滴り落ちているかのようだった。

三人が立つ島から伸びる足場は三つ。一つは今渡って来たものなので、道は二つ。

「あっちか」

「みたいですね」

浮島の下を、さぁっと魚の群れが潜り抜けて行く。向かう先は、足場の一つが伸びる方角だ。

「湖の釣りねぇ」

「海と何か違いますか?」

「まぁ基本は同じじゃねッスか。俺やった事ねぇけど」

ひょい、と足場の上に乗りながらイレヴンが歩き出す。

リゼルとジルもそれに続いた。中層では細い足場の上だろうと魔物に襲われる事があるので気を付けなければならない。気を付けても落ちる時は落ちるが。

「イレヴンは小さい頃、よく釣ってたんですっけ」

「腹減った時に良いんスよね」

森の中にある実家での事ならば、イレヴンの釣りは渓流釣りだったのだろう。

父親が名うての狩人だというのだから、先生役には事欠くまい。罠オンリーでの狩りで大型の魔物でも何でも仕留める父の手腕を、イレヴンはよく“気付いたら獲れててよく分かんねぇ”とは言っているが。

「適当な枝とって、持ち歩いてる針と糸つけて、川ん中の虫とかエサに釣って、ナイフで捌いて適当に火ィ起こして食ってた」

「それ、今度教えてください」

「勘弁して」

リゼルのちょっとした憧れは即座に切り捨てられて終わった。

「ニィサンは?」

「あ?」

「湖」

少し離れた水面が、ぱしゃぱしゃと波打つ。徐々に近付いて来るそれに、イレヴンは歩調を速めながら問いかけた。

リゼル達も駆け足で足場を渡りきれば、直ぐ横で波打つ水面から何かが飛び出す。まるで石の塊のような姿をした魚の群れだ。それらが足場の上を通過し、再び水の中へと姿を消していく。

「少し遠出すりゃあったな」

「釣り、しました?」

「しねぇ。潜って遊んでた」

そこらの地面に上着を脱ぎ捨て、後は友人らと飛び込むのみ。濡れた体はそこら辺に寝っ転がっていれば乾く。

そんな、なかなかに健康的な子供時代だ。やっぱり違和感あるなぁ、という視線がリゼル達から飛ぶ。特に、可愛げの全くない子供時代のジルについ先日直面したばかりのイレヴンの視線は露骨だ。

「釣りは近くの川ばっかだな」

「じゃあ全員、初めての湖の釣りですね」

水面を見下ろし、魚達の向かう先を探すリゼルが楽しそうに告げた。

やっぱり釣るのか、と今度はジル達がその姿を眺める前で、リゼルはあっちかなと広めの浮島を歩く。そして三人は魚に導かれるまま、目的地へと向かっていった。

目の前には岩に刺さった一本の竿。

それを照らすように天から光が舞い降り、心なしかキラキラと七色の煌きが見える気がする。選ばれし者のみが手に出来る、と聞けば納得出来てしまう神々しさだ。竿だが。

「任せて下さい」

リゼルが力強く頷いて一歩前へ出た。

ジルとイレヴンは無言でその背を見る。一体その自信は何処から来るのか。そして何に何処を選ばれたつもりでいるのか。三人の中で最も釣竿の似合わない男にも拘らず。

この光景を見つけた時にもマジかと思ったが、二人は今より一層マジかと思っている。

「見た目は普通の竿ですよね」

例え煌びやかに演出されようと竿は竿。

竿に巻き付いた糸と引っかかっている針に注意しながら、リゼルはそれの中腹を両手で握った。そしてぐいぐい引っ張り、右に撓らせ左に撓らせ、そして最後に真上に引っ張る。

「無理でした」

「だろうな」

「リーダー自信満々だったじゃん」

「いけるかと思ったんですけど」

あっさり諦めて帰って来たリゼルに、だから何故行けると思ったとジル達は内心で突っ込んだ。口には出さない。

「つか何、力尽くじゃ無理って事スか」

「ぴったり嵌ってるんですよね」

三人が竿の根元を覗き込み、岩との境目を眺める。

隙間のないそこへ、イレヴンがナイフで削れないか試すも流石は迷宮仕様。岩には傷一つ付かない。

「仕方ありません」

しゃがんだままのリゼルが一つ頷き、そして竿の根元をとんとんと叩く。

「持ち手がちょっと短くなりますけど、此処で切っちゃいましょうか」

「お前はどうしてそうなんだよ」

「情緒ねぇー」

ケラケラと笑ったイレヴンが、ナイフの刃先を竿へと向けた。

そして振るう。木の枝程度軽く断ち切れる刃は、しかしカンッと甲高い音を立てて竿の表面に弾かれた。力を込めようとギコギコと動かしてみようと、傷一つ付かない。

「無理ッスね」

「やっぱりズルはいけませんね」

びょんびょんと竿を揺らしながら残念そうに告げるリゼルを、よく撓る竿だなとジルが眺める。もはや色々諦めた。どの口が言うのかなど思いもしないのだ。

「何が基準なんでしょう」

「釣りの腕なんじゃねぇの」

「じゃあイレヴンでしょうか」

「いけっかなァ」

こうなると、やはり選ばれし者しか抜けないのだろう。

この中なら、とリゼルに促されたイレヴンが立ち上がって土の付いた髪を弾いた。そして竿を握り、ぐいぐいと引っ張る。微動たりともしない。

「ムリー」

「じゃあジルも」

「無理そうだな」

ジルも立ち上がって竿を握るが微動たりともしない。

普通ならば砕ける程に力を込められているにも拘らず、ギシギシと音を鳴らすだけの竿は流石の迷宮品だった。正直岩ごと持ち上がるのではとリゼルは思っていたが、そうならない辺り迷宮のこだわりが思う存分発揮されている。

「うーん」

さて、とリゼルも立ち上がる。

「まさか全員選ばれないとは思いませんでした」

「(正直予想はしてた)」

「(自信満々だったからなァ)」

ジル達の視線を受けながら、リゼルは仕方がないとポーチを漁る。

これだけ演出された竿は気になるが、そもそも抜ける代物ではないのかもしれない。つまり飾り。釣りスポットの目印だとしても迷宮では不思議ではないのだから。

そして取り出したのは一本の竿だった。いつか迷宮の宝箱から手に入れ、そして宿主との釣りでも使用した“持つと凄くしっくりくる竿”だ。

「それでも行けんスかね」

「どうでしょう」

リゼルが竿を構え、ポトンと餌の付いていない針を水面へと落とす。

「餌は」

「こっちの竿にも付いてないので、無くても行けるかなと思ったんですけど」

「やー、持参しろって意味じゃねッスか」

「釣りに力入れ過ぎだろ」

話しながら、三人は透明度の高い水の中でゆったりと佇む針を見下ろした。

この階層の何処からかやってきた魚達が音もなく通り過ぎていく。小魚が群れで、あるいは大きな魚がゆったりと尾を揺らし、そんな彼らは針には見向きもしない。

「やっぱさァ、あっちじゃねぇの?」

「やっぱりですか?」

リゼル達は顔を上げ、正面に見える浮島を見た。

大きさは街中にある広場ほどの浮島へと魚達は向かう。あそこに立てば、岩間や水草で休む魚達が多く見られる事だろう。外周には流木が、まるで丁度腰掛けられるように幾つも横たわっている。

だがしかし、その浮島に繋がる足場がない。泳いで行く、というのは少々無理矢理が過ぎるだろう。何せここは迷宮、魔物との水中戦のリスクを軽々しくは背負えない。

「どうやって行くんでしょうね」

「これ抜くしかねぇんだろ」

選ばれし者しか立ち入れぬ聖域、そうだというなら選ばれなかったリゼル達では足を踏み入れる事が出来ないのだろう。今回は依頼失敗かなと、そんな事を話していた時だ。

「実際誰が抜けんスかね」

「やっぱり、宿主さんくらい釣りへの愛がないと……」

ふいに、ぐらりと大きく浮島が揺れた。まるで下から何かに持ち上げられたように浮き上がり、そして沈む。

立ってはいられない程の揺れに、しかしリゼルは両側から腕を掴まれて転倒を回避した。辛うじて手放さなかった竿の先、糸が消える水面が盛り上がり、何かが通り過ぎて行く。

「うわ、でっか」

「大きいですね」

「でけぇな」

巨体を静かに揺らしながら、一匹の巨大魚が姿を現した。

魚はリゼル達の居る浮島の周囲を回る様に、水の下で乳白色の体をゆったりと揺らしている。体は平たい形をしており、頭から背にかけて珊瑚らしきものに覆われていた。

まるで宝石のように色鮮やかで硬質な珊瑚が、時折水面から覗いては日の光を反射して煌いた。

「何これ、食われんの?」

「ちょっと怖いですよね」

静かに浮島の周りを回る巨大魚に、リゼルとイレヴンは思わずジルへと一歩近付いた。

鎧王鮫のように、いかにも襲うぞ魔物だぞという相手なら逆に平気な二人だが、普通にでかい魚となると微妙に近寄りがたい。敵認定されるのと餌認定されるのとの違いともいう。

「あんま近付くと剣が抜けね……おい、離せ」

「え?」

顔を顰めたジルが、ふいに正面を見据えたままリゼルへ告げる。

リゼルが目を瞬かせ、数秒。竿を握り締めたまま一歩離れた。しかしジルは眉間の皺を深め、鋭く舌打ちを零す。

「違ぇよ、それをッ」

言いかけ、咄嗟に手を伸ばした。

掴んだのはリゼルが両手で握る竿。リゼルがそちらを見れば、まさに水面に下ろした針目掛けて巨大魚が食らい付こうとする瞬間だった。

そして針が姿を消す。魚が頭を大きく振り、浮島を離れようと尾を振った。

「だから離せっつったんだよ」

「すみません」

釣れるかも、と咄嗟に思ったのがいけなかった。怒られた。

案の定竿ごと引き摺られて行きそうだったリゼルの後ろ襟を引っ掴み、ジルが代わりにそれを握る。そして直ぐ様リゼルをイレヴンへと預け、空いた片手でどう頑張っても抜けなかった伝説っぽい竿を握り締めた。

「ニィサンでも持ってかれるかァ」

「此処じゃな」

そしてようやく落ち着いたジルが、ばっしゃばっしゃと水面を尾で掻き混ぜる巨大魚を眺める。その度にジルの掴む竿も力いっぱい引かれ、釣られるように浮島も揺れていた。

「で、どうすんだ」

「どうしましょう」

「釣る?」

「釣っても置く場所がないです」

リゼル達の居る浮島は小さい。

釣り上げた所で巨大魚の頭や尾が出てしまうだろう。直ぐに逃げられる。

「あんまり美味しそうでもないですし」

「あの珊瑚っぽいトコ素材っぽくねぇスか」

「鱗もそうかもな」

折角釣りかけたのだからリゼル達に黙って逃がすという選択肢はない。心なしか巨大魚も必死で尾をバタつかせている。

「お」

「ん?」

その時、再び大きく浮島が揺らいだ。

揺れるだけではない。動いている。巨大魚が向かう、魚達に囲まれた浮島へと。

「成程、こうやって行くんですね」

そうかなぁ、とイレヴンは必死過ぎる巨大魚を眺めながら内心で呟く。

先程ズルはいけないと言っていたリゼルの前で、ズルじゃねぇのとは口には出来なかった。何せリゼルは機嫌良さそうに微笑んでいる。水は差せない。

そしてゆっくりと進んでいた浮島は、目的の島に接して動きを止めた。横に逸れて何処かに泳ぎ去ろうとする巨大魚にイレヴンが糸を切ってやる。

「大きい魚が泳ぐ姿は綺麗ですよね」

「結局あれ何なんスかね」

「魚だろ」

「いやそれは分かるけど」

遠ざかる鮮やかな珊瑚の色を見送り、さて釣りだとリゼル達は水面を覗き込み始めた。

その頃、群島のとある島。とある荒野では。

「いけない。あなたは、戻れない」

一人の老婆が、己の足元で膝をつく自らの孫へと優しく告げる。

彼女の腰からは幾つもの刃が重なり合いながら伸び、まるで蜘蛛の脚のように幾本も地面へと突き立てられていた。ように、というよりは本物の脚。自由自在にそれらを操り、慣れた様に老婆は歩む。

彼女の二本の足はそれらに支えられ、微かに宙へと浮いている。

「行かせない。駄目、いけない」

ぎり、と歯を食いしばる孫に、老婆は語り続ける。

ある日突然姿を消した彼が、つい最近帰って来た時はそれはもう喜んだものだ。連れて行った先で子を失った父など諸手を上げて歓喜し、母も力いっぱい抱きしめていた。彼の弟や妹も、こちらはあまり覚えてはいなかったが、それでも再会に笑顔を浮かべていた。

そんな息子夫婦らの再会を、よかったよかったと号泣する夫と共に眺めた彼女もまた、初孫の元気そうな姿に心から安堵した。

「戻る……ッ」

そんな孫が、故郷で幾らか過ごしたらまた元の場所に戻るという。

何故姿を消したのか、何処で何をしていたのか。家族は全て聞いた。不可抗力ながら密航してしまった詫びに働いていたという。特に嫌な思いもしなかったというし、親切な人に世話になったのだろう。

その後、付いて行きたい人を見つけ、冒険者なるものになったそうだ。その人は色々な事を教えてくれて、一度帰った方が良いと船まで都合してくれたという。可愛い孫が周りの人間に恵まれているのが喜ばしい。

「いけない」

だからこそ、老婆は微笑みながら告げるのだ。

「あなた、弱い」

戦い方を知る前に姿を消した孫は、全く以って鈍りきって帰って来た。

戦奴隷の一族はいつだって己の力に誇りと矜持を持っている。だからこそ己の力量を顕示するような真似もしない。そうせずとも、自信など揺らがないからだ。

「ついて行きたい人、いるなら駄目」

「何でッ」

「守れない」

ざく、と刃の脚の一本を荒野に突き立てる。

「大切な人、守る。戦奴隷にとって、一番大事」

その為に授かった力なのだから。

彼女も若い頃、唯人である今の夫と出会った。商隊の一員であった彼が魔物に襲われていた時に、たまたま通りかかって助けたのだ。長い髪を揺らし、幾本もの刃の脚の輝きを纏う姿が美しくて一目惚れしたのだと、後に彼は語ってくれた。

「あなた、唯人に負けた」

「………負けた」

「爺様より、弱い」

「………………じじ様よりは、強い」

不貞腐れたように地面に座り込んだ孫に、老婆はふふふと笑う。

「爺様は、強い」

何せ一目惚れしたから結婚してくれと、渓谷にある戦奴隷の里まで一人で来たのだから。真っ赤な顔をして少し萎れた花束を差し出す姿を、彼女はいつまでも覚えている。

その時だが、当時彼女に恋慕していた一族の男が彼へと決闘を申し入れた。実力差など考えるまでもなく、しかし両者とも男の勝負だと真剣に。準備をさせてくれとその日は帰った夫は翌日、荒事になど接した事もない癖に強い目をして、足を震わせながら普通の包丁を構えて一族の男へと向き合った。

その勇気こそ、戦奴隷が尊ぶものだ。だからこそ強いのだと、ようはノロケであるのだが。

「負けた、けど」

「けど」

「あれ、唯人違う」

何やら言い訳染みた事を呟く孫に、老婆は仕方がないと微笑んでみせる。

「でも、弱いのは確か」

「……」

「あなた、負けた。わたし、父、母、弟、妹」

「…………うぅ」

唸る孫へ、立ち上がるように促す。

それであっさりと立つのだから、先程まで散々刃を打ち合わせ、そして食らっていたというのに頑丈な事だ。刃を腕で受けて薄皮一枚傷つかない者など、今の族長以外に見た事がないのだから。

「絶対、強くなる」

彼女は、身内贔屓をなしに断言する。

「あなた、強くなる。だから、大丈夫」

「大丈夫?」

「戻れる」

パッと顔を上げた孫へ、目尻の皺を深めて老婆は微笑んだ。

「わたし、父、母、妹、弟、全部勝つ」

「?」

「勝ったら、戻って良い。父、母、わたしが説得する」

鈍色の瞳を輝かせる孫に、同じ瞳の色を持つ彼女は微笑ましそうに目元を緩めた。

しかし、勝負に手心を加える気は一切ない。ようやく錆び付いた刃が輝きを取り戻しつつある彼を、鈍らに鍛え上げる訳にはいかないのだから。

戦など無くとも、関係はない。自らの持つ刃を磨き上げる、それが戦奴隷と呼ばれる彼らの本能だ。

「だから、あれ、決めなければいけない」

そして老婆は荒野の向こうを指さした。

渓谷から荒野へと転がるように出て来た、残る二人の孫が遠くでじゃれあっている。幼い兄妹。兄はまるで亀の甲羅のようにダイヤを並べたような刃を背負い、妹は燕の翼のように薄い刃を広げた。

「敬意を表した獣の御力、借りる。わたし達、強くなる」

どの獣の力を借りるか、どんな形で借りるか、それは本人が一人で考えなければならない。よって同じ種を選ぼうと同じ形にはならず、戦い方もまた異なる。

翼の刃を鈍色の甲羅で弾き、駆け回る二人の姿をじっと見る孫の姿に彼女が穏やかに問いかけた。

「あなた、何がいい?」

そして彼は、クァトは――――……。

「釣った魚って持ち帰れるんですよね」

「迷宮だしな」

「この島で釣ればオッケーみたいなのありそうッスよね」

およそ一時間ほど釣りに励んだリゼル達の戦果は上々だ。近場の岩陰で休む魚をイレヴンが槍を銛代わりにゲットし、それを餌に釣り上げられた。

一つの竿を三人で順番に使い、それぞれが釣り上げた魚は多種多様。美味いと噂される魚であったり、大きく釣り甲斐のある魚であったり、食べれば舌が痺れる程度の毒を持つ魚であったりする。迷宮の空気の読み方が留まる所を知らない。

「何だか、前にもこの魚を釣った気が」

「気のせい気のせい」

「おい、あそこ」

魚の区別があまり付かないリゼルが自身の釣った魚を見下ろす中、ジルはさり気なく遠くの魔物を指さす事でその視線を逸らす。ふよふよと浮いている水エレメントが、魚の魔物の群れに怒涛の勢いで貫かれていた。

「敵対行動でしょうか」

「たまたま通り道なだけじゃねぇの」

「あぁ、成程」

その間にイレヴンが水袋から箱へと魚を水ごと移し替える。

箱はしっかり密閉でき、鍵もかかるもの。でないと空間魔法から取り出した時に悲惨な事になる。そのまま魚が生きたままでいられるか、迷宮から出た途端に消えてしまうかは分からないが。

「はーい準備オッケー」

「あ、有難うございます」

「行くか」

そして三人は後ろを振り返り、はたと動きを止めた。どうやって戻れば良いのかが分からない。珊瑚を背負った巨大な乳白色の姿も何処にもない。

「……泳ぐしかねぇな」

「げッ、無理」

「無理っつっても仕方ねぇだろ」

「水が冷たいです」

リゼル達は暫く待ってみたがどうにもならず、この島も動かないだろうかと試したが動かず、冷たい冷たいと言いながら対岸へと泳ぐ事となった。

そして依頼を完遂した数日後、選ばれし者であった依頼人から偶然話を聞いたところ。伝説っぽい竿を抜いた途端に後ろから優しく神々しい巨大魚が島を押してくれ、釣り場の浮島まで案内してくれた上、帰りも不思議と良いタイミングで姿を現して元の場所まで送ってくれたと言う。

ようは、恨まれたから迎えに来て貰えなかったのだろう。これは仕方がない、とリゼル達が巨大魚を恨む事は終ぞなかった。

ある日の“無限の浮島”にてアイン達の場合。

「お、水蜘蛛」

「スルーすっか」

「……俺さ、最近気付いたんだけど」

「何だよ」

「アイツらひっくり返すと沈むんじゃね?」

「……天才か」

「おっし」

「ギャッハハハハ! すっげぇ跳ねてる!!」

「跳ねすぎだろ!!」

「水すっげぇ飛んでくんじゃねぇか! ギャハハハッッハブ!?」

「ハッハハハ! アイン吹っ飛ばされてやんの!」

「水没ー! ヘイ水没ー! すッグフ」

「お前も水没してんじゃねぇかギャハハハ! あ、戻った」

「やっべやっべ、早くアイン達拾って先……ちょ、待って、羽」

「は、あいつ飛ッ」

「ぎゃぁぁぁ! 飛んだ! 飛んだ!!」

「ちょ、こっち来、あーーーー!!」

全員水没した。