作品タイトル不明
156:花の咲く日はいつか必ず
「音楽といい演劇といい釣りといい、冒険者は色々試せて良いですね」
「お前あれ弾けんだろ、ヴァイオリン」
「楽団に参加っていうのが初めてなので」
混み合う冒険者ギルドの依頼ボードの前、機嫌の良いリゼルにジルは成程と頷いた。彼がとあるパーティと合同で護衛依頼を受けている最中、とある地元の楽団に参加したという話は既に聞いている。どうせ居てもパスしていただろう依頼内容に、丁度良かったと思ったものだ。
まさに休暇を全力で満喫しているリゼルがあげるのが、冒険者が避けがちな依頼であった辺り突っ込みどころではあるが。ジルは口を挟まないでおいた。
「リーダー向こうじゃ参加したことねぇんスか」
「まさか、口にも出来ませんよ」
苦笑するリゼルは、いつも通りAランクの依頼から順に目を通している。
「美しい旋律しか必要のない場に、雑音を混ぜる訳にもいかないでしょう?」
ジルやイレヴンの耳には、リゼルのヴァイオリンも美しく聞こえる。
しかし、足りないのだろうと理解した。リゼルがあちらで耳にする楽団は国一番でも足りない、世界で一番と称されるに相応しい楽団であったのだろう。
最上級の音響設備の整ったホールの前、馬車を乗り付けて降り立ち、ボックス席で鑑賞するリゼルの姿が二人には容易に想像できた。似合う。
「この前の、演奏を楽しむ為の楽団も良いですね」
「リーダーすっげぇ楽しそうだった」
「楽しかったです」
リゼルは他の冒険者が押し合いへし合い覗き込むC、Dランクを抜かし、E、Fランクの前へ。そこから抜かした依頼ボードを覗き込んでざっと依頼傾向を確認し、改めて低ランクの依頼へと向き直った。
「ああいう路上楽団見んのも初めてか」
「いえ、見るだけなら一度だけ。陛下が飛び込みで参加したので」
「何て?」
真っ先にミュージックホールで王族席が宛がわれる筈の国王が、まさかの路上楽団デビューだ。しかも飛び込みというのだから、相変わらずジル達が話に聞くかの存在は行動力が半端ない。
「ピアノをかき鳴らして、大盛り上がりでしたよ」
「あー、あの……オルガンの親戚?」
「あれでどうやって盛り上がんだよ」
「陛下のピアノは激しいので」
普通のクラシックも弾けるが、ノリの良い曲が好きなのだとか。
ジルの想像する激しいピアノ曲は重厚で嵐のような超絶技巧なので、明るくテンポの速い曲というのがいまいち想像できない。時折酒場で流れのヴァイオリン弾きが演奏しているような、陽気な曲に近いのだろうか。
「ん」
ふと、リゼルが依頼ボードの下方に貼られた依頼用紙を見つける。少しかがみ、剥がさないように用紙を持ち上げた。
ジルとイレヴンも見下ろすように覗き込めば、Fランクだとしても風変りな依頼が目に飛び込んでくる。
【一輪の花を咲かせたい】
ランク:F~
依頼人:緑の井戸の花屋
報酬 :銀貨5枚
依頼 :魔力溜まりに咲くという花を、咲かせる為の情報をご提供下さい。
魔力溜まりに詳しい方、使えそうな素材をご存知の方、宜しくお願い致します。
ジルは思った。音楽、釣り、演劇、それらを全力で楽しめるリゼルが心惹かれない筈がない。むしろ彼が楽しめない事があるのかと。無論、向こうで日常であった国政であったり外交であったりは除いてだ。
「これ、受けたいです」
「だろうな」
「けど、園芸に関しての知識はあまり……」
うーん、と依頼用紙を眺めて考え込むリゼルの後ろ。珍しく即決しない姿に、Fランクにそれほど達成困難な依頼があったかと他の冒険者がちらりと用紙に視線をやる。
二度見されつつも、まぁリゼルだしなと納得されている辺りが流石だ。微妙に複雑そうな顔はされているが。
「イレヴンはどうですか?」
「俺?」
「ほら、元は森に住んでましたし」
「狩人は土いじりに手ぇ出さないッスよ。ぜんぜん別物」
獲物を追って数日帰らない事もあるしと付け加えるイレヴンに、そういうものなのかとリゼルも頷いている。とはいえイレヴンの父は罠が主力であったので、移動しっぱなしという訳でもないらしいが。
「母さんならちょい詳しいかもしんねぇけど」
「調香師でしたっけ」
「そ。何か、薬草かハーブっぽいの育ててたんスよね」
そういえばイレヴンの実家を訪れた際、家の隣に小さな花壇を見た気がする。ジルはうろ覚えだが、リゼルははっきりと覚えていたのだろう。確かに色々な植物があったなと感心するように一度目を瞬かせ、そしてその視線がジルを見た。
「俺も知らねぇぞ」
「ニィサンそこらの村出身じゃん」
「関わったことねぇよ」
ジルの居た村は木材豊かな山寄りではあったが、農耕に全く手を出していないという訳ではない。とはいえジルはもっぱら薪割りばかりで、収穫の際に少し手伝うだけで何がどうやって育つのかなど全く覚えがなかった。
「別に良いんじゃねぇの」
身をかがめ、ピッと依頼用紙を剥がす。
「そこらへんは花屋なんだからあっちが知ってんだろ」
「それもそうですね」
花のプロである花屋をもってしても無理だというのだから、必要とされている知識は別の部分なのだろう。魔力溜まりの知識もリゼルならば十分だし、素材というのも数だけはある。利用方法については、話を聞いてから考えれば良いだろう。
「珍しくちょい迷ったッスね」
「一輪ってあったので」
「あー」
ようは、失敗出来ないタイプの依頼だったので万全を期したいという事か。冒険者に依頼を出すくらいなのだから諦め半分、解決への期待など依頼人も全くしていないだろうに、変に真面目な事だとジルはため息をついた。
今はもう使われていない、緑の蔓に覆われた古井戸の隣にその店はある。
店先には色とりどりの花が並び、大きなガラス窓からは店内も見えた。飾られた鮮やかなリース、銀の水差し、ガラスのボウルには幾つもの花弁が浮かび、作業台の上には切り揃えられている途中の花が横たわっている。
草花に溢れているが、決して乙女チックではない。男三人が入っても何とか浮かないでいられるのは、そのお陰だろう。
「依頼を受けて下さり、有難うございます」
その店内で淑やかに腰を折ったのは、花屋の店主である女性だった。
微かに切なさを感じさせる微笑み、不思議と目を惹く口元のほくろ、ふんわりとウェーブするミルクティー色の髪。華奢な指先を体の前で重ね、細い首をさり気なく控えめなネックレスが飾っている。
「亡くなった夫が、最後まで咲かせられなかった花なんです。どうしても、咲かせたくて」
身も蓋もない言い方をするならば、ザ・未亡人。そして実際に未亡人。そっと小さな花を象ったネックレスチャームに触れる姿に、流石のリゼル達も思わず納得してしまった程だった。
しかしそれを表に出すことなく、リゼルは安心させるように微笑んだ。
「どこまでお力になれるかは分かりませんが、持ち得る限りの知識をお渡ししましょう」
「有難うございます」
ほっとしたように吐息を零し、彼女が作業台の後ろへ回る。
ちなみに三人が訪れた際、彼女はリゼルの姿を確認して目を瞠り、そのままゆっくりとジルとイレヴンへと視線をやって、「どのような花をお探しですか」と嫋やかに微笑んだ。流石に冒険者に依頼を出すだけの肝の据わり方はしているらしい。
「これ他の奴が受けてたらやばかったんじゃねぇの」
「まぁがっつくだろうな」
ジルとイレヴンがぼそりと呟き合い、店主に続いたリゼルへと続く。
数歩分の距離を詰め、何か言ったかと不思議そうに振り返ったリゼルに首を振った二人の前で、店主は一つの鉢を取り出して作業台へと置いた。盛られた土の上に、小指の先ほどの小さな種がちょこんと置かれている。
「これなんですが……」
「当然ですけど、見ただけじゃ何も分かりませんね」
リゼルも本の知識で花の種類は少なからず把握しているが、種だけでは全く区別できない。色は橙、形は真球、少し珍しい気はするが物凄く特徴的という事もない。
「君たちはどうですか?」
「見た事ねぇな」
「まずそう」
それはジルやイレヴンも同様だ。依頼によく登場する薬草や木の実、そして食べられる野草については知識を持つが、花に関しては彼らもさっぱりだった。
「これ、確かにスポットのものなんですよね?」
「スポット、とは」
「あ、失礼しました。魔力溜まりのもの、です」
リゼルも最近知ったが、スポットというのはあまり主流な呼び方ではないらしい。ジルも知らなかったし、他の冒険者が口にするのを聞いた事もない。
ただ魔法使いやそのパーティと話していると大抵通じるので、元の世界にしかない名称という訳でもないのだろう。専門用語に近いか。普通に生活していて魔力溜まりに関わる事など無いのなら、知らずとも無理はない。
「それは、間違いないかと思います」
「何で? 直接行って取って来れる筈ねぇのに?」
直接行ってエルフと会った事を完全に棚に上げ、イレヴンが問いかける。とはいえ嘘ではない。リゼルが用いた方法以外で魔力溜まりに突入できる方法など、彼には思いつかなかっただけだ。
「その、夫は見たことのない花を探しに行くのが好きで」
「そういえば、珍しい花もたくさんありますね」
「ええ。持って帰って来たものを、私が繁殖させて」
リゼルが店内を見回せば、見覚えのない花も、全く見たことのない花も見つけられる。特別花に詳しい訳でもないが、定番以外の花も種類が豊富なのが彼女と亡き夫の成果だろう。
「夫は、花に関しては非常に情熱的でした。この種も、魔力溜まりの外から、こう、とても長い網を使って採ったとか」
す、と指をそろえた両手を彼女は肩幅に広げてみせたが、まさかその程度ではないだろう。数メートル、下手をすれば十数メートルの網を必死で魔力溜まりに突っ込む光景は想像すると非常にシュールだ。
だが、確かにそれならば魔力溜まり内の植物採取も可能だろう。何が採れるかは完全にランダムの中、種だけでも採れたのは非常に運が良い。採れるまで試しただけかもしれないが。
「冒険者の方々は、魔力溜まりの魔物を相手取るのに、比較的近くまで行くと伺いましたので」
「それで依頼を出したんですね」
「ええ、何かお話が聞ければと」
ふむ、とリゼルは頷いた。
花屋も見たことのない種。恐らく新種だろう。そして今まで初見の植物でも繁殖を成功させてきた彼女が手も出ないというのなら、魔力溜まり特有の事情が関係しているのかもしれない。
「とはいえ、魔力溜まりの中で特別変わった植生は見ませんでしたよね」
「え?」
「すっげぇ生き生きしてたぐらい?」
「あの」
「新種に気付けるほど知識もねぇしな」
「……え、と」
戸惑ったような声を上げていた店主に、リゼルは少し可笑しげに目元を緩めてみせた。
「魔力溜まり、探索した事があるんです」
「…………え?」
しきりに目を瞬かせながら固まっていた店主が復活したのを見計らい、リゼルはさてと鉢を見下ろした。相変わらず橙の種はちょこんと土の上にある。
彼女の話からすれば、種を手に入れてからおよそ五年。しかし種は萎びた様子もなく艶やかな表面を保ち、今にも芽吹きそうな姿のままであった。
「俺達はあまり園芸に詳しくないので、それだけご了承下さい」
「ええ、勿論です」
「通常、種が芽吹くのに必要なものを挙げて頂いても?」
「そうですね……大まかに、土、水、光でしょうか」
イレヴンがつん、と種をつつく。外皮は硬く、へこむことはない。
「咲かない原因というと、俺では魔力不足しか思いつかなくて」
「あそこ凄かったッスもんね」
「私もそう思い、色々と試したのですが」
ふっと眉尻を落とし、微かに息を吐いて何も芽吹かぬ鉢を眺める店主を、リゼルはじっと見た。微かに首を傾げ、しかし直ぐに依頼達成の為に頭を働かせる。
魔力溜まりの中の世界は、鮮やかに色づいていた。全てが全盛で時を止めたかのように、草木は萌え、土は結晶を砕いたかのようで、水は内から光り輝く。しかし、魔力以外の何かが働いているようには決して見えなかった。
「うん、魔力に的を絞って考えましょう」
「分かりました」
こくりと頷く店主に微笑み、リゼルは鉢へと手を伸ばす。
ちょん、と指先で土を触った。土いじりどころか、砂遊びとも無縁なリゼルの手つきは覚束ない。こちらに来てから薬草採取などで指先に土がつく事はあれど、自分からそれを目的として手を伸ばした事などなかった。
下手くそだなぁ、と眺めるジル達の前で、やや楽しそうだ。
「まず土から。ええと」
何も分からない。
リゼルはジルを見た。知るかと微かに眉を寄せられる。
次にイレヴンを見た。笑顔で肩を竦められる。
その光景に察したのだろう。店主は気遣うように、優しく落ち着いた声で説明してくれた。
「基礎の土づくりは、他の花たちと同様に……ただ、種を採取した魔鉱国の森の土に似せて作ってはいます」
「あそこか」
「丁度良いじゃん」
まさにリゼル達が訪れた魔力溜まりだ。それ程変わった花があっただろうかと記憶を探る三人の前で、彼女は説明を続ける。
「魔石は大体、土が四、水が二、火が一、風が一、強めのものを使いました」
人の中にも植物の中にも、当然魔力が巡っている。戦奴隷以外。
魔法として使用する為の魔力と違い、生きるために必要不可欠なそれを意識して生活している者などまず居ない。だが農家などは生きる糧としてそれを知る。地域に合わせ、天候に合わせ、そして土に合わせて砕いた魔石を混ぜ込むのは完全に感覚での作業だ。熟練の勘ともいう。
「その比率は貴女が?」
「ええ。とはいえ、他の花たちも育ちやすい配合ですが……」
「まぁ、どうやっても咲かねぇんじゃなァ」
例に漏れず、その感覚を持つ店主が手掛けたのだから土づくりに関しては問題ないだろう。その筈だ。恐らく。リゼル達では門外漢すぎて信じるしかない。
店主曰く、強めの配合というのも魔力量の多い魔石を使用しているだけとのこと。どれ程のものを使用しているのかは分からないが、魔石といってもピンキリなので、彼女が用意出来るものというと“特別な花を育てる時用のちょっと良い魔石”か。
「あ、 緑の石(リーフストーン) とかは試しましたか?」
「はい、一度。けれど、根付かなくて」
これは手強い、と店内の花々にヒントを探すリゼルの後ろ。緑の石で色々思い出したらしいジルとイレヴンが、無言で視線を逸らしたり血の気の引いた顔を覆っていたりしていた。
どうしたのかとそれを見る店主の隣で、リゼルが何かを思い至ったようにポーチを漁る。
「取り敢えず、有効そうなものを並べましょうか。緑の石と」
鉢の隣にころころと転がされた苔色をしたガラス玉に、何故冒険者がこれを持っているのかと店主が目を瞬かせている。特別珍しいものではないとはいえ、手に入れるには冒険者に依頼を出すしかなく、あまり市場には出回らないものだ。
依頼を受けたならば依頼主に納品されている筈、と不思議そうな彼女の前に、更に驚愕の品が転がされる。
「魔石も強く、炎と」
「……?」
店主がまじまじと緑の石にコツリとぶつかった魔石を見下ろした。
仮にも魔石の繊細な配合を可能とする彼女だ。大体どの程度の魔力が籠っているかは経験則で把握できる。そんな彼女でも、途轍もないとしか言いようのない強大な魔力だった。
こんなもの見たことがない。余程の大商人しか扱えないのではないだろうか。そんな事を考えている彼女に、そういえばとリゼルが顔を上げる。
「あ、でも火だけ強くしても駄目ですね」
「え、ええ」
「じゃあ土と水、風が足りねぇ?」
「おら」
すんなりとジルから出て来た。
リゼルは特に驚きもせず、差し出された三つの魔石を受け取る。イレヴンも一緒に覗き込む中、手の中でくるくると回してみれば、確かにリゼルの持つ炎と同程度の魔石であった。
「これ、どうしたんですか?」
「それと同じだよ、エレメントマスター」
「は? あれ燃えてんじゃん」
「ランダムで変わる」
マジか見たい、と興味津々なイレヴンを尻目にリゼルは礼を告げ、それらを炎の魔石の隣に転がした。火の上位が炎と呼ばれているように、それぞれ岩、氷、嵐と称されるに値する魔石だ。
ちなみに上位の名前は俗称で、正式には何処までも火土水風でしかない。分かりやすいので呼び分けられている。
「後は、これを粉に……ジル」
「何で呼んだ」
「え?」
「あ?」
「あの、機材がありますので……」
イレヴンが噴き出すのを耐えてプルプルする中、店主が作業台の端に置かれた機材を指す。
見た目は金属製の箱のようなもの、それにハンドルがついている。とある薬士の元で見たものより小さく、持ち運びも出来るタイプだ。その代わり一つずつしか潰せない。
箱の下には口の広い瓶が備え付けられており、そこに粉となった魔石が溜まるようになっていた。
「俺やりたーい」
「じゃあイレヴン、お願いします」
以前はジルがひたすら砕いたので、今度はと思ったのだろう。イレヴンは上部のくぼみに魔石をセットし、ごりごりと削り始める。地味に楽しそうだ。
少しずつしか砕けないが、ハンドルは薬士のものとは比べようもないほど軽い。これならば、店主の華奢な腕でも何とか魔石を砕けるだろう。
その彼女はと言えば、少しずつ瓶に落ちる煌めく粉を見て、ハッとようやくまともな思考を取り戻していた。
「緑の石はこのまま鉢に入れれば良いですか?」
「何で知らねぇんだよ」
「そこまで書いてなかったんです」
とある研究書でその存在を知ったリゼルだが、そもそも研究書というのはその分野に詳しい者しか読まないのだ。知っていて当然だと、基礎の基礎部分までいちいち書きはしない。
「いえ、これは簡単に砕いて使います。完全に土の代わりにするものもあれば、土の上に敷き詰めて……っあ、いえ、そんな……!」
店主がリゼル達を止めるように控えめに両手を掲げ、慌てたように口を開く。
「いけません、そんな、貴重なものなんでしょう?」
「良いんですよ、元を正せばタダですし」
まぁ間違っちゃいない、というのはイレヴンの談。物は言い様だよな、というのはジルの談。両者とも何も言わずに同意するが、しかし店主にとっては容易に受け入れられるものではなかったようだ。
だが、いけないと眉尻を下げるその姿は庇護欲を煽り、ここで“なら止めた”と言える男がいるのだろうかとリゼルは可笑しそうに笑う。そうでなくとも、発言を撤回する気はないが。
「本当に良いんですよ」
「ですが、依頼は」
「俺達はその依頼に対して、したい事をしてるだけなんです」
こういうのも縁だろう、と考えるリゼルが何を気にすることも無い。
依頼達成の為に出来ることをしているに過ぎないのだから、彼女が気にする必要など何処にもない筈だ。
「それとも、やむを得ず我慢した方が良いですか?」
そう少し揶揄うように問いかければ、店主はもう何も言えないようだった。
ふっと肩の力を抜き、微笑んで礼を告げる姿にリゼルも良かった良かったと笑う。そして、そのまま緑の石をジルへと手渡した。
「はい、ジル」
「……」
砕ける前提で渡すなと思いつつ、彼は二個の石を掌の中で転がす。手袋越しに力を込めて握りしめれば、メキ、と軋んだ音がした直後。バキンッと砕ける音がした。
「ニィサンぱねぇー」
「有難うございます」
平然と掌で受け取るリゼルに物申したいが、ぽかんと此方を見る店主の存在もあるので止めておいたジルだった。流石にリゼルの“やりたい事をやる”発言の後に文句は言い辛い。
「リーダー、出来た」
「全部ですか?」
「全部」
リゼルがイレヴンの声にそちらを向けば、瓶の中には魔石が色の層を作って積もっていた。強く日の光を反射し、煌めくそれらは魔力溜まりの中の土とよく似通っている。
それを店主へと渡し、土へと混ぜ込んで貰う。彼女は三人が覗き込む中、鉢の中の土を大きな木のトレーへ空け、そこに魔石を振り入れながら両手で土をかき混ぜた。
「粉にした魔石って、すぐに魔力が散っちゃいませんか?」
「ええ、専用の鉢は使っていますが、十日が限度でしょうか」
「十日で咲かねぇとやり直し?」
「それは大丈夫だと思います。ほら、イレヴンの実家もそうですし」
「あー」
アスタルニアの森にある移動型の魔力溜まり。それらが移動したからといって、移動元の草木が枯れたというのは聞いた事がない。ならば、芽さえ出てしまえば多大な魔力は必要ないのだろう。
そして店主が鉢へと土を入れ、その上に砕いた緑の石を敷き詰める。更にそこに花の種を乗せれば、土の煌めきが不思議と種へとゆっくり流れているように見えた。
「お、良いんじゃねッスか」
「良さそうだな」
「良さそうですね」
どんな仕組みかはよく分からないが。非常に良さげな雰囲気に、三人は満足げにそれを眺める。
店主も視線を釘付けるように種を見下ろしていた。見開かれた瞳がかすかに揺れる。
「じゃあ次は水ですが」
「は、はい」
その瞳も、リゼルの声にパッと元の様子へ戻った。
「これは単純に行きましょう」
「え?」
そんな彼女の視線の先、リゼルが一つの瓶をポーチから取り出す。
その瓶の中では、非常に青みの強い美しい水が揺れていた。透き通り、まるで水自体が光を宿したかのように明るい。
「魔力溜まりの川の水です」
「そういや汲んでたな」
「あー、あん時の?」
店主はもう何も驚かなかった。
いや、確かに驚いた。驚いたが、もはや素直に受け入れる事が出来た。その瞳に浮かぶのは感嘆。ほうっと息を吐き、まじまじと瓶を眺める。
「使いどころが無かったんですけど、役に立って良かったです」
「ジャッジに見て貰ったんじゃねぇの?」
「貴重なものだけど、用途は不明らしくて」
「何でそんなもん取っとくんだよ」
割と身も蓋もない事を言いながら、リゼルは瓶の蓋を開けた。
果たして使えるだろうか、と覗き込む。記憶の中のものと比べて魔力も薄れた様子はなく、特に劣化してはいないようだ。正直、今まで忘れてほったらかしていた。
「これ、大丈夫ですか?」
「お借りしますね」
店主に渡せば、彼女は細い指を瓶に差し込んだ。指先を水につけ、くるりと一回かき混ぜる。
「大丈夫そうです。……あの、頂いても?」
「どうぞ」
提供した素材だけ見れば、AランクやSランクでもおかしくない依頼だよなと眺めるジルとイレヴンを余所に、リゼルはにこりと微笑んだ。
店主は鉢の上で瓶を傾け、鉢の中央に置かれた種を避けるように水を注いでいく。すると、土の煌めきが増した。表面の緑の石を通し、微かに立ち上るそれはいかにも効果があったと伝えてくる。
「なんか楽しくなって来た」
「俺もです」
リゼルとイレヴンが期待を込めて鉢を覗き込む。まるで迷宮の謎を解くかのようなドキドキ感が素晴らしい。
「じゃあ、あとは光ですね」
「つってもどうしようもねぇだろ」
「そうなんですけど」
スポットでも太陽光が降り注いでいたのは変わらない。他の植物と同じように日当たりの良い場所に、としか言えないだろう。
困ったように頬に手をあてる店主も、既にそれに思い至っていたのだろう。リゼルが最初見た時、鉢は日の当たる窓際に置かれていた。森の中にあったという事を考慮したのか、直射日光は避けられていたが。
「森ん中キラッキラしてたじゃん、あれは?」
「あれは魔力の霧なので……ああ、でも魔力を通した光っていうのも有るかもしれないですね」
「関係あんのか」
「ないかもしれないですけど」
しかし未知のものへ立ち向かう時は、いつだって失敗の繰り返しだ。
魔力溜まりにあったのだから、恐らく魔力が原因で種が駄目になる事はないだろう。やってみるしかないだろうとリゼルは一つ頷き、三人の話し合いを見守っていた店主へと向き直った。
「魔力を閉じ込められるような、鉢を覆うケースはありますか?」
「ケース、ですか?」
「出来ればあまり大きくない方が助かります」
「分かりました。あると思いますので、探してみます」
ケースが大きすぎると魔力濃度が上げづらい。
そう告げたリゼルに、店主は店の奥へと向かう。そして直ぐに運んできたのは、透明なガラスケースだった。大きさも丁度鉢一つを覆うほど。
「こちら、使えるでしょうか」
「はい、有難うございます。あ、前も開きますね」
ガラスケースの正面には小さな金具が一つ。両開きになっており、魔力を注ぐのに丁度良さそうだ。ケースの中に鉢を置いてみれば、なかなか見栄えが良い。
「あとは魔力を」
「足りんのか」
「どうでしょう。この大きさなら、ギリギリ行ける気もします」
魔力溜まりの圧倒的な魔力濃度を再現するには、相当な魔力を注がないといけない筈だ。どれほどの魔力が必要となるか想像もつかないが、近いところまで行ければ良いなぁとリゼルは少しの隙間を残してケースを閉めた。
そして周りが見守る中、その隙間に手を当てて、魔力を。
「……やり方が分かりません」
「はァ!?」
「いつも通りだろ」
「だって、いつもは向ける先があるじゃないですか」
魔石であったり、魔道具であったり、魔法発動の為だったりと、魔力を向ける先も描く線もある。だが、漠然と空気中に放出した覚えはリゼルにはない。
「イレヴン、出来ますか?」
「は? えー……、こうか……ふんっ」
「出ました?」
「出ねぇッスね」
「何だ今の」
はらはらと店主が見守る中、リゼルとイレヴンは暫くの間エア魔力と戦った。
途中、そっと彼女の視線がそれを眺めるジルを窺ったのも当然の事だろう。何故蚊帳の外なのかとごく自然に疑問に思ったようだ。彼女自身、魔力の扱いについては詳しくないので、そういう事もあるかと直ぐに納得したようだったが。
「あ、出たかも」
「どうやりました?」
「こう、手にジワジワ、ジワワワワみたいに」
“魔法は感覚派”が圧倒的多数を占める冒険者の例に違わないイレヴンの言い分に、完全理論派のリゼルは負けた。何も分からない。
これでイレヴンの魔力量が大きければそのままケースに魔力を入れて貰うのだが、彼はいたって平均的。それでも獣人の中では多いのだろうが、魔力溜まり再現には足りない。
リゼルは頑張ってイレヴンから情報を引き出し、五分後。見事魔力を放出する方法を身に付けた。
「ジル、お待たせしました」
「うるせぇ」
「ニィサンお待たせ」
「うるせぇ」
わざわざ一声かける所に含みがある、とジルは二人の笑顔に顔を顰めて返す。
「よし、じゃあ行きますね」
「お願い致します」
「リーダー頑張れー」
「魔力不足になんなよ」
リゼルは隙間から漏れないよう注意しながら、ケースに魔力を注ぎ込んでいく。
じわじわとしか出せないので、暫くかかりそうだ。そう告げれば、店主がそれならばとハーブティーを用意してくれた。椅子がないので立ち飲みだが、三人は気にせず少し変わった風味の紅茶に舌鼓を打つ。
その五分後。
「掌がぞわぞわします」
「魔力中毒じゃねぇか」
順調に魔力が溜まっている証拠なのだろうが、なかなか辛い。掌だけ。
「あの布とか巻いてみる?」
「いえ、上手く魔力が出せなくなりそうなので」
「あの、ご無理は……」
「大丈夫ですよ、何かに支障がある訳じゃないので」
そして更に五分後、ようやくケースの中に薄っすらと霧が立ち込め始める。
よく見れば、程度だが十分だろう。これ以上は無理かとリゼルは魔力の放出を止め、さっと扉を閉めた。そのまま金具を留めようとすれば、横から伸びたジルの手がカシャンと金具を捻る。手が非常にピリピリしているので有難い。
「有難うございます」
「ああ」
「これが、魔力溜まりの……」
平然とした様子のリゼルにほっとして、店主はガラスケースを眺めた。
時折薄っすらと現れて静かに揺れる、微かな虹色を映す霧。土中の魔石に反応しているのか、鉢の中から立ち上るようであった。更に煌めきが増す。
「これで咲くと良いんですけど」
「何日か経たねぇと分かんねぇの?」
「種の中には、条件が揃えばすぐに芽吹くものもありますが」
そう、彼女が言いかけた時だった。
「おっ」
ふいに間近で種を眺めていたイレヴンが声を上げる。
全員がそちらを見れば、パリ、と種の表面に細い亀裂が走っていた。種が息絶えようとしている訳では決してない。中から何かが押し上げるように破れたかのようで、これはもしやと誰もが思う。
「…………っ」
店主は息を呑んだ。
亡き夫が手に入れ、咲かせられなかった花。彼が唯一残した夢を、叶えられるのだろうか。もし、そうなのだとしたら。
祈るように組んだ両手が震える。瞬きを忘れた瞳を向ける先、徐々に割れ目が広がって中から種と同じ色をした橙の双葉がゆっくりと顔を出した。そして。
「うん、ここまで育てば枯れないでしょう」
「リーダー!?」
リゼルの手が伸びた。
「え?」
その手がパチンッと金具を弾き、ガラス戸を開く。
「あ、ぼんやりする。すっげぇ頭ぼんやりする!」
「何か斬りてぇ」
「俺も全身ぞわぞわします」
魔力中毒も笑い話である程度には、散ってしまえば薄い魔力濃度だ。
店主は握りしめた手を静かに解き、呆然とリゼルを見る。何故か、亡き夫のことを鮮明に思い出せた。次々と浮かび上がる面影が、少し悲しく、寂しく、酷く愛おしい。
「これで、咲かせるための方法は分かりましたね」
「あ、の」
「咲かせたい時は、誰かに魔力を注いで貰ってください」
微笑むリゼルに、未だ尾を引く夫との思い出に沈んだ彼女は、ほぼ無意識のように頷いた。
そして、何故だ何故だと騒ぐ赤色と、呆れ切った黒色を伴い去っていく清廉な後姿を見送る。唇から零れたのは礼の言葉。彼女はそのまま深く腰を折った。
「(そんなに、未練があるように見えたのかしら)」
三人の姿がなくなるまで頭を下げていた彼女は、心の中で呟きながら体を起こした。気の抜けた心地でガラスケースの前へと立つ。視線の先には、生き生きと双葉を広げる種が一つ。
夫がこの種を見つけて来てから五年。先立たれてから三年。そして、とある男性にお付き合いを申し込まれてから一年。気持ちの整理がつくまで待つよと笑って言ってくれた。今でも、週に一回は必ず寄って花を一輪買ってくれる、心優しい男性。
そろそろ良いかもしれないと考えて、依頼を出してみた。この花を咲かすことが出来れば、区切りをつけられるだろうと。
「まだ、想っていたいみたい」
彼女は泣きそうな瞳で、しかし愛おしそうに唇を綻ばせて、美しく微笑んだ。
「何となく、迷っていたようなので」
ギルドへの道を歩きながら、リゼルはそう語る。
咲かないなと告げた時に微かに吐き出された安堵の息に、咲きそうになった時の動揺に揺れる瞳に、きっとそうなのだろうと。だからこそ、最後は彼女に委ねた。
「は、依頼出しといて? 良い迷惑じゃん」
亡き夫の形見だという。色々と思い入れがあるのだろう。
だがそんなもの関係ないと平然と告げるイレヴンに、リゼルは苦笑する。
「咲かせることで区切りをつけたいのか、想い続けたいのかは分かりませんが……」
うーん、とリゼルは花屋の女性を思い出す。
顔を合わせた時に、酷く魅力的な女性だと感じたのは、俗にいう所の未亡人オーラだけではない。憂いの中に、どんな結果であれ受け入れようと覚悟を秘めた瞳があったからなのだろう。
「咲いたら本当に、その決断をしたと思いますよ」
「ダイジなトコ人任せとかさァ」
「一人では難しい事なら助けを求めるべきでしょう。それが、自分の心であっても」
可笑しそうに笑い、リゼルは不貞腐れたように唇を尖らせるイレヴンの頬へ触れる。
慰めるように頬の鱗を指先でなぞり、そして離せば、既にその顔は笑みに代わっているのだから本気で不貞腐れている訳ではないのだろう。
「それで、お前は突き放した訳だ」
鼻で笑うジルに、人聞きが悪いと苦笑を零す。
だが、確かにその通りだ。区切りを付けたいのだろう、同時に付けたくないのだろう。それを決めろと言われた時に、普段ならば決断に迷わないリゼルが決めかねた。
それは、相応しくないと考えたからだ。自分ではいけない、そう判断した。
「彼女の想いに釣り合うものを、俺は持たないので」
恋焦がれた事のない人間が与える決断は、どれほど軽いものなのか。
それに、恋でなくとも誰かに焦がれる気持ちは分かるが未だ失ったことはない。その時に自分がどんな判断を下すのかは、リゼル自身だって分からなかった。
「つっても俺ら依頼失敗なんスけど」
「失敗してませんよ」
「ん?」
「ほら、よく思い出して下さい」
イレヴンはその言葉に、依頼内容を思い出してみる。
花を咲かせたいのだろう。そう書かれていた筈だ。ならば咲かせられなければ失敗なのではないのだろうか。その為の知恵を貸せと、そう。
「……あ」
「でしょう?」
リゼルが揶揄うように目を細め、最初から気付いていたジルもため息をついた。
咲かせろなどと、何処にも書かれていなかった。知恵を求められただけ。それが実際に有効なものに限るとも、何処にも書かれていなかった。誰が受けて、何をしようと、誰でも依頼は成功出来た。
「えー……そこまで狙ってんの?」
「魅力的な女性はおしなべて、何処かにしたたかさを持つものですよ」
だからこそ魅力的なのだろうが。
何とも恐ろしい事だとリゼル達は話し合いながら、ギルドまでの道のりを歩いて行った。
今はもう使われていない、緑の蔓に覆われた古井戸の隣。花に溢れた店内で、今日も彼女は少し儚げな微笑みを浮かべ、訪れた者へと美しく微笑む。そんな君だから恋をしたのだと、いつまでも待っているからと、そう優しく告げた男性へと。
窓際には橙の双葉が覗く鉢が一つ、きらきらと輝いていた。