作品タイトル不明
151:毛玉はもれなく爆発させた
「小生にとってはね、彼、あるいは彼女は高嶺の花なんだよ」
羽の混じる髪に右半分を覆われた中性的な容姿が、まさに恋をしているかのように愛しげな憂いを帯びた。
零された吐息は熱を孕み、真白い肌をほんのりと紅色に染め、彼女はそこに焦がれる相手が居るかのように空を見上げる。雲一つない、透き通るような美しい青がそこにはあった。
「君達にも分かるだろう?」
指名依頼は、ギルド職員から冒険者へ直接持ち込まれる。
指名された冒険者がギルドを訪れた際、職員から声がかかるのだ。なので曖昧な指名や、まだ該当ギルドに来て日の浅い冒険者相手だと職員は「誰だこれ」となる。
「今、宜しいでしょうか」
スタッドは、依頼帰りのリゼル達へと声をかけた。
「どうしました?」
「貴方たちのパーティへ指名依頼が来ています」
リゼル達に関して、職員らが迷うことはない。
貴族と書いてあれば大体リゼルで、黒くて強そうなのと書いてあれば大体ジルで、赤い蛇っぽいのと書いてあれば大体イレヴンだからだ。大抵が貴族で来るが。
「いっつも勝手に断ってんだろ」
「上流階級からの依頼はそうするよう頼まれているだけです黙ってろ馬鹿」
「能面」
そして死角で始まる潰し合いにリゼルは気付くことなく、スタッドに渡された依頼用紙を見下ろした。隣でジルも覗き込んでくる。
【あの奇蹟のような瞬間を】
ランク:なし
依頼人:魔物研究家
報酬:都度相談(最低銀貨20枚)
依頼:君たち以外にも護衛の依頼を頼んでみたが、全く宜しくない。
いざ魔物が出ると慌ただしくてね。小生はもっと集中して彼らを観察したいんだ。
自分が無茶を言っている自覚は勿論ある。けれど、頼むよ。一歩も動かず特等席で美しい彼らの生態を見られた至福の時間を、もう一度味わわせてくれないだろうか。
「またかよ」
「イレヴンさえ良ければ、俺は構わないんですけど」
「俺? 何々?」
ひょい、とジル同様に依頼用紙を覗き込んだイレヴンの顔が引き攣った。
「……リーダー受けてぇの?」
「これだけ熱心にお願いされると、そうですね」
「何で?」
「前に話してた“魔物の核を用いた擬似生命に関する研究”の進捗が気になります」
何だそれ、と三人の視線が集まる中、リゼルはほのほのと微笑んだ。
研究職である彼女の話は非常に興味深い。魔物という非常にマイナーなジャンルの研究だが、だからこそ目新しい発見や斬新なアイディアに溢れている。
リゼルの告げた研究も、新しい魔物を作り出そうというものではなく、魔力の流れに状況に応じた指向性を持たせられないかという研究だ。
「リーダーが受けてぇなら良いけど」
「ジルはどうですか?」
「好きにしろ」
前回から間が空いたからだろう。研究家である彼女のインパクトが多少薄れたのか、渋々ながらイレヴンは頷いた。ジルも得意そうにはしていなかったが、特に問題はなさそうだ。
「スタッド君、お願いします」
「分かりました」
こうしてリゼル達は指名依頼を受け入れた。日程などは依頼人側の都合もあるが、恐らく直ぐに返事は寄越されるのだろう。
そんな事を話すリゼル達へと依頼日が伝えられたのは、当然の如く翌日の事だった。
冒険者ギルドに似合わぬ長身痩躯、そして白衣。久々に見た彼女は、何も変わっていなかった。
「やぁ、待たせたね」
白衣を翻し、依頼人である研究家はギルドの中を颯爽と歩み寄って来た。リゼル達が以前に護衛依頼を受けてからも、他の冒険者たちと共に魔物の観察へ赴いていたのだろう。
冒険者ギルドももはや慣れたもので、最初の頃のような所在なさげな様子はない。
「お久しぶりです、研究家さん」
「ああ、しばらく王都を離れていたと聞いていたけれど」
「はい、アスタルニアへ」
のんびりと椅子に腰かけて依頼人を待っていたリゼルが、立ち上がって出迎える。
椅子を引き促せば、研究家は可笑しげに口元を緩ませ腰かけた。自分がそういう扱いを受ける違和感を、彼女は非常に興味深く思っている。
「アスタルニア、良いね。あちらにも色々な魔物が居るんだろう?」
「そうですね。森に棲む魔物は勿論多いですし、迷宮にも特色があって……人魚、巨大蜘蛛、鎧王鮫」
「後はー……ヴァンパイア?」
「ヴァンパイア!」
研究家のテンションが一気に上がる。ぶわ、と羽毛のような髪が揺れた。
そうだと思った、と自ら口にしておきながらイレヴンは悟ったような眼をして彼女を眺める。アスタルニアの淑女達のように、創作上の“さいきょうのびけい”に熱を上げている訳では確実にないのだろう。
「あの、アスタルニアの迷宮にしか居ないという!?」
「俺は見てないですけど。あ、ジルが」
「振るな」
「素晴らしい! 実態なき体と、蝙蝠への変異! 非常に興味深い!」
やはりヴァンパイアをきちんとヴァンパイアと認識した上で大興奮している。
かなり資料の少ない魔物だろうに随分と熱心に調べ上げたものだとリゼルは感心し、そんなリゼルの反応をジル達は訳が分からないものを見る目で見ていた。確実に感心する所じゃない。
「それで、今日なんですけど」
「ああ、そうだった」
即座にテンションが落ち着いた。
いや、期待に心躍らせてはいるのだろう。やや膨らんだ毛先の羽に、リゼルはそんな事を考える。獣人の感情の起伏が分かりやすいというのは此処から来ているのだろうが、そもそも隠そうとする者が少ない。
「以前は平原から森にかけて観察しましたね」
「ん、よく覚えているものだ」
「色々と印象的だったので」
不思議そうな研究家を前に、ジルとイレヴンは内心で酷く同意した。
襲い来る魔物を前に、興奮隠せず高笑いしていた姿は忘れようにもなかなか忘れられない。早く忘れたい。けどきっと今日も見る。
「他の冒険者と迷宮にも一度入ってみたけれど、どうにもね。小生の体力がないのもあるんだが」
「慣れないと疲れますよね」
「見るからに体力ねぇし」
「最終的に肩に担がれて移動していたら、耳元で喧しいと怒られてしまった」
三人は納得したように頷く。
担いだ冒険者も、まさかその状態で高笑いされるとは思わなかっただろう。こいつに不満そうにする権利はないとイレヴンは思ったし、ジルはその冒険者に酷く同情した。
「じゃあ、今日は迷宮のリベンジに行きましょうか」
「是非そうして貰いたい」
研究家はぺこりと頭を下げた。こういう所は律儀だ。
「一番近場だと……歩いて二十分くらいでしょうか」
「いや、そこは行ったんだ。出来れば、別の迷宮が良いな」
「そうすると、馬車に乗ることになるんですが」
「うん、冒険者以外は乗れないのかい?」
彼女が首を傾ければ、髪で半分覆われた顔が露わになった。
特に、普段晒されている面とは変わりない。拘りなのか、ただの癖毛なのか。
「いえ、それは多分大丈夫ですけど」
リゼルが確認するようにジルを向けば、肯定するように頷かれた。冒険者以外が乗っている場面を見たことはないが、問題は無いはずだ。
ギルド所有の馬車なのだから、ギルドを利用した依頼人が乗るのは何ら不思議ではない。
けれど、とリゼルは苦笑する。
「今の時間、とても混みますよ」
「全く、君は相変わらず紳士だな」
研究家は可笑し気に目を細め、しかし満更でもないと言うように笑った。
「そんな事は当然の事だよ。冒険者の領域へ、不作法に足を踏み入れようとしているのは小生だ」
「ギルドが依頼を受理したからには、作法に則った正当な客人です。当然の配慮ですよ」
「ふむ、それは素直に喜ぼう」
けれど大丈夫だと、研究家は力強く頷いてみせた。
本人がこれ程言うのなら、リゼルに止める理由はない。少し思案し、ちらりとジル達を見る。
「まぁ行けんじゃねえの」
「頼むから馬車ん中でテンション上げんなよ」
「善処しよう」
問題無さそうだ。イレヴンが若干顔を引き攣らせたが。
「じゃあ行きましょうか」
そしてリゼル達は席を立った。
いつもの三人と、一人。馬車乗り場まで向かうその背を、ギルドに居た職員や冒険者達が見送る。そして同じ馬車に乗るだろう冒険者達に「頑張れ」と無言のエールを送った。
乗り合わせてみたいような、そうでもないような。何とも複雑な気分だった。
無事に乗る事ができた満員馬車にリゼル達は揺られていた。
幸いにも壁際に行けた為、研究家とリゼルは壁に体を寄せていられる。囲むようにジルとイレヴンが立っているが、この二人がふらつかないのは流石としか言い様がないだろう。
「魔力の指向性は、外からの刺激と切り離しての考えもあるんですか?」
「完全に、ではないね。それこそ魔力が流れる先があってこその指向性だ。尤もそれが出来るに越したことはないが、それこそ生命の創造に近い」
壁に背をつけ、此方を見上げる中性的な顔にリゼルも微笑んで会話を弾ませる。
「ようは、効率性なんだよ。魔力の強弱を感知し、弱い部分へ優先的に送る。実現すれば、魔道具の寿命は格段に延びる」
「ならエレメント水は重宝しますよね。足りますか?」
「時々依頼に出して足しているからね。減るような使い方もしない」
「それは良かった。最終的には魔石で同じ事を?」
「そうなれば大成功なんだけれどね。今のエレメント水だと、魔力と引き合う性質があって目的には――――」
「魔力の均衡を図るっていう意味なら、スライム核の方が――――」
「一度試してみたが、あれはむしろランダム性が強くて――――」
普段通りわいわいと賑わいながらも実は聞いている冒険者が、“意味分からん”と素知らぬ振りをしながらも内心で突っ込んだ。
エレメントは分かる。スライムも分かる。倒せる。だけど言ってる意味が分からない。これだけ単語は分かるのに意味が分からないことってそうそうない。
「(やっぱ貴族さん頭良いわ)」
「(何かこう……頭良いわ)」
「(何がどう良いのか全く分からんけど頭良いのは確か)」
そして、まぁ倒せれば良いけどと粛々と頷いている冒険者達に、ならば何故聞くとジルは呆れたように溜息をついた。
その迷宮は、無数の部屋を渡り歩く迷宮だった。
扉を開けば別の部屋。階段を上れば雰囲気が変わり、民家に、王宮に、寄合場に。子供部屋、寝室、広間、書斎、キッチン、様々な部屋が隣り合い繋がっている。
「まるで迷路のようだね」
「その内、嫌になりそうですよね」
「ニィサンよく攻略したッスね」
「こいつ使ったに決まってんだろ」
迷宮攻略が趣味のジルでも、あまりにも面倒臭い迷宮は避ける。
どうせ迷宮に入るなら迷宮らしさが欲しいし、しかしなるべく歩きやすい方が良いだろうと今回ここを選んだのはリゼルだ。色々な光景が見られて楽しいかもしれない、と思ったのもある。
とはいえ彼女に景色が関係あるかは分からないが。最終的に魔物しか印象に残っていなそうだ。
「迷宮というのは、まさに別世界だね」
目を細めて楽しそうに、酷く興味深そうに告げる研究家にひとまず一安心だった。
「折角の迷宮ですし、浅層、中層を見てみましょうか」
「願ったり叶ったりだ。純粋な疑問として聞いて貰いたいが、深層はやはり無理なのかな」
「研究家さん連れだと怖いですね」
あっさり頷いたリゼルに、研究家も素直に納得する。
戦力としては問題ないが、守り通せるかというと確証はない。何せ罠なども奥に進むにつれて凶悪になってくるし、実際リゼル達も時々嵌る。
嵌った上でどうにかしているので今まで問題になった事はないが、止めておいた方が良いだろう。
「お前の壁も微妙だしな」
「猛攻を受けると自信ないです」
「食らわせねぇくらい余裕ッスけど」
「いえ、今日は控えましょう」
リゼルの魔力防壁はそこそこ強い。
だが、深層級の魔物の攻撃を全て受けられるかと言われると微妙だ。更に研究家の目的を考えるなら、多少攻撃を食らう余裕があった方が良い。
「君達には退屈な戦いをさせるかな」
四人は揃って歩き出した。
早速見つけた階段を上る。途中、家屋を造る材質ががらりと変わった。カツンカツンと大理石を踏みしめていた筈の靴が、ギシギシと木の板を軋ませる。
「別に、弱けりゃ退屈って訳でもねぇだろ」
「そうかい?」
「続くと飽きっけど」
普通にしている研究家なら、ジルもイレヴンも苦手ではないのだ。
冷静で、分をわきまえている。彼らにとってむしろ付き合いやすいタイプだろう。ただしテンションが上がると引く。
「足音が響くと魔物が寄って来やすいのかい?」
「寄ってくるのもいますね」
「音拾うのと振動拾うのいるよなァ」
「その区別っていうのは?」
「耳ついてんのと床にいんの」
随分とざっくりしている。しかも、それっぽいというだけの曖昧さ。
だが、冒険者ならこんなものだ。経験則で何となくそれらを見分け、来たら来たで迎え撃つだけなのだから。
「ギルドの魔物図鑑見りゃ書いてあんだろ」
ジルが一つの扉に手をかけ、開ける。
中は立派なバルコニーだった。リゼル達は気にせず足を踏み入れる。
眺めれば、美しい景色が見えた。眼下に広がる森林、バルコニーに影を作る大木、空は青く晴れ渡っており、吹く風は草木の香りを運んでくる。
「これ、部屋って言うんでしょうか」
「“部屋の迷宮”にあんだから部屋なんだろ」
「いつ聞いてもそのままだよなァ」
三人がそのまま数歩進み、そしてふと振り返る。
愕然とした顔の研究家がいた。足を止めている彼女に、どうかしたのかとリゼルが口を開きかけた時だ。
「まさか、見れるのか……?」
ふいに零された呟きに、リゼル達は顔を見合わせた。
魔物図鑑の事で間違いないだろう。冒険者ならば誰でも見られる図鑑は、しかし外部の者が見てはいけないというルールなど無かった筈だ。冒険者以外に見ようとする者が皆無なだけで。
「あれ、駄目でしたっけ」
「だったら言われんだろ」
「ッスよね」
例え冒険者以外の誰も見ない、という前提があろうが、スタッドは決まりがあるなら略さず説明するだろう。持ち出し禁止だとは聞いたが、単に冊数の問題だとしか言っていなかった。
ならば、誰でも見られる筈だ。なにせ見られてどうなるものでもない。ちょっと魔物に詳しくなるだけだ。
「あの、他のどの魔物図鑑にも追随を許さない、ギルドの英知を……!」
わなわなと震える研究家の白い髪が、ぶわりと広がる。
「アッハハハハ! 良いぞ! こうしてはいられない、ッ早」
「く、帰って良かったですか?」
「いや、いけない。やはり現地で実物を見る美しさは何にも代えがたいからね」
落ち着いた。そして歩みを再開させる。
扱いが慣れて来たよな、というジルの視線を背に受けながら、リゼルは不思議そうに研究家を見た。
「図鑑、とっくにギルドに問い合わせてるかと思ってました」
「何、あれは冒険者達の築き上げた英知の結晶だろう? 小生達でいう、研究書の類かと思っていたんだよ」
「ああ、成程」
世間に出すようなものではなく、正真正銘研究家の生涯そのもの。
門外不出のそれだと思い込んでいたならば、確かに見せて貰おうという発想すら浮かばないだろう。研究家特有の考え方だ。
コ、コ、と空洞を持つ木の独特の音を聞きながら、バルコニーを抜けようとした時だった。
「お」
ふいにイレヴンが足を止め、バルコニーに悠然と侵入する大木の枝を指差した。
「リーダー、毛玉」
「え?」
「ほら、あそこ」
幹のような太い枝から分かれ、葉の生い茂る小枝の根本。掌サイズの毛玉が幾つか張り付いていた。一房だけ伸びた毛は尻尾のようだが、しかし正真正銘の毛でしかない。
“おしゃれ毛玉”、何処の迷宮にも稀に現れる風変わりな魔物だ。
「何だ、あれは。一体何なんだ」
「あれも魔物ですよ」
「小生も聞いた事がない!」
大興奮の研究家に頷いてみせれば、彼女はバッと毛玉に近づいて行った。
触らないようにしながらも、他の全ての手段を以って観察し始める。上から横から枝の陰から矯めつ眇めつ、流石にブリッジしながら下から見始めた時はそっと呼び戻したが。
「おしゃれ毛玉っていって、あの毛を上手く編んであげると色々くれるんです」
「色々とは!?」
「俺が見たことあるのは、魔石と、回復薬と」
「宝石、金貨、装飾品?」
「石ころ」
発言で器用さが分かる。とはいえ、やる気の有無もあるので正確ではないが。
研究家が存在すら知らないのは、おしゃれ毛玉が全く話題に上がる事がない魔物だからだ。依頼に出る訳でもなければ、彼らから襲い掛かってくる事もない。
むしろ、冒険者内でもマイナーな魔物だった。存在自体は知っていても、ご褒美が貰える事を知らない者も多い。よって、大抵の冒険者は「お、毛玉」と言いながら通り過ぎる。
「ただ、魔物図鑑には載ってましたよ」
「本当かい? いや、何とも楽しみになってきた」
研究家は間近で毛玉を眺めながら、目を細め笑う。
「ん?」
その時、何かに気付いたようにイレヴンの視線が真下を向いた。
バルコニーの外に広がる木々は足下にも広がっている。床板の隙間から見える細い緑にリゼルも目をこらしながら、研究家の傍へ歩み寄った。
耳を澄ましてみると、微かに草木を踏む音がする。それが移動し、そのまま去るかと思いきや程近い場所で止まる。そしてタシタシと木の表面を叩くような音が近付いてきた。
「お、来た」
「研究家さん、良いですか?」
「大歓迎さ!」
研究家の顔が徐々に喜色に染まっていく。
「決まり事は以前と同じで」
「動かない以外は何をしても良い、だろう?」
「その通りです」
リゼルが微笑むと同時に、魔力防壁を張る。
透明な膜が二人を包むと同時に、ベたんっとバルコニーにそれらは姿を現した。下から支柱を伝い現れたのは、様々な柄を持つ三匹のカエル。大きさは大の大人の膝まである。
クック、と喉を膨らませて鳴く彼らに、研究家も大興奮で吠えた。
「デザインフロッグか!」
「よくご存知で」
「なんて澄んだ鳴き声だ! 意思疎通はッ、いやッ、どうやって小生達を見つけた!?」
バサリと灰白色の髪を波打たせ、彼女は一気にテンションを最高潮に笑う。
「あの美しい模様……! 個性があるとは素晴らしい! ハハッハハハハ!」
「あれ鎧とかに貼り付けてる奴とかいるよな」
「金属鎧も一気におしゃれになりますね」
大きく開かれた口から飛び出した舌を、ジルは軽く片足を曲げるだけで避ける。
カエルの模様は様々で、大抵は良く分からないカエルらしい模様をしている。しかし中にはドットや星柄など思わず目を引く柄を持つカエルもいた。
綺麗にはぎ取って持ち帰ると、革職人などに買い取って貰えたりもする。
「小生も一着仕立てたいものだな! 是非飾っておこう!」
「着ねぇのかよ」
ジルとイレヴンが、舌を飛ばしたり体当たりを仕掛けるカエルをすいすいと避けている。一階だけあって、まともに戦うとすぐに終わってしまうのだ。
飛び跳ねたカエルがリゼルの魔力防壁にあたり、ぺたりと貼り付いている光景を二人は「シュールだなぁ」と眺めた。大興奮の研究家と、ほのほの眺めるリゼルの対比が物凄い。
「おっ、鳴くかも」
「鳥の獣人ってどうなんだ」
「や、俺は知らねぇし」
ふいに、ジル達の前にちょこんと座るカエルがグゥッと喉の袋を大きく膨らませた。
薄い皮膚が更に伸び、ぱんぱんに膨れ上がる。それを眺める二人の会話に疑問を抱きつつ、リゼルと研究家が何が来るのかと張り付いたままのカエルごしに眺めた時だ。
カエルがぱかりと真っ白な口内を露わに、勢いを付けて正面へとそれを叩きつけた。強大過ぎる鳴き声。びりびりと肌が震える程のそれは、もはや衝撃波に近い。
「あー、うるっせぇーッ!」
「これ数年ぶりだな」
研究家の事だから聞きたいだろうと、敢えて放置した二人はしっかりと耳を塞いでいた。
普段は鳴き出す前に斬り捨てているので、リゼルも初めての筈だ。ひたすら煩いだけで大したダメージもないだろうが、と二人が後ろを振り返る。
「あ、これ、すごくクラクラします」
頭を押さえ、ふらふらと頭を揺らしているリゼルの片手。そこにはピクリとも動かない研究家がのけぞったように支えられていた。
その正面で、魔力の壁に張り付いていたカエルがぽとりと地面へ落ちる。完全に気絶していた。同族同士でもダメージを食らう姿が物悲しい。
「ん? リーダー壁溶けた?」
「溶けましたね。急いで張り直しましたけど」
「鳴き声にそんな効果ねぇだろ」
「いえ、凄くびっくりしたので」
単純に集中力が途切れた所為で、リゼルの魔力防壁は一瞬消えた。
護衛依頼なのに失敗したな、と考えているリゼルだが、そもそもジル達も武器を手放して耳を塞いでいる。通常の冒険者なら数秒行動不能になる事を思えば、すぐに防壁を張り直しただけ上出来だ。
「で、それ生きてんスか」
「生きてはいんだろ」
「研究家さん、大丈夫ですか?」
残るカエルを斬り伏せるジル達を尻目に、リゼルが研究家へ声をかける。
唯人よりダメージを食らっているのは、鳥の獣人としての何かが影響したのだろうか。そんな事を考えながら、優しく揺すった時だった。
「ッハ!!」
ガバリと凄い勢いで研究家が意識を取り戻した。
彼女は訝し気な顔できょろきょろと周りを見渡し、そして斬り捨てられたカエルたちを見る。魔力へと変わっていく彼らを見下ろし、真剣な顔で口を開いた。
「彼らの一声で凄い衝撃を受けた気が……もしや、あれが世にいう告白というものなのか……」
「頭おかしい」
「もっかい寝かせろ」
「錯乱効果とかありました?」
素だ。
そして四人は、浅層よりの中層で一体の石像を眺めていた。
建っているのは長い廊下の始まり。真っすぐな廊下は果てが見えず、両端には一つ一つ意匠も大きさも違う無数の扉がズラリと並んでいる。
「成程。この石像の鍵をとると、大量の魔物に追いかけられると」
研究家がまじまじと、石像の手に引っ掛けられている鍵を見た。
色々な鍵がぶら下がる大きな輪っかに納得したように頷く。並ぶ扉と幾つもの鍵、ついつい手に取ってしまいたくなるだろう。
「けれど、この鍵を使わないと入れない部屋があるんだろう?」
「ねぇけど」
「無いのか……」
全く理解出来ない顔をしている彼女にリゼルも苦笑する。迷宮だから仕方ない、は冒険者以外にはなかなか通用しない。
「けど、意味が無くはないんですよ。ここにある扉、ほとんどが開かないんですけど」
「こんなにあるのに開かないのか……」
「この鍵に対応した扉だけは、魔物に追いかけられてる時に開くんです」
「本当か! 何だ、鍵もちゃんと使うんじゃないか」
「いえ、開けるのに鍵を挿す必要はなくて」
「無いのか……」
意匠を凝らした扉同様、鍵も様々なデザインがある。
扉の数が多すぎて分からないのではと思われがちだが、これが意外と分かりやすい。特に特徴のある扉の鍵ばかりだからだ。
初見の冒険者は鍵を手に取り、襲い来る魔物に「普通とるだろ!」とキレながら走り、「扉多すぎんだろ!」とキレながら開く扉を探し、そして「鍵いらねぇのかよ!」とキレながら部屋に入って魔物をやり過ごす。
「追いかけて来る魔物、見応えがありますよ」
そわそわと羽毛のような髪を揺らす研究家に、リゼルがにこりと微笑んでみせる。
「走るのは?」
「そこらの子供に負けるね!」
「男性に抱えられるのに抵抗は?」
「全く無いよ!」
徐々に顔を輝かせる姿に、リゼルは可笑しそうに笑った。
ジルを見れば、諦めたように溜息をつかれる。あれは了承だ。いかにも軽そうな研究家一人、彼ならば何の負担にもならないだろう。
「むしろ俺の方が心配なんですよね」
「そうかい? 足が遅そうには見えないが」
「まぁ遅くはねぇな」
「リーダーは普通」
速くも遅くもない。持久力も平均的。
冒険者として歩き回るようになってから貴族時代よりは多少マシになっているかもしれないが、それでも成人男性の域を出ないだろう。体力自慢の冒険者達に限定すれば、むしろ平均を下回る。
周りが凄すぎる、というのはリゼルの談。アイン達も以前、合同依頼の時の草原で、連続で何回バク転が出来るか遊んでいた。結構な余裕を残しながらも目が回って途中で止めていた上、最後は軽々とバク宙まで決めていたのをよく覚えている。やってみたい。
「おい」
「ああ、宜しく頼むよ!」
ジルに声をかけられ、研究家がバッと両手を上げる。
そこからどうしろと、と見下ろすこと数秒。ジルは堂々と彼女を脇に抱えた。女性への気遣いなど欠片も無い。
良いのだろうかと思うが、当の研究家が何も気にしないのだから良いのだろう。
「研究家さん。鍵、取ってみますか?」
「良いのかい?」
わくわくと心を弾ませる姿に、これこそ迷宮を楽しむ模範的な姿勢に違いないとリゼルは一つ頷いた。迷宮自体が色々な意味で期待を裏切ってくれることが多いので、冒険者は若干すさみがちだ。
そしてジルが石像に近づいてやり、振り返る。研究家の尻がリゼル達を向いた。この向きなのは恐らく、追いかけてくる魔物を見られるようにというジルの気遣いなのだろう。多分。
「よし、取るぞ……」
「バーン!」
「ぎゃ」
イレヴンがやや遊んだ。そしてジルに引っ叩かれた。
「大丈夫ですよ、ビリッともしません。そのまま取って下さい」
「信じるぞ。君の言葉だからな。小生は信じるぞ」
「はい、信じて下さい」
「つっても魔物は出るけどな」
「そういうんじゃないんだ。不意をつくのと心の準備が出来ているのは違うんだよ」
何やら色々と弁解しつつ、再び研究家が恐る恐る鍵へと手を伸ばす。
魔物、魔物、と呟いて平常心を保とうとしているが、それで良いのかと思わずにはいられない。本来は罠として機能する筈の魔物達も、まさか心の拠り所にされているとは思わないだろう。
「よし、取っ……!」
研究家の手がしっかりと鍵を握り、石像の手からそれを引き抜いた時だった。
バタンッ、バタンッと激しく扉が開かれる音と共にリゼル達は駆け出した。研究家が目を見開いた視線の先で、先程まで四人が立っていた付近の扉から無数の魔物が躍り出る。
「 人形(パペット) か!!」
「舌噛むぞ」
涼しい顔をするジルに抱えられたまま、研究家は顔を喜色に染めていく。
人形系の魔物は多種多様だ。だが、今歪な動きで追いかけているのは皆似たような姿をしていた。木彫りの人形たちは、形は男女や大人子供がある。しかし一様に顔がない。
そして身に纏うのは様々な洋服だった。いかにも上流階級、普段街中で見かけるようなもの、独特な民族的な衣装など、この迷宮にある様々な部屋の住民たちだと言うように。
「ちょいホラーだよなァ」
「あの量は怖いですよね」
「動きがまたカックカクだし」
「そのお陰で大した速さじゃねぇから良いだろ」
廊下を埋め尽くしながら一斉に追いかけてくる人形相手に、リゼルは割と全力疾走だ。
しかしジル達はまだまだ余裕がありそうで、何とも羨ましい事だと零す。これでリゼル自身がへばったり、ジル達の方が面倒臭くなったりすると抱えられたりするのだが、依頼人が目の前にいる今日はなるべく頑張りたい所存である。
「ふ、ふふ」
そんな事を考えていた時だった。
ジルの腰元から零された笑い声に、来たかとリゼルとイレヴンはそちらを向いた。羽毛混じりの白い髪がふわりと膨らみ、背後の魔物へ向かって見開かれた瞳が爛々と輝きを増す。
「素晴らしい!」
そして、爆発した。
「同一個体でありながら洗練された個性! あの動きはどうだ、どうやって動いている、いやあの動きでどうやって前に進む!?」
「まぁ言われてみりゃ走ってるかっつうと微妙な動きッスね」
「わさわさしてるだけですよね」
「ハハッハハハハ! どうやってこちらを認識しているのか、それともただ廊下を埋め尽くそうとしているのか!? まっすぐに此方に向かってくる健気さが堪らないな!」
「これを健気っつう方がホラーだよな」
「ホラーの塊持ってんのどんな気分?」
「ひたすら怖ぇ」
「こら、失礼ですよ」
素材は何なのか、動きは、造形は、研究家はどんどん一人で吐き出してはテンションを上げていく。もはや誰も彼女を止められない。
依頼人に喜んで貰えるのは冒険者冥利につきるとほのほの頷くリゼルだが、イレヴンはドン引きしているしジルは無心になっている。腕の中で暴れないだけマシだろう。
いや、マシだろうか。一切の身動きなく、口だけでテンションを上げていく姿が異様に怖い。
「ハハッハハハッハハハハハハハハ!!!」
そしてリゼル達は、ドップラー効果もかくやというレベルでひたすら走り続け、そしてリゼルが力尽きた時点で近くの部屋へと逃げ込んだ。
迷宮の扉が開き、晴天の下にリゼル達は姿を現す。
一通り迷宮と魔物を満喫し終え、研究家の体力が限界を迎えそうになった頃を見計らって依頼を終了とした。本来体力の無い彼女だ、日が傾くのを待たずに終了した。
「ハァ……素晴らしい……何とも希少な経験をさせて貰ったよ、心から感謝しよう」
「それなら良かった」
力尽きたように呆然と、しかし多幸感に包まれながら立つ姿にリゼルは穏やかに微笑んだ。
そしてイレヴンは死んだ目をしているし、ジルは視線を空へ投げている。この疲労感。迷宮攻略の疲労では絶対にない。精神的なものだ。
今も耳に残る高笑い。部屋という閉鎖的な迷宮ではよく響いた。暫く聞きたくない。
「やはり迷宮というのは特殊な場所だな。魔物達も個性的で実に良い」
「研究家さんは、研究の為っていうより純粋に魔物が好きですよね」
「まぁね。好きが高じてこうなっているのかもしれない」
中性的な顔で微笑みを浮かべ、研究家は何かを思い出すように目を細めた。
「幼い頃、父と出掛けた先でとある魔物を見てね」
それが、とても美しかったのだと彼女は言う。
姿も声も、在り方も。幼い心を全て奪うには充分だった。それ以来、ずっと魔物の事を考えているのだと。いつまでも色褪せず、興味を煽られて仕方がないのだと。
「その魔物とは、再会出来ましたか?」
「いいや」
研究家は懐かしむように空を見上げ、ゆっくりと目を閉じた。
まるで耳を澄ますように、さわさわと風に髪と白衣の裾をそよがせながら。リゼル達の視線を気にする事なく、運命の出会いを脳裏に描く。
「あの日も、こんな気持ちの良い空をしていた。抜けるように青く、白く美しい雲が素晴らしいコントラストを描き、風も穏やかで」
閉じられた瞳が静かに開かれていく。
「そんな時、ふと」
ふいに、何処までも響き渡るような鐘の音が聞こえた気がしてリゼルも空を仰ぐ。
まるで天高くそびえる鐘楼から、荘厳な鐘が空を落下してくるかのような音色だった。低いとも高いともとれる、不思議で、酷く心惹かれるような鐘の音。
深く聞き惚れたのは一瞬だったのだろう。しかし永遠にも思えた。我に返ったのは、ジルに腕を引かれたからだ。
「運が良いっつうか悪いっつうか」
「悪けりゃ死ぬだろ」
「じゃあ良いって思っとこ」
何かから姿を隠そうとするかのように覆い被さって来たイレヴンの顔に、口調とは裏腹に笑みはない。隣を見れば、同じく地面へ引き倒された研究家が、それでも目を見開いて空を見上げていた。
その視線の先を、リゼルも追う。
「!」
最初は雲が沈んだのかと思った。
遠い空。海面に積もる雪が、水中へと沈むかのように白の塊が沈む。そして雲を纏い現れたのは、光を吸い込む程に透き通った白を持つ巨体。
滑るように、泳ぐように、宙を悠然と舞う姿に視線を奪われる。それが真っすぐに近付いて来ようと、身動きなど出来ない程に。
「竜だ」
ポツリ、と研究家が呟いた。
頼むから高笑いするなとジルがその手を伸ばしかけ、しかし止める。彼女の唇はそれ以上何も紡がなかった。ただ惚けたように薄っすらと開き、震える吐息を零す。
それは誰が見ても恐怖ではなく、感嘆で。
「(気持ちは分かるけど)」
リゼルは視線を近付いてくる白い竜へと戻した。
低く風を切る音が近付いて来る。雄大な姿態は、しかし凄まじい速さで此方へと迫っていた。
そして、竜が一度大きくその身を揺らす。まるで白に紅い裂け目が出来たように開口した直後、響き渡ったのは天からの祝福のような鐘の音だった。あれは、鳴き声だったのだ。
「低い」
顔を顰め、ジルが囁く。備えろと、そういう意味だったのだろう。その両手がリゼルと研究家の頭を地面へ押さえ込み、身を低くさせる。
一瞬だった。ゆったりと迫った美しい白、そして確かに見えた空を映し込んだような青く輝く瞳は、一瞬でリゼル達の上空を通過した。その巨躯の鼻先から尾の先まで、瞬きも忘れリゼルは目に映す。
そして、視界一杯を再び青空だけが埋めた、直後。
「げ」
「うっわ!」
「ぎゃ!」
「わ」
吹き荒れた暴風に木々が薙ぎ倒されんばかりに揺れ、葉擦れが騒音となり襲い掛かる。
完全に体が浮いて何処かへ飛んでいきそうな研究家の白衣の胸倉をジルが咄嗟に掴み、残る片手で迷宮の扉を握り締める。同じく容易に上体を煽られたリゼルが転がって行こうとするのを、イレヴンはジルの腕にしがみ付きながら抱き寄せて捕まえた。
「ま、ま、待、りゅ、りゅ……!!」
「前後不覚治してから言え」
大人しく支えられているリゼルの隣、思い切り暴風にその身を翻弄されながらジタバタと研究家は暴れていた。
そのまま十数秒、ようやく風も弱まり、時折強めの風が髪を揺らす程度に落ち着く。イレヴンの手が離され、地面に座り込んだままのリゼルは乱れた髪を耳にかけながら顔を上げた。
あの昂然たる白は、何処にもない。
「あぁ……」
横を見れば、ぐったりと地面に力尽きながらも必死で空へと目を凝らす研究家が居た。
「彼が、彼こそ、小生の……再会、出来るなんて……!」
あの竜こそ、彼女の原点なのだろう。
人生全てを賭ける事すら躊躇わない決意の源、魔物への興味の始点、尽きぬ情熱を注ぐに値する存在。リゼル達は座り込んだまま、ごろりと地面に背を付けて空を見上げる研究家を見下ろす。
「てめぇにしちゃ静かだったなァ」
「高笑いもなかったしな」
「確かに、もう大興奮だと思ったんですけど」
投げかけられた言葉に、彼女は胸を弾ませながら笑う。
「小生にとってはね、彼、あるいは彼女は高嶺の花なんだよ」
羽の混じる髪に右半分を覆われた中性的な容姿が、ふいに恋をしているかのように愛しげな憂いを帯びた。
零された吐息は熱を孕み、真白い肌をほんのりと紅色に染め、彼女はそこに焦がれる相手が居るかのように空を見る。雲一つ無くなった、透き通るような美しい青がそこにはあった。
「君達にも分かるだろう?」
「いや分かんねぇし」
即切り捨てたイレヴンに、これにはリゼルとジルも同意した。
そしてリゼル達は無事に馬車に乗って王都へと戻って行った。
馬車には誰も乗っておらず、のんびり座れたのが大きかったのだろう。王都についた途端、研究家は大喜びで高笑いしながら依頼報酬二倍を堂々と宣言した。
ここで惜しんでは、竜という存在の価値が下がるようで嫌だという。リゼルは何となく分かったが、ジル達には微塵も理解出来なかった。
「やっぱ無理だわ」
「暫くいらねぇ」
「じゃあ今度は、研究が一区切りついた頃に依頼を受けましょう」
竜が出たとそこかしこで噂が聞こえる街並みを、完全に地に足付かない上機嫌で去って行く背を見送る。
そして後日、やはり再度の指名依頼が研究家から届いたが、丁重にお断りする事となった。