作品タイトル不明
150:大切に保管してある(時々眺める)
ジルとイレヴンの手合わせは、大抵が宿屋の庭か、依頼で出たついでに王都の外で行われる。
前者は手狭だが、彼ら二人にとっては戦略が変わるだけで支障はない。後者に関しては、時おり他者、大体が他の冒険者らに目撃されては遠くから眺められる事もある。
今日は、宿の裏庭だった。
「何か、アドバイスとか、無い訳ッ」
「欲しいんならやるけどな」
イレヴンの横薙ぎの一閃を剣で受け、死角から差し込まれる双剣の第二撃を手首を掴んで止める。そのまま引き寄せようと力を込めかけた手は、トンッと地を跳ねた両足を見て咄嗟に離された。
後退しながら仰け反れば、眼前を鋭い刃を携えた靴先が掠める。
イレヴンの足はまだ地に付かない。赤い髪をしならせ、今まさに着地しようとする彼は未だ空中にあり、身動きがとれない。ジルは躊躇せず大剣を振るった。
「あっぶね」
キィンッと刃と刃が甲高い音を立ててぶつかり合う。
一度振るえば弾かれなどしないジルの剣が振り抜かれ、それを軸に体を回転させたイレヴンが伏せるような体勢で地面へと着地した。見下ろし、見上げ、二人の視線が交差する一瞬で彼は予備動作を終える。
背に隠された手、笑う唇、ジルがそれを確認した時には既に隠されていた筈の手は振りかぶられていた。
「よっしッ! …………あー……」
ジルの眼前に翳された掌。その手の中で潰れる白くグチャッとしたもの。強く香り始める甘い匂い。
「これ止めんの? 殺気ねぇ攻撃とか弱ぇと思ってたんだけど」
イレヴンは追撃しようとはしなかった。今のしゃがんだ体勢では、ジルの剣など止められも避けられもしない。多少の隙は作れたのかもしれないが、それでもまだジルが大剣を振るう方が早い。
ここまでかと、黒いグローブを汚してやった達成感にスッキリとしつつ立ち上がる。
「リーダーのアドバイス活かしてみたんだけどなァ」
「……」
「うわ、すっげぇ嫌そうな顔。これ口つっこめりゃ本当に勝てんじゃ」
直後、イレヴンはベッタベタの掌を顔面に食らって思わず叫んだ。
「ちょいリーダー聞いて! ニィサンがさァ……いねぇし」
宿のシャワーを借り、リゼルの部屋へと突撃したイレヴンは目当ての姿が無い事に気づいて一瞬でテンションを下げた。思うままに慰めて貰えないのなら騒いでも意味がない。
カギはかかっていなかった。食堂にもいなかったので、外出はしている筈だ。不用心な事だとは思うが、荷物の全てをポーチへと入れて持ち歩いているのだから何がある訳でもないだろう。
「何処行ってんだろ」
呟き、ベッドに腰かけ寝転がる。
ちなみにリゼルは今、ギルドで気になっていた依頼を一人受けていた。Fランクの【冒険者の友人がいると見せかけて交渉を有利に進めたい】という依頼を受け、自分じゃ迫力が弱いだろうかとちょっと心配しながら依頼人の元へと向かい、粛々とした顔で「ちょっと……友人とは……」とやんわりチェンジを申し立てられて微妙に落ち込んでいた。
「っし」
ベッドから降ろした足を軽く上げ、そして反動をつけて立ち上がる。
時間も早いので二度寝しても良いが、一運動した後ではあまり眠くない。ジルは迷宮にでも行っただろうしと、何をしようかと考えながら部屋を出て行った。
イレヴンが訪れたのは、馴染みのチョコレート店だった。
そろそろストックも少なくなったし、甘いものも食べたいので丁度良いだろうと思ったからだ。彼は朝イチで甘いものも辛いものも重いものも食べられる。
「いらっしゃいませ」
「んー」
クラシカルなエプロンドレスに身を包んだ店員に、素晴らしい営業スマイルで出迎えられた。
それに手を上げ、イレヴンはショーケースを覗き込む。定番であったり、美しい細工や模様が施されていたりするそれを目で追った。
相変わらず周りは女性客ばかりだが全く気にしていない。
「本日はお連れ様はいらっしゃらないんですね」
「見てぇの」
「とても」
「駄ァ目」
余所では愛想が良いと称されるイレヴンだ。戯れるように会話を交わす。
だが目を細めて笑う顔には、リゼルに向けられる甘さも、ジルに向けられる挑発的な色もない。誰が見ても、少し癖のある人好きのする笑みが浮かべられていた。
「それでも、時々いらっしゃるんですよ」
「あー……そういや前、持ってた気がする」
アスタルニアへ出発する前、宿の女将や少女達の母親達などに小さな箱を渡していたのを思い出す。それが此処のチョコレートだったのだろう。
女性は皆一様に顔を輝かせていたのが、この店の知名度の高さを証明していた。
「これ新作?」
「完全新作ではありません。去年も、この時期に店頭に並べたものです」
「中は?」
「小さく刻んだドライフルーツが入っております」
ドライフルーツ、とイレヴンは四角いチョコレートを見下ろした。
表面にはそのフルーツが色鮮やかに描かれている。正直彼にとっては見目などどちらでも良いのだが、リゼル曰く「こだわりがあるのは素晴らしい」らしい。
隣に並ぶ淑女二人が可愛い可愛いと顔を蕩けさせるのとは別方向の楽しみ方だ。良く分からない。
「これ腐んの早い?」
「いえ、他のものと特に違いませんよ」
「ふぅん」
何という聞き方をするのだという店員の視線を気にすることなく、イレヴンはそのチョコレートを指差した。
「これ四十と、この二列十個っつ。そっちの酒入りの五個」
「一つずつお包みしても宜しいですか?」
「ん」
ブランデー入りは完全イレヴン用だ。別に分ける気もないが、ジルもこれだったら食べられるだろうか。そう考えかけ、そして妙案が浮かぶ。
「この店さァ、オーダーメイドとか出来る?」
「オーダーメイドですか?」
毎度毎度、チョコレートを一つずつ包むという面倒臭い注文をするイレヴンに、しかし慣れたように店員は手を動かし始めた。彼女はそのまま手を止める事なく、不思議そうに目を瞬かせる。
今まで、特にこだわりなく大量のチョコレートを買って帰っていたイレヴンの言葉が意外だったのだろう。
「そ。出来る?」
「ケーキなどは時折承っておりますが……どういったものでしょうか」
「そうだなァ」
イレヴンが身を乗り出すようにショーケースに腕を置き、楽しそうに言う。
「人間の食べ物じゃねぇってくらい、クソあっっっまいの」
「はい?」
「口に入れただけで悶絶するぐらい」
何を言っているのか分からないという目を、店員は辛うじて堪えた。
だが会話が聞こえていた周囲の女性達は思いきりイレヴンを凝視した。彼女らは皆一様に甘党ではあるが、甘ければ甘いほど良いというにも限度がある。
「食べるのは、人ですよね?」
「だいじょぶ、ほぼ人外だから」
ほぼ、と周囲の内心が一致する中、イレヴンは大きさや形などを指定していく。
口に入れたら直ぐ甘くなり、小さめで形は薄め。あまり軽すぎると狙いづらいから、重さはそこそこ。一体どういう使い方をするのかと店員は思いながら、チョコレートを包む手を一旦止めた。
「パティシエに確認して参ります」
「よろしくー。あのケーキ貰うわ」
「お席にお持ちしますね」
いつも通り何か食べて待っていようと、イレヴンは目についたケーキを指差し席へと向かった。ちまちま包んでいくのは地味に時間がかかるのだ。
席について程なく運ばれてきたケーキをワンホール。空間魔法に入れると出した時に、運次第ではグチャグチャになるので買って帰る機会はない。
これを食べながらの待ち時間はなかなかに有意義だ、なんて思いながらフォークをケーキに刺した時だった。
「相席、宜しいかしら……ッ」
「どーぞ」
意を決したようにかけられた声に、あっさりと返す。
正面に座ったのは、仕立ての良いドレスを身に付けた少女だった。やや幼さが残りながら、大人になりかけている目を離しがたい魅力を湛えた彼女は、イレヴンと同じくこの店の常連だ。
少女はやや緊張した面持ちでイレヴンの正面へと腰かける。
「その、お話しても?」
そわそわと、指先を絡めて解いてを繰り返しながら、少女が控えめに問いかける。
イレヴンはケーキを頬張り、視線を正面へと向けた。ちらりと視線が合っては焦ったように逸らされる、そんな姿を眺めてにこりと笑ってみせる。
「食い終わるまでだけど」
「え、えぇ! 勿論良いわ!」
頬を染め、緩みそうな口許をきゅっと引き締めた姿は酷く可憐で可愛らしい。
随分と箱入りっぽい、なんて思いながらイレヴンは大量にクリームの載ったコーヒーを口に運んだ。これほど見るからに箱入り少女を見てしまうと、同じく箱入りの筈なのに謎の行動力を持つリゼルへ、何故そうなったという疑問が今更ながらに浮かんで来る。
「あの、私もよくこの店に来るのだけど。最近、あまり見なかったから」
「あー、アスタルニア行ってたから」
「アスタルニア……」
長い睫毛を震わせ、少女が感心したように数度瞬いた。
見知らぬ異国への憧憬か。運ばれてきたケーキに手を付ける事なく、彼女は躊躇うようにやや顎を引いて問いかける。
「それは、冒険者として、かしら」
「ん」
変わらぬペースでケーキを口に運びながらイレヴンが肯定すれば、少女はほんの微かに気落ちしたようだった。
イレヴンは以前、リゼルと共にこの店の依頼を受けている。少女がその場に居たかは覚えていないが、冒険者である事は既に知っている筈だ。
それでも確認をしたのは、出来れば否定が欲しかったからだろう。彼女が望む関係に、冒険者は決して歓迎されない。勝手な事だと思いはするが、当然の反応でもあるので特に気にはしなかった。
「アンタみてぇなのは怖がりそうだけど」
「いえ、そんな、全然……ッ」
パッと顔を上げた少女の瞳を、イレヴンは真正面から見返した。
微かに揺れる汚れなき瞳を視線で絡め取り、瞬きを忘れたかのように見つめること数秒。呼吸を忘れたかのように動かぬ少女に、ゆるりと瞳を弓なりに撓らせて笑う。
「へぇ」
少女は息を呑んだ。
冒険者だから怖いとは彼女は確かに思わない。だが、確かに恐ろしかった。思わず惹かれてしまう程に魅力的な、抗いがたい恐ろしさ。
「それ、食わねぇの?」
「え?」
ふいに、イレヴンがフォークで少女の前に置かれた手付かずのケーキを指した。
「食って良い?」
少女は慌てたように頷き、両手でそっと皿を押し出した。イレヴンが片手を伸ばし、遠慮なく皿を拐って自らの前へと置く。
「あんがと」
「い、いえっ」
遠慮なく盛り付けられたフルーツにフォークを突き立てるイレヴンへと、少女は今自分は一体何を考えていたのだったかと呆けながらパチパチと目を瞬かせた。
「お待たせ致しました」
「お、どう?」
すると店員が、出来ればもう少し少女に時間をやりたいと思いつつも、そろそろ食べ終わりそうなイレヴンにチョコレートを運んでくる。
相変わらずトレーに積まれた大量のチョコレートが机の上に置かれるのを眺めながら、イレヴンは少女の分のケーキを数口で食べ終えた。そして、楽しげに問う。
「出来そう?」
「申し訳御座いませんが、美味しく食べて頂けないものを作るのは遠慮したいと……」
「マジかァ」
要は、碌でもない使い方をされそうだから嫌だ、という事か。正論なのでなにも言えない。
「まァ良いや。ごっそさん」
「有難うございました」
イレヴンは机の上に金貨数枚を残し、席を立った。
すべてのケーキを完食し、立ち去ろうとするイレヴンに少女が慌てたように顔を上げる。引き留めるように手を持ち上げ、しかしキュッと握りしめて膝の上へと押し当てた。
それでも身を乗り出し、何か伝えようと小さな唇を開く少女をイレヴンは見下ろした。目を細め、笑みを浮かべてその身を屈める。
耳元に近付く唇に、少女がギシリと動きを止めた。
「火遊びしてぇなら、いつでもドーゾ」
囁き、そして何事もなかったかのように去っていくイレヴンを少女は呆然と見送る。
火遊び、という言葉に思うところはあるものの、今はそれどころではない。真っ赤になった耳を露に彼女は両手で顔を覆い、そして額を机へと打ち付けた。
「新しいケーキ、お持ちいたしましょうか?」
「…………ホールで下さる?」
唸るように零された言葉へ、店員の女性は“普通は胸がいっぱいになるのでは”と思いながら了承の言葉を返す。
そして周囲の女性客が目を輝かせて甘酸っぱい少女の姿に密かに盛り上がる中、「蛇に捕食されかけている小鳥を見るようだった」と店員の彼女は後に語った。
甘いものを食べたら辛いものが食べたくなってきた。
そんな事を思いながら、イレヴンは特に目的もなく町中をブラついていた。途中見つけた屋台で甘辛く焼かれた肉の塊を購入し、食べ歩きへとシフトする。
唇の端についたソースを二股に割れた舌先で舐めとり、綺麗に残った骨を他の屋台のゴミ箱へと放り投げた。
「あ」
「あ?」
ゴンッと骨がゴミ箱の底を叩く音と同時に、聞き覚えのある声が聞こえて足を止めた。
店を閉め、食材の買い出しにでも出ていたのだろう。珍しくオフな格好のジャッジが、丁度良かったとばかりに歩み寄ってきた。最近は怯える事も少なくなったとはいえ、リゼルが居ない場で話しかけてくるとは珍しい。
「今日、リゼルさんは?」
「知らねえ。出掛けてるっぽい」
「そっか」
更に珍しい事に、ジャッジは安堵したように肩の力を抜いた。
落胆するならともかく、とイレヴンが訝しげに眺める前で、彼が意を決したように頷く。
「今、良い?」
「良いけど」
「ちょっと、聞きたい事があって……」
声を潜め、いかにも内緒話の様相だ。
これだけ人に溢れる場所なら、むしろ世間話のように話した方が周囲に聞かれ辛いだろうに。イレヴンはそんな事を思いながら、自然体のまま聞く体勢をとる。
「裏オークションって、どうやったら出れる?」
「はァ?」
意外過ぎる質問に思わず声を上げたイレヴンへ、ジャッジは慌てたように付け加えた。
「無理なら良いんだけど、でもどうしても欲しいのがあって……!」
「何?」
「か、絵画」
「何の?」
ぐうっとジャッジが言い辛そうに口を噤んだ。
イレヴンも時々顔を出す裏オークションだが、出品されるのはほとんどが曰く付きの代物ばかりだ。盗品、遺品、危険物。時には表より値がつくからと出品されただけの普通の美術品もあるが、大抵が偽物だったり、やらせ入札だったりする。
「本物って確証あんの?」
「実際見た訳じゃないから分からないけど、噂を聞く限り、多分」
「ふうん」
リゼルの信頼する鑑定士だ。ジャッジがそう判断したのなら、そうなのだろう。
危ないものに手を出すようには見えないので、求めているのは裏オークションでは稀な存在である“本物”か。やらせだったら後が面倒だなと思いつつ、イレヴンは面白そうに唇の端を吊り上げた。
「で?」
「う……」
オークションに参加する方法が知りたいなら教えろと、その意図をしっかりとジャッジは受け取った。
「……リゼルさんの、絵画」
思わず無言で凝視すれば、ジャッジはそろそろと顔を逸らした。その顔色は白い。
恥じ入られるよりマシだがと呆れていれば、本人はその視線を何だと思ったのか慌てたように弁解を始める。
「えっ、ほ、欲しくない!?」
「今日にでも宿行けよ。本人見れるから」
「そういうんじゃなくて……ッほら、変な扱いされたら嫌だし……!」
一体どんな扱われ方を想像しているのか。
むしろジャッジはどんな扱い方なら満足するのか。絵画の為に家を一軒建てるべきと言われても驚きではない。いや、流石に無いか。無いと思いたい。
しかし、とイレヴンは弁解を重ね続けるジャッジを見ながら考える。迷宮品のリゼルの絵画、その隣に大抵居ただろう自負はあるが、気になるといえば気になる。
「それ、いつのオークションだって?」
「え? あ、今夜……」
「今夜ァ?」
随分と急な話だ。だが、何とか出来ない訳ではない。
イレヴンは挑発的に笑い、背中で揺れる髪をピッと指先で弾いた。
「ぜってぇ落とせよ」
「教えてくれるの!!?」
「ああいうトコ、一見はまず無理だし。一緒に入ってやるよ」
「あ、有難う……!」
ジャッジ一人で行ったとして、例えオークション会場に入れようと無事に出られる事はまず無いだろう。むしろ、辿り着けるかどうかも難しいレベルだ。
場所が難解というのもあるが、それ以前の問題だった。こんなでかくて気弱そうなのがビクビク歩いていては酷く目立つ。絶好のカモだと集られ、そして有り金全部を取られればマシな方という目に合うに違いない。
「リーダーに怒られんのヤだし」
「リゼルさん?」
「何も」
知っていて一人で行かせれば、流石に怒られるだろう。
これで興味の無い品だったなら教えずに流すが、気になるのだから仕方ない。そして折角見に行くのなら、目の前でリゼルの絵画が見知らぬ他人に落札されるのを見るよりは、ジャッジに花を持たせる事を選ぶ。
「じゃあ」
「夜てめぇの店行くから待ってろよ。そのダッセェ服も何とかしなきゃなんねぇし」
「え!?」
その後、方向が一緒だからと何となく二人が揃って歩いていたら、珍しく素朴で安価な焼き菓子の屋台を覗いているリゼルを見つけた。
「リーダー何買ってんの?」
「子供達に、貰った依頼料でお菓子でもと思いまして」
「あー、そんなんあったッスね」
「二人は何処か行くんですか?」
「あ、リーダー聞いて。こいつさァ」
「うわぁぁーーーー!」
不思議そうな顔はされたが、ジャッジは何とか隠し通す事に成功した。
必要な準備を済ませ、ジャッジとイレヴンは豪奢な洋館の前に居た。
空には月が浮かび、人々も寝静まるだろう時間。路地裏の深部は、しかし今が最も活気付く。
騒がしい訳ではない。だが、不思議な熱気があった。全員が互いを認識していないかのような、しかしその存在感をハッキリと感じるような、別世界のような奇妙な感覚。
自分の知る王都ではないようで、ジャッジは不安そうに目元の仮面へと触れた。
「おら、背筋伸ばせ」
「だって、普通に怖いし……」
「もっと怖い目に遭いてぇなら別に良いけど」
直後、ジャッジはピシッと背筋を伸ばし、歩き出したイレヴンに続いた。
洋館に入っていく人々は、誰も彼もが着飾っている。豪奢なドレスを身に付けた女性、いかにも貴族らしい服を身に付けた男性、薄手のドレスで肌を惜し気もなく晒す女性や、そんな彼女がしなだれかかるように腕を組む男性。
皆一様に、その顔を隠していた。
「顔、出してる人いないね」
「身バレ防止」
「あ、そっか……」
小声で話しながら、ジャッジはこれだけ着飾ったのも納得だと頷いた。
髪型も服装も、いつもと全く違う。イレヴンにより連れられた裏商店の一つ、そこで手に入れ着替えも済ませ、髪などの身支度もすべて整えられ、仮面まで用意された。
相応の値段だったが、イレヴンは今日が済んだら捨てろと言う。勿体ない。が、色々と怖いので従う。
「招待状を拝見致します」
「ん」
洋館の扉の前、厳めしい顔をした男にイレヴンが黒い封筒を差し出した。
ジャッジが着せ替え人形になっている間に、いつの間にか手に入れていたものだ。ジャッジは少しばかりイレヴンの影に隠れながら、不安そうにそのやり取りを眺める。
「ようこそいらっしゃいました。どうぞ、お入り下さい」
「おら、行くぞ」
「う、うん」
「お楽しみを」
酷く落ち着いた低い声に見送られ、二人は洋館へと足を踏み入れた。
ジャッジがふと後ろを振り返れば、男達はこちらへと腰を折って頭を下げている。その姿勢が元に戻される前に、慌てて前を向いた。
「目当てのモン以外はいらねぇの」
「どうだろ……競り合ってまで欲しいとかは無いかな」
「ふぅん」
玄関ホールを抜け、様々な絵画、壺、その他の装飾品が並ぶ廊下をメイドに先導されながら歩く。時折、「あ、偽物」と小さく囁くジャッジがイレヴンには地味に面白かった。
そして然程歩かない内に、一つの豪奢な扉へと案内された。中に入れば、大広間と言えば良いか。想像よりは狭い、というのがジャッジの感想だった。
「お飲み物をお伺い致します」
「ワイン」
「え、あ、同じものを」
二つ並んだ椅子へ、二人は通された。
両側にはサイドテーブルがあり、それぞれに番号の書かれたプレートと、フルーツの盛られた皿が置かれている。瑞々しいそれをジャッジは眺め、しかし口を付ける勇気は無かった。
メイドがワイングラスを二つ、そしてトーションを添えたワインボトルを一つ運んでくる。両者に注がれたそれは、薔薇のように赤かった。
「それは飲んで良い」
「え、飲んじゃ駄目なやつがあるの……?」
「まぁ、今日は大丈夫だろ。ほぼ飛び入りだし」
ジャッジはサァッと顔を青くしながら、引き寄せかけたグラスを恐る恐る机へと戻した。
二人が席について、およそ十分程たった頃だろうか。席はほとんどが埋まり、そしてオークションが開始された。
肘をついて退屈そうにそれを眺めるイレヴンの横で、ジャッジは姿勢良く、むしろ若干固まりながら進行を見守る。口にされる金額は表のオークションの比ではなく、出品される品も世間に流して良いのかと危惧されるものばかりだ。
特にジャッジは、余計にそわそわとつり上がる値段を気にしてしまう。
「あれは?」
「に、偽物」
ニヤニヤと笑いながら問いかけるイレヴンに、ジャッジは言い辛そうに小さく囁いた。
今まさに金貨二百枚で競り落とされた品に、競り落とした張本人である身なりと恰幅の良い男が酷く満足そうにしている。良いのだろうかと思うが、まさか教える訳にもいくまい。
「あー、たっのし」
「ああいうの、出品する側、知ってるのかな」
「さぁー」
趣味の悪い楽しみ方をしているイレヴンに、ジャッジがへにゃりと眉を下げる。その時だった。
「続きましては、王都で最も有名である冒険者。その絵画の迷宮品で御座います」
お、とイレヴンが身を乗り出し、ジャッジがぴんっと背筋を伸ばす。
白い布を被せられ、台車によって運ばれてきたのはギリギリ一人で運べるだろう大きさの絵画だった。ざわめく人々の声は、女性がやや目立つか。
「どうか、覚めない眠りに心を囚われぬよう……さぁ、御覧ください」
そして、布が取り払われた。
「おい、予算は」
「上限無し」
「ぜってぇ落とせよ」
「任せて」
まるで王城のような広い空間。ポツリと存在する白い王座に座り、微睡む姿があった。
王にしては穏やかに。目元は甘く緩み、薄っすらと開かれた唇は微笑みを湛える。差し出された手は柔らかく、誰もが無意識の内に応えてしまいそうなもので。
「これ、迷宮なんだよね……?」
「つうか罠。道ねぇし、いかにも仕掛けっぽいしで試しに座ってみたリーダーが即効寝た」
そうしたら何故か次々と魔物が湧き、ジルとイレヴンは急いで起こした。
ただ、百パーセント罠だという事もなく、寝ている一瞬で見た夢に進み方のヒントがあったかもしれないとリゼルは言う。よって彼はもう一度座り直し、もう一度寝て、ジル達が現れる魔物を黙々と斬っている間に見事ヒントを持ち帰ってきた。
その時の絵画だ。差し出された両手は、一瞬で熟睡させられた弊害で眠気が全く引かず、起こしてくれと言っている。
「え、じゃあ、あれって」
「ただの寝ぼけてるリーダー」
台無しだ。
だが貴重なシーンには違いがなく、そして他の席で囁かれる内容を思えば譲れる筈もない。
見栄の為に知人だと嘯かれる材料にされるのは不愉快で、ただの値打ち物としか見ていない節穴には役不足であり、欲を孕んだ愛を以て愛でられるなど以ての外だ。
「札は俺が上げる」
「え? う、うん」
「金はてめぇが決めろ」
ぱちりと目を瞬いたジャッジだが、直ぐにキッと眉を吊り上げた。
他に譲る気がないのはイレヴンも同じである事に間違いはなく、ならば信じるのみだ。
「さぁ、微睡む貴人を思うままに愛でる、唯一の権利は貴方のものです。金貨百枚から参りましょう」
進行役の男が笑い、そして札を握りしめた者たちがそれを上げようとした時だ。
今まで傍観を決め込んでいた赤髪の獣人が、隣から寄越された囁きに酷く好戦的に笑った。
「五百」
場を静寂が包む。
札を上げかけた誰もが動きを止め、艶やかな赤へと視線を向けた。まるで促すように掲げた札をゆらゆらと揺らす余裕の姿は、限界まで手札を切った人間の余裕ではない。
華やかなドレスを身に着けた一人の女性が、悔しげに奥歯を噛み締める。
「五百、他に御座いませんか?」
勝敗は一瞬で、そして静かに決した。
視線を集めながら悠然と札を下げるイレヴンの隣で、ジャッジが安堵の息を吐く。予想したより安く済んだ。イレヴンからの“初っ端からかませ”のアドバイスのお陰だろう。
「有難う、イレヴン」
「まぁーだ油断は出来ねえけど」
にやにやと笑いながら、イレヴンが目を細める。
その視線の先に存在するのは、忌々しげに顔を歪めたドレス姿の女性。何故それ程に欲していたのかは知らないが良い趣味をしている、とワインを呷る。
不思議そうな顔をしているジャッジは気付いていないのだろう。リゼルならば、知らなくて良いとその眼を覆うだろうが。
「イレヴン?」
「帰りの夜道は気を付けろよ」
「え!?」
この程度の警告ぐらいは良いだろうと、顔色を悪くしているジャッジへとケラケラ笑った。
「お気を付けて」
「あ、有難うございます」
手渡された絵画を、ジャッジは丁寧に受け取って空間魔法へとしまった。
そして安堵したように息を吐く。無事、目的は達成出来た。途中で退場した為に人気の無い洋館の通路を歩き、二人は扉を開けて待つ男達に見送られて会場を出る。
「てめぇが居なけりゃ、偽モン買ってったヤツ煽って帰んだけど」
「ご、ごめん……?」
何やら物騒な事を言っているイレヴンに首を傾げつつ、ジャッジは大切そうに空間魔法が施されているトランクを抱えた。
「それどうすんの?」
「どうしよう……飾るのは恥ずかしいし、良い人がいれば売っても良いかなぁ」
まだ仮面を外さないまま、ジャッジが怖いもの見たさで後ろを振り返る。
扉の前、一人のメイドが美しい姿勢のまま頭を下げ続けていた。オークション中は終ぞ彼女以外の顔を見なかったので、二人付きのメイドだったのだろう。
見えていないだろうに慌ててぺこりと頭を下げ、その間に数歩先行してしまったイレヴンへと早足で駆け寄る。
「まず間違いなく最ッ高の扱いしてくれる奴いるけど。しかも確実に倍でも出す」
「えっ、だ、誰?」
「明るい美中年」
「……ん?」
「リーダーの知り合いのお貴族サマ」
ジャッジは思い当たる存在があった。
リゼルが何度か、迷宮品をプレゼントするのだと言っていた相手だろう。恐らく建国祭で顔を合わせたのがそうだ。遠い目をしつつ、成程と頷く。
リゼルの価値を確かに認めていた彼ならば、任せる事が出来るかもしれない。
「うーん……もう少し、考えてみる」
「ま、残しといても良いんじゃねぇの。あの顔が見れなくなった時の為に」
「えっ、また遠出するって言ってた?」
問えば、イレヴンは仮面をとりながらも何も言わず、目を細めて笑っていた。
不思議に思い更に言葉を重ねようとしたが、ちょうど衣装一式を揃えた店へと到着する。仮面は中に入るまで外すな、というイレヴンの言葉を守り、こちらは仮面を付けたままのジャッジは促されるままに扉を潜った。
「回収するって言われてもぜってぇ渡すなよ。自分で燃やせ」
「う、うん」
詳しい事を聞くと怖い気がする、とジャッジは素直に頷いた。
そして近寄ってきた異形のマスクを被った店長が、元の服の入った銀のトランクを差し出してくる。本人の魔力を流し込まねば開かない仕組みのトランクで、しかも出掛けにイレヴンに言われてそれなりの金貨を渡しておいたので、恐らく問題なく返却されている筈だ。
トランクを開け、中身を確認し、そして重厚なカーテンで区切られた狭いフィッティングスペースに入ろうとした時だ。
「……あれ」
振り返ると、イレヴンが居ない。
着替えないのだろうかと疑問を抱いていれば、ふと近くに立っていた店員の異形のマスクから掠れた笑い声が溢された。静かで、しかし少し不気味な声は性別の判別が出来ない。
「ゴ心配ハ、イラナイカト」
「えっ……と」
「スグ、戻ラレマスヨ」
促され、ビロードのカーテンを潜る。
姿見とランプが一つずつあるだけの小さなスペースで、ジャッジは不安そうに眉を下げながらもモソモソと着替え始めた。イレヴンが居ない理由に、心当たりが無い訳ではない。
しかし今の自分に出来る事など、邪魔をしないように大人しく着替えて待っている事だけだ。肩を落とし、ならばさっさと済ませてしまおうと襟へと手をかけた時だった。
「俺の服は?」
「コチラニ」
「え!?」
「何だよ」
「え、な、何でも……えっ!?」
「だから何だっつうの」
本当にすぐに戻ってきた。
何やら酷く恥ずかしい思い違いをしていたのかも、と盛大な羞恥に襲われながら、何とかジャッジは着替えを再開させる。
その隣のスペースへ、袖についた血に嫌そうに顔を顰めたイレヴンがカーテンを潜って入って行った。
異形の店主がいる服飾店の裏から出て、路地裏を抜けた至って普通の王都の大通りでイレヴンはジャッジを見送った。気配を消した盗賊の精鋭が一人、それを追ったのを意識の隅で確認する。
欠伸を溢し、そして誰へともなく口を開いた。
「で?」
「まぁ、甘やかされた何処ぞのご令嬢ですね。貴族さんとの面識はありません」
いつの間にか後ろに立っていた、長い前髪で目元を覆った男が告げた。
「欲しいものを取られた腹いせかと」
「欲しがった理由は?」
「さぁ」
肩を竦めた精鋭に、イレヴンは眉を寄せて再び路地裏へと踵を返す。
一瞥すらなく擦れ違ったイレヴンに、精鋭は構わず後に続いた。月も雲に隠れた闇の中、艶のある赤が蛇のようにしなる。
「恋でもしたんなら健全なんでしょうけど」
「うっぜ」
「ただ、八つ当たりを差し向ける割には結果に興味が無いそうで。取り敢えず放置してます」
「刺客っぽいのは」
「そっちも」
つまり、イレヴンが返り討ちにした何人かは普通に捨て置いていると。
途端、ザワリと路地裏の闇が震えた。
「そ、その女の部屋の外とか、か、壁とかに、は、はり、磔にした方が」
「笑顔に刻んでベッドの上に吊るしておくとかァー! すっげぇー良い目覚めぇ!」
「刻んで女の飯に混ぜとくぐらいが平和的じゃねぇスかね」
「ほっとけ」
執拗にジャッジが追われる事もなければ、絵画が狙われる事もない。ならば、わざわざ構ってやる必要も無いだろうとイレヴンは呆れきって返す。
これでジャッジが関わっていなければ好きにさせるし、何なら令嬢を煽って目を付けられようと遊んでもやるが、今回だけは駄目だ。リゼルにバレたら注意される。
「刺客っぽいの、何人か生きてんだろ」
「ああ、もう直ぐ死にますけど」
「女の情報、引き出すだけ引き出して処分しとけ」
それだけなら好きにして良い、という事だ。
まだ生きてんのかな、と溢しながら姿を消した精鋭達を気にすることなく、イレヴンは慣れたように歩を進めていく。随分とお行儀良くしていたからか、酷く肩が凝った気がした。
自分も随分とぬるくなったものだと一人笑い、そして彼は路地裏の奥へと消えて行った。
「あ、リーダー聞いて。こいつリーダーの絵画買ってんスよ」
「何で言うの……!?」
後日、即行バラした。
床に崩れ落ちたジャッジにとっては、見せろと言われなかった事だけが救いだったのだろう。何だか恥ずかしい、と恥ずかしげもなく可笑しそうに笑うリゼルに、イレヴンもケラケラ笑うのだった。