軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

147:気遣い一位は決定

普段はマイペースなリゼル達だが、時には互いに気を遣うこともある。

ボコリ、ボコリと重く泡が弾ける音がする。ゆっくりと流動する灼熱はまるで地が蠢いているようだ。

赤く、黒く。近付けば触れずとも肌を焼くだろうマグマは力強く美しく、大地の生命力をそのままに見下ろした先にあった。

「前も思いましたけど、落ちたら終わりですよね」

立ち上る熱気に顔を晒しながら、リゼルとイレヴンは眼下のマグマを見下ろしていた。

この迷宮に来るのは二回目だ。一度目は、まだリゼルとジルが二人だった頃に訪れている。

「や、意外とそうでもねぇんスよ」

イレヴンが足元にある石を蹴り落とせば、マグマの所々に存在する飛び岩に当たりカツリと音を立てる。次いでポチャン、と石は赤に呑み込まれた。

落ちそうになった絶体絶命の冒険者は、根性で飛び石へと飛び移って難を逃れる。

「滅茶苦茶あっついし、ひっどい火傷するけど死にはしねぇって」

「そうなんですか?」

落ちた事ないけど、と付け加えるイレヴンも他の冒険者から聞いたのだろう。

物凄く熱いならやはり落ちたくないなとリゼルは頷き、もう一度マグマを見下ろした。石はジュッといくのに何故なのかと思いつつ、イレヴンの真似をして靴先で小さな石を手繰り寄せてみる。

「おい」

「あ、すみません」

慣れないながら何とか石をつま先に置いたが、それを蹴る前にガラの悪い声がかかった。

見下ろしていた顔を上げ、数歩先に進んだ先に立つジルを見る。ガラの悪さが二割増しだ。

「早く抜けましょうか」

「あぁ」

リゼルが微笑めば、常より心なしか低い返答があった。

「(うーん)」

「(機嫌わりぃ~……)」

リゼルとイレヴンは内心呟き、片や仕方なさそうに笑い、片や引き攣った苦笑いを零す。

リゼルが先を歩くジルに続けば、イレヴンもさり気なく隣に並んだ。トン、と触れた肩にどうしたのかと視線だけを向ける。

何とかして、と目で訴えられた。それに苦笑を返し、黒い背に向かって声をかける。

「ジル」

ジルの歩調が緩み、顔だけで浅く振り返った。

「あっちから行きましょうか」

「あ?」

リゼルが隣に並び、前方に見える分かれ道の左を指さした。

その際、ひゅうとジルを風が包むように撫でる。周囲の熱に負けながらも微かに冷気を孕むそれに、ジルは眉間の皺を若干緩めて指がさされた前方を見た。

そして再び、眉間の皺が深まる。

「右だろ」

「いえ、左からでも行けるんです」

前方ななめ左右に伸びた道は、左が上りで右が下りだ。一度ここを攻略しているジルは、基本的には下っていくのが正解だと知っている。

だからこそ若干渋ったのだろう。早く通り抜けたいと思っているからだ。

「(リーダーの決定に文句言う時点でアレだよなァ)」

とは、流石のイレヴンも口に出さない。機嫌が悪いジルはリゼルに任せておくに限る。

「……」

「ね?」

「……分かった」

ゆるりと微笑むリゼルにジルは視線を微かに流し、舌打ち交じりにそう返した。

リゼルに対してではなく、自身が平静でいられていない自覚があるからだ。流石、とそれを眺めるイレヴンが音もなく拍手している。

「こういう時、良い魔道具があれば良いんですけど」

「迷宮仕様はねぇな」

そんな取り留めのない話をしながらリゼル達は左の道を進んでいく。

緩やかな上り坂を、魔道具を開発すればだの専門職の現場には似たようなものがあるだの話しながら歩いていた時だ。ふいにイレヴンが後ろを振り返った。

「なんか来るかも」

「何か分かりますか?」

「んー」

三人は脚を止めた。

後ろを振り返ろうとイレヴンの言う影はない。しかし気のせいだったと彼が歩みを再開させないのなら、確かに何かがいるのだろう。

ボコ、ボコ、と内包する力を散らすようにマグマが煮立つ音がする。

「お」

「ん?」

そこに、バチャリと小さな水音が混じった。

水音は徐々に増え、そしてリゼル達を囲む。向こうが既に此方を捕捉しているのなら、逃げ切るのは不可能だ。

直後、マグマの海から灼熱を撒き散らしながら無数の何かが飛び出した。

「ボーンフィッシュですね。群れは中規模」

「戦るぞ」

「はいはーい」

ガシャンッと骨を鳴らして魔物たちは次々に地面に落ちる。

骨ならば水中だろうと地上だろうと呼吸など関係がないのだろう。無数の骨を鳴らしながら体をくねらせ、猛然とリゼル達へと襲い掛かる。

イレヴンは双剣を抜き、リゼルも銃を発現させた。一瞬視線を交わし、そして迎え撃つ。

狙うのは、バラついた位置にいるもの。あるいはジルの側面、背後に居るもの。前者はイレヴンが向かい、後者はリゼルの魔銃が射抜く。

「(動くのはだるいけど、ストレスは溜まっている筈だから)」

そして残る魔物の群れがジルへと迫った。

襲い掛かろうと跳ね上がり、鋭い牙をむき出しに襲い掛かる。その瞬間、ジルの剣が一閃した。

パァンッ

斬撃にしてはあり得ない音をたて、ボーンフィッシュ達は原型を留めずはじけ飛んだ。霧散したと言っても良い。ジルへと向かった魔物全てが、一瞬にしてその姿を消した。

リゼルが感心したようにそれを眺め、イレヴンの口元が引き攣る。ジルはヒュッと一度だけ剣を振るい、そして鞘へと戻した。

そしてパラパラと自らへ振り落ちる骨片を払い、歩みを再開させる。

「(あ、ちょっとスッキリしてる)」

ドン引きしたイレヴンがさり気なく傍に寄って来るのに苦笑しながら、リゼルはその後ろに続いた。多少はストレス発散になったようで何よりだ。

そして暫く歩いた三人は、熱の籠った溶岩道から一転。薄暗い洞窟へと到着した。

まるで何かの鉱石のように艶やかな壁面は、何層にも重なり不思議な文様を描いている。見上げれば意外なほどに天井は高く、時折欠け落ちたように開いた穴からは光が差し込んでいた。

「あー、ちょい楽」

何より火口に比べれば格段に涼しい。

暑いのは苦手なイレヴンは、流石にマグマの熱を平気とは言えないのだろう。より涼めるよう上を一枚脱ぎ、空間魔法に突っ込んでいる。

「多少距離は伸びるけど、次の階層近くまで続いていた筈です」

リゼルがジルの隣に並び、そして揶揄うように口を開いた。

「こっちに来て良かったでしょう?」

「……そうだな」

深く長く息をつき、ジルは襟元を緩めながら一つ頷いた。

迷宮の予習など趣味ではないにも拘らず、リゼルがこの迷宮に関して調べておいた事は想像に難くない。それが誰の為かなど聞くまでもないだろう。

難色を示したジルに対し、ここが良いと押し通したのもリゼルなのだが。そこはリーダーの決定なのだから文句は無い。

「リーダーって涼しそうな顔してっけど暑くねぇの?」

「暑いですよ」

「見えねぇよ」

どこかピリついた空気はすっかりと鳴りを潜め、三人はマイペースに話しながら幻想的な洞窟を進んでいった。

火口の風景とは打って変わり、肌寒さすら感じる空気の中をリゼル達は歩く。

剥き出しの岩肌がまるで地下洞窟のような、広い空間だった。何処からか滲み出る地下水が壁を伝い、靴底を濡らす。

氷柱のように天井から伸びる石柱から、時折水滴が落ちる音が何処からか聞こえた。石柱は地から天へと伸びるものもあり、巨大なものは天井のものと繋がって荘厳な光景を作り上げている。

「滑りそうですね」

「またびっみょーに苔生えてんのがね」

イレヴンが靴を地面へ擦り付ければ、ぬるついた感覚があった。

薄っすらと苔むした岩が、濡れた所為で滑りやすくなっているのだ。靴まで最上級装備なリゼル達はマシだが、無ければ相応の準備が求められるだろう。

「この苔も、“緑の石”の影響なんでしょうか」

「つっても魔物じゃん?」

「石自体は魔物じゃねぇよ」

リゼル達のお目当ては、この階層で手に入る 緑の石(リーフストーン) という鉱石だ。この石の上に植物の種を置いておくと、不思議な事に石に根を張り開花するという。

この階層では、その石を軸に成長した植物系の魔物が出る。倒して引っぺがさなければならない。

「何でそんな欲しいんだよ」

「ん?」

緑の石がこの迷宮で採れると知ったリゼルにより、火山行きを強行されたジルが若干恨めし気にリゼルを見下ろした。リーダーの決定に文句は無いが、思う所が全くないでもない。

すべすべとした石柱に触れていたリゼルが振り返り、笑う。そして進み始めた。

「見てみたかったので」

「だろうな」

「リーダーも譲らねぇよなァ」

「ずっと気になってたんです」

リゼルの緑の石に関する知識は本が由来だ。

植物関係の研究書では必ず出て来るといっても過言ではない。植物の成長が土の質に左右されないからと、研究者の間で重宝されている。

そして何より、元の世界では一度も見た事が無かった。まだ発見されていないだけか、それとも存在しないのかは分からないが。

「何個いるんだっけ」

「三十」

「げ」

「こういうのは幾つあっても足りませんからね」

依頼人の欄に記載されていた“植物学者”の文字を思えば納得だ。三十個を超えた分には追加報酬が出ると追記されていたのだから、最低で三十個、の認識で間違いないだろう。

依頼人の希望を汲むのなら、余分に持って帰るのが正解か。

「(でもイレヴンが面倒そうだしなぁ)」

リゼルがイレヴンを窺えば、気付いてにこりと笑われた。

実際はそれ程面倒でもないだろうが、わざわざ魔物を探してまで余分に石を手に入れるのは乗り気でなさそうだ。階層を抜けるまでに多めに手に入れば、程度に留めておいた方が良いだろう。

「植物系の魔物素材なんですよね」

「そ。リーダーこの階は初?」

「初です」

「前は飛ばしたからな」

何処からかぼんやりと照らされたような空間は、その薄暗さと歪な石柱によって先が見通せない。ゴツゴツとした足場の悪い道なき道を、リゼル達は適当に進んでいく。

ピチョン、とまた水滴の落ちる音がした。靴音も水を弾く音が交じり、静寂の空間に反響する。

「植物系ならランダム」

「ちっせぇのが多い」

「あと動く系」

「個体差でけぇ」

ぽんぽんと寄越される情報に耳を傾けながら、リゼルは分かれ道で足を止めた。

片方は細い洞窟、片方は今の延長。狙うのは植物系だから、と洞窟を避けて広い道を選ぶ。細い洞窟にはコウモリ型の魔物が多く、戦闘を避け辛い。

「植物系は本当に特色がありますよね」

「変な毒持ってる奴とか多いッスね」

「てめぇ効くのか」

「それニィサンに聞きてぇんだけど」

効く。効かない。そんな事を言い合っていた時だった。

「あ」

ふいに視界の端に動くものを捉えたリゼルが、近くの石柱へと隠れる。

ジル達も口を閉じてそれに続き、三人で石柱から顔を覗かせた。やや離れた、開けた場所。そこに地面の上をふわふわと漂う球根のような魔物が三匹、輪になって不思議な踊りをしていた。 妖花(アリアドネ) の幼生だ。

「あれ、何してるんですか?」

「知らねぇ」

「や、もう見たまんま踊ってんじゃねぇの?」

伸びた葉を腕のように動かし、くるくる、ひょこひょこと三匹は円を描くように踊っている。時々スライムも似たような事をしているが、魔物なりに何かを表現しているのだろうか。

その辺りは魔物学者の頑張りに期待、と内心で呟いてリゼルは銃を発現させた。

「取り敢えず先手を」

「あ」

「え?」

思わず零した、と言うようなイレヴンの声と共に魔銃の操作を見失う。

振り返れば、どこにも銃が見えない。ジル達を見れば二人とも上を見上げていて、リゼルもそれに倣って天井を見上げた。

「あ」

「すっげぇ自然にスッて上ってったけど」

「何だあれ」

高い天井に、何かに吊られているようにぶら下がる銃が見えた。

ゆっくりと回っているそれを良く見れば、キラリと光を反射するものがある。細く、幾筋も見えるそれを三人は首の角度を変えながら確認していた。

細いそれの表面を、粘液のようなものが水滴となって伝っているのが分かる。

「糸っぽい?」

「菌糸でしょうか」

「そういやさっきからちょいちょい見るな」

「何だか久々に罠に嵌った気がします」

「そうでもねぇだろ」

その時、ギチギチと足元で不快な音がした。

リゼルが新たな銃を発現させると同時に、風を切る音が二つ。振るわれた大剣と双剣がいつの間にか近付いて来ていた球根の魔物を両断する。

一方で、リゼルの視線も銃口も下を向きはしない。一切揺らがぬまま、絡めとられた銃を狙う。そして数度の発砲。

「下手くそ」

「そうは言っても、糸自体あまり見えませんし」

「あー、もうちょい上。もうちょい、あ、行った」

プツリと支えを失ったように落ちて来る銃を、ジルが受け止めた。

差し出されたそれに礼を告げ、リゼルが銃を宙へと浮かばせる。やはりしっくり来るなと一つ頷き、そして足元を見下ろした。

「真っ二つですけど」

「や、だって何処に石あんのか分かんねぇじゃねッスか」

「運が良けりゃ無事だろ」

三人はしゃがみ、もぞもぞと球根をこねくり回す。

葉は肉厚で、断面からは粘度の高い液体が漏れていた。その根元にある球根は人の頭程の大きさをしており、目と口を形作るように切り抜かれている。

そして底にあたる部分からワサリと伸びた根。うぞうぞと動いていたそれが、今や完全に萎びていた。

「うわ、なんかニチャッてした……」

「毒だったりします?」

「するかも」

「素手で触んなよ」

イレヴンが球根の中へ手を突っ込み、外殻に比べて柔らかい内部を掻き混ぜるように探す。ジルもナイフを突っ込み、そしてリゼルが「石なら燃え残るだろう」と燃やした球根をしゃがんでのんびりと眺めること数分。

「無ぇのかよ!」

「無いですね」

「お前燃やし切ってねぇだろうな」

三体の魔物からは一個も出なかった。ランダムとは知っていても辛いものがある。

リゼル達は植物系の魔物を見つける度に倒していった。倒す度に小さな緑の石を探すが、たまたま最初だけ運が悪かったのだろう。順調に集まっていく。

時に球根を剥き、時に花弁を割り開き、そして目的の三十個が集まって今は階層を抜ける為に進んでいた。

「追加報酬って上限あんスかね」

「そりゃあんだろ」

道すがら出会った魔物をわざわざ避ける理由もない。当初の予定通り、追加報酬も出るのだからと目についた魔物を倒しながら進んでいる。

今も最初に出会った球根が育ったかのような、大きな蕾を携えている魔物と戦っている最中だ。これも妖花の幼生で、ジル達曰くこれが完全に育ち切ったものが何処かの迷宮のボスで居るらしい。

「研究職なんざ儲かるイメージねぇけど」

襲い掛かる根をジルの一閃が断ち切った。斬られて落ちた根が暫くビチビチと暴れていたが、すぐに沈黙する。

「でも、植物研究は援助しやすいですよ」

「あ?」

「毒でも薬でも、モノになるなら利益を生むでしょう?」

「貴族怖ぇー」

微笑み、堂々とパトロン側の意見を述べるリゼルにイレヴンがケラケラと笑う。浮かぶ魔銃から放たれた魔力が、バランスを崩した球根に追い打ちをかけた。

「それを独占できるのが理想ですね」

「金の卵って?」

「その通り」

可笑しそうに笑うリゼルの目の前で、イレヴンが魔物を斬り捨てる。

それが最後の一匹だ。三人は武器を下ろし、さて緑の石を探すかと魔物の死骸へと向かう。

「薬っつうのは分かるけどさァ。毒なんて使うんスか」

「人を害す目的で使った事はないです」

そして、今の所使う予定もない。リゼルも他者の手に渡る事を危惧しているだけで、欲しがっている訳ではなかった。

ジルとイレヴンがしゃがみ、球根の上で膨らんでいる蕾へと手をかける。今まで倒した中でも、大抵はその中に緑の石があった。

「まぁ未知の毒つうのは切り札になるよなァ。解毒剤付きなら余計に」

「てめぇもタチ悪ィ手使うな」

「濡れ衣ー」

「あれ、使わないんですか?」

「弱ぇんスよね、大抵の解毒剤効くし」

効力そのものが弱いという訳ではなく、取引材料にするにはインパクトに欠けるという事だろう。その効力を身を以って知っているリゼルは内心で納得しつつ、残る球根へと近付いた。

「万能の解毒剤とか、いつか出来るんでしょうか」

「すげぇ高そう」

そしてリゼルが球根へと触れた、その瞬間だった。ジルとイレヴンが剥く蕾の隙間から、バフッと何かが噴き出る。

ジルにより腕が掴まれ、勢いよく引かれた。たたらを踏みながら後ろへと下がり、何とか転ばずに済んだリゼルの視界に煙に巻かれた二人が映る。

「大丈夫ですか?」

咄嗟に魔物は投げ捨てたようだが、その煙は二人を取り巻くように残っていた。それを鬱陶しそうに手で払っている二人に、無事なようだと確認の声をかける。

ただ、リゼルはあまり心配していない。ジルとイレヴンならば煙を吸う前に余裕をもって息を止められるからだ。

「何の煙だったんでしょうね」

遠くに放られた魔物の蕾から、煙の余韻がふんわりと上っているのを見ながらリゼルは二人に近付いた。そして返答がない事を不思議に思い、覗き込むようにジルを見る。

「……」

温度のない瞳が向けられ、そして逸らされた。そのまま一人で進み始めてしまう姿を、リゼルは一度だけ目を瞬かせて眺める。

そのまま数秒、もう一つの足音が別の方向へと去ろうとするのに気付き、そちらを向いた。

「イレヴン」

呼びかけるも、イレヴンは振り返らない。

リゼルは追いかけた。何故自分が無視されているのかは置いておいたとして、ジルとイレヴンが別行動をとるのは避けた方が良いだろう。

実力は全く心配していないが、煙の影響が薄れた時に二人で現状把握できた方が良い。

「イレヴン、ジルと」

「うっぜぇなァ……」

零されたのは舌打ちだった。

「足手纏いがたかってんじゃねぇよ、雑ァ魚」

視線すら向けないまま零された声に、足を止める。

歩き去って行く赤色を眺め、少しだけ視線を落とした。そして無言でポーチを漁り、ズルリと一枚の大きな羊皮紙を取り出す。

巻かれているそれを広げ、そして地面へと敷いた。羊皮紙には大きな魔法陣が描かれ、床に広げた途端にぼんやりと光る。以前ジルが宝箱から出し、持っていろと渡された“簡易迷宮式魔法陣”だ。

迷宮の最初にある魔法陣へ、一方通行かつ一回だけ戻る事が出来る。深層から出ただけあって、かなりの貴重品だ。

「…………」

恐らく迷宮から出るだけならば、簡易魔法陣に頼らずともリゼルは出られる。

しかしリゼルは少しだけ何かを考え、そして魔法陣の上へと立った。そして瞬きを一つ。後に残ったのは、幾つかの燃え残った紙片のみだった。

馬車の中で、冒険者達は何とも言えない顔を突き合わせていた。

「なんで貴族さん一人で居んの?」

「知らねぇよ、朝見てねぇし」

「あの人、一人で迷宮潜ったことなくねぇ?」

小声で囁き合っているのは四人組のパーティだ。

迷宮帰りにしては早い時間帯で、馬車の中には彼らとその視線の先にいるリゼルしか居ない。彼らも運悪く迷宮で一夜を明かした帰りだった。

「なんかボーッとしとる?」

「いつも通りのんびりしてるだけじゃねぇの?」

一人ちょこんと椅子に腰かけ、何かを考えているようにボーッとしている姿に冒険者達は何故だか落ち着かない心地でいた。何か声をかけた方が良いかどうかと、押し付け合っている。

その時だった。次の迷宮に到着したのだろう。これで迷宮の扉の前に誰もいなければ素通りするので、予想通り馬車の扉を開けて入って来る者が居た。

「あー……ったく、天井高くなって欲しいよなぁ」

「文句言ってないで入んな」

槍の穂先を扉の上部に掠め、一番に馬車へ足を踏み入れた男は「よう」と四人パーティへと片手を挙げた。彼らはそれに適当に挨拶を返し、天の助けだと言わんばかりに身振り手振りで馬車の後部を指し示す。

何してんだと笑いを零した男が示されるままにそちらを向き、そして一瞬止まった。笑い、馬車のステップへと二度三度靴をノックさせて泥を落とし、乗り込む。

「おーい、どうした貴族さん。何かあったか?」

目の前へ近付き、槍を肩にかけるようにしゃがめば今気が付いたとばかりにパチリと目を瞬かせた姿に、これはまた珍しい事だと男は笑みを深めた。

「憂い気な顔も様になるたぁ、羨ましいね。どうだ、おいちゃんに話してみるか」

ただボーッとしてたんじゃないのかと眺める四人パーティと、更に後から乗り込んだ冒険者達の視線を受けながらリゼルは困ったように微笑んだ。

そして馬車は一度だけ大きく揺れ、再び出発する。

リゼルとて、煙の所為だというのは分かっている。興味がないと告げるような視線も、向けられた嘲りの言葉も、全て。

しかし分かっていようと、何も思わない訳ではないのだ。簡単に言えば凄くショックだった。

「あー、あそこな」

ベテラン冒険者らしく、例の迷宮にも階層にも訪れたことがあるのだろう。

今は隣に座り、納得したように頷いている男をリゼルは見た。出来ればいつ頃元に戻るのかも知りたい。

「心当たりが?」

「おう、俺も食らった事あるしな」

カラカラと笑った男は、同意を求めるように自らの仲間達を見た。

程近い場所に立っている面々が、雑談しながらも肩を竦めたり、その人物を揶揄ったりしている。その中の一人、珍しい女冒険者がニヒルに笑いながらリゼルの隣に座る男を指した。

「そいつもだけど、食らった奴らはとにかく態度が悪くなってね。階層を抜けるまではパーティの空気が悪くて仕方なかったよ」

「階層を抜ければ治るんですか?」

「私達ん時は治ったよ」

礼を告げれば、ひらりと細い指先が振られた。

そしてリゼルは納得したように内心で頷く。本来はギスギスしながら攻略する事になるのだろう。だがジルやイレヴンは一人だろうと進めてしまう、だから同行者を拒むのだ。

「貴族さんは気にすんな。どうしても仲間相手に思っちまうんだよ、嫌いで仕方ないってな」

「嫌い……」

マイナス感情を抱かれたのだろうという予想は付いていた。

流石に同士討ちにはならないような迷宮仕様があったのかもしれないが、良く斬られなかったものだと思ってしまう。嫌悪するより無関心になる二人だからか。

「なら、本音ではあるのかな」

足手纏い、と言われた。

つまり、もしジルやイレヴンにとってリゼルが嫌悪の対象だとしたら、そういう評価を下すという事だ。二人の実力を考えれば納得せざるを得ないし、普段の二人が“居ないより居た方が楽”だと思ってくれているのも知っているが。

「うん、どうした?」

「得物がいきなり真上に飛んでいく仲間ってどう思いますか?」

「んん?!」

真剣な目で問いかけるリゼルに、男のみならず馬車内全ての視線がリゼルを向いた。

「どうせ避けるからって時々ジル達ごと撃つんですけど嫌でしょうか」

「待て待て」

「迷路で迷わないって情緒に欠けたり」

「待て待て待て」

色々と信じられない言葉が次々と飛び出す中、男は片手を挙げて何とかリゼルを制する。

まず最初から意味が分からない。そして次は色々と酷い。だが撃たれている本人達が気にしていないのなら問題ないだろう。最後の迷路に関しては、確かに迷宮らしさには欠けるが楽が出来るなら良いのではないか。

「あー……」

男は槍に縋るように下げていた頭を上げ、口を引き攣らせながらも開く。

「あいつらが嫌だって言った事あるか?」

「無いです」

あっさりと告げたリゼルに、つまり落ち込んでいる訳では無いのだと男は気付いた。悩んでもいない。今この場に居ない二人のフォローを男がするまでもなく、リゼルは分かっているのだろう。

ならば簡単だ。

「まぁ、理屈で済むもんでもねぇか。あんま拗ねてやんなよ」

ジル達が悪い訳ではない。二人の本意などでは決してない。全て迷宮の所為だから仕方ない。そんな事リゼルは理解している。

理解していても、全て流せるほどにリゼルにとっての二人は小さい存在ではない。流そうと思えば流せないでもないが、今はそこまでして平静を保たずとも良いだろう。

「分かってはいるんですけど」

「ハハッ、そんなもんだ」

苦笑したリゼルに、男が笑う。

拗ねている、の言葉に男とリゼルをひたすら見比べていた彼の仲間達も、可笑しそうに口を開いた。

「一発ぶん殴ってやんな。私達の時はそうしたから」

「あん時ゃ正気のヤツ全員に殴られたなぁ」

「殴るって、こうでしょうか」

「お、おぉ、やる気だな……」

そして馬車は一度も止まらないまま、王都へと帰って行った。

イレヴンは一人、死んだような目をして迷宮一層目の魔法陣へと戻って来た。

肌寒さから、一気に熱気に包まれた空気を心地良いと感じる余裕もなく扉に手をかける。そして外へ。差し込む光が眩しく、目を伏せる。

「…………うわ」

視線の先には、ガラ悪くしゃがんで項垂れている黒い塊があった。

珍しい姿だが、イレヴンとて茶化せる精神状態ではない。むしろ全力で共感する所存だ。未だ来ない馬車を待つように、同じくその場にしゃがむ。そして深い溜息。

「……」

「…………」

「……馬車いつ来んの」

「知らねぇ」

冒険者の迷宮からの帰宅ラッシュでないという事は、馬車の本数も少ないという事だ。この時間帯は目安の砂時計も動かされる事がなく、どれだけ待てば良いのかも分からない。

早く来いとは思う。しかし同じぐらい一生来るなとも思う。イレヴンは地面につかんばかりに頭を下げ、低く唸った。

「ニィサンはまだマシじゃん」

「……あ?」

ジルの顔が上がる。凶悪な面構えだ。

「俺、足手纏いとか、言っ……、……」

「うわ」

もはや言葉も紡げないイレヴンに、ドン引きしきった声が返る。

やはりそれ程か。それ程なのか。イレヴンの目がどんどんと死んでいく。正気に戻った際に壁に頭を打ち付けたぐらいには衝撃だった。

「怒ってっかなぁ……」

「怒ってはねぇだろ」

「余計怖ぇー」

二人は色々と心の準備を済ませつつ、馬車を待ち続けた。

リゼルは今、ギルドを訪れている。

依頼にあった緑の石はリゼルが持っている為、取り敢えず終了手続きだけはしておこうと思ったからだ。パーティリーダーさえ先に終了手続きを終わらせていれば、メンバーは後からでも手続きが出来る。

「後の二人はどうしたんですか」

「後から来ます。宜しくお願いしますね」

スタッドの問いに、微笑んで返す。

リゼル達もいつも三人で来ている訳ではない。時折二人だったり、少ないが一人の時もあるので、スタッドもその答えに納得したようだった。

布の袋に入った緑の石を渡し、手続きを終える。報酬を受け取り、手が空いているようだからとスタッドと雑談に興じていた時だった。

「一刀に目は行くが、狙いは獣人だな」

戸が開くと同時に聞こえて来た声に、リゼルはゆるりと振り返る。

入って来たのは二人組の冒険者だった。彼らは会話を止めないままに数歩進み、そしてリゼルと視線が合うとぎょっとしたように立ち止まる。

あまり見覚えはない。最近王都に来た冒険者達だろう。

「お前、一刀と獣人を連れてる……」

「こんにちは」

微笑めば、冒険者らは狼狽したように互いに顔を見合わせた。

しかしそれも一瞬で、険しい顔をしてリゼルを見据える。スタッドがリゼルを窺うが、見下ろされた瞳は穏やかで荒事にする気はなさそうだ。

「うちのイレヴンが、何か?」

「……誤魔化しても意味はないか」

雰囲気としては中堅だろうか。冒険者達はやや緊張したように居住まいを正し、リゼルと向き合った。

喧嘩を売ろうという様子はない。ならば用件も予想がつくかと、何ともタイミングが悪い事だとリゼルは苦笑した。

「今日、お前の所の獣人に引き抜きを持ち掛ける予定だ」

「許しません」

丁寧な申し出には好感が持てる。だからこそ、リゼルはそれを否定した。

「渡したくない気持ちも分かる。だが、交渉するのは自由だ」

「イレヴンは駄目です」

冒険者達は眉を顰めた。

リーダーが優秀なメンバーを手放したくないのは分かる。嫌だと言おうと、冒険者にとって引き抜き離別は当たり前だ。冒険者達が交渉を止める理由にはならない。

「貴方達の為ですよ」

そう考えているのを見通すかのようにリゼルが告げた。

「そういうのイレヴンは嫌がります。パーティに一番思い入れがあるの、きっと彼なので」

「決して応じないと?」

「はい」

冒険者達の厳しい視線を前に、しかしリゼルは柔らかく微笑んでいる。

余裕のある態度に見栄は見えず、冒険者達も難しそうに顔を顰める。そこまで断言するのなら、引き抜ける可能性は低いのだろう。しかし彼らも相応の条件を用意したつもりだ。

「試しに話だけでも」

「嫌な思いをさせると分かっていて?」

「ううん」

苦笑したリゼルに、冒険者達も唸る。そう言われてしまうと立つ瀬がない。

「それにイレヴン、今日は凄く機嫌が悪いと思うので、八つ当たりするかもしれません」

「何だ、それくらいは」

言いかけた冒険者達の口は、ふいに視界に入ったギルド職員らによって閉じられた。

ひたすら無表情なスタッドは良い。しかしその隣に座る職員の顔色が一気に抜け落ちた。そして周囲の冒険者。数少ない彼らが「あちゃー……」と言わんばかりに首を振っている。

冒険者達もそれなりに酸いも甘いも嚙み分けた中堅だ。防衛本能は強い。

「……いや、止めておこう」

「そうですか? 良かった」

冒険者達はリゼルの清廉な微笑みと共に告げられた「良かった」を“パーティメンバーが取られなくて良かった”と受け止めた。反してリゼルは“貴方達が消されないで良かった”という意味で告げている。

彼らは知らず知らずに、自身らの危機を救った。

「じゃあスタッド君、また」

「はい」

ひらりと手を振れば、頷きで返される。いつものスタッドに可笑しそうに笑い、リゼルは顔を引き攣らせている冒険者二人に軽く挨拶をしてギルドを出た。

きっと落ち込んで帰って来るだろうイレヴンに、追い打ちをかけるような真似をさせる訳にはいかない。きっとギルドにも寄らず、宿に来るだろうが。

「どうも、御一人ですか」

「どうしました?」

通りを歩いていると、まるでずっと一緒に歩いていたかのように自然に隣を歩く男がいた。リゼルは何事もなかったかのように穏やかに問いかける。

長い前髪で目元を隠した精鋭の一人は歩調を合わせながら、その横顔を横目で確認した。

「一刀にも引き抜きかかるっぽいんですけど」

「今日?」

「はい」

先程のやり取りから、もしかしたら必要かと教えてくれたのだろう。

一体何処から見ていたのか、なんて疑問に思いながらリゼルは考える。ジルならばいつも通り無視して流すだろうし、大丈夫か。

「冷静に話せそうな方々ですか?」

「や、無視された途端斬りかかるタイプですね」

「じゃあそのままにしておいて下さい」

「了解です」

精鋭は取り敢えず受け入れたが、疑問には思ったのだろう。一瞬ちらりと窺った視線を、見えてもいないのに気付いたかのようにリゼルが笑う。

「イレヴンは八つ当たりしても大して回復しないタイプで、ジルは八つ当たりを利用して折り合いをつけるタイプです」

「あぁ、成程」

同時に、ジル達の機嫌が最悪だという事を悟ったのだろう。

精鋭は今日はアジトに戻らないでおこうと心に決めた。きっとそれとは知らず戻った面々が盛大な八つ当たりを受けるので、自らが戻るまでにはそれなりに回復している筈だ。そう願うしかない。

「イレヴン、きっと今日はこっちの宿に泊まると思います。明日にはきっと大丈夫ですよ」

「有難いっすわ」

精鋭は最近リゼル相手に覚えた心からの感謝をしっかりと述べておいた。

「あ、でもジルなんですけど」

「はい?」

「最近、変なのに纏わりつかれてるって言ってたんです」

「あー、余所から流れて来た奴ですね」

その知名度から、ジルは情報屋に目を付けられる事が多い。

腕の立つ者からそうでもない者まで、もはや慣れたと言ってはいるが時折鬱陶しそうだ。ジル曰く、腕の立つ情報屋なら逆に気にならないから好きにさせているとのこと。

精鋭も把握はしていた。確かに最近、一人その手の人間がちょろちょろしている。

「ジルが戻って来る前に、追い払っておいて下さい」

「どの程度ですかね」

「ご自由に」

次の瞬間にはもう、精鋭の姿は消えていた。仕事が早い事だと感心しながら、リゼルはのんびりと宿への道を進んでいった。

そして今、リゼルの腰にはイレヴンがしがみ付いている。

「ほんと、本心とかじゃねぇし」

「何度も聞きましたよ」

ベッドに腰かけたリゼルは、本を片手にイレヴンの艶やかな髪を撫でた。

椅子に腰かけて読書をしていた真っ最中、何とも珍しい事に足音を立てながら部屋へと飛び込んできたのだ。立ち尽くす姿に手招いて、突撃してきたイレヴンを引き摺りながら机の前から移動した。

「怒ってねぇの」

「怒ってません」

ちょっと拗ねたけど、とは口には出さない。

リゼルの脚の間に膝をつき、胸と腰の間から此方を見上げるイレヴンに微笑んでみせる。本をベッドへと伏せて置き、その頬にある鱗を指先でなぞった。

「君が一度もあんな風に思った事がないって、ちゃんと知ってます」

「……でも帰ったじゃん」

「安全策ですよ」

可笑しそうに笑ってみせれば、イレヴンが擦り寄るように鱗をリゼルの掌へと押し付けた。そして頬へと触れる手を握り、ゆっくりと腰を上げていく。

「本当に怒ってねぇ?」

「本当です」

視線は合わせたまま、イレヴンが触れ合う上体を押し付ける。後ろに倒れる背を残る片手で支えながら、ベッドへと倒していった。

握られたままの掌を握り返し、シーツへと体を埋めながらリゼルは内心苦笑する。これは相当落ち込んでいるらしいと、試すような視線へと甘く瞳を緩めてみせた。

「本当?」

「本当」

受け入れるように落ちる髪を梳いてみせれば、ようやく満足したのだろう。視線が外れ、首筋へと頬の鱗を擦り寄せて来る。

二人で居る時は時折、獣人特有のスキンシップで甘えを見せるイレヴンだが、これだけ甘えて来るのは久しぶりだなとその背をポンポンと撫でた。

「やっぱさァ、リーダーは分かってるっつうのは知ってるけどさァ」

「そうでしょう?」

機嫌の良さそうな声に同意を返しながら、ふとリゼルは開けっ放しの扉を見た。その扉の向こう側、壁に寄りかかるジルの姿がある。

リゼルの視線に気付いたのだろう、ふいに此方を向いたジルへと何を遠慮しているのかと可笑しそうに握られていない手を振った。

ジルが微かに顔を顰め、溜息をつく。そして自室へと姿を消した姿に、リゼルは思わず笑みを零した。

「今日泊まってって良い?」

「良いですよ。夕食、女将さんに頼みましょうか」

まるで安堵の溜息のようだったと、明日伝えてみようか。一発殴るのは無理そうだからと、少しばかりの意趣返しをリゼルは楽しそうに思い浮かべた。