軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

146:結局何でそうなったのか理解せず帰った

オルドルは、血縁上は弟である男のことを認めることが出来なかった。

大体おかしいではないか。何故訓練を受けた訳でもない子供が、幼い頃から血の滲む思いで剣を振るってきた自分に勝るのか。それも二月も経たぬ内に。

自らの努力が全て否定された気がした。継ぐべき騎士団統括の任を背負うことなど不可能だと突き付けられた気がした。自身の価値の一切を失った気がした。

才能や天才など努力を怠る人間の言い訳だと思っていた。

努力を厭う人間が、努力を重ねる人間へと向ける蔑称であると。オルドル自身も言われたことがある。欠片も嬉しくなどない。

しかし、それは確かに存在するのだと、それを認めるには心が幼過ぎた。

これが生来共にいる弟なら話は違ったのだろうが、相手はポッと出の庶子でしかない。

オルドルは正当に突き付けられた理不尽に抗おうとし、極々自然な流れで弟を妬み、誰しもそうするように自身らを比較する周囲を疎んだ。

ただ先の邂逅の際にリゼルを以って“当然だ”と称されたその感情を、しかし彼自身は幼い頃から恥ずべきものだと自らを戒めた。

そうして追い詰められ、しかし屋敷から厭うた存在が姿を消して徐々に落ち着きを取り戻していた心は、再び前触れもなく目の前へと姿を現した男によって崩壊した。

「君は高潔が過ぎる」

「それが騎士として正しい姿でしょう」

窓から差し込む茜色に金の髪を色濃く煌かせ、揶揄うように笑うレイにオルドルは極めて平静に返す。

「侯爵からは?」

「……客人への無礼、その一点だけは」

やや目を伏せる。

あのパーティーにおいて、冒険者達は招待客だ。オルドルの父はその事のみを叱咤し、ジルベルトの話など一切出なかった。

それは「関わるな」と言われるより余程、その存在との決別を意味している。一切の関わりを断ち、そこには有るべき情は無く、ただ他人に戻っただけなのだと。

「私が未熟であっただけだ」

「やれやれ、君は本当にストイックだな」

前を見据え告げれば、まるで役者のようにレイが肩を竦めた。

騎士の統括と、憲兵の統括。それらを任される位に立つ両者は、まさしく今日のように顔を合わせることが多い。

オルドルが過去から今まで見て来た目の前の男は、いつだってこうだ。

「“あいつの所為だ”と言う方が楽だろうに」

親しげな雰囲気と快活な口調で相手を惹きこみながら、楽しめる何かを探すように底知れぬ瞳で相手を見る。

「私を愚弄するか……ッ」

「いいや?」

顔を顰めて唸る様に告げたオルドルにも、レイは笑みを深めて落ち着けとばかりに軽く両手を上げるのみ。

「肩の力を抜いたら良いと、そう言うつもりだったのだけどね」

「……言葉遊びも大概にして頂きたい」

「君こそもう少し言葉遊びを楽しみたまえ」

これだから合わないのだ。

オルドルは自らを落ち着けるように短く息を吐き、立ち上がった。

「客人のお帰りだ。見送りは必要かな?」

「結構」

部屋に控えていた老齢の執事長が扉を開ける。

背後から聞こえる笑い声に苦虫を噛み潰したように微かに顔を顰め、そして部屋を出た。後ろを執事長が歩く音のみが響く廊下には、所狭しと、しかし優美さを失わないように絵画が並ぶ。

「(迷宮品、か)」

冒険者によって齎される、唯一無二の絵画たち。

その特性故に愛好する貴族も多く、レイはその最たるものだろう。

「(冒険者……)」

今も恨んでいるのだろうか、とオルドルは自問する。

もはや、世の理不尽を知らぬ幼子では無い。居るのだ。人が十年かけて辿り着く域に容易に辿り着ける者が。決して人に辿り着けぬ筈の域に辿り着けるのは意味が分からないが。

「(ともあれ、二度と会う事はない)」

まるで肩の荷を下ろしたように、オルドルの張り詰めた表情から力が抜けた。

『 選んで 』

穏やかな声と清廉な瞳を、今でも時折思い出す。

あの時は答えられなかったが、今ならばきっと答えられる筈だ。自分は、ジルベルトとの一切を断とう。そうする事で、きっと楽になる。

元々、侯爵家を失うことなど選べる筈がないのだ。背負うことを望み、目標とした、誇りなのだから。

「(ならばあの問いは、私への)」

思いかけ、自嘲する。だが、心は今までで一番軽かった。

執事長が先行し、辿り着いた扉を開く。浮かんだそれを隠すように、差し込む夕日に目を細めた。

「(今更だ)」

オルドルは顔を上げ、足を踏み出した。

その時、ふいにレイの屋敷の前に馬車が止まったのが見える。客人か、と内心で呟いて歩きながら軽く襟元を直した。擦れ違うだけとはいえ、気の抜いた姿は見せられない。

「……?」

そして、訝し気に眉を顰める。

馬車から現れたのは、とても子爵家を訪ねるとは思えない面々だった。青年が一人と、子供が二人。徐々に近づいて来る姿恰好も見慣れない。

互いに歩み寄り、そして見えた姿にオルドルは絶句した。

「な」

「ん?」

赤髪の獣人が此方を見る。

オルドルはその顔に見覚えがあった。あの夜、嘲りを隠さずシャンパンを飲み干した獣人。何故か幼い子供を腕に抱いている。

「何か見たこと……あー、ニィサンの兄貴」

納得したように頷き、そしてその視線が隣へ移る。

その視線の先には、一人の少年がいた。年の頃は十代前半か。可愛げの残るはずの年齢にしてガラの悪さばかりが目立つ風貌に、オルドルが目を見開く。

「あ、でも絶縁してっし違うか」

「あ?」

少年の瞳が鬱陶しそうに此方を向き、そして。

「ジルベルトォォオオーーーーーーーーー!!!」

イエス、オルドル・トラウマ・ドストライクだった。

それは、オルドルが人生初の絶叫を披露する数時間前のことだった。

迷宮帰りの馬車は、血と泥に汚れた冒険者達で賑わう。

ある者は戦果を誇り、ある者は至らなさに肩を落とし、八つ当たりし、迎え撃ち、それを煽り、あるいは喧しいと怒鳴り、とにかく絶えることのない喧騒に溢れている。だが、今日に限っては例外だった。

「イレヴン、つかれた?」

何故こんな事に、とざわめきながらも問いかける者はいない。

とにかく疑問しかない。逸らそうとも自然とそちらを向いてしまう冒険者たちの目の前には、座席に並んで座る三人の姿があった。

「普通さァ……戻んじゃん、迷宮出たら」

一人は目が荒んでいた。これは良い。

「んー」

その膝に乗せられ、やけに見覚えのあるような幼子が肩口に顔を埋められていた。

年の頃は四歳か五歳か。子供に縁の無い冒険者らには分からないが、子供というよりはとにかく幼い。

「……」

その隣で人一人分のスペースを空け、此方も見覚えのある、やけに歴戦の強者らしい雰囲気を持つ少年が不機嫌そうに座っていた。

此方はおそらく十代半ば、あるいは発育の良い十代前半だ。背の成長に筋肉量が追い付かない、鍛えられながらも年相応の体つき。しかし纏う空気により弱弱しさを感じさせない。

「……だから攻略すりゃ良いっつったろ」

絶妙なバランスで強者の風格を醸す彼は、窓の外を眺めたままぽつりと呟く。

「はァ?」

幼子に埋めていた顔を微かに上げ、イレヴンは視線だけを横へと流した。

漏らした声は低い。そわ、と動いた幼子の腹へと掌を回し、伏せていた頭をゆっくりと起こす。

「言うこと聞かねぇガキつれて? 勘弁しろよ」

「あ?」

少年が顔を顰めイレヴンを見る。ピリ、と馬車内の空気が張り詰めた。

冒険者らにとっては慣れたものだ。慣れたものだが、いざとなれば誰かが止めるような普段の喧嘩とは訳が違う。誰も止められない。

やはりこれはそういう事なのか、と自然と視線がイレヴンの膝の上にいる幼子へと向かう。止められるとしたら、唯一人。

「?」

が、お膝の上で不思議そうにイレヴンと少年を見比べていた。それもそうだ。

「ジル」

しかし、何かがおかしいと気付いたのだろう。

抱かれた膝から身を乗り出すように小さな手が伸ばされた。その手が少年の服を握ろうとする寸前。

「触んな」

手の甲で除けるように阻まれた。

やや乱暴な仕草に、ぐらりと幼子の身体がゆれる。前のめりに体勢が崩れ、頭から椅子へと倒れそうになりながら、幼子は少年の唇が咄嗟に何かを紡ごうと開かれかけたのを見た。

直後、小さな体がぐんっと後ろに引き寄せられる。

「おい」

直後、少年は持ち上げかけていた手で向けられた掌を鋭く払い除けた。同時に、舌打ちも零す。

バシンッと強く響いた音に幼子がぴくりと肩を跳ねさせる。イレヴンが無作法者へと叩きつけようとした手でその胸倉を掴みながら、幼子を抱き寄せた手に微かに力を込めた。

「調子乗ってんじゃねぇよ、ガキ」

「……ァア?」

何故リゼルが大きいままで居てくれなかったのかと、冒険者らは青い顔で睨み合う二人から必死で目を逸らしながら思う。

いっそ馬車が急停止でもして空気を変えてくれないだろうか。しかし残念ながら今乗っている馬車の御者は御年六十五になるベテラン御者。喧嘩が起ころうが魔物が来ようが、一切気にせず朗らかに馬を走らせる事に定評のある人物だ。空気は読んでくれない。

「……」

「「「(あーあーあーあー)」」」

一瞬で険悪になった雰囲気について行けていなかった幼子が、ぱちりと目を瞬かせる。

そして徐々に困ったように、しゅんと俯いていく姿には思わず冒険者らもちらりと視線をそちらに向けた。

その時、彼らの祈りが天に届いたのか、あるいはただ単にタイミングが良かったのか。ガタンッと少しの揺れと共に馬車が止まる。

「あーーーつっかれ………うぉッ!?」

バタンと勢いよく馬車の扉を開け、入って来たのは年若い四人の冒険者だった。

「何この空気……あっ、子供いんじゃん子供ー!」

「おい何、おっ、ちっせぇなぁーっ」

「ちょ、早く入れ見たい。おおっ、育ち良っさそ!」

それは最近そこそこ良い感じ、と噂されるアイン達だ。

最初こそ何か違う雰囲気に気付いたようだが、既に忘れたらしい。ガヤガヤ入って来ては、他には目もくれず迷宮巡りの馬車内では通常目にしない幼子に興味津々で近付いていく。

「飴あったっけか、お、チョコあった。これ食べる? 美味いぞぉ」

「こんな馬車でどした。冒険者の兄ちゃんたち見に来たか?」

「どうだ、格好良いだろー」

座席の前にやけにスペースが空いているのも気にせず、各々幼子の前でガラ悪くしゃがんだり屈みながら構い始める。

馬鹿って凄ぇなぁ、というのはそれを目撃した冒険者らの談。馬車が車内の様子など省みることなく再び走り始める。

「ほら、手」

にっと笑って包みに包まれたチョコを摘まむアインに、幼子が両手を差し出した時だった。その掌に落とされそうになったチョコが、パッと上から奪われる。

幼子がきょとんとする前でアインは顔を顰めながら視線を持ち上げ、そして驚愕に立ち上がった。

「安モンで餌付けしようとすんじゃねぇよ、雑ァ魚」

「てめ……ッ」

何のつもりだ、と言いかけ隣が目に入った。

「……は?」

思わずポカンとアインがそちらを見れば、ガラの悪い顔を更にガラ悪くしながら、一人の少年が不愉快そうに此方を見ていた。

既視感のある顔立ち、弱者を縫い留めるような強者の気配、そしてアイン達も“迷宮だから仕方ない”を知る冒険者。ならばその可能性に辿り着かない筈がなく、思わずパーティ四人で意味もなく視線を交わす。

「……つーことは」

視線を落とせば、不思議そうな幼子の瞳が真っすぐに此方を向いていた。

「…………リゼルさん?」

「はい」

ふわふわと微笑む幼い顔は、頬を微かに染め酷く嬉しそうだった。

それは同行者二人の喧嘩が収まったからで、それに気付いたイレヴンがバツが悪そうにその小さな手をにぎにぎとしたのも、隣に座る少年が舌打ちをして窓の外に視線をやったのもアイン達は知る由も無い。

「うっわうっわ! マジか!」

「そりゃ育ち良さそうな筈だわ」

「小っせぇー!」

取り敢えずリゼルを囲み騒ぎ始めた若者たちに、他の冒険者らは馬鹿って怖いモン無ぇなぁともう一度呟き、イレヴンは馴れ馴れしいと途中でキレたしジルは不機嫌丸出しでガンをつけた。

「街ついてすぐ馬車捕まえてさァ、知り合いの道具屋行ったらいねぇし。誰に断って出てんだっつの」

「それで私の所に来たんだね」

“ただ今仕入れに出ております。また後日ご来店ください”。

幼いリゼルを預けるのに一番安全かつ従順かつ最高の世話をするだろう店に貼られていた張り紙を思い出し、イレヴンが出された食事に食らい付きながら文句を言う。それに対し酷く面白そうに笑うレイの膝の間には、両手でカップを握るリゼルがちょこんと座っていた。

「随分と可愛らしくなったね、リゼル殿」

レイが飲み終わったカップを手に取り、反対の手でエスコートするように小さな掌をゆるく握り込む。

リゼルが不思議そうにレイの顔を仰いだ。快活さが鳴りを潜めながら、親しみを込めにこりと笑うレイにパチリと目を瞬かせている。

「それに比べて、君はヤンチャ盛りかな?」

「あ?」

同じく食事に食らい付きながら、顔を顰め少年姿のジルが睨み付ける。

少年というにはやや発育が良いが、育ち盛りであることに変わりは無いのだろう。運ばれてくる食事、その中でも肉料理に伸びる手は暫く止まりそうにない。

「はー、食った」

ふいにイレヴンが腹をさすりながら立ち上がった。

皿が運ばれた傍からハイスピードで食べた彼の手の届く範囲にある皿は全て空だ。取り敢えず詰め込むだけ詰め込んだイレヴンが、レイの持つクッキーの皿へと手を伸ばすリゼルへと歩み寄る。

「じゃあリーダー、俺迷宮行ってくんね」

「……ごめんなさい」

「何で謝んの」

可笑しそうに目を細め、イレヴンは上体を屈めた。

手を伸ばし、皿から一枚のクッキーを摘まむ。それをリゼルの掌に乗せると、大きな瞳が見上げて来るのに唇の両端を吊り上げた。

とんとん、と自らの顎を指先でノックする。

「なんか気にしてんなら、それで許したげる」

ぱかりと口を開けたイレヴンに、リゼルが嬉しそうに破顔した。

イレヴンは小さな手で差し出されたクッキーをゆるく咥え、背筋を伸ばす。機嫌が良さそうにさくさくと咀嚼しながらリゼルの髪を梳き、そして飲み込むと甘さの残る唇を舐めた。

「いってらっしゃい、イレヴン」

「んー、良い子にしてて」

ふわふわと微笑むリゼルを全力で惜しみつつ、イレヴンは振り返る。

「あんたも」

ふいに、ゾワリと背を這うような視線が一点を射抜いた。

リゼルから最も遠いソファへと座るオルドルが、表情を変えぬまま静かに目を伏せる。彼は帰るタイミングを完全に逃していた。

「彼を害する理由も無い」

「あっそ」

望む答えだろうに詰まらなそうにそれだけ言い、イレヴンは腰の双剣を調整する。

これから迷宮だ。若返ったジルとリゼルを連れるよりは、一度王都に戻ったとしても一人で攻略した方が楽だと判断したことからイレヴンだけ再出発だ。

「“獣人贔屓の迷宮”だろう? 君一人の方が楽かもしれないね」

「つうか唯人こきおろし迷宮?」

流石にそんな名前は嫌だと今の名前になった可能性も否めない。そんな事を思いながらイレヴンはひらひらとリゼルに手を振り、扉へと向かう。

「まぁ楽っちゃ楽なんじゃねぇの」

なにせ獣人贔屓だ。唯人がいてこその贔屓、つまり獣人だけだと贔屓がなくなる。

イレヴンとしてはナナメ上な贔屓がない方が嬉しいし、ごく普通な迷宮なら苦戦するような階層でもない。一階層だけ攻略してくるなら、早々に帰って来るだろう。

「未来の最強は連れて行かないのかい?」

「んなおキレーな剣見んの好きじゃねぇし」

それだけ言い残し、イレヴンは使用人により開かれた扉の向こうへ姿を消した。

レイの膝の上でそれを見送ったリゼルが、ふとジルを見る。ローストビーフの皿を持ち、黙々と食べていたジルも手を止めそちらを見た。

「きれいって」

「褒めてねぇよ」

顔を顰め、舌打ちをする姿にリゼルは何も気にせず上を仰いだ。

「ししゃく?」

「さぁ、私も剣には詳しくなくてね」

色濃く煌く金の瞳が、笑みを描きリゼルを見下ろす。

レイは手にしていた皿を置き、そして幼く小さな顎へと触れた。優しく力を込め、自身を見上げていたリゼルの顔を正面へと向ける。

「聞いてごらん」

その指先がするりと顎先を撫で、そして向かいのソファに座るオルドルを指した。

「おい」

ふいにジルから声がかかる。

気に入らなそうな、不満そうな、嫌そうな、文句をつけるような、いかにもな声だった。牽制だろうそれに、リゼルがもぞりとレイの脚の間で身じろぐ。

そしてこちらも、拗ねた様に上目でジルを見た。

「ジルが、おしえてくれなかったのに」

「だからってそいつに聞くなよ」

「ききます」

「聞くな」

レイが肘置きへと肘をつきながら肩を震わせ笑みを零し、オルドルはうろうろとリゼルとジルの間で視線を泳がせる。

「私は別に」

「聞いてねぇよ」

ジルにより一瞥もなく切り捨てられ、オルドルは複雑な感情のままに口を噤んだ。

自身でも驚くべきことに憤りはない。あるのはそんな自身に対する戸惑いと、何故若い姿になっているのか未だに理解が出来ない戸惑いと、更に幼くなっている穏やかな支配者がじっと此方を見ている戸惑いと、そして戸惑いだった。

ようするに未だに状況についていけていない。迷宮に慣れた冒険者でなければこんなものだ。

「じゃあ、ジルが」

「嫌だ」

うんざりしたように、顰めた顔で一音ずつ告げられたそれにリゼルは少し俯いた。

「……はずかしがりや」

「んだとオイ」

ぽそりと呟かれた不名誉にジルの額に青筋が浮かんだ。

生来の強烈な印象が増し、ガラの悪さが引き立つ。少年であるジルと同年代の子供でさえ、声すら出せず脱兎の如く逃げていくだろう。

しかしリゼルは口元を緩めた。自らを包み込むレイへと背を埋め、自身の横で肘をついている腕へと隠れるように顔を寄せる。

「んー……ふふっ」

頭を寄せた手が包むように自らの頭を撫でるのを感じながら、リゼルは耐え切れずくすぐったそうに笑い声を零した。

「おい」

「まぁまぁ、落ち着きなさい。ジル」

それに対し声に苛立ちを滲ませたジルに、レイはカラカラと笑う。

「……馴れ馴れしく呼んでんじゃねぇよ」

「おや、すまなかったね」

レイは一度目を瞬かせ、そして笑みを深めた。

以前のパーティーで聞いた話と、目の前に座る少年の頃だろうジルを見れば成程。ちょうどオルドルの実家へと引き取られていた頃で、ならば彼は“ジルベルト”なのだろう。

「君は話したくない。リゼル殿は知りたい。ならば、君以外で唯一説明できる彼に頼むしかないだろう?」

「だから」

「君がオルドル殿を気に入らないのは、この子には関係がない」

悠然と告げられ、ジルは反論を全て込めたように全力で舌打ちを零す。

そして手元のフォークをザクリと卵の色が鮮やかなオムレツへ突き刺し、トマトソースを纏わせたそれを口の中へと押し込んだ。極限まで顔が顰められているが、勝手にしろという事なのだろう。

「ジル、それ、おいしいですか?」

「……普通」

渋々ながらも返って来た返事にリゼルが嬉しそうに笑い、そしてオルドルを見た。少しだけ首を傾げ、問いかける。

「えっと、きれいって」

「あ、あぁ」

ひたすらリゼルとジルを見比べていたオルドルが、戸惑いつつも口を開いた。彼は未だに帰るタイミングが掴めていない。

「ジルベルトに剣を教えたのは、元騎士だからな」

騎士の本家本元、その侯爵家へと引き取られたならそうなるだろう。

父親であった侯爵が本気でジルを騎士にする気があったかは今となっては不明だが、かの家では必須の教養であった筈だ。

「騎士は、初めに徹底的に型を教える」

「かた?」

「不要なものをそぎ落とし、動きとして完成された動作だ」

型を実戦的でないと言うのは、武術に関わったことのない人間だけだろう。

最も効率的な動きが、最も実戦的であるというのは言うまでもない。繰り返し習練された型は無意識下に刷り込まれ、無心の内に振るえるようになる。

「受ける攻撃に合わせ、型を振るう。……極端な言い方をすれば、それだけで済む」

勿論タイミングや戦術的な瞬発力など、実戦で鍛えなければ身に付かないものは多い。言葉だけ聞くと簡単そうにも聞こえるが、その境地に至れる者など滅多に現れない。

だがしかしジルはそれをやる。出来るからだ。

「遊びがないと、あの獣人は言いたいのかもしれない」

言葉を選ぶ様に説明を終えたオルドルが目を伏せ、何かに戸惑うように手を組んだ指を遊ばせる。

「おこらないんですか?」

「……は」

オルドルは咄嗟に顔を上げる。

レイの腕の中、興味深そうに聞いていたリゼルがきょとんとこちらを見ていた。

「好きじゃないって、いわれたのに」

イレヴンは決して褒めてなどいない。嘲りすら含んでいただろう。

そんな作業的な戦い方で楽しいのかと。魔物との戦いを、対人の枠に無理矢理嵌めて何の意味があるのかと。

勿論それはイレヴンの好き嫌いだ。洗練されきった動作は美しく素晴らしいに決まっている。だからこそ、リゼルは良いのかと問いかけた。

「えっと」

ことり、とリゼルが首を傾げる。

「ぼうけんしゃごとき、は?」

その言葉に、オルドルの頭が徐々に下がって行った。

不思議そうだったり面白そうだったり鬱陶しそうだったりする三人の視線が集まる中、下りていく頭はついに膝の間で所在なさげに組まれていた両手に到達する。そこに額を押し付け上げられないまま数秒、唯一見える耳を見れば気の毒なほどに血の気が引いていた。

耐え切れず、耐え切る気もないレイの快活な笑い声が部屋に響く。

「これは珍しいものを見た!」

「だっせ」

「だいじょうぶですか?」

「あぁ、……いや」

本来のオルドルは冒険者を蔑視したりはしない。

対人に特化した騎士とは違い、魔物の専門家として正当な評価をしている。勿論素行に不快を感じることはあるものの、冷静な状態ならば口にしない言葉だ。

つまり、それ程平静を失っていたと言う事。己の未熟さをピンポイントで抉って来たのが、本来ならば騎士として好感を抱くべき品の良い穏やかな幼子だと思うと心底やり切れない。

オルドルは息を呑み、そして覚悟を決める。

「その節は、すま」

ガァンッ、と突如激しい音が空気を震わせた。

「いらねぇよ」

グラスを片手に、机を蹴りつけた足はそのままにジルが吐き捨てるように言う。

音と共に顔を上げたオルドルが、目を見開きそちらを見た。向けられる敵意に、ただただ呆然とする。

「落ち着け、と言っただろう。リゼル殿が驚いているよ」

目を瞬かせ驚いていたリゼルの肩を抱き、撫でてやりながらレイが窘めるように告げた。ジルは眉を寄せながら視線を大きな瞳へ移し、そして足を下ろす。

「……来い」

「ジル」

リゼルが伸ばした両手に応えるよう、ジルも片手を差し出した。

レイにより両脇を持たれ差し出されたリゼルの襟首をぞんざいに掴まえ、そして自分の隣へ置く。ちらりと見下ろし、その頭をぐしゃりと一度掻き混ぜ、そして机の上に視線を彷徨わせて手にとったのはフルーツの盛り合わせだった。

「おら」

「ありがとうございます」

機嫌をとろうとしているのだろうが、リゼルはビックリしただけなので何も気にしていない。ジルの意図に気付かないまま、普通に喜んでフルーツを受け取っている。

「膝の上に乗せてあげないのかい?」

「乗りてぇなら来るだろ」

「さっきは、さわるなって言いました」

「お前もしつけぇな」

オルドルは茫然としたまま、その光景を眺めていた。

彼の知るジルベルトと、今目の前にいるジルベルトは全く違う。侯爵家に居た頃、敵意など向けられた事はなかった。苛立ちも、嘲りも、興味も一切向けられた事などなかった。

むしろ、本来の大人であるジルの方が近い。

「(随分と、違う)」

早朝から深夜まで、最低限の義務以外の全ての時間を剣に使っていた事を知っている。それはまるで研ぎ澄まされた武の化身のように、剣以外へと向ける意識などなかった筈だ。

オルドルは迷宮の事などほとんど知らない。けれど分かる。ジルはあの頃に戻ったのではなく、そのまま幼くなったのだと。

「(…………変えたのは)」

オルドルの視線が、てしてしとジルの脚を叩いて一口寄越せとねだっているリゼルを捉えた。

それだけで牽制するように一瞬投げつけられた視線を思えば、理由など考えるまでもないだろう。そんなリゼルを流しながらも、最後の一口になってようやく小さな口へとスプーンを突っ込む姿から視線を伏せる。

「(我が忠誠は我が王に)」

それは揺るがない。しかし。

「(ああいう形も、あるのかもしれない)」

オルドルは出されたまま冷めた紅茶に手を伸ばし、ゆっくりと飲み干した。

もうそろそろ帰っても良いだろうかと、そんな事を思いながら。

何とかオルドルが帰るタイミングを得たのは、それから三十分後だった。

リゼルが見送りたがったので、苦々しげなジルとリゼルを抱き上げたレイも一緒だ。そんなリゼルはもぞもぞと動いて腕から降ろして貰うと、オルドルへと近寄っていく。

その途中、くっとジルの指先が襟に引っ掻けられた。やむなく止まる。

「……一つだけ、聞かせて欲しい」

そんなリゼルに、オルドルの方から歩み寄った。

一歩、二歩と近付き、そして上体を伏せるように片膝をつき幼子と向き合った。それでもまだ見下ろさなければならない澄んだ瞳と視線が合う。

「あの問いは、私への救いでもあったのだろうか」

それは、救われたのだと告げたようなものだった。

幼子にその記憶があるのかなど分からない。しかし聞いておきたかった。

ぱちりとリゼルが瞬く。柔らかな髪がさらりと頬を撫でるのを感じながら、ゆっくりと唇を開いた。

「たぶん、ちがいます」

「そうか。違うか」

オルドルは神妙に頷いた。

「なら、見送りは別離のためか」

「?」

「いいや」

オルドルの唇に、薄っすらと笑みが乗った。

恐らくもう二度と会わないだろう。毒を飲み干した赤い獣人にも、穏やかで清廉な支配者にも、劣等感に苛まれた最強にも。心は不思議な程に晴れやかだった。

「関係を断つと言っておきながら、今日はすまなかったな」

そろそろ行かなければと腰を上げかけたオルドルは、しかし途中で止まった。

幼い手がオルドルの袖を掴んでいる。中腰のまま見下ろせば、きょとりと此方を見上げるリゼルがいた。

「おい」

襟にかかりっぱなしになっているジルの指が微かに力を増す。しかしリゼルはそれを気にせず、不思議そうに口を開いた。

「どうして、あやまるんですか?」

「どうして、とは」

質問の意図が分からず鸚鵡返しするオルドルに、リゼルはふわふわと微笑む。

直後、ボワンッとやけに濃い煙がリゼルとジルを包んだ。何故かやたらとキラキラしたりしている煙に、オルドルは半歩下がりレイは目を輝かせ半歩身を乗り出す。

「侯爵家としての貴方には関わりを断って頂きましたが、個人の貴方が一から交流するのなら何も言いませんよ」

幼気な声が落ち着いた穏やかな声へ、煙の中から現れたのはパーティーの夜に見た貴族然としたリゼルだった。その後ろでジルも訝しげに立っている。

次の瞬間。微笑んでいたリゼルが初めて気付いたようにふとオルドルを見て一度だけ目を瞬かせ、袖を掴む自らの手に気付き、そのまま掌を開いてパッと離す。

「俺、今何か言ってました?」

あれ、と不思議そうに自らの口元へと触れるリゼルに、此方も何故その襟を引き寄せているのか分からないジルが指を外しながら顔を顰めた。

その視線がオルドルを見つけ、微かに眉間の皺を深くする。そして直ぐに興味を失ったようにフッと外れる視線に、オルドルは口元を引き攣らせた。

「…………交友を持つのは、遠慮しよう」

オルドルとて友を選ぶ権利はある。互いに切磋琢磨する真面目な友人が好ましい。

やはり二度と会うことは無さそうだと、すっかり暗くなった空の下をオルドルは馬車に揺られ帰って行った。

この日以来、彼は周囲から“雰囲気に余裕が出て来た”“初めて笑う姿を見た”などと囁かれることとなる。

「いや、迷宮というのは本当に素晴らしいね!」

「あー、つっかれた……移動長ぇとめんどいッスわ」

「お疲れ様です、イレヴン」

その後、帰って来たイレヴンと共にリゼル達はレイに夕食を御馳走になっていた。とにかく迷宮に興味のあるレイは、目の前で迷宮の神秘を見れたのだから大喜びだ。

今はリゼルがひたすらイレヴンを労おうと、その手のグラスに感謝を込めて酌をしている。

「リーダー兎になるし」

「もうちょっとこう、格好良いのが……」

「ニィサン狼になるし」

「好きでなってんじゃねぇよ」

リゼルもジルも、兎や狼になっていた時の記憶はちゃんと残っている。

何か伝えたいことがあっても、もひもひとしか出来なかった兎。右を指さそうとしたら何故か右後ろ脚がターンッとなった兎。その他兎。もひもひ。

ジルは二度目なので諦めていた。それなりに意思疎通の出来る狼であった事が大きい。

「その絵画は無いのかい?」

「んーなポンポン欲しい絵画出ねぇよ」

今にも言い値で買おうと言い出さんばかりのレイに、イレヴンは鬱陶しそうにひらひらと手を振る。

「ニィサンはガキになっても可愛くねぇし」

「てめぇに言われたくねぇよ」

少年という年頃がイレヴンとは致命的に相性が悪かった。

少年のジルを連れてその階層を突破した方が恐らく早かったのだろうが、馬車で往復する手間を含めてもイレヴンがそれを避けたぐらいには悪かった。仕方ない。

ちなみに自分が小さくなっていたと聞いたジルは、今まで色々体験してきただけに一瞬目が死んだ。

「ちっこいリーダーとは全然一緒にいれねぇし」

「大きい方で我慢して下さい」

リゼルが苦笑し、スフレオムレツを切り分けてイレヴンへと差し出す。

それなりに大きなオムレツが二口で消えた。たくさん動いたのだ、空腹なのだろう。

「こんだけ頑張ったんだからさァ」

イレヴンはふと腰へと手を回し、空間魔法から何やら取り出した。

それは大きくも小さくもない額縁だった。膝の上に立て、裏向けられたそれがクルリと反転する。レイの瞳が輝いた。

「出し惜しみされちゃ割に合わねぇよなァー」

「言い値で買おうじゃないか!!!」

絵画の中には、一匹の巨大な狼がいた。

そしてその前脚の間にちょこんと兎が収まり、そして一緒に描かれているのは鎧の魔物。その絵画を見て、レイによる買取交渉を尻目にリゼルとジルは盛大に疑問を抱きながら呟いた。

「何で餌付けされてるんでしょうか」

「知らねぇ」

“獣人贔屓の迷宮”の謎は深まるばかりだ。