軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

145:獣>獣人>唯人

リゼルは“人ならざる者達の書庫”の事を良く覚えている。

事前情報など何もない新迷宮。初見の魔物もいて、試行錯誤しながら進み、そして待ち受けるボスを討伐し、踏破報酬を手に入れた。そして本がいっぱいあった。

「ジルは、 王都(パルテダ) で行った事のない迷宮ってないんですか?」

「あ?」

そんなリゼルは今更ながら、冒険者の代名詞である迷宮攻略に気が向いていた。

「迷宮狂いに何言ってんスか。無い無い」

「面倒な所は避けるし、もしかしたらと思って」

ギルドの依頼ボードの前で、当のジルを隣に置きながらリゼル達は好き勝手言っている。

ジルは呆れながら依頼を眺めるだけだ。一刀も慣れたよなぁと、王都古株の冒険者らが同じく依頼用紙を眺めながら聞こえてくる会話に耳を傾けている。

「遠出すりゃ無ぇ事もねぇな」

「どれくらいですか?」

「馬車で三日」

何故か新規の迷宮は人の多い所に程近い場所に現れることが多いので、ぎりぎり日帰りできる迷宮はそれなりに多い。何故かは未だに分かっていないが、冒険者たちは大侵攻と似たような感じに「自己主張激しいなぁ」で納得している。

盛大に空気を読む、と並んで“迷宮七不思議”と呼ばれる一つだ。ちなみに七つ全てを知る者はいない。

大侵攻のことを考えるとそれはそれで便利なのだが、やはり人里離れた迷宮も存在した。

「三日は遠いですよね」

「三日はなァ……あ、リーダーあれは?」

「ん、あれですか? うーん、鉱石にはあまり詳しくなくて」

「あー」

指さした先にある“南の草原で新種の鉱石発見?”の依頼を見て乗り気でないリゼルに、イレヴンは納得したように頷いた。

好きそうだと思ったが、どうやら琴線に触れることは無かったようだ。むしろ言葉通り迷宮に潜りたい気分なのかもしれない。

「“夢渡り”見てる時は迷宮嫌がっただろ」

「あれは迷宮自体が嫌、とかじゃなくて」

眺めていたDランクからCランクの前へと移動する。

「何でしょう。出かける準備が終わったと思ったら夢で、起きてもう一度支度をし直さなきゃいけない時の気分というか」

「あぁ」

「分かるー」

後ろにいた冒険者が依頼用紙を取ろうと手を伸ばしたのを、リゼルは隣に半歩ずれて場所を譲った。

背中がジルの腕に触れたが、混み合う依頼ボードの前では仕方ないだろう。ジルも気にせず並んだ依頼用紙を眺めている。

「悪ぃな」

「いえ」

一声と共に千切り取られていった依頼用紙を目で追い、しかし直ぐに視線を外す。そんなリゼルを、ふいにジルが見下ろした。

「そういや報酬は」

「最近夢見が良いので、それかなと」

「つっても攻略した日が一番にっこにこだったじゃん」

少しばかりふてくされたように呟いたイレヴンへ、体勢を直したリゼルの後ろからジルの腕が伸びた。ベシンと後頭部を叩かれ、イレヴンが盛大に不満そうに顔を顰める。

二人は攻略を報告され、納得している。八つ当たりはするなという事だ。

「イレヴンはご家族にもドライですからね」

久々に友人と再会出来た喜びは理解しがたいだろうと、リゼルは可笑しそうにイレヴンを見た。

こう見えて、パーティでの迷宮攻略をそれなりに楽しんでいるのがイレヴンだ。メンバー以外を呼んでの攻略も、それが普段より楽しそうなのも気に入らないのだろう。

リゼルは顔を背けるイレヴンと視線を合わせるように、ゆるりと首を傾げた。

「絶対に攻略しなきゃいけない迷宮なら、君達を呼びました」

「……知ってる」

ようやく此方を見た瞳がふっと瞳孔を開き、そして直ぐさま弧を描く。

どうやらぎりぎり合格を貰えたようだ。良かった良かったと微笑むリゼルに、ジルは我関せずと問いかける。

「報酬の夢って?」

「竜の背中に乗って王都を見下ろしたり、迷宮の宝箱から伝説の剣が出たりしました。すごくリアルですよ」

夢だからこそ実現可能な、それこそ夢のような体験が出来たようだ。

ジル達はそう納得した。彼らにとって竜の背で空中散歩するのと、リゼルが宝箱から冒険者らしい迷宮品を出すのは同じくらい有り得ない事だ。

「やっぱ現実には何も無ぇか」

「流石の迷宮も難しいんでしょうね」

リゼルは“ゴーレムの頭に生えるコケの採取”がちょっと気になった。ゴーレムは迷宮の環境によって植物が茂っていたり鉱石が付着していたりする。

「あ、ニィサンあそこは?」

ふと気付いたように声をあげたイレヴンが、何かの依頼を指そうとしていた指先をくるりと回してみせた。

「バグりまくり迷宮」

「あそこか……」

にんまりと笑うイレヴンに、ジルは嫌そうに顔を顰めている。

対してリゼルは思い当たる迷宮が無く、どんな迷宮なのかとイレヴンを見た。その視線に応えるように、イレヴンが依頼用紙へ伸ばされる他の冒険者の腕を体を傾け避けながら言う。

「正式には“獣人贔屓の迷宮”っつうんスけど」

「ひっでぇ名前」

呟いたジルに、聞こえていた唯人冒険者は内心で同意した。そして獣人冒険者は何故か空笑いを浮かべている。

リゼルは正式名称なら覚えがあったのだろう。記憶を掘り起こすように何処ともなく視線を流した。

「あそこはニィサン、ソロで行かねぇんじゃねぇの」

「あー……」

難易度が上がるだけならばジルはむしろ積極的に行く筈だ。

ならば別に面倒な事があるのだろうと、リゼルはそう思いながら今度はBランクの前へと移動した。この辺りになると人口密度も下がるので、忙しなく依頼を選ばずに済む。

「行ったは行ったな」

「へぇ、ああいうの面倒なタイプじゃねぇの?」

「だからすぐ出た」

入ってすぐに特色のある迷宮というのは、とにかく癖が強い。その迷宮独自の仕掛けが多く、リゼルとしては大変興味を引かれる迷宮だ。

「イレヴンは行ったことあるんですか?」

「無ァい」

予想外の言葉が即答された。

ぱちり、と目を瞬かせるリゼルにイレヴンはひらりと手を振ってみせる。

「あそこ、獣人の間でもなァんか良い噂聞かねぇんスよね」

「贔屓されるのに?」

「されるのに」

その辺りが恐らく、“バグりまくり”という通称の由来なのだろう。

宝箱から階層の難易度とは全く釣りあわない迷宮品が出て来た時や、特に意味のない仕掛けに遭遇した時など。理不尽な扱いを受けたり良く分からない事に迷宮で遭遇した際、冒険者は“迷宮がバグった”という。

「気になってきました」

「お前はそうだよな」

贔屓されない上に評判も不明な迷宮に興味を持つから冒険者らしくないのだと、ジルは思いながらも口には出さなかった。迷宮攻略に精を出すこと自体は決してズレてはいないのだから、余計な口は挟まない。

「良いですか?」

「好きにしろ」

「お好きにドーゾ」

パーティメンバーの方針も一致したし、とリゼルはSランクまでの依頼をざっと眺める。とはいえ、今日もSランクは一枚も無いのだが。

「迷宮に関係のある依頼も無さそうですし、このまま行きましょうか」

「リーダーあそこ知ってんの? 本?」

「魔物図鑑です」

魔物図鑑には生息地も載っている。

勿論リゼルも全て覚えている訳ではなく、良く依頼に出て来る魔物や迷宮ごとの固有種ぐらいしか把握はしていない。しかしそこに該当しなければ、まず関係する依頼は出ていないと思って良いだろう。

「アスタルニアには簡単な迷宮紹介の本があったんですけど、王都って無いんですよね」

「需要がねぇだろ」

「むしろ何でアスタルニアにはあったんスかね」

そうして三人は依頼を受けないままギルドを出て、馬車乗り場へと向かって行った。

混み合う馬車に乗り、乗車人数もどんどんと減る一時間と少し。そして途中下車して歩くこと三十分。リゼル達は目的の迷宮へと到着した。

「ここが“獣人贔屓”」

リゼルが門の形をした扉を見上げる。

石で出来た扉は三角形が二つ上に飛び出たような形をしている。特別変わった形という訳でもないのだが、事前情報を手に入れた今ではまるで動物の耳のように見えた。

「今日はイレヴンにたくさん頼るかもしれません」

「りょーかい」

パーティとして任された仕事はしっかりこなすイレヴンだ。楽し気に唇を吊り上げた姿にリゼルも笑みを向け、そして開かれた扉へと足を踏み入れる。

「ん?」

入った先は、迷宮として典型的な石造りの通路だった。それは良い。

足元には光を灯さない魔法陣。未攻略なのだからこれも問題は無い。

そしてすぐ目の前に二つ並んだ扉。入って直ぐ扉というのも特別珍しい訳ではない。これも別に良い。

「これ前来た時も見たな」

「初っ端から贔屓して貰えんの?」

扉の上に“唯人用”と“獣人用”というプレートが張り付けてあるのは初めてだ。

早速の洗礼かと三人は扉へと進む。見る限りは全く同じ扉が二つ、取り敢えず獣人用の扉の前に立った。

「あ、開いた」

「普通ですね」

触れずともキィと音を立てて開く扉に、イレヴンは中を覗き込む。

扉の先には通路がそのまま続いていた。隣の扉との間に仕切りなどもなく、どちらを潜ろうと変わらない。扉の意味とは。

「じゃあ俺ここ入って良い?」

「俺達は駄目なんでしょうか」

「迷宮だからな」

迷宮のルールは絶対だ。抜け穴はあってもズルは出来ない。

リゼルはジルの言葉に納得し、素直に唯人用の扉へと向かった。既に向こう側へと向かったイレヴンが戯れに扉をノックしている音を聞きながら、扉の前に立つこと数秒。

「開かないですね」

「開かねぇな」

イレヴンはスッと入って行ったというのに何が足りないのだろうか。

コンココンと響くノックの音を聞きながらリゼルがそんなことを考えている間に、ふとジルが扉へと手を伸ばした。掌を扉へと押し当て、そしてグッと押す。

「俺達は手動なんですね」

「は、何? リーダーんとこ勝手に開かねぇの?」

ゆっくりと開いていく扉の向こう側からイレヴンの声が聞こえる。

しかもジルがパッと開けないという事はそれなりに重いのでは無いだろうか。開いていく扉を眺め、そろそろ通ろうかと足を踏み出しかけた時のことだ。

ガンッと鈍い音と共に開きかけた扉が止まった。

「俺はこの時点で帰った」

「成程」

絶妙な建て付けの悪さ。獣人用との格差が物凄い。

「これ以上ムリ?」

「あぁ」

向こう側から手をかけ引いてみるイレヴン曰く、何かが引っかかっている訳では無いそうだ。ならばこのまま通れという事だろう。

「行けるでしょうか……あ、行けそうです」

身体を潜りこませるように横向きになりながら、リゼルはもぞもぞと開いた隙間を通り抜ける。扉と頭の間に手を挟んでくれたジルに礼を言いながら、無事向こう側へと着いた。

「ジル、通れそうですか?」

「……ギリギリだな」

「ニィサン微妙くせぇなァ」

空気を読むことに定評のある迷宮なので、恐らくどうやっても無理という事はないだろう。

しかし相当ギリギリのラインを見極めてきそうだ。ジルはそう結論付けて身に着けていた大剣を外す。

「持ってろ」

「はい」

「手は離しとけ、挟む」

扉を押さえるリゼルの手を外させ、剣を持たせる。

そして扉の隙間へと体を捻じ込んだ。想像通りぎりぎりだ。

「痛ッて……肩ひっかかんな」

「ニィサンがんばれー」

「ボタン千切れそうですね」

「あ、ベルト引っかかってる」

耐久性が飛びぬけた最上級装備なので実際に千切れたり破れたりはしない筈だ。

リゼルとイレヴンが遠慮なく引っかかっている服やベルトをぐいぐいと引っ張った。絶賛肩がハマり中のジルはやや痛かったが我慢する。

扉はギシギシと音を立てる癖に一ミリたりとも隙間を広げず、ジルは最終的に力づくで通り抜けた。

「装備じゃなきゃ破れてんぞ」

「一階にしては悪質ですよね」

「脱ぐのが正解なんじゃねぇの?」

盛大によれた襟元や、ずれきったベルトを直しながら疲れたように言うジルは、脱いでたまるかと舌打ちを零す。そんな事態になれば帰ること必至だろう。

「良し、じゃあ行きましょう」

「最悪の歓迎受けといて楽しそうだな」

「まぁリーダーだし」

そして三人は意気揚々と、あるいは既に疲れたように、はたまたケラケラと笑いながら“獣人贔屓の迷宮”の攻略を始めた。

一階層目。

壁に貼り付けられたプレートに“獣人には敬意を払え”と書いてあった。

「イレヴン様、疲れませんか?」

「様!?」

「おい、そこに罠あんぞ」

「いや分かるし……ッつーかすっげぇ楽しそう! 顔!」

二階層目。

壁に貼り付けられたプレートに“獣人に重いものを持たせるな”と書いてあった。

「重い物……剣でしょうか」

「これ取られっと戦えねぇんスけど」

「てめぇ何も持ってねぇな」

「なんか理不尽なこと言われた」

「空間魔法持ちだとしょうがないですよね」

三階層目。

壁に貼り付けられたプレートに“獣人に戦わせるな”と書いてあった。

「リーダー後ろ、あ、横横ッ。ほやっとしてないで銃、あ、違ぇってそっち先じゃ」

「うるせぇ」

「見てるだけってすっげぇ手ぇ出したくなる!」

四階層目。

壁に貼り付けられたプレートに“唯人は一言ごとに同行している獣人を褒めよ”と書いてあった。

「ここ、右に行きましょうか。イレヴンは良い子ですね」

「何か居んぞ。毛が長ぇ」

「まだ浅いし、大丈夫でしょう。綺麗な髪です」

「準備はしとけよ。凄ぇ赤いしな」

「居た堪れねぇー……つーかニィサンのは褒めてんの?」

五階層目。

壁に貼り付けられたプレートに“獣人こそ至高”と書いてあった。

「?」

「?」

「?」

六階層目。

「お、暗い」

点々と灯りは存在するものの、酷く間隔の開いたそれらがカバーできる範囲は狭い。わざと光が広がらないようにしているのでは無いかと思わせるほど限定的に照らしている。

必然、足元すら覚束ない闇が広がった。今までは階の始めにあったプレートも無く、ようやく迷宮としての浅層を抜けたようだ。

「獣人向き……というより、イレヴン向きなんでしょうか」

「今までも特に獣人向きでも無かっただろ」

「すっげぇ疲れた」

世の中にはされて嬉しい贔屓と心底遠慮したい贔屓がある、とイレヴンは今日学んだ。ここまでは全力で後者だった。獣人冒険者にウケが悪いのも納得だろう。

リゼル達はイレヴンを先頭に、先の見通せない通路を歩き出す。

「なァんか前にも似たようなトコ無かった?」

「ありましたね、“制限される玩具箱”」

「あそこは魔物出なかったけどな」

「居ますか?」

「居そー」

そして三人は暗闇で落とし穴に落ちかけたり、突然現れる魔物にビクッとしたり、味方を誤射したりしながらも階層を突破した。

七階層目。

段差などの上下移動が多い、迷路に似た階層だった。

「段差がきついですね」

「獣人はこういうとこ動けんだよ」

「リーダーだいじょぶ?」

「君たちのその、手をついてひょいって上るのはどうやるんです?」

「(どうやって?)や、普通に……」

「(どうやって……)慣れ」

八階層目。

魔物が多い階層かつ、それらが全てリゼルかジルに来た。

「ハブられてる感ハンパねぇ!」

「イレヴンが凄く追いかけてますね」

「向かって来ねぇと斬り辛ぇんだよな」

九階層目。

「そういえば、獣系が出ませんね」

「魔物か」

「はい」

まるで木の根が張り巡らされたような通路を、足元に注意しながら三人は進んでいた。

時折ポツリと咲いている花の香りが、通り過ぎる度にふわりと香る。迷路というと獣人はむしろ苦手な者が多いのだが、香りを導にしろという事なのだろう。

イレヴンの先導で花の香りを辿っていれば、未だ行き止まりには遭遇しない。正解の道を選べているようだ。

「ウルフとか、そういうのが出ると思ってたんですけど」

「出て贔屓されても面倒だろ」

「ここ“獣人贔屓”ですけどー。“獣贔屓”じゃねぇんスけどー」

露骨に不満を押し出すイレヴンに、ジルは素知らぬ顔で太い根を跨ぐ。

ちらりとリゼルを見れば、よいしょと聞こえそうな動きで根に乗って降りていた。ふらつかないだけ成長はしているのだろう、足場の悪い場所の歩き方を覚えてきたようだ。

「似たようなモンじゃねぇか」

「あーニィサン獣人ぜーいん敵に回したー」

戯れるような口調に、リゼルはぱちりと目を瞬かせてジル達を見た。

唯人と獣人の差異など日常生活で誰も意識しない。それはリゼルの元の世界でも同じで、両者間で呼び名以外の区別など特に無い。しかし、学問として獣人の起源を研究している者は居た。

勿論ただ獣扱いが嫌なだけだろう。だが、少し気になった。

「以前こちらで読んだ本で、獣人は大昔に獣だった説があったんですけど」

「マジすか、初耳」

「やっぱり違うんですね」

壁を覆う蔓に擬態していた魔物からリゼルへ伸ばされた蔓を、ジルが斬り捨てた。

ズルリと植物が蠢く。それらが完全に擬態を解く前に大剣が壁へと縫い留め、息の根を止めた。

「んー、違うっつうか……そういうの気にした事ねぇしなァ」

唯人でも自分達の起源など気にしない者が大半だ。獣人も似たようなものなのだろう。

何時の間にか抜いていた剣をくるりと手の中で回し、イレヴンはスンッと鼻を鳴らす。そして微かな香りを辿るように歩みを再開させた。

「お前んとこは」

「俺の所はほぼ確定、ですね」

それが此方の世界でも正解かは分からないが。

ジルは納得し、そしてふと思い出した。まだ故郷の村に居た時、母親が寝物語に話してくれた事がある。

「そういや一番メジャーなのあんだろ。どっかの島国の話」

「ん、どれでしょう。聞いたことないかもしれません」

「俺も」

「てめぇは何で知らねぇんだよ」

俺の所為じゃねぇし、とブツブツ言うイレヴンをリゼルが慰めているのを眺めながら、ジルは話の大筋を思い出していく。所々曖昧だが、意外と覚えているのが密かに驚きだ。

「確かどっかの島国が唯人限定の病で存亡危機、人と獣を融合させて乗り切った。そんな感じだったな」

本来はもっと不思議な雰囲気の物語なのだが、ジルは大分はしょった。

「なら、今居る獣人はその方達の子孫なんでしょうか」

「これが本当ならな」

「どっかに獣人だらけの島とかあるっつうこと?」

「そうなると一気に信憑性が増しますね」

そんな島が見つかっていないからこそ、この説も寝物語の域を出ないのだろう。

なかなかロマンのある話だと思いながら、リゼルは幾つ目かの花の前を通り過ぎる。純白の花は仄かに光り、いまにも蜜が滴りそうなほど瑞々しい。

「リーダーんトコも一緒?」

「いえ、うちの有力説はもっとこう……朗らかです」

「あ?」

「朗らか?」

おおよそ話の流れで出て来そうになかった単語に、ジル達は訝し気にリゼルを見た。

ズルリ、と足元の根が這いずる。イレヴンが蹴り潰すように靴に仕込んだナイフを叩き込めば、根はビクリと跳ねて通路の奥へと引き摺り込まれていった。

「あ、やべ。トレントかも」

「バグり過ぎだろ」

トレントという樹木型の魔物は、個体差が激しいものの攻略難度が一律に高い。

この迷宮が全部で何階層なのかは分からないが、流石に深層級の魔物はまだ出ない筈だ。ジルの言う通りバグりまくっているか、あるいは 鎧王鮫(オリハルコンシャーク) のようにイレギュラーな魔物なのか。

「どうですか?」

「……何とも言えねぇな」

「あいつら匂い無ぇからなァ」

数秒立ち止まり、様子を見る。

罠の気配は無い。今は進むしかないだろうと、三人は再び歩き出した。

「で?」

「ん?」

「朗らか」

低い声に促され、リゼルはあぁと頷いた。

初めて獣人の起源に関する話を聞いたのは、敬愛する国王の兄からだった。彼は口調に反して決して女性的ではなく、しかし淑やかな仕草で優雅にアフタヌーンティーを嗜みながら教えてくれた。

「昔々のとある国に、魔術に長けた人望の篤い国王がいたそうです」

「そいつが胡散臭い」

「朗らかっつってんじゃねぇか」

早速あらぬ黒幕説をかけにかかるイレヴンにリゼルはほのほのと微笑み、ふと何かが動いたような壁の蔓へと視線を向ける。気のせいだった。

「まるで奇跡だと称される程の魔術師は、ある日とある魔術を思いつきました」

ふわりとリゼルの隣に浮かぶ銃が浮き、反対隣へと宙を滑るように移動する。

「それは、国民全員に加護を与える魔術。まだ古代言語が使われていたような時代です、今は失われた神秘の術で奇跡の王はそれを実現しようとしたのでしょう」

それは、些細な加護だったという。

失せ物がすぐに見つかるような、料理が少し美味しく作れるような、大切な人の旅の幸先が良いものでありますようにと祈る気持ちが届いたり、そんな小さな奇跡だ。しかし王はそれこそを願い、そして国民もそれを望んだ。

「祈る先に加護が届くというなら、王にこそ幸せが訪れるようにと」

ふぅん、と話を聞いていたイレヴンが十字路の手前で立ち止まる。

今のところ獣人とは何も関係のない話に聞こえるが、どう繋がっていくのか。小難しい話に興味は無いがそこだけは気になるようだ。

「ここまでが、十年前に見つかった石碑に刻まれていたものです。王の行いを讃えるために残されたものらしいですよ」

「凄ぇ最近じゃねぇか」

「でしょう?」

ふいにイレヴンがしゃがんだ。

何かに備えたというよりは何かを見つけたようなしゃがみ方に、罠でもあったのかとリゼルはその手元を覗き込んだ。

「どうしました?」

「ん」

隣にしゃがめば、見ているのが床を這う根である事に気付く。

ちょい、と指先で示されるままに視線を向ければ、乾燥し脆くなった根の表皮が削れているのが見えた。手前から奥へ、幾つもの根に渡り縄を擦ったような跡が残る。

「さっきの、トレントかもしれない?」

「ちょいちょい跡は見つけてたんスよ。それと一緒」

「香りは?」

「あっち」

そう言ってイレヴンが指を指したのは、痕跡が続く通路の奥だった。

リゼルは頬に落ちる髪を耳にかけながら立ち上がり、そしてどうしようかとジルを見る。それは進むかどうかではない。

そちらが進路だというなら進むしかないのだから、問題は別にある。もし本当にトレントが居たとして、戦うか戦わないかだ。

「見て決める」

「イレヴン」

「俺も」

行儀悪く股を開いて座っていたイレヴンも立ち上がり、三人は迂回の選択肢を取らず歩き出した。

「トレントってそんなに個体差があるんですか?」

「外見も性能も全ッ然」

「あそこまで根ぇ伸ばせんなら相当でけぇかもな」

根の長さは攻撃範囲に、太さは力強さに、本数は手数に直結するのがトレントだ。

リゼルも何体か見た事があるが、まだ樹の種別程度の違いしか見た事が無い。どの個体も定置型。よほど近付かなければ攻撃して来ず、しかし一度敵対すれば猛攻を受ける。

ただでさえ深層級の魔物が、更にイレギュラーな魔物だとすれば相当強化されるだろう。攻略を重視するならば戦わない方が無難か。

「で、リーダー石碑が何て?」

「あ、そうでした」

促され、思考に耽っていたリゼルは自らに向けられた視線へ微笑み返す。

強敵を前にして普段通りの二人は流石としか言いようが無い。取れるだけの対策を取ろうとしてしまう自分とは大違いで、その泰然とした姿勢は尊敬してしまう。

「今んトコ全然獣人出ねぇんスけど」

「これからです、これから」

可笑しそうに笑い、さてどう説明したら良いかと口を開いた。

「元々その石碑を見つけたのは、獣人研究の第一人者でした。長年の研究によって獣人発祥の地が今は亡き王国だと提唱し、そして調査によって実際に石碑が見つかったことで色々な説が飛び出したそうですよ」

「獣人のこと書いてねぇのに?」

「学者はそういうものなんです」

実際は石の年代だったり、当の学者の研究内容に関連付けたりと、王兄は色々と説明してくれたがリゼルも専門分野では無いので人に説明できるほど深く理解している訳ではない。分かりやすい方が良いだろうと堂々たる学者差別で済ませた。

「善良な国王が気狂いになって、その魔術で国民を獣人にした。あるいはジルが教えてくれたように、獣人にならなければ生き残れない何かが起きた。石碑が発見されてから、この二つの説が主流だったかな」

「朗らかさの欠片もねぇな」

「むしろ鬼気迫ってんスけど」

思い出すようにほの暗い天井に視線を向けるリゼルに、ジル達は思わず突っ込んだ。最初のまるで神話のような柔らかな語り口はどこに行ったのか。

「いえ、勿論違いますよ」

何処か誇らしげに否定する笑みに、ふと二人は気付いた。

その笑みには見覚えがあった。甘く穏やかな色を増す瞳と、微かに無防備に緩む口元は、唯一人の人物を語る時に現れる。

「俺が此方に来る半年ぐらい前でしょうか。石碑の話を聞いた陛下が観光気分で見に行って、石碑の下に隠されてた亡き王の日記を見つけて、真相を解明させました」

「早い早い早い展開が早い」

「お前んとこはいい加減自重を覚えろ」

奇跡の使い手と呼ばれた古の王が厳重に隠した日記だが、リゼルの王は見つけた。そして躊躇しなかった。周囲で調査中だった学者らの目の前で石碑の裏に回り、残る隠蔽魔術をはぎ取り、遠慮なく石碑を破壊して日記を取り出し、唖然としている周りの目の前でパラパラと日記を捲り、鼻で笑い、そしてそれを学者に放って普通に帰って行ったという。

「へーか強ぇー」

「今でも後ろ側が壊された石碑が残ってますよ」

「学者にキレられねぇの」

「ちょっとキレられました」

全破壊じゃないだけ加減したのだろうし、結果オーライで良いじゃないかとリゼルは思っている。後々賠償代わりに研究支援は申し入れたが。

「で、真相って?」

「亡き王は、とても動物好きだったようです」

「あ?」

床が根に覆われた通路を、罠がありそうだと注意しながら三人は進む。

こういう場所には落とし穴がある事が多いからだ。踏み込んだ先に床が無かった、などという恐怖体験は遠慮したい。

「色々飼っていて、それはもう溺愛というほどの可愛がりようが日記には残されていました」

「思ったよかプライベート」

「公開処刑じゃねぇか」

「本人死んでるだけマシなんスかね」

まさか本人も後世になって自らの日記が暴かれているとは思わないだろう。

とはいえ日記というのは簡単に捨てられるものでもない。名残惜しく思った末の自分以外解けない魔術での封印だったのかもしれないが、そんな奇跡の魔術師の恥じらいは我が道を行く元ヤン国王によって容赦なく晒された。

「おい」

「ん、有難うございます」

ふいにジルが歩を緩めないまま、床をちょいっと指す。

リゼルも端に避けて通り過ぎざまに見れば、根と根の隙間にあるべき床が無かった。耳を澄ませば、その底から微かに吹きあがる風が根を通り抜ける音が低く小さく聞こえた。

「ここでようやく奇跡の魔術に戻るんですが」

落ちたら何処に続いているんだろう、なんて考えながらリゼルは続ける。

「ついに加護の魔術を完成させた王がいざ魔術を発動しようとした時、絶賛集団脱走中のペットたちが堂々と目の前を横切って」

「……」

「待って」

「三度見した瞬間に魔術が発動して」

「……」

「リーダー待って」

「小さな幸福を運ぶ加護は、獣の加護となって国民を獣人に変えてしまいました」

こいつ凄ぇな、という目で見て来るジルに関してはリゼルとしても遺憾である。自分がやらかした訳では無いのだから、そんな目で見ないで欲しい。

そしてイレヴンは笑えば良いのか引けば良いのか分からず、口元を引き攣らせていた。別の世界のことではあるが獣人として出自に思う所があるのだろう。

「日記には何故三度見してしまったのかという後悔と、国民への懺悔、そして何故ペットの檻がフルオープンしてしまったのかと嘆く言葉が綴られていたそうです」

私的な日記だけあってかなりの嘆きっぷりだったらしいが、リゼルは見せて貰っていないので分からない。

元教え子曰く、全国民一人一人への土下座の準備は着々と済ませていたようだ。どうやら周囲には止められていたらしく、実行されたのかは分からないがちょっと気になる。

「その所為で滅んだとか言わねぇだろうな」

「言いませんよ」

嫌そうに言うジルにリゼルは可笑しそうに笑った。

「形は違えど加護は正しく加護。国民は王への感謝と共にそれを受け入れ、そして王も深く民を愛し、変わらず国を支え続けたそうです」

日記のくだりさえ無ければ美談で済んだだろうに、何故こうなったのか。

ジル達は一瞬そう考えたがすぐに思考を放棄した。恐らく考えるだけ仕方のない事なのだろう。

当のリゼルが特別なことは何も無いと言わんばかりに微笑んでいるのが何とも言えない。

「ほら、朗らかでしょう」

「むしろ盛大にやらかした感があんスけど」

「え?」

思わず突っ込んだイレヴンにリゼルが不思議そうな目を向けた直後、先頭を歩いていたジルの足が止まった。その原因に気付いていたのだろう、イレヴンも承知したように立ち止まる。

「いるな」

声を潜めることなく、ジルが呟く。トレントは聴覚がほぼ無く、地面の振動などで相手の位置を知る。

「トレントですか?」

「ああ」

リゼルも前方へと目を凝らす。

先になるにつれ薄暗くなる通路の正面、どうやら広い空間へと繋がっているようだ。光源の少ないそこに、ズルリと何かが蠢く影が見えた。

大蛇が這うように、幾重にも重なる影がズルリズルリと波打っている。

「げぇ、でかそ」

「でけぇだろ」

三人はゆっくりと影へと近付いていく。近付くにつれ、徐々に全貌が見えてきた。

空間は巨大な鳥かごのように、円形の広間を高い天井が覆っている。その中心にそびえる巨木こそが、イレギュラーな魔物であるトレントだった。

太い幹は近付けば視界に入り切らず、葉の無い枝は高い天井を突き破らんと伸びる。蠢く根は広間を埋め尽くさんばかりに伸び、低い雷鳴のような音をたて這いずり回っていた。

「これは……」

「うーわ……」

「……」

三人がそれを目の当たりにした感想は一つ。

「「「(怖い)」」」

歪で大きな裂け目が二つ、その中に詰まっているのは無数の目玉だった。人の頭ほどの大きさの目玉は今この瞬間くり抜いて来たばかりのように生々しく、ぎょろりと不規則に動き回っている。

そして、その二つが目だというなら口にあたる裂け目もあった。巨木を斬り倒そうとしたような根元の裂け目は横に広く、その中には無数の異形が、異形で巨大なイモムシがその身をくねらせて。

「スルーしましょう」

いくらリゼル達でも戦いたくない魔物ぐらいいる。誰も異論を唱えず、三人は次の階へと進んでいった。

十階層目。

壁に貼り付けられたプレートに“獣人こそ至高”と書いてあった。

「二回目ですね」

「バグッてんな」

「楽っちゃ楽」

十一階層目。

イレヴンは口元を引き攣らせ、一体何が起きたのかと“それ”を見下ろしていた。

この階層にたどり着き、直後起きた異変によりリゼルとジルの姿が消えた。咄嗟に振り返った先で目に入った“それ”に、思わず一瞬思考が止まった。

目に入ったのは、巨大な狼。

「……………………ニィサン?」

受け入れがたい現実に大分間が空きつつも、イレヴンは恐る恐る尋ねる。

ジルと同じ色をした瞳がイレヴンを見て、そして狼はフンッと鼻を鳴らした。四つ足の状態でもイレヴンの胸元まで頭が届く巨体は、立ち上がれば優に身長を超すだろう。

「何でこんなんなってんの? これ俺贔屓されてる?」

イレヴンはジル(狼)の前にしゃがみ、そしてピクリと動いた耳を軽く引っ張る。鼻の上に皺を寄せて唸られた。

「つうか良いよニィサンのオオカミは。ウルフ系の魔物とかいるし。何つーか、違和感ねぇし? 良いよ? いや良くねぇけど。まぁ良いよ?」

まるで現実逃避するように早口に、そして心なしか必死にイレヴンは言葉を紡ぐ。

実際、逃避していた。一番に目に入ったのがジル(狼)なのがその証拠だ。それは、とある一点に気付かないフリをしたからに他ならない。

その時、ジル(狼)の鼻先がふと隣を向いた。それに合わせ、ぎしぎしとぎこちなく隣を見れば。

「リーダーのウサギぃ~~~~~~」

観念したように視線を向けた先には、もふちょこんと一羽の兎がお座りしていた。

イレヴンは今にも頭を抱えそうな嘆きっぷりで、そのもふっとした塊を見下ろす。ジル(狼)が大きいだけにリゼル(兎)がやけに小さく素朴に見えた。

「何でウサギになってんの!? 迷宮じゃねぇのここ!? 迷宮の! 床に! ウサギ! すっごい普通の! ウサギ!!!」

混乱によりテンションが可笑しくなっているイレヴンの前で、リゼル(兎)はただただ鼻をもひもひさせていた。

その目は何処を見ているのかも分からない。喜怒哀楽も映さない。伏せたまま動かずひたすらもひもひしている。

「ニィサンと並んでるとただの獲物でしかねぇんだけど! 怖! このサイズ差すっげぇ怖い!」

リゼル(兎)はもひもひしている。

「リーダー生きてる? や、聞いてる? もひもひじゃなくて。なぁって、リーダァー」

リゼル(兎)はイレヴンに指先でたれ耳とたれ耳の間をつんつんされた。しかしもひもひしている。

「………………これほんとにリーダー?」

だんだんと自信が無くなって来たイレヴンがジル(狼)を見れば、その凛々しい姿のままじっとリゼル(兎)を見ていた。時折ふんふんと鼻が動いている。食べそうで怖い。

「毛並みはリーダーだしなァ」

イレヴンは恐る恐る兎に手を伸ばし、そして持ち上げた。

脇を持たれた体は、ぷらんと後ろ脚を下ろしている。添えるように腕に触れたもふもふの両手から伸びた爪が食い込んで地味に痛い。

「意識ねぇ? ほんとにウサギになってる? 何か反応返せる?」

問いかけ、そしてイレヴンとジル(狼)が見守ること数秒。やはり完璧に兎になっているのかと判断をつけかけた時のことだった。

ぷらりと揺れる後ろ脚が、びょっびょっと宙を掻いた。

「……リーダー?」

びょっびょっ。

「ニィサン」

「…………ウォン」

露骨に渋々とした返答が返って来る。ジル(狼)はそのままのそりのそりとイレヴンへ近付き、その手に抱かれたリゼル(兎)へと覗き込むように鼻を近付けていた。

これは、やはりジルとリゼルで間違いは無い。しかし圧倒的に獣の割合が多い、あるいは些細な行動も獣の枠に当てはめられている。こちらの言葉は伝わっているようだが、リゼル達からのアクションは全て獣相応に変換されてしまう。

「まぁ、本人達に違和感は無いんだろうけど」

迷宮仕様ならその程度の空気は読んでくれるだろう。

イレヴンは色々諦め、リゼル(兎)の額へと鼻先を埋めた。もふもふと毛皮を満喫し、離す。

「リーダー一人で歩ける? 行ける?」

最悪、イレヴンが 二匹(ふたり) を守りながら戦わなければならない。

万が一を考え、もひもひしているリゼル(兎)を床に降ろしてみる。ちょこんと床の上に置かれたぬいぐるみのような体が、もそもそと動き始めた。

とっことっこと数歩進み、止まる。そして上体を持ち上げ振り返る姿に、イレヴンは力強く頷いた。

「取りあえず抱いてくわ」

リゼル(兎)は相変わらず一切の感情も見せずもひもひしている。

「俺が狩りで獲ってたウサギはもっとさァ、顔に似合わず狂暴っつーか……まぁらしいっちゃらしいけど。血統書付きの、飼いウサギ」

抱き上げたリゼル(兎)の耳をひらひらと指先で遊びながら、イレヴンが隣を歩き出したジル(狼)をちらりと見た。

「ニィサンの上とか乗らねぇかなー。つかニィサン前もイヌとかなってなかった?」

戯れで乗せてみれば、ジル(狼)のふさりとした尻尾がゆらりと一度揺れる。

滑らかに歩いているように見える狼の背は意外と揺れ、ずるりとリゼル(兎)の後ろ足が滑ると同時にジル(狼)が歩みを止めた。すかさずイレヴンも添えっぱなしにしていた手で持ち上げる。

「駄目かぁ……ニィサンちょっと唸んのやめて」

低く短く唸ったジル(狼)に、イレヴンは歩みを再開させながら一歩離れる。

何に対して苛立ったのかは分からないが、自分に対してだという事はイレヴンにも分かる。狼になったからと言って小突き回せるようになるほど、目の前の狼が弱そうには見えなかった。むしろ新種の狼系魔物に見える。しかもボス級。

「これ独り言みたいでヤなんだけど」

イレヴンはぶつぶつ言いながら、先程の階層とは違い歩きやすい通路を進んでいく。あの階だけ根や蔓に溢れていたのは、やはりトレントの影響だったのだろう。

一人と一匹は全く足音を響かせない。残る一匹は抱っこされてもひもひしている。

「お、分かれ道」

暫く歩くと、道が左右に分かれていた。

イレヴンは腕の中のリゼル(兎)を見下ろす。こういう時、選択権があるのはいつもリゼルだった。

「リーダー分かる? どっちが良い?」

イレヴンがリゼル(兎)を降ろし、一歩後ろに下がる。

まだ大した距離も歩いていないので、どちらが正しいなど分からないかもしれない。とはいえ、そういう時に選択するのもパーティリーダーの務めだ。

リゼル(兎)は一歩も動かずもひもひしている。色々考えているのだろうかとジル(狼)とイレヴンがその丸い尻尾を見下ろしていた時だった。

ターンッ

右後ろ脚を強く床へと叩きつけたリゼル(兎)に、イレヴンはビクッとしたしジル(狼)もビクッとした。

「リーダー何!? 怒った!? 何!? 具合悪い!? ごめんごめん何!?」

すかさずイレヴンが駆け寄り抱き上げ、ジル(狼)も窺うようにフンフンと鼻先をリゼル(兎)のものへ近付けている。

しかしリゼル(兎)からは何も読み取れない。変わらずもひもひとしている。

「怒ってはねぇのかなァ」

もひもひ、フンフンと鼻を突き合わせている二匹を見下ろし、イレヴンは安堵したように肩の力を抜いた。怒っていれば流石に兎といえど態度に出るだろうし、考えてみればリゼルが怒る理由も見当たらない。

「ニィサン?」

ふいにジル(狼)が前脚を片方持ち上げ、イレヴンの腕へ置いた。

お手では無い。若干爪を立てるように引き摺り下ろそうとする力は、リゼル(兎)を降ろせと告げているのだろう。

「降ろす? ってこと? ハイハイ」

イレヴンがリゼル(兎)を床に降ろす。するとリゼル(兎)がとっことっこと移動を始めた。

向かう先は分かれ道の右側。先程床に叩きつけた方の脚と同じだ。

「あ、右って言いたかったのね」

数歩歩み、動きを止め、此方を振り返りもひもひと鼻を動かしているリゼル(兎)を抱き上げようとイレヴンが足を踏み出した時だった。

スッとジル(狼)が先行する。そしてリゼル(兎)の隣に立ち、通路の先を見据えた。

視線は正面から外さぬままゆっくりと頭を下げ、低く唸る。まだ上体は伏せない。

「何か来る?」

イレヴンは双剣の内の一本を抜き、二匹の前へと立った。

そこでようやく、何かが此方に近付いている事に気付く。元々唯人の癖に何故か異様に気配に聡いジルだ、狼になった事でより感覚が鋭敏になっているのだろう。リゼル(兎)に関しては気付いているのかいないのか分からないので置いておく。

「ニィサンは放っときゃ良いけど、リーダーどうすっかなァ。抱きながらでも良いけど」

とはいえ、迷宮も難易度が上がる頃だろう。

まだ余裕があるとはいえ、万が一が無いとは限らない。何せバグることに定評のある迷宮だ、先のトレントといい油断は出来なかった。

ただの狼に無茶ぶりするな、というようにジル(狼)が不満げに鳴いたがイレヴンは軽く流した。

「リーダーどう」

する、と言葉は続かなかった。

振り返った先で、丸い尻尾がジル(狼)の前脚の間でもそもそと動いている。それに気付きお座りの体勢をとったジルの下でもぞもぞと体を反転させ、我が巣穴だと言わんばかりに堂々と収まった。

「……それでリーダーが良いなら良いけど」

うん、とイレヴンが頷く。いざという時はジル(狼)がどうにかするだろう。

そろそろしっかりと聞こえて来た魔物の足音にイレヴンは双剣を構え、ジル(狼)はパシンと尾で床を叩いた。リゼル(兎)はもひもひしている。

「メイル系かァ」

聞こえるのは、ガシャンガシャンと鎧が地を踏む音。イレヴンは嫌そうに呟いた。

毒も効かない、断つべき筋もない、動きは遅いがとにかく硬い。相性が最悪で、苦戦するとは言わないものの酷く面倒くさい相手だ。

「こういうのニィサン得意なのに」

苦手という苦手も無いのだろうが、と今や狼になっている男を恨みがましく見る。

ピッと立った耳は前を向きながら、その鼻先は脚の間に収まるリゼル(兎)へと向けられていた。もふりとくつろぎ体勢をとっている相手に呆れているのか何なのか。当然ながら視線はスルーされた。

「はァー、頑張ろ」

イレヴンは肩を落とすようにブラリと双剣を下ろし、そして次の瞬間には目視できる程に近付いた白銀の甲冑へと駆け出した。

メイル系というのは、動く鎧の魔物の総称だ。

鎧にも色々あり、お国柄が出たり階級が出たりする。冒険者ギルドが認めた最上位のものは 将軍(ジェネラル) 級と呼ばれており、ある迷宮のボスでの出現が確認されていたりもする。

「関節に、鎖帷子、仕込むなっつうの!」

キュンッと金属と金属が鋭く擦れる音と共に、鎧の肘から先が音を立てて床へと落ちた。

メイル系としては中位だろう。しかし動けない程度にバラバラにしなければならず、それらはイレヴンの腕力と技量を以ってして初めて一撃で断ち切れる。

それを何体も相手に、一人で行わなければならないのだから階層に比べて難易度は高いだろう。

「俺ヒーキされんじゃねぇの!? 全ッ然されねぇし! 逆だろコレ!」

鎧の頭を蹴り落とし、何処からか取り出した魔石を放る。

それはポカリと口を開けた鎧の中へと入り込み、そしてカンッと何かに当たる音がした。直後、飛び退ったイレヴンの前で内側から破裂する。

「リーダーとニィサン攻撃されねぇし! 別に良いよコレは! 守らなくて済むし楽だし!」

そしてその姿を眺めるリゼル(兎)とジル(狼)に剣を振り上げる鎧はいなかった。

廊下に響く爆発音にジル(狼)は微かに鼻の頭に皺を寄せ、リゼル(兎)は心なしか垂れ耳を下げてもひもひしている。

「でもそれ! おいてめぇ近寄んじゃねぇよ! それ!」

そんな二匹の前に、鎧が一匹近付いた。

先程から見受けられる光景だ。最初は唸っていたジル(狼)だが、今は警戒のみで特に反応はしない。イレヴンが思うに、最初からジル(狼)は警戒していても敵意は向けなかった。

そして鎧が二匹の前に膝をつき、ごそりと鎧の中に手を入れ、そっと何かをリゼル(兎)の前に置く。

「勝手に食いモンやんじゃねぇ雑ァ魚!!」

それは、小さな木の実だった。

もそもそと木の実へ身を乗り出そうとするリゼル(兎)を、ジル(狼)の前脚が器用に引き留める。不満そうに身じろげば、ジル(狼)がその後ろ首をやわく噛んで持ち上げた。

そのままのそのそと壁際へと移動していく二匹の後ろでイレヴンが鎧の金具を蹴り付け、更に固定するベルトを斬り付ける。

「ここ獣人贔屓じゃない! 獣贔屓! さっき獣と獣人が違ぇって散ッ々話した後じゃねぇか空気読め!」

思い切り剣の底を叩きつければ、グシャリと空の鎧が崩れ落ちた。

「つうか獣と獣人ごっちゃにすんならちゃんと俺を贔屓しろよ!」

壁際についたジル(狼)が、リゼル(兎)を床に降ろす。

そして先程と同じように、覆いかぶさるように自らも座った。リゼル(兎)がもそもそと向きを直しているのを確認し、そして二匹は着々と鎧をせん滅していくイレヴンを眺める。

「あー、疲れた」

そして行き場のない怒りを発散させ、多少はスッキリしたイレヴンに抱き上げられたリゼル(兎)が、実は精一杯労おうとしたが相変わらずもひもひするしか出来なかったことは残念ながら伝わりはしなかった。

十二階層目。

ようやく人に戻ったかと喜々として振り返ったイレヴンの目の前に、いつか見た幼いリゼルと、思春期真っ最中な年頃の少年なジルがいた。

「もうムリ帰る」

帰った。