軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

144:リベンジは成功した

これは夢だ、と気付く瞬間がある。

思考がクリアになり、自らの意思を以って四肢を動かす感覚。視点は俯瞰と目線を彷徨い、じき瞳を通して物を見るようになる。

リゼルはゆっくりと一つ瞬き、そしてそんな些細な動作も意図して行えた事に感心しながら周囲を見回した。

「此処は……」

零した声は微かに遅れて聞こえたような、水面を隔てたかのような僅かに反響したような音をしていた。

一歩踏み出してみれば靴音も同じく。静寂を孕む空間で、どこか優しく零れ落ちる。

そして改めて観察する様に周囲を見渡せば、広がるのは王都に似た街並みだった。

「(ハリボテ?)」

酷く整然と並ぶ家々に近付いてみると、それは全て精密すぎるハリボテだと分かる。

触れれば表面は艶やかで、陶器のような手触りをしていた。それぞれの色を縁取るように微かな凹凸があるのみで、しかし精巧なそれは近くで見なければとても分からない。

素晴らしい、と一つ頷き空を見上げる。

「(夜)」

広がるのは雲一つない夜空、なのだろう。

細い細い金の糸で吊られている星が、無数に吊られ遠く煌いていた。時折光を反射するのが流れ星のように美しく、その星の正体に思いを馳せる。

ならばと地を見下ろせば、陶器を砕いて敷き詰めたような人工的な茶色。こちらも星の煌きを映すようにちらちらと光っていた。

まるで、ビスクドールの世界に迷い込んだかのような幻想的な光景。

リゼルはこの光景に心当たりがあった。今まで一度たりとも同じ光景を見た事が無い、聞いた事もない。しかし分かる。

この細部にまで手を抜かない圧倒的なまでの凝り方は、まるで。

「迷宮」

パタン

何処からか、音がした。

同時にリゼルは気付く。気付いてしまったことに、気付く。

パタン、パタン、パタン

音は徐々に近づいて来る。咄嗟に近くの路地へと駆けた。

街並みはハリボテとはいえ、一本道という訳では無い。広い通りに目を凝らせば、時折ハリボテが直角に折れ曲がり十字路を作っているのが分かる。

その内の一つにリゼルは隠れ、そして静寂に響く微かな音の方角を覗き込んだ。

パタン、パタン、パタン

まるで紙のように折りたたまれたレールを広げながら、それは姿を現した。

丸みを帯びたトロッコはハリボテと同じく陶器か鉄か。その上に浮かぶ三つの骸骨の頭はヤギのような角が伸び、周囲を見渡すように揺れている。

その白い頭からはヴェールのように黒い布が垂れているが、有る筈の体は無い。四本指をもった骸骨の手だけがヴェールの手前で浮いていた。

「(武器……魔物かな)」

その手が握る銀の弓を確認し、リゼルは覗き込んだ頭を引っ込めた。

「(迷宮なら魔物が出るのも当然だけど)」

夢なのだから迷宮だと気付かなければ、あるいは違ったのかもしれない。

しかし見た事のない魔物を夢の中に登場させるなど、自分も随分と想像豊かなことだ。そんな事を思いながら足音を極力たてないようにその場を離れる。

パタン、パタン、パタン

音は徐々に小さくなっていく。

何処かで横道に逸れたのだろう。試してみたら出す事が出来た 魔銃(ライフル) を常の迷宮のように頭の隣で泳がせながら、リゼルはこれからどうしようかと歩を緩める。

ぱたん

目前で聞こえた音に、振り返りかけた首を押し留め咄嗟に前を向く。

目前にポツリとある美しいトロッコ、三つの骸骨頭は全てこちらを向いていた。その四本指が弓を持ち上げ、そして弦が軋む音をさせながら指を引いている。

「!」

咄嗟に伏せたリゼルの真上を三本の矢が通り過ぎた。

常日頃ジルから“飛び道具見たらとりあえず伏せとけば何とかなる、当たったら運が悪いと思え”と言われ、実際罠相手に何度か頭を押され伏せさせられた経験が生きた。嬉しい。

「(とりあえず一匹)」

リゼルは風を切る鋭い音を聞きながら、魔銃を連射する。魔力の衝突の衝撃に骸骨頭が弾かれたように揺れ、そして撃ち込まれるそれらについに破裂し割れた骨を撒き散らした。

「(硬いなぁ)」

リゼルは地に付いていた両手に力を込める。

直後、トロッコの眼前に土の壁が現れた。再び矢をつがえていた二匹の視界を覆った壁を確認することなく、リゼルは立ち上がり踵を返す。

ここは逃げるが勝ちだ。迷宮の深層、あるいはその一歩手前、そのレベルの魔物を相手に一人で立ち回れる気がしない。

「(通用するかは、分からないけど)」

突如目の前に現れたことを思い、一人苦笑する。

そう、夢なのだから。何があろうと不思議ではない。

「ッ」

魔物の視界から消えようとしたリゼルの足を矢が切り裂きながら、痛みがない事も。

しかし肉を抉った感触はある。嫌な感じだなと、痛みがないのを今は好都合に思いながら走った。そして見えた十字路の道を曲がり、視線だけで周囲を確認してハリボテの家へともたれる。

ゆっくりと息を吐いた。

「…………」

目を伏せ、数秒。

何の音も追いかけては来ない。トロッコの姿も何処にも無い。元々、逃げた冒険者を執拗に追いかける魔物の方が珍しいのだ。一度隠れるのに成功すれば、逃げ切れたと思って良い。

「(痛くない)」

足元を見下ろせば、冒険者装備であるズボンが切り裂かれていた。

多少の斬撃ならば通さない装備としての性能はほとんど失われているようだ。もしくは今まで装備を身に着けていると意識していなかった為か。

身を屈め、裂けたズボンをぺらりとめくる。

「(血が出てないと思ったら、こうかぁ)」

露わになった傷口は、その内側を晒すことなく黒を覗かせていた。まるで空間魔法を覗き込んだかのようだ。

その漆黒は夜空の星のようにキラキラと細かな光を孕み、その煌きが血液の代わりというように零れ落ちている。ちょん、と傷口に触れれば微かに指先が沈んだ。怖い。

「ふぅ」

気分を入れ替えるように吐息を零し、身を起こす。

これからどうすれば良いのか、と空を見上げた。先程から目を覚まそうとしているが、どうにも上手くいかない。

「(攻略か、死亡かな)」

迷宮の規模は分からないが、恐らく攻略は厳しい。

だが出来るだけ頑張ってみよう、とリゼルは内心で気合を込めた。何せ自身は冒険者、迷宮を見つけたなら攻略に励まねば。

いつもの癖で頬に触れる髪を耳にかけ、そしてピアスをなぞる。浮かぶ魔銃が二つに増えた。これ以上は短時間ならまだしも、出しっぱなしにしては疲れてしまう。

「よし」

一人呟き、リゼルは歩き出した。

差し込む朝日に促されるように、ぱちりと目を覚ます。

夢の名残に引き摺られ、一瞬自身が何をしていたのか分からなくなる。知らず力が籠っていた肩の力を抜き、持ち上げた手へとゆっくりと視線を向けた。

ゆるゆると指を曲げ伸ばしし、ぱたりとシーツへ落とす。そして上体を起こし自身の身体を見下ろせば、当然ベッドに入った時のままの恰好をしていた。

「入るぞ」

起きている事を察してだろう。

ふいにドアがノックされ、返事を待たず開かれた。姿を現したジルが此方を見て、ふと微かに眉を寄せた。

「どうした」

近付いて来る姿を何となく眺めていれば、ジルは更に怪訝の色を濃くする。

その手が伸ばされ、指先が前髪をくぐる。なぞる様に指先が滑った額を大きな掌が覆った。

瞳まで覆おうとするそれに目を伏せ、やや冷たい温度を堪能する。二人とも何も言わないまま数秒、静かに離れて行った掌にリゼルはスッと伏せていた視線を持ち上げた。

「何て言うか」

零れた声は、寝起きらしく少し掠れていた。

「疲れました」

「あ?」

ようやく迷宮から帰って来たのに、現実ではこれから一日が始まるのだ。

現実味が溢れる夢の弊害か。何となく“良し一日頑張るぞ”という気にはなれず、ゆるい苦笑を零したリゼルをジルは訳が分からないという目で見下ろしていた。

「それ、“夢渡りの迷宮”じゃねぇスか」

「え?」

今日は元々、何か依頼を受けようと予定していた日だ。

夢で疲れたとはいえ、現実で体を酷使した訳でもない。リゼルは予定通りジルとイレヴンとギルドを訪れ、迷宮に関係のない依頼を受け、無事達成してギルドへと戻って来た所だった。

珍しいものを見たかのように言ったイレヴンに、リゼルもぱちりと目を瞬かせる。

「最近王都では聞きませんでしたが」

依頼の終了手続きの手を止めないまま、受付カウンターの向こうに座るスタッドがちらりとリゼルを見た。

「だから今日は迷宮嫌だっつったのか」

「さっすがリーダー。引きが強ぇっつうか何つーか」

全て心得たように話す三人に、リゼルは夢の光景を思い出す。

夢の割に鮮明に思い出せる迷宮。自分の想像力もなかなかだなと思っていたが、ただの夢ではなかったようだ。

あれは、正真正銘の迷宮だったらしい。

「有名な迷宮なんですか?」

問いかけたリゼルを、三人が意外そうに見た。

「リーダー知らなかったっけ」

「はい」

「変なことばっか聞いて来る癖にこれは仕入れてねぇのか」

心外な、と思っていると依頼の終了手続きが終わったようだ。

リゼル達はスタッドからギルドカードを受け取り、そしてギルド内に置かれている机の一つへと移動した。同じく依頼が終了したのだろうギルド内の冒険者達を避けながら丸い机を囲み、リゼルが話の続きを促した。

「ギルドにも認知されてる迷宮なんですよね」

「認知っつってもなァ」

「実物がある訳じゃねぇしな」

イレヴンがジルへ同意を求めるように見れば、ジルもやや投げやり気味に頷いた。

なにせ二人とも実際に自身が夢を見たことが無い。むしろ興味がある、とばかりにリゼルへ視線が向けられる。

「最初が誰だか知らねぇが、冒険者が同じような迷宮の夢を見るっつう噂が昔からある」

「そうそう。聞けば聞くほど同じ迷宮、同じ魔物。“これは冒険者しか見る事のない夢で、夢から夢へと渡り歩く夢幻の迷宮だ”って」

愉快気に目を細め、物語を語るかのように演技じみた語り口でイレヴンは言う。

しかし、具体的な迷宮の内容までは出回って無いらしい。通常の夢と同じく覚えていられる者が少ないのかもしれないし、見たとしてもただの夢だと思う冒険者も少なくないだろう。

「ちょい前にサルスの冒険者が見たっぽいっつうのは聞いたかも」

「それガセだったんじゃねぇの」

「えー、マジで?」

リゼルは二人の会話を聞きながら、考えるように口元に触れた。

「俺が見たのもただの夢だったりするんでしょうか」

「どんなだった?」

えーと、と記憶を洗う。

ソロだった事、美しい街並みがハリボテだったこと、三匹の魔物を乗せたトロッコや時計頭のドール達、ドアノブの罠に砕け降る星。

流石迷宮、何とも凝っている事だと興味深そうに耳を傾けていたジル達の様子が変わったのは直後の事だった。

「斬られた傷は血を流さないで、黒い隙間からさらさら砂が零れるみたいに」

「へぇ」

空気が張り詰めた。

声を上げたイレヴンに、そして無言のままに目を細めたジルに、冒険者達の視線が集まる。危機にいち早く反応する彼らが無意識に行う反射だった。

「ただ、出血多量みたいな感じなんでしょうか。力が少しずつ入らなくなって、ふらついた所を殺されたんだと思います」

リゼルはその変化に気付かない。しかし二人が話を聞いて何を思うかは想像がつく。

やっぱり気にさせてしまうかと苦笑した。だが、冒険者の扱う迷宮の情報は正確なものでないといけない。

気遣って隠して、そして万が一ジル達が同じ経験をした時に活かせないのでは意味がない。

「曖昧だな」

「刺されたなって思った時にはブラックアウトしてたので」

リゼルが最後に見たのは此方へ向けられた剣、そして胸を貫く衝撃と共に目を覚ました。

「ソロ攻略、失敗ですね」

残念そうに苦笑するリゼルに、ジルは溜息をつきイレヴンはけらけらと笑った。

自然と元に戻った空気に、周りの冒険者らは一体なんだったのかとブツブツ文句を零しながら視線を散らしていく。気付いたリゼルが、未だ此方を見ていたスタッドに何でも無いと伝えるようにゆるりと首を傾けてみせた。

「や、でも失敗とは限らねぇんじゃねッスか」

イレヴンが指先でしなる髪を弾きながら、ギシリと椅子に体重をかける。

「俺、何日か連続してみるって聞いた事あんスけど」

「そうなんですか?」

「つっても運だろ。一日しか見ねぇとか一週間見たとか聞いたことあんぞ」

その基準は一体何なのかと思わないでも無いが、迷宮のことだから完全にランダムというのもあり得る。迷宮だから仕方ない。

「攻略した人とか居るんでしょうか」

「聞いた事ねぇな」

「攻略したトコで何かあんスかね。良い夢見れるとか?」

「ちょっと嬉しいですね」

ほのほの微笑むリゼルに死への恐怖はない。

聞く限り相当リアルな夢のようだが大丈夫そうだと、ジルとイレヴンはそれだけ確認した。噂では、毎夜死ぬ夢をみた冒険者がトラウマで不眠症になりかけたという話も出ている。

笑い話にされているあたり真実かどうかは分からないが、真実だとすれば何処ぞの粗暴な冒険者よりリゼルの方が図太いと証明された瞬間だった。

「殺されたのってどんなの?」

「ドール系で、顔の無い軍人でした。凄く長身で、黒い軍服だけが歩いてるような」

隠されれば気付けるかは五分五分だが、恐らく平気だろう。

「今夜も見れたらリベンジです」

むしろ今夜も続きを見るのが楽しみだと、そう隠さず伝えて来るのだから。

リゼルとて現実ならば不利な勝負は避けるが、夢の話だ。折角なのだから普段は出来ないことがやりたい。だが口から出た意外にも好戦的な言葉は、やはり二人の影響か。

「一緒に寝てやろうか」

「そうするとパーティで参加できるんですか?」

「やー、どうだろ。聞いたことねぇかも」

戯れるようにそう話しながら、三人は誰からともなく立ち上がる。

そして出入りの激しくなってきたギルドの扉へと向かい、それを潜る直前。ふと歩調を緩めたイレヴンがジルに並ぶ。

「気に入らねぇよなァ」

顔はリゼルを向いたまま小声で零されたそれに、ジルは視線だけで答えた。

自身らがリゼルに、迷宮で傷一つでも付けさせた事があったか。

例え夢の中でも不愉快だ。それが親切心からでも仲間意識からでもない、自己満足であるとは自覚している。そしてリゼルがそれを理解しているからこそ話した事も。

「あー、何とか潜り込めねぇかなぁー」

「ソロ縛りあんなら無理だろ」

「そうだけどさァ」

小声から一転、朗々とそう告げたイレヴンにリゼルの口元が笑みに緩む。そして言葉を交わし合いながら、三人はギルドを立ち去った。

どうやら夢の続きを見せて貰えるようだ。

リゼルは夢と自己を馴染ませるように伏せた瞳で数度瞬く。そして視線を上げればハリボテながら美しい街並みと、遠く星の吊られた夜空が見えた。

「(ここは……)」

ふと後ろを振り返る。

背にしていたのは細工の美しい時計塔だった。同じような街並みが無いのであれば、昨晩リゼルが刺し貫かれた場所で間違い無い。

胸を撫でてみれば傷は消えている。続きからリスタート、という事か。

「……」

周囲に魔物の姿はない。

リゼルは取り敢えず近くの路地に身を隠し、ジル達との話し合いを思い出す。

『階層的な迷宮じゃねぇなら取り敢えずスタートから奥に進んできゃ良い』

『宝箱、あんなら探した方が良いかも。モノとか意味ねぇし、攻略ラクになるもん出んじゃねッスか』

スタート地点からは順調に進んでいる筈だ。ひたすら直進という訳には行かないが、何となく分かる“前方”には進んでいる。

そして宝箱。昨晩は一つも見かけなかったので、そもそも無いのかもしれない。

しかし有るならば何が入っているのかとても気になるので、探しながら進むことにする。

「(路地の、見逃しやすい横道)」

イレヴンがこの“夢渡りの迷宮”を訪れたことは無いが、経験として知っているのだろう。迷宮の様子を話せば、探し方のコツを教えてくれた。

「(ハリボテに見える扉の、その中)」

昨晩も気が付いたが、いかにも本物に見える扉の中にも本当にドアノブが付いている扉がある。大半が今にも握れそうに描かれた微かな金属の凹凸のみのドアノブだが、極まれに実際握れるものがあるのだ。

昨晩、一つだけ試しに引いてみた。結局それは罠だったので、それ以降は試さなかったが。

パタン

何処からか、レールの敷かれる音がする。

しかし遠い。まず見つかることはないだろう。

パタン、パタン

念の為、音とは反対の方へと進んだ。

細い路地に入ってみては、横道を見つける度に覗き込む。歩いている内に一つだけドアノブも見つけたが、引いたとたんに鍵穴から矢が飛び出した。

最初から射線には立たないようにしていたので刺されることは無かったが。リゼルも罠に関して色々と勉強している。

「(たからばこ)」

無いなぁと、幾つ目かの路地の横道を覗こうとした時だった。

ザッ

軍靴が地面を叩く音がした。

ザッ、ザッ

徐々に近づいて来る音に、リゼルは今まさに覗いていた横道へとパッと身を隠した。

リベンジだ、とは言ったものの出来るだけ戦闘は避けたい。あくまで迷宮の攻略が優先で、避けられない時にリベンジ出来るよう頑張ろうと思っている。

ザッ

足音が止まった。

恐らく、二十メートルほど先の方に見えていた十字路だろう。リゼルの進行方向とは垂直に歩いて来ていたようなので、出来れば此方に曲がらず直進して欲しい。

ザッ、ザッ、ザッ……

音が遠ざかっていく。

どうやら戦闘は回避できたらしいと、靴音が聞こえなくなるのを確認して潜めていた息を吐いた。そしてふと横道の奥を見る。

「あ」

行き止まりになっている其処に、探しものはあった。

宝箱といえば迷宮ごとに様々な形や大きさをしているが、見つけた宝箱は今まで見た中でもかなり小さな部類だった。手のひらサイズで厚みはほぼ無く、昨晩一つも見つけられなかったのが納得だ。

膝をつき、手にする。蓋を開ければ入っていたのは一枚のメッセージカードだった。

「(“貴方と共に歩む者が、招かれるのを待っている”)」

手の平大のカードには、金の箔押しで綴られていた。

「“―――― call(呼んで)”」

これが、夢であるのなら。

ザッ

しゃがんだままのリゼルの背後で、それは聞こえた。

次いで手元に落ちた影に振り返らないまま魔銃を向ける。真後ろに連射。カシャンと宝箱が地面に落ちる軽い音の直後、バランスを崩しながらも振り抜かれた剣が直ぐ横の壁を叩きつける甲高い音が響いた。

「ッ」

キィンッと剣先と壁の間で火花が散る。流石は迷宮、陶器のようなハリボテには傷一つない。

咄嗟に距離をとった先は分かってはいたが行き止まりで、しまったなと苦笑しながら振り返る。前方では首のない漆黒の軍服が道を塞ぎ、その剣を振りかざそうとしていた。

光の粉を散らすような星に、街並みと艶のある軍服が煌き酷く美しい。

「(突破して、逃げる)」

体調は未だ万全だ。

魔銃と魔法により、魔物一匹程度ならば押しのけ逃れる事は可能だろう。相当硬い相手なので、倒し切れるかは微妙か。

何せ頭もないので何をどうすれば致命傷となるのか分からない。事実、先程の連射は巨躯な軍服の胸元を抉っていたが相手が倒れる素振りは無い。

「ジル達の、バサッで終わりが羨ましいなぁ」

ぼそりと呟く。決定打に欠けるとこういう時に不便だ。

「(“貴方と共に歩む者”)」

剣が夜空を向いた。後は振り下ろすだけだ。逃げ場のない路地の中でリゼルは、手にしたメッセージカードをまるで今まさに剣を振り下ろさんとする相手に差し出した。

思い浮かべたのは白だった。黒でも赤でもない、圧倒的なまでの、絶対的なまでの、そしてあまりにも当たり前のように自分を守る為に存在する、白。

「 」

その名を呼ぶ。

熱を帯びたカードが空気に溶けるように消え、仄かに光る泡となり消えた。振り下ろされる剣の音を、指先から零れる泡の名残から目を離さないまま聞いていた。

それが自分を傷つける事はないと、既に知っている。

「御傍に」

剣が剣を弾く音がした。

此方に背を向けた白い軍服が揺れ、相対している漆黒の軍服を切り裂いた。腹から真っ二つにされた軍服が上体を後ろに倒しながら、ただの衣服に戻るように地面に落ちる。

それが光となり消えるのと同時に、現れた男が振り返る。

「参ずるのが遅くなり申し訳ございません」

そのまま理想的な動作で膝をついた男をリゼルは見下ろし、微笑んだ。

再会にいささかの動揺も見えないのは、やはり夢の中だからか。予想はしていたが、ちょっと寂しい。

「顔を上げて」

深く伏せた男の顔が上げられた。

高潔なまでの白い軍服に身を包む、リゼルの公爵家が治める領地の守護者達。それなりに領地を持っている貴族ならば所有するのも珍しくはない私設軍の中で、過去からこれまで最も優れていると噂され続ける集団の総長。

そんな彼の強者らしい威圧感など欠片もない、しかし気持ちの良い相貌が露わになった。

「久しぶりですね」

「ええ、本当に」

微笑みかければ人好きのする笑みで答える姿に、相変わらずだと可笑しくなる。

自らの夢で相変わらず、というのもおかしいだろうか。しかし今は棚に上げてしまおうと、リゼルは手で起立の許可を出しながら口を開いた。

「俺と一緒に、迷宮を攻略してください」

男がぱちりと目を瞬いた。

礼を取り、起立の許可さえ終えれば二人の空気は緩い。もちろん場は弁えるが、そうで無いなら堅苦しいやり取りに区切りをつけるのが幼い頃からの暗黙の了解だった。

「これが迷宮ですか。随分と……」

物珍しそうに周りを見渡すのは、実際珍しいからだろう。

リゼルの元居た世界に冒険者というのは存在しない。迷宮は国が管理し、入るのは視察で訪れる国の正規兵か、あるいは小遣い稼ぎの傭兵達ぐらいだ。

「随分と?」

「いいえ、何も」

男はにこりと快い笑みを浮かべ、そしてリゼルの前から引いた。

道を明け渡すように立ち位置を変えた彼に、リゼルは攻略を再開しようと歩き出す。その後に男が続いた。

「魔物と、あと罠もあるので気を付けて下さい」

「ええ、承知しました」

パタン

背後から不意打ちのように聞こえた音に、リゼルは振り返る。だが、すでに終わっていた。

鞘に収めた筈の剣を握り、不思議そうに此方を見る男の後ろ。トロッコから転がり落ちたヤギ頭の骸骨が地面の上で転がるように揺れている。

「どうしました? 珍しい。振り返らず進んで頂けるかと思ったんですが」

心から疑問に思っているような声に苦笑した。

リゼルの領地の民は皆、彼を尊敬している。だが彼が守護者達を率いる立場につけている本当の意味を知る者は少ない。

それは彼の、軍服を脱ぎ捨てれば容易に民衆に紛れられるだろう気安い雰囲気からは想像しがたいからだろう。

「一緒にって言ったでしょう?」

「それでも、貴方を守るのが私の役目だ」

リゼルと最も共に居るからだと、その素晴らしい人柄からだと、人々は敬意を込めて言う。

それも正しい。だがそれだけでは無い。物心ついた時から仕えようと心に決めた主君の為に死に物狂いで手に入れた力を、ただ守護という一点にのみ注ぎ込んでいるからこその圧倒的な実力が彼をその地位へと押し上げた。

「そこ、絶対に譲りませんよね」

「ええ、譲りません」

「実は頑固ですよね」

「リゼル様に似たんですよ」

長く共に居れば似るものなのだろう。

二人は迷宮の中とは思えぬ平和的な雰囲気で笑みを交わし、歩き出す。

「俺はそれほどでも無いと」

「リゼル様」

歩き出して早々、窘めるように名を呼ばれた。リゼルは悪びれず微笑み、浮かぶ魔銃をくるりと回して見せる。

「今は冒険者なので」

「それが何かは私には分かりませんが、御両親が悲しみますよ」

「帰ったらきちんとするので大丈夫です」

「リゼル様」

男が仕方なさそうに笑い、リゼルを見据える。

「リゼル」

まるで幼子に言い聞かせるような優しい声に、リゼルは足を止め男を見た。

自らの乳兄弟である彼は、昔から一度もリゼルに対して怒ったことなど無い。いけない事をすればいつだってその声で諭してくれる、兄のような存在だった。

実際、幼いころに一度兄と呼んだことがある。拒否されて以来、一度も呼んだ事はないが。

「貴方が貴族でないと言うなら、私が敬う必要など無いですね」

「勿論です」

「主従の関係も無い、それでも?」

「はい」

優しい笑みに、リゼルは楽しそうに目を細め唇を開いた。

「だって、貴方はそれでも私を守る」

男の目が見開かれ、そして。

「はははっ」

弾けるような笑い声が、静寂の街並みに響いた。

何処からか微かにレールの伸びる音がする。軍靴が地を踏む音が聞こえる。しかしリゼルも男も一切それを気にする素振りをみせない。

「ああ、随分と謙虚になられたと心配していましたが」

心底可笑しそうに、目尻に涙さえ浮かべて笑う男は親指でそれを拭いながら剣を抜いた。

「貴方は本当に変わらない」

胸に手を当てながら浮かべられた蕩けるような笑みに、リゼルもゆるりと微笑んだ。

これがただ一人リゼルの夢でしかなく、男が記憶の中にいるだけの空想なのだとしたら随分と恋しがっているものだ。いや、甘えているのか。

どんな影響が出るかも分からない、そもそも自らの事情でしかない迷宮に自らの王を呼べる筈もなく。肩を並べる仲間を呼んで、翌日顔を合わせた際に相手が何も知らないのも何となく嫌だった。

何をしようと受け入れてくれて、理由もなく守ってくれて、その存在全てを奪う事を躊躇わずに済む人間をリゼルは一人しか知らなかった。

パタン、パタン

ザッ、ザッ、ザッ

一定の、しかし異なるリズムで近付いて来る音がまるで音楽のようだった。

空は暗く深く、金糸で吊られた星が遠く煌いている。まるでオルゴールの中に入ったようだと、十字路から姿を現した首の無い黒の軍服を視界に捉えながら耳を澄ます。

背後からは、レールの音。

「軍服の方、俺が頑張りますね」

「いいえ、私が」

「一回だけです。個人的にリベンジがしたくて」

決してリゼルが譲らないと察したのだろう。

男が仕方なさそうに笑ってリゼルに背を向けて立ち、目の前にポツリと現れたトロッコを見据えた。

「やはり、私は貴方に似たんですよ」

リゼルはほのほのと微笑み、そして目の前に魔銃を並べる。

自分が少しでも押されれば、背後の男に軍服が斬られてしまう。圧勝しなければならない。ある意味ソロより難易度が上がってしまった気もするが、気にせず銃の引き金を引いた。

二人で進んだハリボテの街並みの最奥、リゼル達が目にしたのは荘厳な教会だった。

街並みとしては行き止まり、見上げるほど巨大な建造物にリゼルが触れればハリボテと同じような陶器に似た感触をしていた。しかし、それは決して見せかけの教会では無い。

男が大きな扉の片側に手をかけて押せば、扉はゆっくりと開いていく。扉を押さえたままの男に視線で促されて入れば、そこはまごう事無く清廉な空気に満ちた夜の教会だった。

「ここがゴールでしょうか」

「迷宮のゴールはこうなっているんですか?」

「いえ、ボスが居たり、報酬があったりするんですけど」

とはいえ夢の中だ。

恐らく迷宮の特性上ボスは居ないだろうし、報酬があっても持ち帰れない。リゼル達は教会の中央を真っすぐに歩いて行く。靴が床を叩く音が良く響いて聞こえた。

「あ」

等間隔で並ぶ椅子を通り抜け、祭壇の前へ。

龍と乙女の像が奉られ、その足元を陶器の花が覆う。そんな祭壇の上に、一枚の手紙が置かれていた。

男が手に取り、開く。中には一枚のメッセージカードが入っていた。差し出されたそれを受け取り、リゼルも目を通す。

「“祝福は夢から夢へ”」

カードの内容は、簡潔だった。

「“ ――― wake up ”」

ふわりと、夜を照らす妖精のように足元から光の粉が舞い上がった。

リゼルがぱちりと目を瞬かせ正面を見れば、こちらも驚いたように足元を見ていた男と目が合う。そして、柔らかな笑みが向けられた。

「どうやら、目が覚めるようですね」

男の足元が光の粒子となり透けていく。

「リゼル様」

男の手が伸ばされた。その掌が頬を撫で、離れる。

そして抱きしめられた。全幅の愛情を、信頼を、微かな後悔を、寂寥を、ひたすらに伝えて来る抱擁をリゼルはただ受け入れていた。いっそ安堵すら覚える自身が酷く可笑しかった。

「貴方が無事で良かった」

溢れる感情をそのまま押し出した声は微かに掠れていた。

「無事を聞いていたとはいえ、俺が何度、あの日を悔いたか」

「貴方が悔いる必要なんて一つもありません」

「それでも」

男が言葉を切り、そして深く震える息を吐いた。そして腕に力が籠る。

「夢の中だけでも、貴方に会えて良かった」

肩口で零された声に、リゼルもまた目の前の肩へと額を埋めた。

共に成長するにつれ主従としての区切りをつけただけで、しかし決して疎遠になる訳では無く、ただ在り方が変わっただけの最も居心地の良い距離である事に変わりはない。そんな相手の親愛が嬉しくない筈がない。

「私もです」

それが自身の空想ではないというのなら、尚更のこと。

リゼルが知り得ないことを男は知っていた。望まないことを告げた。ここが夢だと一言も言っていないのに確信していた。それは、リゼルの夢だけでは有り得ないことだ。

「どうか」

男の腕が優しく、恭しく離れていく。

「貴方の日々が幸せでありますよう」

「貴方も」

誓うように、願うように跪いた男を見下ろす。もはや腰元まで消えているにも拘らず、一切迷わず示された姿勢は美しい。

そしてリゼルは、悪戯っぽく笑みを零した。夢の中なら、良いだろう。

「心穏やかに。兄様」

男がぱっと顔を上げ、そして数度瞬いた。そして困ったような声とは裏腹に、愛おしげに破顔する。

「呼んではいけないと言ったでしょう」

「夢の中、なんでしょう?」

「それでも」

光の粒子がどんどんとせり上がり、視界を覆い始める。

もう目が覚めてしまうだろう。抵抗のしようもなく、迷宮に身を委ねるように目を伏せるリゼルの耳に確かにそれは届いた。

「立場も外聞も全て捨ててでも守りたくなる」

そして光の残滓が一つ二つと舞う教会が夜の静寂に包まれるのを、竜と乙女の像だけが見守っていた。

幾つもの友好国を持ち、広大な領地を誇る古くからの大国。その端にある“逆鱗都市”と呼ばれる穏やかな都市の、とある屋敷の中。一人の男がベッドの中で目を覚ました。

外は薄っすらと明るい。男は起き上がり、ぼんやりと自らの手を見下ろす。

何か、幸せな夢を見た気がする。大切なものに触れたような。

しかし生まれてこの方、夢を見て覚えていたことがない男は、やはり思い出せず肩を落とした。

そして一日が始まる。彼は今日も白の軍服を身に纏い、仕えるべき主君の帰る場所を守り続けるのだった。