作品タイトル不明
143:買い物があるから先帰った
晴天の下、 王都(パルテダ) の大通りを一人の男が歩いていた。
街並みに慣れていないのだろう、その足取りはゆったりとしていて時折周囲を見回している。その褐色の肌は特別珍しいものでも無いが、ふと目に入る者もいるようだった。
その時、男がふととある建物を見つけて立ち止まる。それは通りの中でも一際大きな、冒険者ギルドだった。
「すまない、少し良いか」
男は、ギルドの前でたむろしている一組の冒険者達に声をかけた。
退屈そうに雑談を交わしていた冒険者たちが、ぴたりと口を閉じ男をみる。どこにでもあるようなラフな格好に身を包んだ姿を上から下まで探る様に眺め、そのうちの一人が人好きのする笑みを浮かべながら口を開いた。
「おう、どうした兄さん。道にでも迷ったか?」
「いや、人を探していてな」
男は開きっぱなしのギルドの扉から中を一瞥し、そして冒険者へと視線を戻す。
「やたら貴族なのと、やたら黒いのと、やたら癖のある浮世離れした三人組なんだが」
「よーし、分かった」
冒険者がカラカラと笑い、腕を組む。
肩に立てかけるように持っていた槍の穂先が揺れ、彼の寄りかかるギルドの壁を軽く叩いた。その穂先は布で覆われ、鋭い先端を隠している。
「だがまぁ、なぁ?」
次の瞬間、隠された槍の刃先が露わになったかのように空気が研ぎ澄まされた。
「南の軍人が、あいつらに何の用だ?」
冒険者達の視線が、友好的な笑みを変えないままに男を射抜いた。
冒険者同士の結びつきは強いとは言えないが、情以上に利害関係が徹底している。自業自得で軍人に追われるならいざ知らず、そうとは思えない名が出たのなら他人事ではない。
軍が介入することを喜ぶ冒険者など、誰一人として居ないのだから。
「いや、大した用じゃないんだ」
男は冒険者たちの意図を悟りながら気付かぬフリを通す。
「折角王都に来たからな。顔を見れたら、と思ったんだが」
「おっと、プライベートだったか」
苦笑を零す男に、空気が友好的な色を取り戻した。
冒険者たちも冒険者歴は長いので、駆け引きの経験もそれなりに積んでいる。何か言えない用件があるのではないかと必要以上に勘繰るほどに若くもなければ、喧嘩っ早くもない。
「ははっ、まさか軍人ひっかけてくるなんてなぁ」
微妙な顔をする男を冒険者はカラカラと笑い、もたれていた背を起こした。
「悪ぃな、今日は見てないんだ」
「いや、急に聞いてすまんな」
「運が良けりゃあ宿に居るかもな。場所、教えてやるよ」
男は一瞬、何故宿の場所を知っているのかと怪訝に思ったが、直ぐに納得して冒険者の道案内に耳を傾ける。真っすぐ行って、古臭い井戸を左。さらに三つ目の通りを右。何軒目かは忘れたが、扉にシルバーのプレートで宿屋のマークが張り付けてある。
「ま、それなりに近くまで行きゃあ誰に聞いても教えてくれる。迷うこたぁ無いだろ」
「そうか、有難い。じゃあ宿に行ってみるか」
男は礼を告げ、ひらひらと手を振り見送られながら再び歩き始めた。
王都には何度か来ているが、見慣れるまでは行かない。歴史を感じさせる街並みをゆっくりと眺めながら、教えられた道筋をたどっていく。
「ん?」
ふと男は足を止めた。邪魔にならないようやや端による。
その隣を、ふわりとした長い耳を頭の両端で揺らしている獣人の女性が唯人の友人と並び追い越して行った。その唇から零れる単語に、聞き覚えがあった。
「貴族さま、まだ居るかな」
「かも。長いもんね」
楽し気な声に、男は一瞬考えて女性二人の後に続いた。
冒険者たちから聞いた道を逸れ、不審にならない程度の距離を開けてついていく。幸い、人波も少なくないので、あらぬ誤解を受けることも無いだろう。
そして、大通りの喧騒もやや遠くなった頃。
「あ、居た」
二人の女性が少しばかり声を潜め、とある喫茶店の前へと差し掛かる。
その喫茶店には、二つばかりの席が置かれたテラスがあった。そこに唯一人座る人物へと女性二人は控えめに視線を送り、そして機嫌良く笑みを交わしながら通り過ぎて行く。
視線の先にはすっかり集中しきって開いた本へと視線を伏せる、一人の貴人の姿があった。
「相変わらずだな」
男は呟き、テラスへの三段しかない階段を上る。
一度店内へと入り、コーヒーを頼んだ。本来ならば店の売りである紅茶を頼むべきなのかもしれないが、男は飲み慣れた方にした。
近くの椅子に腰かけ暫く待ち、運ばれてきたコーヒーを手に立ち上がる。こちらでは何も言わないとホットで出て来るのだったかと、手に伝わる熱に内心で一人呟いた。
テラスに歩いて行けば、店内の視線が集まるのを感じる。そして目当ての席へと腰を下ろせば一層視線が強くなり、思わず苦笑が零れた。
「……」
目の前に座る貴人は、向かいに腰かけた男に気付かず読書を続けている。さて声をかけた所で果たして優先して貰えるのかと仕方なさそうに口元を綻ばせ、そしてそっと開いた。
「無関心なのは良いが、無防備なのは感心しないぞ」
高貴な色を宿す瞳がぱちりと一度瞬き、向かい側に座る男を捉えた。
浮かべられたゆるりとした微笑みを、そして手元の本が閉じられ優しく机の端へと寄せられるのを、男は瞳に柔らかな光を灯しながら見る。それが最大の礼である事を、男は確かに知っていた。
「お久しぶりです、ナハスさん」
「言うほど久しぶりでも無いだろう」
その清廉と穏やかな声が何故か懐かしく、ナハスは破顔しながら同じように再会の挨拶を交わした。
「もうアスタルニアへ?」
「ああ」
リゼルは紅茶を手に取りながら、ナハスはほんのりと湯気の立ち上るコーヒーに手を付けないまま会話に花を咲かせていた。
そろそろ昼時になる頃のテラスだが、屋根により良い具合に日が遮られている。通り抜ける風が心地よく、リゼルが読書の場として好んでいるだけあって居心地は最高だ。
「交渉も順調だし、騎兵団も半分を残して帰国することになってな」
「ナハスさんは帰る側なんですよね」
「そうだ。まぁ、王子の計らいで王都観光が一日貰えたが」
苦笑するナハスは、観光が意図するものに気付いているのだろう。
リゼルはカップに唇をつけながら、ゆるりと目元を緩めた。交渉中も隙あらば煽れという事か、相手に体勢を整わせないまま攻め続ける手腕が素晴らしい。
あまりやり過ぎると配慮にかけるが、引き際を見極め損ねることもないだろう。賑やかだったとある六番目の王子を思い浮かべる。
「優秀な外交官ですね」
「そうだろう」
自分がサルス側ならどう対処しようか、なんて考えながら告げればナハスが誇らしげに頷いた。
自らが仕える王族を誇らしく思う気持ちは良く分かる。リゼルは音もたてずにカップをソーサーへと戻し、嬉しそうに表情を緩めた。
「……お前は時々そういう顔をするな」
「不思議と時々言われます」
何やら微妙な顔をしているナハスに可笑しそうに笑っていると、ふとテラスの柵に止まる小鳥が目に入った。
「そういえば、今日はパートナーは?」
「ああ、今頃羽を伸ばしてる筈だ」
ナハスもリゼルの視線をなぞり、小鳥を見つけたのだろう。
口元の笑みが深まったのは、ただ可愛らしいと思っているからではない。確実に自分の 魔鳥(パートナー) を思い出しての満足げな笑みだ。
「サルスでは窮屈な思いをさせたからな。アスタルニアへ帰る前にリフレッシュさせてやりたい」
「それは喜びますね」
嬉しそうなナハスに、成程とリゼルも頷いた。
魔鳥騎兵団にとっては与えられた王都観光も魔鳥の為の休暇に変わるらしい。今頃、魔鳥たちも久々の大空を悠々と堪能できて大喜びだろう。
「来た時の……野営地の方ですか?」
「あぁ、流石に国内から見えるほど近くはないが」
一瞬でも見えないだろうかと南の空を眺めてみたが、ナハスの言う通り影すら見えなかった。
それもそうか、と一人納得する。アスタルニアではないのだし、魔物が見えたら見えたで王都国民もびっくりだろう。
「じゃあ、ナハスさんも長居は出来ないんでしょうか」
「いや、そうでもないぞ。昼遊びたい奴らと夜遊びたい奴らとで交代だから、夕方ぐらいまでは居られる」
穏やかな陽気に誘われるように互いに目元を緩める。折角顔を合わせる事が出来たのだから、都合さえあえば両者共に挨拶だけで済ませるつもりは無かった。
「なら、王都観光でもしますか? 案内しますよ」
「お、良いな。頼んで良いか?」
「はい」
ナハスも王都へ仕事で何度か訪れているし、その時々で自由時間が与えられたりもするが仲間内で楽しむばかりだった。案内されるというのも新鮮で楽しそうだ。
「何処か行きたい所とかありますか?」
「んん、そうだな……」
ナハスは湯気の少なくなったコーヒーを掴み、一口飲む。そして二、三度揺らし、ソーサーへと戻した。
「そうだ、魔鳥の肉で美味い店があるなら教えて欲しいんだが」
「愛の形は人それぞれですよね」
一瞬の間。
「違うからな!? 相棒(マイパートナー) とは一切関係なく普通に……!」
「分かってますよ」
可笑しそうに笑うリゼルに、ナハスは乗り出しかけた体を脱力させる。
リゼルとて空の旅で度々他の魔鳥に襲われた際にも平然と返り討ちにしたのを見ていれば、騎兵団の誰しもその存在を気に掛ける素振りを見た事が無い。魔鳥にも色々いるので当然か。
「やっぱりアスタルニアだと食べちゃいけないんですか?」
「いや、別に禁止だとかは無いんだが」
うーん、と考えるように口を噤んだナハスは、喜ばしいような申し訳なさそうな顔で苦笑した。
「まぁ、有難い事だ」
つまり、そういう事なのだろう。分からないでもないとリゼルは頷き、そしてほのほのと微笑んだ。
「なら、美味しい魔鳥料理を案内しますね」
「ああ、有難う」
リゼルは冷めた紅茶を隅に寄せながら、さて何処に案内しようかと魔物料理を扱う店を思い浮かべる。
基本的にアクティブなジル達のお陰で外食する機会は多い。心当たりは幾つかあったが、昼食にはやや早い今から行ける所というと。
「屋台とかでも良いですか?」
「俺は良いが」
屋台を冷やかすイメージの全く無い相手からの提案に、ナハスが良いのかと思いつつも頷いた。
「なら、そこにしましょうか。イレヴンに教えてもらったんですけど、凄く美味しいんです」
「そうか、楽しみだな」
ナハスは宿主からイレヴンが偏食過ぎてどうしようもないと散々グチられた事もあったし、空の旅で嫌いなものを露骨に残す姿も見ている。そんなイレヴンが誰あろうリゼルに勧めたのなら、疑いようもなく美味なのだろう。
「他所に行く度に魔鳥肉を食べてるんだが、今回も美味そうだ」
「期待してて下さい」
微笑むナハスにリゼルも笑い、そしてふと思い付いたように唇を開く。
「ナハスさん、熱いの苦手なんですか?」
「……少しな」
なかなか減らないコーヒーは、まるで意気消沈するかのように湯気を収めていた。
リゼル達は店を出た後、のんびりと目的の屋台へと歩いていた。
屋台は中心街前の広場へ向かう大通りにあるので、ナハスにとっては周囲の賑わいを感じながらの観光だ。
「あ、ギルドに寄ったんですか?」
「本当に通りかかっただけだぞ。アスタルニアよりは、まぁ節度があった気がするな」
「あっちは賑やかでしたね」
冒険者に節度と言うのも微妙だがと付け足すナハスは、隣を歩くのがその冒険者であると忘れているのでは無かろうか。リゼルは不思議に思いつつも可笑しそうに笑う。
「王都のギルドには、やり過ぎには容赦の無い子が一人居るので」
「成程、きちんと統制がとれているのか」
国に属する騎兵団として、あまり冒険者ギルドに関わるのは良くないだろうと思っていたのは昔の話。ナハスは最近度々訪れるようになっていたギルドを思い出しながらしみじみと呟いた。
ギルドには荒事担当が必ず一人居るというが、よほど頼りになる職員がいるのだろう。そうナハスが思い浮かべたのは冒険者被害が出た際に度々目撃するスキンヘッドの男で、その強烈なラリアットを思い出しながらナハスが想像したのは筋骨隆々の巨漢だった。
「ん? 子(・) ?」
「え?」
「……いや、何でもない」
聞き間違いだろうと流し、どの辺りだったかと並ぶ屋台を眺めるリゼルに合わせて歩調を緩める。
「あ、あそこです」
そう言いながらリゼルがちょいちょいと指を指したのは、昼時らしく何人か並んでいる屋台だった。ふわりと届く肉とスパイスの香ばしい香りが酷く食欲をそそらせる。
「お、美味そうな匂いだな」
「でしょう?」
屋台はその味を保証するかのように人々を集めていた。
元々いくつもの屋台が集まる場所なので人の数は多い。更にもうじき昼時ともなれば混むのも当たり前で、リゼルとナハスは特に不満を抱くことなく屋台へと並ぶ。
「串焼きか」
ナハスが体を傾け、前に並ぶ人らの隙間から屋台を覗き込んだ。屋台の店主により大ぶりの肉が幾つも刺さる串がひっくり返され、滴り落ちた肉汁が炎を上げる魔石へと落ちてチリチリと音を立てる。
「結構でかいな」
「お腹すいてませんか?」
「いや、朝から食ってないから楽しみだ」
もはや視覚の暴力ともいうべき光景に露骨に空腹を主張し始めた腹をなで、ナハスは笑いながらもチラリと隣に並ぶリゼルを見た。
その清廉な空気のままにジルから肉を受け取り齧る姿は見慣れた、までは行かないが何かしらの衝撃を受けることはすでにない。随分とその存在に慣れたものだと、今更ながらしみじみと遠くを眺める。
「ん?」
その視線の先に、ふと色鮮やかな何かが翻るのが見えた。
「あれは?」
「どれですか?」
ナハスの指さす先をリゼルも覗き込む。
そして見えた横断幕のような物と、それが運ばれていく先を見て納得がいったように頷いた。
「あっち、広場があるんです。時々イベントが開かれてるし、今日も何かあるのかもしれません」
「王都でもそういうのがあるんだな」
感心したように告げるナハスは正直、王都では建国祭のような歴史ある催しばかりだと思っている。
王都の人々がアスタルニアへ“賑やかな国”というイメージを抱くのと同じように、アスタルニアの人々も王都に対して“落ち着いた国”というイメージを抱いていた。
「アスタルニアほどじゃないですけどね」
リゼルがほのほのと笑い、列が進むのに合わせて一歩前に出る。
「ついこの間も絵画大会があったので行ってきました」
「そうか、壮観だろうな。楽しかったか?」
「はい」
ナハスが想像しているのは国中の絵描きが集まるハイクオリティな大会だ。リゼルはただ観客として見に行っただけだと思っている。
まさか絵描きとして参加し、壮絶なリゼル贔屓を堂々と発揮するメディでさえ良く分からない絵を仕上げたとは一切思い至らなかった。
「今日は何をやるんだろうな」
そうこうしている間にリゼル達の番が来たので、魔鳥の串焼きを二本頼む。
会計はリゼルが払うより手早くナハスが二人分出してくれた。観光の謝礼なのだろう、リゼルは遠慮なく渡された串を受け取る。
「喉を突くなよ」
「有難うございます」
列を抜け、直ぐ隣にある路地の入口に並べられた簡素な椅子へと座る。
今の時間帯だと足元だけ日が当たるので暖かい。路地を通り抜けていく風も穏やかで、何とも買い食い日和だった。
「この後、見に行きましょうか」
「ん?」
「イベント」
屋台の人ごみを眺めながら早速一口目を齧ったナハスが、食べようとするものの角度が定まらず一瞬串をうろつかせたリゼルへと視線をやる。
「良いのか?」
「勿論です」
「ならお願いしよう」
控えめに肉を齧るリゼルが目を細めたのを了承ととり、ナハスは心躍らせながら最高に美味い串焼きへと齧りついた。
そして今、ナハスは何故か大衆に囲まれていた。
『さぁ参加者もそろそろ準備が終わりそうです。ただ今より“家庭料理で頂点を目指せ! 食材屋台連合主催の料理大会”を開催いたします!』
何故だ、と思いながら横を見る。
そこには貸し出されたエプロンを身に着け、もう一人がエプロンを付ける手伝いをしてやっているリゼルがいた。
「スタッド君、きつくないですか?」
「大丈夫です」
「じゃあ手を洗いましょうか。しっかり、ですよ」
「はい」
片方が異常に淡々としているのが気になるが、ほのぼのとした光景を眺めながら現時点に至るまでの怒涛の流れを思い返す。
確か大満足の魔鳥の串焼きを食べ終えた後、予定通り何やら催し物が準備されつつあった広場へと向かったのだ。そして着々と準備が進められていたイベントが料理大会だと判明し、あと一組ぐらいは参加者が欲しいと募集されており、ナハスが王都の料理は手が込んでいそうだなと何ともなしに思っていた時にリゼルと目が合った。
『カレーなら任せて下さい』
参加したかったらしい。
しかし料理大会だ。そしてリゼルは素人中の素人だ。口振りからして以前のカレーからまともな料理など一切していなければ、王都への道中の手伝い以外に料理に接することも無かったのに、何故かその口調は自信に溢れていた。
『お前にはまだ早いと思うぞ』
『だからナハスさんと一緒に出たいんです』
『うん?』
『俺の、料理の 先生(・・) でしょう?』
『……殿下にそう呼ばれているお前に呼ばれると、変な感じだな』
出たいなら仕方ないと諦めた。絆されたともいう。
そしていつも通り買い物という名の休暇をとらされ外を歩いていたスタッドをリゼルが発見し、折角だからと引き込んだ。その際、両者リゼルにより互いに紹介されたのだが、ナハスはまさかスタッドがギルドの荒事担当だとは思っていない。
「ナハスさん」
「ん? あぁ、準備が済んだな」
「はい」
エプロンをつけ、手も洗い、しっかりと身支度を整えたリゼル達から声がかかった。
ナハスとてリゼル達の前では面倒見の良さが先行するが、根っから祭り好きなアスタルニアの男だ。参加自体は何も問題ないし、そうと決めたなら楽しめる。
『それでは参加選手の紹介と行きましょう。第一テーブルはいきなり優勝候補筆頭、サフラン通りのレストランからプロの料理人の参戦です!』
わっ、と歓声があがる。
その中の一部の人々は盛大に疑問を孕んだ視線をチラチラとリゼルに向けていたが、ナハスはまぁ仕方ないと受け入れスタッドを向いた。
「職員殿は料理は?」
「一切関わったことがありません」
まさかリゼルより酷いとは想定していなかった。
カレーだし何とかなるだろう。なる筈だ。そう信じるしかない。
「そうか、分からない事は聞いてくれて良いからな」
若干の不安を感じた事はおくびにも出さずに言えば、スタッドの淡々とした瞳が数秒ナハスを眺めスッとリゼルを見た。微笑まれ、ナハスに視線を戻し、そして抑揚のない声で告げる。
「分かりました」
素直なのは良いことだ。ナハスも頷き、そして自身も手早くエプロンを身に着ける。
ちなみにエプロンを選ぶ段階でリゼルがギャルソンエプロンを見つけてきたが、素人には防御力が低いと却下した。
『第二テーブルは色鮮やかなエプロンが良く似合う若奥様グループ、華やかで大変素晴らしいですね! そして第三テーブルには家庭料理のプロフェッショナル、母の味を作らせれば右に出る者はいないだろうベテラン主婦グループです!』
「ナハスさん、俺達は食材を選んできますね」
「ああ、任せた」
各チームも既に準備を終え、後ろに並んだ食材を取りに行ったり湯を沸かしたりしている。
制限時間は一時間。品によっては急ぐ必要もないだろうが、手早くこなすに越したことは無い。幸いカレーともなれば素人二人を抱えても充分作り切れるだろう、後は役割配分だけだ。
ナハスは一組ごとに用意された調理スペースを見回し、置かれていた包丁を手に取り確認する。
『そして第四テーブルは異色の組み合わせ、何と先日王都に帰還した宿泊亭の貴族様が参戦です!』
驚愕と疑問と純粋な歓声が上がる。
司会の声が聞こえる範囲にいた人々が、何だ何だ何でだと集まって来るのが見えた。心の底から納得できるが、何とも有名だなと包丁を置こうとした時だ。
『そしてメンバーは冒険者ギルドが誇る“絶対零度”、容赦のない粛清者ことスタッドさんと! なんと、アスタルニア騎兵団副隊長も参加して下さってます!』
まさかの事実に包丁を落としそうになった。
荒事担当だったとは、と衝撃を受けながら食材確保へ向かった二人の方を窺う。重い方が良かったはずとジャガイモを二つ手に取るリゼルと、その様子をじっと見ているスタッドが何やら話し合っていた。
「スタッド君はどっちが良いと思いますか?」
「どちらも同じに見えます」
「ですよね」
順調そうだ。
観客のざわめきを背で受けながらナハスは一人頷き、結局ジャガイモを二つとも籠に入れたリゼルへと歩み寄る。
「足りないものはあるか?」
「いえ、カレーの材料は全て……あ、スパイスってこれで大丈夫ですか?」
「ん?」
スタッドが持つ籠を覗き込めば、野菜、肉の塊、そして幾つかの瓶が並んでいた。
どうやらカレー用に調合されているスパイスは無かったようだ。籠に手を添え、不要ではあるだろうが支えるのを手伝ってやりながら瓶のラベルへ目を通していく。
「ああ、全部揃ってるぞ。良く分かったな」
「勉強したので」
嬉しそうに微笑むリゼルにナハスも笑い、そして籠を覗き込んでいた背筋を伸ばす。
「じゃあ、出来るところまでで良いから下拵えを始めてくれるか」
「ナハスさんは?」
「俺はもう少し見ていく。カレーだけじゃ寂しいからな、パンとサラダぐらいは作れそうだ」
パンは一時間で作れるのかと顔を見合わせるリゼルとスタッドだが、特に異論はない。
このチームにおいて、そして料理という分野においてはナハスに従うのが最良だ。リゼルはスタッドが料理に一切関わりもなければ興味もない事を知っているし、スタッドとてリゼルがカレーとはいえ料理の経験があるなど考えてもみなかった。
「じゃあスタッド君、頑張りましょうね」
「はい」
「前やらせたこと以外はやらなくて良いからな!」
ナハスの声を背に受け、リゼル達は調理スペースへと戻った。
調理スペースには作業台として机が一つと、そして煉瓦を積んで作られた簡単な調理台がある。調理台は一部が凹んで火の魔石が幾つも入れられ、そして煉瓦をずらして作った横穴から魔石へ風が通る簡易的な竈になっていた。あとは手を翳して魔力を送れば火が使える。戦奴隷とジル以外。
『一番テーブル豪快に肉を焼き始めました。シェフの技が肉の塊をどう家庭料理へと変貌するのかが見所です!』
「あ、凄いですよスタッド君。あんなに大きい肉を焼いてます」
「焼きますか」
「やってみたいけど、カレーには入らなそうです」
リゼル達は作業台の上に籠を乗せ、そして幾つかの野菜を取り出した。そして調理台へと運ぶ。
調理台は横に長く、竈の横は板が敷かれて作業出来るようになっている。その上には包丁やまな板が並んでいた。
「ちょっと緊張しますね」
調理台の前に立つと、ちょうど観客と向き合う形となる。
規模の小さいイベントなので、しっかりとしたステージというのもない。調理台から上は丸見えだ。
「私は何をすれば良いでしょう」
「じゃあ、野菜を洗って貰って良いですか?」
「分かりました」
竈、調理台と並んで隣は洗い場となっていた。
水の魔石から水が出て、窪みに溜まり、そして溢れないよう流れ出る溝が作られている。ちなみにこういった火や水の魔石は特殊な加工が施されているので、普通の魔石からは火や水が出たりしない。
「表面の土を、さっと流すだけで大丈夫ですよ」
「はい」
水を出すなりタワシを鷲掴んだスタッドをさりげなく方向修正しつつ、リゼルはタマネギの皮を剥いていく。相変わらず剥きすぎなので見ていた観客が「あーあー」とそわそわしていたが、観客としてもリゼルが料理を出来るとは全く思えなかったので納得して見守るに落ち着いた。
「あ、そういえば」
リゼルが剥いたタマネギを片手に声をかければ、スタッドはせっせと野菜を洗っていた手を止めた。まっすぐに此方を向く視線に、やや得意げにタマネギを差し出してみせる。
「タマネギ、冷やすと目に沁みないみたいですよ」
「タマネギは沁みるんですか」
「そうなんです。この前、知らずに切ったら凄く沁みました」
スタッドはその言葉にじっとタマネギを見て、そしてふと手を伸ばした。水滴の残る指先をタマネギにあて、そして二秒。
「あ」
途端に掌に伝わる冷気に、リゼルは口元を綻ばせる。冷やしてくれと頼むつもりもない雑談だったのだが、どうやら気遣ってくれたようだ。
「有り難うございます」
「いえ」
しかし器用にタマネギだけを凍らせる手腕はお見事、と若干ずれた感心を抱きながらリゼルはまな板の上へとそれを置いた。コンッと小気味良い音がなる。
『さて、四番テーブルも調理を開始するようですね。実は貴族様からは、料理は初心者だが大丈夫かと事前に確認を受けております』
「あれ……」
もしやと呟き、そのまま包丁を構えた。コロコロ揺れるタマネギを固定し、まず半分にと観客もはらはらするような慣れない手つきで包丁をあて、そして力を込める。
直後、勢いよくリゼルの手から飛び出したタマネギがスタッドが溜めていた水の中へ水飛沫を上げながら突っ込み、ダンッと包丁がまな板を叩いた。
『ぜひ頑張って作りあげ保護者さーーん! 四番テーブル保護者さーーん!』
「何だ、どうした!」
微笑ましげに解説していた解説者も思わず叫んだ。そしてその叫びを聞いたナハスが手早く揃えた材料を片手に駆け寄ってきた。
スタッドは沈むタマネギを無言で見下ろし、リゼルはきょとんと先程までタマネギのあったまな板を見つめている。そして数秒の間。
「何があった!」
慌てて近寄って来たナハスに、リゼルが大丈夫だと首を振る。
「タマネギが飛んでいきました」
「そうか、気を付けろよ。出来るか?」
「頑張ります」
まさかタマネギが凍らされたなどと知らないナハスは、やる気に溢れるリゼルを見て続きを託した。一度は出来たのだから、やりたい限りは任せるのがナハスだ。
そうじゃない、と解説は言いたかったが言えない。あまり一部の参加者に肩入れするような真似が出来ないというのもある。言いづらいのもある。
「タマネギが切れたらこっちを手伝って貰って良いか?」
「分かりました」
「お前には、リゼル殿が切ったタマネギを炒めて貰うからな。後、この野菜も洗っておいてくれ」
「はい」
二人にそれぞれ指示を出し、ナハスは材料を置いた作業台へと戻って行った。リゼル達に背を向けパン作りの準備を始めたナハスを尻目に、リゼルはスタッドによって水底から救出されたタマネギを受け取る。
「凍って包丁が通らなかったみたいです」
「余計なことをしましたか」
「いいえ、全然」
可笑しそうに笑うリゼルに、スタッドは無表情ながら微かに肩の力を抜いて安堵した。些細な変化すぎて相変わらず気付いたのはリゼルだけだったが。
「これ、良い具合に溶かせたりしますか?」
「凍らせたものを溶かしたことがありません」
「水に浸けておいたら溶けるでしょうか」
一度完全に凍ってしまってはリゼルとてどうする事も出来ない。
氷属性に長けたスタッドでもそれは同様で、それもそうかと冷たいタマネギをまな板の上に転がした。氷をほどよく溶かす魔法など考えたこともない。
「流石に火にかければ溶けると思います」
「あ、じゃあやってみましょうか」
マイペースなド素人を二人だけにしておくとこうなる。
リゼルは置いてあった串をぐりぐりとタマネギに刺し、そして竃の火をつけた。スタッドが付いてきて隣で見守る中、凍ったタマネギを火に近付け炙ること数十秒。
「ナハスさん……」
「なんで少し目を離しただけでこうなる!」
焦げた。
「どうした、お前は分からないことがあったら聞ける奴だろう?」
「行ける気がして」
「何故した」
ナハスは一部焦げたタマネギをまじまじと見る。別に怒ってはいない。
甘んじて叱られる姿勢をとるリゼルと、何がいけなかったか分からないがリゼルに従おうというスタッドを見れば悪気が無いのはわかる。
初心者のミスは自身の指導不足によるものだと、彼はそう考える男だった。流石の副隊長だ。
「まぁ、無事にタマネギは溶けたしな」
仕方なさそうな声が、存外穏やかに告げる。
「今度は行き詰まったらちゃんと聞くんだぞ」
「分かりました」
「ほら、頑張ってこい」
ナハスに送り出され、リゼルは焦げたタマネギを手に再びまな板の前へと立った。
隣でスタッドも野菜洗いの続きをしている。軽く土を落とすだけで良いとの言葉を守り、しかしナハスに追加で渡されたサラダ用のレタスに土が付いていないことに気付き、取り敢えず何とか洗おうとしたのかくるくると丸洗いしていた。
「あ、スタッド君。タマネギ、ちゃんと沁みませんよ」
冷やした甲斐があったようだ。スタッドも満足げにしている。
表面だけ溶け、中心は未だ硬いが包丁が通らないほどではない。リゼルは焦げた部分だけ身を剥いて、幾つかのタマネギをざくざくと刻んでいく。
二つ目以降はナハスに助言を貰い、一つ目を切っている間にスタッド作の氷水に浸けておいたものだ。
「こうやって指を折りたたんで添えるんです。猫の手って言うんですよ」
「猫」
「そう、ほら」
一体どこがだろうという純粋な視線を向けられ、猫の手をスタッドに向けた。そして戯れるように目を細め、くにくにと猫が手を握る様にその手を動かしてみせる。
「…………分かりました」
淡々としながら深く納得したように頷いたスタッドに可笑しそうに笑い、そして最後の一つまでタマネギを切り終えた。その数三つ、リゼルにしては順調だろう。
「ナハスさん、切り終わりました」
「お、少し早くなったか? なら、こっちを引き継いでくれ」
振り向いた先で、ナハスが両手を白く染めながらそう指示を出す。
リゼルが近付けば、何やら器の中で白い粉やら何やらが混ぜ始められていた。リゼルにはそれが小麦粉なのか他の何かなのかも分からないが、どうやらパンの材料だろう事は分かる。
「混ぜれば良いですか?」
「ああ、こうやって捏ねるみたいにな。まぁ最終的に混ざれば良い」
手本を見せられ、リゼルは意気揚々とパンの材料を捏ね始めた。
やや楽しい、と器をカタカタ言わせながら混ぜる姿を暫く見守り、ナハスはその場を任せ離れる。向かった先は、洗った野菜を転々とまな板に並べているスタッドの所だ。
「どうだ、洗えたか?」
「はい」
「ならリゼル殿の後を任せよう」
ナハスは手早く手を洗い、何処からか持ってきた鍋を竈に乗せて火を付ける。
鍋は大きく深めで、十分な量のカレーが作れそうだ。そこに今やリゼルがパン生地相手に奮闘している作業台から持ってきた油を回し入れ、そしてスタッドを招いた。
「鍋の中にリゼル殿が切ったタマネギを入れてくれ」
「全てですか」
「ああ」
ナハスは正直、一切感情の動かないスタッドにどう対応して良いか分からなかった。
しかし事前にリゼルから聞いていた“淡々とした無表情だし実際ほぼ無感情だけど、素直過ぎる子だから本心しか口にしない”という情報から、嫌がっている訳ではない事だけは分かる。嫌なら嫌だと言うだろう。
「油が跳ねるから気を付けろよ」
スタッドが両手で刻んだタマネギを掬い上げ、そして鍋へと入れる。
途端に水と油が弾ける音があがり、そしてやはり跳ねた油が手に当たり、スタッドは表情を変えないまま無言でリゼルを見た。まるで助けを求めるような彼にしては珍しい仕草は、しかし背を向けてせっせとパン生地を捏ねているリゼルには届かない。
「ほら、鍋を見ろ。火傷はしてないか?」
「スタッド君?」
「少し熱かったです」
「びっくりしましたね。気を付けて」
振り返ったリゼルの瞳が甘やかすように緩むのを見てスタッドは頷き、促されるままに鍋へと向き直った。
「この木べらで掻き混ぜながらタマネギに火を通してくれ。全体がしんなり透明になるまでな」
「掻き混ぜていれば良いんですか」
「焦がさないようにな」
スタッドは木べらを受け取り、鍋に向き直り黙々と掻き混ぜ始める。
時折ピタリと動きを止め、ごりごりと鍋の底をこそぎ取っているのはタマネギが張り付いてしまっているからだろう。焦げないように細心の注意を払っている。
「リゼル殿、そっちはどうだ?」
「大分まとまってきました」
「なら一旦捏ねるのを止めて、布をかけておいてくれ」
ナハスが滑るような包丁さばきで、まな板の上に並べられている野菜の皮を剥いていく。見ていた観客の主婦たちが思わず感心する程だ。
「あれはあのまま置いておけば良いですか?」
「ああ。そこに包丁がもう一本ある、剥き終わった野菜から切って行ってくれるか」
ナハスがまな板の前から洗い場へとずれ、そしてリゼルがそこに入る。
『おや、若奥様グループの手元に注目です。ニンジンが花の形になってます、可愛らしいですね』
「ナハスさん、あれは」
「お前にはまだ早い」
どうやるのか、と聞こうとしたリゼルの言葉は見事に遮られた。
ちょっと残念、と思いながらニンジンの頭を切り落とす。猫の手は忘れない。リゼルは成りきれと言われれば成りきる。流石に衆目の面前なのでにゃーは言わないが。
「切るのは、スタッド君が得意そうですよね」
スコンッとニンジンがぎこちなく切り落とされる音に、ナハスと観客と更に言えば隣のベテラン主婦グループも思わずそわそわしている。
「私は包丁を握った事はありませんが」
「でも、ほら。色々切るでしょう? 人とか」
ナハスが思わずスタッドを凝視した。
確かにギルドの荒事担当だと聞いた。だが人。威嚇目的だろうか。もしやアスタルニアの某スキンヘッドの職員は凄く優しいのではないだろうか。
「もしそうなら一刀やあの馬鹿も料理が得意なことになりますが」
「あの二人は料理っていうより、包丁を握ってても狩りのイメージが強くて」
それにはナハスも納得する。
ジルやイレヴンに任せると、何処からか獲物を狩って来て解体しているようにしか見えない。実際ジルなどは肉しか捌かないし、捌いたら塩をかけて焼くだけだ。
「でもそれだと、料理が上手なジャッジ君が戦うのも上手い事になっちゃいますね」
「あの愚図が一刀より数段強いことになります」
リゼルとスタッドは同時にジャッジの姿を思い浮かべた。
店内に限定すれば最強の称号に手をかけるだろう。しかしジャッジ本人が剣などを振り回すところなど想像も出来なければ、本人も半泣きで辞退しそうだ。
「ですがあの愚図は例え鍛えても使い物になりません」
「流石ギルド職員、人を見る目に自信ありですね」
断言したスタッドに、リゼルが可笑しそうに笑う。
ニンジンを頭から根っこにかけて切っているその手付きを見ながら、ナハスは正直話していないで集中しろと言いたかったが呑み込んだ。折角楽しんでいるのだから水を差すような真似は出来なかった。
「ほら、皮むきが終わった分は置いておくからな。全部切り終わったら、肉と一緒に鍋に入れてくれ」
「早いですね、ナハスさん」
リゼルがニンジン一本を切り終わらない内にナハスは皮むきを終え、肉まで切り終えていた。素晴らしい手際だ。
「お前が鍋も見ててやるんだぞ」
「任せて下さい」
「良し」
ナハスは何故それほど自信に溢れているのかと思いつつ、後を任せた。
確かに一度はカレーを作り上げているのだ、何事もなければ無事完成するだろう。そうして彼はカレー用のスパイスを準備しておこうと作業台へと向かった。
『見て下さい、プロ料理人チーム渾身のフランベです。非常に豪快です!』
わっ、と歓声が上がる。リゼルとスタッドがそちらを見れば、一番遠いチームの調理台から火の手が上がっているのが見えた。
スタッドが淡々と口を開く。
「火事ですね」
「いえ、そういう調理法みたいですよ」
リゼルとて良く知らないが、周りの反応を見る限りそうなのだろう。
料理って凄いなぁとやや斜め上の感想を抱きながら、リゼルは何とか全ての野菜を切り終えた。やや小さめに切ってあるのはナハスの指示だ。
「スタッド君、タマネギはどうですか?」
「透明かと言われると微妙です」
リゼルが鍋を覗き込むと、薄っすら飴色に染まったタマネギがあった。
所々焦げた跡があるのはご愛嬌だろう。リゼルも以前は焦がした。
「あ、凄く順調です。じゃあ野菜と肉を入れるので、頑張って混ぜて下さいね」
そうしてリゼルは野菜を掬い、鍋へと投入する。次いで肉。
ナハスが一人で作る時にはもう少し順番やら何やら考えるが、リゼルに教える際には“とにかくカレーが出来上がれば良い”をコンセプトにしていたので色々豪快だ。
スタッドがごろごろごりごりと野菜と肉を炒めていく。
「ん、ナハスさん。スパイスって」
「ああ、こっちに準備してある」
「有難うございます」
あとは入れるだけの所まで調合されたスパイスを受け取り、リゼルは鍋を覗いて順調に野菜に火が通っているのを確認した。
洗い場に置かれた水の魔石を一つ手に取り、スタッドに渡す。
「じゃあスタッド君、鍋の中に水を入れて下さい」
「どれくらいですか」
「七……八分目、ぐらいでしょうか」
以前もそのぐらいだった筈、と思い出しながらリゼルの指先が鍋の中でくるりと動いた。
スタッドはその指があった位置をじっと見て、右手に木べらを装備したまま左手の魔石に魔力を込めた。溢れる清涼な水が鍋を満たす。
後は煮込むだけだと、浮いた油を取り除こうとするスタッドを止めながらリゼルは火の勢いを強めた。通常は魔石の数ぐらいでしか火加減は調節出来ないが、そこは人より多めの魔力に物を言わせる。
「これで、暫く煮込むだけです。時々灰汁が浮いて来るので、このお玉で取ってあげて下さい。灰色でもやもやっとしたやつです」
その説明は無いだろうと聞いていた人間は思ったが、スタッドにはしっかり伝わった。
そしてリゼルはサラダを作りながら、スタッドは鍋を見ながら雑談交じりに手を動かす。リゼルとて基本的には器用な上、一流の盛り付けばかりを見て来たのでサラダを盛り付ける手に迷いはない。
「リゼル殿、ちょっと良いか?」
「はい」
それはリゼルがパン作りに呼ばれ、スタッドが一人で鍋を掻き混ぜていた時だ。
大き目の鍋がどんどん沸騰していき、ボコボコと大きな泡を立てるのを眺めながらスタッドは慎重に灰汁を取り除いていた。そしてどことなくやり遂げた雰囲気を醸し出しながら木べらを抜き、じっと鍋を見下ろしていると鍋の様子が変わった。
泡が細かくなり、徐々に水位がせり上がり、そしてついには決壊する。
『さて、終始なごやかに進む四番テーブルッッさーーーーん!!!』
噴きこぼれた。
ちなみにスタッドは料理で火が吹きあがるぐらいなのだから泡ぐらい溢れるだろうと何事もないかのようにその様子を眺めている。
『噴きこぼれてますよーーー!! 四番テーブル保護者さーーーーん!!』
解説者の声に反応したのはリゼルだった。
行こうとするナハスを留め、スタッドへと歩み寄る。
『(あー貴方じゃないー! でも言えないー!)』
観客全ての気持ちを心の中で代弁しながら解説は固唾を呑んで四番テーブルを見守っていた。
いまや観客らの視線はプロの料理人の技術でも無ければ若奥様の華やかさでもなく、はたまたベテラン主婦たちの阿吽の呼吸でもない。ただ一チームのハラハラ感へと向かっている。
「スタッド君、これは駄目な状態です。中身は外に溢れちゃいけません」
リゼルの言葉に、スタッドは一度だけぱちりと目を瞬いた。
「大丈夫ですよ、取り敢えず火を消しましょう」
「分かりました」
スタッドの手が炎へと翳される。直後、パキンッと調理台を冷気が駆けた。
『(凍ったーーーー!!)』
熱を発し続けていた魔石ごと、一瞬の内に窯から鍋の底までが氷で覆われていた。
辛うじて鍋の中でぽこぽこと小さな泡が立ち上っているのが救いか。どうやら中身を凍らせることは無かったようだ。
リゼルがふとスタッドを見る。
「スタッド君、結構混乱してますか?」
「かなりしていますが」
リゼルはちらりとナハスを振り返った。
こちらを気にかけてくれていたのだろう。心配げに眉を寄せたナハスと目が合う。
「どうした、火は止まったか?」
「はい、止まりました」
嘘は言っていない上、凍った調理台もナハスから死角になっていて見えなかった。
ならば良いとパン生地を千切って掌で転がしているナハスを確認し、リゼルは凍り付いた窯を見下ろした。スタッドもじっとリゼルを見ている。
「取り敢えずこれを溶かしましょうか。えーと」
「分かりました」
スタッドが絶好調だ。
彼の掌が再び持ち上げられ、再度向けられたのは氷の中にある火の魔石。自力で氷を溶かせない彼が出した結論は一つきりだった。
「スタッド君、待」
「?」
遅かった。
王都ギルドが誇る絶対零度の魔力の扱いは言うまでもなく、思考と実行のタイムラグなど一秒にも満たない。リゼルが止めようとした時には既に多量の魔力を注ぎ込まれていた魔石はその性能を遺憾なく発揮し、自らを閉じ込める氷へと反逆を起こす。
『保護者さ、保護者さん!! 騎兵団副隊長さーーーーーーーーーーん!!』
「なん、こら、何を……何でそうなる!!」
結果、大量の水蒸気を王都中心街前広場から立ち上らせる羽目になり、リゼルとスタッドはナハスに凄く怒られた。
「スタッド君、凄く混乱してましたね」
「人生で一番混乱していたと自負しています」
「話はちゃんと聞け!」
「ほらもーおばちゃんがここ片しといてあげるから! お兄ちゃんにちゃんと叱られてなさいよ全くもー!」
ちなみにべとべとになった調理台は説教中に隣のベテラン主婦チームが何故かテキパキと片付けてくれた。
そうこうしながらも無事カレーが完成し、三人で味見しあい、サラダとパンも出揃い、パンをナハスに千切って貰って味見したりしながら制限時間の一時間を迎えた。
調理スペースと観客の間に置かれた長机にそれぞれの料理が並べられる。その出来にリゼルとスタッドは満足げに頷き、ナハスは苦笑しながらぐるりと凝った首を回した。
『さて、料理が出揃いました! では私が近くにいるという理由で、貴族さまグループから料理名の発表をお願いします』
「料理名……カレーとサラダとパンのセットです」
『はい、有難うございます!』
料理の発表、と疑問に思いながらもリゼルが告げる。そして解説が机の前を順番に移動していった。
『ではベテラン主婦グループ!』
「“母ちゃん達はいつでもこれ作って待ってるからね! たまには帰って来なさい母の味定食”だよ!」
『これは卑怯! それでは若奥様グループ!』
「“今日もお疲れ様、御夕飯を食べながらアナタのお話聞かせてねプレート”でーす!」
『これも卑怯! さて最後はプロ料理人グループ!』
「“プロが大人げなく本気を出した、ぎりぎり家庭で作れるレベルの完璧ランチ”だ!」
『これはガチで卑怯!』
成程、とリゼルは納得してすっと手を上げた。やり直しの要求だ。
こういうところ引かない奴だな、というナハスの仕方なさそうな視線とスタッドの特に何も考えていない視線がリゼルを向く。察した解説がすぐさま戻って来て、再び拡声器を向けた。
『さて訂正があるようです、どうぞ!』
「“アスタルニアの騎兵団副隊長が作る、ここでしか食べられない特製アスタルニア風カレー”です」
「すまん、普通のカレーだ」
「“基本を忠実に守った、万人受け必至の究極的ご家庭の味カレー”です」
何事もなかったかのように言い直した。
解説者が二度見してきたが、リゼルは微笑んで流す。普通が何を指すのかも知らなかったのだから仕方ない。
『さ……さて、それでは審査に移りたいと思います!』
そしてその微笑みに流された解説者が高らかに宣言した。
空は赤く染まり、そろそろ暗くなり始めるころ。リゼルとナハスは二人で王都の南門の前へと立っていた。
ぎりぎりまで王都を巡っていたが、ついにナハスが王都を去る時間となったからだ。
「今日は楽しかった、有難う」
「本当は優勝をお土産に、と思ったんですけど」
「料理が出来上がっただけ上出来と思っておけ」
笑うナハスに、リゼルも微笑む。
実際、優勝できるとは流石に思っていなかった。充分楽しめたのだから、二人にとってはそれだけで充分だ。
「また機会があれば顔を出そう」
「是非」
「もう風邪は引くなよ」
「気を付けますね」
そしてナハスが門の向こう側へと歩き出す。
夕日に染まる草原には、数匹の魔鳥が寄り添い合いながらしゃがみ込んでいた。ナハスと同じくこれから野営地に戻る面々なのだろう、魔鳥の傍に立つ騎兵団の数人が此方に気付いて手を振ってくれる。
それに手を振り返し、リゼルは足を止めた。ナハスが振り返る。
「じゃあな」
「はい、また」
二度目の別れはあっさりとしていた。
離れがたいと、そう以前に口にしてしまった所為だろうか。少しばかりバツが悪そうなナハスに、リゼルは可笑しそうに目を細める。
「宿主さんにも、お弁当美味しかったですって伝えて下さい」
「また大泣きするぞ」
二人は互いに顔を見合わせて笑みを交わし、そして同時に背を向けそれぞれの帰る場所へと歩き出した。