軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

140:実はデビューから知ってる

ギルドの騒めきに囲まれながら、男は目の前の存在に目を奪われていた。

「俺のランク、ですか?」

穏やかな相貌は品に富み、そして優しい声は印象とは裏腹に人の意識を強く引き付ける。浮かべられた微笑みは清廉で、しかし外見を裏切る程に誇らしげだった。

その唇がゆっくりと開き、笑みに違わず自負を以って告げられる。

「Bです」

男は目を見開いた。

「んん……ッ、……や、微妙……ッんんんん驚きづれぇなぁ」

凄いと言われれば凄いが、思い切り驚くにも足りない。むしろ目の前の穏やかな男の持つ大物感と釣り合わず納得しづらい。

何故だと不思議そうな表情を浮かべられたのが、余計に釈然としなかった。

事の始まりは少し前。リゼル達はその日、いつもの通り依頼を受けて迷宮からギルドへと帰って来ていた。

三人でギルドの扉を潜り、各々一息つく。空いている時間に戻って来られなかった上、迷宮の立地もあって帰りの馬車はなかなかに混んでいた。

「今日の迷宮は大変でしたね」

「罠解除必須っつうの、やっぱ面倒ッスね」

「ミンチんなるよかマシだろ」

大規模な罠が多数存在する“機械仕掛けの迷宮”は、剥き出しの巨大歯車や金属部品など見ている分には懐古的な楽しさがあった。しかしその解除の難度は規模に比例する。

一度ジルに力ずくで歯車を止めさせようと画策したが、真っ当な攻略を望む迷宮が空気を読まない筈もなく無理だった。迷宮だから仕方ない。

「やっぱりこの時間だと混んでますね」

「本番はこれからだけどな」

「カウンターは空いてんだから良いじゃねッスか」

冒険者達も、ひと暴れして来た事だし面倒な手続きは早々に終えたいのだろう。

ギルドに居る冒険者のほとんどはそれらを終えて、報酬待ちであったり、今日は何処に飲みに行こうかと話し合っていたりする。リゼルは今でも時々感心するが、冒険者というのは逐一行動が素早い。

「俺達も今日、飲みに行きませんか?」

「お、良いッスね」

スタッドの前の列に並びながら、リゼル達は話す。此処で空いているしと他の列に並ぶと、スタッドの視線が露骨に此方をついて来るのだ。

列と言っても前の一組だけだ。すぐに順番が来るだろう。

「お前は飲むなよ」

「飲みませんよ」

「何、まだ反省中?」

「反省はしてますけど、そうじゃなくても飲みません」

落ち込んだ様子は見えないが、微笑みながら告げられた言葉に嘘は無いのだろうとジル達は納得した。二人にしてみれば気にし過ぎだと思うが、本人が許せないというならば仕方ない。

その理由が依頼人に迷惑をかけた事だったり、ギルドの評価を落とした事だけでは無いという事も気付いている。

「俺個人で受けた依頼ならともかく、パーティで受けた依頼でしたし」

こういう部分を意外と気にするのだ。

他者の評価が自分の所為で落ちるのを好まない。リゼルが自分達を一切の贔屓目が無いまま、ただただ自然で相応に高く評価しているのは知っている。

ジルは溜息をつき、そしてイレヴンは機嫌が良さそうに唇を引き上げながらリゼルを覗き込んだ。

「ま、リーダーとしての責任っつーならズレた考えでも無ぇんだけどさァ」

「ご教授、有難うございます」

穏やかな微笑みに目を細め、イレヴンが唯人より鋭い牙を覗かせながら唇を開く。

「そんくらいで価値なくなるような雑魚とか思われてんの?」

好戦的な笑みと煽るような深い声に、しかしリゼルは可笑しそうに笑うだけだった。

覗き込むイレヴンの頬へと手を伸ばし、その鱗へと指の背で触れて一度だけなぞる。そうすればすんなりと挑発的な顔は鳴りを潜めて離れて行った。

「そうならない事も、君達が全く気にしてない事も分かってますよ。この間は理由が理由だったので、俺が勝手に反省してるだけです」

「そうしてぇなら好きにしろ」

「そうさせてください」

あまり気にし過ぎるとジル達が不快がるので、リゼルは適度に反省中だ。

「つうかリーダー、個人で受けた依頼ならミスっても気にしねぇんスか」

「反省はしますけど、あまり気にしないですね」

前で手続き中のパーティが及び腰でスタッドへと報酬の交渉を行っているのを眺めながら、イレヴンが意外そうに言う。

リゼルとて依頼に失敗すれば原因を追究し、反省する。依頼人にも申し訳なく思うし、出来る限りのフォローを入れるだろう。しかし直ぐに切り替え、此処まで気にする事は無い。

「“全て完璧に”なんて思い上がれるほど、冒険者を甘く見てはないですよ」

この人こういうこと言うんだもんなぁと、声の聞こえる範囲にいた冒険者が何故か満足げだった。

「実際、依頼放棄は何回かありますし」

「あれはお前が変な依頼ばっか選ぶからだろうが」

勿論リゼルも受けるからには達成する心意気で依頼を受けるが、どうにもならない事もある。具体的に言うと遺跡の絵画を求めて、ドアップのミノタウルス絵画しか手に入らない事がある。

その場合もギルドカードに依頼失敗の数字としては出てしまうが、こういうのはリゼルは気にしない。

「つか依頼放棄ぐらい俺あるし。ニィサンもあんじゃん?」

「まぁな」

「それは何となく思ってました」

ジルもイレヴンも酷く癖が強い性格をしている。

依頼人ありきの冒険者活動の中、実力だけで優等生という訳にはいかないだろう。あっさりと告げたジル達を見ていると、それが特別珍しいという訳でも無いようだ。

「次の方、どうぞ」

ふと、淡々とした声がリゼル達へと届く。

前にいた冒険者が機嫌良さそうに机へと歩いて行ったので、金額交渉は上手くいったのだろう。スタッドとて絶対零度ではあるが横暴では無い、言い分が正しければ冒険者の為に依頼人から金を毟り取って来ることに躊躇など無いのだ。

「お疲れ様でした」

「お疲れ様です、スタッド君」

無表情で一つ頷き、じっと見上げて来る視線にリゼルは優しく微笑んだ。

感情の映らないガラス玉のような瞳は変わらないまま、背後にポンッと花が一つ飛んでいったような錯覚。満足げに三人分のギルドカードを受け取ったスタッドへ、リゼルは可笑しそうに笑った。

「依頼は“機械仕掛けの迷宮で手に入る歯車の入手”、迷宮品をお預かりします」

「はい」

リゼルは、ポーチから小さなガラスケースを出してカウンターへと置く。

一点の曇りもないケースの底には、黒く艶のあるクッションが敷き詰められている。そこに黄金色の歯車が一つ収められていた。

歯車の表面には、小さな文字で“NO.142”と刻まれている。

「歯車マニアとか分かんねぇなァ」

「コレクター精神なんでしょうね」

“機械仕掛けの迷宮”でのみ手に入る歯車は一つ一つにナンバリングが施され、その造形からコレクターが多い。ガラスケースだってリゼルがわざわざ用意したものではなく最初からなので、迷宮の本気度が窺える。

「さっきまで失敗とか何とか言ってた癖に、百パー運な依頼選ぶリーダーのが分かんねぇけど」

「いつもの事だろうが」

ぼそりと呟いたイレヴンは、ジルからの同意に確かにと頷いた。

「状態も良いので報酬は満額で出ます。何か問題はありませんか」

「大丈夫です、有難うございます」

スタッドは数秒リゼルを見上げ、本当に問題は無いことを確認して貨幣が仕舞われた引き出しを開ける。

どうしても依頼人の確認が必須な場合を除き、基本的に報酬は即時支払われるのが冒険者ギルドだ。なお商業ギルドの人間がこれを知ると、信じられないという顔をする。

「金貨五枚、ご確認ください」

「Cの依頼なのに高額ですよね」

「コレクターが多いならこんなモンだろ」

元々この手の依頼は、既に物を持っている冒険者が受けてその場で納品するのが一般的だ。冒険者としては当然報酬が良い方の依頼人を選ぶので、歯車を求める二者がかち合うと意地でも報酬を釣り上げる。

面白可笑しく依頼ボード上の競り合いを眺めていた冒険者達が、そろそろ報酬も上がり切るだろうし、歯車ついでに当の迷宮に関する依頼でも受けようかと思い始めたのが最近のこと。そして今日、まさかのリゼルが“その歯車を見てみたい”と競り合いを知らないままに依頼を受けた。

まぁ仕方ない、というのは周囲の談。運要素の強い依頼だったので未練もない。

「二枚、二枚、一枚でじゃんけんですね」

「負けた奴が一枚?」

「たまには勝った人にしましょうか」

後ろに誰も並んでいないので、リゼル達はその場でさっさとじゃんけんを終わらせた。結果はジルの一人勝ちだ。嬉しくない勝利だった。

「今、少々お時間よろしいでしょうか」

その時、じゃんけんを淡々と眺めていたスタッドから声がかかった。

正確にはリゼルへ、なのだろう。順番にトレーに乗せられた金貨を受け取り、そして最後にリゼルが二枚の金貨を手に取りながらスタッドへと視線を向ける。

「大丈夫ですけど、何かありましたか?」

「ランクアップのお話をさせて頂きたいと思います」

ぱちり、とリゼルが一度目を瞬いた。そして、ふわりと嬉しそうに口元を綻ばせる。

ジルとイレヴンが視線だけでその様子を窺う。その視線は当然とも疑問とも違う、ただ愉快気な色を含んでいた。

「この間、依頼放棄したばかりですけど」

「それも考慮した上で、アスタルニアでの実績を含め昇格に相応しいと判断しました」

スタッドがジルとイレヴン二人のギルドカードをトレーへと置きながら言う。

冒険者はBランクまでなら職員によって昇格が決められる。上位と呼ばれるA、Sへの昇格はギルド長の判断が必要だが、今はスタッドがリゼルの昇格を決められる段階だ。

「迷宮攻略数、魔物討伐数、この辺りは上位ランクと比べても優秀な部類に入ります。貴方というよりは、その二人の影響が強いんでしょうが」

温度のない視線が自身らを一瞥するのを、イレヴンは鼻で笑いジルは何も言わず流す。

「依頼人との関係も非常に良好です。全体的に護衛依頼が少ないのが問題に上がっていましたが」

「受けさせたくねぇっつったの誰だよ」

「仕事と個人的な心情は違うんです黙ってろ馬鹿」

常に本音のスタッドなので、依頼人主体の色が強い護衛依頼を受けて欲しくないのは本当だ。そして、リゼルにギルド職員としての価値を見出されたと判断している彼が職務に手を抜く事もない。

それゆえの矛盾だが、それを堂々と棚に上げる所がスタッドらしい。リゼルは可笑しそうに笑い、髪を耳へとかける。

「それで、君は問題が無いって判断してくれたんですよね」

促すように首を傾けてみれば、スタッドが真っすぐに視線を向けて来た。

「先日の合同依頼での村の防衛、その他護衛依頼ではありませんが似たような状況で有用な手段が取れていると聞いています」

「この間は、結局俺の出番は無かったんですけど」

ほのほのと微笑むリゼルに、言っちゃうんだもんなぁと密かに聞き耳を立てていた隣のギルド職員が内心で呟く。

ランクアップはまだかまだかと促し、何故まだなのかと文句を言い、自らの手柄を主張して初めてギルド側がランクアップを考える冒険者も少なくない。これで全くランクアップに興味が無いのなら冒険者の風上にも置けないが、嬉しそうなのだから違うのだろう。

「(正当じゃない評価はいらないタイプかぁ。そりゃスタッドとも気ィ合うわ)」

おべっか、ごますり、過剰な賛辞、一切通用しない同僚を思いながら彼は深く頷いた。

「ですので、ランクアップに相応しいと判断したんですが」

スタッドは正直だ。ギルド職員として、一切の贔屓なく、はっきりとそう告げる。

「如何でしょうか」

「是非、お願いします」

この問いかけに否を唱える冒険者など居はしない。迷いなく頷いたリゼルに、スタッドは頷き手元に残していたリゼルのギルドカードを魔道具に差し込む。

その様子を隠すことなく嬉しそうにほのほのと見守るリゼルへと、ふいにイレヴンは意外そうに口を開いた。

「リーダー前もランクアップすんの嬉しそうだったけどさァ、そんなだっけ」

「どうでしょう、今回は特に嬉しいっていうのもあるかもしれません」

勿論毎回嬉しいのだけど、と付け加えリゼルは微笑んだ。

「Bは、俺にとって特別なので」

何気なく告げられた言葉に、イレヴンとスタッドの視線が一瞬だけ同じ人物を捉える。

その先にいるジルは、思わずと言った体でリゼルを見下ろしていた。しかし直後、呆れたように視線を他所へと投げる。

その眉間に微かに刻まれた皺が決して不快からではないだと、同じ穴の狢二人は確かに気付いていた。

「……これで手続きは完了です。どうぞお取り下さい」

「有難うございます」

「ほらリーダー、同じ色」

自分が同じ立場ならばと思えば、わざわざ突っ込もうとは思わない。

スタッドが手続きの終わったギルドカードをトレーに乗せて差し出す。イレヴンの言葉通り、リゼルが手に取ったカードはBランクを象徴する色を艶めかせていた。

「ようやく君達に追いつきました」

「急がせてねぇだろ」

「早く来いって言ってましたよ」

リゼルは可笑しそうに笑い、手にしたギルドカードをポーチへと差し込む。

そして、ふっとジル達を振り返った。その顔には、やはり穏やかで甘い笑み。

「今日は、飲みに行きましょう」

「……えっ? や、行くけど」

何故か先程と同じような会話が繰り返され、イレヴンが戸惑いながらも頷く。

「強い装備も買いに行きます」

「それ以上何が欲しいんだよ」

もはや最上級と言える装備を身に着けておきながら何を、とジルが呆れたように溜息をつく。

「喧嘩だって、売られたら一人で買います」

「出来れば流してください」

これは、とジル達の視線がリゼルに固定された。

珍しく、物凄く浮かれているのかもしれない。リゼルらしく冷静で、穏やかに、そして全力で喜んでいる。冒険者としては当たり前の光景なのだが、違和感が半端ない。

「スタッド君も今夜、一緒にどうですか?」

「是非お願いします」

まぁ喜んでるなら良いけど、と見守る体勢となっているジルとイレヴンの前で、リゼル達はマイペースに約束を交わしている。

別にジル達とて嬉しくない訳ではない。普通に喜ばしい。似合いもしない誇らしさすら感じそうだ。だが予想以上にリゼルが大喜びなので、その物珍しさに色々と吹っ飛んだ。

「実力的に君達に並べたって実感は無いですけど、肩書きだけでも嬉しいですね」

「あー……まぁ良いや。リーダーおめでとー」

「有難うございます」

ギルドにも徐々に冒険者が増えてきているし、あまりカウンター前で長居するのも悪いだろう。リゼル達はスタッドにまた後でと別れを告げ、その場を離れる。

「夜、ジャッジ君も誘いましょうか。ランクアップのお祝いにおごりますよ」

「なんでお前は奢りたがんだよ」

そんな事を話しながらギルドの扉に向かって足を踏み出した時だった。

「ギルドの見る目も落ちたモンだなぁ」

ふいに、嘲笑うような声で吐き捨てられる。リゼルが横を見れば、丁度隣の受付カウンターに来た冒険者らが数人、皮肉るように笑みを浮かべてこちらを見ていた。

何というタイムリー。ジル達が無言でリゼルを見れば、リゼルの顔は心なしか輝いていた。基本的に有言実行の男なのだ。

「ランク、金で買いでもしたか?」

「そりゃ凄ぇ、幾らかかんのか教えて欲しいもんだ」

リゼルはジルを見た。男達を一瞥したのち、好きにしろとばかりに頷かれる。

リゼルはイレヴンを見た。指先でバンッと銃の真似をされ、首を振る。すると露骨に渋られたが、最終的に心底渋々オッケーが出された。

この間、無言だ。

「おい、聞いてんのか!!」

「大丈夫です、ちゃんと聞いてますよ」

絡み始めてから何も言わないリゼルに、男達は苛立ちを隠さず怒鳴る。

すんなりと寄越された返答に、彼らが思わず口を噤んだ時だった。何かを悩むように、リゼルの指が口元に触れる。

「あまり、喧嘩って買ったことがなくて……」

やはり初見の人間が増えると良く絡まれるなぁと、いっそ懐かしささえ感じながら見物していた周囲の冒険者から、まさか買うのかと一斉に視線が集まった。まるで時間が止まったかのように、ギルドが一瞬で静まり返る。

「あ」

そして思いついたかのようにハッと声を零したリゼルに、止まった時が動き出した。

「“表に出やがれ”」

また止まった。

ジルは溜息をつき、イレヴンは両手で顔を覆い、スタッドはリゼルを凝視する。相対していた男達など、もはや一切の戦意が何処かへ行った。同情の視線すら集まる。

そんな中、ただ一人酷く満足げな顔をしていたリゼルが不思議そうに男達とギルドの扉を見比べる。

「あの、表に……違いました?」

予想では、男達が威勢よく吠えながら外へと躍り出てくれる筈だった。

リゼルじゃなければそうだった。誰もがそれを知っている。でもリゼルだけは知らない。この生温かい空気は誰の罪でもないのだ。世知辛い。

「はははっ」

その時、弾けるような笑い声がその空気を壊した。

「その喧嘩、俺が売った事にしちゃあ駄目か?」

低く深い声だ。リゼルがそちらを向けば、四十手前だろう冒険者が傍観者の集まりから抜け出て来た。

纏う防具はいかにも使い込まれている。分厚い胸当てに籠手など、鈍く金属の色を反射する防具は冒険者の典型的な前衛装備だった。

切っ先は布で覆われているものの、肩にもたれかけるように持つ槍が鋭い雰囲気を放っている。

「けど、折角彼らが喧嘩を売ってくれたので」

「「「やっぱキャンセルで」」」

当の男達に何故か辞退された。

「リーダーキャンセル料、キャンセル料ぶんどって」

「取れるでしょうか」

「追い打ち過ぎんだろ」

周囲から同情されつつ消沈した様子で去って行く男達を、リゼル達は止めることなく見送った。上手く喧嘩が買えなくて申し訳ない。

戦意喪失したのはリゼルも分かったので、きっと何かが違ったのだろう。難しい、なんて思いながら近付いて来た冒険者へと視線を戻す。

「て、事でだ。どうだ?」

彼は、トンッと肩で槍を跳ねさせた。

「先輩の腕試し、受けてみねぇか」

鷹揚に笑う姿は、いかにも強者らしく。

リゼルは微笑み、小さく首を傾けながら髪を耳へとかけた。このまま喧嘩すれば恐らく勝てないだろう、しかし名乗り出てまで弱者を甚振るタイプにも見えない。

「ジルじゃなくて良いんですか?」

「ま、本命はそうなんだけどな」

ならば、と問いかければあっさりと肯定が返って来る。

からからと笑った冒険者は、視線だけを動かしジルを見据えた。一瞬交わった視線は、直ぐに鬱陶しそうなジルによって外される。

「そこの兄ちゃんは、何回誘ってもノッて来ないからなぁ」

残念そうに肩を竦め、わしわしと後ろ髪を掻き回す。

そして手を止め、ひたりとリゼルに視線を戻した。その唇がゆっくりと、好戦的な笑みに染まっていく。

その日に焼けてカサついた唇が、ゆっくりと煽るように促した。

「断ってくれるなよ。お前さんが買っちまった喧嘩だ、売り手が変わってもな」

「一刀の代わり、なんて荷が重い気もしますけど」

可笑しそうにリゼルが笑えば、溜息をついたのはジルだった。

確かに戦闘での力量と言われれば間違いでは無いのだが、有り得ない事だろう。リゼルが本音で言っている事は分かっているので口は挟まないが。

「つーか暴論じゃん。リーダー、ヤなら無視しよ」

「いえ、嫌って訳じゃないんですけど」

気に入らない、という態度を隠そうともしないイレヴンにリゼルは微笑み、そして改めて冒険者を観察する。

目の前に立つ冒険者はいかにも強そうで、恐らくSでは無いだろうがAかBであるには違いない。例えランクが同じであっても力量が同じという事は決してなく、このまま喧嘩をすれば恐らく負けるのだろう。

「少し相談しても?」

「どーぞ?」

冒険者らしく無骨な雰囲気を持ちながら、いかにも紳士を気取って差し出された掌が不思議とはまって見えた。

喧嘩の始まり方じゃねぇなぁ……なんて見守られながらリゼルはジル達へと振り向く。秘密の作戦会議っぽい空気を出しながら会話はダダ漏れだ。

「これ、勝ち負けはどっちでも良いんですけど」

「あ、良いんだ?」

「実際勝てねぇしな」

「ですよね」

ジルが冒険者の先端が布に包まれた槍を一瞥した。

リゼルとてギルドにBランクと認められるだけの実力は確かにあるが、良くて引き分けだろう。流石に相性が悪すぎる。

「でも、ボコボコにされるのは流石にちょっと……」

ボコボコ、と全員が無言でリゼルを見た。

そして示し合わせたように、その視線が冒険者へと流れる。何かを訴えるように、あるいは心底微妙そうに、そして一部は釘を刺すように集まる視線の数々に、冒険者は思わず口元を引き攣らせた。

「や、流石に無ぇッスよ。ガチな前衛が魔法使い相手に本気だしゃ、ただの 虐殺(リンチ) だし」

イレヴンは天を仰ぐように冒険者へと視線を流し、そして嗤う。

「なァ?」

きゅうと絞られていく瞳孔と弧を描く瞳は得体の知れないおぞましさを抱き、尖った牙を露わにする口元は獲物に牙を突き立てようとする捕食者のようだった。見る者によっては視線だけで完全に身動きを封じる事が出来るだろう強烈な牽制に、冒険者はゆるく笑い片手を上げる事で答える。

「ほら、すっげぇ手加減してくれるって」

「なら安心ですね」

ぱ、と笑みをリゼルの為だけのものに変えるイレヴンに、過保護な事だとジルは内心で呟いた。本来ならば反対したい所を、珍しく浮かれに浮かれているリゼルを前に強く拒否出来ない反動もあるのだろうが。

そもそも、かの冒険者が加減をしないような人物ならジル達はとっくにこの場を去っている。

「ナハスさんもそうでしたけど、槍の玄人って凄く強そうに見えて」

「あー……丁度、張るぐらいじゃねぇの」

「彼とナハスさんがですか?」

感心したリゼルは、何となく世話焼きな副隊長の事を思い浮かべてみる。

未だ鮮明に思い出せるその姿は魔鳥を賛美し、そして此方を叱り、アリムにこき使われ、魔鳥を撫で回し、そして自身を看病してくれて、宿主の友人で、魔鳥の世話を焼き、そして自身にセンスの絶妙過ぎる土産を渡してくれ、そして魔鳥との空中散歩を喜々としてこなす。

「ナハスさん、強いんですね」

「まぁリーダーが言いたい事は分かっけど」

ナハスが聞いたら複雑そうにするだろう。

そんな事は露知らず、リゼルは一つ頷いた。ナハスと同じくらいと聞くと、不思議と上手く相手をして貰えそうな気がする。

「じゃあ頑張ってみます。ランクアップしましたし」

「お前ほんと大喜びだな」

「大喜びです」

リゼルはほのほのと微笑み、そして振り返った。

冒険者は槍を揺らしながら此方を見ている。彼は片端を吊り上げ笑んだ唇はそのままに、獣のように目を細め笑った。

「話し合いは終わったか?」

「はい。腕試し、お願いして良いですか?」

「そうこなくっちゃなぁ」

威勢よく声を上げ、冒険者が扉へと足を踏み出す。しかし一歩踏み出しかけたところで、思い出したようにリゼルを振り返った。

「そういやお前さん、ランクは何になったんだ?」

そして冒頭に戻る。

色々衝撃がありつつも冒険者の男はギルドの前で、ぐるりと腕を回しながら立っていた。

槍の布は外さない。腕試し、の言葉に嘘偽りはないのだから余分な怪我をさせるつもりも無かった。相手が言うには喧嘩らしいが、それならそれらしく振舞って欲しいものだ。

「これはやり過ぎっていうの、有りますか?」

「あー……周りに被害出さなきゃ良いんじゃねぇの」

「取り敢えずリーダーは殺す気でだいじょぶ」

「分かりました」

分かるな。と野次馬である大量の冒険者たちが、何故か喧嘩講座を受けるリゼルを見守っている。

男とて、ただのノリで喧嘩を売った訳では無い。リゼル個人の実力は余りに知られておらず、内心気にしている冒険者は多かった。

もし一刀のパーティにいるなりの実力を見せられなければ、今日からリゼルを見る目も変わるだろう。メンバーに依存するような者は、どんな好人物だろうと冒険者からは認められない。

「狙うなら目と喉、特に喉つけりゃ大体潰せるから」

「頑張ります」

しかし教える側に殺意があり過ぎる。

「あの槍、魔力反射ついてんぞ」

「そうなんですか? 気を付けないと駄目ですね」

そしてがんがんネタバレされる。

もうちょっとこう食らってから驚くとか、と男は思わないでもないが、確かに有利過ぎるは有利過ぎるだろう。ぐるりと首を回し、ふんふんと頷いて真面目に教授を受けるリゼルを眺める。

見るからに品の良い相手だ、殴り合いの喧嘩などした事もないだろう。

「つうかお前、時々一人で絡まれてんだろ」

「返り討ちにしてんスよね。それと同じッスよ」

「あれは格下なので。格上相手は避けますよ」

だが、絡んできた相手を格下と断じる程の自負はある。

そうでなければと、男は笑みを深めた。肩に立てかけるように持っていた槍を握り、ぶら下げるように持つ。切っ先はリゼル達へと向いていた。

「よぅし、そろそろ良いか?」

「はい、お待たせしました」

ジル達に頑張れと見送られたリゼルが数歩歩き、男の前に立った。

微笑んだ顔に気負いはなく、自然体で立っている。度胸は合格、と男は内心で呟き槍を両手で構えた。

軽く腰を落とし、構える。

「初手はお前さんに譲ってやるよ。そら、どんと撃ち込んで来い」

「撃ち込むって言うほど、強力な魔法も使えないんですけど」

リゼルが苦笑し、そしてその自然体のまま真っすぐに此方を見据えた。

その姿を映しながら、男は前へと飛び込んだ。数瞬の間、男が立っていた地面から土塊の爪が突き立つ。

周囲の冒険者、そして通りを利用していただろう冒険者以外が悲鳴にも似た歓声を上げる頃には、男は槍を突き出していた。その槍は確かに、甲高い音を立ててリゼルが張っていた防御魔法を砕き貫く。

「へぇ、対魔武器に詳しいな」

だが、槍はキィンッと音を立て空中に止まった。

槍の先端、触れた部分から蜘蛛の巣状に魔力が映る。それは、確かに貫いた筈の魔力による防壁だった。

「連続使用に制限がある、ですよね」

「よーく勉強してんじゃねぇか」

男は飛びすさり、心躍らせながら構え直す。武器に付与された魔法反射も万能では無い。

使用後に性能が回復するまで、若干のタイムラグがある。それは些細な間だが、軽視も出来ない。二重で張られた結界に止められるぐらいには。

「こりゃあ楽しめそうだ」

「光栄です」

ふっと腕を振ったリゼル、その背後から何本もの炎の矢が男へと襲い掛かる。

それを切り伏せ、避け、男は地を蹴った。再度リゼルへと肉薄する。他の魔法の発動中は防壁を張れない、狙い目だ。

「終わらせてくれんなよ」

片腕を撓らせ、鋭く風を斬る音と共に槍を突き出す。容赦なく突き出したその先端の向こう側に、視線を逸らすことなく此方を見据える清廉な瞳が見えた。

その瞳が、ゆるりと笑む。

「胸、お借りしますね」

一歩、リゼルが体を引いた。

槍を避けるには不十分な動き。構わず槍を押し出す男は、直後眉を跳ね上げた。

リゼルの影から飛び出した二本の黒い槍、足を貫こうとするそれを踏み出した足を引く事で避け、そして引き寄せた槍で薙ぎ払う。

しかし、それだけでは終わらなかった。

「こりゃあ凄ぇ……ッ」

真後ろに突如せり出した土壁が、咄嗟に引いた身体をその場に押しとどめた。

一瞬背へとやった視線を正面に戻せば、リゼルがその指先を振るい終えていた。その指先に纏っていた水の塊が鞭のように撓り、刃となって男を襲う。

頭と体を切り離そうと首を狙った刃を伏せる事で躱し、同時に両眼を貫こうと眼前の地面から突き出た爪を籠手で殴り壊す。背後から、水の鎌に土壁が破壊された音がした。

「魔法ってこんな連発出来るもんだったか?」

「いや見た事ねぇよ」

野次馬から聞こえて来た声に内心で同意し、未だ楽し気な男は伏せた上体を起こしながらリゼルへと肉薄した。

槍で突けば、やはり魔法防壁を破壊し、そして止められる感覚。抜け目なく防御に回る手腕は見事、と距離を取れば眼球の目前を幾重もの風の爪が切り裂いていく。

「つうかお前さん、アドバイスに忠実すぎんだろ……!」

執拗に目と喉を狙ってくる。そこに一切の躊躇はない。

「どうせ当たらないから良いって、ジル達が」

「避けられっけどな。怖いんだよこれ」

なにせ当たれば即死な攻撃だ。避けられようと普通に怖い。

言ってる傍から二発、三発と、獣のように喉元を食らおうとする風の爪を避け、男はトントンとつま先で地面をノックする。それを合図に、彼は纏う空気を変えた。

楽しむような笑みはそのままに、空気が張り詰める。

「及第点には届きましたか、先輩?」

「おーう、充分だ。おめでとさん」

嬉しそうに微笑んだリゼルに、男も笑みを深めた。身を屈め、地面を蹴る。

先程より数段速い。男は襲い来る魔法を切り捨て、そして一つ目の魔法防壁を貫いた。だが男は攻撃を止めようとしない。その勢いのまま槍を回し、槍の底を残る防壁に叩きつける。

叩き割られた防壁が、音を立てて崩れ落ちた。

「防壁も万能って訳じゃあねぇよな」

「一撃、凄いですね」

槍を薙ぐ。もはやリゼルを守るものは無い。

そしてこの間合いなら避けられる事もない。男は確信を持ち、リゼルの身体を簡単に吹き飛ばせるだろう攻撃を叩き込んだ。筈だった。

「何だ?」

男は目を見開く。槍は、確かに存在していた筈のリゼルを通り抜けた。

目の前の穏やかな姿が掻き消え、その数歩向こう側。幾つもの魔法陣を従え、こちらへと向ける姿があった。

「Pierce(貫いて)」

一斉に魔法陣が光る。

そこから伸びた光の槍が男を貫こうと襲い掛かった。目を、喉を、足を、心臓を、貫こうとするそれらを男は焦燥を浮かべることなく避け、槍で払う。魔法陣という出現場所さえ分かっていれば、避けるのは可能だ。

とはいえ、紙一重。予想以上だと、男は見開いた目を獰猛に歪めた。

「惜しかったなぁ!」

全ての魔法陣が消え、今や目の前に立つ姿へと槍を引いた。

だが、今まさに自身へと槍が突き出されそうだというのにリゼルの笑みは変わらない。変わらないまま、隠されていただろう魔法陣が二つ、目前に姿を現した。

そこから、槍が生まれる。真白い槍が喉を貫こうとするのを、敢えて踏み込み隙間を縫うように避けた。

「そういう事かよ」

男は笑った。

確実に彼の槍はリゼルを捉え、突き出されていた。このまま、その冒険者にしては薄い体を貫くのは間違いない。

しかし、目の前のリゼルは槍など見ていなかった。喉元で横向きに構え、向けられた掌。そこに生まれたのは槍と同じく真白い光の刃。白い槍は男の首後ろで交差し後退を許さず、左右への抜け道も塞いでいる。

後は、まるで処刑台のように。槍を伝い、首を刎ねる。

「さぁて、早いモン勝ちだ」

「お手柔らかに」

そして、人々の歓声が響き渡った。

リゼルが目を閉じることは最後までなかった。

自らの肩を貫こうとした、とはいえ布に包まれているので盛大にぶち当たるだけだろうが、その槍を止める一本の剣。大剣ながら細身の剣は、見慣れたものだ。

「有難うございます」

「ああ」

まるで相手の立ち入りを禁ずるように真っすぐ横に伸ばされた剣に、リゼルは素直に礼を言った。わざわざ痛い思いをする気も無いので、助けてくれたのは有難い。

「リーダーだいじょぶ?」

「はい、何処も痛くないですよ」

そして、恐らくジルと共に来てくれたのだろう。

いつの間にか隣に立っていたイレヴンが、やや眉を寄せながら尋ねて来る。それに微笑み、皺のよった眉間を和らげるように額を指先で撫でてやった。

「おいおい、“喧嘩も一人で買える”んじゃなかったのか?」

下ろされ、鞘に戻された大剣の向こう側。

さすりさすりと首元を擦りながら、槍を下ろした冒険者がカラリと笑った。やはり魔法は防がれてしまったらしい、手加減された上に負けてしまったのなら完敗だろう。

「最後だけなので、おまけしてください」

「まぁ、俺も最後は力入っちまったからなぁ」

止めてくれて助かった、とジルへ告げて冒険者は満足げに溜息をついた。

「いやー、ピンでこれだけやれる魔法使いは初めてだ」

「試して貰えた感想は聞いても?」

「ん? そうだな」

冒険者は槍を肩にかけ、しげしげとリゼルを見る。

周囲では観客たちが少しずつ普段の生活へと戻っていた。冒険者らはリゼル達の喧嘩の考察を、通りがかりの人々は興奮気味に感想を話し合いながら去って行く。

「流石は一刀らを普段から見てるだけあって、お前さん目は良いな」

「あ、本当ですか?」

「おう、俺の槍も目で追えてたろ」

嬉しそうなリゼルに、冒険者もニッと笑う。

なにせ、ジル達は出来て当たり前の範囲が広すぎて余り褒めてくれない。リゼルとて自身の力量不足を感じる身なので褒められたいとは思った事は無いが、褒められたら褒められたで嬉しい。

「そういや、詠唱も無しに魔法連発してたのは凄かったな。どうやってんだ?」

「あれは、戦う前にたくさん時間を貰ったので。ひたすらストックしておいたんです」

「へぇ、そんなこと出来んのか。他の魔法使いもやりゃあ良いのにな」

出来るか、と見物を撤退中の魔法使いが思わず真顔になった。

恐らく理屈としては出来ない事はない。ただ酷く繊細な魔力操作と、高い集中力と、その他諸々処理できる頭があって初めて出来る。非魔法使いは何も分かってくれない。

「とにかく、お前さんと戦りあえて良かった」

「一刀の代わりになれましたか?」

「ハハッ、一刀とじゃ出来ない戦いだったさ。ありがとな」

その時、冒険者が誰かに呼ばれた。

彼のパーティなのだろう、手を振り返している。彼はすぐに行くと返事をして、トンッと肩で槍を跳ねさせながらリゼルを見た。

「そいつらに比べりゃ大したもんじゃないが、暫く王都に居るつもりだ。いつでも頼ってくれて良いぞ」

「有難うございます。その時はお願いしますね」

「おーおー、おいちゃんに任せとけ」

此方を見下ろす瞳は存外信頼を滲ませていて、どうやら認めて貰えたらしいとリゼルはゆるりと微笑んだ。冒険者も満足げに頷き、そしてヒラリと手を振り去って行く。

「リーダーどうだった? 初喧嘩」

「ほぼ喧嘩じゃねぇだろ」

「そうだけど」

「ちょっと緊張しました」

そして、リゼル達もそろそろ行こうかと歩を進める。

ざわざわと、普段以上に騒めきと視線が三人へと集まっていた。その視線はやはり冒険者のものも多く、その中に感心はあれど落胆は一つも無い。

三人はそのまま、今夜は何処の店に行こうかと話し合いながら宿へと歩いて行った。

その夜、とあるバーに似た酒場にて。

「ランクアップおめでとうございます」

「だからスタッド、そんな淡々とじゃなくて、もっと……まぁ良いや。リゼルさん、おめでとうございます!」

「有難うございます」

「ランクアップ早々貴方が喧嘩を売られた時は驚きましたが」

「驚いたなら驚いた顔しろよ能面」

「黙れ馬鹿」

「えっ、け、喧嘩って、その、リゼルさん怪我とか……!」

「大丈夫ですよ。負けちゃいましたけど、無傷です」

「良かった……でも、リゼルさんが喧嘩なんて、その……これからも、あったりするんですか?」

「いえ、向こうから来なければ余り。喧嘩も上手く買えなかったし、道を塞いだり魔法で荒したりしたのが凄く申し訳なかったので」

「そこかよ」