軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

138:菓子折り持って滅茶苦茶謝った

豪奢な屋敷の応接間というのは、家ごとに特徴がある。

品の良い家具を理想的に並べ、ただ己の地位に相応しい部屋へとするのが基本だ。そこに何を加えていくかで、家主の特徴が表れる。

花を愛でているのなら多く生けられるだろう、窓の外に整えられた庭が見えるのも良い。茶器に拘るならばサイドボードを置きそれらを並べても良いし、絵画に拘るのならばハイセンスなバランスを持って壁一面を飾っても良い。

「飲めないとは聞いていたけれど、これ程とは!」

そして此処は、さりげない調度品さえ迷宮品が使われる応接間。

屋敷の主であるレイは一切の嫌味を含まず感心したように、ソファに背を預け楽しそうに笑みを浮かべていた。その視線は酷く好奇の光に溢れ、向かいに座る人物へと向けられている。

「リーダー美味しい?」

「それなり、です」

常よりゆったりとした口調のリゼルが、冷えたグラスを唇から離して微笑む。

その手をすっと横へずらせば、差し出された手が当然のようにそれを受け取った。ここに座れと手で示され、座ってみたら極々自然に椅子にされたイレヴンだ。特に不満はない。

ほぼ変わらない身長では膝の上に乗せるのも不便なのだろう。足の間にリゼルを置いたイレヴンは、機嫌が良さそうに笑みを浮かべてレイを見た。

「まぁ大ッ体は馬車ん中で説明したけど、質問は?」

「いいや?」

軽く手を広げてみせたレイに、リゼルはゆるりと首を傾けてみせた。

唇には微笑みを乗せたまま、つっと瞳を細める。目元を緩めたようで射抜くようなその仕草に、レイの黄金色の瞳が喜色を宿した。

「随分と、魅力的な酔い方をしてくれるね」

笑みと共に零された言葉は、リゼルを満足させたのだろう。

もたれるように体重をかけてくる体を容易に支え、イレヴンは少しばかり意外に思いながら渡されたグラスに口をつける。もはや酒とは呼べない程に薄められたそれが、唇を冷やした。

「なぁんでアイツにもちょっと甘えたんなってんの、リーダー」

肩口から顔を出してみれば、リゼルの視線が此方を向いた。

以前は似非貴族になったリゼルに振り回され咄嗟に服従したが、その真意が分かった今、多少逆らったとしても怒られないと知ったイレヴンが恐れることはない。今回は止めなかっただけでわざと飲ませた訳でもないし、落ち度も無いのでやりたい放題だ。

「椅子風情が、私のグラスに手を出して良いとでも?」

「あ、スンマセン」

逆らえはしないが。

「おや、それは甘えているのかい?」

レイが可笑しそうに笑い、自らの分のグラスを手に取った。

此方は流石に明るい内から飲む気分ではないらしく、氷でしっかり冷やされた紅茶が入っている。それで何故リゼルには限界まで薄めてあるにせよ酒が出されているのかと言えば、偏にイレヴンがリゼルを酔わせたままにしておきたいからに他ならない。

「正反対になるっつーのが基本っぽいから、俺には甘えんの」

「成程。けど、私は甘やかして貰った覚えがないな」

「甘やかされてぇの?」

「どちらかと言えば、逆だね」

カラン、グラスの氷を鳴らしながらレイは笑みを深めてみせた。

害の無さそうな笑みは人に好感を抱かせるに十分なものだったが、イレヴンにはそうでは無かったのだろう。胡散臭そうに顔を顰め、リゼルを器用によけながら机の上の菓子へと、グラスを持つ方とは反対の手を伸ばす。

「ん? なら、ジルにはどういう反応をしたんだい?」

「甘やかした」

簡潔に告げ、摘まんだチョコレートを口の中に放り込む。つもりだったが、リゼルの唇が微かにチョコを追ったのに気が付いた。

「それはそれは、なんとも贅沢な事だ!」

「まぁ贅沢は贅沢なんだろうけど」

含みを多分に孕む言葉に、レイがどういう事なのかと酷く期待するように身を乗り出した。

イレヴンはチョコレートの進路を自らの口から変更し、リゼルの唇へと運ぶ。当然のようにゆるく開かれた唇がそれを挟み、満足げに奪っていった。

「完ッ全に落とされんじゃなァ」

「落とされる?」

「あー……奈落? っつーか、あ、アレだ」

ぽすんと本物の椅子にするように再び寄りかかってきたリゼルを、イレヴンの指が見えない位置からついっと指し示す。

「 中毒(ジャンキー) 」

その言葉に、全てを理解したのだろう。

レイはグラスを机に預け、ソファに背を預けながら足を組み替えた。その唇に浮かぶ笑みも、舌の上で甘みを堪能しているだろうリゼルへと固定されている視線も一切変わらない。

「魅力的ではあるけれど、私も遠慮したいかな」

「ニィサンは躱してたけど、あれ凄ぇわ。俺じゃ初見で五分五分」

「一度は見てみたいものだ!」

酔っていると聞いた今でさえ、レイの目に映るリゼルはただただ高貴だ。

レイがその本領を垣間見たのは、建国祭のパーティーでのこと。他者を自らの意思で跪かせるような清廉な空気を纏う姿は、まさしく高位に立つべき姿だった。

「ここに居んのがニィサンだったら見れたんじゃねぇの」

「うん?」

「正直、あんた相手じゃ酔って甘えるとは思えねぇし。俺のおこぼれじゃん?」

余りにも当たり前のように告げるイレヴンへ、レイの視線がようやく向いた。

面白そうな視線を隠すことなく、彼は組んだ指を膝に乗せる。リゼルとはまた違う、貴族然とした余裕のある姿だった。

「なら、それにあやかろうか」

レイは快活な笑い声を零し、組んだ指の一本でイレヴンを指した。

「おいで、リゼル殿。私の方が、余程上手く願いを叶えてあげられるよ」

呼びかけは低く甘く、壮年らしい落ち着いた声色が乗せられていた。

彼に好意を持つ淑女が聞けば引き寄せられてしまうだろう。その身に体を預ければ心ごと包み込んで貰えるのだろうと、思考を止めて惚けてしまいそうな声だった。

「貴方が?」

しかしリゼルは口内に甘さの名残を感じつつ、イレヴンからグラスを受け取り告げる。可笑しそうに、普段の穏やかな様子など無く凛と艶やかに笑いながら。

「望んでもいない癖に求めるなんて、趣味が悪いですね」

レイは笑みを深めた。

確かに自らが侍るべき存在としてリゼルを見ている。傅く事を許されたなら喜んで傅くだろう。生まれた時から貴族として生きて来た男が、見えずとも冒険者であるリゼルにそう思ってしまった。

実現するとは思ってはいない。貴族として仕える事が出来たらと、そういった理想でしかない。

「貴方が欲しい王は、今の私じゃないでしょう?」

リゼルに酔っている自覚はない。あるのかもしれないが、自らが普段とは違う姿を晒しているとは思っていない。

しかし、何処かで無意識に理解しているからこその言葉なのだろう。理想というのは色褪せず美しいものでなければいけない、酔って他者の好意を甘受する姿などレイは望まないと確信している。

「違いますか」

「違う、とは言い切れないな」

まるで凛と詩を口ずさむように、そう告げるリゼルにレイは肩を竦めてみせた。

互いに試しあうような、しかし何処か戯れるような空気が応接間を支配する。イレヴンはにやにやと唇の端を吊り上げながら、飲み終えたリゼルのグラスを受け取った。

「そんな厳しい人に甘えませーんってさ」

「おや、手厳しい」

レイは声を出して笑い、そして悪戯っぽくリゼルを見据える。

「けれど、少々心外だとも。王としての君にしか興味が無いと思われるのは、ね」

片目を瞑る演技じみた仕草は、彼に良く似合っていた。

レイとてリゼルに興味を持った切欠は、その高位だと他者に知らしめる雰囲気からではない。迷宮品をリクエストした依頼に、予想外の迷宮品を最上の贈り物としてみせる気質に心踊らされたのだ。

「隙を見せない友人を甘やかしてみたいと、そう受け取っては貰えないのかい?」

「願うのなら相応の頼み方があるでしょう」

「ふふ、傅いてみせれば良いかな」

冗談にみせかけて、やれと言ったのならレイは躊躇いなくリゼルの前で膝をついてみせるだろう。

ゆるりと首を傾け微笑んだリゼルは、しかしそれを許さなかった。そしてソファから背を離す事もないレイも、許されるとは最初から思っていなかったのだろう。

リゼルの気だるげに降ろされていた手が持ち上げられ、自らの肩を通り過ぎイレヴンの頬を撫でる。

「この子が頷くだけの、そんな頼み方が出来れば許しましょう」

頬の鱗を撫でる指先の感触を感じながら、イレヴンは体を押し付けるようにリゼルの肩口から顔を覗かせレイを見据えた。

その両腕が這うようにリゼルの腰へと巻き付く。細く長い指を持つ掌が腹を撫でていく感触を、咎めるように頬の指先が微かに爪を立てて痺れるような感覚を残す。

「隙が無ぇのはどっちだっつぅの」

それはまるで親が子を守ろうとするかのように巻き付いた腕は慈愛に富み、そして目の前に座る男へと向けられた視線は敵意を孕んだ。

浮かべられた嘲るような笑みとは裏腹に、弧を描く瞳は警戒を示すように瞳孔が絞られている。

「酔っぱらってる内に教え込もうって? なァにが“傅いてみせればー”だよ、わっざとらしい」

「さて、何の事かな?」

誰しも親しみを感じるだろう笑みをにこりと浮かべたレイを、イレヴンは鼻で笑う。

王としてのリゼルを云々、な話の直後に突っ込んでくるあたりタチが悪い。冗談だとは知っているし、酔っているとはいえリゼルがそれに気付かない筈がないとも思っているし、だからこそ代わりに拒否しろと分かりづらく甘えられたのも分かっているが。

「まぁご愁傷サマー。リーダー俺のが良いんだって」

「そのようだ」

ハッハッと笑ったレイが扉の外へと声をかけた。

レイの前に置かれた紅茶は既に氷が溶け切り、イレヴンの酒もリゼルの酒もどきも残り少ない。入って来た使用人に、新しい飲み物と菓子の追加を指示する。

その際、レイがリゼルへと声をかけようとすればイレヴンがすっと小さく手を振った。何となく眠そうなリゼルに気付いたからだ、流石に極々僅かしか飲んでいなければ酔いも長続きしないのだろう。

「しかし、君に投げるとは思わなかった」

使用人が扉を閉じた音が届くと同時に、レイが口を開いた。先程リゼルが対応をイレヴンに丸投げした事だろう。

「ご愁傷サマー。普段はニィサンに花持たせてっけど、リーダー俺にも結構頼るし」

「おや、花を持たせてるのかい?」

「つーか確率? 俺でもニィサンでも良い時は、成功率高ぇ方に任せるってだけ」

イレヴンがリゼルの肩に顎を乗せ、その顔を覗き込む。

自身の話題が出ているにも拘らず、全く気にせずゆったりとしている姿は以前と変わりがない。凛として高みから見下ろすような視線はそのままだが、しかし今は徐々にその空気が緩んでいっている。やはり眠いのだろう。

「成程。それなら、ジルに軍配があがるだろうね」

「あんな人外とガチで張り合おうとか思ってねぇし、別に良いけど」

ようは適材適所、という事だ。

ジルにしか出来ないこと、イレヴンにしか出来ないこと、両者に出来ること、リゼルはそれを理解して物事を託す。状況に合わせて最も良い判断を、それが情に流されないあたり根っからの貴族なのだろう。

「そういうシビアなとこ、大ッ好き」

「離しなさい、気安いですよ」

促され、イレヴンは巻き付けた腕を解きながらにんまりと笑った。その勢いでソファに寄りかかれば、追いかけるようにリゼルも背を預けて来る。

「けれど、ジルばかりじゃ面白くはないだろう?」

「まぁ、あんま片寄んのはなァ。そこらへん調節してくれてっけど」

肩に預けられた後頭部、間近にある柔らかそうな髪を見下ろしながら笑みに歪む口を開いた。

「そん時はぎゃんぎゃん言ってりゃ構ってくれっし、不満ってほど不満じゃねぇかな」

イレヴンがリゼルへと嘘をつく事は、あまり無い。

よって本心だ。ジルに叩かれた叩かれたと騒ぐのも、宿が自分だけ違うずるいずるいと文句を言うのも、口にする不平不満は全て本心だった。

しかし、そこまでかと言われると違う。別に流そうと思えば流せる。事実、リゼル達相手でなければ“は?”の一言で終わることばかりだろう。

「おや、随分と打算的な気の引き方だね」

「リーダーも全部分かってっし、ただのカワイイ我儘だろ」

人聞きが悪い、とイレヴンがケラケラ笑う。

その時、ふいにレイの目が優しく緩んだ。その視線の向く先と、すっと唇の前に立てられた一本の指にイレヴンは口を噤んでゆっくりと体を起こしていく。

「寝た?」

「完全に、ではないけどね。ベッドを用意させよう」

「俺の分いらねぇから」

「ん、帰るのかい?」

「なワケねぇだろ」

小声で言葉を交わしていると、静かなノックと共に丁度使用人がティーセットを携えて入って来る。レイがそのままベッドの用意を指示すれば、使用人は心得た様に茶と菓子を手早く机にセッティングして部屋を出て行った。

残された部屋で、イレヴンがリゼルを支えながら器用に机に置かれた菓子へと手を伸ばす。

「つーかあんた仕事良いの」

「今日じゃなければいけない仕事は、君達に会う前に終わらせていたからね」

つまり急を要しない仕事は残っているのではと思ったが、別に関係は無いしとイレヴンは三段トレーからスコーンを手に取り齧りついた。

徐々に覚醒していく意識の中で最初に気付いたのは柔らかなベッドの感覚と、手触りの良いサラサラなシーツと枕の感触だった。

かけられた毛布は軽く温かい。撫でてみればやはり心地は良く、手放すのが憚られた。

リゼルはもぞりと毛布に肩を潜らせ、揺蕩う意識のままに二度寝の体勢へと入る。何だかやけに頭がゆらゆらと揺れている気がするし、深く深く眠れそうだった。

「…………?」

その時、ふと何処からかピアノの音が聞こえた気がした。

身じろぎを止め、未だ開かれない瞳をそのままに耳を澄ます。やはり気のせいではなく、微かに聞こえてきていた。

「(陛下がきてるのかな……)」

引き上げた毛布を肩まで下げ、無意識に微笑んだ口元をそのままに枕にすり寄る。

「(同じところで引っかかってるなぁ……嫌になって、好き放題弾き始めるかも)」

何故か聞き覚えのない曲は、シンとした早朝に相応しく心洗われるようだった。

揺蕩う水のような旋律は、とある箇所で必ず乱れ止まる。そして暫くその部分だけを何度か繰り返し、再び頭から弾き始めてはやはり同じ所で引っかかっていた。

「?」

そこで、ふと気付く。

まだ手習いを出ない域の曲で、元教え子が引っかかっていたのは昔の話だ。今では何でも弾きこなすし、その上即興で作曲して前例の無い激しいピアノ曲をノリにノッて弾いていたりもする程だ。

リゼルは重たい瞼を薄っすらと開く。

「(実家じゃなかった)」

ベッドの所為で寝惚けた。

「(えーと……)」

視界に入るのは広く豪奢な部屋、全く見覚えがない。

現状把握しようと体を起こそうとすれば、ぐわんと揺れた頭に一瞬で察した。酔っぱらって記憶が飛んでいる。

寝転がったまま横を向いてみれば、ソファで寝こけるイレヴンの姿が見えた。イレヴンが泊まる事を許容するような豪邸となると、選択肢は一つだけ。

「子爵の、家」

掠れた声に、水を探す。

サイドテーブルに置いてある水差しが目に入り、リゼルはのそのそと起き上がった。以前よりは大分状態がマシなので、あまり飲まなかったのかもしれない。

そう思いかけて、ハッと気付く。

「(強くなったのかも)」

やや血の気の引いた顔でほのほの微笑みながらそう思えば、二日酔いも楽になった気がした。嬉しそうに水差しに手を伸ばし、伏せてあるグラスへと注ぐ。

「……んぁ、起きた?」

「お早うございます、イレヴン」

「んー」

その時、もぞりとソファで毛布を被っていたイレヴンが動いた。

枕に突っ込んでいた顔が此方を向き、眠そうにくっついている瞼がゆるゆると薄目を開ける。

「だいじょぶ?」

「前より楽です」

「なら、いいや」

柔らかい笑みは寝起きだからだろうか。珍しい事だとリゼルは微笑み、グラスごしに程よい冷たさを感じながら水差しをテーブルへと戻した。

「ここ、子爵の家ですよね?」

「そ」

「久々の再会で酔っぱらってたなんて、失礼な事をしちゃいましたね」

謝罪と礼をしなければ、と思いながら窓を向く。

カーテンから漏れる明かりはか細く、恐らくまだ朝焼けが見える時間だろう。レイを訪ねるにも早すぎるし、暫く部屋に居た方が良いかもしれない。

イレヴンも起きる気が無いのだろう。再び枕へと顔を埋めて何やらもごもごと言っている。

「起きたら好きにしていーって……飯でも何でも、使用人に言えって」

「有難うございます」

それを伝える為にイレヴンは目を覚ましてくれたのだろう。後は、心配してくれたからか。

酔っ払ってしまって申し訳ない、と苦笑しながらグラスに唇を寄せる。そういえば何故自分は酔っぱらったのだろうと思いながら水を飲み、そして喉へと流れ込む感覚にピタリと動きを止めた。

「(昨日の記憶が残ってるのが、祭事中まで)」

寝起きの脳をフル回転させて記憶を洗う。

覚えている限りの記憶の最後は、祭事中に渡された聖水に満ちた杯だった。予定通り渡され、それを飲み干そうとして、そして記憶が途切れている。

と、いうことは。

「!」

リゼルは、彼にしては乱れた仕草でグラスをサイドテーブルへと置きながら立ち上がった。立ち上がった勢いで、くらりと脳が揺れてたたらを踏む。

咄嗟にサイドテーブルへ手をつき体を支えれば、寝入り始めていた筈のイレヴンがバッと毛布を跳ねのけ起き上がった。

「何、リーダーどしたの。だいじょぶ?」

「大丈夫です、すみません」

今にも立ち上がり此方へと駆けよってくれそうなイレヴンを手で制し、リゼルはゆっくりと再びベッドに腰を下ろした。何だか、嫌な予感がする。

「ええと、昨日の依頼って途中でしたよね」

「は? あー、祭事? は、ちゃんと最後まで終わらせてたッスよ」

「そうですか……」

「聖水? に酒入ってたっぽい」

リゼルは安堵すると同時に、少しだけ落ち込んだ。

飲む前に気付かなかったのなら、入っていた酒も僅かだっただろう。それでも酔うとは。いや、恐らく気付いていてもあの場では覚悟を決めて飲んでいただろうが。

「あ、でも片付けもありましたよね」

「へー、そうなんスか。ニィサンに任せて来たしなァ、多分報酬減額とか、いらねぇとか、そんな感じにしてんだと」

リゼルの顔から笑みが消えた。イレヴンは思わずびくりと言葉を切る。

そのまま顔を覆って俯いてしまったリゼルは、穏やかではあるが自省を込めた声でぽつりと呟いた。

「酔っ払って、依頼放棄」

物凄く落ち込んでいる。

珍しい姿にイレヴンはソファの上に胡坐をかきながら目を瞬かせ、そして面白そうに目を細めた。

「そんな気にするコトねッスよ。事故じゃん、事・故。依頼っつってもほぼ成功みたいなもんなんだしさァ」

「そう言っても、俺の不注意ですし」

リゼルははふりと息を吐きながら顔を上げ、頬に落ちた髪を耳にかける。

そして考えるように視線をカーテンの閉じた窓へと向け、数秒。うん、と一つ頷いてイレヴンを見た。

取り敢えず、するべき事はしなければ。開き直る訳ではなく、反省はしつつも直ぐに頭を切り替えられるのはリゼルの長所だろう。

「“ Bouquet(ブーケ) ・(・) Chocolat(ショコラ) ”で一番良いものってどれですっけ」

「あ、俺用意しとこっか。行く予定あるし」

「あ、有難うございます。なら、二つ。後、昨日の祭司さん達の居場所も知りたくて」

「二人?」

「そうですね……いえ、お姉さんの方だけで」

「りょーかい」

“Bouquet・Chocolat”はイレヴンの懇意にしているチョコレート店で、リゼルも依頼で訪れた事がある店だ。

頷きながらも寝転がって二度寝の体勢をとったイレヴンだが、時間が早すぎて店も開いていないという事なのだろう。ああいう店は何時ごろ開くのだろうか、とリゼルは疑問に思いながら立ち上がる。

「リーダー?」

「もう寝れそうにないので、ちょっと出ますね」

「んー」

毛布に包まったイレヴンがひらひらと手を振って来るのに微笑み、リゼルは微かに揺れる頭を感じながらゆっくりと扉へ向かった。

レイが好きにしろと言うのなら何をしようと咎められる事は無いのだろうが、好き放題歩き回るつもりもない。リゼルは確信を持って扉を開き、そして探す手間も無くその姿を見つけた。

「お早うございます。良く眠れましたでしょうか」

「はい、有難うございます」

扉の横に、一人の女性が手を前で組んで立っていた。

深く頭を下げ、微笑みながら問いかけて来る姿は洗練された使用人そのものだ。用を言い付けろと言うからには誰かが控えているのだろうと思っていた。

「お食事も湯殿も直ぐにご準備が出来ますが、どうなさいますか」

「そうですね。それより、これは?」

リゼルは柔らかく微笑み、未だ小さく届く音色をなぞるように指した。

使用人は気に障っただろうかと少し眉を下げ、リゼルを見上げる。

「ライナさまがピアノの稽古をされているのだと……」

「あ、やっぱり。以前お世話になったので、ご迷惑でなければご挨拶したいんですが」

「左様で御座いますか」

使用人はほっとしたように頬を緩ませ頷いて、そのままリゼルを案内し始めた。

なにせレイの息子であるライナは、昨晩騎士学校から帰った際にリゼルの訪問を聞いている。その時に是非会いたい是非会いたいと親と同じ黄金の瞳を輝かせていたのを、彼女も見ていた。

本来ならば格式ばった取次ぎを行うが、ライナが拒否する事は無いだろう。レイから“不自由のないように配慮し、可能な限り希望は叶えること”と指示も受けている。

「昨日は、突然押しかけて申し訳ありません」

「いえ、レイ様もとても喜んでいらっしゃいました。私共も嬉しく思います」

ちなみに彼女は穏やかに会話を交わす相手が冒険者だと知らない。

「少々お待ちください」

そうして辿り着いた扉の前で、使用人は腰を折りそう告げると扉へと向き合った。

随分とはっきり聞こえるようになった音色は、今は順調に旋律を奏でている。リゼルもヴァイオリンとは比べられないがピアノもそれなりに修めているので、微笑ましそうに目を伏せ耳を澄ましていた。

そして使用人が数度ノックし、音色が止む。入室を促す声に使用人が先に入り、説明すること数秒。

「あ」

勢いよく近付いて来た靴音に、リゼルはそっと耳を塞いだ。直後、力強く扉が開く。

一番に目に入ったのは艶やかな黒髪と、そして父譲りだと分かる黄金色の瞳だった。

「お久しぶりで御座います!!」

「お久しぶりです、子息さん」

耳を塞いでもなお、ぐらんと脳を揺らす溌剌とした声にリゼルは苦笑した。

少しだけ声を小さく、と頼めば何かを察したのだろう。コクリと深く頷き、尊敬と好奇に輝く笑みでリゼルを部屋へと招き入れる。

同時に出て行く使用人へと礼を告げ、リゼルは中央にピアノの置かれた部屋へと足を踏み入れた。

「アスタルニアから帰っていたのですね。昨日、父上から聞いて驚きました!」

「君のお父様にはご迷惑をかけてしまいましたね」

「いいえ、とても楽しそうでしたとも」

早朝とは思えぬ満面の笑みを浮かべるライナは、部屋の端から椅子を運びリゼルの前へと置いた。

好意に甘えて腰掛ければ、ライナもピアノの椅子へと座り直す。向かい合うように置かれた椅子からは、先程からライナが練習していただろう曲の楽譜が見えた。

「少し、苦戦していましたね」

「聞こえておりましたか、お恥ずかしい……どうも、こういった芸事は苦手でして」

照れたように笑い、首に手を当てたライナがふいにハッとしたようにリゼルへと顔を上げる。

「もしや、起こしてしまいましたか!」

「いえ、自然に起きましたよ。むしろ、心地の良い寝起きを頂いてしまいました」

「なんとお優しい……!」

感動に目を輝かせるライナに微笑みながら、リゼルはむしろ寝すぎな程に寝た事実に思い至る。

祭事の時間から考えて、恐らく丸々半日は寝ていただろうか。それでまさかライナに起こされたとは嘘でも言えまい。

「不甲斐ないことに、いつも同じ所で躓いてしまいまして。早く父上のように弾けるようになりたいと気が逸ってしまいます」

「子爵も弾かれるんですね」

「相当な腕前ですとも!」

誇らしげな姿に、リゼルは可笑しそうに目を細め楽譜へと視線を戻す。

気付いたライナが渡してくれたので、薄いそれをパラパラと捲った。ライナが苦手としている部分は、ちょうど全体の真ん中ほどだ。

今更かもしれないけれど、と前置きしてピンと背筋を伸ばして座るライナを見る。

「君は躓いたら止まるけど、多少乱れても続きを弾いた方が良いと思いますよ。先の流れが分からないと、指先は余計に迷ってしまうでしょう?」

「そうですよね……けれど、どうしても其処に気を取られてしまいまして!」

分かっていても難しいと、そういう事なのだろう。

リゼルは楽譜を閉じ、成程と頷いた。そしてそれを返しながら、ふと思いつく。

「俺と弾いてみますか?」

「はい?」

「連弾です。一緒に弾けば、詰まっても弾き続けやすいと思います」

ライナはぱちぱちと目を瞬かせ、しかし徐々にその表情を満面の喜色に染めていく。

もはや彼の中に冒険者なのに何故、という意識は無い。むしろリゼルをそういったステージで最初から見ていない。

「是非! っあ、でもお加減は……」

「これくらいなら大丈夫ですよ」

「ならば是非お願い致します!」

リゼルが気遣いに礼を告げるようにゆるりと首を傾け、微笑む。

楽譜を開きながら立ち上がると、ライナがいそいそとリゼルの座っていた椅子を自らの隣へと移動していく。

「子息さんが真ん中に座っていつも通り弾いて、俺は高音で弾きますね」

「分かりました」

「片手だけになるし、連弾と言うより伴奏になりそうですけど」

「問題御座いませんとも!」

リゼルは移動された椅子に腰かけ、楽譜を広げてセットする。

正直、初見の曲を合わせるのはリゼルの技量では難しいのだが、ライナが手習いで苦戦しているのが幸いした。これならばなんとかなりそうだ。

ライナも隣へと腰掛け、鍵盤に指先を乗せる。どうしても体同士が近くなるのでその右腕の演奏を邪魔しないよう、リゼルは左肩を下げた。

「楽譜、捲るの任せて良いですか?」

「勿論です。弾きにくくは御座いませんか?」

「大丈夫ですよ。君のタイミングで始めて下さい」

今までで一番近くから聞こえる穏やかな声は、ライナの気負いを溶かしていくようだった。

ライナは一度深く息を吸い、そしてゆっくりと吐く。そのまま自然に、指先は流れ落ちる水のような涼やかな音色を奏で始めた。

同時にリゼルの指先が鍵盤を跳ねる。戯れるようにアドリブから入ればライナは驚いたようだったが、直ぐに破顔して調和する旋律を楽しみ始めていた。

「その調子です」

リゼルの言葉は本心だ。ライナは返事をする余裕はないようで、しかし口元を綻ばせている。

ライナは苦手だと言うが、それほど下手という訳ではない。練習した分はしっかりと身についており、このまま練習を続ければ貴族としての嗜みレベルには十分届く筈だ。

「早くならないで、ゆっくり」

恐らくその高い集中力が、苦手部分に全力で向けられてしまうのだろう。

問題の箇所が近付くにつれ、徐々に上がっていくテンポにそんな事を思いながらリゼルは空いた左手をライナの背に添えた。

「俺の音を聞いて、合わせることに集中してください」

添えた手の指で、元の早さを刻んでやる。

徐々に緩やかさを取り戻す旋律に、褒めるように掌でぽんぽんと背を叩いてやった。そして問題の箇所に差し掛かる。

「ッ」

「続けて」

もつれた指先に手が止まりそうになる直前、ライナの耳へと届いた声がそれを咎めた。

もはや反射だった。騎士が王に服従する事に疑問を持たないように、その声はライナの意識を奪い従わせた。止まろうとしていた指先が、意思に反して勝手に動く。

「そう、上手ですね」

穏やかな声が、まるで頭を撫でていくようだった。

ライナは主旋律を外れ戯れるリゼルの指先をちらりと見やり、そして幸せを噛みしめるように笑みを浮かべた。

そうしてリゼル達は無事最後まで一曲弾き終わり、喜ぶライナに全力で礼を言われてリゼルの頭がくらくらしたり、請われてアスタルニアの話をしたりしていた。

そんな時間が終わりを告げたのは、扉のノックの音だった。レイが起きたのだろう、リゼルを呼んでいるという伝言と、ライナの支度の時間だという知らせが届く。

「これから騎士学校ですか?」

「はい。学校前にこんな充実した時間を過ごせたのは初めてで御座いました。心から感謝申し上げます!」

「いえ、こちらこそ」

そうして二人が椅子から立ち上がった時、ふとリゼルが踏み出しかけた足を止める。

一応付けて来て良かった、とポーチへと手を入れた姿をライナが不思議そうに眺めていると、リゼルの手が何かを取り出した。

「そういえば、これを渡そうと思ってたんでした。良ければ、どうぞ」

お土産です、と渡されたそれをライナは顔を輝かせ受け取った。

受け取ったものは、意外とずっしりしている。そして両手からはみ出る絶妙な大きさをしており、その見た目は何とも言い難い外見をしている木彫りの人形だった。

まさに“貰って誰が喜ぶのだろう置物”なそれを、ライナは数秒無言で眺める。

「まさか私が頂けるとは……感動いたしました、有難うございます!」

直後、パッと上げられた顔は言葉通り感動に溢れていた。心から喜んでいる。

良かった良かった、とリゼルは微笑んだ。外見に関してはリゼルも思う所があるが、厄除けなのだから縁起は良いだろう。純粋な好意だ。

「置物で御座いますね」

「アスタルニアの厄除けなので、是非飾って置いてください」

「勿論ですとも!」

そうしてリゼルはライナに見送られ、レイの待つ応接間へと案内されていった。

リゼルは覚えていないが、昨日も過ごした応接間にレイは居た。

既に身支度が完璧に整えられている所は流石だろう。リゼルを見つけると、窓から差し込む朝日に金の髪を煌かせながら笑みを向ける。

「やぁ、うちの息子が世話になったようだね」

「お早うございます、子爵」

リゼルがソファに座ると、直ぐに温かい紅茶が用意された。

届いた香りは仄かに甘く、あまり調子の良くない胃を癒してくれるようだった。しかしリゼルはそれらに手を付けるより先に、申し訳なさそうに微笑みレイを見る。

「先日はご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

「何、迷惑など何一つかけられていないとも。リゼル殿が気にする事など何も無いさ」

嫌味なく快活に笑う姿は、間違いなく彼の本心だった。

ならばこれ以上謝るのも無粋だろうと、リゼルは口を閉じる。どうやら酔っている最中、何かをやらかしたという事もなさそうだ。

未だに記憶が飛んでいる間の事を誰にも教えて貰えないリゼルは、ほっと安堵してようやく紅茶に手を伸ばした。

「空腹ではないかい? 何か用意させよう」

「いえ、実はあまり食欲が……」

「おや、それはいけないね。けれど、果物だけでも食べて行くと良い」

「有難うございます。お言葉に甘えさせて貰いますね」

微笑めば、レイも頷き笑う。

何も食べないのは良くないと、気を遣ってくれたのだろう。そう思うと、結構深く酔っていたのかもしれない。

リゼルは持っていたカップを音も無く置き、姿勢を正す。

「改めて。お久しぶりです、子爵」

「あぁ、そうだね。君のいない王都は酷く退屈だった」

平然と告げるレイに、苦笑を返す。王都を治める貴族の一角とは思えない発言だ。

「シャドウには会って来たかい?」

「はい。お元気でしたよ」

「あれは働いていないと体調を崩すような質だからね。忙しそうで何よりだ」

今頃、当のシャドウはペン先でも折っているだろう。

マルケイドで会った時の事だったり、本人が聞いたら舌打ちを返して来そうな事を話しあっていると、ふいに扉がノックされた。戻ってきた使用人の手には、ガラスの器に盛られたフルーツがある。

何種類ものそれは美しく飾り付けられ、しっかりと冷やされていた。添えられたフォークを持ち、一口含む。

「あ、美味しいです」

「それは良かった!」

レイも上機嫌に笑い、しかしふいに悪戯っぽく目を細めた。

「そういえば、シャドウばかり君からアスタルニア土産を貰うなんてずるいと思わないかい?」

露骨な催促に、リゼルは可笑しそうに笑う。

有ると確信しているからこその言葉なのだろう。無い、と言った時にどんな反応をするのかは正直気になるが、それは余りにも意地が悪い。

リゼルがポーチに手を入れれば、レイがパッと華やかな笑みを浮かべる。

「そういう表情をすると、ご子息にそっくりですね」

「似ている、とは時々言われるね」

雑談を交わしながらリゼルが取り出したのは、シックな色合いで華やかに装飾された箱だった。

机越しにそれを差し出せば、レイが優しく掬い上げるように受け取る。開けても良いかと問われ、リゼルが頷けば平たい蓋がゆっくりと持ち上げられた。

「これは……スカーフタイだね」

「時々つけているようなので、どうかと思いまして」

レイがスカーフへ指を差し込み、持ち上げる。

「余り見ない柄だ」

「アスタルニア織物で作られていますから」

いっそ愛おしさすら感じさせる眼差しがスカーフへと注がれていた。

無地に所々施された模様は、品がありつつも何処か見慣れない真新しさを感じさせる。手触りの良い布は微かな光沢を持ち、織られた模様部分は不思議と角度によって仄かに色を変えて見えた。

「御存じでしたか?」

「糸と一緒に魔力を織り込み、様々な効果を持つのがアスタルニア織物だというね」

「流石ですね」

リゼルはゆるりと首を傾け、にこりと笑う。

「貴方の心が常に満たされますように」

「本当に、君は最高だ!」

レイは感極まったように立ち上がった。机が無ければリゼルに突撃していただろう勢いだ。

その後、慣れた手つきで早々に首元を飾ったスカーフタイは彼に良く似合っており、リゼルは満足そうに果物を食べるのだった。