軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

閑話:ジルベルトの歴史

ジルがアスタルニアで、その店を訪れたのはただの偶然だった。

美味い酒が飲めると噂で聞いたオーセンティックバー、やや路地の奥に位置するその店は外観通りの小さく狭い店だ。ただカウンターの向こう側にある棚には膨大な数の酒瓶が並び、噂に偽りなしと誰もが頷くだろう。

「……お前、ジルベルト?」

店に入り、聞こえた声にジルは微かに眉を寄せカウンターに立つ男を見た。

然して年も変わらないだろう男が、“まさか”と怪訝そうな様子で此方を見ている。その顔と、今は滅多に使われない自身の名を思えば、深く沈んだ記憶に薄っすらと引っかかるものがあった。

「……あぁ」

「あぁ、って何だ。あぁって」

成程思い出した、と一つ頷けば不服そうな文句が返って来る。

深夜に近い時間帯もあり、他に客もいない店内で気にせずカウンター席に腰掛ければ、マスターと呼ばれる立場の男は肩を竦めて拭いていたグラスを置いた。

「ガラが悪くなってまぁ」

「煩ぇ」

白い布巾を畳みながら笑った男を、ジルはぎしりと椅子の背に体重を乗せながら眺める。

自覚してから見てみれば、その顔には見知った面影があった。生まれ故郷で共に過ごしていたのは、まだ互いに随分と幼かった頃の事だ。

最後にあったのは随分と前、とある侯爵家を追い出された際に村へ顔を出した時か。

「何にする?」

「ラフロイグ」

「またマニアックなモン選ぶなぁ。ロック? ストレート?」

「ストレート」

そこらの酒場では滅多に扱われない酒という事もあり、駄目元で頼んだのだがどうやら取り扱っているようだ。噂は確かだったらしいと、片肘をつき男の手元を何ともなしに眺める。

視線の先でラベルも形も様々な酒瓶をなぞるように手が動き、目当ての瓶を取った。

「噂は聞いてるよ、“一刀”」

ふいに、ふっと笑みを零しながら告げられた言葉にジルは眉を寄せる。

一刀などと呼ばれ始めたのは何時からだっただろうか。少なくとも最後に村を訪れた時は呼ばれていなかった、何せ冒険者になっていなかったのだから。

何も言わずとも視線に気付いたのだろう、男はボトルを開けながら親しげな声色で笑った。

「言ってただろ、冒険者になるって」

「それだけだろ」

「お前ならそれで充分だろう」

男はカウンターの上にショットグラスを置きながら、姿勢よく目を伏せ揶揄うように賛美する。

「一刀が冒険者最強なら、それはお前以外にあり得ない」

酷く信頼を感じさせる言葉を投げかけられたジルは、しかし一切のリアクション無く置かれたグラスへと手を伸ばした。透き通った色濃い黄金色が揺れる。

褒められてはいるのだろうが、それが純粋な賛美で無いことなど分かり切っている。小さく息を吐き、グラスを口元に寄せれば独特の磯の香りが鼻を掠めた。

「随分と面白がってくれたからな」

「そう言うなって。小さい頃は歴戦の雰囲気なんて知らねぇんだから」

照明の落とされた店内で男が楽しそうに笑った。

それを見ながら舐めるほどの量の酒を一口、口へと含む。最初に感じるのは酷くスモーキーな香り、そして海藻に似た磯の香りと、それらが全身に回る頃に微かに顔を出す仄かな甘いバニラの香りが心地良い。

「俺達はまぁ、ずっとお前と遊んでたんだから普通だと思ってたけど。外から来た奴らのリアクションったら凄かった」

飲めない事は取り敢えず置いておいたとして、リゼルは好まないだろうとぼんやりと思う。

ジルはそのままグラスを置き、とある過去が見える“最悪の迷宮”を思い出した。子供時代の自身を見たリゼル達も子供らしくないだのガラが悪いだの散々言っていたが、本人に自覚など仕様がないだろうに。

「それで戦えねぇガキ、冒険者の前に引っ張り出すんだからな」

「ふふ、良いだろ。余所の奴が、お前を見ただけで腰引けんのが面白かったんだよ」

男が言う出来事に心当たりはある。

あれは確か自身らの年齢が十にも満たない頃、薪割りをしていた時だったか。周囲の同年代の子供に比べれば力はある方だったし、少なくとも母親よりは捗るという理由で自主的に斧を振っていた時に目の前の男に呼ばれた事があった。

『おい、ジルベルト。ちょっとこっち来いよ!』

『てめぇが来い』

『意味ないだろ!』

一体どういう意味なのかと手に持っていた斧を担ぎながら行けば、そこに居たのは己の祖父である村長と見た事のない男達だった。

『誰だ、あいつら』

『冒険者らしいぜ。ほら、近くの森に魔物が出ただろ』

『あぁ……』

顔も人数も覚えていないが、恐らく報酬か何かで揉めていたのだろう。

子供心に不快感しかなく、ジルは友人らとやや離れた場所から不審を露わに眺めていた。場合によっては、この場に居ない大人たちも呼びに行かなければいけないからだ。

その時のことだ。不満たらたらな顔をしていた冒険者が此方を向いた。

『……?! ……、……?!』

斧を肩に預け、片手をポケットに引っ掛け、友人らとつるみ立っていた姿に冒険者が何を思ったのかは分からない。ただ五度見ぐらいされた。

そしてジルを見た余所者は一様に、ここまでは毎回同じ反応なのだ。相手が冒険者であれ、商人であれ、客人であれ警邏中の憲兵であれ誰もが似たような反応をする。

そして続く言葉も、人により大体は決まり切っていた。

『あんなのが居るなんて聞いてねぇぞ……!』

一体どんなのだというのか。村長である祖父は都合が良いと誤解をそのままにしていた。

『まさか幼い頃から戦闘技術を叩き込み、戦士を生み出さんとする村……!』

変な疑惑の所為で一度視察が入った。村長である祖父は懸命に否定していた。

『ほう、何とも強靭な覇気……是非、手合わせ願おう』

剣など握った事も無いのだから流石に死ぬ。村長である祖父は必死に説得していた。

それらを面白がって時にはわざとジルを余所者の前に連れ出すのだから、子供というのは残酷だろう。ジルも正直目の前の男に対して“いつか前歯折れろ”と常々思っていた。同郷の慈悲など無い。

「そんな男が最強じゃないなら、逆に驚きだろう?」

「好き勝手言ってんな……」

喉で笑う男にため息を零しながら、ジルは煙草を取り出した。

何も言わず差し出された灰皿を受け取り、火をつける。煙草をつまみにウイスキーを飲むのは久々な気がした。

「だから、冒険者になったと報告しに村に来た時は正直安心したよ」

男はカウンターの向こう側で小さな椅子を引き寄せ、腰掛けながら言う。

「何処ぞの貴族様に連れて行かれた時、お前は納得してたみたいだけど……村の皆は心配してたからな」

余りにも貴族とジルが結び付けられない村人達が盛大に混乱しつつ、それなりに心配して送り出してくれたのは母親の死から一月たった頃だっただろうか。

それなり、というのも悪い意味では無い。まず第一に何かしらの苛めを受けるようには全く思えなかった事と、いざとなれば出て行って一人で生きていくか帰って来るだけの力を持っていただけに、果たして貴族入りして良いのかという混乱が勝っただけだ。

「まぁ来いっつうなら行くだろ。貴族だし」

「そこで父親だしって言わない所がお前だよなぁ」

ジルはその時を思い出しながら煙を吸い込む。特に、何かを思う事も無かった。貴族様という単語にリゼルを連想してしまうくらいには、ジルにとって大した意味もない事だからだ。

父親と言っても迎えが来るまでは会った事がなく、引き取られてからも数回しか顔を合わせていない。好き嫌い以前に“稀に見かけるおっさん”程度の認識しかなく、今も昔も大した縁など感じていなかった。

「まぁ、母親が母親だからな」

ジルの母が死んだのは、流行り病が原因だった。

女手一つで真っ当な愛情を注いでくれたお陰で、その頃の記憶は暖かいものに包まれている。たおやかで花が綻ぶように笑う、ゆったりとした母だった。

姿かたちは大分朧気だが、“ジル君”と自らを呼ぶ声は今でも思い出せる。

これは祖父から聞いた話だが、彼女には婚約者がいたらしい。

その婚約者を事故で無くしてから、村一番の器量良しと呼ばれる母が誰かを想う事は無かったそうだ。ただジルは母の悲しんでいる姿を一度たりとも見た事が無いし、何となく母本人に聞いてみれば楽しそうに思い出話をしてくれたのだから、悪い意味で引き摺っている訳では無かったのだろう。

上手く区切りを付けられた、ただそれだけの事だ。

ただ子供は欲しかったのだと言う。

しかし心は亡き婚約者に既に捧げてしまっている。それは夫となる相手に申し訳ないだろうしと、どうすれば良いか悩んでいた時だった。

とある貴族の接待の打診が、母親の耳に入ったのは。

ジルの村は、他の幾つかの村と一緒にその地の領主によって治められていた。

それぞれの村の村長達は、娘が生まれれば代々奉公として領主の元へ下働きに行かせる事となっている。領主はそれを理由に各村に温情を図る事が出来るからだ。

そんな善良な領主の元へ、勿論ジルの母も働きに出ていた。領主は働く娘たちが何かを学ぼうとすれば快くサポートしてくれ、娘を通して相互の意見が伝わるため領地運営の齟齬が無くなり、娘同士で友好を深めれば村同士も交流が取りやすくなったという。

そんな領主がある日、ジルの母を含む娘達を集めた。

『今度、パルテダールからとある貴族がみえるそうだ』

何処か沈痛な面持ちでそう切り出した壮年の領主に、娘達は一様に心配そうな目を向けた。

何か横暴な要求でもされたのか、それとも敬愛すべき領主が何かの疑いをかけられたのか、自らを心から案じてくれる娘たちに領主もさぞ心苦しかった事だろう。

『……知っての通り、私は辺境の弱小貴族だ。だが相手は彼の国の王都を守護する騎士、その統括である侯爵家の次期当主である身のようでね』

そこまで聞けば、日頃から領主本人に惜しみなく知識を与えられている娘達も気付く。

ようは、相手に相応しい十分なもてなしが出来ないのだ。それを気にしない相手ならば良い、気に入らずとも此方が抑えられる相手ならば良い、しかしそうで無いなら厄介事は免れない。

それを補う為に、とれる手段がたった一つだけある。

『調べる限り、先方に悪い噂は聞かない。厳格な方なのだろう、申し出を拒む可能性の方が高い』

領主はきつく手を握り、しかし真っすぐに娘達を見つめながら言う。

『金で解決しようとしてる訳では無いが、申し出てくれた者には謝礼も出す。行為の結果、子が出来れば君達の願うままに十全で継続的な保証もしよう』

その声は絞り出したように苦渋を孕み、彼が本意ではないと伝えていた。

『誰か先方の寝室の扉を、夜に叩いてくれないだろうか』

『あら、なら私が行きますね。うふふ、丁度良かったわ』

『!?』

即行オッケーを出した母に、領主は一瞬何が起こったのか分からない顔をしていたと後に彼女は面白そうに語った。

母にとっては渡りに船だったのだろう。相手に思い入れる必要は無く、一つだけ不安だった金銭的な面も援助がついてくるのだから。あっさりと了承した母から事情を聞いた領主は、自分から言い出した癖にそれはもう熱心に彼女を説得したらしい。

『良いかい、片親のいない子供がどんな負担を背負うか云々』『勿論君の負担も云々』『私が言える立場ではないが云々』『周囲のサポートも得られる環境が云々』

切々と説いてくれた領主だったが、華奢でたおやかなジルの母は存外頑固だった。領主は最終的に折れ、無理はしない事を条件に認めてくれたそうだ。

それで件の客人が訪れた際に寝室を訪れた彼女だが、ジルは知らないがこの時に父親である男は一度接待を拒否している。しかしまさかの事情を一から説明され、男が何を思ったのかは分からないが両者合意の上で接待は行われた。

そうして滞在中に無事母は子を宿し、ジルが生まれて来る事となる。

「初めて聞いた時は俺も驚いたよ。ジルベルトが貴族の子供なんてな」

「まぁな」

ジルは煙草を灰皿に押し付け、ショットグラスを持ちながら適当に同意を返した。

特に隠していなかった事もあって、事情は村中が知っている。目の前の男も、ジルが村を出て行く理由が分からず親に聞きでもしたのだろう。

ふいに座ったままの男が近くの酒瓶を引き寄せ、自らの杯にそれを注ぐのが目に入った。

「飲むのかよ」

「良いだろ、他に客もいない」

自分の分だろうと手を抜かないのは、バーの主らしく美味い酒が飲みたいからか。慣れた手つきでマドラーを回す姿を見て、ジルは酒で湿った唇へと二本目の煙草を差し込んだ。

「それにしても、その侯爵様は何でお前を引き取ったんだか」

男も同じように煙草を取り出し、掌で覆うように火をつける。

バーの狭い空間に二種の香りが混ざり合い、広がった。良い趣味をしている、なんて互いに思いながら会話を交わす。

「知らねぇよ。義務じゃねぇの」

「何の義務だよ」

「仕込んだ義務」

「ハハッ、真面目だな」

男は肩を揺らしながら笑い、ロックグラスを傾けた。

ジルとしても、自分を引き取った意図など聞いたことも無ければ興味も無い。本当に義務だとすれば随分と堅物な事だ、なんて思いながら肺を満たした紫煙をゆっくりと吐き出した。

「良い生活は送れたか?」

「飯は美味かった」

「そりゃあ良かった。剣もそこで学んだんだろう」

「あぁ」

美味い食事と剣術、それだけでジルは割と感謝すらしている。

特に剣は、村に居たままでは高めようがなかっただろう。いずれは村の自警の為に剣を握る日も来たかもしれないが、平和な村ではまともな指導も無ければまともな剣も無い。

リゼルやイレヴンが聞けば「それでも最強にはなってたと思う」などと宣うだろうが。学ぶ切っ掛けがあったからこそ上が居ることを知り、自らも上にと願うのだ。

「それで最強なんて呼ばれてんだから、上達も早かったろ」

「嫡男負かすぐらいにはな」

「お前なぁ、そこは負けてやれよ」

「ガキに無茶ぶりしてんじゃねぇよ」

呆れたように言われ、鼻で笑う。

確かに今であれば流すだの何だの出来るだろうが、剣術を覚えたての頃は暇さえあれば剣を握っていたのだ。そんな子供が対戦相手を与えられれば、全力で剣を振るのも当然だろう。

「追い出されたってのは、それが原因か?」

「さぁな」

カラン、と男の持つグラスの中で氷が音を立てる。

「直接の原因かっつうと、違ぇかもな」

オルドルにジルが初めて勝利したのは、侯爵家に住み始めて一月頃だった。

だが何だかんだで四年か五年かはあそこに居たのだから、それが原因というには弱いだろう。全く関係が無いとは言えないが。

侯爵家を出た時の事を、ジルはグラスの最後の一口を呷りながら思い返す。

侯爵家で暮らし始めて数年、体つきから幼さが完全に消えた頃だったか。正直記憶は曖昧で、あの頃の事など壁に飾られていた剣ぐらいしかはっきり覚えていない。

宛がわれる教育係は最低限の事さえこなせば文句を言わず、もはや剣を指導してくれる人間が底をついていた為に一人黙々と鍛錬に励んでいた時だ。

『ジルベルト様、旦那様が呼んでいらっしゃいます』

タオルを手にした使用人に呼ばれた。

呼びつけられての邂逅など、侯爵家に引き取られた時の初対面以来の事だ。汗を拭い、そこらに引っ掛けておいた上着を羽織って案内の後ろをついていく。

そして通された部屋で、挨拶も無く侯爵である男は厳格な声で告げた。

『このままの暮らしを続け騎士となるか、出て行くかを選べ』

『出てく』

このまま侯爵家の人間として過ごすよりは、外の方が剣を振るう機会がある。そろそろ実戦にも飢えていた。

悩みもせず答えたジルに、相手は鷹揚に一つ頷いただけだった。予想が合っているのだとすれば、彼の中で義務は充分果たしたと判断されたのだろう。

『必要なものは周りの者に言え』

『あぁ』

『以降、我が家名を使用する事を一切禁ずる』

『分かってる』

『行って良し』

それが侯爵であり、一応は父親である男と最後に交わした会話だった。ジルは限りなく素だったので、傍から見れば奇妙な光景だっただろう。

それなりに感謝はあれど、恩を感じるかと言われるとそれ程でもない。退室の許可に頭を下げることなく普段通りに踵を返し、その足で使い慣れた剣と金だけ持って屋敷を出て行った。

「まぁどっちにしろ、お前は冒険者の方が合ってるよ。追い出されて良かったじゃないか」

カラカラと笑う男に、全く同感だとジルは並んだ酒瓶に目を滑らせる。

「何にする?」

「そこのボトル」

「希少なもんに目ざとい事で」

男が立ち上がり、重厚なデザインの酒瓶を手に取った。

何も言わずロックグラスを用意するあたり、そう飲むのが定番なのだろう。見た事のないラベルが目につき選んだものだったので、特に文句もなく任せるままにした。

「村に帰って来たのは、丁度その頃か」

「あぁ」

「全員一発でお前だって分かったよな」

可笑しそうに言われた言葉に、短くなった煙草を灰皿に押し付けながら顔を顰める。

侯爵家を出た事は伝えておこうと久々に帰った故郷では、誰一人としてジルを見て“誰だ”とは言わなかった。年相応の成長はしていただけに、釈然としなかった覚えがある。

「あの頃のお前は、まだ冒険者じゃなかった。ほら」

「そうだな」

差し出されたグラスの中で、揺れる氷が微かな光をチラチラと反射していた。

何となくその動きが止まるまで待ってから手に取り、そして口に含む。ややバニラっぽい新樽の香り、先程よりは癖が少なく飲みやすい。

「一刀の噂が聞こえ始めた頃、お前の事だからすぐにSランクになるって思ってたけど」

「ランクアップするかしないかは自由だろ」

「侯爵様と確執でもあるんじゃって、村長が心配してたぞ」

「無ぇよ」

喉を通り抜けた芳香の余韻に、薄っすらと唇からふっと息を吐く。

「今は、完全に」

吐息と共に零れた微かな声は、男に届かなかったのだろう。

何か言ったかと此方を見る相手に、再度口にする事はなくもう一口酒を含んだ。

「なら、これからもBランクのままなのか」

「さぁな、その内上がる」

「そんな事言って、もう何年Bランクやってると……」

呆れたように言った男が再び椅子に腰かけながら、ふと言葉を切った。

「そういえばお前、ようやくパーティ組んだんだったな」

男は意外そうに告げ、自身の灰皿に乗せておいた煙草へと手を伸ばす。

しかし随分と短くなってしまったそれに、続きを味わう事を諦めたのだろう。カウンターに無造作に置いてある箱から新しいものを取り出し、口に咥えていた。

「そいつらが上がるなら上がるって事か」

「あぁ」

「へぇ」

男の煙草を咥えた唇が弧を描くのを、ジルは鬱陶しそうに眺めた。

こういう相手なのだ。人の好さそうな顔をしてバーのマスターなんてやっている割に、子供の頃から何も性根が変わっていない。

面白そうだと思えば何にでも食いつく。もしリゼルを連れて来でもすれば最初は唖然とするだろうが、その内面白可笑しい思い出話を語り始めるだろう。

「どんな奴なんだ?」

「冒険者には見えねぇ奴と、性格クズな奴」

「……お前良くパーティ組んでるな」

的確過ぎる説明に返ってきたのは真顔だった。

「ソロ生活長すぎて感覚狂ったんじゃないか」

「無ぇよ」

何故、と言われても答えられない。

そもそもの前提が違う。男はジルが選んだのだと思っているようだが、選ばれたのは此方なのだから。

侯爵家を出てから村に報告へ行き、ジルは近場のギルドで冒険者の登録をした。

特に冒険者になりたかったからではない。実戦で剣を振るい続ける生活に最も一致したのが冒険者だっただけだ。まさに天職だろう。

そこから十年近く、あるいは十数年はずっとソロだった。年若さとソロであるゆえに実力や成果を疑われ、時に絡まれ時にしつこく勧誘され、そうしながらも依頼を黙々とこなしBランクになった頃には一刀と呼ばれていた。

活動拠点を王都に置いたのは、ただの流れだった。近い順に国を巡っていた流れ。

気候は一年を通し温暖で穏やか、国は栄え一通りの店が揃い、人口に比例して依頼の数も多い。そして迷宮も多種多様であり、同じような条件の都市を幾つも保有している。まさに冒険者にとっては理想的な国であり、ジルも三年と言う長い期間拠点にしていた。

そして変わらず剣を振るい、依頼を受け、時に若作りの爺に剣を押し売りされながら過ごしていた日々は、ある日を境に劇的に変化した。

村に居た時のことも、侯爵家に居た時のことも、ソロで冒険者をしていた時のことも酷く曖昧なのに。出会ってから今までの事は、全て鮮明に覚えている。

『どうしました?』

邂逅は、とある路地裏だった。

酷く品のある、どうみても貴族の男がとある路地裏に入って行ったのを見かけて声をかけた。親切心からでは無い、馴染みの店がその先にあったからだ。

つい先日、裏の人間が色々やらかして憲兵が突入したばかりだったというのもある。早々に貴族が何かしらの被害にあっては、それこそ色々なものが一掃されかねない。

『タチ悪ィのがいる、止めとけ』

煙草然り、酒然り、その店でしか手に入らないものを好む身としては、そうなって貰っては困る。だからこその忠告。

それだけの筈だった。振り返った男が想像以上に貴族然としていたのも、酷く穏やかに返事が寄越されたのも、あまりの場違い感に違和感を抱きながらもそのまま去る筈だった。

引き留められた時点で、引き留められて足を止めてしまった時点で手遅れだったのだろう。

選ばれてしまった。望まれてしまった。今となっては良く分かる、そうなった時点で逃れられるものでは無かったのだろう。だがそれに気付こうと何も変わらない、結局は自らの意思で傍にいるのだから。

出会う前に何を考え生きていたのか、今ではもう分からない。

「……言っとくが、パーティの頭は俺じゃねぇぞ」

思わず零れた笑みは自嘲だったかもしれないし、違うものだったかもしれない。

ただ悪い気はしなかった。少量ずつ味わうような酒を、グッと飲み干したジルに男は勿体ないと眉を寄せながら口を開く。

「意外だな、どっちなんだ?」

「冒険者に見えねぇ方」

「へぇ、今度つれて来てくれ」

「来ねぇよ」

その返答に文句を言う男を流すように、追加の酒を注文する。

店の閉店時間など知らないが、男が拒否しないのならば良いだろう。久しぶりの再会で男の口も良く回っているようだし、多少長引くのは仕方ない。

「そういえばジルベルト、たまには村に帰ってやれよ。村長も孫に会いたいだろうに」

「遠いだろ。何でこんなとこに店出してんだ」

「美味い酒を求めたら此処にたどり着いたんだよ」

周りの店からポツリポツリと灯りが消えるなか、とあるバーでは普段より長く灯り続ける。こうしてアスタルニアの夜は更けていった。

それから数日後。それは、とあるバーのマスターが開店前に果物を仕入れていた時だった。

見覚えのある黒い姿を見つけ、とっさに手を上げ声をかけようとする。しかしぽかりと開いた口から呼びかけが出る事は無かった。

「ジルベルト……と?」

並んでいたのは、酷く高貴を感じさせる男と赤い髪が鮮やかな獣人だった。

穏やかな微笑みは品に溢れ、親し気に自らの知人と会話を交わしている。もしや侯爵家時代の知人なのか、良く気が合ったものだと思いかけて気付いた。

「あの獣人はきっと、性格クズな方……!」

イレヴンは対面も果たしていない内に性格がクズだと断定された。日頃の行いはこういう所に出る。

「だとすれば、もう一人は」

男は、余りにも信じがたい現実に愕然とした。

確かに冒険者には見えない。全く見えない。どう見ても見えない。というかそういうレベルじゃない。聞いていた話が脳内でぐるぐる回り必死に否定の材料を探すものの、しかし視界に飛び込んでくる光景がそれを許さない。

「……ジルベルト、凄い人とパーティ組んでんな」

遠い目をする男へ、果物の入った籠がぐいぐいと押し付けられる。

それを無意識に受け取りながら、しかし彼はただ一つ確かに納得した事があった。冒険者最強を冠し、幼い頃から孤高を体現していたような友人を率いる事が出来る人間が居るのかと、ずっと疑問だったのだ。

「あれは、リーダーだわ」

冒険者として認めざるを得ない最も強烈な根拠にたどり着き、男は古くからの友人が彼の人物を連れて来てくれる時を一層願うのだった。