軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

136:基本的には飾っておく

早朝の 王都(パルテダ) は、一日の始まりとして徐々に賑わいを強めていた。

人の声が増え、物音が増え、馬車が行き交う音も増え、少しずつ目を覚ますに心地良い。早朝が一番の働き時な漁師が多いアスタルニアの、日が上ると同時に一気に活気づく街並みとは違った趣がある。

離れてみて初めて気付くこともあるのだと、リゼルはしみじみしながら町中を歩いていた。

「昨日は早速迷宮ですか?」

「いや、色々」

隣を歩くジルが、チラリとこちらを見ながら言う。

煙草でも買いに行ってたんだろうかと思いながら相槌をうち、ならば今日からかと納得した。今向かっているのがギルドだ。

「ジルってもう、王都の迷宮は全部攻略済みですよね」

「多分してんじゃねぇの」

「飽きないんですか?」

「別に。入る度に変わんだろ」

「それはそうですけど」

久々だしと付け加える様子に、そういうものなのかとリゼルは頷いた。

そんな二人は、やはり擦れ違う人々の視線を一瞬でも釘づける。リゼル一人で歩いている時と違うのは、集まる視線に冒険者が多いことだろうか。

冒険者最強の噂を知る冒険者の視線は好奇や羨望、あるいは敵意など様々なものを含む。視線を一切気に留めない二人にとっては気付いていないのと同じ事なのだから、気にせず雑談に興じていた。

「俺は昨日、ジャッジ君の所に行ったんですよ」

「へぇ」

「鑑定もして貰いました」

「あれどうなった、黒い魔石」

「あれは良く分かりませんでした」

珍しい事もあるものだ、と話す二人のジャッジの鑑定に対する信頼は厚い。

ジルだって王都にいる間はジャッジの店に鑑定を持ち込むし、リゼルが自力で辿り着いていなければ彼の店を紹介する事にもなっていただろう。

「でもモノクルは分かりましたよ」

「あぁ、あれか」

「美術品かと思ってたけど、魔道具でした」

その言葉に、ジルが怪訝そうな視線を寄越す。

それもそうだろう。実際に蜘蛛のボスを倒した後、そのモノクルだったり糸だったりは予め三人で確認したのだから。

ボス討伐後のその階層は迷宮内唯一の完全安全地帯になるので、大抵三人はその場で素材の確認をしていく。モノクルも例に漏れず、魔石に魔力を通した状態を三人で確認していた。

「何も起こんなかったじゃねぇか」

「あれ、ただレンズの向きが逆だったみたいです」

「あー……」

「正しい方向から見たら、俺の服が消えたみたいで」

ジルが真顔でリゼルを見る。

「障害物を一つだけ見通すって効果だと思います。俺だと服一枚、本だと表紙が、壺だと表面だけ消えましたし」

服一枚でも酷く動揺しただろうジャッジに、ジルは視線を元に戻しながら酷く同情した。

もしリゼル以外なら一瞬ビクリとするだけで済んだのに、あの小心な店主がこの無駄に清廉高貴な男の所為で持たなくても良い罪悪感を持ってしまっただろう事は容易に想像できた。

「使い道ねぇな」

「そうですね」

機密封書の覗き見など、悪さを働くならば様々な用途がある筈だ。

しかし冒険者として実用性無しと断言したジルに、リゼルも同意する。悪用する予定も無ければ、悪用しそうな人間に譲る予定もないからだ。二つもあるのにどうしよう。

「ジル、一ついります?」

「いらねぇ」

売れば大金となる迷宮品に対して何とも気楽な会話を交わしながら、二人は到着したギルドの扉を気負いなく潜る。アスタルニアに比べれば格式高い外観のギルドだが、中には何処の国でも大して変わらない荒くれ者の冒険者しかいない。

そんな彼らが、ザワリと騒めいた。

「一刀だと……」

「おぉ、貴族さん本当に帰ってたのか」

主にジルに反応するのがリゼル達の不在時に王都に来た面々だろう。

そしてリゼルに反応するのが、以前から滞在する冒険者達だ。年単位で拠点を移動する冒険者も珍しくは無いので、朝一番で混み合う時間の今ではそれなりに見知った顔も見えた。

「ジルは今日、何の依頼を受けるんですか?」

「Aの討伐が理想だな」

今日は思い切り戦いたい気分らしい、なんて思いながらリゼルも依頼ボードへと近付いた。

そのついでに警告ボードを見ようとし、そして此方には無いのだと思い直す。森の魔力溜まりや魔物の大量発生などを知らせてくれるそれを確認するのは、既に習慣となっているようだと小さく笑った。

ちなみにリゼルは見ていないが、実はパルテダールでも 鉱業国(カヴァーナ) にだけは似たようなものがある。

「何」

「何でも」

怪訝そうなジルに可笑しそうに笑い、改めて依頼ボードを見た。

ランクごとに隙間が有ったり無かったりはするものの、等間隔に並ぶ依頼用紙はとても見やすい。ぽつりぽつりと一枚分抜けた隙間は、早々に依頼を決定して用紙を剥がしていった冒険者がいることを示していた。

「Sは相変わらず無いですね」

「そりゃな」

依頼ボードの中でも極々狭いSランク用のスペースには、一枚も依頼用紙が無い。それ程までに困難な依頼など滅多にない上、依頼人が相応の報酬を払える立場に限定されるからだ。

「じゃあ俺は色々見て来ますね」

「ああ」

目的のAランクに目を通し始めたジルに別れを告げ、リゼルは混み合う依頼ボードの前をうろうろと移動し始めた。

元々、今日のリゼルに依頼を受ける気は無い。離れている間に何か変わった依頼などが増えてないか、依頼人に変化は無いか、それを確認する為に多くの依頼が残る早朝にギルドを訪れていた。

「(高ランクは変わらないけど、低ランクが増えた気がする)」

Eランクが依頼ボードを占める割合が、心なしか大きくなっている。

冒険者は自身のランクの一つ上のランクまでの依頼が受けられる為、意外とFランクを受ける者は少ない。ギルドもそれを考慮し、Fランクの中でもE寄りならばEにしてしまうので元々Eランクは多めなのだが、それを踏まえても増えた気がした。

「(Fもかな)」

ひしめく冒険者達の間を器用に縫っていき、正確にはリゼルに気付いた冒険者が驚いたり慣れ切ったりした対応で開けてくれた隙間をよいしょと進んでいきながら、リゼルは下位ランクの依頼ボードの正面へと辿り着いた。

冒険者達が依頼を選ぶ喧騒を聞き流しながら、依頼用紙をまじまじと見る。

「(討伐、採取、雑用……雑用が増えた?)」

劇団の設営や試食などが雑用系に分類されるが、そんな人手目当ての依頼が多種多様になったか。

一般人がギルドを利用しやすくなったのなら良いことだろう。一人納得して一通りの用紙に目を通し、キープしておきたい依頼は無いようだと頷く。

依頼を受けないなら、依頼ボードの前を陣取るのも申し訳ない。リゼルは冒険者の集団からせっせと抜け出し、そして解放感に一息ついた。

「よう、元気そうだな」

その時、ふと声をかけられる。

落ち着いた渋みのある声にそちらを向けば、いかにも熟練の風体を持つ冒険者が立っていた。以前から居る顔見知りの冒険者で、彼のパーティに魔法使いが居る関係で何度か話したことがあった。

確かBランクだった筈だと、諸々の記憶を思い出しながらリゼルは微笑む。

「お久しぶりです」

「どうだった、アスタルニアは」

「魚が美味しかったです」

「……そうか、良かったな」

どこか遠い目をして笑う相手に、リゼルも可笑しそうにしながら髪を耳にかけた。ほんの冗談だ。

「ギルドも、特に変わったことは無かったですよ。あそこは賑やかですね」

冒険者は常に他国の情勢も気にかけている。

特に向かおうとしている国に対しては情報が多いに越したことは無い。誰しも厄介事に巻き込まれたくは無いし、何かあれば依頼料など露骨に影響を受けるからだ。

その質問に対してまさかのグルメ情報が返ってきた冒険者は、しかしリゼルなら本気で言っていてもおかしくはないと思い全力で真に受けた。彼らの中のリゼルは未だに冒険者になれない。

「あんたには煩かったろ」

「いえ、とても楽しかったです」

「スキンヘッドのおっさん、まだ居たか?」

「ラリアットが得意な方でしょうか」

「それだ、それ。相変わらずやってんだな」

アスタルニアで活動した事があるのだろう、傷のある頬を歪めて笑う冒険者が内心で“出来ればリゼルの口からラリアットの単語を聞きたくなかった”などと思っている事を、土産話を楽しむリゼルは知る由も無い。

「あ、でも」

そしてリゼルがふと、思い出したように口を開く。

「サルスからの入国は、暫くチェックが厳しくなるかもしれません」

冒険者が笑みを止め、怪訝そうに眉を寄せた。

太い腕を組んで視線だけでザッと周囲を窺い、同じく何かあったのかと顔を顰め注意を向ける冒険者らを視界にとらえる。情報の独占で特に利益は無い、聞かれて問題のある面子がいない事だけを確認した。

「キナ臭ぇな。何かあったか」

「詳しくはないんですけど、サルスから来た人が何かやらかしたみたいで」

「冒険者か?」

「いえ、そうじゃなさそうです」

多少の噂話ならば良いか、とリゼルはゆるりと微笑んだ。

シャドウも何処からか情報を仕入れていたのだ、人の口には戸が立てられない。どちらにせよ噂が流れるのも時間の問題なのだから、普通に冒険者の情報交換の範囲に収まる内容ぐらいは提供しても良いだろう。

「冒険者じゃなけりゃあ、俺らにとっちゃ大した問題じゃねぇな」

肩を竦め、冒険者はやれやれと首を振る。

「そういうものなんですね」

「そういうもんだろ」

そういうものなのか、とリゼルは納得したように頷いた。

すると冒険者のパーティが依頼の手続きを終えたのか、列の出来ている窓口から近付いて来るのが見えた。目が合うと気付いたのか、一瞬驚いたものの手を上げ挨拶してくれた。

「お、そろそろ出発か。情報ありがとな」

「いえ、お互い様なので」

「ははっ、冒険者らしくなりやがって」

冒険者はニヒルというには何処か嬉しそうに明るく笑い、ガチャリと装備を鳴らしながらメンバーの元へと去って行った。

リゼルはそれを見送り、さてと依頼窓口の方へと視線を向ける。一言スタッドに声をかけたいのだが、当然まだ忙しそうだ。

空くのを待っていようと、同行者勧誘だったり勧誘され待ちだろう冒険者達が所々席を埋める机へと足を進めた。

「おいおいおい居んじゃん貴族ー!! 冒険者らしくって、ガチで冒険者なワケぇ?」

その時、酷く抑揚のある声がギルドに響いた。

「貴族は冒険者なれねぇんじゃん。これってアレっしょ、おーしょーく!」

「パルテダギルドは初めてという事で簡単な説明だけさせて頂きます。まずは」

「そーゆーとこギルドってケッコー適当なんだ? がっかりぃ」

「基本的な規則は他ギルドと変わらないと思って頂いて結構です。ただこの国では憲兵の冒険者連行も現行犯ならば認められており」

「どんだけ金積んだんだっつー話じゃん? ランクアップ一つで幾らぁ?」

「その際は冤罪を除き一切の抵抗を認められず、ギルドからも庇う事が無いことを」

「つか止まって? え、俺ら今……ちょ……話してるから一度止まって? え、何コレ」

リゼルもふと視線を向けた先では、どうやら拠点移動の手続き中なのだろう。年若い三人組のパーティが顔を引き攣らせ、対応しているスタッド相手に四苦八苦していた。

そんなスタッドは職員の説明義務により、例え相手が聞いてなかろうが何しようがあらゆる手段を持って説明しきる筈だ。止まらないし止めるつもりもない。

「何か質問でもありましたか」

「じゃなくてさぁ。俺今しゃべってんだけど」

「私も話していますが」

「……あ、此処ってこんな感じ?」

脅せば返って来るのは、一切動かない表情と絶対零度の瞳。

押されるように及び腰になっている男達を何となく眺めているリゼルの元へ、再び彼らの視線が向けられた。軽薄そうな瞳が煽るような笑みを乗せているが、それらとは比べ物にならない程にタチの悪い瞳を知っているリゼルは微笑むだけで返す。

「ってか何関係ねーみてぇな顔してる訳? き・ぞ・く・さ・ま」

「あ、俺のことだったんですね」

他に誰が居るというのか。

思わず唖然とした男達に周囲からの同情の視線が集まり、そして彼らと同じくリゼルを知らない面々は似たような表情を晒している。

「そんなに貴族に見えますか?」

ゆるりと穏やかに、あるいは微かに楽しそうな色を滲ませながらリゼルは目元を緩めた。何にでも噛みつきたい年頃というのは誰しもあるものだ、じゃれる姿が何とも微笑ましい。

ただ、アスタルニアでより冒険者らしさを学んだはずなのにとは思うが。切ない。

「まさか隠してんの? それで? バレッバレじゃん!」

声を上げて笑う男達に、どう出るのかと周囲の視線がリゼルへ集まる。

意外と洞察力が鋭い、なんて感心している姿に何故そうなったと思われている事など知る由も無く、リゼルは良いことを思いついたとばかりにふっと年若い冒険者達を見た。

「そんでどんだけ金積んだんスかー。何、黙るとか図星? 図星?」

リゼルはじっと彼らを見ている。

「金で買えないものはありませーんって? そゆの恥っずかしー!」

リゼルはじっと彼らを見ている。

「黙るくらいなら声聞かせてよー。ね、ね、そのお綺麗な声で言い訳聞かせてぇ?」

リゼルはじっと彼らを見ている。

「え、つか聞いてる? ……え、何? 凄ぇ見られてるけど、え、怖ぇんだけど、おい何とかしろよ」

「俺に言うなって! 何、パルテダってこんなんばっか? ちょ、怖い怖い怖い」

リゼルはじっと彼らを見ている。

周りの冒険者も現ギルド内においてマイペースツートップを誇る二人と一緒にするなと思いつつ、何かあったのかと怪訝そうにリゼルを見た。冒険者同士のイチャモンが起こっているとは思えない程の酷く奇妙な空気が、何ともいえずギルド内を満たす。

「おい」

それを打破したのは現ギルド内マイペースナンバースリー、今まで普通に依頼の受諾手続きをしていて普通にそれが終わったジルだった。混んでたから時間かかった。

「ジル」

「何してんだ」

「ガンをつけてます」

「アホ」

リゼル渾身の冒険者アピールはジルに一瞬で切り捨てられた。

そんなジルの視線が、一瞬だけリゼルと相対している年若い男達を見る。まさかの一刀の登場に唖然と此方を見る三人は、ひたすらリゼルとジルの顔を見比べていた。

それを興味無さそうに一瞥し、ジルがリゼルを見下ろす。

「行くぞ」

「そうですね。スタッド君と少し話せれば、と思っていたんですけど」

元々は既に解散していたようなものだったが、此処に居ても面倒だろうと声をかけてくれたのだろう。

リゼルがスタッドを見れば、その何も映さないような瞳が真っすぐに此方を向いていた。瞬きすら惜しむほどの凝視に、あれはちょっとショックを受けてるなと優しく微笑みかける。

「君のお気に入りの店で待ってますね」

休憩時間にでも、とは言わずとも伝わるだろう。

約束の押し付けのようだが決してそうでは無い。スタッドが滅多にとらない休憩をとって来てくれる事も、それを自ら望んで行ってくれる事もリゼルは知っている。

「分かりました」

「じゃあ、また後で」

常に即答のスタッドにしてはやや返答に間が空いた気がした。微かな違いであるそれをリゼルは不思議に思いながらも、しかし表には出さずひらりと手を振る。

そして対応中の冒険者が何時までも此方に絡んでいては仕事も捗らないだろうと、未だ茫然と此方を見る男達にも軽い挨拶をしてギルドを出た。そのままジルと並び、ギルドを訪れる前より人通りの増えたメインストリートを歩いて行く。

「お前な、早速絡まれてんじゃねぇよ」

「俺の所為じゃないです」

呆れたように告げられた言葉に、リゼルは不服そうにジルを見返した。

全く以って遺憾である。リゼル自身は日々冒険者として精進しているというのに。

「やっぱり“表に出ろ”の方が良かったでしょうか」

そんな事を真剣に悩むから冒険者と思われないのだと、ジルは思いつつも口には出さなかった。優しさではない、今更だからだ。

「にしても流したな」

「ん?」

「いつもはもっと遊ぶだろ」

まるで面白がるように目を細め、そう告げたジルへとリゼルはぱちりと目を瞬いた。

普段もそれなりに流しては居た筈だが、言われてみれば相手の期待に応える事が多いかもしれない。元の世界ではこういった絡まれ方をしないので新鮮で少し楽しい、と言えば趣味が悪いと言われるだろうか。

「あの子たちは、だって良い子だったじゃないですか」

リゼルは可笑しそうに笑い、心地良い風に揺れた髪を耳へとかける。

「あ?」

「俺が貴族だって勘違いしちゃっただけでしょう?」

その点に関しては彼らに一切の非が無いと誰もが考えるだろうし、ジルもそこに関しては何ら反論は無い。むしろリゼルの所為だとすら思っている。

ちなみにリゼルにしてみれば勘違いされること自体は“まぁ向こうじゃ貴族だし”と気にしない。

「決まりを破って貴族が冒険者になるのを嫌がるのも、それを許すギルドに幻滅するのも自然です」

「まぁな」

「冒険者ランクを金で買う事を恥ずべき行為だと断じていたし、彼らには冒険者としての誇りがあるんでしょうね」

それはとても素晴らしい事だと、リゼルはギルドで聞いていた時に思ったのだ。

だからこそ彼らに認めて貰おうと冒険者アピールをしたのだが、盛大に失敗した。リゼルに失敗したという自覚は無いが、何か違ったかなとは思っている。

「褒めて伸ばすにも程があんだろ」

「叱るべき所も特にないでしょう?」

リゼルはほのほのと笑い、当たり前のようにそう言った。

あの煽るような口調だけはいつか敵を作りそうだとは思うが、それだけだ。むしろ彼らが言った内容に関しては、いっそ普通の事しか言っていないとすら思っているのだから気にしていない。

そしてリゼルは歩を緩めないまま、さらりとそれを口にする。

「君を手放せと言われた訳でも無いですし」

例えば非を咎められようと、それが的を射ていれば受け入れる。勘違いならば正せば良い。

自らの理想を押し付けるような真似さえされなければ、リゼルは何も気にしない。

「それこそ流せよ」

「有り得ないから?」

「アホ」

意地が悪そうに唇を歪めたジルが、手を持ち上げその甲でリゼルの額を弾く。

相変わらず良い音がする割に痛くもないそれにリゼルは笑みを零し、離れて行く掌越しにジルへと視線を向けた。交わった視線は、戯れるように同時に外される。

「あ、俺こっちです」

「ああ」

「行ってらっしゃい」

そしてジルは門へ、リゼルは路地裏へと互いに背を向け歩いて行った。

懐古的で落ち着いた印象の店内は、深く息を吸うとコーヒー豆の薫りがする。

窓から差し込む光だけで充分だと他に光源のない店内は、奥のカウンターだろうと不思議と薄暗さを感じさせない。心を休めるには最適だと思わせる、そんな雰囲気だ。

その店の窓辺に腰掛け、リゼルは本を読んでいた。

「……」

人の少ない静かな店内に、パラリと時折ページをめくる音がする。本の向こう側には飲み終えたコーヒーのカップが置かれ、それなりの時間が経過した事を示していた。

その時ふいに、カラカラと柔らかなベルの音が静寂を仄かに揺らす。いらっしゃい、と店主の心穏やかな声が届いた。

近付いて来る靴音、そして向かいの椅子が引かれ、リゼルはようやく気付いたかのように顔を上げる。

「お待たせして申し訳ございません」

「いえ。こちらこそ、急に誘ってすみません」

真っすぐに此方を見る瞳に柔らかく微笑み、読んでいた本を閉じた。

その際に慣れた仕草で栞を挟む指先を、背もたれの広い椅子に腰かけたスタッドが目で追う。リゼルは恐らく無意識なのだろうそれに可笑しそうに目を細め、しかし気付かない振りをしながら美しい栞の角をなぞり微かに押し込んだ。

「お昼休憩、ですよね。何か頼みますか?」

「はい」

メニューを差し出せば、スタッドは再び瞳を此方に向ける。

その手がリゼルからメニューを受け取り、少し。開いたメニューへすっと落とされた視線に、やはりリゼルは微かな違和感を抱き内心首を傾げた。

「貴方は何か頼みますか」

「そうですね。じゃあ、サンドイッチとブレンドを」

「分かりました」

スタッドがメニューから顔を上げれば、それだけで察したのだろう。

店長が黒のカフェエプロンに似合う静かな歩調で近付いて来る。スタッドは二人分の注文を済ませ、そのままメニューを渡すと改めてリゼルを見た。

「朝は不快な思いをしませんでしたか」

「大丈夫ですよ。ちゃんと話は聞いて貰えました?」

「聞かせました」

勿論だ、と言わんばかりなのは良いが若干言い方が不穏だ。

しかし年若い冒険者達にとっても聞いて損は無いのだから、無理矢理にでも聞いておいた方が彼らのタメにもなるだろう。リゼルは良かった良かったと頷く。

「スタッド君の説明は分かりやすいですからね」

要点を押さえて簡潔に、スタッドの説明には無駄がない。

褒めるような甘さを含む声に、スタッドは淡々とした無表情を一切動かさない。しかし人の感情の機微に聡いリゼルにしてみれば、背後にポンッと花を飛ばしているのが見えそうな程に喜んでくれているのが分かる。

「有難うございます」

そして、その瞳が微かに自身からずらされた事も。

「そういえば、下位の依頼が増えてましたね」

「それに関しては事実です。ただ貴方がいた頃から徐々に増加傾向にはありました」

「そうなんですか?」

スタッドは、いつも真っすぐに人を見る。

何処までも見透かすように、自分を通して誰か後ろの人物を見ているのではと他者に思わせるような瞳で見る。感情の揺らぎのないガラス玉のような視線に、威圧感を抱く者も少なくない。

「恐らく貴方達が下位の依頼を受けているのが目を引き、ギルドの扱う依頼の幅が広い事が知れ渡ったのだろうとギルド内では噂されています」

「依頼の幅、というと」

「定番の採取・討伐・迷宮探索以外です。雑用系の依頼も報酬さえ揃えば節操なく依頼扱いする事はあまり知られていなかったですから」

その瞳は、リゼルを見る時も変わらない。

むしろ他者を映すだけの無感情な瞳は、リゼルが相手となると明確な意思を持つ。瞬きもしていないのではと思わせる程に真っすぐ見つめて来るそれは、目の前に立てば一瞬たりとも外れた事は無かった。

「そういう依頼、あまり人気がないってジルから聞いた事があるんですけど」

「今のところ解決が追い付いていないという事はありません。貴方と一緒に一刀も受けていれば他の冒険者も受けづらいという事は無いんだと思います」

「なら良かった」

微笑めば、やはり視線がすっと外れる。

「スタッド君」

「はい」

自身に与えられる言葉を待つように、外れかけたスタッドの瞳が此方へと戻った。

何も言わないまま問いかけるように首を傾け、そして視線を合わせ続けること数秒。それは酷く珍しく、しかしリゼルにしか分からない程にその瞳が微かに揺らいだ。

「(あ、分かった)」

リゼルは自然と緩む頬をそのままに、淡々と此方を眺めるスタッドへと手を伸ばす。

その額をそっと撫でてやれば、掌の下でパチリと一度瞬いた瞳がやはりじっと此方を見ていた。

「(人見知りしてる)」

気付いてしまえば酷く可笑しくて、リゼルは笑みを零しながら二度三度と前髪を整えるように撫で、手を離す。

今まで一度も人見知りした事のないスタッドが、初対面の時でさえ淡々と変わらなかった彼が、少し離れた今更になって人生初の人見知りを経験しているらしい。本人に自覚がない所がスタッドらしいか。

先日会ったばかりのジャッジが普段より甘えていたものだから、余計に意外だ。

「私は貴方に何かしてしまったでしょうか」

「いいえ。改めて久々だな、と思ってました」

しかし帰還初日は平気そうだったのだが、あの時はジャッジと競い合う事に意識が持っていかれていたようだ。

スタッドにしては怒涛の勢いで話していたし、と思いながらリゼルはポーチへと手を伸ばした。指先を闇に沈め、触れたものを掴んでそっと取り出す。

「手紙でやり取りしてても、やっぱり違いますね」

机の上に置かれた細長い黒のケースを眼で追い、スタッドは確かに同意するように深く頷いた。リゼルから貰える手紙は確かに嬉しかったが、実際に会えること以上に望むものなど無いのだから。

「スタッド君、手紙で書いてましたよね。愛用のペーパーナイフが折れたって」

「ずっと使っていただけで愛用かと言われると分かりませんが」

折れた、というと語弊があるかもしれないが。

リゼルの読んだ業務日誌のような手紙には、“とある酔っぱらった冒険者がよりにもよってギルド職員に斬りかかった際、剣を弾いて喉に突き立てたペーパーナイフが折れた”と書いてあった。

書き方的に騒動よりペーパーナイフが折れた方がスタッドには印象深かったのだと分かる。そしてそんな使い方をしてきて良く今まで持っていたなとリゼルはほのほのと思ったものだ。

「だから、これ」

コン、とリゼルが指先で黒い箱をつついた。

「お土産です」

直後、無表情のスタッドの背後に満開の花々が咲き誇る。

どうやら喜んで貰えたようだ、と安心したリゼルの前でスタッドの手が箱へと伸ばされた。一瞬だけ戸惑う様に触れる直前止まった指先が、慎重すぎる仕草で箱へと触れる。

「新しいの、まだ買ってませんでした?」

「ギルドの備品を使っていました嬉しいです」

「良かった。良ければ使ってください」

「是非使います今日から使います嬉しいです」

淡々とした抑揚のない声で語られる喜びは、まごうこと無き彼の本心だった。ダダ漏れだ。

スタッドは箱を手に取り、スライドさせるように細いシックなリボンの巻かれたケースをずらす。細い金糸で黒の台座に固定された美しいシルバーは、美しく鋭利な曲線を描いていた。

「切れ味も良さそうだし、これならきっと剣を受け止めても欠けませんよ」

別にスタッドはリゼルからの贈り物で剣を受け止めようとは一切思っていない。

無言で見て来るスタッドに、リゼルは揶揄うように目を細めて見せる。ただの冗談だ。切れ味と強度は確かだが。

「有難うございます」

「はい」

ガラス玉のような瞳が真っすぐに此方を向く。

その瞳の奥底に微かな苛立ちが滲んだのは、きっと足りないからなのだろう。伝えたい事を伝えきれないもどかしさに気付かない程、リゼルはにぶくない。

「本当に、有難うございます」

そして精一杯の感謝の気持ちを込めた視線と声に、リゼルは嬉しそうに顔を綻ばせた。

その頃、とある酒場で年若い冒険者達はげんなりと肩を落としていた。

「寒……まだ寒……」

「こんだけ酒かっこんでも寒ぃとか意味分からん……」

「パルテダ怖……」

真昼間から酒に走る冒険者達に囲まれ、彼らだけが盛り上がれない。

理由は簡単だ。王都ギルドでは誰もが経験する通過儀礼、スタッドによる絶対零度の粛清をその身に浴びたからに他ならない。もはや酒は命を繋ぐために飲んでいる。

「あんなギルド職員ありかよ……」

「そりゃ荒事担当とか何処でも一人はいるけどさぁ……」

「あれは違ぇし、絶対……」

今でも思い出す。いい加減に話を聞けと淡々と言われ、でも貴族いんじゃんと騒いだ途端に口を氷で塞がれ、それが徐々に広がり喉から全身へと広がっていくこの恐怖。

ちなみにスタッド的には鼻を塞がないだけ優しい。

「まぁ、落ち込むなよ。若ぇの」

「ギルドに迷惑かけなきゃ基本無害だからよ」

そして荒くれもの揃いの冒険者だからこそ誰もが経験済みで、初回だけは同情が貰える。

「だって俺ら悪くなくねぇ?」

「せーとーな主張ってやつじゃん」

「まぁ其処はな、追々分かるだろ。てめぇらでもな」

肩に手を置かれ慰められる。

おっさんの手とか鬱陶しい、と肩を揺らして手を払い除けた年若い冒険者は一発引っ叩かれた。もはや反撃する気力も無い。

「あの人な、冒険者なんだよ」

「だからさぁ、駄目じゃね? 貴族が冒険者やってるとかさぁ」

「それでな、貴族じゃねぇんだ」

「貴族じゃねぇハズねぇじゃんかぁ、あれがさぁ」

信じられない気持ちは良く分かる、と王都古株の冒険者は酒を片手に遠い目をした。

正直、自分たちでさえ今でも信じられない部分がある。勿論あのギルドが受けたのだから貴族では無いのだろう、本人がその存在以外に貴族らしいアレコレをしている姿も見た事が無い、何より本人は冒険者として一生懸命だ。

それでも、やっぱり貴族でしたと言われた方が納得できる感がある。リゼルが聞けば凄く落ち込む。

「まぁ、あれだ。取り敢えず一月は見てろ。見てれば分かる」

「そうだ、見てれば分かるぞ」

「まぁ何となく分かるから、取り敢えず見てろ。な!」

「何だよその押し! 怖ぇよ王都マジで!!」

訳の分からないアドバイスに苛立ち反発する年若い冒険者達は、後に自分達が「何となく分かった」と納得することを未だ知る由も無かった。