作品タイトル不明
135:強打原因の六割はスライム
まだ草木が朝露に艶めく頃、リゼルは閉じていた瞳をゆっくりと開いた。
毛布の隙間から流れ込む肌寒さを、以前王都に滞在していた頃よりも強く感じる。温暖なアスタルニアに居た所為だろう、体を潜り込ませるように肩まで毛布を引き上げた。
何となく目に入った窓の形に違和感を抱く程度には王都を離れていたらしい。寝惚け眼でぼんやりと木目を眺めながら、うとうとと揺蕩う意識を堪能する。
「ん……」
寝ようと思えばまだ眠れる。しかし起きようとすれば今ならすんなり起きられそうだ。
何日かぶりのベッドは心地良く、リゼルは目にかかる髪を緩慢な仕草で除ける。そして一呼吸の後、横たえていた体を仰向けにするようにゆっくりと後ろを振り返った。
見えたのは白いシーツに散らばる赤。枕に顔を突っ込んで完全にうつ伏せで眠っているのは、昨日散々駄々をこねて泊まっていったイレヴンだった。
「(たぶん、まだ)」
恐らくイレヴンはまだ起きないだろうと、瞼の落ちかけた瞳で眺めながらリゼルは一人納得する。
この宿には個室が二つしか無い。あまり需要が無いというのもあるだろう、個室といっても無理矢理二人部屋にして使うことも多いと聞いた事もある。
運良く二つ空いていたそこにリゼルとジルが無事入った所で、イレヴンから物言いがついた。わざわざ金を払わずとも寝る場所があるようだし、と思っていたのが気に入らなかったらしい。
「(決めつけられたのが、やだったのかな)」
流石に大の男二人並ぶには小さいベッドは、すっかり仰向けになれば肩が触れ合ってしまう。感じる体温は肌寒い朝には心地良く、わざわざベッドの隅に寄ってまで離れようとは思わなかった。
「(いっしょの宿のほうが、たしかにべんりだけど)」
うとうとと、落ちかける瞼をそのままにリゼルは鮮やかな赤を眺めながら思う。
例えば依頼を受けに行く時、例えば何かで同行して欲しい時、同じ宿なら簡単に声がかけられる。とはいえ以前王都にいた頃もイレヴンはリゼルの動向を把握していたのだから、特別不便でもない。
ならばやはり最初からそう扱われたのが不満なだけだろう。今日あたり何事も無かったかのように拠点、あるいはロマンのある言い方をすればアジトへと戻るかもしれない。
「(どこにあるのかなぁ)」
中心街も有り得なくない、精鋭たちもそこに寝泊りしているのだろうか、つらつらとそんな事を考えながら天井を眺めた。
リゼルにしてみれば同じ宿でも全く構わないし、何なら大部屋に移ってパーティで一室でも良い。だがジル達から話が出ないあたり個室の方が好みなのだろう。
「……あー」
その時、低い唸り声が隣から聞こえた。
顔面を枕に突っ込んでいる為にくぐもった声に寝転がったままそちらを向けば、イレヴンが首だけを動かして寝起きで悪い目つきをそのままに此方を窺っている。
「まだ寝てて良いですよ」
「ん」
促すようにリゼルが微睡む瞳を緩ませ囁くと、イレヴンは再びその顔を枕に埋めた。
毎度思うが寝苦しくないのだろうかとそれを眺め、そしてベッドに手をつきながらリゼルは徐に体を起こす。折角早く目が覚めたのだから、朝から久々の王都を満喫しても良いだろう。
剥き出しの肩が寒そうだとイレヴンへ毛布を直してやり、さて何をしようかとベッドの端から足を下ろした。
ジャッジの店は冒険者向けの道具屋だ。
道具と言っても商品は多岐に渡り、冒険者の必需品から専門性の高い道具。これらは正確な鑑定により買い取った迷宮品も多く、質の高いものが商品として扱われている。
また迷宮品に関しては、顧客を冒険者に限らない。性能の高い魔道具や雑貨などを求め、様々な人々がこの店を訪れる。
「有難うございました」
そうして今も、ジャッジは買い物を済ませた冒険者らを見送っていた。
完全に扉が閉まるまで下げていた頭を、深く息を吐きながら上げる。冒険者たちは、特に彼の店を訪れるような中堅から上位の冒険者たちは、いかにも強者であると分かる威圧感を出している者が多い。
何度顔を合わせても怖いものは怖いし、怒っている訳じゃないと知っていても荒々しく声をかけられては委縮してしまう。
「……ん?」
ジャッジはふと気付いたように声を零し、ドアの前から作業机の後ろへと移動する。
そして机の引き出しを開き、その中から束になっている用紙を取り出した。紐で纏められているそれをパラパラと捲り、目を通していく。
「K、K……ナー……ナ、イ、フ……」
店で取り扱っている商品の項目の中から、指で辿りながら目当ての項目を探し出す。
ナイフ一つとっても様々な物があった。武器、解体用、家庭用、特殊作業用、今店に置いてあるものも置いていないものも一括で書かれているものがジャッジが今確認している紙の束だ。
「解体用、で……ゴーレム」
つい先程売れたのはゴーレム解体用のナイフだった。
ナイフといっても刃は持たない。形は小振りなハンマーで、先端部分の片端がツルハシ状に尖っている。岩よりはマシな硬さのゴーレムをハンマー部分で割り、埋まっている魔石をツルハシ部分で抉り取る為だ。
細分化するのもかえってややこしい為、ジャッジの店ではナイフの括りに入れている。
「仕入れ先は」
呟いて、該当項目の横をなぞっていく。
何せ今売れたもので在庫がゼロになってしまったのだ。需要が高い商品という訳では無いが、ギルドから借りるより買ってしまった方が安くつく道具に関しては一定数売れる。
ならば何故在庫がゼロになる前に仕入れないかと言われると、頻繁に仕入れ出来るものでもなければそれで十分に間に合うからだ。
「んー……」
指で辿った先にあるのは、それなりに取引を交わしている商人の名前だった。
ジャッジの店が扱う解体用ナイフは全て不壊の加護付きだ。迷宮品特有のそれは、迷宮で手に入る全ての解体用ナイフに付いている訳では無い。
冒険者が低確率で宝箱から手に入れる特定の魔物専用の解体用ナイフ、そしてその中でも更に低確率な加護付きなど、手に入れた冒険者が自身の物にする事もあるのだから滅多に出回らない。
だがその性質ゆえに買った冒険者は刃が潰れきるまで長く使うので、多く売れるものでもなかった。
「よしっ」
当の商人には次に会う時に確認し、空いた棚には別の解体用ナイフを置くことにしよう。
ジャッジはそう思いながら、手にする用紙の束を閉じて引き出しへと仕舞いこんだ。迷宮品を扱う店は大抵そうだが、元々常に決まった商品を並べている訳でも無い。
ならば倉庫から代わりの商品を持って来なければ、と猫背気味の背を伸ばした時だった。カラン、と落ち着いたベルの音が店内に響いたのを聞いてパッと顔を上げる。
「あ、いらっしゃいま……」
「こんにちは、ジャッジ君」
「リゼルさん!」
心まで染み入るような優しい声に、ジャッジは喜びを露わに作業台から離れた。
静かに扉を閉めるリゼルへ速足で歩み寄り、伏せられた瞳がゆるりと此方を見上げるのをじっと見てしまう。心がくすぐったくて口元が緩みそうになるのは、その瞳に宿る高貴と甘さがまっすぐに自身へ向けられている為なのだろう。
「昨日は、その、疲れてるのにすみません……はしゃいじゃって」
「俺も嬉しかったので、気にしないで下さい」
可笑しそうに微笑まれ、眉を下げながらも耐え切れずふにゃりと笑ったジャッジはつい昨日の事を思い出していた。
リゼルの帰還が嬉しくて門まで出迎えて、移動で疲れているだろうリゼルを半日近く連れ回してしまった。リゼルが居ない間にアレがあったコレがあったと競い合うように口を開いていたジャッジ達の話を、一つ一つに頷き微笑んで聞いてくれるものだから余計にだ。
「あ、宿、とれましたか?」
「はい、前と同じ宿に」
「そうですか」
ジャッジはほっと息をつき、そして少しばかり残念に思う。
もし駄目だったのなら、新しい宿が見つかるまで店の生活スペースを使って貰おうと思っていたからだ。店の特性上、ちょっと部屋を増やしたり家具を増やしたりなどは簡単に出来る。
「その、あっちでは宿って……」
先日は自身が喋ってばかりでリゼルの話がほとんど聞けなかったので、この際だからとジャッジは窺うように問いかけた。
リゼルの事だから適当過ぎる宿に泊まったとは思わないが、あまりの読めなさに全く無いとも言い切れない。冒険者が大部屋で雑魚寝をするような宿に泊まっていたらどうしようと想像だけで不安になっていると、リゼルが目元を緩めて口を開いた。
「騎兵団の副隊長さんが、良い宿を紹介してくれたんです。個室もあって、食事も美味しかったですよ」
「そうなんですか?」
「はい。賑やかな宿主さんがいました」
良かった、とジャッジは安心したように笑う。
やはりアスタルニアだし賑やかな人が多いのかな、と内心で頷き興味深そうに目を瞬かせる。手紙で色々と聞いていたが、やはり異国の話は面白い。
リゼルという視点を通して聞くと、余計に。
「釣りとかも教えてくれたんですよ」
「???」
リゼルと釣りが繋がらなくて一気に混乱した。
「あっ、そうだ、幾つか新しい本が入ったんです」
「ん、是非見たいです」
混乱したままの頭で話を強引に方向転換させれば、リゼルは何を気にするでも無く嬉しそうに微笑んだ。
急いで店の奥へ行き、昨日出して置いた数冊の本を持って店内へと戻る。先日リゼルとの久々の再会を堪能した後に出しておいたそれを、作業台の上に乗せた。
「何冊かは、売れちゃったんですけど……」
「商機を逃さないのは良いことです」
褒めるように微笑まれ、ジャッジはふにゃふにゃと笑みに口元を綻ばせた。
ジャッジの店が扱う本は、ほぼ全て冒険者からの買取だ。迷宮品として宝箱から出た本なのだが店に並べる事はなく、定期的にやってくる専門の買取業者が買い取って行く。
「ええと、これが一番最近買い取ったやつで」
「“迷宮内ベストスポット紹介本”。絵画の本版ですね」
「あ、これなんかリゼルさんが好きそうかもしれません……!」
「“洞穴の迷宮より、冒険者へ愛を込めて”。あ、大規模な罠の図解が凄いです」
「それと……あ、これは、その……ッ駄目です!」
よほど昨日は浮かれていたのだろう。
紛れ込んだ“股間を強打した冒険者達の悶絶集”を必死に隠す。ちなみにこれを持ち込んだ冒険者達はパラパラ読んで爆笑したり顔を青くして自らの急所をそっと押さえたりしていた。
「そういえば、本とかを持ち込んでくれる冒険者の方達が、時々リゼルさんのこと話してたんですよ……!」
「そうなんですか? ちょっと恥ずかしいですね」
何とか会話を逸らそうとすれば、疑問に思っているだろうに察してくれたのだろう。
可笑しそうに笑って会話に乗ってくれる。ジャッジはほっと安堵の息を吐き、そしてつい最近本を持ち込んだ冒険者たちのことを思い出した。
ふっとリゼルの話題が上がった時に、思わず耳を澄ましてしまったのは仕方ないだろう。
「どんな事を話してました?」
「え、と……向こうでも魔物図鑑読んでるのか、とか」
「読まれてますね」
ほのほの笑うリゼルに、ぱちりと目を瞬く。
「じゃあこの二冊と、あと今日は鑑定もお願いしたくて」
「あ、はい!」
ジャッジはテキパキと本を片付けて机の上に布を広げ、そして外していたモノクルを身に着ける。細いチェーンがシャリンと細やかな音を鳴らし、頬を撫でる感触はもう慣れたものだった。
モノクルを嵌めた手首に巻かれた時計の感触も。毎日付けているのだから既に馴染んだ。
「迷宮品、ですよね」
「はい」
準備が整ったことを伝えるように問えば、肯定したリゼルがポーチから一つ二つと作業台へと鑑定品を並べていく。
リゼルが持ち込む鑑定品は、滅多に見ないものも多い。それはボス級から手に入れた素材であったり、深層の隠し部屋から出た迷宮品であったり、あるいは冒険者が手にするに違和感のある物であったりする為だ。
「これが、書庫の迷宮で出た踏破報酬です」
リゼルが指さしたのは、掌で握れるサイズの黒い魔石。
「こっちがその迷宮のボス素材で」
そして指先が隣へと移り人サイズでは無い大きなモノクルを指す。
「これは水中遺跡みたいな迷宮のボス素材です」
最後に指さしたのは、球の全面に細やかなカットが入った子供の拳大の宝石だった。
ジャッジはその三つをまじまじと覗き込み、珍しいものばかりだと思いながら薄手の手袋を嵌める。そしてまず最初に手にとったのは、二つ並んだ宝石だった。
「どれも見たこと、無いものですね……」
「やっぱりボス素材は出回りませんか?」
「はい、やっぱり流通が少ないですし、その迷宮からしか出ないので」
ボス以外の魔物なら、例え違う迷宮だろうと種類が被って出て来る。
ただボスだけは違う。数多くの迷宮の数だけボスも存在し、一匹として同じものは無い。辛うじてその迷宮がある国では出回るだろうが、他国まで流れる物は稀だ。
「お爺様の所で、幾つか見たことはあるんですけど」
「流石インサイさんですね」
広い人脈を持ち、数多の商品を扱う祖父が珍しいからと見せてくれた時のことをジャッジは思い出した。
魔石だったら国ごとに違いはほとんどないが、そのボス特有の素材は見ていてとても楽しかった。とはいえジャッジもリゼルのお陰で最上級の素材であってもポンポン見せて貰えているのだが。
「これは……エレメントの核、でしょうか。でも凄い品質ですね」
瞬きもせずじっと宝石を眺め、そして鑑定を終える。
「はい。アスタルニアの“人魚姫”、聞いた事ないですか?」
「え……っと、あっ、絶対攻略できない迷宮がそんな、名前じゃ」
言いかけた言葉が手に持った物と盛大に食い違っている事に気付き、思わず語尾が消える。
しかし直ぐに気を取り直した。何せリゼル達なのだ。不可能を可能にする事が容易い人間が三人も揃えば、迷宮の一つや二つ踏破ぐらい出来るだろう。
深く頷き酷く納得を示したジャッジを、リゼルは不思議そうに見ていた。
「そういえば疑問だったんですけど、魔石とエレメント核だとどっちの方が高価なんですか?」
「それは……うーん、どっちも色んな要素で値段が変わって来ちゃうので……」
ジャッジはエレメント核をそっと机に敷いた布の上に置きながら、自店に置かれた魔石へと視線を送り悩む。
「エレメント核の“熱を加えれば不定形”って性質は強いですよね」
「はい、なので良い物だと装備に加工出来て、冒険者人気は高いと思います」
多くの魔力を蓄えたエレメント核を使用した装備は、魔力の影響を受けにくい。それを利用して魔力属性付きの武器だったり、対魔法の性質を持つ防具が作られたりする。
迷宮の深層で手に入る核でも無ければ効果は微々たるものだが、売っても良し装備を強化しても良しで冒険者達が積極的に手に入れようとする素材だ。
「でも、魔力の出し入れは出来ないし、需要が高いのは魔石……でしょうか」
とはいえ、どちらに高値が付くかと言われるとやはり難しい。
リゼルを見てみると成程と言わんばかりに頷いていたので、どうやら納得いく説明が出来たようだと安堵して肩の力を抜いた。
「ただこれだけ質が良いなら、一つで金貨50枚はつく、と思います」
「流石、ボスの素材だと良い値が付きますね」
感心したリゼルが、並べられた二つのエレメント核を自らのポーチへと仕舞う。
普段鑑定を依頼するリゼルだが、実はジャッジが買取を頼まれたことはない。話に聞く限り依頼での納品は惜しまないようなので、少し不思議だ。
空間魔法がなかったらどうしたのだろう、なんて思いながら次の鑑定品へと触れる。
「えっと、このモノクルは……」
「あ、それはボスが付けてたんですよ」
「へぇ……魔物素材でモノクルなんて、初めて見ました」
ジャッジは感心したようにまじまじと巨大なモノクルを眺め、そして両手で目の高さまで持ち上げた。
モノクルを付けていたなんて、きっと洒落た魔物だったのだろう。そう考えているジャッジはそれを付けていたのが巨大な蜘蛛で、しかも自分を連想されていたなど知る由も無い。
「美術品としての価値も高そう」
呟きながら、手袋越しに握っている銀らしきフレームを指でなぞる。
細やかな細工が施され、シンプルながら繊細な同じく銀の飾り細工も曲線を描きフレームを飾り立てていた。チェーンは無いものの、飾り細工には宝石のような魔石が添えられ美しい。
重厚な額縁にベルベット地で飾れば、類似の無い一点物の美術品として一線を画す品となるだろう。
「でもそこ、魔石ですよね?」
「そうなんです、そこが気になって」
美術品としての素材ならば、普通の宝石でも良い筈だ。
モノクルを挟んだ向こう側から、そっとリゼルの指が魔石に触れるのをレンズ越しに眺める。レンズといっても、度は入っていないようだ。
「リゼルさんは、その、魔力とか流してみたりとか」
「してみました。でも、何も変わらなかったです」
良ければ、と促され、ジャッジも魔石に触れて自身の魔力を流し込んでみた。
そしてふと目を瞬かせる。視界がぼやけているような気がして繰り返し瞬きするも、何かがおかしい。その内レンズ越しのリゼルの服が、少しずつ、透け。
「うわあぁぁぁぁ!!!」
「わ」
ジャッジが顔を青くしたり赤くしたりしながら凄い勢いでモノクルを上へ持ち上げると同時に、ジャッジとリゼルの間を何かが同じく凄い勢いで遮った。
それはまさに壁だった。木目鮮やかな壁が天井と床から生えて、噛み合うようにガチリと結合しジャッジの視界から完全にリゼルを消している。完全に無意識の反射だった。
「あっ、すみませんすみません! リゼルさん、大丈夫でしたか!?」
「大丈夫ですよ」
スルスルと天井と床に戻っていく壁を興味深そうに見ながら、苦笑し此方を見るリゼルにジャッジは平謝りだ。“王座”の性質を考えれば、目の前のリゼルが傷つけられる事は無意識だろうと決して無いのだけれど。
「何かありましたか?」
ジャッジは決してモノクルを覗かないよう、身を屈めるように胸元に持ちながらそろそろとリゼルを窺う。
反応から見るに、同じくレンズごしに此方を見ていたリゼルは何も見なかったのだろう。何と説明すれば良いのか。いっそ逃げ出したい。
ただ一つ釈明させて貰うなら、肌は一ミリも見なかった。上着一枚分透けただけだ。
「何、か……っというか、その……!」
そう、上着一枚透けただけだ。リゼルはきっとそれを告げられても“へー”で終わるだろう。しかしそう分かっていても言いづらいものがある。
ちょっと心配そうに見られているあたり、今の自分は物凄い顔色をしているんだろう。ジャッジは覚悟を決めて、勢いづけるように口を開いた。
「こ、こっちから見るとリゼルさんが透けまして!」
「透明人間みたいにですか?」
「ごめんなさい違います!」
混乱し過ぎて言葉が足りな過ぎた。
鑑定品の説明をする店主がこれではいけない。ジャッジは気を取り直し、手袋越しにモノクルを裏表返してみせた。
「えっと、魔石に魔力を流してみたんです。そうしたら、僕からはリゼルさんの上着が一枚透けて見えて……」
「へぇ。こっちからだと変わらなかったんですけど」
やっぱり、と頷きジャッジは混乱で熱を持った頬を冷ますように密かに息を吐く。
「なら単純に、裏か表かの問題かと……魔力量で何かが変わる、とかも無さそうです」
言いながらモノクルを差し出すと、リゼルは興味深そうにそれを見ていた。
そして魔力を流しながらだろう、店を見回すように翳したモノクルをゆっくりと移動させていく。それが此方を向かなかった辺りが酷くリゼルらしくて、ジャッジはゆっくりと心を落ち着かせる事が出来た。
「成程、壁一枚分向こう側が見れるってことですね」
「そう、だと思います」
例えば花瓶を見れば、表を向いている部分が消えて向こう面の裏側が見える。蓋のされた箱ならば蓋が消え、本ならば表紙が消える。
先程リゼルを覗いた時に、露出している顔の肌が消えなかったのは流石迷宮としか言いようが無い。全裸の人間を見れば消えるかもしれないが。
「じゃあこれを迷宮に持って入れば、壁の向こう側が見えるんでしょうか」
「迷宮だと微妙だと思います……」
何故か一切傷つけられない迷宮仕様では難しいだろう。
迷宮自身が攻略を楽にしすぎる迷宮品を出すなど、ジャッジも聞いた事が無い。もしモノクルが使えてしまえばただの攻略は勿論、隠し部屋さえ容易に発見できるようになってしまう。
「ですよね。消えるまでにそれなりに時間もかかるし、あんまり実用性は無いのかも」
「冒険者の方にとっては、そうかもしれません」
「生かし方によっては色々出来そうですけど」
ならば美術的価値の方が高そうか、というリゼルにジャッジも同意した。
もしそのモノクルを美術品として世に出す時が来れば、極上の額を用意して見せようと密かに決意する。オークションにでも出せば高値が付きそうだ。
「なら後、これなんですけど」
「これ、ですよね」
二つのモノクルはまだ作業台へと置いておきながらリゼルが指さしたのは、残りの黒い魔石だった。
ジャッジもそれを見下ろし、そして悩むように微かに首を傾ける。光すら吸収しているような漆黒、見ようによってはいっそ球体ではなく平面なのではと思うほどに黒で塗りつぶされた魔石だ。
「触ってみますね……」
「はい」
大きな掌でそれを握り込み、ジャッジはそれを掌の中でくるくると回した。
魔力を送りこんでみる。強く弱く。五本の指先それぞれから。そして二本から、三本から、四本から、指全てで。
通常の魔石なら、中心部から広がるように魔力が補充される筈だ。しかしこれは。
「魔力が、溜まらない?」
「そうなんです。でも、確かに流し込めますよね」
「はい、魔力の伝わり方も魔石なんですけど」
手にした魔石を光にかざしてみる。
何処までも透き通るように感じさせるその球は、それに矛盾して塗りつぶされた黒。当然光が透けることはない。
流し込んだ魔力は、決して魔石から漏れていない。ならば何処に行っているのか。漆黒に潰された魔石を見通すように、ジャッジは瞳を大きく開いた。
「これ、溜まらないんじゃなくて、薄く広がってる……?」
ポツリと呟き、再び魔力を流し込む。
「魔石、石……そもそも石じゃない、のかもしれません」
「魔力を溜め込める“何か”だって事ですか?」
「はい」
かざしていた魔石を下ろし、差し出されたリゼルの手にそれを乗せる。
魔石とは、名前の通り石だ。魔力を溜め込む性質を持つ石。なので注いだ魔力はその質量を囲いとして溜め込まれていく。
質量に対してどれだけの魔力が溜め込めるか、あるいは溜め込まれるかが魔石としての質だとされる。ただ大きいだけでは意味がない。
「囲いを越える、というより囲いが無いって思えば良いんでしょうか」
「はい、その、仕組みまでは分からないんですけど」
「こうして形があるのに、不思議ですね」
一から十まで説明せずとも一言で理解してくれる久々の感覚に、ジャッジは感動を噛みしめた。
鑑定では何故その価値なのか、それを詳細に説明して納得して貰わないといけないし、予想より低価格を示してしまった時などいくら説明しても納得して貰えないのだから感動も一入だ。
「あ、これ……空間魔法に、似てるかもしれません」
ふと唇から零れた言葉に、見下ろした先のリゼルがぱちりと一度瞬いた。
そして何かを考えるように視線を流すのを、ジャッジは急かすことなく待つ。その視線が他所を向いてしまうのは、少しだけ寂しいけれど。
「んー……今は何とも言えないです」
「また何かあれば、見せて下さい」
微笑んだリゼルが、指先を持ち上げ髪を耳へとかけた。
ジャッジは結論が出たのなら、その手伝いが出来たなら良かったとふにゃりと笑い、そして慣れた手つきで手袋を脱いだ。鑑定終了だ。
「鑑定書とか、必要ですか?」
「いえ、多分売らないので」
そう微笑んだ姿に、ジャッジは不思議に思うでもなく頷いた。
リゼルの持ち込む鑑定では、値段というより鑑定品が何かに重点がおかれる。冒険者ならばまず迷宮品に幾らの値がつくかを気にするし、必要なもの以外は売って金に換えるがリゼルには当て嵌まらない。
リゼルほど用途の分からない迷宮品を持ち込む者が他に居ない、というのもあるが。
「あ、そういえば」
ふいに、作業台の上から鑑定品を回収していたリゼルが口を開いた。
どうしたのだろうと見ていると、魔石もどきをポーチに仕舞った手が何かを掴んで出て来る。
「お土産、買って来たんですよ」
「え……僕に、ですか?」
「勿論です。気に入って貰えると良いんですけど」
作業台に置かれたのはフロッキング調の平たいケースだった。
まるでジュエリーケースのようで、側面に小さなシルバーの蝶番がついている。開けば上等なネックレスが鎮座していそうなそれの蓋部分には、片隅に小さくジャッジの名前が刻まれていた。
「こ、これ、開いても」
「どうぞ」
優しく促され、ジャッジは震えそうになる指先を伸ばした。
いっそ恭しささえ感じる手つきで持ち上げ、蓋に手をかける。慎重に力を籠めれば微かな抵抗の後、小さな反動と共にパカリと蓋が開いた。
ゆっくりと開いて行けば、そこにあったのはピンと伸ばされた白い手袋。
「使い慣れた物の方が良いと思って、今使ってるのと同じような物を選んだつもりなんですけど……使いにくければ無理に」
「使います!」
思わず声を張ってリゼルの言葉を遮ってしまう。
しかし止まらなかった。喜びと感動と色々なものが入り混じった感情のままに、ジャッジは言葉を続ける。
「今使ってるのは指先の生地が大分薄くなってたし、凄く嬉しいです……!」
目元に熱が集まるのを感じると共に、視界が揺らいだ。与えられた優しさが久々で、会えなかった期間だけ募った寂しさもあるのだろう。
自分でも何故これ程、と思ってしまう。しかし一気に溢れた感情を止める術など知らず、ぎゅうと閉じたケースを握り締めた。
「そんなに喜んで貰えると、選んだ甲斐があります」
揺らいだ視界の先で、リゼルが甘く微笑んだ。
その指先が伸ばされ、熱を持った目元を撫でていく。慰めるような優しい指先が今のジャッジには冷たくて心地よく、鼓動がゆっくりと落ち着いていくのが分かった。
「アスタルニアでも鑑定はして貰ったけど、やっぱりジャッジ君が一番でした」
「あ……」
「またこれから、よろしくお願いしますね」
ジャッジは目を見開き、そして幸せそうに破顔した。
リゼルの評価は情で左右されない。贔屓は無い。必要無ければ嘘もつかない。だからこそ認めて貰えたその言葉が何より嬉しい。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
頬を覆うようにあてられた掌にほんの微かに頬を押し付けてみれば、慈しむように撫でられる。その心地良さにジャッジは目を伏せ、躊躇いながらも甘えるようにそろそろとその背をかがめていった。
それなりの時間をジャッジの店で過ごし、リゼルは街を暫く歩いて宿へと戻っていった。
相変わらず王座の恩恵を受けた店は快適で、それは店主であるジャッジが此方を受け入れてくれているからかもしれない。そんな事を考えながら夕焼けに染まる街並みを抜け、宿の扉に手をかけ開く。
「おや、おかえり。リゼルさん」
「有難うございます」
扉が開閉する音が聞こえたのだろう、すぐに靴音が近付いてきて女将が顔を出して鍵を渡してくれた。
「そういえばあの子が“ギルドに行く時は呼んでくれ”って言ってたよ」
「イレヴンがですか?」
鍵が預けられているならばそうなのだろうと思ったが、やはり既に宿を出ているようだ。
そもそもリゼル達にとって、宿が同じで部屋が違うのと宿ごと違うのは大した差ではない。イレヴンが拠点に行ったというのなら、昨晩彼が不平不満を出した理由は朝に予想した通りなのだろう。
「昨日は泊まる泊まるって言ってたのに平然と出て行ってね。あの子の気まぐれは全然治らないね」
笑いながらそう言った女将に、治そうと思えば治せる唯一の人間は同意しながら微笑んだ。