軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

127:壊れた扉は閉まらない

クァトの寝起きは割かし良い。

不意打ちで起こされると一瞬何があったか分からないといった反応をするが、自然に起きる分には問題なかった。朝日が昇ると同じくらいにパチリと目が覚め、少しだけぼうっとしながらも二度寝などには縁がないと動き出す。

今日も窓の隙間から光が差し込む頃に目が覚め、床の上で毛布に丸まっていた体を起こして胡坐をかいた。

「~~……ッ」

金属が擦れ合うような、そんな音を孕んだ声なき声を喉から零して後ろに仰け反る。

鈍色の瞳を眠気の名残を払うようにパチパチと瞬かせ、固めの鈍色の髪を掻き混ぜながら視線を直ぐ横にあるベッドへと向けた。いつも足寄りの床に寝ているのでベッドの住人の顔は見えないが、膨らんだ毛布がゆっくりと上下しているのが見える。

「……」

足に引っかかる毛布を雑にどけ、クァトは敷かれた絨毯の上を四つん這いで移動する。そして枕元に行き、枕に沈んでいるだろうリゼルをひょこりと見下ろした。

向こう側を向いていて顔が見えない。無言で立ち上がり反対側へと移動する。

「(……起きない)」

ゆっくりとしゃがんで毛布に埋まり気味の顔を覗き込めば、予想に違わずスヤスヤと熟睡しているリゼルの寝顔があった。

そう、意外と起きないのだ。クァトは初めて同室で寝起きした日、いつまでも目を覚まさないリゼルにどうすれば良いのか分からず、ひたすらベッドの周りをうろうろしていた。

「(寝る、遅い?)」

クァトの方が常に早く寝ているので、正確に何時まで起きているのかは分からない。

しかしリゼルが動けば意識だけはふっと起きるので、全く把握できていない訳でも無かった。今の所、遅くとも真夜中が過ぎない内には寝ている筈だ。

薄っすらと開いた薄い唇が寝息を零すのを何ともなしに眺めながら、今日は冒険者しないと言っていたし暫く起きないだろうなと首を傾ける。少し、残念だ。

「?」

その時、ふと扉が開く音がした。

配慮しただろうそれは大した音を立てず、静かに開いていく。クァトが顔だけ上げてそちらを見ると、そこには扉に手をかけたジルが立っていた。

一歩分だけ部屋に足を踏み入れ、その視線はちらりとベッドに埋もれるリゼルを確認する。寝ていると知っているからこそノックが無かった事を、クァトはまだ知らない。

そしてジルの視線が、しゃがむクァトへと向いた。

「適当に準備して裏来い」

低く少し掠れた声が、囁く様に部屋に滲んで落ちる。

自分に向けられた言葉なのだろう、クァトは目を瞬かせて一つこくりと頷いた。それを確認して外れた視線が再びリゼルを一瞥しながら部屋の外へと外れていくのを、じっと見送る。

そして閉じられた扉に、クァトはふるりと鈍色の髪を散らすように頭を振って立ち上がった。

「(裏……)」

宿の裏の事だろうか、と着替えながら考える。

宿主が良く洗濯物を干しているスペースだ。そこそこの広さを持つ其処で、時々ジルとイレヴンが手合わせをしているとクァトは某手伝い日に聞いた事がある。

何やら「何かもう凄すぎて現実味ないし人間か疑わしいし冒険者って凄い」などと良く分からない事を言っていた。

「(手合わせ?)」

昨夜リゼルも言っていた。してくれるのだろうか、とクァトの瞳が微かな光を反射する。

彼のジルに対する印象は決して悪くない。積極的に関わってこない所は楽だし、何か聞けば大抵返事があるし、某蛇のように負い目を躊躇なく抉るような真似もしないからだ。

そして迷宮で見た戦う姿に、最強と呼ばれる所以を理解した。本気など見れなかったが、それでも分かる。

「……行ってきます」

クァトは最後に腰にサッシュを巻いて着替えを終え、眠るリゼルにそろそろと呟いて部屋を出る。階段を下りて風呂場の洗面台で顔を洗い、手ぶらのまま宿の裏口へと足を進めた。

扉を開けると、まだ日が上ったばかりのやや薄暗い空が出迎える。

「何」

正面には、黒い立ち姿。ジルがグローブを咥え身に着けている最中だった。

此方を見据える姿に、クァトは潮風が頬を撫でるように通り過ぎるのを感じながら問いかける。

「あいつに言われてんだよ、てめぇの実力確かめろって」

ジルは片手に黒いグローブを嵌め終え、唇に挟んでいたもう片方をつまみながら言う。

「今日は迷宮潜る予定がある。さっさと終わらせるぞ」

そう告げて残るグローブを身に着け、感触を確かめるように掌を開閉させるジルにクァトはざわりと背筋に高揚が走るのを感じた。その感覚に押されるように足を前に出し、ゆっくりと一歩一歩目の前の相手へと近付いていく。

その腕から、ズルリと刃が姿を現した。歩みは止まらない。自然な仕草で歩を進めていく。

「何、駄目?」

「周りに被害出さなきゃそれで良い」

それはつまり、全力で切り結んで構わないという事だ。

大した感情など宿さない普段通りの声で言いながら、ジルが腰に下げていた剣を抜いた。自然な動作でそれを握って立つ姿にクァトの瞳が戦意を露わに見開かれ、鈍色が光の伝う剣の切っ先のように輝く。

「……後」

残り五歩の距離。すっと歩を緩めたクァトに、ジルの唇が付け加えるように開かれた。

「あいつを起こさなきゃ、な」

口元に薄い笑みを乗せて告げられた言葉を確かに刻み込み、直後クァトは地を蹴った。

一瞬で肉薄し、空を裂く様に振るわれた刃は一切の動揺無く受けたジルによって受け止められる。薙ぐように払われた剣を避けて後ろに飛び退り、そして一拍も置かず再び斬り結ぶ。

刃と刃がぶつかる音が数秒の間に幾度も響き、そして距離を取っては再び肉薄する。数度繰り返したそれに痺れを切らしたのはやはりクァトだった。

「……ッ」

積極的に攻撃を仕掛けて来ないジルに焦れたのか、唸るような声を零して刃を逸らされた勢いのままにその足を振るう。自らの脚を刈り取ろうと振るわれたそれに刃を見つけ、ジルが弾く様に切っ先を真下に向けながら素早く腕を薙いだ。

キィンッと高い音をたて弾かれた足がビリビリと痺れる。クァトは顔を顰めながら、弾かれた足を軸に体をひねり地面に手を付けながら着地した。

そして獣が襲い掛からんばかりの流れるような仕草で、剣を振り抜いた直後のジルへと襲い掛かる。

「ガッ!!」

その瞬間、感じた衝撃に体が吹き飛ばされた。

地面に背中が叩きつけられ、視界の隅に振り上げられたジルの足が見えてようやく自分が蹴り飛ばされたのだと知る。そして、自らに振り下ろされようとする剣も。

咄嗟に両手でガードを作る。彼にとっては反射的な行動であり、実際に切り結んでいる間も幾度もかの剣を止めた。

「耐えろよ」

見上げた顔が瞳を細め、まるで忠告のように唇を動かす。何を、と疑問に思う間もなく振り下ろされた剣が自身の肉へと潜り骨を断ち切ろうとする感覚に、クァトは目を見開いた。

ピッと自らの頬へと散る血液の匂いと、響き渡った悲鳴など一切気付かないままに。

「――…………ぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!」

徐々に近づいて来る半狂乱の悲鳴に、リゼルは煩いとばかりにもぞもぞと毛布の中へと頭を埋める。まだまだ眠たいのだ、邪魔をしないで欲しい。

しかし途切れぬ悲鳴は確実に近付いていて、そして遂には扉を破壊せんばかりにダンダンと叩かれてしまった。それでも気にせず二度寝に入ろうと決して目を開けないリゼルに、ガンッと酷い音を立てて扉が開かれる。何処かが壊れる音がした気がしたが良いのだろうか。

「き、きき、き、きぞ、おきゃ、お客さん!!」

「んー……」

「血! 血!!」

「(凄く舌打ちされてる……?)」

寝ぼけた頭で何故だと思いながらも、リゼルは更に毛布を引き上げた。

もはや頭の天辺しか見えなくなったリゼルに、飛び込んできた宿主は頭に洗濯する筈だったタオルを引っ掛けながら必死に呼びかけた。洗濯籠を持って裏口を開けた途端に広がる衝撃の現場に、彼は籠の中身をぶちまけて此処まで走ってきたのだ。

「怖い! 何アレ怖い! お客さん! 助けて! 助けてくれないなら此処にいて良いですか怖い!!」

「しずかにしてくれるなら、いいですよ」

「有難うございます!!」

宿主は全てを吐き出すように叫び、そしてベッドの前で体育座りする。それから数秒の沈黙の後。

「本当に寝ちゃうんですか何で!? え、ガチ寝!?」

すぅすぅと寝息を立て始めたリゼルに慌てて立ち上がり詰め寄った。

そのまま膨らんだ毛布を力の限り揺らしたり叩いたりしたいのが彼の心情なのだが、出来る筈も無い。リゼルにちょっと過保護な面々に首を刎ねられてもおかしくないと宿主は一切信じて疑わない。

「起きてくださいってば宿主さんのお願い! うちの裏であんな! 腕! お客さんが止めてくれないと刃物なお客さん死ぬ! 死ぬ!!」

「はもの……」

どうにも出来ず、結果敷いているシーツをぐいぐいと引っ張りながら宿主は訴える。

ずりずりと徐々にベッドの上を移動していく感覚と必死すぎる訴えに、リゼルはようやく薄らと目を開けた。刃物、と宿主が称するのはクァトで、彼が危機に陥っていて、自分に止めろと言うならば相手は何処かの誰かではなくて。

そこまで考え、リゼルはようやく宿主へともぞもぞ体を向けた。頭まで被っていた毛布を肩まで下ろし、ウトウトしたまま壮絶な形相を晒す宿主を見る。

「イレヴンに、いじめちゃだめですよって、伝えてください」

「俺が!? それ俺死にませんかね!? じゃなくて一刀なお客さんなんですって!!」

とんでもない無茶ぶりに嘆く宿主を尻目に、リゼルはそういえばと寝ぼけた頭で考える。

昨晩、ジルとクァトについて話していた時に手合わせを頼んだのだった。いつでも良いと言ってあったのだが、早々にこなしてくれたらしい。

これだけ朝が早いというなら迷宮にでも行くつもりだったのだろうか、なんて微笑みながら二度寝を諦めてゆっくりと体を起こした。

クァトは、ずるりと引き抜かれていく剣を地に背をつけたまま見上げていた。

ぴたりと顔面寸前まで振り下ろされた剣は、片腕の半ばほどまで断ち切った。それが引き抜かれる感覚は焼けつくような痛みを齎すが、しかしクァトは痛みにうめく事さえ忘れて茫然と目を見開いている。

しかし腕から流れる血が本格化し、ぼとぼとと自らの鎖骨を濡らすのに気付き急いで上体を起こした。折角リゼルが買ってくれた服なのにと、しょんぼり眉を下げる。

「足のは自分で抜いとけよ」

「?」

そして数歩離れて剣を布で拭っていたジルの声に、ようやく気付く。

いつの間にか、腿に一本のナイフが刺さっていた。細身で薄いそれは一体いつ刺さったのか。腕の傷口を押さえながらジルを見上げると、ぽいっと何かを放られる。

「これ、俺、使う?」

「使え」

血に濡れた手で受け取ったそれを見てみると、見覚えのある瓶だった。

回復薬、以前地下で片目を潰された時に浴びせられたものだ。正直刺さった時の方が断然痛くないぐらいの激痛は今でも覚えていて、使うのにかなりの躊躇がある。

「地面汚す前にさっさとしろ」

剣を鞘に収め、早くしろとばかりに言われてクァトは覚悟を決めた。

腿に刺さるナイフも抜き、腕ごと回復薬をかける。激痛に備え噛みしめた奥歯は、しかし何も感じないまま血が洗い流される感覚にふっと緩んだ。

まじまじと傷口を見るが、きちんと塞がっていっている。どういう事かと不思議に思いながら最後の一滴まで使い切れば、もはや傷など全く見えない。

「痛い、無い」

「迷宮産だからな」

「?」

迷宮の宝箱から出た回復薬は普通の回復薬と違って痛くない。異常な早さで迷宮を攻略していくジルはその分宝箱を見つける事も多く、その結果よそで買う必要が無い為に手持ちの回復薬は全て迷宮産だ。

それを知らないクァトは首を傾げるが、それ以上の説明は無いと察して一つ頷いた。痛くないならそれで良い。

「実力、ダメ?」

「さぁな」

ごそごそと地面に胡坐をかき、クァトはジルを見上げた。しかし返事は素っ気ない。

実力を確かめると言っていた、リゼルの指示だと言ったのだから彼に失望されてしまうだろうかと自然と背筋は丸まっていく。実際はジルに敗北した点では一切評価は下がらないのだが、クァトはそんなこと知らない。

「……斬れた、何で?」

「あ?」

「腕」

クァト自身も気付かぬうちに、その問いかけが何処かふてくされたような色を含んだのも仕方が無いだろう。だって、全力で受け止めたのだ。

耐えろと言われ、構え、全力で受け止めた筈が斬られ、何より腕の半ばで止まったのも自力で止めたのでは無くジルが止めたからだ。今まで疑問にも思わない当たり前が覆されたのは、彼にとって反撃も考えられず茫然とする程度には衝撃だった。

「何で?」

「知らねぇよ」

ジルが面倒そうに視線を他所に投げ、しかし直ぐに戻す。

つ、と向けられた視線にクァトはぞくりと背筋が粟立つのを感じた。

「ただ」

それはまるで牽制するように、刻み込めと脳裏に剣を突き立てるように、静かに告げられる。

「てめぇを斬れねぇと思った事は一度も無ぇ」

体中が今にも斬り裂かれそうな一瞬の殺気を孕んだ空気に、クァトは目を見開き反射的に座っていた地面から退いた。

同時に両腕から伸びた刃は攻撃の為ではなく、初めて自らの身を守る為に顕現されたもの。それすら自身で気付けないままに、目を逸らせば命を絶たれると緊張感を高めた時だった。

向けられていたジルの視線が、ふっと横へと移される。その様子を数秒眺め、クァトもそろそろとその視線を追った。

ふいに裏口の扉が開き、普段着のすっきりとした格好のリゼルが姿を現す。

「あれ、まだ終わってませんでした?」

「もう終わった」

穏やかで優しい声に、すとんとクァトの肩から力が抜けた。

机の上に並ぶのは新鮮な野菜やチーズ、更に分厚いベーコンがたっぷりと挟まれたサンドイッチ。そして半熟卵の乗ったシーザーサラダとカットされたフルーツ、カボチャのスープなどがそれぞれ人数分。

更に足りないならこれで埋めろとばかりに大きなバスケットに華やかに盛られたバゲットが、机のど真ん中で存在を主張している。

「宿主さん、びっくりしてましたよ」

「お前が確かめろっつったんじゃねぇか」

「確かに君に方法は任せるって言いましたけど」

何とも物騒な方法をとったものだと、リゼルは苦笑しながらコーヒーに手を伸ばした。

依頼を受ける日でも無いのに珍しく四人揃った朝食では、話題に出た宿主が若干腰が引けながらも給仕を終える。正直彼にしてみればあの半狂乱の状態をびっくりで済ませるリゼルにびっくりなのだが。

リゼルの隣にイレヴン、向かいにクァト、イレヴンの前にジルが座っている。最後にそれぞれの前に置かれた飲み物は、各自の好みに合わせられていた。

「確かめる……実力?」

「実力というか、君がどこまで体質を把握してるのかなってジルと話してたんです」

昨晩、寝る前にリゼルはジルの部屋に行って色々と話し合っていた。

とはいえその目的はクァトに関してではなく、何となく一人飲んでるジルに付き合っていただけなのだが。話の流れでその話題になり、確かめてくれないかと頼んでみたのだ。

「えー、俺も外飲みに行かなきゃ良かった」

「出かけてたんですか?」

「そ。なんか港で祭りっぽいのあったんスよ。珍しい酒出てたしタダ酒して来た」

流石はアスタルニア、大小を問わなければイベントごとには困らない。

夜の港での祭りとか少し気になる、と思いながらリゼルは今度はサラダに手を伸ばす。半熟卵を割るとトロリと黄身が溢れてきて、ドレッシングとそれを絡めた野菜が朝からとても美味しい。

「ニィサン、パプリカ」

「いらねぇ」

「食って」

「てめぇで食え」

折角の色鮮やかなサラダの色鮮やか部分を拒否するイレヴンはいつもの事だ。宿主泣かせな彼は相変わらず好き嫌いが激しい。

ここでクァトに「君は何でも食べれて偉いですね」なんて言えば割と本気で荒むんだろうな、なんて思いながらリゼルは半分に切られたプチトマトを噛みしめる。越えてはならない一線はしっかり把握済みだ。

「それで、君の体質なんですけど」

甘いトマトをこくりと飲み込み、話を戻す。

「普通に触る分には俺達と変わらない肌でしょう? ジルとイレヴンが攻撃を受ける瞬間だけ硬質化してるって言ってましたし」

「?」

きょとんと、サンドイッチを咥えながら目を瞬かせるクァトに、リゼルはそれが答えなのだと微笑んだ。

本人が意識して防御している訳では無い。それなのに自らを切り裂こうとする剣を避けもせずその腕で受け止め、握り、喰らいつく牙に躊躇なく差し出し、一切の後退無く自らの刃を突き刺すのだから、その血に刻み込まれた戦奴隷の本能というものは凄まじい。

「それが全くの 自動(オート) なら良いんですけど、そうじゃないなら練習しておいた方が良いかなって思ったんです」

「練習」

「そう、練習。折角ここにはジルもイレヴンもいるんだし、相手には事欠かないでしょう?」

使いこなせていない、とは言わない。そうでないと危険、とも言わない。足りないというのでは無く、ただ純粋にクァトの実力を今より底上げ出来ないかと提案している。

クァトには、それがとても嬉しい。自身が経験不足だという自覚はあるが、心配からの提案だったのなら少なからず不満を覚えた筈だ。

「それで、どうでしょう。 自動(オート) でした?」

「や、違ぇッスね」

ばくばくとサンドイッチを食べていたジルへの問いかけに、答えたのはイレヴンだった。

彼はパプリカを空いたサンドイッチの皿に移す作業を終え、ようやくサラダをフォークに刺しながら言う。

「ニィサンが腕ぶった斬った時にフッツーのナイフ投げたら刺さったし」

「……」

お前か、と言わんばかりの視線がクァトから注がれるが、イレヴンは気にせず一気にサラダを完食した。そして空になった皿を端に寄せ、今度は積まれたバゲットに手を伸ばしている。

「あんまり酷い事しないであげて下さいね」

「だーいじょぶ。出血少ねぇトコ狙ったし、そもそも急所じゃねぇし」

それは大丈夫の範囲に入るのだろうか。リゼルはそう思いながらも、申し訳なさそうにクァトを見た。

「でも正直、凄く理想的な情報なんです」

「俺、良い。気にする、無い」

そんなリゼルを見ながら、クァトがふるふると何でもないかのように首を振る。

足を刺されようと、それが必要ならばそれで良い。それに抜くときは流石に痛かったが、こちらも正直なところ刺さった事すら気付かなかったのだから何も気にしていない。

「有難うございます」

「ん」

微笑んだリゼルに、クァトも嬉しそうに頷いてカボチャのスープを飲み干した。

「お前変なとこ正直だよな」

「俺はいつでも正直です」

ジルが呆れたように言い、グラスへと口をつける。

それに対して失礼なと可笑しそうに笑い、リゼルはフルーツの皿をクァトに差し出した。血も流したのだから栄養をしっかり取らなければ。

「お詫びにどうぞ」

「!」

皿を受け取りパッと顔を輝かせるクァトに、サンドイッチを手にとって促すように首を傾けてみせる。

彼は自分からたくさん食べたがる訳では無いが、貰えれば貰えるだけ際限なく食べるのでイレヴンとは違ったタイプの大食らいだった。とはいえ普通の量でも全く構わないので宿主は大助かりしている。

「美味しい」

「それは良かった」

リゼルはサンドイッチを消化しながら、思考を再開させる。

クァトのあの硬質化が自動で無いのに無意識だというのはどうなのだろう。初戦でイレヴンに立ち向かって眼球以外は無傷で終わったのならば、そこらの魔物相手じゃ大した問題では無いとは思うが。

「今回ナイフが刺さったのは、ただ“気付いてなかったから”って事でしょうか」

誰に言うでも無い問いかけに、答えたのは一足早く食事を終えたジルだった。

「だろうな」

「それって視界に入れば良いんでしょうか」

「や、死角からのも止めてたっぽい。気付かなけりゃ刺せんなら俺も戦り方変えたんスけど」

自分の話なのにいまいち付いて行けていないクァトは何となくそわそわしていたが、イレヴンの言葉と共に向けられた視線にびくりと肩を揺らしていた。普通の攻撃は全て止められると判断したからこそ目を狙ったイレヴンだが、ガードしきれない攻撃もあると知っていたならば言葉通り全く別の勝ち方も出来たのだろう。

勝ち方を選べる程度には、力の差があるのだという忠告。一度リゼルを誘拐した身にしてみれば、ぐっと口を噤むしかない。

「気配ってやつですね」

「お前それ好きだよな」

「憧れます」

そしてリゼルはそれに気付きながらも気にしない。そこら辺は各自折り合いをつけて貰うしかない。

「それで今まで全部止められてるっていうのも凄いですよね」

「目と勘が良いんだろ。気付けりゃ反射だろうな」

「ニィサン俺のこと褒めたことねぇじゃん!!」

「煩ぇ」

「前に罠で頭ぶつけてましたけど、あれはまた違うんですか?」

「体がついて行くかは別問題じゃねぇの」

それもそうか、とリゼルはサンドイッチを食べ終え手を拭く。

咄嗟に身構えるくらいならば無意識でも出来るだろうが、咄嗟に動けるかどうかは結局のところ慣れだ。そこら辺がジル達の言う“素人臭い”に繋がるのだろう。

その間、イレヴンはジルにぎゃんぎゃんと文句を言っていたがあれは半分面白がっているだけだ。本気ではないので問題は無い。

「違う」

「ん?」

ふいに、クァトが完食した皿とバゲットの積まれた籠を見比べながら言う。

「全部、違う」

しかし見ていた籠はイレヴンによってズルズルと引っ張られて行ってしまった。

遠ざかるそれを何処か悲しそうに見送るクァトを、リゼルはカボチャのスープに口をつけながら眺める。籠から此方を向いた目は、丸い鈍色が鈍く光を反射していた。

「斬られた。全部止める、違う」

微かに高揚を孕んだような、逆に酷く何かの感情を押し殺したような、そんな声だった。

金属が擦れ合うような音が強まったそれは、しかし実際のそれに比べ不快を感じない。そんなクァトにリゼルは薄っすらと微笑み、音も無くスープのカップを机に置いた。

「ジルは基本的に例外なので数に入れなくて大丈夫です」

「!?」

「基本的に人外の間違いじゃねッスか」

「!?」

「てめぇも後で裏来い」

「!?」

その後、混乱するクァトをそのままに続いた会話は「お願いだから勘弁して下さい」と裏庭にてトラウマを植え付けられた宿主の渾身の土下座によって幕を閉じた。

快晴の多いアスタルニアで、例に漏れず美しい青空と美しい海原が臨める港にリゼルはいた。

ジルは予定通り迷宮に行ったし、イレヴンも今日は出かけると言っていた。そしてクァトにはお使いとして一人で依頼を受けておいでと言ってある。彼個人のランクはまだFなので、戦闘的な意味では特に危険は無いだろう。

よってリゼルは一人で穏やかに、賑やかな港を歩いていた。

「よーし、縄ぁ張れ縄!」

「おいおいでけぇの取って来たじゃねぇか!」

早朝も過ぎて、もう昼が近付いてきた時間だからか港は少々喧しい程に声が飛び交っている。

漁師も丁度漁から帰って来る時間のようで其処かしこで競りの様相が見られ、巨大な魚が吊り下げられ並べられている光景があった。海から吹く風に混じる潮の香りと、そして時折鼻を掠める魚の匂いがいかにも漁港らしい。

「お、冒険者殿じゃねぇか」

ふいに声をかけられ、ふっとリゼルが声の方向を向いた。

人違い、という事は無いだろう。聞き覚えのある声の先に居たのは、鎧王鮫の解体を担当した漁師の内の一人で、いつかにリゼルと宿主へ釣り場を提供してくれた漁師だった。

老いの見える顔に溌剌とした笑みを浮かべ、節の目立つ手を上げながら歩いて来るのを微笑んで迎える。

「こんにちは。漁帰りですか?」

「おう、五日ぶりにな」

「沖の方にでも?」

「若ぇの連れて魔物漁行っててな。ったく、最近ようやく銛の使い方も様になって来やがった」

厳しい言葉とは裏腹に嬉しそうな様子に、リゼルもそれは良かったと目を細め笑った。

鎧王鮫を持ち込んで以降、アスタルニア伝統である魔物漁に若い衆が積極的だと以前も言っていたし、順調なようで何よりだ。魚の魔物が入って来ないと遠いなか訪れたインサイも安心する事だろう。

「冒険者殿はどうした。また釣りか?」

「いえ、ちょっと貿易港まで」

「へぇ、そりゃ珍しい。まさか荷運びの依頼でも受けたんじゃねぇだろうな」

「違いますよ」

アスタルニア冒険者ギルドでは荷運びというのは割と一般的な依頼なのだが、そこまで全面的に“あり得ない止めて置け何故だ”というような目で見られるのは悲しいものがある。

リゼルは若干複雑に思いながら苦笑し、否定する。心底安堵した反応を返されるのがまたやるせない。

「なら良いけどよ。貿易港っつうなら王宮寄りだな、場所は分かんのか?」

「ん、港沿いに真っすぐ行くだけですよね」

「まぁそうだけどなぁ。相手国によっちゃ向こう側だぞ」

向こう側、とリゼルはアスタルニアの地理を思い出して納得する。

海沿いに港はあるのだが、王宮を挟んで北側・南側と呼ばれる地域に分かれているのだ。北側と南側を分けるのは王宮から続く軍港で、その両側に貿易港、その更に外側に今リゼル達がいるような漁港がある。

とはいえ明確な線引きがされている訳でも無ければ、誰でも何処でも通り抜けが出来るので不便は無い。船の大きさと港の機能で自然と分かれているだけだ。

「そうですね、群島との貿易船が良いんですけど」

「群島な……あー……おい、群島行きの船って何処あった!」

漁師は思い出そうにもピンと来なかったのか、顎をさすりながら数秒唸って通りがかった他の漁師に声を張り上げ聞いた。巻かれた分厚い網の束を肩に担いで歩いていた他の漁師は、リゼルを二度見しながら少しずつズリ落ちようとする網を担ぎ直す。

「群島だぁ? 軍港の向こう側だろ!」

「悪ぃな!」

数歩離れた相手に対しても、多少は声を張らないと賑やかな漁港では掻き消されてしまう。

まるで怒鳴り合うようなやり取りにぱちりと目を瞬かせるリゼルの前で、漁師らはそれが当たり前のように一言二言交わしていた。そして何事も無かったかのように網を抱えて去って行く相手を見送りながら、色々豪快だなぁと内心で感心する。

「どうだ、分かったか?」

「はい、有難うございます」

「おう、礼はまた鎧鮫持ち込んでくれりゃぁ良いぜ!」

「それはジル達次第です」

漁師は年を感じさせない鍛えられた体を揺らしながら笑った。

そしてそのまま気を付けろよと送り出され、再びリゼルは港を歩き出す。しかし漁師が港を歩くだけの冒険者にかける言葉が気を付けろというのは一体どういう事なのか。

まぁ良いかと流し、リゼルは時折漁師らにかけられる声にほのほのと手を振り返しながら歩く。鎧王鮫の解体に関わった漁師たちはベテランばかりなので、リゼル相手でも物怖じする者が少ない。

「(この辺りから、貿易港かな)」

暫く歩くと、港の風景にも違いが出て来た。

木製の桟橋が、石造りのいかにも頑丈そうで大きな桟橋へと変わる。泊まる船も見るからに大きく、見上げれば太陽を背負い酷く眩しかった。

そのお陰で出来た日陰を歩きながら、さりげなく周りを見渡す。船から荷を下ろして運んでいたり、太い縄を引っ張って船を寄せている面々の中に見知った姿は無い。

「(あまり広くはないのかな)」

盛大に二度見されながらも歩くこと五分弱、今度はがらりと造りの変わる軍港へと到着した。目の前を遮るような急な石階段を靴音を鳴らしながら登りきると、ザァッと吹き抜けた風と共に景色が変わる。

軍用だろう巨大な船と、その隙間を真っすぐに伸びる広く長い桟橋。その際まで歩み寄ってみれば、先程まで近かった海が随分と下方に遠く見えた気がした。

「(あ、騎兵団)」

感心しながら覗き込んでいた上体を起こし、揺れる髪を押さえながら周りを見渡す。

すると、最近は随分と見慣れた姿があった。厳めしいイメージのある軍港に、鮮やかな色を持つ魔鳥が三匹とパートナーが三人。訓練か船の護衛か、石畳に足をついて何かを話し合っている。

ギュウ、クウ、と時々零される魔鳥の声が不思議と良く届いた。何となくそれらを眺め、何となしにふっと他所を向いた時だ。

「…………」

「?」

ふいに、警備をしていただろう若い男と目があう。憲兵か、船兵か。それとも憲兵の中でもエリートと名高い王宮警備兵だろうかと考えながら、通らせて貰う挨拶のつもりでゆるりと微笑んでみせる。

直後、こちらを凝視していた男の顔面が崩壊した。物凄い衝撃を受けたように崩壊した。リゼルはちょっとビクッとした。

「少々お待ちを!!!」

直後、凄い勢いで何処かに走り去られる。一体どうしたのだとその背を見送ると、遠ざかっていく声が此処まで届いてきた。

「要人が来るなんて聞いてないぞ俺は! 客人だ、かなり高貴な客人が来てるぞ!!」

明らかに何かを誤解している。リゼルはどうしようかと周りを見渡した。

待てと言われたからには待っていた方が良いのだろうか、それとも人違いなのだし行っても良いのだろうか。そんな事を思っていると先程まで見ていた騎兵団と視線が合う。

「あー……」と言わんばかりの視線が向けられた。誠に遺憾だ。

「ん?」

そんな騎兵団達の内の一人が、気にせず行けと言うように軍港の先をちょいちょい指さした。

きっと彼から説明してくれるのだろう。有難いことだと微笑み、リゼルもひらりと手を振って歩みを再開させる。

その後、客人とやらの特徴を聞いたらしいナハスが「今度は何をした!!」と駆けつけるのだが、そんな事など知る筈も無いリゼルはのんびりと軍用船を眺めながら軍港を通り抜けて行った。

「(港のこっち側に来るのは初めてだなぁ……)」

やはり少し急な石階段をゆっくりと降りていく。

擦れ違い、追い抜き、前を歩く人々は漁師であったり荷運びの作業員であったり、はたまた兵士であったりと様々だ。軍港を通り道にしているのもそうだが、この国は色々な意味で区切りが無い。

良く手を取り合い過ごしているのだろう。逆に区切りの大切さも理解しているリゼルだが、その自由な思考は肯定も否定もしない。こういうものは一長一短、正解など無いのだから人々が笑顔ならばそれで良い。

「群島への船は……」

最後の一段を下り、ぐるりと周りを見渡す。

群島へは船で二週間はかかるというし、途中で魔物の出る海域を通るので騎兵団の護衛がつくという。それだけの航海が出来そうな巨大船は、今二隻が見えるのみ。

どちらも品を仕入れて帰って来た貿易船らしく、屈強な肉体を持つ男らが次々と荷を運び出している。だが、見るだけでは何処と取引して来たのかは分からない。

「(多分、此処に居ると思うんだけど)」

人や荷物を避けながら、邪魔にならないよう港を歩く。

リゼルは今日、ただ港を散歩に来た訳では無い。知りたい事が幾つかあった為に、それを聞こうと訪れていた。

「ん?!」

「あ」

不意に後ろから聞こえた声に振り返る。

そこには目的の人物が、幼い子供の背丈程もある木箱を肩に担いで此方を見ていた。唖然とした顔に可笑しそうに笑い、仕事中だが大丈夫だろうかと思いながら近寄っていく。

「こんにちは、作業員さん」

「お、おぉ……珍しいとこで会うなぁ」

彼はリゼルが度々訪れる酒場で良く顔を合わせる、作業員グループの一人だ。船上祭の事を教えてくれたり、某復讐者に絡まれた時に反撃に転じてくれたりと大変お世話になっていた。

それでいて礼は話を聞かせてくれれば良いと言ってくれる気の良い男達だ。リゼルはそれに対して謙虚だなと思っているが、男達はリゼルの冒険者話を他の追随を許さない最高の娯楽だと思っている。

「君に聞きたい事があって来てみたんですけど、時間、空きそうですか?」

「あ? 俺に? あー……そうだな、後三十分もすりゃ休憩入っけど」

「少しだけお時間頂けないでしょうか」

「そりゃまぁ別に、いつもは寝てるだけだしな……いや、つうか俺に話ぃ?」

全く見当がつかない様子で大混乱している作業員の男に、なら良かったとリゼルは微笑んだ。

「じゃあ待ってますね」

「ん? ……んん?!」

「あの辺りで待ってたら怒られませんか?」

「いや、うん、んっ?! ああ、怒られはしねぇけど……あんたなら何してても怒られねぇ気ぃすっけど……ッは?!」

「仕事中にすみませんでした。頑張って下さい」

そうして大混乱のまま放置された男は暫く固まっていたが、サボるなと一喝を受けて慌て動きを再開させた。

作業員である男は、大体予定通りに作業が一区切りした事に力強く息を吐いた。

酒場で出会った最近アスタルニアで話題の人物は、どこぞの貴族か王族かと聞きたくなるような空気を纏っているのだ。酒の席で変に遠慮することは無いが、自分を待つと言われてしまえば待たせてしまうのも何となく居た堪れない。

「おーう、お疲れ」

「てめぇすっげぇ見られてたな、冒険者殿と話してんの」

ゲラゲラと笑いながら近付いてきたのは、いつも例の酒場で席を共にする同じ作業員たちだった。他人事のように笑われ、喧しいと額に滲む汗を肩にかけた布で乱暴に拭う。

実際、誰かしらと顔を突き合わせる度にリゼルの事について聞かれて面倒だったのは確かだ。曰く、あんな人種と何処で知り合ったのかと。気持ちは分かる。

「つうかあの人ぁ何しに来てんだ、こんなとこ」

「聞きてぇ事があんだと。てめぇらでも良いんじゃねぇのか」

「俺らに何聞きてぇんだか。まぁ顔は見せとこうと思ってたし行くけどよ」

そうして何だかんだで酒場のいつもの面子でリゼルの元へと向かった。

近付いていく毎に、周りの人間の視線が一点に集められていくのが分かる。予想するまでもなく視線の先に誰がいるのかなど分かり切っていて、しかし外で会う事など今まで無かったので奇妙な感覚を覚えた。

普段過ごす仕事場が、覚えのない空間になったかのような。その視線の先に自らが行くのだと思うと、覚える非日常感に少しばかり高揚してしまう。

「お忍びかなぁ」

「それにしては凄いリラックスしてない?」

ふいに聞こえた女性二人組の声に、作業員らは流石だと思わず納得する。

お忍びもそうだが、リラックスも容易に想像がついた。リゼルは基本的に誰が見てもマイペースなイメージを持たれる。

「冒険者殿は何処いても浮くなぁ……こういう言い方すっとあの人“えっ”みてぇな顔すっけど」

「何を思って“えっ”とか思ってんだろうな」

「お、居た」

先程待っていると告げられた場所に行けば、その姿は直ぐに見つかった。

港には何か所か日除けの布が張られた場所があり、リゼルが先ほど待っていると告げたのもそこだ。作業員とて日差しの下に放置しておく気は微塵も無い。

荷物置き場にされたり、働く者達が休憩したりと、色々な用途に使われる雑多な場所だった。リゼルはそこで、幾つか並べられたタルの一つに腰掛けながら本へと視線を落としている。

「何であの人ぁ視線集めて気になんねぇんだ」

「慣れてんじゃねぇの……凄ぇ、港とは思えねぇ光景になってんな」

「これがまた似合うんだよ、本」

タルに浅く腰掛けた姿勢は美しく、日を遮った影に囲まれた空間はまるでそこだけ無音のようだった。潮風に微かに揺れる髪が頬をくすぐるのか、持ち上げられた細い指が慣れた仕草でそれを耳にかける。

そして、ふっと伏せられた瞳が此方を向いた。

「あ、お疲れ様です」

微笑まれ、作業員らは口々に声をかけながら同じく日陰へと入っていった。

気後れしないと言えば嘘になるが、酒の席を共にするような相手を遠巻きにするほど薄情なつもりもさらさらない。変わっているが付き合いにくい人間ではない事など、作業員らはとっくに知っている。

「よう、冒険者殿。どうしたこんなトコまで」

「群島の貿易船について聞きたい事があったんです。漁師さんに聞いたら、こっちだって教えて貰えたんですけど」

「はぁん、成程な」

タルに座るリゼルの前で、彼らも木箱や丸められた何かの布の上に適当に腰掛けた。

多少尻に敷いたところでガタガタ言う者など此処にはいない。ちなみにリゼルも最初は座っちゃ悪いかなと立って待っていたが、通りがかった誰かに座ってくれと勧められた。

「今ここにゃあ無いぜ、丁度出てんだよ」

「そうなんですか?」

「何だ、欲しいもんでもあんのか? あそこの管轄は基本国だしな、個人で欲しいもんっつうのは難しいぜ」

「そういえば前にインサイさんから聞いた事があります」

国の護衛が必須な群島との貿易は、個人の商船では難しい。だからこそアスタルニアが独占して群島独自の品を扱え、それが莫大な利益をもたらしている。

コストを考えれば容易に行き来出来るものでは無く、そして群島までの航海に耐えうる船も一隻のみ。余程タイミングが良くなければ、帰港も出港も見られはしない。

「その船が帰って来る日って分かりますか?」

「あー……前がだいたい一か月前ぐらいだったからな、もうすぐじゃねぇか」

「多分来週だな。船乗りの奴がそんなこと言ってた」

「来週……」

何かを考えるように直ぐ横を運ばれていく荷物に視線を流すリゼルに、作業員の男は広げて座っている足に肘をつく。

そのまま交代で働き続けている同僚たちを見れば、時折視線が向けられているのが分かった。さっさと働けと手をしっしっと振れば、後で詳しい話を聞かせろとばかりに軽く睨まれる。

「その船に乗せて貰うことって出来るんでしょうか」

「あ? 群島行きたいのか、冒険者殿」

「というか、群島出身の子を帰してあげたくて」

鼻で笑ってやりながらリゼルの方を向けば、ゆるりと微笑まれた。

今まで縁が無かったような穏やかで清廉な笑みに、思わず内心で拍手を送る。これが何度見ても印象が薄まる事などないのだから凄い。

「まぁ其処ぁ交渉次第だなぁ」

「交渉?」

「難しいこたぁ無ぇ。乗ってく船員捕まえて頼みゃ、大抵何とかなる」

「あんま人数は乗せれねぇし、時々早いモン勝ちだけどな」

自分で船を用意できるようなお偉方は、アスタルニアから魔鳥騎兵団を護衛として貸して貰い自力で渡る事もある。とはいえ滅多にある事では無いので、群島に行きたい人々は此処で貿易船に乗せて行って貰うのだ。

商人や探検家、学者や里帰りなど、何だかんだで毎回誰かしらは乗っていく。特に必要な手続きなども無く、船員に怪しまれなければそれで良い。

「里帰りっつうなら問題ねぇだろ」

「お金なんかも要らないんですか?」

「言っちまえば荷物のついでだからなぁ、碌な部屋も無ぇだろうし」

「暇な時に手伝っときゃ充分だろ」

そんなものかと感心しているリゼルを、作業員らは何か反応ずれてんだよなぁと眺める。

普段の彼らならばお上品だと鼻で笑ってみせるだろうが、リゼルは余りにもガチ過ぎてそんな考えすら浮かばない。平和で何よりだ。

「なら船員の方……となるとツテが無いし、ナハスさんにお願いしたら何とかなるでしょうか」

「あ? 誰だ?」

「魔鳥騎兵団の副隊長です」

「あぁ、あの真面目そうな人か」

「いつ見ても魔鳥といるよな。騎兵団なんざ全員そうだけど」

選ばれた者達で構成されているお陰で人数も限られ、更には国中の至る所に顔を出す騎兵団だ。作業員らも顔ぐらいは覚えているし、それが更に副隊長ともなれば特定は難しくない。

知り合いだったのかと、特に驚きもせず受け入れる彼らはリゼルが冒険者である事を完全に忘れている。

「騎兵団じゃ難しいな。どっかで船員に話通さねぇと」

「やっぱりですか?」

「そいつが船のどっかにツテあるってんなら良いんだけどよ」

「そういうのは聞いたこと無いんですよね」

一度聞いてみようかと考えているリゼルに、そんな事するよりはと作業員は頬杖から顔を上げて何て事なさそうに口を開いた。

「俺が頼んどいてやるよ」

「良いんですか?」

「話のついでに頼みゃ良いだけだしな」

「おう、それが良い。早めに頼んどきゃ安心だろ」

同意を示す作業員らに、リゼルは嬉しそうに微笑んだ。

とはいえ彼らにしてみれば本当に大したことは無い、船員となど日々顔を合わせるのだ。なんなら今その辺に歩いているのを捕まえても良いが、生憎船員らの予定など知らないので次の群島行きに誰が乗るのかは分からなかった。

「有難うございます、助かります」

「良い良い。何人だ? 一人?」

「はい」

「なら、どうすっかな……船が帰って来た日に、いつもんトコで良いか。そん時に出港日とか教えるからよ」

宿主に頼んでおけば帰港日も分かるだろうと、リゼルが了承し頷く。それと同時に、何処からかカーンッと良く響く鐘の音が聞こえた。

何の音かと音の方角へと顔を向けたリゼルに、腕を組んだ作業員は気にするなと言うように手を振る。

「休憩が半分過ぎた合図だよ。あと半分ある」

「そうなんですか。なら、そろそろ行きますね」

折角の休憩時間に申し訳ないし、と立ち上がるリゼルを作業員らは腰を下ろしたまま見上げる。別に迷惑とは全く思っていないが、わざわざ引き留める理由もない。

とはいえ、リゼルが去れば好奇心旺盛な奴らに集られるだろうと予想がついているだけに、休憩時間いっぱいいてくれと思わないでもないが。しかし集られようと、何だかんだで満更でも無い。

「今度酒場でご一緒する時、お礼にジル一押しのお酒でも持っていきますね」

「はぁー、贅沢なこった!」

「楽しみにしてんぜ」

そう笑って日の下へと足を踏み出したリゼルを、作業員らは手を上げ送り出す。

そして改めて休憩時間を満喫しようとだらしなく姿勢を崩し、各々腰につけた革袋から水を飲んで寝転がる。流石にリゼルの前でダラダラごろごろしようとは思わない。

「しっかし場違いな人だよなぁ」

「あの人が荷運びの依頼とか受けたらどうよ」

「馬鹿野郎、そこらへん座らせとくわ」

「ああ、荷数集計とかさせてな」

そうのんびりと話している彼らが、予想と違わぬ展開に休憩時間を潰されるまで後少し。

その日の夕方、部屋で読書をしていたリゼルの元へとクァトが依頼から帰って来た。

「ただいま」

「おかえりなさい。どんな依頼を受けたんですか?」

「森ネズミ、狩った」

「ああ、森ネズミの討伐依頼だったんですね。ちゃんと出来ましたか?」

「出来た。後、怒られた」

「ん?」

「ネズミ、十匹。持つ、帰った、怒られた」

そういえば狩った獲物はギルドカードに反映されるのだという基礎中の基礎を教え忘れていた事をリゼルは思い出したが、取り敢えずは読んでいた本を閉じて初依頼達成に祝いの言葉を贈っておいた。

後日ギルドに行った時、職員から新人教育について懇々と苦言を貰う事となる。