作品タイトル不明
128:手を打たないとは言ってない
王宮を訪れたリゼルは幾重にも重なる布を纏うアリムと共に読書を楽しんでいた。
書架の海の中心にある机が本来の目的を担う事は、今はもうほとんど無い。古代言語の教授に必要だからと置かれたのだが、ギルドを通しての情報提供が一区切りついてからはアリムもリゼルも上手く意識を切り替えた。
勿論、雑談の範囲でなら古代言語のやり取りをする事はあるが。それが惰性にならないあたり、二人とも酷く切り替えが上手いのだろう。
「今日は、集中して読んでる、ね。先生」
抑揚の少ない低く蠱惑的な声が、向かい側に座る布の塊から零れた。
中からはサラリ、サラリと紙の擦れる音も聞こえる。彼もまた、リゼルが此処を訪れた時から絶えず読書を続けていた。
「今日中に気になってる本を読みきれたらと思って」
サラ、と捲られかけたページの音が止んだ。
隣で頬杖をついていたイレヴンが視線だけでリゼルを見る。しかし、リゼルの視線が本から離れる事は無い。
「いつ?」
国一番の学者と称されるアリムがリゼルの言葉の意味に気付かぬ筈が無く、ただそれだけを問いかける。
そこでようやく、リゼルの伏せた瞳が上げられた。考えるように立ち並ぶ書架を視線でなぞる姿が、彼自身まだ決めかねているのだと告げている。
「来週末には、って思ってるんですけど」
「へぇ」
イレヴンが世間話でも聞いているかのように頬杖から頭を起こす。そのまま椅子の背もたれに体重をかけ、体ごとリゼルを向いた。
これは彼にとっても初耳だった。ジルは知っているのだろうかと思いながら、話の続きを待つ。
「来週に何かあるの、かな」
「群島行きの船が出るみたいなんです」
「リーダー群島行きてぇの?」
「いえ、俺じゃなくて。里帰りをさせようと思って」
群島に里帰り、と聞けば思い浮かぶのは一人しかいない。
短期間での叩き上げを目的として今はジルについて迷宮へと潜っているクァトだ。彼の場合基礎は元から身に付けているのだから、経験稼ぎと言った方が良いかもしれないが。
深層の魔物やボスなら相手にとって不足はない。ジルがついていれば万が一も無いだろうしと、先日リゼルが頼んだのだ。
「ちょっと、意外、かな」
アリムが、声に薄っすらと笑みを乗せながら言う。
相変わらずぽつりぽつりと、雨垂れのように零される声は不思議と耳に心地よい。
「手放すとは、思わなかった、けど」
「手放す、というか」
言いかけたリゼルが、ふっと言葉を切り苦笑する。
隣で今度は背もたれに肘をついたイレヴンが、にんまりと笑みを湛えて此方を見ていた。
「行方不明だったんですし、ご両親は今でも心配していると思いますよ」
原因は幼いクァトの好奇心と盛大な船酔いだとしても、全体の状況を見れば誘拐されたようなものだ。
しかも独り立ちが早い事に定評がある獣人のイレヴンさえ十一の時に家を出たと言うのに、クァトが行方不明になったのはもっと幼い。両親の心配も一入だろう。
「あー、だから顔見せて来いってコト」
「帰れるなら帰らないと。親不孝者って怒られちゃいます」
「それはそうだよ、ね」
うん、とアリムが布の中で頷いた。
それぞれ生来の気質に正直に育ったとはいえ、リゼル達も親から形は色々あれど愛情を注がれてスクスクと大きくなったのだ。その親を心配で悲しませるような真似をしていると知っていて、好き放題にフラつく趣味は無い。
ちなみにリゼルは今のところ此方からは帰れる目処が立っていないし、無事は知らせてあるのでセーフ。棚に上げても許される。
「それに、誘拐された子の親は怖いですよ。びっくりして泣くほど怖いですよ」
「リーダー何かトラウマでもあんの?」
「ちょっとあります」
誘拐犯より助けに来た親に泣いたシュールな過去をリゼルは未だに覚えている。
「先生は、行かないん、だね」
「そういや前に群島気になるみたいなコト言ってたけど良いんスか」
「そうですね……片道二週間を考えると、やっぱり長いんですよね」
往復で一月、あるいは天候によってはそれ以上。群島は遠く、その間はずっと船の上。
ジャッジの店には保存庫という食材限定で劣化を止める迷宮品もあったが、船員の数を思えば食事は魚か味気ない保存食かに限られるだろう。そして変わり映えの無い風景と、いかに巨大な船だろうと決して広くはない船内、魔物は全て魔鳥騎兵団が撃退すると来れば。
「だって、君は絶対飽きるでしょう?」
「あ、俺ムリだ」
同じ想像をしたのだろう、イレヴンが今気づいたとばかりにそう告げる。
「ニィサンは黙々と乗ってれそうだけど」
「でも群島には迷宮が無いし、ずっと退屈しそうです」
「迷宮ないけど魔物は居んじゃねッスか。あーでも、わざわざ海渡ってまでっつうのはなァ」
要は、ジルやイレヴンにとって二週間かけて行くほどのメリットが無かった。
未開拓の地に覆われた群島は、貿易船が行きつく港町以外では小さな集落がポツポツと存在するのみだ。冒険者ギルドも存在しないので、折角行ってもやる事が無い。
「俺も集落の場所は知らないし、向こうで探すなら彼一人の方が都合も良いと思って。俺達みたいな余所者を連れてて、変に疑われちゃ可哀想ですしね」
「群島に観光に行く人なんて、ほとんどいないから、ね」
うふ、ふ、と抑揚なく笑うアリムに、やっぱりそうかとリゼルは少し残念に思いながら微笑んだ。
ああいう場所では余所者は酷く目立つ。ならいっそ見るからに戦奴隷なクァト一人が故郷を探した方があっさりと見つかりそうだし、変に怪しまれる事も無いだろう。
「一刀と迷宮に行かせてるのも、それ、かな」
「そうですね。せっかくの故郷で居心地が悪くなったら大変なので」
「戦闘民族っていうし、ね」
生まれてからずっと戦奴隷として生きてきた集団の元へ帰るのならば、ブランクは出来るだけ埋めた方が良い。しかしそれは、顔を見せるだけにしては過ぎた配慮ではないかとアリムは布の中からじっとリゼルを見た。
手放す訳では無いと言うが、これは。
「なんだ、結局捨てんの?」
そんなアリムの思考を遮るように、静かな書庫に愉悦を湛えた声が響いた。
にやにやと笑みを浮かべたイレヴンが机へと頬杖を移す。その目はじっとリゼルを見据えていた。
元々帰してやりたいとはリゼルから聞いていた。しかし、それにしてはいずれ手放すような扱いはせず、出来るだろうに本人に帰ろうと思わせるような事も無い。むしろその逆だった筈だ。
「なーんかリーダーにしちゃ効率悪いっつーか、中途半端?」
「確かにそう、かな。目的が見えない、かも」
非難では無く、純粋な疑問なのだろう。
注がれる二人分の視線にリゼルは苦笑し、もはや読んではいないが開きっぱなしで指先で戯れていた本を閉じた。
「親切心で帰してあげようとしてる、とは思って貰えないんですか?」
「それ、本当ならすっげぇ悪趣味じゃねッスか」
愉快だと隠しもせずケラケラと笑うイレヴンに、リゼルは微笑むだけで否定はしなかった。
それもそうだろう。クァトがそれを望まないと知りながら帰してやろうなどと、口先だけでも綺麗事を言うような趣味の悪い真似を彼は決してしない。
だから余計に何故なのかと気になるらしい。煽るように言葉を重ねるイレヴンと、疑問を解決したい研究者気質なアリム達を相手に誤魔化すのは骨が折れそうだ。
「んー、何て言えば良いんでしょう」
しかし誤魔化すつもりも無いのだろう。リゼルは素直に口を開く。
何から話そうかと閉じた本の表紙に指を滑らせ、ゆるりと首を傾けた。
「折角の故郷なんだし、居心地よく過ごせるようにっていうのは本当です。大切なものも安らげる場所も多いに越したことはないので」
「ふぅん」
故郷というのは、やはり特別だろう。
無条件で愛情を注ぎ注がれる事の出来る家族の存在は尊く、酷く居心地が良い。それは何年も引き離されたクァトにとっても同じことで、例え本人がリゼルと離れたくないと訴えようとそれは帰りたくないという意味では決してない。
「それに、彼は俺が奴隷になってって言ったから傍にいるようなものでしょう? ここで一度自由にしてあげたいし」
「へぇー」
そこでリゼルは言葉をきり、隣に座るイレヴンにどうしたのかと首を傾けながらも苦笑を向けた。
先程から気のない返事をくれるイレヴンは深く頬杖をつき、酷く楽しそうに瞳を細めている。にやにやと笑う口元が如何にも何かを言いたげだが、実際に何かを口にする事は無い。
ただ、ひたすら露骨に促してくるだけだ。期待に応えられるだろうかと、苦笑のままに穏やかな声で告げた。
「あまり堂々と人に言うような事じゃないんでしょうけど」
それはまるで、当たり前の事を言うかのように平然と。
「俺は大切なものは大切にしたまま、どこまでも自由なままに俺を選んでくれれば、それで良いんです」
優しい微笑みから告げられた言葉は酷く自分本位で傲慢だった。
しかし聞いていた二人が特別何かを思う事は無い。欲しい物は余さず手に入れて来た元盗賊の頭領と、知識欲に忠実なあまり学者と呼ばれた王族はむしろ満足げですらあった。イメージとは裏腹にリゼルが決して無欲ではない事を、イレヴンもアリムも既に知っている。
「(欲っていうより、此処まで来るといっそ価値観、なのかな)」
うふふ、と楽しそうに肩を震わせたアリムが、布越しにじゃれ合うリゼル達を眺める。
「別に堂々と言や良いじゃねッスか。俺嬉しいし」
「及第点くらいは貰えますか?」
「あいつの為じゃなくてリーダーの為なら別に良い、って思えるくらいには?」
何故それ程にクァトに心を砕くのかと正直不満だったイレヴンも納得したのだろう。むしろ自分はそれ程に欲しがられた末に此処にいるのだと、物凄いご満悦な笑みを浮かべている。
リゼルが褒めるようにその前髪を撫でると、蛇のように瞳孔が絞められた目が心地よさそうに細められた。
「うふ、ふ。最良を求めるのは、良いことだ、よ」
「そう言って頂けると嬉しいです」
「でも……そう、来週、なんだ」
ふ、と楽しげだったアリムの声が一瞬途切れた。
「来週、アスタルニアを出るん、だね」
何かを考えるように顔を伏せたのだろう、サラリと重ねられた布が揺れた。
リゼルはもっととばかりに指先に押し付けられた額に応え、赤く指通りの良い髪に指を差し込む。髪を乱さないよう優しく撫でると、再び脱力して頬杖に頭を乗せていた。
「次どこ?」
「 王都(パルテダ) に戻ろうかな、と思ってます。ジャッジ君達からの手紙とか、随分寂しがってくれてるみたいですし」
王都とアスタルニアの距離を考えれば頻繁とも言える程、リゼルはジャッジやスタッドと手紙をやりとりしている。
一生懸命近況報告や此方の心配をしてくれる手紙も最近ではジャッジはさりげなく、スタッドは露骨に寂しさを訴えてくるのも増えてきた。流石に可哀想だし、良い機会じゃないかと思ったからだ。
「良いですか?」
「ん。ニィサンは知ってんスか」
「いえ、まだです。本当に決めたばかりなので」
冒険者にとって国移動とは珍しくないが結構な大イベントの筈だ。
パーティ全員の同意が不可欠なのだがリゼルは知らない、割と思い付きで決めた。ジル達が嫌がらない事だけは確かなのでそれで十分だろう。
「その出発って」
「はい」
アリムがぽつりと呟くのに返事をしながら、リゼルはイレヴンの髪から手を離す。
「つまり、奴隷だった彼を送り出してからって事だよ、ね」
「そうですね。聞いてみたらそれくらいに船が帰って来るって言ってましたし」
「群島の貿易船、だと……うん、それくらい。それから二日おいて出港、かな」
第三王子、つまりアリムの直ぐ下の弟が管理しているだけあってアリムも予定を把握しているらしい。
正直アリムの事を周りとの関わり合いなどほぼ無い書庫の引きこもりだと思っていたイレヴンは、意外そうにそちらに目を向ける。余りにも雄弁にそれを語る視線を、リゼルは苦笑しながら諫めるように名を呼んで止めさせた。
「何か不都合がありましたか、殿下」
「不都合じゃない、よ」
アリムは小さく笑いを零し、するりと布の隙間からその褐色の腕を覗かせた。
手首に巻かれた金の装飾がシャラリと音を立てる。長く骨ばった手がゆっくりと伸ばされ、リゼルの前に置かれている本へと指先をかけた。
「先生、その出発って来週の一番最後に、出来る?」
「たぶん大丈夫です」
クァトの出発がそれ以降になる事はないだろうと、リゼルはあっさりと頷いた。
元々正確にいつ出るのかなど決めていない。いくらでも変更はきく。
「それまでに何かあんの?」
「までにって言うより、その日に、かな。ようやくサルスに使者が送れる段階になったから、魔鳥騎兵団が出発する、日」
「使者っていうことは」
リゼルは数度頷いた。
間違いなく、先の魔鳥一斉妊娠疑惑の時の騒動。もとい魔鳥への魔法攻撃のことだろう。
段階とはいうが、恐らくアスタルニアからは“首を洗って待ってろ”といった先触れしか出していないというのがリゼルの予想だ。この期間でそう何度も行き来は出来ないだろうし、恐らく間違ってはいまい。
「猛抗議ですね」
「猛抗議、だね」
使者が誰かは知らないが、アスタルニアという国を体現するだろう王族の誰かが行くのならばサルスも可哀想に。相性悪そうだなぁとリゼルは内心で思いながら、すっと机を滑る様に持ち去られる本を視線で追う。
「それで、どうせなら帰りも魔鳥でどうかなと、思って」
「俺はすごく嬉しいんですけど、良いんですか?」
「うん。どうせ近く通るし、ね」
「有難うございます。とても助かります」
嬉しいと隠さず伝えるリゼルに、アリムも布の下で笑みを浮かべ頷いた。
アリムも生まれながらの王族なので人を使う事に躊躇はない。具体的に言えば丸投げされたナハスが文句を言いながらも何とかしてくれるので問題は無い。
ならば早くした方が良いだろうと扉の前で待機していた兵を呼び、リゼル達同行の旨を知らせるよう告げたアリムの手元が静かに布の中へと仕舞われた。
「殿下。それ、まだ途中までしか読んでなくて」
言付けを伝えるために書庫を出て行く兵士の姿が消えた頃、リゼルはアリムの腕と一緒に布の中へと消えていった本を惜しむように少し眉を下げる。先程まで読んでいたそれは余り出回らないような本で、良い所で止まっていた筈だ。
「うふ、ふ」
重なり合う布の中から、相変わらず艶のある笑い声が零れた。
アリムの背を預けられた背もたれが小さくキシリと音を立て、布が膝から滑り落ちるように流れていく。露わになった胸から下は相変わらずアスタルニアらしい衣装に包まれていて、その手元は足に置いた本の表紙をゆっくりとなぞっていた。
「だから、ね」
トン、と長く整った指が本を叩く。
それは微かで良いから未練を残せと、確かにそう告げていた。
「残念です」
「う、ふふ、ふ。ようやく先生から、一本取れた、かな」
僅かな愉悦が滲む声に、これは続きを読ませて貰えそうにはなさそうだとリゼルは諦め苦笑した。元々アリムの本なのだから文句など無いが、やはり少し残念だ。
何冊か持って来ていた本の内の一冊を新しく手にとって、そして読書を再開しようと表紙を開く。向かいではアリムもリゼルから奪った本を開いていて、再び静かな読書タイムが始まるのかとイレヴンも頬杖から昼寝の態勢へと組んだ腕へ顔を埋めようとした時だった。
「どうして最後までそうなんだ、お前らは全く!!」
バーンッと書庫の扉を開いて登場したナハスによって、読書タイムは中断を余儀なくされた。
もう外も暗くなり始めた頃になってようやく、アスタルニア最後の読書ラッシュを終えたリゼル達は王宮を出た。
集中し過ぎて重く感じる頭が、締め切った書庫では感じられなかった風の流れに多少すっきりとする。温暖なアスタルニアとはいえ夜になれば気温も下がるので、通り過ぎる潮風が少し冷たく心地良い。
「読み切った?」
「気になってたものは、取り敢えず」
いつになく読書に全身全霊を込めていた為、放置されていたイレヴンが揶揄うように笑みを浮かべて問いかける。可笑しそうに笑いながら返すと、なら良いかと言うように頷かれた。
「すみません、退屈でしたね」
「や、別に寝てたし。今日は夜出掛けっし、丁度良いッスよ」
欠伸を噛み殺しながら言うイレヴンは、どうやらこのまま出掛けるようだ。
言い方からして帰って来るのは深夜どころじゃないのだろう。明け方になって帰って来る事も少なくなく、リゼルも何時出かけて何時帰ってきたのか全く知らない事も多い。
心配などしようも無いので気にはしないが、今回はもしかしたらとリゼルは口を開いた。
「ご両親へ挨拶に行くなら、俺からも何か用意させて下さい」
「えー、わざわざ行かねぇッスよそんなん」
違った。
「君達は本当に、そういう所あっさりしてますね」
「来た時行ったし、前も宿とか来てたし充分じゃねッスか」
「お父様は良いんですか?」
「父さんはアレ。会える時は家行かなくても会えるし」
家行っても居なかったら無駄骨感が半端ないし、と当然のように言うイレヴンにリゼルはそういうものなのかと頷いた。ようはタイミングの問題なのだろう。
全く関係が無い筈の王宮で一度邂逅した身としては何となく理解出来てしまう。
「まぁ今回は縁が無かったっつーコトで」
特に惜しむでも無く言いながら、イレヴンはしなる髪をぴんっと指で弾いた。
「獣人ってみんなそんな感じなんですか? 本当に親離れする、みたいに」
「えー、どうだろ。蛇はまぁ、他と比べても淡白っぽいッスね」
そもそも他人の細かな家庭事情など知る機会も無いのだろう、イレヴンも詳しくないようだ。
とはいえ犬の獣人などは会えば喜ぶ程度の事はするらしいし、やはり蛇の反応は淡白な方か。本人らにしてみれば仲が悪いなどは決して無いし、関係は円満なのだから気にする事でも無いのだが。
「なら、恋人へは?」
悪戯っぽく微笑むリゼルに、イレヴンは愉快気に目を細めてみせた。
「さぁ? そこらへんは個人の性分じゃねッスか」
「ちなみにイレヴンは」
「御想像にお任せしまァす」
楽しそうにケラケラ笑う姿に、躱されてしまったとリゼルも可笑しそうに笑みを浮かべる。
折角だしと言われた通りに想像してみれば、恰好つけたがる所があるので甘えるような事はなく余裕そうに振る舞っていそうな気がする。自分のペースを掴まれるのを嫌がる所は普段と変わらず、相手を翻弄するのを楽しみそうだ。
「ちょっと捻くれてそうですよね」
「リーダーどんな想像したの?」
そうして会話を楽しんでいると、すっかり日が落ちてしまった。
日が落ちたとはいえ人通りは減っても無くなることは無く、賑やかな声を上げる彼らや其処かしこにある飲み屋から漏れる喧騒はまだまだ静けさとは無縁だと訴える。そんな通りを歩いて、ようやく宿が見える道の角へとたどり着いた。
「此処までで良いですよ」
「そ?」
如何にも此方に用がありますというように自然と隣を歩いていたが、恐らく出掛ける先が宿と全く同じ方向という事は無い。
礼を言うのは余りに無粋だろうと、リゼルはただ褒めるように目を緩めて微笑んだ。満足そうに唇を引き上げるイレヴンを見る限り、それで正解だったようだ。
「明日ギルド行く?」
「そうですね、依頼を受けようかと思ってます」
「ん、分かった」
了解したように頤を上げるイレヴンは、きっと明日ギルドに出発するまでには宿に戻って来るのだろう。
夜更かしして眠くないのだろうかと思うが、読書が止まらず気付けば深夜を回っているなど時折やらかすリゼルなので口には出さない。冒険者歴も長いし無茶はしないで適度に切り上げてくるだろうと、微笑んでひらりと手を振った。
「じゃあ、あまり危ない事をしないように」
「アンタに手ぇ出させる事はねぇから安心して」
わざとらしい程ににこりと笑い、答えになっていそうでなっていない事を言いながらイレヴンは踵を返した。
夜の闇の中、微かな光を反射して艶めく髪を何とも綺麗な事だと一瞥しながら、リゼルも宿へと足を進める。恐らくジルもクァトももう帰っている頃だろう。
見え始めた星を眺めながら十数歩の距離を歩き、宿の扉に手をかけた。
「あ」
「……お前今まで本読んでたのかよ」
扉を開けた先に、タオルで髪を掻き混ぜている風呂上りのジルがいた。
とはいえジルはシャワー派なので湯船に浸かった訳では無いだろうが。折角の宿の売りを満喫しているのは今の所リゼルだけだ。
「帰ったばかりですか?」
「ああ」
足を止めていたジルが再び歩を進める。
部屋に向かっているのだろう、リゼルもそれに続いて階段へと足をかけた。
「そういえば、そろそろこの国を離れようと思ってるんです」
「良いんじゃねぇの」
「来週の終わりだと、来た時みたいに魔鳥騎兵団に連れて行って貰えるそうですよ」
「へぇ」
適当な手付きで髪の水気を拭っているジルを見上げ、特に嫌がる様子は無さそうだと改めて確認をして一つ頷く。ジルも楽が出来るなら楽をするに越した事はないのだろう。
「それ何処情報だよ」
「殿下です、アリム殿下」
「サルス?」
「いえ、王都の方」
自室の扉を開き入っていくジルの後から、リゼルもその扉を潜った。ベッドに腰掛け適当にタオルを放るジルの横を通り過ぎ、部屋に備えられている椅子へと腰掛ける。
未だ濡れる髪を鬱陶しいとばかりに、撫でつけるよう掻き上げる姿を何ともなしに眺めているとその視線が此方を向いた。何処か怪訝な視線に、言いたいことを察して微笑む。
「魔鳥騎兵団の目的はサルスですよ。でも彼らにしてみれば王都もサルスも変わらないみたいだし、ついでに乗せて行って貰えるみたいです」
とはいえ誰かは分からないが王族も同行するだろうし、リゼル達の為だけに王都へ寄る事は無いだろう。
近くで降ろして貰うか、あるいは破格の待遇で一部の騎兵団だけ別行動してもらえるか。その辺りは騎兵団らの予定に合わせる事になる。どちらにせよ有難い事だ。
「権力あんの上手く使うよな、お前」
「御厚意です」
呆れたように告げられ、リゼルは全く以って心外だと言うように返す。
「それまでに群島行きの船も出るみたいなので、里帰りさせたいなと思ってるんですけど」
「だからか」
誰とは言わないが、ジルもクァトの事だと分かったのだろう。
最近、やけに集中的に育てている印象があったが腑に落ちたようだ。その真意までは彼にも分からなかったが、期限付きだというなら納得ができる。
「手放す気もねぇのにフリ気取んなよ、趣味悪ぃ」
「君たちは“優しさから故郷に送り出す”ってどうして思ってくれないんですか」
「ハッ」
鼻で笑われた。リゼルはちょっと落ち込んだ。
「為にならねぇ事しねぇトコは優しいんじゃねぇの、お前の我儘ってとこ抜かしゃぁな」
「上げて落とす方が趣味が悪いと思います」
拗ねてみせれば、ジルは可笑しそうに目を細め喉で笑う。
ジルとてリゼルが我儘だけで動いているとは思っていない。本当にクァトの為を思い、それでいて自分の欲も満たせるような、そんな器用すぎる折り合いをつけられる人間だと知っている。
ほんの戯れだ。リゼルもそれを分かっているのか、直ぐに仕方なさそうに微笑んで言った。
「一度手放した方が良いかなって思ってるのは、本当ですよ」
言い方からして完全に諦めるつもりは無いのだろう。
リゼルは背筋を曲げることなく、膝の上で指を組む。その視線が一度窓の向こう側を見て、そしてジルへと戻された。
「今のままじゃ、イレヴンはずっと区切りがつけられないでしょうから」
「あいつはもう許さねぇだろ。しつっけぇし」
「それでもストレスとか溜まったら可哀想じゃないですか」
リゼルを自分の元から奪った事を、イレヴンは決して許さない。
今はリゼルから酷い事をしないようにと言い付けられ、日々鬱憤を小出しにして解消しているようだが効果は薄い。彼の中にはまだ奪われた時と変わらぬ嫌悪がある。
続けばストレスにもなるだろう。イレヴンも、それに気付いているクァトも。
「対象が暫く姿を消せば、落ち着くと思うんですよね」
「そりゃな」
某復讐者のように、もはや復讐が生きる意味ともなれば憎悪も日々増していくのだろうが、イレヴンに限ってそれはないだろう。
そもそも獣人は感情に忠実だが、それを後々まで引っ張ろうとはしない。傍にも居ない相手の事を思い浮かべ、恨み辛みを思い返すような真似はしない筈だ。
「許さないなら許さないで良いけど、ほど良い所に着地できれば楽だと思うので」
「そうか」
ジルは適当に頷き、ベッドの上に放り投げていた荷物へと後ろ手を伸ばす。
その口を開き、ずるずると自らの剣を取り出した。夕食前に剣の手入れぐらいは終わらせておこうと抜き身のままで取り出し、膝の上に置いて今度は手入れ用の布を取り出す。
そんなジルを見ながら、リゼルはにこりと笑った。そして、付け加えるように口を開く。
「君にとっても、ね」
ゆるりと首を傾けながら告げられた言葉に、剣へ布を滑らせようとしたジルの手が一瞬止まった。次いで零されたのは舌打ちで、リゼルはそれに可笑しそうに笑って立ち上がる。
「夕食、宿でとるでしょう? 今日の迷宮での話も聞かせてくださいね」
「……今頃部屋で死んでるかもな」
苦々しげな声と共に投げやりに告げられた言葉にどういう意味かと思ったが、自室に行った先で疲れ切ったのか死んだように寝ているクァトの姿を見つけてリゼルは酷く納得した。
正の感情も負の感情も持たないような無機質なイメージを抱かせるクァトだが、その表情は良く変わる。特にリゼルと相対している時は顕著だ。
さり気なく邪魔をしてくるイレヴンが居らず、好きなものを好きなだけ食べられる本日の夕食に彼はにこにこだった。おかわりを頼んでも横取りされず、大皿に盛られた料理を自分に近い部分だけごそりと取られる事も無く、正面に座って微笑むリゼルから向けられた言葉も搔っ攫われる事も無い。
そんなクァトは今、実に幸せな気分で頬一杯に美味しい食事を頬張っていた。
「そういう訳で船も一人分とれたので」
筈だった。
「来週、君の里帰りが決まりました」
泣いた。
「……、……、……」
頬をいっぱいに膨らませたまま瞬きも無くぼろぼろと涙を流すクァトに、リゼルはちらりとジルへと視線を向けた。まさか泣くとは、と言いたげにジルの視線も此方を向く。
予想はしていたけれど、とリゼルは苦笑しながら持っていたフォークを置く。言わなければいけない事とはいえ、流石に泣かれると罪悪感があった。
「君にはご両親がいる事も、ご両親に愛されて育ったことも分かりますね?」
「ん」
「ご両親が突然姿を消した君を、全く心配しないような人だとは?」
「……うぅ」
取り敢えず口に含んでいた分をもぐもぐと咀嚼し飲み込みながら、クァトは喉を鳴らすように小さく唸り首を振る。少しずつ思い出す家族の記憶は暖かく、懐かしい。
「なら、無事な姿を見せてあげないと」
「分かる、でも、嫌……違う、嫌、違う」
嫌ではない。でもそれ以上に、離れたくない。
クァトにとって奴隷時代は別に不幸でも何でも無かったが、その代わり楽しみも無かった。それを教えてくれたのがリゼルで、自分のものにしてくれて、それは故郷を思い出した今でも変わらない。
でもリゼルの言っている事も理解できる。だからこその混乱だ。
「俺、ぁ、でも」
「ん?」
「……俺、う、ぅ」
優しく促されるが、言葉が出て来ない。
自分の考えを口に出すというのは、これ程に難しい事だっただろうかとクァトはぐちゃぐちゃになった思考に為す術なく口を閉じる。そうしてようやく、普段はリゼルがクァト自身の思考を手助けしてくれていたのだと気付いた。
しかし今、その手は伸ばされない。優しく此方へと向けられた微笑みをそろそろと窺い、どうすることも出来ず視線を落とす。
「俺は」
しかし穏やかな声に、もはや反射的にパッとうつむいた顔を上げた。
「君が故郷に帰って、故郷で生きる事を選ぶのも良いと思ってます」
クァトの目が見開かれた。ひゅ、と一瞬呼吸が止まる。
従順だ従順だと、奴隷でいた時に褒められたのはそれだけだった。しかし何処が従順だと言うのか、従いたいと思っていた人相手に必死に抗う術を探しているというのに。
鈍色の瞳はただただ揺れて、リゼルを映す。
「でも、それでも君が俺の事を選んでくれるなら」
ビクリとクァトの肩が跳ねた。痛いほどに跳ねる心臓は期待なのか、それとも恐怖なのか。
瞳に映る微笑みが、優しく甘く綻ぶ。クァトの目が限界まで開かれた。
「俺は喜んで君を迎え入れましょう」
そして、それが紡がれる。
「クァト」
ガタンと、椅子が倒れる音がした。何故か一瞬理解できなかったそれに、ようやくクァトは自身が立ち上がっている事を悟る。はくはく、と口が声も出せずに開閉した。
最初に聞いたのは牢屋の前だった。どうしても呼んで欲しくて、乞うて、呼んで貰えた時の体全てが満たされるような歓喜は忘れる事など決して出来なかった。
それからは与えられなかったそれが、今与えられた。それが意味するものが分からない程、クァトにとって簡単に諦められるような欲求ではない。
「あ、ぅ」
「はい」
「あ……有難う、ございます」
咄嗟に出た礼に、可笑しそうに笑ったリゼルを見てクァトもパッと笑みを浮かべた。
帰ってくれば与えられるのだと思えば、いっそ出発が楽しみでそわそわしてくる。そもそも故郷に帰る事自体は決して嫌では無いのだから、自分が何をそんなに悩んでいたのか良く分からなくなってきた。
「ほら、食事の途中に立つのはマナー違反ですよ」
「ん」
促され、倒れていた椅子を起こして腰掛ける。
そしてクァトは幸せな食事タイムを再開させた。厨房に籠っていたお陰で何も聞いていなかった宿主がタイミングよく追加の料理を持って来て、何だかやけに嬉しそうだなとそんな姿を見る。
「刃物なお客さん機嫌良いですね良いことです。今日の夕食そんな上手く行きましたかね肉料理とかそういえばいつもより煮込み時間増やしてみたんですけど」
「普通」
宿主は落ち込みながら帰っていった。
クァトの云う普通は“いつもと同じくらい”という意味なので、普段と変わらず美味しいと言っているのだが宿主には伝わらなかったようだ。どうやら普段より手をかけてくれたようだし後で伝えてみようかと、リゼルがその背を見送る。
「お前な」
その時、ふとジルから声をかけられた。
そちらを見ると、呆れ切った視線が此方を向いている。何となく何を言われるか予想がついて、仕方がないだろうと苦笑を返す。
「わざわざ首輪つけて野生返すとか、やっぱ趣味悪ぃじゃねぇか」
その言葉にリゼルはただにこりと微笑んで、そしてクァトは良く分からなかったので特に気にせず食事を続けていた。