軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

126:次からは嵌っても避ける

依頼を求める冒険者によってギルドが混み合う早朝を少し過ぎた、職員たちも人心地つこうとしていた時にリゼル達は訪れた。

常ならば視線を向けるだけの職員たちが、その手も止めたのは知っていたからだろう。微笑みを浮かべ扉を潜るリゼルに続きギルドへと足を踏み入れたジル、欠伸交じりのイレヴン、そしてその後ろに続いた見知らぬ男が昨日リゼルが宣言した男だと。

姿を現したクァトに、ギルド中の視線が集まる。

「……?」

クァトはきょろりと周りを見渡し、自らが見られている事に気付き少しの疑問を覚える。しかし特に気になる事も無くギルドの観察に戻った。

牢屋の中でリゼルが話してくれたギルド、雑多に貼られた依頼用紙も冒険者が使う机も聞いた通りで少し楽しい。机の中の一つが真っ二つに割れて修繕されたように見えて、それを不思議に思いながら眺める。

「こっちですよ」

ふいに、ちょいちょいとリゼルに呼ばれた。

クァトは数歩の距離を速足で詰め、受付カウンターの前に立つリゼルへと近付く。リゼルの隣にはイレヴンが立ち、ジルはそこら辺の椅子に座り依頼ボードを眺めていた。

「こりゃあまた、雰囲気あんの連れて来たなぁ」

「そうですか?」

「まぁお前らに混ざっちまえば違和感無ぇっちゃ無ぇけど」

スキンヘッドの眩しい職員が、ざりざりと親指で短い顎髭をなぞりながら言う。

ある意味納得、なんてギルド中の職員の内心が一致した事をリゼル達は知らない。恐らくこれで連れて来たのが普通のFランク冒険者だったら彼らは恐らく現実を受け入れられないだろう。

「良し、じゃあ登録で良いんだな?」

「はい」

「じゃあ登録用紙と、後何枚かに署名だ。そこら辺の説明はいらねぇな」

何枚か並べられた用紙をじっと見下ろすも、クァトは文字が読めない。

それはリゼルも知っている。牢屋で本は読めないと言っていたのだから記入も出来ないだろうと、机の上に置かれたペンを手に取った。

「代筆でも大丈夫ですか?」

「おう。ただ下の欄にお前も署名してくれ」

冒険者では文字が書けない人間も珍しくは無い。

書けない者達の中で多いのが、簡単な文は読めても書くのは苦手なタイプだ。依頼を選ぶ時や買い物など、その程度ならば支障は無いので特に問題視されることは無い。

もし迷宮内で難解な謎に出会った時は苦労するが、その時はいっそ読めても意味が無い事が多いので誰も気にはしない。

「は、自分の名前も書けねぇの?」

「書けない」

「彼の一族は口伝が主流ですし、文字自体に馴染みが無いんでしょうね」

ふぅん、と納得したようにイレヴンがリゼルの手元を見下ろす。

少しだけ斜めだが美しい字が書類にクァトと自らの名を記していき、そして登録用紙へと移る。名前、年齢、そこまで埋めてリゼルが用紙から顔を上げた。

「出身地ってどう書けば良いんでしょう。群島の……集落の名前とかも分からないんですよね」

「谷の中。谷、たくさん。その、一つ。あと、知らない」

故郷の様子はほぼ思い出したクァトだが、その正確な場所は覚えていない。

それは恐らく洗脳による刷り込みの影響とかでは無く、ただ単に忘れただけだろう。正直幼い頃のクァトも、集落が街からどっち方向にあるのかすら分からなかったのだから仕方ない。

「……駄目?」

読めない癖に一緒に登録用紙を覗き込むように頭を下げ、少しだけ申し訳なさそうに此方を窺うクァトにリゼルは可笑しそうに笑う。冒険者になれないのかと心配なのだろう、慰めるように鈍色を宿す瞳に微笑んだ。

「大丈夫ですよ、俺も書けなかったですし」

「つかそんだけ分かりゃ書けんじゃねッスか」

ふと、イレヴンもクァトの反対側からリゼルの手元を覗き込む。

「俺もそんな詳しく書かなかったし」

「なんて書いたんですか?」

「“アスタルニア北東の森の中、蛇の調香師の家”」

調香師、という単語にリゼルは成程と頷いた。魔物避けを自ら作るイレヴンの母を、リゼルはもしかしたら薬士か何かでは無いかと思っていたが調香師だったようだ。

アスタルニアにも度々卸しに来ているようだし、ある程度は周知されているだろう。数少ない蛇の獣人かつ調香師ともなればアスタルニアでは彼女一人、出身地としての説得力は申し分ない。

「まぁ分かりゃ良いんだ、分かりゃ。大抵の冒険者が出身地から近いギルドで登録すんだろ、なら職員が出身地に覚えが無ぇってこたぁ無ぇからな」

つまり、その程度でも証明が出来ない人間は相当な訳有りが自然と多くなる。

ならば推薦者の存在が必要となるのも納得ができるだろう。正直適当に書いてもバレない場合が多いが、バレた時は強制的にギルドを追放されるので余り無い。それなら推薦者を見つけた方がリスクは少ないからだ。

そんな訳有りの内の一人であるリゼルは、ふと疑問を覚えペン先をくっと上げる。

「イレヴンの住所、“蛇の狩人の家”じゃないんですか?」

「森族なんて狩人みてぇな生活してるやつ多いから弱ぇんスよ。あんま父さん家いねぇし」

イレヴンの父親のように純粋に獣や魔物の狩猟のみで稼ぐ専門家は一握りなのだが、“何かの職業を無理やり割り振るとしたら狩人”という生活を普段から送る者は多い。それならば調香師の方がピンポイントで思い浮かぶ分、登録には向いているようだ。

「つまり、所在の証明と他との差別化が必要なんですね」

リゼルは何かを考えるようにペンを握る手を浮かせ、そして直ぐにペン先を用紙の上に滑らせる。覗き込んでいるクァトは嬉しそうに目をきらめかせ、イレヴンは良いのかと面白そうに唇を歪め、正面から見下ろす職員は訝し気に眉を寄せた。

“群島に広がる荒野、その中にある渓谷の一つ。戦奴隷の集落”

「何だオイ、随分物騒な名前じゃねぇか」

「そういう民族名なんですよ」

「つっても聞いた事も無ぇしな……」

「大丈夫、ちゃんと証拠もあります」

じゃん、とは言わないがリゼルは少し得意げに一冊の本を取り出した。

相当古びており、紙のページはすっかりと変色してしまっている。随分と歴史を感じるその本を前に、このパターン好きだなと慣れたように眺めるのはジルとイレヴンの二人だった。

「ほら、載ってるでしょう?」

リゼルが職員に、本のとあるページを開いて見せる。

そこにははっきりと“戦奴隷”の単語が見えた。群島の荒野の何処かに存在する民族である事、詳しい場所は伏せられているが彼らとの出会い、特徴である入れ墨や鈍色の髪や瞳が描かれている。

「お、おお……まさか本で出身地証明される日が来るたぁなぁ……」

何処か遠い目をする職員に、それほど意外でも無いだろうとリゼルは不思議そうだ。

「本、俺の?」

「そう、君たちの本ですよ。特に姿を隠してる訳じゃないんですよね?」

「無い」

それなのに広まっていないならば、ただ単にわざわざ名乗らないだけなのだろう。

元々知識は口伝、記録などリゼルが持つ本以外に何冊も無いのではないだろうか。群島の外にも出ないようだし存在が広まらないのも無理は無いだろう。

エルフのように変に伝説化しているのならば別だが、そもそも獣人などの多種多様な種族が存在するのだ。平和的に暮らしているなら特別騒ぎ立てる事でも無い。

「回りくどい真似しねぇで推薦者になりゃ良いだろうが」

「でも折角の機会ですし」

足を投げ出し机に肘つき、呆れたように言葉を投げて来たジルにリゼルは目を細め微笑んだ。その返答に、分かっていたがと溜息をつかれる。

「じゃあこれで登録するぞ」

「お願いします」

「お願い、します」

リゼルの言葉に続く様にこくりと頭だけ動かして見せたクァトに、職員の脳内には“躾済み”という言葉が浮かんでしまう。これはいっそ仕方ない、と思いつつも変な考えを散らすように首を振った。

そして現実逃避をするように、他の冒険者達にも礼儀を叩き込んでくれないだろうかなんて思いながら出来上がった数枚の用紙を持って奥の机へと向かっていく。

「この本も殿下に返さないと駄目ですね」

その背を見送りながら、リゼルは持っていた本をポーチへと入れた。

「借りモンなんスか」

「はい。欲しいですけど、流石に貴重すぎますし」

「ねだりゃくれそうな気ィすっけど」

「俺、話す。教える」

「住んでた場所もまともに覚えてねぇ奴が何話すんだよ」

イレヴンが鼻で笑い、クァトが少しだけ眉を下げて口を噤む。相変わらずクァトはイレヴンに勝てない。

リゼルは申し訳なさそうに此方を見る視線に微笑み、慰めるようにその手を伸ばした。指の背で鈍色を宿す目元を撫でてやると、無機質な目は気持ち良さそうにゆるりと蕩ける。

「大丈夫です。色々話してくれて、俺は凄く助かってますよ」

「ん」

「入れ墨の話とか、とても面白かったです」

穏やかな声にクァトは口元を緩め、褒められた事にはにかむように笑った。

未だリゼル以外では引き出せないその表情は、何も考える事なく過ごして来た可もなく不可もない奴隷時代では決して見る事が出来なかっただろう。良い事だ、と触れる手を下ろしながら頷いていると、職員が一つの魔道具を持って戻って来る。

「あ、懐かしいですね」

「これ俺ん時から変わんねぇなァ」

職員が手に持っているのは、リゼルがギルド入会時に見た魔道具だった。

所々に金属の細工があるガラスの骨組みの中に、光の加減で薄っすらと虹色に光る魔法陣が幾つも表面に描かれたガラス球。置物としての価値も素晴らしいだろうそれの頂点には、真っすぐに天井を向く針が取り付けられている。

「リーダーも刺したんスよね」

「はい。どれくらいが良いか分からなくて、結構しっかり刺しました」

マジか、という視線がイレヴンからジルへと向けられた。呆れたように頷かれる。

こういうところ潔いよなという視線を二人から貰いながら、リゼルはクァトへと方法を説明していた。

「ここに指を刺すんですよ、ちょっと血が出るぐらいで大丈夫です。そうしたら登録が始まるので」

初めての後輩冒険者に何処か楽しそうに説明する姿を見て、まぁ説明したいのなら良いかと職員は黙って新品のギルドカードを魔道具にセットしている。

「それで、ここの魔法陣で多分個人の識別を」

「?」

「機密!!」

興が乗ったのか流れるような説明は、一応ギルドの機密である魔道具の仕組みにまで伸びた。何故知っていると思いながらすかさず止めた職員に、リゼルはそういえばスタッドにも言われた事があると素直に口を閉じる。

ちなみにクァトは仕組みを説明されても良く分からない。魔法に縁が無さ過ぎるからだ。魔法の権威と名高い支配者の所に居はしたが特に意味は無かった。

「ったく、今まで俺が見た魔法使いは仕組みなんて分かんなかったぞ……まぁあいつら感覚で魔法使うしな」

「そっちの方が凄いと思いますけど」

「興味ねぇのもあんじゃねぇの」

「それな。ほら、刺せ」

職員が、促すようにちょいちょいと針を指してみせる。

「自分から刺すって結構勇気がいりますよね」

「まぁ冒険者の第一関門だよなぁ」

ほのほの笑うリゼルに、職員も冗談交じりに笑い声をあげる。

冒険者によっては嫌だ嫌だと唱えながら青白い顔で臨むものもいるらしい。そういう奴に限って戦闘中の傷にはケロッとしているものだと教えてくれる職員に、リゼルが色々な冒険者がいるなと思っている時だった。

「そいつ刺さんの?」

「え?」

ふとイレヴンが零した言葉に、リゼルがクァトを見る。

クァトはきょとりと向けられた瞳を見返して、おもむろに魔道具へと手を伸ばした。親指を針に乗せ、ぐっと力を込める。

「痛い」

「我慢です」

しっかりと頷き刺さった事を教えてくれるクァトに、リゼルも魔道具を横から覗き込むように身をかがめる。目に入りそうになる髪を耳にかけるリゼルの後ろでは、イレヴンも同じような格好で覗き込んでいた。

「あ、大丈夫そうですね」

イレヴンの剣を受けても傷のつかなかった肌には針が入り込み、薄っすらと針の表面に作られた溝を赤い血液がつたっている。

血液はガラス球に届き、薄っすらと見えていた魔法陣を赤く染めてぼんやりと光った。ただ今登録中だ。

「もう良いぞ」

「良い?」

「良いですよ」

職員に促され、クァトはリゼルに確認をとって親指を針から抜いた。

傷口からぷくりと血が滲むのに気付き、なんて事なさそうに指先を唇へと運ぶ。そして垂れそうになった血液を厚めの舌で舐め取り、傷口を唇で塞ぐようにして残った血液を吸い上げた。

その姿を見て、何故自分はこれが許されないのかとリゼルは何となく不服を訴えるようにジルを向いてみた。鼻で笑われた。

「パルテダでは布とか貰えたんですけど、此処は無いんですね」

「あ? そんなもん舐めときゃ治……いや、お前にやれとは言わねぇけどよ」

解せない。

「おら、出来たぞ」

「有難うございます」

リゼルは釈然としないものを感じながらも職員からカードを受け取った。

相変わらず所属ギルドの国名、名前、ランクだけのシンプルなカードだ。冒険者駆け出しであるFランクを示す色をしたそれを、リゼルは懐かしいなとしみじみしながらクァトへと渡す。

「はい、君のですよ」

「ん」

渡されたクァトは不思議そうにカードの角度を変えては透かしで入っているギルドの紋章を見たり、裏返してみたりしていた。どことなく嬉しそうなので、牢屋でリゼルに話を聞いてから気になってはいたようだ。

「依頼受けんならこのまま受け付けちまうぞ」

「いえ、今日は受けないで迷宮に行こうと思っています。彼も初めての迷宮ですし」

まじまじとギルドカードを眺めて大切そうにポケットに仕舞ったクァトは、ふと自分の話が出た事に気付き顔を上げる。

「“草原遺跡”の続きを、と思ってるんですけど」

ね、と小さく首を傾げてみせるリゼルに、同じようにしながらもコクリと頷いた。

実際、昨日の夕食の時に今日の予定については聞いている。クァトとしても魔物とのまともな戦闘というのは初めてで魅力的だったし、迷宮という不思議な場所も気になっていたので楽しみにしていたのだ。

「……あそこは結構難易度高めの迷宮だぞ」

「そうなんですか? あ、でも羽トカゲとか他の迷宮だと中層で出てきますね」

「飛んでる系はランク高めなんスよ」

どの迷宮も先に進むにつれ難易度が上がっていくので、浅い階層ならばランクが低い冒険者も活動出来る。

ただやはり迷宮別に難易度が違っているもので、所謂Fランクパーティでも一階層ぐらいは突破出来る所もあれば、あまり多くは無いが最初からCランク冒険者推奨な迷宮もある。依頼と違って迷宮に関してはランクによって潜れない、という事は無いが。

「初心者連れてくような所じゃねぇんだが……まぁ良いか、お前らだし」

何故か凄く納得された。

そして今、リゼル達は馬車に揺られていた。

「やっぱりこの時間だと空いてますね」

「遅ぇしな」

まだ早朝と呼べる時間ではあるが、冒険者達が依頼を受けて迷宮へ向かおうとするにはやや遅い。馬車は座れなかったものの、いつもの微かなスペースさえ許されない満員状態よりは余程楽だ。

乗っている他の冒険者達も、迷宮の本格的な攻略にいく訳では無いのだろう。森族か採取か、ジャングル自体に用事があって乗っているのかもしれない。

「昨日は四階に入った所で帰って来ましたし、そこからですね」

「あそこ階層広ぇよなァ。仕掛け多くて時間食うし」

「流石のジルも三日で攻略、とは行かなそうですね」

「一人なら行かねぇよ、あんな面倒なとこ」

そんな同乗者の視線は、盛大な疑問を伴ってクァトへと向いている。

まず第一にリゼル達と共に居ること、そして見た事が無いこと、無機質な雰囲気が三人同様どこか浮世離れしていることと、何より冒険者らしい装備を一切身に着けていない事が何故馬車に乗っているのかという疑問を抱かせる。

「雰囲気で騙されるけど恰好だけみれば場違い感がハンパ無い」

「でも場違い感だけでいえば装備込みでも穏やかさんの方があるっていう」

「それな」

リゼルが聞けば落ち込みそうな事をひそひそされた。

ちなみに聞こえていたジルは噴き出しそうになるのを外を眺める事で耐え、イレヴンは咄嗟に口を覆って顔を背けたが堪えきれずに噎せた。クァトはそんなイレヴンにビクリとしている。

「イレヴン? 大丈夫ですか」

「だ、だいじょぶ……ッ」

背中をさすってくれるリゼルの優しさが辛い。

「えーと、で、四階から? 攻略進めてきゃ良いんスか」

イレヴンは震えそうになる腹筋を根性で抑え込み、無理やり話題を逸らす。例え誰が相手であっても耐えることなく爆笑してみせるイレヴンだが、ここで堪え切れず噴き出す訳にはいかない。

リゼルを悲しませる訳にはいかないのだ、例え堪えすぎて腹筋が筋肉痛になろうとも。

「今日は攻略っていうより、彼の練習が目的です」

大丈夫なら良いけれど、とリゼルは話を逸らしたがるイレヴンに気付きながらも応える。

「俺、練習」

「そう、迷宮で練習ですよ」

「冒険者?」

「冒険者の、というより戦いの、でしょうか」

クァトは今、生まれ持った身体能力と戦奴隷としての本能で戦っている状態だ。

圧倒的な経験不足、恐らくそれがイレヴンに手も足も出ない理由だろう。過去の栄光を考えると本来の力である筈が無い。

勝負勘を取り戻す、と言ってしまうとリゼルには感覚的すぎて良く分からないのだが、ジル達曰く戦っていればマシになるとのこと。だからこその今日だ。

「だから今日は頑張って、君が中心で戦うんですよ」

「頑張る」

装備無いのに?と同乗する冒険者らの内心が一致した。

これはもはや新人苛めではないかと、あらぬ疑惑が湧き起こっている。武器すら持たせず魔物の前に立たせる、何という鬼畜の所業。

「大丈夫、分からない事があれば何でも聞いて下さい。ジルも何だかんだで聞けば教えてくれますし」

「聞かれりゃな」

「イレヴンでも良いですけど、たぶん半分適当です」

「リーダー」

いや、やはりリゼル達なりに面倒は見ているのかもしれないと思い直す。

装備を揃えないというのは良く分からないが、もしや忘れてるんじゃないかと冒険者にしてはあり得ない考えに思考が飛ぶあたりに彼らのリゼルに対するイメージが分かった。

「おい、そろそろだぞ」

「あ、じゃあ止めて貰いましょうか」

そうして冒険者らは、御者に声をかけて止められた馬車から降りていくリゼル達を「まぁ何とかなるだろう」と結論付けて見送った。

葉や蔓が空を覆うように生い茂るジャングルから、扉を潜っただけで高い青空の下に広がる高原へと変わるのは酷くクァトを驚かせたらしい。

ぽかりと口を開けて立ち尽くした彼は、“実はずっと走ってくと透明な壁にぶちあたって進めなくなる”と早速適当な事を言ったイレヴンを信じて地平線の彼方へ走り去って行った。止める間もなく見送ったリゼル達だが、真っすぐに走って行ったクァトが十分後に何故か真反対から戻って来たので特に問題は無いとそのまま遺跡へと足を踏み入れる。

「階段、いっぱい」

「この階層はもう攻略済みです。この魔法陣に乗ると、進めてある階層まで一瞬で移動できるんですよ」

「何で?」

「迷宮なので」

その一言が全てを示す。それが冒険者であり、迷宮だ。

「ここは広いので、一階層ごとに魔法陣がありました。じゃあ、移動しますね」

話し中に既に乗っていたジルに続き、リゼル、イレヴンと魔法陣に乗る。

ぼんやりと光を放つ魔法陣をじっと見つめ、そっとクァトも足を踏み入れた。そろそろとリゼルの服の裾へと伸ばされた手が、イレヴンの手刀によって叩き落されると共に魔法陣が発動する。

一瞬後、足元を濡らす水の感覚にクァトはびくりと肩を跳ねさせた。

「ここ、長靴があると便利そうですよね」

「逆に動き辛ぇだろ」

「次の階で靴ガッポガッポ言いそう」

先程まで居た広い空間から一転して、上下左右を石に囲まれた遺跡の通路にリゼル達はいた。

壁に張り付く苔が青白く照らす空間は、足元が浅い水に覆われている。大体足首を沈めるくらいだろう水は所々に見えるヒビからちょろちょろと湧き出ていて、しかし底にある石畳がはっきりと見える程に透明度が高い。

「この階層は俺達も初めてなので、慎重に進みましょうね」

慎重に、と言いながら至って普通に歩き出したリゼルにクァトは不思議そうにしながらも続いた。

草原で聞こえた風の音も、一階層で聞こえた魔物が鳴く音もしない静かな空間だ。壁を伝って水が滴り落ちる音と、リゼル達が水を蹴る音が唯一聞こえる。

「微妙に冷てぇんスよね」

「動き悪くなりそうだよな」

「冷たい」

前衛陣には酷く不評だが、リゼルにしてみれば感覚が無くなる程に冷たい訳でも無い。

ぬるい、より少し温度が低いぐらいか。足が上がらないほどに冷たいと攻略が困難になるからだろうと、他人事のように思う。

「冷たい、無い?」

「大丈夫ですよ」

気遣うようにパシャパシャと足音を鳴らして近付いてきたクァトに、リゼルは礼を伝えるように目を細めて笑った。

どちらかと言えば最上級装備に身を包んでいないクァトの方が冷たいだろう。幾ら過去に最強と呼ばれようと万能では無い、体温を奪われなければ良いけれどと歩きながら思う。

「リーダー分かれ道ぃー」

「まだノーヒントですし、好きな方に行きましょう」

そのやり取りを遮るように、先を歩いていたイレヴンが左右に道が分かれた行き止まりで足を止めた。彼は自然体のままに左右を窺い、何かを考えるようにその唇へと舌を這わせる。

「ニィサンどっち? 俺、左。右側ちょいトカゲ臭ぇし」

「右。左だとバッサバッサ煩ぇ大群がいる」

「どっちにしろ何かは居るんですね」

どうする、と問うように振り返ったジル達にリゼルはどうしようかと首を傾けた。

こういう時に判断を任されるのがパーティリーダーだ。パーティの命を預かる、と言ってしまうと仰々しいが決して間違いでは無い。

とはいえ、リゼルにとっては大した重圧でも無いが。その程度、幼い頃から当たり前のようにこなしている。

「右にしましょうか。もし左がコウモリ系だったら避けたいですし」

「んぁ? リーダー苦手だっけ」

「顔が怖いので」

顔。まさかの顔。コウモリの顔。

ほのほのと微笑むリゼルを、ジル達は思わず無言で見た。確かに時々悪魔の化身なんじゃないかと言う程に凶悪な顔をしているコウモリ系の魔物はいるが、まさか得意不得意を顔で判断する冒険者がいるとは思わなかった。

「お前武器的には相性良いじゃねぇか」

「剣に比べれば、ですけど。大きいのが正面からいきなりバッと来ると、ビックリするんですよね」

気持ちは分からないでもないが、と思いながらイレヴンは右に伸びる通路へと歩みを再開させた。リゼル達もそれに続く。

ちなみにクァトはきょとんとしながら話を聞いていたが、そういう物かと今は素直に頷いていた。彼の中に間違った冒険者観が根付き始めているのに気付く者はいない。

「お、そろそろ近いかも」

ふいに、イレヴンがその歩みを緩めた。

どうやら彼曰く“トカゲ臭い”魔物が近付いてきたようだ。パシャパシャと水音をたてる足音を慎重なものにし、四人はぼんやりと明るい通路の先へと目を凝らす。

「角の向こう」

ジルも気付いたのか、音の響きやすい空間を考慮し小さな声で告げる。

近付いてきたのは一本道の曲がり角で、戦闘は回避できそうにない。四人はそろそろと角へと近付いていく。

向こう側から、バシャリと鈍い水音がした。

「冒険者としての初陣ですね、頑張りましょう」

「ん」

小声で話しながら、リゼル達は角から頭だけだして音の原因を覗き込んだ。

そこに居たのは、重厚感のある巨体。骨格はトカゲに似ているが、黒光りする鱗に覆われた姿はまるでワニのようだ。

太い足をゆっくりと動かすと、水面から太く頑丈そうな爪が覗く。ぐぅっと持ち上げた顔は大きく、鋭い牙が並ぶ口が時折ちらちらと開かれていた。縦に裂かれた瞳孔が静かに動く。

頭から尻尾の先まで、およそ男二人分の長さはあるだろうか。通路を塞がんばかりの巨体は、相応の重量を感じさせる動きで尾を水面に滑らせた。

「四階からこんなん出んスね。丁度レベル変わる境目っぽい」

「お前は草原ネズミから入ったのにな」

「基礎って大事だと思います」

今まさに基礎をぶっ飛ばしておきながら、リゼルは堂々と頷いた。何事も分相応が大事なのだ。

「行けそうですか?」

「行く」

足元でしゃがむように一緒に覗き込んでいるクァトを見下ろし、問いかける。

それは無理だと言っている訳でも、心配ゆえの問いでも無い。ただの確認に、クァトは好戦的に目を見開き、ざわりと髪が逆立つような高揚を覚えながら頷いた。

鈍色の瞳が、鋼のように鈍く光を宿す。前のめるように力の籠った体に、リゼルは随分と楽しみにしているようだと微笑んだ。

「じゃあ、遊んでおいで」

直後、クァトは食らい付くように此方に尾を向ける魔物へと襲い掛かった。

音も無く腕から伸びた刃が空を裂く。気付いた魔物が鈍重なイメージを裏切る速度で尾を振り回した。

当たれば骨の一本や二本を容易に粉砕するだろうそれを体をひねるように飛び越え、クァトは魔物の横腹へと滑りこむように着地する。そして拳を叩き込むように、硬質な鱗へと刃を振り下ろした。

「初めから飛ばしますね。緊張もしてなさそうです」

魔物の空気を震わせるような低く鈍い悲鳴を聞きながら、リゼルは角を覗き込む体勢のまま感心している。まるで獣の狩りを見ているような、野性的でしなやかな動きだ。

苦戦するようなら惜しみなく手を貸そうと思っていたが、今の所必要は無さそうだ。

「今受けるか避けるか一瞬迷ったな」

「あーいうトコが素人臭ぇよなァ」

それで避けられたんだから身体能力は高いのだろう。

評価が辛い事だ、と同じく覗き込む二人に苦笑する。リゼルにはその一瞬の躊躇すら分からなかった。

「でも狩猟を生業にする民族だし、真っ先に首を狙うと思ったんですけど」

「あー、あれ初っ端で首は難しいんスよ。ノドからじゃねぇと入んねぇし」

言われてみれば成程、首は動きを阻害しないよう特に細かい鱗が重なっている。

クァトが斬り付けた箇所を見ると、どうやら足の付け根らしい。動けば鱗と鱗の間に肌が見えるような部分を誰に言われずとも狙うあたり、戦闘経験がほぼ無いとは思えなかった。

流石は戦闘民族だと、今まさに後ろ脚の根元を斬り付けているのを見て思う。

「まぁニィサンはいきなり首飛ばすけど」

「そういえば前、顎を蹴り上げてましたね」

無理矢理ノドを晒させて剣を突き立てていた姿を思い出し、リゼルはちらりとジルへと視線を向ける。

「ジルだったら鱗ごと斬れそうですけど」

「剣が悪くなんだろうが」

出来ないと否定しないあたりがジルだろう。

微笑んだリゼルが視線を戻すと、今まさに食らい付こうとびっしりと牙に覆われた口を開く魔物がいた。クァトは避ける事無く片腕でガードする。

バキン、と強い力で閉じられた魔物の口内から音がした。しかしクァトが苦痛に顔を顰める事は無い。

「離せ……ッ」

唸る様に告げられた獰猛なまでの声は、まるで命令のようだった。

戦場を隷属させ支配する 戦奴隷(ソードダンサー) の片鱗を見せたその姿に、リゼルはゆるりと目を細めて微笑む。

「生き生きしてますね」

「理性ぶっとばして暴れてりゃ気持ち良くもなんだろ」

直後、鱗さえ粉砕しながら魔物の口内から刃が飛び出した。命令とは裏腹に縫い止めるように上下を貫通したそれが消えると共に、魔物は血を吐きながら声なく吠える。

そして痛みを振り払うようにブンッと頭を振り回すと、その巨体が大きくぐらつく。斬り付けられた右の手足が体を支える事が出来ず、大きな水音を立てながら崩れ落ちた。

「――……ッ」

倒れ様に肉を抉らんと振るわれた腕を飛びのいて避けたクァトが、飛び掛かる寸前の獣のようにその身をかがめた。

そして体勢を崩した魔物が起き上がろうと太い足を水面に叩きつけるのと、クァトが晒された喉を切り裂くのはほぼ同時。起きかけた重厚な巨体が、二度三度と痙攣してゆっくりと倒れ伏した。

「!」

クァトは疲れからでは無い、高揚から少し上がった息をそのままにパッとリゼル達の方を見る。そのまま戦いが終わったのを見て角から出て来たリゼルの元へと、足早に近付いた。

「終わった」

「楽しかったみたいですね」

褒めるように微笑まれ、こくこくと頷く。戦闘中の獰猛さは既に消え失せ、まるで狩りの成果を誇る犬のようだったとは後のイレヴンの談だ。

「まだ行けそうですか?」

「行ける」

「リーダーそんなん俺に聞いたことねぇじゃん!」

「だってイレヴンは俺よりも先輩冒険者じゃないですか」

そのまま四人は先へ進もうと再び歩み出した。例え冒険者としての初めての戦闘で、例えCランクパーティが総出で狩るような魔物相手に一人で立ち向かって勝利を収めようと、リゼル達からしてみれば特別な事でも無い。

同じく単独で容易に魔物を狩れる筈のイレヴンが今更ながらに気遣いを要求してくるのを苦笑して宥めながら、リゼルはふと隣を歩くクァトの腕を見た。先程魔物に喰い付かれた方の腕だ。

「腕、痛くないですか?」

「無い」

リゼルが歩きながら手を伸ばす。指先で撫でるように触れた腕は硬くも冷たくもない、普通の皮膚に覆われた腕だった。

何とも不思議な事だが、話を聞く限りクァトも意識して硬質化している訳でも無いらしい。今度確かめてみようか、なんて思いながら不思議そうなクァトから手を離した。

「おい、これ」

「はい」

その後も何度か魔物に会いながら歩いていると、やや先行していたジルに呼ばれる。

どうやら何かあったらしいとリゼルが近付くと、最初の階層で見たような石板が通路の先に置かれていた。今までも一階層に一つは似たようなものがあったので、恐らくこれも地図か何かなのだろう。

「毎回同じような様式にしてくれれば良いのに」

「分かりゃ良いだろ、別に」

自分が分からない筈が無いと、そう思っていてくれるのは嬉しいがとリゼルは苦笑した。

そんな二人が並んで覗き込んでいると、パシャパシャとイレヴンとクァトも近付いて来る。とはいえイレヴンは自分じゃ無理だと最初から諦めているので、一瞥した後は特に考える事なく魔物が近付いていないか探ったりと暇そうにしているが。

「あれ、この階って平面構造じゃないかもしれません」

「あ?」

「なんか上下に交差してる所が……」

つい、と石板の上を滑る指先をクァトも目で追っていたが、やはり良く分からない。

「こうで、この道がこっちに伸びてて、でもこっちの方が近道っぽいんですけど……どうでしょう、罠とかありそうですか?」

「あー……この作りならあるかもな」

道には見えない変な記号を相手に相談しているリゼル達の話を聞きながら、クァトはふと首を傾げた。罠、という単語は度々耳にしたがどういったものなのか。

戦奴隷が魔物を狩る時に罠など一切用いない事もあるのだろう、クァトにはいまいち想像が出来ない。牢屋で聞いた巨大な岩が転がって来る罠ぐらいしか分からない。

「罠、何?」

「は?」

話し合っているリゼル達に聞くのは憚られ、一歩引いたところで双剣の手入れをしていたイレヴンへと近付いて聞いてみる。

「罠、俺、知らない」

「あー……」

イレヴンは納得したような、あるいは何かを考えるような声を漏らした。

そして剣を拭っている手をいったん止めて、ふいっと水に覆われた床を指さしてみせる。クァトは不思議そうに指の先をじっと眺めた。

「そこ踏んで」

「ここ?」

「そこ。ちょい色違うトコ」

良く良く見ると、水に揺れる石畳の中に一か所だけ周囲より色の明るい石がある。

クァトはゆっくりと近付き、イレヴンと床を見比べて確認をとり、そして言われるままに指示された箇所へと足を乗せた。恐る恐る、とは決して言えない至って普通に踏み込んだ足がガコリと一センチ程沈む。

直後、低めの天井から降って来た石壁の一部がクァトの頭を直撃した。ゴンッと鈍い音をたてたそれに、クァトは棒立ちのまま目を瞬かせイレヴンを見る。

「それ」

「分かった」

剣を拭いながら平然と告げられた言葉に、クァトは粛々と頷いた。凄く良く分かった。

「イレヴンもちゃんと教えてあげてますね」

「教えてんのか、あれ」

クァトに直撃し床に落ちた石の塊の物音に、どうしたのかと振り返ったリゼルが微笑ましそうに再び地図に向き直る。同意を求めるように囁かれようとジルには全く同意出来そうもないが。

そしてジルと話し合いながら暫く地図を眺めていたリゼルが、ふっと背筋を伸ばした。

「ん、決まりました」

「あ、リーダー終わった?」

イレヴンが剣を拭っていた布を仕舞い、クァトが好奇心から床に落ちた石塊をごんごんと蹴っていた足を止めてリゼルを見る。

「近道ルートを行きます。きっと罠があるでしょうけど、こっちの方が距離的には半分ぐらいなので」

「さんせーい」

「ん」

反論も無いようで何より、とリゼルは頷き地図を思い描いた。

しかし難解であっても地図があるというのは有難い。曲がり角の度に迷う事も行き止まりに当たって戻る必要も無いのだから、ストレス無く進むことが出来る。

あんまりグルグルと行き来する事になるとジルやイレヴンが非常に面倒くさがるのだ。一人で迷宮に潜っている時は一体どうしているのかとリゼルは常々思っている。

「じゃあ行きましょうか」

当然のように進みだしたリゼル達に、クァトはそちらと石板を数度見比べてから慌ててついていく。

道中襲い掛かって来るワニのような魔物を手際よく倒し、突然突っ込んできたコウモリ系の魔物もびっくりしながら退け、通路を所狭しと跳ね回る大量のスライム集団に「どうしろと」と途方に暮れ、密かにリゼルの念願であるミノタウルスには会えないまま四人は進んだ。

「おい、こっち」

「?」

途中クァトがイレヴンに呼ばれノコノコと近付き罠に嵌り。

「そこ跨げよ」

「ん」

言われるままに跨いでピンポイントで罠を食らい。

「馬鹿、下がれッ」

「!」

渾身の演技に騙され下がった先で罠を浴びたりしながらも順調に進んでいく。

しかし流石のクァトもノーガードで殴られ続けられる趣味は無かったのだろう。そもそも許されたくないのはリゼルだけなのだから、負い目があるとはいえ黙って受け入れるのは難しかった。

何度目かの罠に相変わらずノコノコと騙され嵌ったクァトは、ぷんすこと不満を露わに先を歩くリゼルへと詰め寄った。

「あいつ、何! 何!」

「だから言ったじゃないですか、半分適当なことしか言わないって」

きゅっと服の背を掴まれ、リゼルは憤るクァトをほのほのと微笑んで流す。事前に警告はしてあったのだ、後は自分で頑張って貰うしかない。

それを聞きながら、ジルも呆れたようにイレヴンを振り返った。折角の近道だというのに罠に足をとらせてどうするのか。

「てめぇもいちいち全方位に喧嘩売んじゃねぇっつってんじゃねぇか」

「売ってねぇし。むしろ親切に罠教えてやってたんじゃん? 感謝しろよ雑ァ魚」

煽るような嘲笑に、クァトは唸りながら威嚇を返す。

ここ数日間、隙あらば苛められていたのだ。そろそろフラストレーションも溜まっていたのだろう。イレヴンにしてみれば苛めたなんて心外な言い方だと飄々と言うだろうが。

「ほら、迷宮内で喧嘩しちゃ駄目ですよ」

「はぁーい」

「……はい」

にこりと愛想良く笑って見せたイレヴンが、機嫌をとるようにリゼルの隣へと並ぶ。

クァトもぐっと口を噤んで、リゼルの言葉にはしっかりと頷いた。そして歩みを再開させた三人にいそいそとそちらに近付いていく。

「あ、そこ罠」

「!」

咄嗟に避けた先に落とし穴があって足が嵌った上にしこたま膝を打ち付けた。

「今日は良く頑張りましたね」

「冒険者、難しい」

今日は賑やかな迷宮だったと、リゼルはベッドに潜りながら振り返った。

薄暗い部屋は既に明かりが消され、残るのはベッドに腰掛け本を読むのに使用した魔法の光のみ。毛布を引き上げ、頭を枕に乗せながら横を見るとベッドに顎を乗せ此方を覗くクァトがいる。

徐々に弱くなっていく光に、鈍色の髪がちらちらと光るのを眺めながら目元を緩めた。

「俺だってまだまだ勉強中です。難しいのが普通ですよ」

手を伸ばし少し硬い鈍色を撫でると、クァトは心地よさそうに目を細めた。

彼ももう寝る準備は済ませている。胡坐をかいて毛布を被り、ベッドに乗った顔は欠伸を噛み殺すようにぎゅっと一瞬瞳が閉じられた。

「……あいつ、嘘、いっぱい」

「イレヴンはあれがいつも通りだし、気にしない方が良いですよ」

再び開かれた瞳は微かに不満の色を宿していた。それもそうだろう、基本的に素直な彼は今日何度か分からない程に罠に嵌められた。

訝しんでもイレヴン相手に意味は無い。罠だと言われて避けては嵌り、逆に嵌りに行こうとすればやはり嵌り、慎重に罠を探してみては嵌ったのだから完全に読まれている。イレヴンはこういうのがとても上手い。

「それに君もたくさんの罠を体験して、凄く勉強になったでしょう?」

「……」

「経験した分は、身についていると思いますよ」

うぅ、と喉の奥で唸りながら頷いたクァトにリゼルは柔らかく微笑んだ。

別にイレヴンはクァトを鍛えてやろうと思って罠を浴びせていた訳では全くないだろうが、それは取り敢えず置いておく。結果良ければ全て良し。

リゼルはすり、と枕にすり寄った。さらり、と髪が枕を滑る音が耳元で聞こえる。

「(感情はこのままイレヴンが煽ってくれるだろうし……戦闘は、ジルに任せちゃおうかな)」

恐らくあの二人を相手にしていれば、クァトが戦奴隷としての姿を取り戻すのに大した時間はかかるまい。なら自分も準備を進めておこうかなどと内心で呟いて、クァトの髪をいじっていた手をパタンとベッドに落とす。

気付いたクァトが、ゆるゆると伏せていた瞳をパチリと開けた。

「明日、ジルと手合わせしてみましょうか」

鈍色の瞳が見開かれるのに満足げに笑い、リゼルは強くなってきた眠気に逆らう事無く目を閉じた。何かを聞きたげに薄っすらと口を開いたクァトも、それを見て何も言う事無くごそごそと床の上に丸まる。

部屋の明かりが完全に消え、部屋には窓の隙間から差し込む月明かりが薄っすらと残るのみ。

こうしてクァトの冒険者デビューは、傍からみれば多大なる新人苛めを伴いながらも穏やかに幕を閉じた。