作品タイトル不明
125:お詫びにスポンジあげた
クァトを引き取ったとはいえ、リゼルは基本的に放任主義だ。
何事も好きにすれば良いと思っているし、その結果でついて来たいと考えたのならば都合が悪くない限り受け入れる。ただ彼に関しては少々例外的で、これからどうすれば良いのか示してやる事はあるが。
なにせクァト自身が自分が何をしたいのか分かっても、どうすれば良いのか分からない。昔の記憶が戻ろうと早々に変われるものではないのだから、リゼルもそれは承知している。
「今日は、宿主さんと一緒にお留守番してて下さいね」
「貴方、一緒、良い……」
「今日はしっかり冒険者をしてくるので駄目です」
「しっかり冒険者?」という視線が隠しもせずジル達から向けられるがリゼルは気付かない。そして通りすがりの宿主が「俺?!」みたいな目で見てるが気にしない。
不満と言うよりは落ち込んでいる鈍色の瞳が、じっと自らより低い位置にあるリゼルの瞳を見る。透き通ったその色が微かに上目で窺ってくるのに、リゼルはゆるりと笑みを浮かべてみせる。
「言う事を良く聞いて、お手伝いしてあげて下さい」
「……はい」
クァトはきゅっと唇を噤みながら、こくりと頷いた。
しかしその手元は腰に巻かれた鮮やかな布のサッシュを手慰めに弄っている。先日買ったばかりの服一式についていたそれは、アスタルニアで良く見るものだ。
しなやかな筋肉のついた褐色の肌に、この国の服装は良く似合う。そんな事を考えながら、リゼルは動きながらもチラチラ此方を見る宿主へとにこりと微笑んだ。
「彼のこと、頼みます」
「その微笑みに逆らえる人間がいるなら称賛と共に一発引っ叩ける気がする俺ですよ。了解です」
快く受け入れてくれたようだ。
良かった良かったと頷き、リゼルは扉の前で待っているジル達へと向いた。欠伸を零すイレヴンと、調子を確かめるように手を開け閉めしながらグローブを嵌めているジルが何かを話している。
待たせるのも何だしと、リゼルは再びクァトへと視線を戻す。
「じゃあ行ってきますね。早く行かないと良い依頼が無くなっちゃいますし」
「依頼」
「早い者勝ちなので」
言うことは冒険者なんだよなぁと、そう内心で呟きながら宿主は洗濯物を回収して来ようと風呂場に去って行った。彼は未だにリゼルが冒険者だという事実に違和感を抱いている。
「リーダー早くー」
「はい」
呼ばれ、今度こそリゼルは扉へと歩いていく。
その背が完全に消えるまで、クァトはその場から動かなかった。見送り、一人残された玄関で何となく腕に刻まれた入れ墨をゆっくりとなぞる。
「あ、貴族なお客さんたち出かけましたか」
「出かけた」
ふいに風呂場から顔を出した宿主は、両手に木で編んだ大きな籠を抱えていた。その中にはタオルや寝間着などの洗濯物が入っており、それなりの重量となっている。
クァトは数秒何かを考え、近寄った。宿主は一瞬顔を引き攣らせたが、出会って三日でしかなくとも、ジル達よりは威圧感も近寄りがたさも少ないと分かって来ている。
「もしかしてガチでお手伝いして貰えるんですかね」
「する。何、ある?」
何事も無かったかのように問いかける宿主は、クァトがリゼルの言う事に忠実なのを知っている。というか見れば分かる。手伝いはいらないと言っても無駄なのだろう。
「じゃあこのタオル洗って干して来て貰って良いですか」
「分かった」
両手で持っていた籠を片手で軽々と奪われ、宿主は若干落ち込んだ。
しかし、まぁ敵うともさらさら思っていないがと直ぐに立ち直る。あの手の強者に張り合おうとは決して思わない。
とはいえ宿業務でそれなりに力はあるとは思っているし、あからさまに見せつけられた差に男として一瞬でも落ち込んでしまったのは仕方が無いだろう。
「それにしてもあの人なんで片言?」
常々疑問を抱いていた事をぽつりと呟きながら、宿主はベッドシーツを回収しに二階への階段へと足をかける。ついでに腰元にぶら下げていた布で手摺りをなぞりながら掃除するのも忘れない。
鼻歌を歌いながら階段を上り切った宿主は、畳んだ布を手摺りの上に乗せてまぁ良いかと頷いた。客の事情に突っ込むような真似は出来ないし、するのも何か怖い。
「(まぁ貴族のお客さんの連れだし)」
そう思えば些細な事だと、リゼルが聞けば疑問を浮かべそうな事を思いながら宿主は頷いた。
青々とした草が茂る、どこまでも広がる草原の中にリゼル達は立っていた。
空を見上げれば澄み渡るほどに青く高い空があり、所々に薄っすらとした白い雲が流れている。ふわりと髪を撫でる風は微かに土の匂いを纏い、さらさらと草花を揺らしては音をたてていた。
「流石は“草原遺跡”、綺麗な所ですね」
頬を擽る髪を耳にかけながら、リゼルはゆるりと周りを見渡す。
果ての無い草原には、ポツリポツリとその名の所以が朽ち果て存在していた。くすんだ白を持つ折れた柱や、崩れ落ちた祭壇。辛うじて形を保つアーチ型の門や、途中で途切れている階段などが青空の下で物言わずに在る。
建物らしい建物は見当たらない。まだ、ここは遺跡のほんの入り口でしか無いのだから。
「ニィサン来た事ある?」
「無ぇ。面倒臭そうだろ」
「あー、聞いた事はあっかも。仕掛けだらけ、とか」
足元を覆う草花に隠れるように、辛うじて存在している白く歪な石畳を進むリゼルを目で追いながら二人は話す。視線の先で、足を止めたリゼルが手袋越しに遺跡の柱を撫でていた。
風化しかけている石柱は、さりさりとその表面を微かに崩す。柱の根元で風に揺れる白い花を見下ろしながら、リゼルは手についた土埃を払い落とした。
「迷宮に傷はつけられない、にコレは入らないんでしょうか」
芸が細かい、と何処か嬉しそうなリゼルにジルは呆れたように溜息をついた。
コ、コ、と石畳を踏む音をたてながら近付き、リゼルが撫でた柱を見る。同じように歩み寄って来たイレヴンの足音は一切聞こえない。
「リーダーこういうの好きそう」
「そうですか? 学者じゃないので、あまり詳しくないですよ」
三人は止めていた足を進めた。
いつもなら入ってすぐにある魔法陣が何処にも無いので、厳密に此処が開始地点という訳では無いのだろう。しかし広大な草原を散策する手間は無さそうだ。
少し先にある祭壇を目指し、歩いていく。石畳もそちらに向かって時折途切れながらも伸びているし、間違いでは無いだろう。
「歴史を持たない遺跡って、やっぱり何となく魅力に欠けますよね」
「あー」
「迷宮だしな」
景色としては綺麗だけど、と風そよぐ草原を見渡すリゼルにジル達も何となく同意してみせた。言うならばロマンが無い。
遺跡っぽい迷宮は他にも多くあるが、こうも時の流れを感じさせるものは余りないからだろう。今更ながらにそんな事を話し合いながら、リゼル達は遺跡の痕跡が密集している場所へとたどり着いた。
「入口っぽいのあんぞ」
「あ、本当ですね」
四角い祭壇は広すぎず、所々ひび割れながらも形を保っていた。四隅にある石柱はその形を保っていたり、あるいは半ばで折れてしまっていたりする。
リゼルの胸元ぐらいの高さがある祭壇の前で、それに一番に気付いたのはやはり一番背の高いジルだった。リゼルが少し踵を上げながら平らな祭壇を見渡すと、丁度真ん中ぐらいにぽかりと穴が開いたように地下への入り口がある。
「よっ」
イレヴンが祭壇に両手をかけ、軽い仕草で上った。次いで同じようにジルも上る。
両側面に見える祭壇への道であった筈の階段は、手前側が崩れ落ちているので使えない。むしろこの方が早いからと自然と上がった二人にならい、リゼルも手を伸ばした。
「おら」
「有難うございます」
祭壇に手をつく前、差し出された手に微笑みながら伸ばした手の進路を変える。好意は素直に受け取るリゼルだ。
ジルは片手で、リゼルは両手で互いの手首を握り、引かれると同時に片足を祭壇に押し当てる。その足で自らを押し上げながら、壇の上へと降り立った。
「どうでした?」
「あー……階段ッスね。あんま深くはなさそう」
イレヴンが行儀悪く座り、地下への階段の先を覗き込む。
迷宮によっては本当に穴が開いているだけでロープで降下しなければならなかったり、梯子を延々と降りて行かなければいけなかったりする。階段があるだけ有難いだろう。
「奥の方にあんの魔法陣じゃねぇの」
「ん、みたいですね」
三人でしゃがんで覗き込み、どうやら本格的な迷宮の始まりである事を確認する。
何処かに明かりがあるのか、ぼんやりと青い光がぎりぎり見える魔法陣を照らしていた。罠などは無いようだしと、立ち上がったリゼル達は順番に階段を下りていく。
「依頼、達成出来れば良いですね」
ふいにリゼルが微笑みながら言う。
今回の依頼は運の要素が強い。言うならば、以前受けた依頼である“魔物の持つ無限の可能性を信じて(水エレメントの水採取)”と同じようなもの。
【世界の遺跡から】
ランク:指定なし
依頼人:遺跡マニア
報酬 :鑑定料に2割増し(要鑑定書)
依頼 :迷宮“草原遺跡”または“朽ち果てた神殿”にて手に入る絵画を募集しています。
出現階層・大きさ・値段問わず。ただし冒険者が映り込んでいないものに限る。
(※ギルド注 運の要素がかなり強い為、達成不可・リタイアでもペナルティ無し)
「だからお前はどうしてこんなもん選ぶんだよ」
「面白そうだなと思って」
「だろうな」
分かっていながら突っ込んだジルは、ため息をつきながら最後尾として階段に足を踏み入れた。
その頃のクァトはというと、せっせとタオルを干していた。
ピンと張られたロープに引っ掛け、そして角を合わせるように綺麗な二つ折りにする。後は折ったタオルが開かないように横向きに木のクリップを留めれば、また一つ青空の下で風に揺れる白いタオルが増えた。
「後、四」
それに対し、特にクァトが何かを思う事は無いのだが。
「お客さんのシーツも干しちゃいますね天気良いし。そういえば本当に床で寝てるんですか体痛くないですか」
「寝る。痛く、無い」
そんなクァトに、宿主は精力的に話しかけている。
きっとリゼルに従順な彼は、言われた通りに今日一日手伝いをしてくれるのだろう。その間ひたすら無言は辛い。会話の無い空間が落ち着くなどという感覚は宿主には一切備わっていない。
「貴族なお客さんとかベッドで寝ろって言わないんですかね」
「言わない」
何度か話しかける内にリゼルの話題ならば高確率で会話が成立すると気付いた為、話題は必然的にその辺りの話だ。そうで無くとも、そうなっていただろうが。
「(本人が床で良いって言ってても気が引けんとこが貴族なお客さんだよなぁ……やりたいようにやらせる人だし)」
宿主は干したシーツをパンパンと叩きながら、しみじみと思う。
もし自身が同じ状況だったら全く落ち着けずベッドを譲ろうとするだろう、流石としか言いようが無いだろう。これでクァトが遠慮から床で良いと言っているならば違うのだろうが、本人から望んだならリゼルは気にしない。
「貴族なお客さんは絶対貴族やら王族やらに違いないのに違うんだから世の中不思議ですよね」
「? 優しい」
「そうですよね優しいですよね」
今そんな話してなかった。とは客人に対して言えず、宿主は最後のタオルを干すクァトを見ながら流石はリゼルが連れて来ただけあると力強く頷いた。
遺跡の中は広く、何本もの太い石柱が立ち並ぶ。
見渡せば、その石柱同士を繋いでいる無数の石橋に似た回廊が目に入った。上下左右、縦横無尽に存在するそれは、まるで宙に浮かぶ迷路のようでもある。
それらを繋ぐのはまた、切り出された石を組んで作られたような階段だった。自重で崩れ落ちぬそれらは、まさに迷宮と言えるだろう。
「こういう風景の絵画なら喜んで貰えるでしょうか」
「そッスね。遺跡っぽいし迷宮っぽいし」
「出りゃ良いけどな」
一見迷路にも見える回廊の始まり、壁に接して半円状に広がる石畳を踏みながら、リゼル達は現れた何処か神秘的な空間を眺めていた。
リゼルが胸程の高さのある欄干から下を覗いてみると、見上げた先と同様やはり折り重なるように石の回廊が存在している。床はそれなりに遠いが、落ちる心配はまず無いので一安心だ。
「戦いにくそうな作りですよね」
「ここどんなん出んの?」
「本で見たのはスライムとか、確かゴーレムも出たと思います」
ジルも攻略していない迷宮なので、どの階で何が出るかは誰にも分からない。
しかしリゼルは迷宮図鑑を読んで知っている。幾つかの迷宮の特徴と出る魔物を大まかに書いたものなので、実際の攻略にはほとんど役に立たないが。
「後は羽トカゲと……あ、俺は見たことないんですけどミノタウルスとかも」
その時リゼルの背中、欄干のあちら側からバサリと大きく羽ばたく音がした。
まるで地の底から聞こえてきたような音から一瞬遅れ、ぶわりと風が巻き起こる。直後姿を現したのは、皮に覆われた翼を持つ巨大なトカゲだった。
翼を広げれば三メートルにもなるだろうトカゲは、丸く大きな瞳をぎょろりと動かしリゼルを見る。そしてその首筋を噛み千切ろうと長い首を引き絞り、食らい付いた。
パァンッ
「んー、やっぱり残響が強めですね」
「魔物寄って来るかもな」
弾かれるように頭を反らした羽トカゲの羽ばたきが、止まる。
そのままフッと力の抜けた体が一度欄干にぶつかり、そして向こう側へと落ちて行った。振り返ったリゼルの頭の横には、ピタリと宙で静止する魔銃がある。
「いつも思いますけど、もう少し静かにならないでしょうか」
「そればっかはしょうがねぇっつうか……あー、でも上の方のは気付いてねッスよ」
イレヴンの言葉にリゼルも高い天井を見上げると、張り巡らされた回廊の隙間からチラチラと黒い影が見える。リゼルでははっきりとその姿が見えないが、シルエットからして羽トカゲに違いないだろう。
「あいつらって魔法使ってこなかったっけ」
「深層にいる奴は使う」
魔物が集まって来ない内に、と少しだけ速足でリゼル達は歩き出した。
時折底の石材が抜けるタイプの罠があるが、まだまだ迷宮の始まりなので分かりやすい。若干色が違う箇所を避けたり跨いだりしながら進んでいく。
「リーダーこれ何処向かってんの?」
「一応、あの祭壇っぽい所に」
リゼルがふっと視線を向けた先は今いる位置より僅かに低い、壁から比較的広い足場が伸びる場所だ。
数多くの回廊の一つから階段で繋がるそこには、彼が言う通り祭壇のようなものがある。上の草原で見た祭壇を小さくしたような造りをしていて、その中央には石板のようなものが見えた。
「ただの飾りの可能性もあるんですけど」
「迷宮がやりそうだよなァ」
いかにもそれっぽい、という理由で思わせぶりな物が置いてある迷宮などそこら辺にある。
例えばリゼルとジルが二人の時に行った火山の迷宮にはトロッコが置いてあった。だが備え付けられたレバーを動かそうと何も起きなかった上、トロッコなど一ミリも動かない置物だった。もっぱら冒険者らの休憩時の椅子として使われているという。
他にも意味ありげに地面へと突き立てられた剣だったり、いかにも何かが出てきそうな棺桶だったりが迷宮では見られる。
「つっても他に目につくモンもねぇだろ」
「ですよね」
結局の所、怪しい所は調べなければ進めない。時折宝箱などの恩恵もある。
冒険者らは迷宮の掌で転がされながら前へと進むしかないのだ。楽しんだもの勝ちだろう。
「今日は宝箱見つけねぇと話になんねぇしなァ」
「絵画って宝箱からしか出ないんですか?」
「じゃねぇの。他に聞いたことねぇし」
確かに飾ってあるものをそのまま持ち帰るのは想像しづらい。
リゼルはジルが壁に張り付いている絵画をガコガコ引っ張っている姿を想像し、一つ頷いた。当のジルは何かを察したのか何なのか、若干訝し気な目を向けてくる。
「今日はお弁当も持ってますし、一日粘って見つからなかったら諦めましょう」
「サクサク進みゃ最低でも二、三個は見つかんじゃねッスか」
基本的な迷宮の浅い階層では探しながら進んだ場合、五階層も進めば宝箱の一つも見つかる。勿論完全な運なので見つからない時は全く見つからない、というのもあり得る事だ。
とはいえ一般的な冒険者は一度の攻略で次の魔法陣までたどり着けば順調と言えるので、一日に一つ見つけられれば良い方だろう。リゼル達は攻略ペースが早いので普通に二個だの三個だの言えるが。
「あ、スライム溜まり」
ふとイレヴンが、向かう先にスライムが集まっているのに気付いた。
回廊の先にある石柱には、ぐるりと巻き付く様に回廊の延長である足場が存在する。そこに見える範囲では五匹のスライムがのったりもぞもぞと動いており、戦闘を回避するのは難しそうだ。
「なら階段の方が良いですか?」
「そうだな」
今いる回廊から斜め上にある回廊まで繋ぐ階段を、リゼル達は通り過ぎかけた足を数歩戻して上った。そちらからでも行けるし、欲しい素材も無ければわざわざ戦う必要も無い。
「しっかしリーダーいつもだけど、良くちょっと周り見ただけで道分かるッスね。そりゃ俺も時間かけりゃ分かるけどさァ」
「何でしょう、癖な気もします」
出来る・出来ない、実行する・しないは置いておいて、最短最良の手段や方法を自然と考える。元の世界では何とも貴族らしいと称されたが、それとは別に身近な者達には面倒くさがりだと称された。
今も役に立っているし、後者の評価に関しては何となく釈然としない。イメージに反して、というだけでそこまで面倒くさがりでは無いとリゼル自身は常々思っている。
「職業病じゃねぇの」
「否定は出来ません」
可笑しそうに笑うリゼルに目を細めたジルが、ふいに階段を上り切る数段手前で足を止めた。階段を上り切って油断した所で魔物、というのは迷宮内では良くある事だ。
同じく歩みを止めたリゼルとイレヴンが上を見上げて、あそこがそこがと話しているのを聞きながらジルは気負いなく一人足を踏み出す。そして飛び込んできた青色を、首を傾ける事で避けた。
「あ」
「あ?」
勢いよく階段の先から転がる勢いで襲い掛かって来たスライムが、その勢いのまま宙へと放り出された。すぐ頭の上を通り過ぎていくそれには、リゼル達も思わず会話を止め無言で眺める。
スライムは空中で勢いを失い、緩やかな弧を描きながら今まで歩いてきた回廊の向かい側へと姿を消していった。シュールな光景だった。
「……落ちた?」
「落ちたんじゃねぇの」
「落ちても音がしないから分かりませんね」
何となく気になった三人は、折角上った階段をわざわざ引き返す。そして欄干からスライムが落ちて行った先を覗き込んだ。
「あ、居ました」
「潰れてんじゃん。何アレ、死んでんの?」
どうやらスライムは張り巡らされた回廊を綺麗に避け、床まで落ちて行ったらしい。
青い体が、まるで彼らの生態である睡眠時のようにベシャリと床に伸びている。普段は体内を泳ぐ核もむき出しとなっているのが見えた。
「いえ、多分衝撃でああなっただけで、その内元に戻ると……あ」
言いかけたリゼルの視線の先で、滑る様に降りて来た羽トカゲがスライムの核をぱくりと口に入れた。口の中で遊ぶ様に数度食んで、天を仰ぐようにゴクリと飲み込んでしまう。
「食われた」
「食われたな」
「迷宮って、時々こういうのありますよね」
種族同士で明確に敵対しているというのは無いのだが、ふとこういった自然過ぎて二度見するような被食捕食があったり、別種の魔物が鉢合わせた時に敵対行動をとる事がある。迷宮外では普通の事だが、迷宮内ではなかなか貴重な光景だ。
良いものを見た、と頷きながらリゼル達は再び階段を上る。
「でもさァ、あーいうの全然無い迷宮とかもあんじゃん」
「そうなんですか?」
「いちいち見てねぇよ」
一番迷宮を攻略しているジルだが、魔物は出会い頭に斬るジルでもある。勿論必要も興味もない戦闘は避けるが、そうなると気にする事も無いのだからやはり覚えていないのだろう。
言われてみればそんな気がする、程度だ。イレヴンでさえ確信を持って言っている訳ではない。
「じゃあ何か、攻略に関係があったかもしれないですね」
階段を上り切り、どちらに行くのかと窺うように歩を緩めたジル達をリゼルが先導する。
回廊のすぐ下を羽トカゲが通り過ぎていく音がした。此方には気付いていないようだ。
「関係って?」
「それは分かりませんけど……餌付けするとか」
「出来てたまるか」
ふっと頭上に影が落ちる。そして一拍遅れて羽音が届く時には既に、ジルとイレヴンは抜剣を終え二匹の羽トカゲに狙いを定め終えていた。
イレヴンが欄干に飛び乗りながら威嚇に口を上げた相手の首を切り捨てるのと、ジルが上空から牙を剥き襲い掛かる相手を払い除けるように斬ったのはほぼ同時だった。羽トカゲは鳴き損ねたような声を上げながら回廊の外へと落ちていく。
「こいつら餌付けしてもなァ。可愛くも何ともねぇんスけど」
「じゃあどんな魔物なら可愛いんですか?」
トンッと欄干から降りて剣を鞘に戻すイレヴンに問いかけながら、リゼルも上向いていた魔銃をくるりと回して歩みを再開させる。
「魔物に限定すんのか」
「いえ、魔物以外でも良いですけど」
「つうかこいつが何かを可愛がるような奴に見えんのかよ」
「ニィサンひっで」
けらけらと笑いながらも否定しない辺り、イレヴンも自覚があるのだろう。
確かにイレヴンが何かの世話をしているのは想像が出来ない、とリゼルは頷いた。彼はきっと普段は全く関わらない癖に自分の気が向いた時だけ無茶苦茶な構い方をしてトラウマレベルで嫌われるタイプだ。
「ケセランパサラン、お勧めですよ。可愛いです」
「だからそれ何スか」
「それは分かりませんけど」
世話も簡単だし、とペット自慢に嬉しそうなリゼルには悪いが、正体の分からないものなど飼いたくは無いとイレヴンは口元を引き攣らせた。
「最初はパウダーをあげてたんですけど、一度試しに小麦粉をあげてみたんです。そしたら何だか嬉しそうに小麦粉の上をコロコロしてたので、それから色々あげてみるようになって」
「へぇ……」
ただの毛玉の何を見てリゼルが嬉しそうだと判断したのかジル達には全く分からない。
ちなみに元の世界でも理解してくれたのはケセランパサランをくれた人間だけだった。可愛がってるんだからそれぐらいは分かる、というのはリゼルの談。
「普段は瓶の中をふわふわしてるんですけど、ご飯をあげると底の方に降りてきてそっと触るみたいに食べるのが可愛いんです」
どうしよう何が可愛いのか全く分からない、とイレヴンは助けを求めるようにジルを見る。そっと視線を外された。助けは期待できそうにない。
「あ、そこ下ります」
「んー」
ふと今いる回廊から垂直に伸びる下方への階段をリゼルが指した。
イレヴンは切り上げられた話題に安堵しながら、段の大きな階段をリズム良く降りていく。しかしその足取りも、何かを発見してピタリと止まった。
「リーダー、スライム。無視する?」
「そうですね……いえ、核が欲しいです」
そう言いながら階段を下りて近付いていくと、階段の途中でのったりのったりと動いていたスライムが此方の姿を見つけたようだ。突如全身から棘を生やす姿は、気付かず踏みつけていたら危なかっただろう。
リゼルは少し歩を緩め、魔銃の狙いを定める。真っすぐに核を撃ち抜くと保てなくなった体が崩れ、そして凝縮し再び構成された核だけが残された。
「餌付けでもすんのか」
「懐かないにしても、食べないかなと思って」
相変わらず変なことを試したがる男だとジルは溜息をついたが、自分達がいない場では決して行おうとしないのだからまぁ良いと何も言う事は無かった。
「お客さん、俺今から買い物行きますけど行きますか留守番してますか」
「行く」
相変わらず言われた事に忠実に“お手伝い”を続ける相手に、宿主はやっぱりかと頷いた。半ば予想していたからだ、クァトはリゼルの言葉に決して違おうとしない。
「荷物持ちとかさせちゃうんですけど良いですかね」
「良い」
「じゃあお言葉に甘えてめっちゃ買い込みますね獣人なお客さんの為にも」
宿主は常々イレヴンの為に大量の買い物を行っている。別に苦とは思わないが。
どうせだから保存の利くものをこれでもかと言う程に買い込んでやろうと、機嫌良さそうに少し音の外れた鼻歌を奏でた。クァトはジルらと同類と振り分けている宿主は、彼の力を信じて疑わない。
その上で今日接していてジルやイレヴンより取っつきやすい事に気付いたので、変に恐る恐る接する事も無くなった。
「獣人」
「……もしかして嫌いとかあるんですか時々ブン殴られてるし」
何やら呟いたクァトに、宿主は失言だったかと顔を引き攣らせる。
宿主が見た中では二回、クァトはイレヴンに手加減など見えない力で殴られていた。それは大抵クァトがリゼルの手を煩わせたように見える時なので、理不尽と言い切って良いかは分からないが。
リゼル自身が何とも思っていないし良いのではと思うが、イレヴン的には許せないようだ。
「嫌い、違う」
「それもそれで凄い気もしますけど」
「違う、けど」
うーん、と何かを悩む姿に、宿主は買い物用のバッグを幾つも用意しながら返答を待つ。
「気に入ら、ない?」
二度見した。
「違う。羨ましい?」
「あ、あー……分かるような分からんような」
宿主は両手に大きくて丈夫な木編みの袋を三つずつ持ち、そして背中に籠を背負って遠い目をしながら同意してみせた。完全に同意できたかは定かではないが。
そして準備が出来たからと宿を出る。クァトも宿主の反応にきょとりと目を瞬かせながらも大人しくその後をついていった。
「(こういう素直そうなトコも獣人なお客さんに遊ばれんだろうなぁ……あの人ひねくれてそうだし)」
良く感情が表情にも出るし、と何となく納得する。
最初に感じた無機質な印象を持つ鉱石のような瞳も、作り物めいた鈍色も、表情が浮かべば命が宿る様に思えた。だからこそ宿主も気が引けず話しかけれるのだから。
いや若干慣れたのもあるかもしれないが。その証拠に少しばかり視線を集めている。多少の優越感を抱く自分の小物感が悲しい。
「じゃあ一刀なお客さんも似たようなものですかね」
宿主は後ろをついて来るクァトを振り返り、話の流れだしとついでに問いかけてみた。
クァトは少し考え、しかし今度は直ぐに頷いている。宿主から見てジルはクァトに不干渉だし、素直に羨ましいと思えるのだろう。
「ただ」
「何ですか?」
「…………」
何かを言いかけた言葉は、しかし続きが紡がれることは無い。クァトは宿主の言葉に何でもないと首を振った。
その視線は手元に落とされ、その掌は二度、三度とゆっくりと開閉される。伏せられた鈍色の瞳が刃のような鈍い光を湛えるのを、近くの果物店に視線をとられた宿主は気付かなかった。
何度か階段を上り下りし、回廊を渡り、時にショートカットで回廊から回廊へと飛び降りながらリゼル達は目指していた祭壇へとたどり着いた。
崩れた小さな石柱が並ぶ間を歩き、三段だけの階段を上る。そこにあった石板はリゼルの腰ほどの高さがあり、正方形の上側を見下ろしやすいように斜めに切断されたような形をしていた。
表面はツルリとしているが、何らかの幾何学的な図形が刻まれている。
「何これ、何書いてあんの?」
「知らねぇ」
自分に聞くなと、ジルはじっと石板を見下ろしているリゼルへと視線をやった。
リゼルはじっと石板を見下ろし、数か所を指先でなぞる。そして後ろを振り返り、広がる空間を一瞥して、うんと一つ頷いた。
「これ、地図ですね」
「地図?」
「この階層の地図。真上から見た図です」
ジル達も見下ろしてみるも、今一良く分からない。言われてみればそんな気もする、程度だ。
直線が幾つも細かく重なっているのが回廊で、線が交わる箇所で片方が一瞬途切れているのは位置的な上下を現しているのか。所々に見える細かく細い斜線は階段らしい。
「この丸は?」
「此処みたいな祭壇だと思います」
今は此処、と指差されたのは一番端で、確かに上から見た図に間違いは無いのだろう。
しかし良く分かったものだと、感心半分呆れ半分でジルはリゼルを見下ろした。魔法や、特に魔銃などは空間認識力が不可欠だからと言っても精密すぎる。
「で、何処行きゃ良いんだよ」
「此処か……此処、でしょうか」
最初に指さされたのは彫られた図形の中で唯一、球を埋め込んだように小さくポツリと盛り上がった所だった。図形の正体に気付いたものならば誰もがゴールだろうと予想するだろうそれに、しかしリゼルは付け加えるようにもう一か所を指さす。
「こっち? ただの直線じゃん、何で?」
「ここだけちょっとはみ出してるんですよね。ここが壁のラインだとして」
今いる祭壇に触れていた指先が、すっと上へと移動していく。
どの直線も斜線も途切れているラインを真っすぐなぞる指先は、確かにそこが壁だと告げていた。そして問題の箇所にたどり着いたところで、成程とジルとイレヴンは納得する。
「ちょい飛び出してんスね」
「壁っつうならおかしいな」
石板で壁を表すラインは四方全てピタリと線を切っているというのに、そこだけが微かにはみ出している。何処だ何処だと上を見上げ壁に視線を滑らせようと、遺跡の壁には穴の一つも空いていなかった。
上の方だとは分かっているが念のため床が途切れている際まで歩き見下ろすも、やはり穴など無い。
「隠し通路とか何かでしょうか。いかにも宝箱がありそうです」
「今日は見つけねぇと話になんねぇしな」
そうと決まれば早速向かおうと、リゼル達は地図を元に迷わず歩き出した。
時に羽トカゲに襲われて撃ち落とし、時にスライムが凄い勢いで転がり回る回廊を滑りこむように突破し、順調に進んでいく。随分と歩いた階層は広く、これだけ一階層一階層が広いのならば迷宮全体の階数は少ないか、あるいは一階ごとに転移魔法陣がおいてありそうだ。
「ミノタウルス、居ませんね」
「あれはもっと深いトコにしか居ねぇんじゃねッスか。俺浅いトコで見た事ねぇもん」
「ちょっと残念です」
「獣臭ぇだけだぞ」
一度見てみたいのに、と言うリゼルに身も蓋も無い事を教えてやるジルだが一切悪意など無い。そしてリゼルも微笑んで成程というだけで気にしない。
「あ、あそこです」
幾つ目かの階段を上りきり、リゼルは浮かせた魔銃で先を示してみせた。
回廊はやはり何の変哲もない壁に伸びていて、その先に道があるようには思えない。しかし回廊の先は壁際で半円状に広くなっており、何よりその中央に足をつけ此方を見る羽トカゲが他とは違っていた。
「あれブッ倒せってコト?」
「どうでしょう、迷宮の壁が普通に壊せればそれで良いんでしょうけど」
数メートルを残して立ち止まり至って普通に話すリゼル達に、しかし羽トカゲは動かない。
皮に覆われた羽を大きく広げながらも立て、グゥと首を持ち上げている。その瞳孔の長い目は真っすぐに此方を見ていて、数度喉を鳴らすように鋭い呼気を吐いた。
「襲い掛かって来ねぇのが異常だよな」
「こっちからのアクション待ちって事でしょうか」
その時、リゼルは何かを思いついたようにポーチへと手を差し込んだ。
そしてゆっくりと持ち上げられた手には三つの丸い球。若干の弾力があるそれは、此処に来るまでに幾つか拾っておいたスライム核だ。
ジルとイレヴンがリゼルがやろうとしている事を察し、まさか本気でやるとはと内心で呟いた。もういっそ予想通りでもある。
「物は試しです」
ぽいっとリゼルは一つ核を放ってみた。
それは狙い通り弧を描き、羽トカゲの口元へと向かう。そしていよいよ鋭い牙を持つ口に触れようとした時、羽トカゲは頭を上から下に振り下ろすように核に食らい付き飲み込んだ。
「お、食った」
「何も起きねぇな」
「一個じゃ駄目なんでしょうか」
何も起きないが、攻撃もしてこない。ならば足りないのだろうと、リゼルは手に持った核をぽいぽいと放ってみせる。
少しばかり狙いがずれた核も器用に首を伸ばし食べてみせた羽トカゲに、イレヴンは拍手をしてみせた。ジルが呆れる中、さらにリゼルはポーチから核を取り出し放り投げる。
そして、五個目を投げて羽トカゲが飲み込んだ時だった。
「ん、何か動きが変わりましたね」
「なーんかヤな感じすんなァ」
羽トカゲがまるで飛び掛かろうとするようにグッと頭を下げ、羽を左右に広く広げる。ようやく臨戦態勢かと構えたリゼル達の前で、それは起きた。
ググッと力を入れられた体の表面、頭から背中にかけて艶のあった皮がバキリバキリと逆立つように分厚い鱗へと変わる。床を踏みしめる足はメキメキと力強く変貌し、爪は獰猛さを増してカツカツと石畳を叩いた。
体が一回り大きくなっていくのに合わせ、羽も二倍に膨れ上がる。骨に沿うように鱗に覆われたそれは、一薙ぎで欄干を吹き飛ばせそうだ。
そして伸びた尻尾の先が、無骨な棘に覆われる。凶悪な姿と化した羽トカゲは、大きく口を開きリゼル達へと吠えた。びりびりと空気が震える。
「おい」
「うーん、これは予想外です」
「やっぱ魔物相手に餌付けは出来ねぇなァ」
今にも襲い掛からんとする羽トカゲと、迎え撃とうと見据えるリゼル達。
その時だった。大きく振るわれた凶暴さを増した尻尾が、ブォンッと空気を薙ぐ音をさせながら背後の壁へと叩きつけられる。
「あ」
「おっ」
「あ?」
偶然にしか見えないが、必然だったのだろう。
壁は崩れ落ち、その向こう側の空間を露わにする。羽トカゲの巨体に阻まれハッキリとは見えないが、一瞬宝箱のようなものが見えた気がした。
「つーことは、コイツを倒して手に入れろってコトね」
「番人的な立ち位置だったんですね」
「来るぞ」
勿論、ただ扉を開けてくれた訳では無い。バサリと羽を動かし襲い掛かって来る羽トカゲに、リゼル達は一斉に武器を向けた。
「やー力があるって素晴らしいですよね大量大量!」
宿主はほくほくと笑い、手に持つバッグを握り直した。今は宿に帰る途中だ。
両手に一つずつ、そして背中に籠を一つ。はみ出る程に食材を詰めたそれは重そうに見えるが、実は手が痛くなるほどに重い訳ではない。
その理由は、重量のあるものを全てクァトが持っているからだ。小麦粉や塩や肉の塊など調子に乗って買い込み、持ち上げられなくなったそれをクァトが軽々と持った時は拝む勢いだった。
「今日の功労者はお客さんなので好きな物作りますよリクエストどうぞ」
「好きな物」
「ほら今までで一番食べたものとか」
何やらピンと来ない様子のクァトに宿主はフォローを入れた。特別好きじゃなくても食べなれた物ならば礼にもなるだろうと考えたからだ。
一番食べたもの、とクァトは暫く考える。
「パン」
「出来ればおかずの方が聞きたかった」
奴隷と呼ばれた時代には大抵パンばかり食べていた。
宿主は自身のフォローが完全に滑った事に気付かず、ならパンに合うおかずにするかと悩みだす。とはいえ普段から大抵パンばかりなのだから、リクエストなど有って無いようなものだ。
「貴族なお客さんとかめっちゃ優雅にパン食べるしスープとか肉料理とかでコースっぽくしちゃうのも」
今夜の夕食の献立を考えていた宿主だが、そちらに集中し過ぎたようだ。
目の前まで迫る人影に気付いた時には、既に避けきれず肩をぶつけてしまった。とはいえそれ程の衝撃も無く、トンッとぶつかった肩に咄嗟に謝れば相手からも軽い調子で謝罪が返って来る。
「そんで獣人のお客さんにはパンとスープ大量に作って腹を満たして貰って」
「無い、良い?」
「はい?」
引き続き考えを始めた宿主の思考を止めたのは、後ろを歩くクァトだった。
振り返ると、クァトも自らの後ろを振り返っている。その視線は先ほど宿主にぶつかった男を見ていて、通りから路地に入り消えた姿を見送った後に不思議そうに此方を向いた。
「金、無い、良い?」
「え?」
「盗られた」
バッと宿主がズボンのポケットを押さえた。
先程まではあった膨らみが無い。ざっと血の気が引いていくのが分かる。
「良くねぇ!! くっそ何処行ったあいつ!!」
宿主は近くで屋台をやっていた店主に手に持っていた荷物を乱暴に押し付けた。近くにいたから話が聞こえていたのだろう、早く追いかけろと追い立てる言葉に礼を叫び宿主は走り出す。
その後を、おろおろとしてる所を屋台の店主に促されたクァトも追いかける。荷物は店主にブン取られた。
「追う?」
「速ッ、もう追いつかれた! じゃなくて追いますよ捕まえて一発ブン殴る!!」
スリが逃げて行った路地に飛び込む。
気付かれる筈が無いと余裕で歩いていたのだろう。宿主の殺意溢れる言葉に振り返った男はすぐさま走りだした。
「殴る」
「そうですよ絶対殴る!! あん中に貴族のお客さんから貰ったばっかの宿代も入ってんのに!!」
今日は買い込むからと、多めの資金を持ってきたのが裏目に出た。
情けない事だと苛立ち、自らを撒こうとするかのように路地の分岐を曲がろうとする男を睨み付ける。正直すでに息切れが激しいが、見失ってたまるかと速度を上げようとした時だった。
ひゅっと隣を風が通り過ぎる感覚。何がと疑問を覚えた直後に見たものは、曲がり角に姿を消しかけた男が頭を握られ壁に叩きつけられる姿だった。嫌な音がした。
「お客さんナイス! そのまま捕まえ……え、ちょ、ストップ、待って、お客さん待って! お願い宿主さんのお願い聞いて死ぬ! 死ぬから! それ以上やると死、あっ、あーーーー!!」
「依頼、達成できませんでした」
「だろうよ」
少し申し訳なさそうに告げるリゼルに、スキンヘッドの眩しいギルド職員は粛々と頷いた。
そもそもリゼル達が今回受けた依頼自体、おかしいのだ。ああいった依頼は普通、もう既に依頼の品を持っている冒険者が選んでその場で納品するものなのだから。
宝箱からしか出ない絵画なんていう迷宮品を、依頼を受けて探しに行く者がまさか居るとは。
「でも、惜しかったんです」
「そうだな、惜しかったな」
リゼルから一応、と渡された絵画を職員は真顔で見下ろした。
描かれているのはドアップのミノタウルス、遺跡の風景など隅の隅に微かにしか写っていない。もはや遺跡の内部かどうかも定かでは無い。いや絵画はその絵画があった迷宮の風景を描くので間違いは無いのだが。
「やっぱりジル達が開けた方が良かったんじゃないですか?」
「でも絵画じゃん。リーダーのが確率高そうだし」
「俺らも開けて駄目だったじゃねぇか」
ワイワイと話すリゼル達が本日見つけた宝箱は四つ。隠し通路にあった破格の三つと、三つ目の階層で見つけた一つだ。
三つあった宝箱は一人一つ開けた。ジルが切れ味に特化したナイフで、イレヴンがちょっと大きめの宝石がついた指輪で、リゼルがどんな汚れも一瞬で落とすスポンジだった。慰められた。
そして当のミノタウルスの絵画は、三つ目の階層で見つけたものだ。噴き出された。
「あー……どうする、依頼は破棄するか?」
「そうですね、今日一日って決めてましたし」
ペナルティは無いとはいえギルド職員からの印象を悪くする依頼破棄をほのほのと告げたリゼルに、職員は遠い目をしながら手続きを始めた。何というか、今回ばかりは印象など悪くなりようがない。
「一応、二週間はこの依頼も貼り出す予定だ。他の奴が達成しなけりゃ残ってるだろうし、偶然でも手に入れる事がありゃ達成してみても良いんじゃねぇか?」
「そうします」
微笑んだリゼルは、ギルド証を受け取り絵画と一緒にポーチへと仕舞った。
そして絵画をどうしようやら、“草原遺跡”の攻略はどうするやら話しながらギルドを出る。その手が扉にかかった時、ふとリゼルが見送ってくれていた職員を振り返った。
この展開は何度か見た事がある、と顔を引き攣らせる職員ににこりと笑う。
「明日、新人を連れて来るので手続きの準備をお願いしますね」
リゼル達の姿が無くなったギルドでは一瞬の後、“あのリゼル達が連れて来る新人”の話題で持ち切りとなった。
「ただいま帰りました。ちゃんとお手伝い出来ましたか?」
「した」
「おかえりなさい貴族なお客さんちょっと言いたい事あるんですけど良いですかね!? 手綱握るんならきっちり握っててくれませんかね俺すげぇナハスに怒られたんですけど!? いえ刃物なお客さんも滅茶苦茶怒られてたんですけどね!? 一番取っつきやすい人が一番歯止め効かないとかホントびっくりなんですけどっていうか何で腕から剣生えるんですか怖い!!」
「そうですね。こうして怖がる人が多いので、あんまり生やしちゃ駄目ですよ」
「分かった」
「そこ!?」
でも正直スリの男はザマァ、と宿主は後に友人と飲んでいる時にとても良い笑顔で供述する事となる。