軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

108:隣の部屋で同情してる

宿主は箒を手に、伸びをするように軽く背を反らした。

この宿に泊まる浮世離れした冒険者達は今はいない。今日は迷宮に潜って来るから弁当が欲しいと昨晩聞いた彼自身が、既に手製の弁当を渡して送り出した後だからだ。

余り多く冒険者が泊まるような宿ではないので良く分からないが、時折宿泊客に頼まれる弁当と似たようなものを渡しているが大丈夫だろうか。同じく宿業を営む友人の話では簡単に食べられるお握りやらパンやらを渡すようだが、まさかあの客人ら相手にそんなものを渡せる筈が無い。

流石に気合いを入れ過ぎた最初の煌びやかな弁当は渡していないが、普通に弁当箱に彩り鮮やかに食材を盛り付けた栄養満点の弁当を渡している。いかにも体力全回復しそう。三人前で銀貨一枚。

「迷宮って危険なイメージしか無ぇけど弁当しっかり食べれんだなぁ……」

腹を減らして動き回らずに済んでいるようで良かった、と頷いている宿主は誤った認識を植え付けられている。その内、職を同じくする友人に貶されるだろう。

とはいえ他の冒険者に弁当を頼まれれば彼は恐らく中身に一工夫あるお握りを幾つも作るのだろうから、リゼル達へ重箱を渡したのは完全に無意識の行動なのだが。

玄関先に溜まる土ぼこりを掃き出しながら、宿主はふんふんと鼻歌を歌う。友人は冒険者の所為ですぐに玄関が泥で汚れると言っていたが、普通に人が出入りするより過度に汚れることはない。

そこらの冒険者とあの三人を一緒にして貰っては困る馬鹿め、とニヤニヤしながら掃除を終えた宿主が、さて次は動き回って帰って来るだろう三人が気持ちよく寝られるようにシーツでも替えておこうかと宿の奥へと向かおうとした時だった。

換気の為にと開けっ放しにしていた背後の扉から、バサリバサリと羽ばたく音がする。アスタルニア国民なら誰もが聞き間違えようも無い、魔鳥が羽ばたく音だ。

「ここらへんに騎兵団でも来たんかね」

巡回の騎兵が降りてくるなど何かあったのだろうか、嫌だ嫌だと宿主は一人ごちる。

とはいえ休暇中も愛する相棒との 空中散歩(ランデブー) に興じるナハスを思えば、別に私用で降りてくるのも珍しい光景でも無いのだが。もしナハスなら挨拶でもして来ようかと振り返った時だった。

「先生、いる?」

布の塊。

「(色々言いたいことはあるけど何か言えない雰囲気っていうかその前にこの人(?)声やべぇぇぇぇ!!)」

狙って作られたものではないとすぐに分かってしまう、直に腰に届くような低く甘い声に宿主は戦慄した。それが布の塊から出てくるのだから何という違和感。

この激しい違和感に現実を見失う感覚、確実にリゼルの知り合いに違いない。向けられた先生、という言葉が一番似合うのも彼なのだしと宿主は恐る恐る箒を握り直しながら返答を待っているらしい布の塊を見る。

「えー……貴族なお客さん、で良いんですかね」

「そう、かな」

見る限り物静かで、実際にポツリポツリと零される声は決して大きくは無い。

しかし人の意識を強制的に引き寄せる蟲惑的な声とその長身、そして布の塊という点を除いても人とは異なる雰囲気が彼の存在感を酷く強くしている。思わずその一挙一動を窺ってしまう所などはリゼルに似ているかもしれない。

宿主は完全に腰が引けていた。そして腰が引けながらも考える。果たして外見だけでいえば不審者にしか見えない相手に宿の客の情報を漏らして良いものか。

そして別に不在を知らせるだけなら良いか、と頷く。先生と呼ぶからには親しいのだろうし、リゼル達が迷宮に向かった事などそこらの通行人に聞いても分かる。

「今日は迷宮に行く予定みたいなので外出中ですけど」

「そう」

布の塊はそう告げたきり、何かを考えるようにその動きを止めていた。

宿主にとっては訳が分からな過ぎてとてつもなく恐ろしい。すぐさま後ろへ逃げられるようジリジリとミリ単位で後退しながら、騎兵団仕事しろと心の中で懸命の罵倒を飛ばしていた時だった。

「今日はいきなりすまんな」

「すまんと思うならもっと早く出て来てくれませんかねナハスさんよォ!!」

聞き覚えのある声が布の塊の後ろから聞こえ、見知った顔が宿へと足を踏み入れて来た。

恨み辛みを全て込めながら叫んだ宿主は手に持つ箒を構えて勢いよく前へと突き出す。見事ピンポイントで股間を狙ったが、いくら相棒にでれでれしていようと狭き門を潜り抜けた騎兵団には通用せず止められてしまった。

顔を引き攣らせるナハスへ、宿主は掴まれた箒を奪い返しながら小声で詰め寄る。ちらりと布の塊を見てみると、視線が見えないので確信は無いが何かを考えながら宿の中を眺めているようだった。

「俺全然事情が分かんないんですけど何!? ドッキリ!?」

「そんな事で王族を連れ出す訳ないだろう!」

宿主は止まった。

「折角、先生が見たがってた本、入ったから持ってきた、のに」

「御客人の書庫訪問も許可された事ですし、殿下がわざわざ届けなくともその内来たでしょうに」

「うふ、ふ」

一瞬笑い声かどうか分からなかった笑い声を零しながら、未だ止まり続ける宿主の前でごそごそと布の塊が動いた。

さらりさらりと布同士が擦れる音を立てながらゆっくりと歩み寄る。

「それでも、会える機会は減ったから、ね」

布の塊が微かに隙間を開き、覗いた褐色の腕が一冊の本を差し出して来る。

その手首でシャラリと音を立てながら揺れるのは王族特有の金の装飾で、ゆっくりと此方に向けられるそれに宿主はハッと意識を取り戻した。

「先生に、渡しておいて」

「御無礼を平に平にご容赦下さい喜んでー!!」

捧げ持つように本を受け取り限界まで頭を下げる。今自分の命は本より軽い。

例えナハスがドン引きした顔で此方を見ていようと気にしない。アスタルニア国民だろうといきなり王族が家に来たらこうなる、と宿主は勝手に国民を代表して後々言い張った。土下座しないだけマシだと思って貰いたい。

「じゃあ、先生もいないし、帰ろうか」

「お気を付けて!!」

長居されてもどうしようも無くなるので宿主は全力で送り出した。目の前に立たれるだけで何処か気圧されるような雰囲気を持つ王族相手に、恐らく平然と向きあうだろうリゼル達は流石だ。

姿が消えた頃になってようやく渡された本を眺めるも宿主には書いてある文字すら読めない。と言う事は学者と名高い第二王子だったのかもしれない。

まさか布の塊だとはと黙々と考えながら早くこの本を受取人であるリゼルの部屋にでも置いておこうと、いつのまにか床に落ちていた箒を拾い上げる。もはや持っているのも怖い。

そういえばリゼルに頼まれている事もあった。とてつもなく拒否したかったがお願いしますとあの微笑みに頼まれれば断ることも出来ず、さっさと済ませてしまおうと手に持った本を落とさないよう持ち直した時だ。

「そうだ、先日御客人が変な奴に絡まれたと噂で聞いたぞ。あまり夜遅くに出歩かないよう伝えておいてくれ、あいつらは目立つから絡まれる事も多いだろうしな」

「あっぶねぇぇぇ落とすかと思ったぁぁあ!! お前は何でそうなの!?」

わざわざ戻って来てそう付け加えたナハスに、宿主は心臓を跳ねさせながら一切の情を捨て箒を突き出した。避けられた。

その頃のリゼルはというと、既に目的の迷宮に辿りついていた。近場の迷宮だけあって馬車に乗れば直ぐに着くし、歩いて行けない距離でもない。

受けた依頼は“ 空飛ぶ盾(フライングシールド) の魔核採取”、リゼルは 空飛ぶ剣(フライングソード) ならば見た事があるが此方は見た事が無い。Bランクなのでジル達には少し物足りないかもしれないが、気になったのだから仕方ない。

迷宮への門を通り、最初の部屋へと辿りついたリゼルは不思議そうに床を見下ろした。ジルが踏破済みの迷宮なので、いつもならば直ぐに淡く光る魔法陣が床にある筈なのだが見当たらない。

「おら」

「ん」

ふいにジルの手が頭に乗り、軽く後ろへと押される。促されるままに首を上に向け、目にした光景に成程と数度瞬いた。

「流石“逆転される回廊”、上下逆転ですね」

床では無く天井に浮かびあがる魔法陣からは、微かに光の残滓が降り落ちては直ぐに消えていた。

リゼルは頭に添えられた掌が離れたのを感じながら思う。これは普通に床に立ったままで使えるものなのだろうか、それとも何らかの手段であそこに触れる位置に行かなければならないのだろうか。

「今日は魔法陣を使わなきゃ駄目ですよね」

「ニィサン踏破してんスよね。アレどうすんの?」

「知らねぇよ。迷宮内で一泊してボス倒した」

全員で天井を見上げながら考える。上を向いた事でイレヴンの口が半開きになったが、リゼルに顎に手を添えられ直ぐにパクンと閉じていた。

いつもならば魔法陣の上に乗れば淡い光が反応して強くなるのだが、真下に立とうと何も反応が無い。普段との違いといえば魔法陣を踏んでいるかどうかで、恐らく触れていないと反応はしないのだろう。

「ジルが飛んでも届きそうにないですよね」

「ぎりぎりだな」

ジルが膝を折り、真上に飛ぶ。伸ばした右手は後十センチほど届かない。

隣でイレヴンも試してみるが似たような結果に終わった。一応とばかりにリゼルも試してみたが当然届くはずもない。

「ニィサンの肩借りりゃ届きそう」

「あ、でも普段の魔法陣って乗ってる人にしか反応しませんよね」

「あー、どうだろ」

イレヴンが嫌そうなジルの肩に手を乗せ、遠慮なく体重をかけながら思いきり跳躍した。

直後、跳躍しきった瞬間に指の腹が天井へと押し当てられる。行けるか、と三人が見守る中で光を強めた魔法陣は、しかしイレヴンの落下と共に触れていた指が離れると発動を止めてしまった。

「どうですか、触ってる一瞬でパッと行けそうでした?」

「や、無理っぽいッスね」

「多分俺も範囲に入ってたな、魔法陣乗ってる時と同じ感覚がした」

「じゃあ魔法陣に直接触ってなくても、触ってる人に触れてれば一緒に転移出来そうですね」

うーん、とリゼルは何かを考えながら天井を見上げる。

正直方法などそれなりに考え付く。そんな中、数ある方法が自然とぽんぽん浮かぶ頭でリゼルが辿りついた結論はというと。

「今こそ団結力の出番です」

「(気にしない癖に根に持つな、こいつ)」

「(リーダー意外と負けず嫌いだからなぁ)」

何か言いたげに見てくる視線を全て流し、リゼルは良しと頷いた。

ジルの上にイレヴンが立つのが一番安定するのだろうが、そうすると自分が余る。ジルの上に自分とイレヴンが肩車で積み重なるのはどうだろうかと、天井を見ながら大体の目測で届きそうだと考える。

「ジルに俺が肩車をして貰って、俺の上にイレヴンとか……は、俺が支えきれませんね」

「俺それぜってぇ無理なんスけど」

顔を引き攣らせるイレヴンに、別に気にしないのにと苦笑しながらリゼルはジルを見た。

「じゃあジルがイレヴンを肩車して、一番上に俺だとどうでしょう」

「凄ぇ嫌だ」

「物は試しです。やってみましょう」

聞こえなかったことにされた。そうだと思ったがと溜息をつくジルの前で、リゼル達は早速上に乗せる一段目の肩車を作り始めている。

ん、と適当にしゃがんだイレヴンの背後に周り、リゼルはその両肩に手をついて鮮やかな赤い髪に囲まれる旋毛を見下ろした。体格の変わらない男を持ち上げられるというのだから、掌に感じるしなやかな筋肉は酷く有能なのだろう。

「ん?」

「リーダーどったの」

「いえ、意外とどうやれば良いか分からなくて」

片足を上げかけて、下ろす。自分から肩車されようと思うと微妙に難しい。

「後ろからだから難しいんじゃねぇの。横から跨いでいけ」

「成程」

横にずれ、失礼しますと声をかけながらイレヴンの頭を跨いで片足を肩にかける。

残ったもう片方をどうすれば良いのかと思っていたら、ふいに両足を捕まれイレヴンがそのままバランスを取るように立ち上がった。思わずぐらついた身体を、隣に立つジルの肩を掴むことで支える。

「抜ける! リーダー抜ける!」

「あ、すみません」

ジルへと伸ばした手とは反対の手が思わずイレヴンの髪を握りしめていた。

ゆっくりと離し、労わるように撫でる。一本も抜けていないようで何よりだ。

「で、ニィサンが俺を肩車する」

「……」

「すっげぇ嫌そう」

けらけらと笑い、イレヴンはリゼルを担いだままひょいひょいと魔法陣の真下一歩横へと向かう。

思ったより高いしグラグラする、とジルから離れた事で支えを失いうろつくリゼルの手をイレヴンはその片手を上へと伸ばして握り込んだ。もう片手ではしっかりとリゼルの足を捕まえている為に割と安定している。

そうすることで余裕が出来たらしいリゼルが、空いている方の手でジルをちょいちょいと手招いた。諦めるようにジルも魔法陣の下に立ち、おもむろに片手を低い位置で差し出す。

「えー、しゃがんでくんねぇの」

「三段重ねになってみたいです、ジル」

「アホ」

ノリが悪いノリが悪いと可笑しそうに向けられる言葉を流し、ジルは早くしろと言わんばかりに掌を招くように動かす。本当にやってくれなさそうだと、イレヴンは上を見上げてリゼルが頷くのを確認した。

そのまま握っていたリゼルの手をゆっくりと離し、問題がないことを確認してその手をジルの肩に乗せ思いきり握る。そして片足を持ち上げ、差し出された掌に靴を押し当てた。

「リーダー頭でも何処でも良いから掴まってて」

「はい」

何をやるのか分かっているのだろう。遠慮なく頭にしがみついてきたリゼルに楽しそうに笑い、イレヴンは乗せた足に力を込め一気に身体を持ち上げた。

同時に持ち上げられた掌に小さく声を上げ、たたらを踏むようにジルの肩にもう片方の足をつく。その両手は既にリゼルを支える事に回されていた。

「あっぶね、結構ぐらぐらする」

「上から見ると凄く高いですね」

ほとんど片腕だけで男二人分の体重を微動だにせず受け止めているジルを、リゼルは感心しながら上から見下ろした。旋毛しか見えないが、その顔はイレヴンに肩を踏まれることを盛大に嫌がっているだろうと容易に想像がつく。

そしてそんなジルの上で人一人を肩車しながらバランスを保つイレヴンも流石だ。そう思いながらリゼルは背筋を伸ばした。不安定な場所にも拘らずその様子には一切の気負いがない。

「近くで見てもいつもの転移魔法陣と変わりませんし、普通に使えそうです」

いつもなら仄かに上へと立ち上る光の粒子が、はらはらと落ちて来ていることだけが違う。

指先で戯れるようにそれをつついてみせ、さてと片手を伸ばす。ぺたりと完全に掌は天井へとくっついた。

「空飛ぶ盾が出やすいのって何階層ぐらいですか?」

「深層じゃねぇの」

「なら、四十五ぐらいでしょうか」

「ここって何階? 五十? 六十?」

「五十五」

体勢を整える前に相談は済ませておけと、とある魔鳥騎兵団副隊長が見れば叱りだす状態のままリゼル達は至って普段通りに話し合っていた。

“逆転される回廊”は、その名の通りひたすら回廊が続く迷宮だ。

幅の広い回廊の片側は何処かの城か広大な屋敷かのようで、時折扉が現れる壁面となっている。そして反対側、つまり回廊から外が望める筈の方向にはひたすらに真白い砂漠が広がっていた。

何処か恐ろしさを感じる程に美しいそちらへと出ようと思っても、何かに阻まれるように回廊の外には出ることが出来ない。美しい細工の施された扉を開こうと、やはり同じような風景が続く。

方向感覚を見失いそうになるその場所で、冒険者達は扉を開くか回廊を進み続けるか迷いながらも次の階層へと続く東屋をひたすらに探していかなければいけない。

「逆転っていうのは?」

イレヴンが軽い仕草でジルから降り、リゼルもジルに腕を掴まれながらイレヴンから降りる。降りる時は簡単だった。

「扉くぐった時、時々変な感覚がすると思ったらどっか逆転すんだよ」

「どこか、ですか」

そこはやはり迷宮なのでランダムなのだろうか。

リゼルは少しよれた服を整え、空飛ぶ盾を探す為に歩き出した。迷宮内ではずっと何かが逆転しているのかと思っていたが、そうでは無いようで何よりだ。

少し惜しい気もする、と思いながら魔銃を一つ浮かべる。ジル達が普段から剣を腰に差しておくのと同様に、リゼルも迷宮内では常に魔銃を取り出している。

「俺の時は上下逆転して天井歩いた」

「酔いそうですね」

「利き腕が逆になったりもしたな」

「ややこしいッスね。俺両利きだから関係無ぇけど」

三人は至ってほのぼのと話しているが、ジルじゃなければ割と深刻に戦闘に支障が出る。逆転はもはや罠だと言っても良い。

しかし扉を開けねば先には進めないし、どの扉で逆転が起こるのかなど起こってみなければ分からない。避けようと思って避けられるものでもないので、こればかりは諦めるしかない。

必要なのは逆転しても混乱することなく素早く順応する事だろう。そう結論付けたリゼルに、ジル達は得意そうだよなと内心で呟いた。

「あ、扉」

少し歩くと、ふいにイレヴンが前を指差した。

右側にひたすら続いている壁面の中、嵌めこむように存在する扉は見逃しようがない。基本的に扉を潜りながら攻略する迷宮だからか。

これで扉を開く必要性が低く、俗に言う“性格の悪い”迷宮ならば扉はより分かりにくくされていただろう。以前訪れた騙し絵の迷宮では、扉が周囲と同化する通路迷彩をされていて気付かず一度通り過ぎた。

「入るか」

「どうしましょう、もうちょっと道なりでも良い気がしますけど」

「あー、真っ直ぐ行くと魔物いるッスよ。そんな感じの足音聞こえる」

「そうですか? なら、扉入っちゃいましょうか」

足音がするのならば目当ての魔物じゃないのだろう。何せ標的は名前の通り空を飛んでいるのだから。

ならば面倒だし避けるかとリゼル達は扉へと近付いていく。この迷宮では依頼品以外に特に欲しい素材も無い。

「逆転すんスかね」

「深層になるほど増えたからな、確率は高ぇだろ」

嫌そうに言うジルに苦笑をしながらリゼルは扉に手をかけた。

少し押せば容易に開いて行く両開きの扉を完全に開き切るまで待ち、そして足を踏み入れる。一瞬感じたのは、何かを潜り抜けたような微かな違和感だった。

ふっとリゼルが通った扉を振り返る。開きっぱなしの其処からは、先程通って来た回廊が見えるだけで何も変わらない。

「ジル」

「ああ」

どうやら逆転が発生したらしい、とジルに確認を取る。

しかし周囲を見渡そうと何か変化したものも無ければ、利き腕も変わっていない。一体どう変わったのかと思っていると、ふいにジルが苦々しげに舌打ちをして身に付けている剣を空間魔法へと仕舞ってしまう。

「あれ、どうしたんですか?」

「重ぇ」

「は? 剣が?」

ジルが普段身に付けている細身の大剣は、細身といえど大剣と言うに相応しい重量を兼ね備えている。それがジルの凄まじい力により片手剣のように振られ、他を寄せ付けぬ破壊力を生むのだから。

イレヴンも持った事があるが、持ち上げる事は可能でも思った通りに振るうのは慣れが必要とはいえ難しい。何を今更とそちらを見るイレヴンとは別に、リゼルは成程と頷いた。

「イレヴンは変わりないですか?」

「無ぇッスけど」

「なら力と魔力の逆転とかじゃなくて、でもジルだけで力の逆転っていうのも……」

自分の魔力に変化が無い事を確認しながら、リゼルは代わりの剣を取り出しているジルを見る。流石地味に剣の収集癖があるだけあって、代わりには困らないようだ。

取り出されたのはむしろ普段の物より大きな大剣らしい大剣だったが、恐らく軽量化の加護がついている迷宮品なのだろう。ジルにしてみれば大剣の長所を失うようなものなので普段は使わないが、軽いだけで強度には変わりがないという滅多に無い上位の迷宮品なので取って置いている。

「あ」

ふいに何かを思い付いたように声を上げたリゼルが、にこりと笑って来い来いとイレヴンを手招く。素直に近付いて来たイレヴンを褒めるように微笑み、スッと片手を差し出した。

「イレヴン、ちょっとジルの時みたく乗ってみて下さい」

「は!? リーダーに!? 無理無理無理!」

例え掌だけでも踏みつける事など出来はしないと即拒否するイレヴンを、躊躇なく踏まれたジルが物言いたげに眺めている。別に自分が同じような立場だったとしても拒否するだろうが、と気にはしないが。

「じゃあ肩車してあげます」

「無理!」

「なら、握手だけ」

差し出された手を、それぐらいならとイレヴンは握る。

しかし何故、と思いながらゆるゆると握りしめられていく掌を何となく眺めていた時だった。

「ッ痛って!」

「あ、すみません。大丈夫ですか?」

普段は優しく触れる掌が予想もしない力で握りしめて来た。

イレヴンはパッとリゼルの手が離れたのを確認し、握りしめられた自らの手を開閉する。リゼルが意外そうに謝ったのは、恐らく自分でもそれ程力を込めているつもりは無かったからだ。

感心したように、此方も手を開閉させながら見下ろしている様子にイレヴンは思わず複雑そうに顔を顰める。ちらりとジルを見ると、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

つまり、そういう事なのだろう。ジルとリゼルの力が逆転してしまった。

「ジル、腕相撲しましょうか」

「嫌だ」

「一度だけで良いので。ね?」

「ぜってぇ嫌だ」

ここぞとばかりにねだるリゼルにジルは決して頷かない。

更には抱き上げてやろうとばかりに伸ばされる手も全てかわしている。相変わらずの迷宮仕様で力が落ちてもスピードは変わらないので、リゼルがジルを力尽くで取り押さえるのは難しいだろう。

「良いですね、こういうの。力もあるし、魔力はそのままなので魔法も使えるし、魔法剣士とかの新職業なんか作っちゃいましょうか」

「リーダー剣使えんの?」

「一応貴族の嗜みとして、腰に下げてサマになる程度の基礎ぐらいなら」

そして全く以って剣の素養が無かった為に変な持ち方をしない程度の基礎の基礎で終わったのだが。リゼルは何を思って魔法剣士とか言い出したのか。

その時、ふいに回廊の奥からキィキィという甲高い音が聞こえてきた。どうやら扉を潜ろうと潜るまいと魔物には遭遇してしまうようだ、三人は揃って近付いてくる影を見る。

「リトルデーモンですね」

竜のような頭にゴブリンのような身体を持つ小型の悪魔が、背中の羽で羽ばたきながら此方へと向かって来る。手に持つ三又の短いやりが鈍く光を反射していた。

「ニィサン行けんの?」

「ああ」

「いえ、これなら折角パワーアップしてるし俺だけでも……」

言いかけて、リゼルは何かに気付いたように口を噤む。そして此処だと言わんばかりの顔で告げた。

「“俺に任せて休んでろ”」

「止めろ」

「止めて」

楽しそうなのは良いが違和感が半端無いので止めて欲しい。

そう内心の一致を果たした二人の前で、リゼルは至っていつも通り魔銃で魔物を射抜いていった。パワーアップ意味無い。

逆転は扉を出たり入ったりしている内に消える。消えると同時に別のものが現れる時もあるが。

リゼル達は時々左右が逆転したり身長が逆転したり服が逆転したりしながらも、順調に依頼を達成した。空飛ぶ盾は盾の中心に依頼の品である魔核が埋め込まれているのだが、ジルにより叩き斬られている様子を見ていると盾のアイデンティティとは何かと若干やるせない気分になる。

「これが最後の一個ですね」

固定している金具をパチリと外し、リゼルは半分埋まっていた魔核を引き抜いた。今まで手に入れた魔核の数を頭の中で思い返しながら、本当に規定数が集まったのかを再確認する。

出会った盾の数と手に入れた魔核の数が違うのは主にジルの所為だ、彼は二度ほど魔核ごと真っ二つにした。リゼルも左右逆転の際に操作を誤って中心に命中させてしまい魔核を破壊した為、お互い様だが。

「じゃあ帰りましょうか。あ、ボスのとこに寄って行きますか?」

「んー、此処メンドそうだから良い」

「好きにしろ」

ならば真っ直ぐ帰ろうか、とリゼルは今まで通って来た道筋を思い返す。

今居るのが四十九階、ならば来た道を戻って四十五階の魔法陣で帰るよりも五十階に行ってしまって其処から帰る方が早いだろう。ジルは一度踏破していようと勘で突き進んだ道を覚えている筈も無いので、道筋的に大体の方向を予測するリゼルが先導する事となる。

いなくとも迷宮を攻略できるが、いれば手放せない程に楽に攻略できるとリゼルを称するジル達は何も言わずリゼルに続く。それが最善だととっくの昔に理解しているからだ。

「そういえば」

罠っぽい、と床のタイルの一つを避けながらリゼルが言う。

「前にジルにドッキリ仕掛けた時、イレヴンにも仕掛けるって話をしたじゃないですか」

「げ」

イレヴンが口元を引き攣らせる。興味が無いことなど直ぐに忘れるイレヴンだが、リゼルに関することで忘れることは早々無い。

確か、積極的に泣かせる宣言をされた筈だ。嫌な予感しかしない。

「仕掛けました」

髪を耳にかけながら、綺麗な微笑みで断言された。

「は……いつ? 何!?」

「いつでしょうね? イレヴンが驚くのが楽しみです」

機嫌良さそうにそう告げるリゼルに、イレヴンは思考を巡らせながら警戒を抱く。

リゼルの言い方から既に準備は終えられているのだろう。後は自分が気付くのみ、という段階か。

まさかジルの時のように置いて行かれることは無いだろう。リゼルもちょっと驚かせるつもりが予想外の方向に行ってしまって反省していた。自分もジル同様、それを決して喜ばないのだから有り得ない筈だ。

ようは好意を逆手にダメージを与えるタイプではない。人の感情に敏いリゼルは自らに向けられる好意もきちんと把握していて、だからこそ与えられた分はきちんと返す。

ならばイレヴンの考え得る最悪の事態には中々ならないのでは無いだろうか。

「つうか前もって宣言して良いのか」

「黙ってて、また機嫌をとらなきゃいけなくなるのも避けたいですし」

何処か咎めるように見上げてくる視線に、ジルは口元を笑みに歪める。

あれはお前が悪いと、そう言うようにその視線を遮るようにペシリとリゼルの額を叩いた。リゼルは全く痛くもない額を押さえながら可笑しそうに笑い、くるりと指先を動かして魔銃を操作し前方に再び現れたリトルデーモンを倒してしまう。

「リーダー、ヒント! 心の準備するから!」

「そうだとドッキリじゃないじゃないですか」

ほのほの微笑むリゼルに、この顔で何するか分からないから怖いんだとイレヴンは思考を読む事を諦めた。

ちなみに帰りの魔法陣も天井にあったのでリゼル達は再び肩車フォーメーションを使った。

それはまだギリギリその日の夜の事だ、イレヴンは小さく息を吐きながら宿の階段を上っていた。軽くシャワーを浴びて湿った髪を肩にかけたタオルで掻き混ぜる。

リゼルにドッキリを仕掛ける宣言をされてから今まで、それらしい兆候は無かった。仕込みが済んでいるならば来るかと思ってそれなりに警戒に意識を割いていたのだが、迷宮からの帰り道もギルドで別れてからも一切何も無い。

「(全ッ然読めねぇもんなぁ……)」

もしやリゼルの事だからドッキリ宣言がドッキリなのか、それとも時間差で来るのか、どれが来ても可笑しくは無いと思いながらジル、リゼルの部屋の前を通り過ぎる。

当の本人は既に就寝済み、そう内心で零して自らの部屋へと入り適当な椅子にタオルを放った。もはや気にするだけ無駄だろう、寝てしまおうとベッドに歩み寄る。

そして薄い毛布に手をかけ、ベッドへと潜り込もうとして。

「…………ッッッ!?!?」

イレヴンは瞬時に数メートル飛びすさった。

盛大に顔を引き攣らせ、背筋を這い上がる悪寒にぶるりと身体を震わせ、喉の奥で零れた引き攣った悲鳴の余韻かゴクリと喉を鳴らす。

その視線の先にあるのは先程までまさに寝ようとしていたイレヴンのベッドだ。しかし明らかにいつもと違う、毛布を捲った途端に目に入ったのは決して受け入れられない光景だった。

シーツの上を、隙間なく覆い動き回る、大量の種喰いワーム。

「ッぎゃぁぁぁぁ!!!」

数秒完全に止まった思考が動きだした直後、イレヴンは夜中だというのに遠慮なく悲鳴を上げながら隣の部屋へと駆けこんだ。

そして寝息を立てるリゼルのベッドへと躊躇無く突っ込む。完全に熟睡していたリゼルがその衝撃に目を覚まして若干寝惚けた目で此方を見たが、イレヴンはそれどころじゃない。

「気持ちわる! 気持ちわるーッ!!」

「ん……」

「リーダー寝ないで俺無理もう何か無理! 見てすっげぇ鳥肌! マジ俺半泣きなんスけど!」

リゼルの毛布に潜り込み、思い出すたびにぞわぞわと悪寒を走らせる身体を落ち着かせるようにくっつく。人肌が酷く心地良く心を落ち着かせるが、久々にこれでもかと言う程に跳ねた心臓はなかなか落ち着いてくれない。

触ってもいない種喰いワームの感触を拭い去ろうとでも言う様に体を押し付けて来るイレヴンに、リゼルは薄らと目を開いてそちらを見る。片手をゆっくりとした動作で持ち上げ、ぽんぽんとその髪を撫でてやりながらゆるりと微笑んだ。

「ドッキリ、だいせいこうです」

そして再び目を閉じ寝息を立て始めたリゼルを見て、イレヴンは口元を引き攣らせた。

「あー……勝てねぇわ……」

まさかこう来るとはと、思いきり肩を落とす。

せめて今日はこのまま寝てやろう。むしろ明日から自分のベッドを使いたくない。

そう思いながら悪寒の余り寒気すら感じて目の前の体温に身体を寄せる。これ程に驚かされたのだから、少し暑いぐらいは我慢して貰っても罰は当たらないだろう。

そう思いながら目を閉じたイレヴンはその日、種喰いワームが盛大に大活躍する悪夢を見てうなされた。