作品タイトル不明
26 超えた一線
「マリレーヌ、久し振りだね」
「ブレイザー伯爵、お久し振りです。遅くなってすみません」
取り敢えず、遅れた事を謝罪してから、私はリシューさんの隣に腰を下ろした。
『何故そっちに座るんだ?』みたいな顔をしているアシュトン。
「ブレイザー領の資料や土地の改良に関しての話──でしたか?」
「あ……あぁ、そうだ。過去の資料を見てもよく分からないし、同じようにしても上手くいかなくて。マリレーヌの助けを借りたいと思って。だから、私と一緒にサザリアンに帰ってくれないか?」
ー突っ込むところが多過ぎて、どこから突っ込めば良いのかー
「申し訳ありませんが、あの資料に追加する物はありません。あれが全てですから。それと、私がブレイザー伯爵と一緒に土地の改良をする事もありません。サザリアンに行く事もありません。分からないのなら、当主である貴方が領民達と頑張るしかないんです」
「それはそうかもしれないが、以前やった事があるマリレーヌがすれば、すぐに成果が出るかもしれないだろう?それに、領民も私よりマリレーヌに期待しているようで……私も記憶が戻らないままで、よく分からないから助けて欲しいんだ」
ー頭が痛いー
リシューさんは、怒りを通り越して呆れも通り越している気がする。目の前に居るアシュトンを見ているようで見ていない。憐れみすら抱いていない。
「私が、ブレイザー伯爵を助ける義理はありません。私と貴方は他人ですから」
「今は他人だとしても、かつては夫婦であったし、同じサザリアンの人間で──」
「あぁ、お伝えしてませんでしたね。私の名前はマリレーヌ=ナルターレル。ここ、スカレティア皇国のナルターレル侯爵の籍に入っています」
「なっ……ナルターレルの……侯爵籍に!?」
「はい。ですから、私がサザリアンに行く事はありません。もし、無理矢理にでも私を連れて行こうものなら、正式にサザリアン王国とブレイザー伯爵家を訴えます」
スカレティア皇国とサザリアン王国。ナルターレル候爵家とブレイザー伯爵家。どちらをどう比べても、こちら側が上だから、アシュトンがどう足掻こうとも私をどうする事もできない。しかも、私の隣に座っているのは、スカレティア皇国の宰相補佐官だ。リシューさんの一言で、アシュトンは即刻強制退去させる事もできる。
「でも……マリレーヌがブレイザーを助けてくれたら……また私と一緒に居られるようにできるし……それに、ラヴィーとの子供を、マリレーヌが 育(・) て(・) る(・) 事(・) も(・) で(・) き(・) る(・) 。マリレーヌにとって、良い事だと───」
育(・) て(・) る(・) 事(・) も(・) で(・) き(・) る(・)
「それは……一体どういう意味ですか?」
「残念ながら、私との子ができなかったけど、子供は欲しかっただろう?なら、ブレイザーに戻って来てくれたら、私とラヴィーとの子を────」
「その煩い口を今すぐ閉じろ」
「ひい──っ」
ーこんな人だったとはー
今迄聞いた事がない低い声のリシューさん。そのリシューさんに怯えているアシュトン。学園で出会った時のアシュトンも、結婚してからのアシュトンも優しくて、私の事を気遣ってくれて、良い領主であり良い夫だったのに。記憶がなくなっただけで、こんなにも変わってしまうのか。それとも、本当はもともとこういう人だったのか。どうなのかは分からないけれど、それがどうだろうと、この人は超えてはならない一線を超えたのだ。
「確かに、私達に子供は……できませんでした。ですが、だからと言って、私が貴方達の子を喜んで育てるわけないでしょう。人を馬鹿にするのもいい加減にして下さい。誰が、喜んで浮気相手の子を育てると!?」
「う……浮気ではない!記憶を失ってからの話で──」
プツリッ──と、頭の中で何かが切れた。
「記憶喪失になる前に関係を持ってできた子だと!もう分かっているのよ!記憶喪失になったから?そんな言い訳通じないから!いい加減にして!記憶喪失を免罪符にするのもたいがいにして!」
「なっ……え?」
無関心にもほどがある。アシュトンは、子供の妊娠周期をいまいち理解していないのだろう。妊娠周期が、最終月経から始まる事を知らないから、出産予定日が 合(・) わ(・) な(・) い(・) 事にも気付いていなかったんだろう。
「“純愛”だなんて笑えるわ。貴方が記憶喪失になる前に関係を持って、子供ができたのよ。それが嘘だと思うなら、サザリアンに帰ってフラヴィアさんに聞けば良いわ。主治医だったカロリーヌさんも証言してくれるわ」
「そんな……」
「貴方は、私を裏切ったのよ。私が、私を裏切った人を助けると思う?貴方が謝ろうが何をしようが、私が貴方を助ける事はないわ。二度と貴方の顔なんて見たくなかったわ。アシュトンにもブレイザー家にも未練なんてこれっぽっちもないわ。 貴方(自分) に未練があるなんて思わないで!これ以上話す事はないわ!今すぐにここから出て行って!」
「マリ────っ!」
アシュトンが私に向かって伸ばした手を、リシューさんが振り落とす。
「トマス、客人のお帰りだ」
「承知しました」
「待って!マリレーヌ!!」
トマスに引き摺られるように出て行ったアシュトンは、結局最後まで私に謝る事はなかった。