作品タイトル不明
第二十一話 ボルマン商会の黒い荷札
兄から受け取った資料は、白楡館の書斎で三日かけて読み解いた。
前代理人の帳簿、ボルマン商会の納品書、公爵家の監査記録、そして兄が独自に集めたメモ。王都の紙は滑らかで、白楡館の古い机には少し不釣り合いだった。
それでも、そこに書かれていることは泥の匂いがした。
「この印は何でしょう」
メイが納品書の隅を指した。
黒い小さな荷札の絵。王都の書類には不要な印だ。私は同じ印を探し、いくつかの納品書にだけついていることに気づいた。
「薪、塩、布、薬瓶。品目はばらばらね」
「日付は、どれも月の下旬です」
メイの声が少し弾んだ。彼女はもう、ただ字が書けるだけの少女ではない。違いを見つける目を持ち始めている。
ガスパルが古い在庫表を持ってきた。
「下旬の荷は、前代理人が直接受け取ったことになっています」
「実際には?」
「村では見ていない者が多いです」
私は黒い荷札を指でなぞった。
届いていない荷。
高すぎる請求。
前代理人の私印。
そして、月の下旬だけにつく黒い印。
ただの水増しではない。別のどこかへ荷が流れている可能性がある。
「アシュフォードでも、この印を見たことがあるか確認します」
セドリック様へ使いを出すと、その日の夕方には返事が来た。
見覚えがある。
北境の軍糧横流しの古い調査で、一度だけ。
短い文だったが、書いた人の緊張が伝わった。
◇
翌日、セドリック様が自ら白楡館へ来た。
彼は黒い荷札の写しを見て、表情を硬くした。
「これは、ボルマン商会の正規印ではありません。商会の中の一部が使っている合図です」
「何のために」
「荷を帳簿上は別の場所へ納め、実際には横流しする。以前、北境の砦で似た印が出ました。証拠不足で潰せなかった」
ガスパルが青ざめた。
「では、ミレイユの金で買った荷が、別の場所へ」
「可能性があります」
私は資料を見下ろした。
腹が立つ。
ただ金を奪われたからではない。薪が届かなかった冬に、誰かは寒かった。薬瓶が消えた日に、誰かは薬を待っていた。布が来なかったせいで、子どもの寝間着は古いままだった。
帳簿の不正は、暮らしから少しずつ火を抜く。
「証拠を集めます」
「危険です」
セドリック様がすぐに言った。
「ボルマン商会は、ただの商人ではありません。王都の貴族ともつながっている。追い詰めれば、口封じや嫌がらせもあるでしょう」
「だから見逃すのですか」
「いいえ。だから一人で動かないでください」
強い声だった。
私は反射的に言い返そうとして、止まった。
また一人で抱えようとしていた。
「……分かりました」
素直に言うと、セドリック様の表情が少し緩んだ。
「王宮との契約を使えます」
「王宮?」
「慈善基金の物資にも、ボルマン商会が関わっているはずです。王妃様へ照会を出しましょう。ミレイユだけの問題ではなく、基金全体の不正として扱えば、相手は簡単には握りつぶせない」
私は頷いた。
王宮との細い糸が、ここで役に立つとは思わなかった。
◇
調査は静かに始めた。
メイとガスパルは白楡館の記録を写し、ロワ先生は薬瓶の流通を調べた。アシュフォードからは、過去の砦への納品書の写しが届く。私は王妃様へ、黒い荷札について照会する正式な文書を書いた。
書く手は震えなかった。
怖くないわけではない。けれど、怒りが手を支えていた。
夕方、温室で水やりをしていると、ノエが走ってきた。
「リディア様、これ」
彼が持っていたのは、泥で汚れた小さな木札だった。
「馬屋の裏に落ちていました。黒い印がついていたから」
見ると、黒い荷札の絵が焼き印のように押されている。裏には、かすれた文字で「西倉庫」とあった。
白楡館に西倉庫はない。
「どこかで聞いたことがある?」
ノエは首をひねり、やがて小さく言った。
「古い製粉小屋のことかもしれません。前の代理人が、ときどき西倉庫って呼んでました。今は使ってないはずですけど」
古い製粉小屋。
村の西、森へ入る手前にある廃屋だ。帳簿にはここ数年、修繕費だけが計上されている。だが、実際に使っているとは誰も言っていなかった。
私は木札を布に包んだ。
「セドリック様へ知らせます。ノエ、誰にも言わないで」
「はい」
「それから、今日は馬屋の戸締まりを二重に。あなた一人で見回りに行ってはだめ」
ノエは真面目な顔で頷いた。
その夜、白楡館の灯りを少し減らした。
外から見える窓を少なくし、夜警の順番を決める。マルタは不安そうに台所の扉を閉め、エリーズは私の寝室の鍵を確認した。
私は書斎で、黒い荷札を机に置いた。
ただの紙と木片なのに、部屋の温度が下がったように感じる。
ボルマン商会の影は、思っていたより近くまで来ていた。