作品タイトル不明
第十五話 セドリック様の傷
橋の作業の翌日、アシュフォードから使いが来た。
セドリック様の母君、エレナ伯爵夫人の咳が強くなったという。温室で乾燥させた薬草はまだ十分ではないが、ロワ先生が調合した咳止めなら少しある。
「私が届けます」
そう言うと、ガスパルは驚いた。
「リディア様ご自身が?」
「契約で、アシュフォードへ薬草を分けると約束しました。最初の品ですから、状態を見たいのです」
本当は、母の友人だったという人に会ってみたかった。
アシュフォードの屋敷は、白楡館よりずっと手入れが行き届いていた。灰色の石壁、低い塔、広い厩舎。華美ではないが、隅々まで働く人の手が入っている。
エレナ夫人は、南向きの居間で毛布を膝にかけていた。
痩せた方だった。けれど目は明るく、私を見るとすぐに微笑んだ。
「あなたがリディアさんね。レティシアに似ているわ」
「母をご存じだったと伺いました」
「ええ。若いころ、よく一緒に薬草を焦がしたものです」
私は笑ってしまった。
「その話を、セドリック様から聞きました」
「息子は余計なことを覚えているのね」
エレナ夫人は咳き込み、侍女が背をさする。私はロワ先生の咳止めを渡し、使い方を説明した。
「ありがとう。ミレイユの薬の匂いがするわ」
「まだ母の温室を直し始めたばかりです」
「それでいいの。あの庭は、一度に戻すものではないわ。季節ごとに少しずつ」
夫人の言葉は、春の土のように柔らかかった。
◇
帰り際、セドリック様が屋敷の裏庭を案内してくれた。
裏庭の奥には、小さな石碑があった。花は少ないが、周囲はきれいに掃かれている。
「父のものです」
彼は静かに言った。
「先代の伯爵様」
「はい。橋の事故で亡くなりました」
私は言葉を失った。
昨日、私たちが直した石橋のことが頭に浮かぶ。
「アシュフォードの北の橋です。管理を後回しにしていた。父は視察の帰りに増水に巻き込まれました」
「セドリック様は、そのとき」
「十七でした。王都の学院にいて、橋の修繕費を別の式典へ回したことも、報告書が机の下に積まれていたことも、後で知った」
彼の声はいつも通り落ち着いていた。だが、その落ち着きがかえって傷の深さを見せていた。
「だから、橋に厳しいのですね」
「橋だけではありません。屋根、薪、薬、給金。後回しにされたものは、いつか人を殺します」
私は胸が締めつけられた。
王宮では、後回しにされたものを私は何度も見てきた。けれど、そこで失われるものを十分に想像していただろうか。帳簿の数字の先にある人を、今ほど近くには見ていなかった。
「私も、後回しにしてきたものがあります」
思わず言った。
セドリック様がこちらを見る。
「自分のことです」
私は石碑の前で手を組んだ。
「体調、望み、怒り、寂しさ。家や王宮のためなら後でいいと思っていました。でも、後にし続けたものは、消えるのではなく、どこかで壊れるのですね」
セドリック様はしばらく黙っていた。
「あなたは、壊れる前にここへ来た」
「そうでしょうか」
「少なくとも、今は自分で食事を選び、契約に署名し、橋を見に行っている」
その言い方が真面目で、私は少し笑った。
「それで壊れていない証拠になりますか」
「十分ではありませんが、良い兆候です」
十分ではない。
セドリック様は、優しい慰めを言わない。そのことが、今はありがたかった。
◇
石碑に花を供えた後、私たちは屋敷の裏門まで歩いた。
アシュフォードの庭は、冬枯れの中にも整った線がある。剪定された木、掃かれた道、修理された柵。白楡館と違い、ここはセドリック様が長い時間をかけて守ってきた場所だ。
「お父上の死後、すぐ伯爵に?」
「ええ。学院を辞めて戻りました。最初の数年は、何もかも間に合わなかった。母は体を崩し、古参の家臣は私を若造と見て、商会には足元を見られた」
「ボルマン商会も?」
「はい。彼らは弱った領地へ入り込むのがうまい」
私は足を止めた。
「ミレイユも、そうだったのですね」
「おそらく。前の代理人一人の問題ではないでしょう」
それは予想していたことだった。けれど、はっきり言われると重い。
「私は、うまくやれるでしょうか」
不安が口から出た。
セドリック様はすぐには答えなかった。彼は庭の向こう、冬の空を見てから言った。
「うまくやる必要はあります。ただ、一人で全部うまくやる必要はありません」
「また支えを増やす話ですね」
「ええ。私はそれしか知りません」
少しだけ、自嘲の混じる声だった。
私は首を横に振った。
「それを知っているのは、強いことだと思います」
セドリック様は驚いたように私を見た。
彼が言葉を返す前に、屋敷の方から侍女が走ってきた。
「旦那様、王都から急使です。王妃様の封蝋で」
セドリック様の表情が引き締まる。
私の胸も、同時に冷えた。
封書は二通あった。
一通はセドリック様へ。もう一通は、私宛て。
王妃エレオノーラの正式な召喚状だった。
私は封蝋の白薔薇を見つめた。
後回しにしていた王宮が、とうとう私の前に戻ってきた。