作品タイトル不明
第十六話 王都からの召喚状
王妃様からの召喚状は、丁寧で、逃げ道の少ない文章だった。
来る七日後、王宮東棟にて東方使節団との慈善基金協議を行う。ミレイユ領主リディア・ローウェンは、過去の基金運営記録に詳しい者として出仕し、必要な助言を行うこと。
命令ではなく、出仕の要請。
公爵家の娘としてではなく、ミレイユ領主として。
王妃様らしい書き方だった。私を戻すための道を作りながら、私が拒みにくい形に整えている。
「行かれるのですか」
エリーズが不安そうに聞いた。
白楡館の書斎には、ガスパル、メイ、ロワ先生も集まっている。セドリック様はアシュフォードで同じ召喚状を受け取っており、明日こちらへ来る予定だ。
「行きます」
私が答えると、部屋の空気が揺れた。
「ただし、戻るためではありません。王妃様がミレイユ領主として私を呼ばれたなら、その立場で行きます」
ガスパルが頷いた。
「留守中のことはお任せください」
「任せます。でも、何かあったら記録を。ボルマン商会が来る日程をずらしてきた場合は、署名せず待ってください」
「承知しました」
メイは小さな帳面を抱え、真剣な顔で頷く。
「針仕事の支払いは、予定通り金曜に」
「はい。サラと一緒に確認します」
「温室の水やりはノエに。ただし昼食後」
「書いておきます」
指示を出しながら、私は少し不思議な気持ちになった。
以前の私なら、留守を任せることが怖かった。自分がいなければ崩れると思っていたし、崩れた責任を負うのは私だと信じていた。
今も不安はある。
けれど、白楡館には名を持つ人たちがいる。私は一人で屋敷を支えているのではない。むしろ、一人で支えない仕組みを作るために、ここまで来たのだ。
◇
翌日、セドリック様が白楡館へ来た。
彼も王宮へ同行することになったという。表向きは東方使節団との水利協議に関する参考人。実際には、私が一人で王宮へ戻されないよう、王妃様が用意した証人でもあるのだろう。
「王妃様は、こちらを試しておられますね」
私が言うと、セドリック様は頷いた。
「あなたが戻るか、領主として立つか。王宮で見極めるつもりでしょう」
「意地悪な方です」
「王妃ですから」
あまりに当然のように言うので、私は笑ってしまった。
旅程を確認し、王都での宿を決める。私は公爵邸へは泊まらないと決めていた。王宮近くの修道院系の宿舎を使う。そこなら、元婚約者として噂されにくく、父も簡単には踏み込めない。
「公爵家は反発するでしょう」
「するでしょうね」
「大丈夫ですか」
セドリック様の問いに、私は少し考えた。
「大丈夫ではありません。でも、公爵邸へ戻る方がもっと大丈夫ではないと思います」
「良い判断です」
その言い方が先生のようで、私は少しむっとした。
「採点されていますか」
「いいえ。感想です」
「なら、もう少し柔らかくお願いします」
セドリック様は真面目に考え込んだ。
「……よく考えられた、あなたらしい判断だと思います」
今度は私の方が黙った。
柔らかくと言ったのはこちらなのに、柔らかくされると落ち着かない。
セドリック様は、ほんのわずかに口元を緩めた。
「難しいですね」
「何がですか」
「柔らかい言い方が」
その不器用さに、私はまた笑ってしまった。
◇
出発前夜、私は母の薬草帳とミレイユの契約書の写しを鞄に入れた。
王宮へ持っていくには、地味な荷物だ。ドレスや宝石より、紙の束が多い。けれど、今の私を守るのはそれらだった。
エリーズが旅装を整えながら言う。
「お嬢様、王宮で何を言われても、白楡館には帰る部屋がございます」
私は手を止めた。
「私の部屋、まだ雨漏りしているけれど」
「昨日、ドニさんが直しました。もう桶はいりません」
「そうなの」
知らないうちに、自分の部屋が直っていた。
それだけのことなのに、胸が詰まった。
以前の私は、自分の部屋を後回しにするのが当たり前だった。誰かがそれを覚えていて、直してくれた。その事実が、王宮へ向かう私の背に手を添えてくれる。
「ありがとう、エリーズ」
「私は手配しただけです。ドニさんとノエが頑張りました」
「帰ったら、二人にお礼を言うわ」
「はい。必ず帰ってください」
エリーズの声が少し震えた。
私は頷いた。
「帰ります」
その言葉は、誰かの家へ戻るという意味ではない。
私が選んだ場所へ戻るという意味だ。
翌朝、馬車が白楡館の門を出ると、村の人々が道端に立っていた。
マルタは蜂蜜入りのパンを包んでくれ、メイは小さな帳面を掲げ、ノエは馬の手綱を整えた。ガスパルは深く頭を下げた。
「いってらっしゃいませ、リディア様」
いってらっしゃい。
その言葉を聞いて、私は初めて王都へ向かうことが怖いだけではなくなった。
帰る場所がある人は、行くことができる。
馬車の窓から見える白楡館の煙突には、朝の煙がまっすぐ上っていた。