作品タイトル不明
ゴブリンダンジョン 上下㊧右
雨木と飲んだ翌日。
熊澤は朝から出勤だった。
ダンジョン業務は、通常業務との兼務だ。
ただし出勤シフトは微妙に異なる。
ダンジョンでの勤務が優先して組まれるためだ。
そんなダンジョン勤務者の中で、現在の熊澤は明らかに優遇されていた。
もちろん、担当冒険者がついたからであることは明らかだった。
ゴブリンダンジョンは過疎ダンジョン。
その中でも、トップクラスに過疎っている。
そこに三日と空けず通い、八階層のボスまで単独で倒す男。
そんな男に担当を認めさせたことは大きい。
これからも継続して通う、そう言質を取ったに等しい。
故に、担当冒険者アマギがダンジョンに入る時間帯に、
熊澤は優先的に勤務に入るようになっていた。
「……ズルいです、ズルいです、クマさん。ズルいです」
「もう、ヒナ。そんなにズルいズルい言わないで。仕方が無いじゃない」
つまり、日勤が多い。
生活リズムが安定しやすいのでありがたいことだったが、
それはそれでやっかみも受ける。
特に今日一緒に働く同僚は後輩で、少し面倒だった。
元は雨木の新人研修を担当する予定だった後輩。
請われて交代したはずが、いつの間にか彼女の中で、
熊澤が欲しがったような話に変わっているのだ。
彼女は今朝、警察署で会った時は、もう少し普通だった。
「だって、自分だけ雨木先輩と飲むなんてズルいじゃないですか。
……呼んでくれればいいのに。……あたしだって休みだったんだし」
だがダンジョンに移動したあと、自衛隊員たちから、熊澤が雨木と飲みに行った話を聞き、へそを曲げた。
それを、熊澤の意地悪だと言ってくる。
そんなつもりは一切ない。
そもそも、予定にあった話でもなかった。
同じゴブリンダンジョン勤務の自衛官たちに煽られ、電話をかけた。
仮に会うとしても、少し先のつもりだった。
だが、話はとんとん拍子に進み、
昨日の仕事帰りに、そのまま飲みに行くことになった。
その展開にも驚いたが、それ以上に慌てることになった。
異性と出掛けるつもりで、家を出たわけではない。
その時は特に、雨木を異性として意識していたわけでもなかった。
それでも――今日の格好におかしなところはないか。
そんな心配ばかりが先に立って、彼女を誘うところまで、頭が回らなかった。
(でも、今は……意識してしまっている……)
何度も、帰れば良かったと思った。
予期せぬ、雲の上の存在との電話。
想像の何倍も酷かった、冒険者の実態。
ダンジョンの中の世界。
そんな環境を、目の前の男は――
自分が担当しているその男は、
身体一つで乗り越えてきたという現実。
怖いと思った。
同時に、深く関わってはいけないとも思った。
だが、それでも昨日のことは悪くなかったと、熊澤は思っている。
ダンジョンでしか見たことがない、粗暴な冒険者だと思っていた男の。
日常の一面。普通の顔。
そして、少しだけ吐き出した弱音。
怖い――という言葉。
(……あんなこと言われたら、……ギャップがあり過ぎて困る)
その言葉のあとは、静かだった。
雨木はすぐにいつもの調子に戻り、
当たり障りのない会話をして、電話を終えた。
知り合って、初めて聞いた弱音。
それは自分だけではなく、電話の向こうにいた者たちも同じだったのだろう。
――誰も、すぐには言葉が出なかった。
熊澤は、そう感じていた。
「じゃークマさん、もう一回、飲み会のセッティングしてくださいよ。
あたしを雨木先輩に紹介してください」
後輩―― 小鳥遊日向(たかなし ひなた) 、ヒナが言う。
ダンジョン周辺は立入禁止区域だ。
冒険者には監視が付く。
雨木が来れば、熊澤が自然と担当することになる。
なんだかんだで、ヒナはほとんど雨木と接点がない。
あの時、担当を代わったことで、彼女は雨木の後に来た冒険者を任されている。
そちらは、まぁ……普通の冒険者だ。
粗野な言葉遣い。荒い態度。上からの物言い。
比べれば比べるほど、文句を言いたくなるのも分かる。
雨木を紹介しろと、彼女は言う。
その気持ちも理解はできる。だが、上司が許さない。
ダンジョンは遊び場ではないし、冒険者も遊んでいるわけではない。
自分たちも、職務としてここに来ている。
とはいえ、昨日までなら、それでも良かった。
異性として、意識はしていなかった。
「ごめん、昨日したばかりだし。
しばらくは無理だと思う……」
だが今は違う。
「え~。クマさんの意地悪~」
意識してしまっている。
そして、何よりも――
次の席は、もう決まっているからだ。
件の雨木は、肉ダンジョンに行くことになった。
行って、魔物を狩り、きちんと肉を持ち帰ってくるだろう。
その肉で酒を飲む。
熊澤や小鳥遊からすれば、はるかに雲の上の存在と。
そういう席なのだ。
今、話を振れば、確実にその場に席を用意される。
そんな気がしてならなかった。
(どんなに美味しいお肉料理を出されても、
……味なんか分かるわけないじゃない)
自分はもちろん、彼女にもそんな席には参加させたくないと、熊澤は思っていた。