作品タイトル不明
第20話 王都へ戻る条件
国王の容態が急変したという知らせは、夜明け前に届いた。発熱、咳、食欲の完全な消失。侍医長の手紙には、花蜜湯と偽処方箋の使用を止めたが、体力が落ちているため回復が遅い、とあった。
そして、国王自身の短い願い。リディアに会いたい。
厨房でその文を読んだ時、リディアはしばらく声を出せなかった。王宮へ戻らないと決めた。だが、陛下を見捨てるとも決めていない。
エルヴィンはすでに外套を着ていた。
「行くのだろう」
「はい」
迷いはあった。けれど答えは決まっていた。
「ただし、条件があります」
「言え」
「公爵家の契約職員として王都へ入ります。単独では行きません。料理長、侍医長、国王陛下の許可がある厨房でのみ作業します。薬草棚と食材は確認します。王太子殿下やミレーヌ様の指示は受けません」
エルヴィンは頷いた。
「全部、文書にする」
「もう一つ」
「何だ」
「公爵様は、道中の食事を守ってください。王都に着く前に倒れたら困ります」
彼は真剣な顔で一拍置き、それから小さく笑った。
「分かった」
マルタは荷造りを手早く進めた。リディアの鞄には、母の温脈帳、公爵家用の記録帳、北境の白葉草、乾燥生姜、葛、薄い塩、清潔な布が入る。トマは自分も行きたいと言ったが、厨房を守る役を命じられ、悔しそうに頷いた。
「リディア様が戻る場所を、ちゃんと温めておきます」
「ありがとう」
その言葉だけで、胸が少し揺れた。戻る場所。
王宮ではなく、北境の厨房。馬車は夜明けの灰色の中を出た。
同行するのはエルヴィン、マルタ、護衛二名、軍医バルト、そしてリディア。道中、エルヴィンは約束通り食事を守った。リディアも同じように自分の食事を記録する。
二日目の宿で、リディアはふと尋ねた。
「公爵様は、なぜ一緒に王都へ行ってくださるのですか」
「あなたを王宮へ一人で入れる気がない」
「それは、公爵家の契約を守るためですか」
エルヴィンは湯杯を置いた。
「それもある」
「それ以外も?」
言ってから、リディアは自分が踏み込みすぎたかもしれないと思った。だが彼は目を逸らさなかった。
「あなたは、王宮で自分を小さく扱われることに慣れている。王宮に入れば、また昔の癖が出るかもしれない。その時、あなたが自分の価値を思い出せるように、そばにいる」
リディアは胸の奥が詰まった。仕事のためだけではない、と言われた気がした。
けれど今は、答えを急ぐ時ではない。
「ありがとうございます」
「礼は、戻ってからでいい」
「戻る前提なのですね」
「戻る」
その一言が、どんな護衛より心強かった。王都の門へ着いた時、空は薄く曇っていた。
リディアは馬車の窓から、久しぶりの王宮の塔を見た。胸が痛む。怖さもある。だが、あの朝のように一人ではない。
王宮の通用門には、セドリックが待っていた。彼はリディアを見て、すぐに言った。
「来てくれて、ありがとう」
リディアは礼をした。
「国王陛下の正式な依頼に基づき、参りました」
セドリックの顔に痛みが走った。だが彼は反論しなかった。
エルヴィンが一歩前に出る。
「条件文書の確認を」
王太子は頷いた。以前なら、王宮の空気はリディアを飲み込んでいた。
今は、彼女の手に自分の帳面がある。王宮へ戻る。
けれど、朝食係としてではない。