軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

3-37.あまりりす亭への招待

エストラーダから帰国して、二週間が経った。

わたしもノアもお仕事に戻っていて、忙しい日々を送っている。

図書館も騎士団も大きなトラブルはなかったらしく、わたし達もすぐに日常に溶け込む事が出来たのは有難い。

旅行はとても楽しくて、美味しくて……色々あったけれど特別な時間だった。あの日々も大切な思い出だけど、穏やかな日常もやっぱり大切だと思っている。

慣れた本の匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、そう思った。

帰国して、沢山のお土産を抱えて最初に向かったのはわたしの実家だった。そこでは家族と一緒にエマさんも出迎えてくれた。

最後に見た時よりも頬がふっくらとしていて、明るい笑顔を浮かべていた事にほっとしてしまった。うちの実家で気が紛れたのかもしれないけれど、一番はマスターとの連絡がついた事だと思う。

マスターが帰国するまではブルーム家で過ごすと聞いて安心した。

積もる話も沢山あるのだけど、王城での事はマスターに聞いた方がいいだろう。だからわたし達はエストラーダでの美味しいものの話をした。

***

そして、今日。

わたしとノアは、あまりりす亭の前にいる。

「……何だか緊張しちゃう」

「はは、まぁ気持ちはわかるけどな。マスターは一週間前に帰ってきたんだよな?」

「そうよ。帰国してそのままの姿で、エマさんを迎えに来たそうだもの」

その時、同席する事は出来なかったけれど。

兄から聞いた話だと、感動の再会だったらしい。両親はマスターとエマさんを見て泣いていたとか。それが簡単に想像出来て、少し笑ってしまった。

目の前のあまりりす亭には【本日貸切】の札がかかっている。

明かりが灯されたお店を見るのは久し振りだ。張り紙だけがされた暗いお店を外から見ていたから、もう目の前の光景だけで胸にぐっと来るものがある。

「じゃあ、入るか」

ノアの声に一つ頷くと、大きくドアを開けてくれる。

その瞬間に広がるのは、美味しさから立ち上るいい匂い。暖かな店内が泣きたくなってしまうほどに嬉しかった。

「いらっしゃい!」

カウンターからエマさんが声を掛けてくれる。

いつものように髪を結い上げて、飾られるのは大輪花。朗らかな表情に以前のような翳りはない。

その隣に立って軽く頭を下げるマスター。エマさんとお揃いの白シャツには飾りもなくシンプルだ。お城の中の装いとはまったく違う、このお店のマスターとしての姿だと思った。

二人が並んでいる姿を見たら、もうだめだった。

今日は泣かないと決めていたのに、ぼろぼろと涙が溢れてくる。

そんなわたしを見て、ノアが背を宥めるように撫でてくれた。その優しい仕草にも涙が止まらなくなってしまう。

カウンターから出てきたエマさんが、わたしをそっと抱き締めてくれた。

わたしからも背に両腕を回してぎゅっと抱き着く。温もりや柔らかさを感じたら、もう涙は溢れるばかりで。でも嗚咽を漏らしているのはわたしだけじゃなくて、エマさんもだった。

わたし達は抱き合ったまま、言葉を交わす事もなく泣き続けていた。

「落ち着いたな?」

目が腫れるぞ、と言いながらノアとマスターがわたし達を引き離したのは五分ほど前のこと。まだ時々しゃくりあげてしまうのだけど、目元をハンカチで押さえながら、ノアの問いに頷いた。

「ごめんなさい……何だか感極まってしまって」

「謝る事じゃねぇよ。二人が並んでるのを見て嬉しかったんだろ?」

「そうなの。胸の奥がぐわっとなって、何も考えられずに、ただ泣けてきちゃった」

まだすんすんと鼻を啜ってしまうわたしの頭に、ノアの手が載せられる。髪を崩さないように優しい手つきで、そんな気遣いをされたらまた泣けてしまいそう。

今日はちょっとした事でも泣いてしまいそうだから、そろそろ落ち着かなくちゃと思うのだけど。

「はい、お待たせ。今日は二人の貸し切りだから、たくさん食べて行ってね!」

「色々用意してるが、他にも何でも作るぞ。遠慮しないで言ってくれ」

両手にお皿を持ちながら、エマさんとマスターが厨房からカウンターへとやってくる。

わたし達の前に並べられたのは色とりどりの料理たち。

鶏もものナッツソース、マッシュルームのフライ、芽キャベツのチーズフリット、トマトの肉詰め。最後に置かれたお皿はポトフで、サーモンが入っているのが見える。

どの料理もここで食べた事のあるものばかりで、わたしとノアのお気に入りのものばかり。そしてそのどれもに思い出がある。

「ありがとう。どれも大好きなものばかりだわ」

「それなら良かった。あと、これを」

そう言ってマスターが、ワインボトルをカウンターの上に置く。

それを見てノアが立ちあがった。何だか前にもこの光景を見た事がある──ワインの希少さにノアが驚いた時だった。

「は……? マスター、これ……」

「分かるか」

「分かるよ。しかも三十年前って、当たり年だろ」

「さすがだな」

にやりと笑うマスターと対照的に、ノアはどこか茫然としている。

力を失くしたように、ノアがすとんと椅子に座る。信じられないものを見るような視線は未だワインボトルに注がれている。

「……珍しいワイン、なのね?」

「最高峰ワイン。特級畑っていわれる特別区域で作られた葡萄だけを使ってるんだ。流通量もそんなに多くないんだけど、問題なのはこれが三十年前のものって事。この年のは当たり年って言われて、とんでもなく価値が高いんだよ」

「言ったろ? 兄のワインセラーから数本頂いてくるって」

「言ったけど! まさかこんなとんでもないもの持ってくると思わねぇだろ!」

慌てるようなノアの様子に、マスターがおかしそうに笑う。

素晴らしいワインだというのはノアの説明で分かったけれど、その価値がまだ分からない。わたしは同じようにきょとんとしているエマさんと目を合わせて、揃って首を傾げてしまった。

「兄が持っていけと選んだんだ。褒賞の一つだから気にしないで飲んで欲しいが……今日は別のものにするか? もちろんこれも持って帰っていいぞ」

「いや……それを飲ませてもらう。家で扱える気がしねぇし」

そう言うノアに頷いたマスターは、ナイフを使ってボトルの口を開けていく。

衝撃から回復したのか、目を輝かせてその手元を見つめるノアに、笑みが漏れてしまった。

わたしもお酒が好きだし飲める方だけど、きっとノアの方がお酒好きだ。

そんなノアが驚くほどの最高峰ワインなんだもの。心して飲まないといけないかもしれない。

そんな事を考えながら、ノアを見つめた。

いつもよりも幼い表情に見えるのは、眼鏡の奥で目がきらきらと輝いているからかもしれない。そんな姿が少し可愛らしいと思ってしまったのは、内緒にしておいた方がよさそうだ。