作品タイトル不明
3-29.それはあまりにも理不尽で
その声に、びくりと体が震えてしまった。
昨日の二人のやり取りを見ても、二人には何か共通の目的があるように思えた。
だとすれば、エミルはわたしの味方ではない。
立ち上がったカミラ王女が羽扇を手にしたまま、扉へと近付く。
いまだにドアノブはガチャガチャと回されていて、その音が余計に恐怖を煽る。聞こえたって構わないはずなのに、わたしは無意識に息を殺していた。
両手で口を押さえ、声が漏れないようにしながら。
「あなたはどなたかしら」
扉越しにカミラ王女が声を掛ける。
その声に、ドアノブを揺らす音がぴたりとやんだ。
「私は宰相補佐官のエミル・ヴェヒターと申します」
「そう。ここは今、わたくしが使っているの。用事があるなら後になさって」
「アリシアはここにいるんですね?」
「そうだとしても、あなたには関係のない事よ」
「いえ、関係があります。私はアリシアの幼馴染です」
「だから何だというの」
呆れたようにカミラ王女は溜息を吐き、開いた羽扇を揺らめかした。
わたしはそっと立ち上がり、足音がしないように意識しながらカミラ王女の隣に近付いた。耳を澄ませると、エミル以外にも人の声がする。金属がぶつかるような音は、鎧だろうか。
もしその予想が当たっているなら、エミルは兵士を連れてこの部屋にやってきたということだ。恐らく、わたしを捕まえる為に。
「カミラ殿下、このままでは外交問題になりますよ。アンハイムの事をお考えになってください」
「あら、それは脅しかしら」
「そういうわけではありません。事実を述べているまでです」
「わたくしにはそう聞こえなかったけれど。ねぇ、アリシアさんが何をしたと言うのかしら。兵に追われ、宰相補佐官が出張るような悪い事をしたとでも言うの?」
「それは……」
エミルは言い淀んだ後、言葉を紡ぐ事が出来なかったらしい。
またドアノブを掴んだのか、ガチャガチャと先程よりも激しい音が響く。
このままだと扉を破られてしまうかもしれない。
それよりも……本当に外交問題になったらどうしたらいいのだろう。
わたしを庇った事で、カミラ王女の立場が悪くなるような事があってはならない。
カミラ王女は今までとは違うのだ。それなのにわたしが足を引っ張るような事をしてはならない。
わたしは口を押さえていた手を下ろして、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。
呼吸が整うと少しずつ気持ちが落ち着いていくのが分かる。
そんなわたしに気付いたカミラ王女がこちらを見て、首を横に振った。
扇を持つのとは逆の手でわたしの腕を掴んでいる。
わたしが部屋を出るつもりだと、気付いているのだろう。
わたしはその手に触れて、微笑んで見せた。大丈夫だと伝わるように願いながら。
眉を下げたカミラ王女がゆっくりと手を下ろす。侍女が一人、カミラ王女の前に立つ。もう一人はわたしの隣でドアノブへと手を伸ばした。
侍女が鍵を開ける音が、静かな部屋に響く。
その瞬間だった。
「アリシア!」
扉向こうから聞こえる、大きな声。
エミルの戸惑った声。兵士の怒声。人が倒れる音。重なり合うそれらに身を竦ませたわたしの前で、扉が開いた。
黒髪は乱れ、眼鏡は外されている。息を切らせているけれど、怪我をした様子はない。
わたしを見てほっと表情を緩めたノアは、手を伸ばしてわたしの事を抱き締めてくれた。
「アリシア、無事で良かった」
「それは……あんたの方でしょ、っ……!」
安心したら涙が溢れてしまう。
ノアの背に腕を回して抱き着きながら、彼の温度や聞こえる鼓動に胸を撫で下ろした。
怖かった。
追いかけられるのも、ノアと離れるのも。ノアが無事でいるのか不安だった。
そういった気持ち全てを、抱き締める腕の力強さが消し去ってくれる。もう大丈夫だと、彼の全身が伝えてくれる。
ぎゅっと強くわたしを抱き締めてから、ノアはゆっくりと力を抜いていく。それでも腕の中にわたしを閉じ込めたままの姿勢で居てくれた。
「カミラ殿下、妻を守って下さってありがとうございます」
「礼を言われるほどの事ではなくてよ。それでも、あなた達の役に立てたのなら良かったわ」
ノアの言葉にカミラ王女がくすりと笑う。
そんなカミラ王女の隣には、いつの間にかヨハンさんが立っていた。
「いやぁ間に合ってよかったです」
ヨハンさんはいつものように飄々と笑うけれど、額には汗が浮かんでいる。ずっと走ってくれたのだろうと思うと、有難さと申し訳なさで胸がいっぱいになってしまう。
「僕が応接室に入ったら、アインハルト殿が最後の兵士を薙ぎ倒すところでして。剣だけじゃなくて槍も使えるんだなと思っていたら、槍術というより柄の部分を使った棒術のような動きでしたねぇ」
「感心している場合かしら。お前はそれを見ていただけ?」
「僕が文官だってお忘れです? 一生懸命走っただけでも褒めてほしいくらいなんですけど」
呆れたようなカミラ王女に対して、ヨハンさんは肩を竦めている。
ノアが兵士を全部倒したというなら、レイラ様はどうなったのだろう。
そう思った時だった。賑やかにも聞こえるカミラ王女とヨハンさんの会話を遮るように、エミルが応接室に足を踏み入れたのは。
「……アインハルト殿、城での暴力行為を認めるわけにはいきません。拘束させていただきます」
エミルの声が強張っている。その顔色もひどく悪い。
「本気でそれを言っているのか? 仕掛けてきたのはそちらなんだが」
「それでも、です」
「はは、滑稽過ぎると自分でも分かっているだろうにな」
ノアはわたしを抱き締めたままの姿勢で、エミルの言葉を嘲笑った。
図星をつかれたのか、エミルがぐっと唇を噛む。エミルの背後にいる兵士達も動けないでいるようだった。
この状態をどうまとめるのか。
ヨハンさんも、カミラ王女も、そしてノアも平然としているのが不思議でならなかった。