作品タイトル不明
3-28.自分を許す為に
わたしの様子に、くすりと笑ったカミラ王女は音を立てずにカップをソーサーへと戻す。それをテーブルに置いてから、ゆっくりと羽扇を開いた。
「ルガリザンドから帰って、わたくしの生活は一変したわ。わたくしの振る舞いに対する罰であるし、わたくしを外に出さないという事で無用なトラブルを避けるという意味合いもあったわね。でも離宮での生活は……わたくしが自分や周囲について考える時間でもあったの」
落ち着いた声で言葉を紡ぐカミラ王女の表情に、後悔も自嘲もないように見えた。ただ自分の行いを振り返っているだけで、そこには何の感情も浮かんでいない。
「あなたの言葉が頭から離れなかった。心が満たされているのか……あなたはそう問うてくれたわね。今までを振り返って、わたくしがしてきた事、今まで手に入れて来たものは……わたくしにとって本当に欲しいものではなかったのではないかって、そう思ったのよ」
わたしは口を挟まずに、カミラ王女の言葉を聞いていた。
ルガリザンドで最後に見たカミラ王女の姿を思い出す。あの時、カミラ王女は……迷ってしまった幼子のような不安そうな瞳をしていた。
「皆がわたくしを甘やかしてくれたのは、わたくしに価値があったからじゃない。王女だからという、ただそれだけの事だった。それに気付いて、とても恥ずかしくなってしまって。兄さま方に嫌われるのも当然ね。過去をなかった事には出来ないけれど、自分のこれからを変えていく事は出来る。離宮でついてくださった先生がそう仰ってくれて、勉強にも励んだの。そうしたらね、不思議と自分が満たされている事に気付いたのよ」
あの一件の時と、今と……カミラ王女の雰囲気が違うのは、渇きが癒されたからなのかもしれない。心が満たされているのならきっと、以前のような振る舞いをする事もないのだろう。
ジェイド殿下がカミラ王女と一緒にエストラーダに来ている事からも、カミラ王女が変わったというのは分かる。きっと二人の関係性も変わっているのだろう。それになんだかほっとしてしまった。
「改めて……あの時は本当にごめんなさい。アインハルト卿にあれだけ固執してしまったのは、あなた達が羨ましかったのかもしれない。お互いを信じ合って大事にしているあなた達の事が」
「謝罪は受け入れましたし、以前も申しましたがもう終わった事です。どうぞお気にされませんよう。罪滅ぼしと仰いましたが……」
助けてくれた事は本当に有難いと思う。でも、もう終わった事なのだ。
カミラ王女がそれに囚われ続けるのは、心苦しいと思う。
わたしのそんな心情に気付いたのか、カミラ王女が笑みを深めた。
羽扇を揺らめかしてからゆっくりと閉じる。
「これはね、わたくしの為でもあるの。わたくしが自分を許せるようになる為にしている事でもあるのだから」
そう言って笑うカミラ王女は、やっぱりとても美しかった。
凛とした、誇りのようなものを感じさせる。
「さ、チョコレートも召し上がって。すぐにヨハンもこちらに来るでしょうし、そうすればアインハルト卿とも無事に合流出来るはずよ」
「ありがとうございます」
カミラ王女もチョコレートを一粒口にする。頬が緩む様子からも、お気に入りというのは本当のようだ。
勧められるままにわたしもチョコレートをいただく事にした。可愛らしいそれを一つ口に入れる。外側の薄いチョコレートは舌に触れるとその温度ですぐに溶ける。中からは柔らかなガナッシュクリームが蕩け出してとても美味しい。
最後に香るラムが余韻を残している。
「とても美味しいです」
「良かった」
カミラ王女がふんわりと笑った瞬間、扉が強く叩かれた。控えていた侍女が反応するよりも早く扉が開き、中に入ってきたのはヨハンさんだった。
その額にはうっすらと汗が光り、走ってきたのか肩で息をしている。
「カミラ様! アリシアさん達が危険とは──アリシアさん?」
いつもの穏やかな雰囲気とは違ったヨハンさんが大きな声でカミラ王女の名前を呼ぶ。途中でわたしの存在に気付いたのか、その勢いは消えて唖然としているようだった。
「危険なのは間違いなくてよ。スカビオサ嬢が兵士を使って、アリシア夫人とアインハルト卿を拘束しようとしたそうだもの」
「は? 拘束? リガス殿下の客人なのに?」
ヨハンさんは混乱した様子で短い言葉を繰り返している。その様子にカミラ王女は肩を竦めた。
「スカビオサ嬢を見ていると、まるで以前のわたくしを見ているようで嫌になるわ。している事がわたくしと一緒なのだもの」
「それは全くもってその通りなんですが」
「お前は本当にわたくしに遠慮がないわね」
「必要がありませんので」
二人のやりとりに少しハラハラしてしまうけれど、二人とも不快な様子がないからこれが日常なのだろう。ヨハンさんと一緒に戻ってきた侍女も平然としているもの。
「アインハルト卿はアリシア夫人を逃がす為に残ったそうよ。お前はそちらに向かって、アインハルト卿を連れ出してきなさい」
「分かりました。アリシアさん、場所は前と同じ応接室ですか」
「は、はい」
「大丈夫ですから安心してくださいね」
力強く両の拳を握ったヨハンさんが、部屋を飛び出していく。
ばたばたとした足音が遠ざかって、カミラ王女はふぅと息をついた。
「ヨハンが行ったのだからもう大丈夫よ。アインハルト卿も兵士に負けるような人ではないでしょう」
「そう、ですね。ええ……」
カミラ王女の言う通りだ。
ノアがわたしと合流しないのは、時間を稼いでいるからだと思う。ノアが強い人だというのは知っているから、不安になる事もないのに。
でも……やっぱり心配になってしまうのだ。
わたしはそんな気持ちを飲み込むように、カップを持って紅茶を飲んだ。
少し冷めた紅茶は先程よりも甘みが強い。
ゆっくりと紅茶を飲み干した時だった。
部屋の扉が強くノックされた。
カミラ王女は侍女に向かって首を横に振る。
頷いた侍女が扉越しに応対する。向こうから扉を開けようとしたのかドアノブが回るけれど、鍵を閉めてあるのかガチャガチャという音を響かせるだけだった。
「ここにアインハルト夫人がいると思うのですが」
その声の主は、エミルだった。