軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

3-27.助けてくれたのは

記憶を頼りに、ただ走る。

不安と恐怖が胸を巡って、今にも溢れ出してしまいそう。泣いてしまいたかった。でも、そんな事よりもやらなくちゃいけない事があるから。

そう思って必死に走るわたしを、すれ違う侍女や文官が驚いたように見ていた。

王城でこんな風に走るなんて、不敬とされてもおかしくない。それは分かっているけれど、あまりにもわたしが必死だからなのか、すれ違う人達に咎められる事はなかった。

でも──

「待て!」

後ろからは怒号が聞こえる。

走るわたしを追いかける複数の足音。鎧の音も聞こえるから、わたしを追いかけているのは兵士達だというのが振り返らなくても分かる。

では、ノアはどうなったのか。

わたしを逃がす為に残ったノアは──

「大丈夫、っ……だい、じょうぶ……!」

自分に言い聞かせるようにそう呟く。

だってノアは大丈夫だって言ったもの。俺を信じろって。だからわたしはノアを信じて走る以外にないのだ。

足音や怒声はだんだんと近くなっている気がする。

でも振り返る事は出来なかった。そんな余裕はないし、振り返ったら足を止めてしまいそうだったから。

廊下の端に寄って驚いたような顔を向ける人達に、アンハイムの衣装を着ている人が増えたように思う。

この道で合っていたんだ。そうほっとしながら、角を曲がる。

その瞬間、わたしは腕を引かれて部屋の中に引きずり込まれていた。

驚きに目を見開いているわたしの前で、ドアが閉まる。

閉じたばかりのドアの向こうで、兵士達の足音が減速しているのが聞こえた。

「どこだ!」

「いないぞ。見失った……?」

「いや、どこかの部屋に隠れているんだろう。探すぞ」

廊下では戸惑う声がしている。

角を曲がってわたしがいなくなったのだ。どこかに入ったと考えるのも当然だろう。

勝手に部屋に入ったなんて、廊下を走る事よりも処罰が重いかもしれない。

走った事で乱れた息を何とか飲み込むと、ほっそりとした手がわたしの腕を引いた。その手の主は、逆手の指先を自分の唇に当てて、静かにするよう促してくる。

それに何度も頷くわたしを見て、その人──カミラ王女は微笑んだ。

カミラ王女は部屋の奥にある衝立を指差した。そこに隠れろという事なのだろう。またわたしは頷いて、足音を響かせないよう注意しながらそちらに向かった。

衝立の向こうにはティーセットが置かれている。改めて周囲を見回すと、ここは応接室のようだった。

わたしが衝立の奥でしゃがみこんだ時、応接室の扉を強くノックする音がした。

「この部屋に緑の髪の女は来なかったか」

兵士の声に身が竦んだ。両手を口に当て、漏れそうになる呼吸をおさえる。

その手が震えている事に気付くけど、震えているのは体全体だった。

このまま引き渡されたらどうしよう。

窓は遠く、扉の前には兵士がいる。逃げ場はない。心臓の音が耳の横で聞こえるくらいに騒がしい。

「おりません。いまここはカミラ殿下が使用しております」

「……そうでしたか。これは失礼しました」

応対する侍女の声に、ほっと体から力が抜けてしまう。平然と対応している侍女の様子に怪しいところはないと判断したのだろう。

兵士が室内に入って、中を検めるという事はなかった。

カミラ王女がいる室内に押し入る事も出来ないのだろう。

短い謝罪の後に、扉が閉まる。

複数の足音が遠ざかっていっても、わたしはまだ衝立の裏から出る事が出来ないでいた。

「もう大丈夫よ。出ていらっしゃって」

掛けられた声に、のろのろと立ち上がる。

衝立越しに部屋の様子を窺うと、ソファーにはカミラ王女が座り、扉の近くには侍女が二人立っている。

手招かれるままにソファーへと近付いたわたしは、深く頭を下げた。

「助けて下さってありがとうございました」

「いいのよ。騒がしかったから、何かあったのかと様子を見に来たのだけど正解だったわね。それで、何があったのかしら」

ルガリザンドに来ていた時とは違う、落ち着いた雰囲気に目を瞬いた。

カミラ王女から謝罪を受け、ジェイド王子からも話を聞いていたとはいえ、あの時とは全く違う。

胸の奥に残っていた警戒心が薄らいでいくのが自分でも分かった。

促されるまま、カミラ王女の対面に座る。テーブルを挟んだ先に座るカミラ王女の金の髪が、窓からの陽射しを受けて煌めいた。

手にしている羽扇は畳んだまま、膝の上に置かれている。

わたしは今までの事を話す事にした。

マスターがこの国に居る事情は、きっと知っているだろうから、それ以外の事を。

昨日、レイラ様に会った事。

マスターは帰れないと言われた事。手紙を渡すよう言われた事。

そして今日、わたしとノアの元に兵士を連れてやってきて──ノアがわたしを逃がす為に残った事を。

話を聞いたカミラ王女は、侍女の方へと顔を向ける。

「お前達も聞いていたわね。ヨハンをつれていらっしゃい」

「かしこまりました」

カミラ王女の指示に従って、侍女の一人が部屋を出ていく。

もう一人はしっかりと鍵を閉めてから、わたしが先程まで隠れていた衝立の奥へと消えた。

「ヨハンが来ればもう大丈夫。お兄様にも話がいくから、スカビオサ嬢があなたに手出しする事はないわ」

「ありがとうございます……」

「アインハルト殿も大丈夫でしょう。リガス殿下の客人に手荒な事は出来ないはずよ」

その言葉にほっとしながら、膝の上で両手を組む。

力の入ってしまった指先は色が変わっているけれど、不安と緊張と恐ろしさで、それを解く事は出来なかった。

ああ、まるで祈りみたいだ。組んだ手にそう思いながら、ノアの無事を願う事しか出来ない。

ヨハンさんが来てくれたら大丈夫。きっとマスターにも話が行く。

ノアに託された、ヨハンさんに会うという事も叶えられる。大丈夫。

自分に言い聞かせるように目を伏せていると、紅茶の香りがした。

顔を上げると、侍女がお茶を用意してくれたようだった。

カミラ王女とわたしの前に置かれたカップには紅茶が満たされている。添えられているのは花の形を模したチョコレート。

「召し上がって。落ち着くでしょうから」

「お気遣いに感謝します。……いただきます」

ソーサーとカップを持ち上げて、カップを口元に寄せる。持ち手からも伝わる温もりに指先が痺れて、自分の手が冷え切っている事に気付いた。

一口飲んだ紅茶にはお砂糖が落としてあるようで、ほんのりと甘い。

口の中から胸まで温まっていく感覚に吐息が漏れた。美味しい。

「……とても美味しいです」

「お口に合って良かったわ。そのチョコレートもね、わたくしの好きなものなの。頭を使うと甘いものが欲しくなるでしょう。だから最近は常備するようにしているのよ」

紅茶のカップを口に寄せながらカミラ王女が笑う。

あの時(・・・) とはまったく異なるカミラ王女の様子に、戸惑いを隠せなかった。

こうして気遣ってくれるのも、助けてくれるのも、有難いのだけど少し不安になってしまう。

「あの……どうして助けて下さったのですか」

思わず口から出ていた問いに、カミラ王女は大きな瞳で瞬いた。

それから少し困ったように笑う。その表情は、以前お会いした時よりもずっと大人びているように見えた。

「そうね……罪滅ぼしかしら」

その言葉に、今度はわたしが目を瞬いた。