軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

少年期 一三歳の秋・七

邪悪な教典を貰いに行くよりも、冒険者的には随分とまっとうなお遣いを頼まれた夜。ふらふらと金銭感覚に罅が入った頭で木賃宿に帰ってくれば、旅の道連れは一足先に夢の世界に旅立っていた。

そういえば、久方ぶりの故郷に近い味を堪能したから、今寝れば良い具合の夢を見られそうだから寝ると言っていたなと思い出す。ここ暫くは野営で路銀を節約していたので――私もミカも節約して手に入るお小遣いに負けたのだ――寝台で寝るのも出立以来となれば、さぞ良い夢を見ていることだろう。

冒険のお誘いは明日に延期だな。別に急ぎでもなし、無理に起こすこともあるまい。

みれば、もう一つの寝台にミカは<清払>の魔法をかけてくれていた。シラミやノミがお約束な木賃宿の寝台も、魔法のご加護があれば綺麗な寝床に早変わり。流石に薄っぺらさまではカバーしてくれないが、地面に寝転ぶよりは数段心地良いことは確実だ。

私は気が利く友人へ、夢の中までは届くまいが礼を言って寝床に潜り込むことにした。しかし、風呂に入った私と髪の艶があんまり変わらないコイツは一体何なのだろうか。昼間に膝を借りた時、ロクに手入れしていないことをご婦人には言うなと警告されたけれど、君も大概だろうに。

薄い布団とぺらい毛布でも旅と風呂、そして戦闘に強烈なイベントの後ならば天上の雲に伍する寝心地だ。私は寝間着なんて上等な物を持っていないので――というより、一部の上流階級の文化だ――旅装のまま寝床に潜り込めば、あっと言う間に眠りに落ちてしまった。

夢も見ないほど心地良い眠りの中、一つの違和感を覚える。自我が覚醒と眠りの曖昧な感覚に揺られ、夢とも現実の知覚とも判別し難い中、下半身に嫌な感覚があった。

ああ、これを私は知っている……寝小便の感覚だ。

さて、実にお恥ずかしい話だが、五つの頃に前世を自覚した私であるが寝小便が完全に収まったのは七つになってからである。これは私に堪え性がないからというより、寝る前にトイレを済ませ水を断っても出てしまったことからして、膀胱の成長が少し遅かったのだろう。

このような恥もあって、私は寝小便の感覚をきっちり覚えていた。慌てて起き出せば、下の方に冷たい嫌な感覚が……。

「……神よ、確かにちょっとネタにしたが、これは酷くありませんか?」

昼間に神は死んだなどと、彼等が現役で頑張っている世界で嘯いたせいだろうか。だとしても、神罰としてははしっこ過ぎる所業に涙が一つ零れた。

或いは、トラウマ級の写本を中身は見ていなくとも直視したことがよっぽど響いたか……。理由はどうあれ、あまりの情けなさに死にたくなった。肉体年齢はもう一三だというのに、この仕打ちはなんとも惨い。

ふと隣の寝台に目線をやれば、そこにミカの姿はなかった。荷物は残されているので、彼は幸いにも“間に合った”のだろう。実に羨ましい話である。

とりあえず、こいつを何とか処置しなくては。そう思って寝床から抜け出し、回復しきっていない魔力に鞭を打って<清払>を寝床にかけ――滲んではいなかったが、精神衛生のためだ――着替えの下を取り出してズボンを脱いだ。

とりあえず、こいつを綺麗にしてから……ん?

あー……これは。

ズボンを脱いで気付いた。これはアレだ、別の粗相だった。割と最低な例えかもしれないが、女の子だったらお赤飯を炊いてもらえるアレだった。

「あー……そうか、もう一三だし、十分あり得るのか」

かなーり情けないことをやらかしたらしい。

さて、私も一応は前世で成人男性であったから〝その手の行為〟に関する知識はあったし、経験も実戦を含めて積んでいた。ただ、他に熱中できるものがあれば煩わしい欲求であったこともあり、この若い体になって以降は率先して自分の性徴に手を出していなかったのだ。

もちろん、スキルツリーにはエロゲかな? といったスキルも並んでいたため、将来的には無駄遣いに手を染めたかもしれないが、若く性徴が始まっていない肉体に引っ張られた精神では、あの突き上げるような情動がなかったために後回しにしていた。人間のメンタルとは、かくも肉体の影響を受けるものである。

とはいえ、これはこれで実に情けないな。その手の夢を見た覚えはないのだが、処理を怠った結果暴発とは……いやはやなんとも。

それに、これからまたあの十代の頃に悩まされた、狂おしいほどの衝動に苛まれるかと思うとキツいものがあるな。どうしようもない位に阿呆な発想が出てくるような〝若さ〟と二回も対峙する羽目になろうとは。

あの時期は色々とあった。一日五回もやらかしてみたり、少ない小遣いで阿呆な買い物をしたり、意味もなく格好を付けたり。その痕跡はこの世に存在せずとも、脳裏からは拭いがたい。こっちでは十分に気を付けねばな。

うむ、あまり凹んでも仕方ないか。むしろプラスに考えよう。これから男性ホルモンが出て、体がしっかり大人の男に育ってくるのだ。そうすれば冒険者として立脚するに十分な益荒男になれるんだからな。

気を取り直し、私はミカが戻る前に粗相の始末をして、宿の共用井戸に行くことにした。

いや、これに<清払>をかけはしたけれど、どうしても気持ち悪さが拭えないのだ。<清払>の完璧さを今更疑いはするまいが、気分的な安心というのは本当に大事なのだ。

こっそり気配を消して宿を出て裏手に向かう。そこは風呂に行く金のない面々が水浴びをすることもあるので、外壁と宿に挟まれ、一方を木立で隠された目立たぬ所に作られていた。

私はそこで意外な物を目にする。

水浴びをする友の姿だ。

彼はいつか言っていたっけか、誰かと湯殿を共にするのは好きじゃないと。だから人目を避け、こんな所で体を清めていたのか。

私は声をかけようとして……一つ、信じられないものを見た。

あるべきものが、あるべき場所になかったのだ。

それは何時だったか思った「お前女だったのか!?」とかいう有り触れた展開ではない。

ミカにはなかったのだ。そもそも、男か女かを判別するための“パーツ”が足りていなかった。

冴え冴えと輝く月光の下で照らされた白い体、その胸板はぺったりと薄く、なだらかなラインを描く下腹部にも一切の起伏がない。

ミカにはなかったのだ。繁殖に使うべき、生き物であれば当然に持っている体の部位が。

しかし、それは歪ではなかった。むしろ、美術品のような高潔な美しささえ感じられる。この微かなスポットライトの下、閉館後も静かに佇む立像達を思い起こさせる立ち姿。誰が讃えるでもなく、誰に誇るでもなく、美しいものはただ美しい。そう思い起こさせる光景……。

「誰だ!?」

あっ。

私は気配を消していたが、先客など想像もしていなかったので堂々と歩いていたことをたった今、ミカが声を上げたことで思い出した。頭を洗っていた彼が顔を上げれば、そりゃ普通に私に気づくわな。

「え、エーリヒ……」

覗き魔を切りつけるような強い目線を作っていた彼は、その変態が私であることに気付いた途端に顔をへにゃりと情けなく歪めた。まるで、見られたくないものを見られてしまったかのように。

「ミカ……」

「まって、待ってくれエーリヒ、違うんだ、僕は、僕は」

「君は……」

ああ、そうだ、ミカ、我が友、君は……。

「天使だったのか、君は」

「……は?」

率直な感想を受け、我が友は一度も見たことのない表情をしてみせた…………。

【Tips】この世界に我々が知る形での“天使”という概念は、西方の唯一神系の眷属という形でしか存在せず、三重帝国においては知っている人間も希である。神の遣いは使徒、あるいは眷属と呼ばれ、一時的に派遣される下級の神性存在として認識される。

なんとも気まずい一幕は、ミカが秋の冷え込みはじめた夜気にくしゃみを零して閉じられた。とりあえず着替えて貰い、今はそれぞれ別の寝台に腰掛けて微妙な空気を堪能している最中だ。

いや、ほら、だって、天使には性別がないというじゃないか。あの姿を見たら、アブラハムの宗教を思い出したって仕方がないだろう?

「……僕の血族は、元々最北方の出身なんだ」

重い沈黙が鉛のように立ち込めて、そろそろ重圧で死ぬのではと錯覚した頃、彼はおどおどと目線を床に落としたまま口を開く。

それは、重い出自の物語だった。

ミカの一族は惑星の極、所謂北極圏にほど近い島に暮らしていたらしい。古語で 暗い島(ニヴルエイヤ) と呼ばれる極地の生活は辛く、冬は極端に日照が少なく、夏は逆に何時までも長い日照のせいで農耕が営めないという。そんな豊穣神の手さえも届かぬ極地でも、人類種はしっかり生きていた。

ただ、あまりに極端な環境はちょっとしたバランスの崩れで人が簡単に死ぬ。

不漁が続けば漁師はあっと言う間に餓え、数少ないまともに育つ羊に病が流行れば、数家族が時機を逸した花の如く立ち枯れる。そして、そんな島であっても北方離島圏の人間が略奪遠征に訪れることがあるという。

斯様な酷所で生きていけるのは、一部の特殊な亜人と人類種だけだ。

分厚い毛皮と脂肪の層を併せ持ち、氷が浮かぶ極地の海でも泳げる海豹人、大陸西部の東部域の個体より耐寒性に優れる熊人などの極地に適応した強力な亜人。彼等はその秀でた能力で厳寒を生き抜き、略奪遠征の一団も武力を以て抗しうる。

対し、ヒト種が持つ適応能力を更に先鋭化させることで、環境に縋り付いた近縁種も存在した。

どんな環境にでもある程度適応するが、男女の番がなければ瞬く間に数が減るヒト種の欠点を克服した人類種。

「僕は…… 中性人(ティーウィスコー) だ」

ミカは自らの種を恥じるように明かした。

中性人。その字面だけを見れば誤認しかねないが、彼等はいわゆる“半陰陽”ではなく、性が必要に応じて“シフト”するヒト種の近縁だ。

極地において死にやすく、簡単に男女のバランスが崩れるヒト種の弱点を克服するような進化を遂げた中性人は、性的に成熟するまで完全な無性なのだという。

そして、体が十分に成長した時、彼等は男女の両方へ一定周期で変性するのだ。

一月を無性で過ごし、その後男女のどちらかで一月を。そして、また無性に戻った翌月は前回と逆の性へシフトする。性別の転変によって、彼等は“品あまりと品不足”を防ぎ、コンスタントに増え続ける。

実に効率的な人類種だ。女は孕めば性別が暫く――乳離れくらいまで――固定され、番いを守るべく男も暫く性が固定される。もしも彼等が北方の極地に適応して発生したのでなければ、大陸でのヒト種の割合はもっと早くから変わっていただろう。

「君を……君を騙そうとしていたわけではないんだ」

ただ、そんな種を三重帝国のヒト種が気安く受け容れた訳ではなかった。

ミカの一族は三代前に略奪遠征や酷寒に耐えかね――単なる生存が可能であることと、快適であることの間には埋めがたい差がある――三重帝国に移住してきたそうだ。三重帝国の民は移民にも慣れており、異種族への抵抗も少ないと聞いて一縷の望みを託しての長旅に踏み切った。

しかれども、それはあまりに自分たちに近すぎて、異質な新参者に対しては適用されなかったらしい。人は真に理解しきれぬものより、半端に自分たちに近しいものにこそ恐怖する。それこそ、私がファイゲ卿の元で対峙した本とライゼニッツ卿を並べたなら、元は同じヒトなのに全く理解できない変態の方がヤベー奴だと思ってしまうのと同じく。

冷たく無機質な恐怖から、どっちつかずとして彼の一族は冷遇され続けた。村八分とまではいかないが、寄り合いで口を開くことが憚られ、祭を心から楽しめない程度には。

そんな一族の待遇を打破するべく、ミカは魔導院の門を叩いたのだという。北方の厳しい環境を切り開く造成魔導師として凱旋したならば、誰も一族を馬鹿にはできまいと思い立って。

両親が必死に捻出してくれた学費で通った私塾。死に物狂いで勉学に励んで目立ち、代官の歓心を買って帝都に出て来るのに要した努力は並大抵のものでは到底足るまい。一体、どれほどの覚悟を支払い、彼はあの城の敷居を跨いだのか。

「いつか、いつか言わねばとずっと思っていた。だが……でも……」

か細く絞り出されるような声は、いつしか震えを帯びていた。月明かりが差し込む窓辺の光を受け、長いまつげを彩るように輝く物は涙に相違ない。

「君に……嫌われたくなかった」

絞り出すように友は語った。彼は一度、友達作りに失敗しているのだと。

最初、環境が変われば上手くいくのでは、そう思った彼は同じ学閥の同年へ正直に種族を明かしてしまったらしい。

結果は、珍しがられ、あまり触れられたくない過去にずけずけと踏み込まれ、友情を結びたいとは到底思えない相手ばかりになってしまったという悲劇的なものであった。良くも悪くも、同年代の聴講生達は純粋過ぎたのだ。

学徒として、探求者として、彼等は知らない物への探究心にこらえ性がなさ過ぎた。人には絶対に触れてはいけないところがある、そんな事実を知らないほどの 若い無邪気さ(残酷さ) も悲劇の引き金になってしまったのだろう。

それ以後、彼は院内で友人を作ることなく、さみしく聴講生として過ごしてきたのだという。

そんな中で出会ったのが私だった。丁稚としてやってきて日が浅く、聴講生と友人でもない私とならば友達になれるのではと彼は思ったらしい。あの目映いばかりの爽やかさは、生来のものではなく、必死に振り絞られたものだった。

種族を隠して、普通のヒト種の少年を装っていた彼も、その内に身分を明かそうとは思っていたのだ。だが、どうしても地元での扱い、そして魔導院の聴講生達からの扱いを思い出してしまい踏ん切りがつかず……。

「僕は、僕の最初の友達に……君に嫌われたくなかった。珍しいものを見るような目で見られるのも嫌だった。だから、だからどうしても切り出せなくて……」

しゃくり上げながらの告白は、最早懺悔のようですらあった。彼にとって、自身の種族とはそれほどに忌まわしいものだったのだ。それを不意に、楽しいはずだった初めての遠出の中で知られてしまう。

その身に受ける衝撃の深刻さは、私には想像さえできなかった。

私は良くも悪くも凡庸な男だ。前世でも早死にこそすれ大きな挫折を味わったことはなく、今生においてもなじみ深いヒトに生まれることができた。

なれば、その衝撃を真に理解することはできない。できると言い張ることさえ罪深い。近縁種が数多存在するこの世界において、種固有の悩みを他種が訳知り顔で嘯くことほど罪深いことなどそうはあるまい。人種一つで戦争していた生き物が、どうやって違う種族を根本から理解できるというのか。

だから私はミカに気安い言葉をかけることはしないし、できない。それは今まで耐えてきた彼の努力を虚仮にする、最悪の所業だ。

「えっ……?」

だから、私は何も言わずに友を抱きしめた。これ以上、カミソリのような言葉を吐いて、彼の心が血を流さぬように…………。

【Tips】 中性人(ティーウィスコー) 。北方極地圏に分布する人類種。性器を持たない無性の状態をベースとし、一月周期で男女の性別が入れ替わるヒトの近縁種。身体的構造はヒトとなんら変わらず、二日がかりで骨格や内臓ごと変異を遂げる性別のシフト以外に種族的な特徴を有さない。幼い頃は無性の姿で固定され、性徴を遂げる一四~五が近づくと性別のシフトが始まる。

ヒトに近くも特異な身体構造、そして入植してから日が浅いこともあって、三重帝国人類種の中では浮いた存在として扱われている。