軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

少年期 一三歳の秋・六

見るからにヤバい本を目の前にして、逃げ出したいという本能が滲み出るように精神を削ってくる。ああ、私は〝あの手の本〟に触れるシステムにも馴染みがあった。人間の探索者がこの世界のヒト種と比して尚も儚く、一つの事実に気づいただけで狂するような特大の地雷がまき散らされた地獄の世界。

そこを頼りになるんだかならないんだか分からない仲間を引き連れ、リスクが大きすぎて習得するのがおっかな過ぎる魔法やら、役に立つ時と立たないときの差がでかすぎる武器を携えて彷徨ったものだ。

その結末は他の話と同じく楽しかったけれど、大抵がおぞましく救いようのないものであった。

恐怖で心が壊れ壁に話しかけるのが仕事になった者、ただ遭遇し彼の者を認識しただけで大気圏から地面に放り投げられる者、忌まわしき儀式に巻き込まれて〝自分自身を丸呑みにする〟者まで、ありとあらゆるろくでもない結末が勢揃い。

あのシステムにおいて〝死ぬだけ〟は比較的マシなオチに分類される。

そして、目の前で卿が手にする本は、その同胞以外の何物でもない。

出自がどうだとか、他の世界から来た神が関わってくるのかは知らないが、絶対にろくでもない物だ。軽いものなら人間一人が精神を病むだけですむが、行き着くところまで行き着くと世界が終わりかねない。

バッドエンドで世界が終わるのも辛いが、下手に触って〝NPC化〟しキャラ紙を没収されるのも、何度味わってもキツいものだ。できれば関わり合いになるどころか、視界にさえ入れたくない部類の代物だった。

「ふむ……童には、些か刺激が強すぎたか」

言って、卿は物理的に存在してしまった恐怖を机にしまってくれた。視界から外れたことで、なんとか逃げ出したくなるほどの圧迫感は消え失せる。本がその程度の力しか持っていないのか、それとも机が特別製なのか。まぁ、お約束に従うなら間違いなく後者だろうな。

「して、そなたの主はこの本に如何なる値をつけた?」

心臓が痛いほど脈打っているが、交渉が始まるならそちらに専念せねば。深呼吸を一つして、ざわつく意識を必死になだめる。脳みそをヤスリがけされたような不快感はしばらく消えてくれそうにないが、私とエリザの将来のために頑張らねば。

さて、商談において譲れないラインを意識して話をするのが営業の鉄則である。ラインから相手に無理がない程度に遠ければそのまま通し、近すぎれば押し離す、意識一つで駆け引きが上手くいくかどうかに関わってくる。

が、クライアントから「言い値で」と言われていると些か、いや、かなり悩まされた。

確かに昔は思ったものだ、採算ギリギリのラインを攻めないでちったぁ余裕を持った予算設定をしてくれと。だが、誰もここまでやれとは言っていない。

クライアント本人が自身で言うならばいい。その後は交渉相手の裁量と度量次第なのだから。それこそ白紙の小切手を渡そうとするのなら、相応の覚悟があってしかるべきだ。

ただ、その権限を丸投げされると実に困る。私自身の実力を試されているに等しいのだから。

ここで「言い値で買います」と脳死した提案をするのは容易い。しかし、それでは文字通り〝子供のお遣い〟のままだ。GMは経験点をくれるかもしれないが、大変渋い顔をしてレコ紙やチケットに半額になった経験点を記入することとなるだろう。

広い権限を与えられたからといって、全部を好きにしていいわけでも、ましてや投げやりに片付けていい訳がないのだ。任せられた権限に見合った成果を上げるだろう、そう期待して裁量権を投げられているのなら、相応の努力をせねば。

では、ちょっと気合いを入れてアグリッピナ氏を驚かせてやるとしよう。いつか泣かすリストの上位に位置している彼女の意表を突けたなら、私はそれだけ目標と独立に近づいたことになるだろうしな。

「ご期待に応える用意はございます。それが資金であれ、なんであれ、ファイゲ卿がお認めになった価値を満たす分だけの用意が」

「ふむ……」

人は言い値でと言われると、それに大した価値を認めていなかったとしてもゼロを沢山書きたくなるものだ。だから先に「まぁこんくらいだな」というラインを示して貰うほうがいい。そうすれば、吹っ掛けられているにせよ値引き交渉の糸口として使えるし、手頃なラインであれば乗ってしまえばいいのだから。

それに今ならば相手が売る側なので、買い手として値段を聞くことはできる。もう一度、そっちが値をつけろと言われればどうしようもないが、その時は「要らんのでしょ?」と思いっ切り低い値を切り出してみるか。

「正直に言えばだ、こんな物、暖炉のたき付けにしてやってもいいとさえ思っておる。元よりこの手の本には稀覯書以上に興味は持っておらぬし、それが遙か昔の僧会が異端として追放した神の記述であればなおさらだ」

この身は仰ぐべき主神を持たぬのでな、と言って卿は指を一つ鳴らした。すると、部屋の片隅に積んであった来客用の椅子が浮かび上がる。どうやら卿も日常的に<見えざる手>で雑事を片付ける性質らしい。そして、じっくりと私と話す覚悟を決めて下さったようだ。

「なによりコイツが気に食わんのだ。内容は文学的修辞法がこの身のセンスを些かくすぐってこんでもないが、素材に拘った顧客と決闘一歩手前までモメた悪い思い出で帳消しだ。あんな悍ましい所業、何をどうすれば後追いしようと思えるのか」

今何か凄く嫌な言葉が聞こえた気がする。それはあれなのか、いわゆる人間由来の御法に触れる系の素材を要求されたとでもいうのか。私の知識にあるコズミックホラー的キーアイテムは、人皮だの血液だのをA4用紙の気軽さで使ってくることが間々あったけれども……。

卿の言い様からして、さっきの黒い装飾のブツに用いなかったとして、原典はどうだったのか。考えるだけで嫌な怖気が背中を走った。

ああ、これも紛うことなき幻想なのだろうさ。だが、私が求める幻想はカダスだのユゴスの彼方に坐す悍ましい代物ではなく、もっとキラキラしたヒロイックなものであってベクトルがぜんっぜん違う。イベントとして介在してくるのはホントに勘弁願えまいか。

「故にこそ、一つ提案しよう。お主の主と交渉するのではなく……お主自身と交渉させてもらえぬかと」

嫌な現実にげんなりしていた私の脳味噌が、提案を咀嚼するのに暫しの間が必要だった。

言っていることは分かる。アグリッピナ氏から貰う報酬ではなく、私から何かを引き出すことで本を引き渡すといいたいのだろう。そして、結果的に私が依頼の品を提供できるようになるのなら、何も変わることはあるまいと。

つまり、彼は魔導師が出せるだろう金よりも、私に興味を示したということか。

「お主は見たところ、色々と面白い物を“憑けて”おるようだな」

「あー……まぁ」

確かに色々くっついてますね。黒かったり緑だったりする妖精とか、度し難い変態の死霊とか色々。

「この身はそういった若人の話が好きでな。物語を書く才能こそなかったが、やはり聞く楽しみは幾つになっても尽きぬものよ」

その道楽っぷりは、この趣味満載の書斎を見れば嫌というほど分かる。竜退治のサーガが何本もあれば、熱烈な恋物語も本棚に収められており、若人の悲喜劇を纏めた短編集なんかも取りやすい位置に置いてあるところからして嗜好は読みやすい。

「そこでだ、一つ冒険でもしてもらいたいのだ」

「は……? 冒険、ですか?」

「うむ、冒険である」

含蓄たっぷりに頷いて、卿は近辺の地図を取り出した。等高線が敷かれ精密に描かれた地図は、重大な軍事情報として秘匿されていなければならないような品。気軽に取りだしているが、他国に持っていけば、こんな辺境の地図であろうと交易や外交でなくば持ち出されない大判金貨が小山を築くことであろう。

「ま、立場上、こういうのを手に入れることも間々あっての」

茶目っ気たっぷりに宣う卿だが、洒落になってないんですがそれは。こんなもん国外流出した日にゃ極刑じゃすみませんよきっと。何しれっと自分用に余計なの作ってんですか。

戦慄する私を余所に、卿は枝の指を伸ばしてヴストローの北に位置する森を指した。

「ここはコレといって何がある訳でもない森での。たまーに熊が出るが」

いや、それは結構大した物です。魔獣だの何だのと比べればマシかもしれないが、熊は十分に人間を殺せる怪物なのだ。しかも当たり所によってはクロスボウのボルトどころか5.56mm弾に耐える怪物とヤットウで喧嘩はしたくない。

「大体、徒歩で一日ほどといった所か」

「……子供の足には辛い距離ですね」

「なに、ここまで遣いに出されるような童には容易いものよ」

反論し辛い指摘を受け、話が進んでしまった。何だろう、野盗に襲われたのを無意識に“ミドル戦闘”なんて言ってしまったせいで、本当に“クライマックス戦闘”が生えてきてしまったのだろうか。ちょっとフラグにしても処理が早過ぎはしまいか?

「ここにの、物好きな冒険者の庵が一つあるのじゃが……」

「音沙汰がないと?」

「うむ。この身が帝都に旅立つ前に住み着いたそうだから、まぁ疾うに何処かに行ったか死ぬかしてしまったのだろうな」

気軽に仰るが、それどれだけ昔の話なんですかね。考えるだけで気が遠くなる規模のお話である。樹人の寿命がどれくらいか書いてある文献を見たことがないのだが、もしやそれは“誰も樹人が寿命で死ぬところを見たことがないから”なんてオチじゃなかろうな。

「でだ、ここに行って、とある本を探してきて欲しい」

本とはいっても、別に曰く付きの魔導書だとか、とんでもない歴史を記した稀覯本なんぞではなかった。そも、卿はそういったものに最初から興味なんぞ示すまい。斯様なブツを欲する性質なら、きっと今も帝都で貴族の行列を捌いていただろから。

彼が欲するのは、その物好きな冒険者が残したであろう日記なのだという。卿が若い頃はボチボチ名を馳せた彼は筆マメで知られており、自分の冒険の全てを事細かに日記へ記していたそうだ。

「もし、その日記が残っていたら……大変心躍らぬか?」

「それは……はい、確かに」

やはり私はこの御仁と通じる部分が多々あるらしい。

いや、だって滅茶苦茶楽しそうじゃないか、名うての冒険者が残した日記なんてアレだろう、言わばリプレイみたいなものじゃないか。冒険者に憧れる身としても、TRPGフリークとしても興味が擽られないものがいるだろうか。絶対にいまい。

「この身としては、その日記が手に入ればよし。お主の冒険話のみであっても、それはそれでよし」

つまり、どうあっても損はしないと言いたいわけか。異論を差し挟む訳ではないが、どうしてこの世界の寿命が長い連中は生き急ぐしかないヒト種を話題の種にしたがるのか。

まぁ、だとしても卿の提案は今までの人外連中と比べると、マシ所ではなく普通にクエストの趣があるのでずっとずっと良い物だとは思うが。妹を盾にした雑用だとか、趣味に合わないコスプレ大会なんぞとは比べるのが失礼というものだ。

「ま、それにだ、どうあれあの忌まわしい本をどんな形で譲ってやるにせよ、むき身でほれと放ってやる訳にもいかんでな」

密やかにテンションを上げる私の内心を見抜きながら、卿は苔の顎髭を撫でつつ悩ましげに仰った。たしかに、あの手の本を素手で触りたくないのは事実……というより、背嚢に放り込んでおくだけなんておっかなくて仕方ない。なにか用意してくださるのなら、これほど有り難い申し出はなかった。

「帝都にいた頃ならまだしも、この田舎に引きこもった老木が色々用立てるのに二~三日は要る。その間の暇潰しと思ってくれてもよい」

暇潰しというにはちと剣呑なイベントではあるが、熊がたまに出るかもしれない程度の森ならば、気をつければそこまで大事には発展するまいて。それこそ遺跡に住んでたとか言われたら腹を括って完全武装、妖精達も呼び寄せて殺意満々でハック&スラッシュとしゃれ込むところだが、目的の庵も然程深い所にないと言うなら“ちょっとした冒険”と称して過不足はなさそうだった。

「だが、面倒だと言うならば二五ドラクマという価格も提示してやろうではないか」

二五ドラクマ。交易用大判金貨一枚分であり、一般的な農家の年収五年分に相当する。それも生活費や租税全て含めた額面上の収益でだ。

それを一冊の本に使うというのは何とも贅沢な話である。エリザが一年聴講生とやっていけて、生活費も十分以上にまかなえるとくれば何とも豪儀な価格設定……

「材料費だけで勘弁してやろう。この引き出しも、そろそろ別の用途に使いたかったのでな」

思わず椅子から転び落ちかけた。待ってくれ、材料費で二五ドラクマって、何で出来てるんだその本。下手に人皮とかじゃないぶん、逆に何で出来てるか不安になるぞ。大丈夫なのか? 私みたいな庶民が触ったら、宇宙的云々抜きに神罰が下ったりする類いの代物じゃないだろうな!?

荘園で生まれ育った小市民的発想が頭の中をぐるぐる回り、錯乱する私を見てファイゲ卿はさも愉快そうに雄大な肩を振るわせた。

ああ、もう、一度驚きに襲われたなら、二つ三つと連鎖して驚きが突っ掛かってくるのは本当に何なんだ…………。

【Tips】依頼のものを手に入れるまでの紆余曲折を理由に、冒険者がクライアントに報酬の増額を迫るのはままあることである。そして、その結果刃傷沙汰に及ぶことに対し、サイコロを転がす者達は何ら抵抗を覚えない。