軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第8話 「早退令嬢の、ちょうどよかった」

早退の翌日から、取り巻きたちが減り始めた。

最初に来なくなったのは、一番付き合いの浅い令嬢だった。

朝、廊下でいつもの場所に立っていなかった。ただそれだけのことだった。特に何も言わずに来なくなった。

次の日、また一人いなくなった。

その次の日、また一人。

誰も何も言わなかった。謝罪もなく、説明もなく、ただ静かにいなくなっていった。フローラだけが数日間残っていたが、エリーゼに何かを言おうとするたびに言葉が出てこないようで、顔を伏せて通り過ぎることが続いた。そしてある朝、フローラも来なくなった。

廊下に、エリーゼ一人が残った。

(……全員、いなくなった)

思ったより静かだった。

怒涛のように人が消えていくと思っていたが、そうではなかった。一人ずつ、少しずつ、波が引くように。

気づいたときには、もう誰もいなかった。

孤立してから最初の数日は、視線が痛かった。

廊下を歩けば、生徒たちが振り返った。哀れむような目、面白がるような目、意外そうな目。いくつかの種類が混ざって、全部こちらに向いた。

リナ側の令嬢たちが廊下の向こうで囁いていた。

「あれだけのことをしてきて、今さら」

「何か企んでるんじゃないの」

聞こえていないふりをして歩き続けた。

食堂では一人で席に座った。いつもなら取り巻きたちが周りを囲んでいた。今日は誰もいない。

クロード殿下と目が合いそうになって、殿下の方が先に目を逸らした。

(……そうか)

特に何も思わなかった。怒りも、悲しみも来なかった。ただ、そうか、とだけ思った。

数日後、授業で隣の席の生徒が問題につまずいていた。

エリーゼは小声で答えを教えた。

「え……いいんですか」

生徒が目を丸くした。

(……普通のことをしているだけなのに)

少し、困った。驚かれると思っていなかった。それだけ、今まで「普通のこと」を何もしてこなかったということだ。

「別に」

そう言って、前を向いた。

廊下を一人で歩いた。誰もいない分、周りの音がよく聞こえた。風が窓の外を通り抜ける音。遠くの教室から漏れる話し声。自分の足音。

(……静かで、悪くない)

思っていたより怖くなかった。むしろ少し、楽だった。

誰かの期待に応えなくていい。誰かのために正しく笑わなくていい。誰かの隣で完璧でいなくていい。

その「しなくていい」が、こんなにたくさんあったのかと、孤立して初めて気がついた。

(……自由だ)

小さく、でもはっきりと、そう思った。

孤立は孤立だった。寂しくないとは言わない。でも同時に、十七年間感じたことのなかった軽さが、そこにあった。

誰かのためではなく、ただ自分として歩いている。

それだけのことが、こんなにも違うものなのかと思った。

孤立して数日が過ぎた頃、クロード殿下に呼び出された。

応接室で向かい合うと、殿下は真剣な顔で言った。

「エリーゼ、改めて正式に伝える」

一度、息を吸った。

「リナへのこれまでの行いを鑑みて、婚約を解消させていただきたい」

用意していた言葉を告げた顔だった。正義の側に立って、悪を裁く。そのつもりの顔だった。

エリーゼは静かに聞いた。聞き終えてから、ゆっくりと口を開いた。

「……一つだけ、聞いてもいいですか」

「なんだ」

「私がこの五年間、殿下の婚約者としてやってきたことは、殿下の目にはどう映っていましたか」

殿下が少し、黙った。

「……リナへの振る舞いは、褒められたものではなかったと思っている」

「そうですね」

エリーゼは静かに言った。

「でも、私は殿下のためにやっていたつもりでした。殿下が王族として恥ずかしくないように。殿下の周りを、ふさわしい形に整えたくて。それが婚約者の役割だと思っていたので」

殿下が少し目を伏せた。

「……それが正しかったかどうかは、今はもうわかりません。ただ、そういうつもりでいたということだけ、知っておいていただけたら」

エリーゼはそれだけ言った。それから、一呼吸置いた。

「婚約破棄の件、承知いたしました」

殿下が少し身構えた。謝罪の言葉か、反論か、泣き崩れるか。そのどれかを待っている目だった。

「私からも、そうお願いしようと思っておりましたので」

一拍、間があった。

「ちょうどよかったです」

殿下が固まった。

「……ちょうどよかった?」

「はい。ちょうどよかったです」

二回繰り返した。

殿下が何か言おうとした。でも言葉が出てこないようだった。用意していた正義が、どこかへ消えていた。エリーゼの言葉を受け取る準備が、どこにも見当たらなかった。

エリーゼはお辞儀をして、部屋を出た。

(……これで全部、終わった)

廊下に出ると、窓の外の空が広かった。曇ってはいたが、不思議と重くは感じなかった。

応接室の中で、殿下がしばらく動けなかった。

「ちょうどよかった」という言葉だけが、空っぽになった部屋に残った。

両親が帰ってきたのは、その夜のことだった。

玄関で父の顔を見た瞬間、すでに話が届いていると分かった。そういう顔だった。

夕食の席に三人が揃った。使用人たちが料理を並べて、静かに下がっていった。

父が口を開いた。

「エリーゼ。学園から正式な書状が届いていた。婚約解消の通達も、今日受け取った」

低く、平らな声だった。

「殿下から婚約解消を申し入れられるなど、前代未聞だぞ。ヴァルドラン家が一体どれだけの恥を」

母が続けた。

「あなた、一体何をしたの。取り巻きの令嬢たちの家からも連絡が来ていますよ。大広間で突然あんな真似をして」

「今すぐ殿下にお詫びを入れなければ。まだ間に合うかもしれない」

「あなたがちゃんとしていれば、こんなことには——」

エリーゼはカトラリーを置いた。

「……もう、結構です」

両親が、止まった。

「なんだと」

父が低い声で言った。

「結構です、と申しました」

父が立ち上がった。

「エリーゼ、今何と言った」

「聞こえていたはずです」

母が

「この子は……!」

と声を上げた。

「ヴァルドラン家の令嬢として、あなたには殿下のために——」

エリーゼは顔を上げた。父と母を、まっすぐ見た。

怒っていなかった。泣いていなかった。ただ静かに、真っ直ぐ前を向いていた。

その目を見て、父が言葉を止めた。母も、途中で口を閉じた。

エリーゼが今まで一度も見せたことのない目だった。

責めていない。怒っていない。ただ静かに、もう決まっている目。

誰も何も言えなかった。

「ご馳走様でした」

エリーゼはお辞儀をして、席を立った。

自室に戻った。

ベッドに腰かけ、窓の外を見た。

婚約が終わった。五年間続いたものが、今日終わった。

両親に怒られた。夕食が途中で終わった。が、

(……思ったより、何も感じない)

悲しいとか、悔しいとか、そういうものが来ると思っていた。でも来なかった。

疲れ果てると、感情の置き場所すらわからなくなる。

ただ一つだけ、はっきりしていることがあった。

扇を持たなくていい。令嬢らしい笑い方をしなくていい。殿下の婚約者として振る舞わなくていい。

(……もう、しなくていいんだ)

その一点だけが、じわりと温かかった。

窓の外の月を見ていたら、五歳の頃のことをふと思い出した。

泥だらけの手。走り回った庭。笑い声。「また来る」という言葉。

あの頃は、ただ笑っていた。作った笑い方じゃなかった。ただ、楽しくて、笑っていた。

(……またあんなふうに、笑える日が来るんだろうか)

わからなかった。でも、わからないままでいい気がした。

翌日の放課後、廊下の端を一人で歩いていたとき、後ろから声が聞こえた。

上級生の令嬢たちが、誰かの話をしていた。

「明日から転校生が来るって聞いた?」

「転校生? この時期に?」

「ヴァイセンベルク公爵家の嫡男だって。公爵家よ、公爵家。どうして今さら王立学園に」

エリーゼは足を止めなかった。そのまま歩き続けた。

ヴァイセンベルク家。北方の辺境を治める武家気質の名門公爵家。聞いたことはあった。でも、それ以上のことは知らなかった。

(……転校生、か)

特に何も思わなかった。

ただ、後ろで令嬢たちの声が続いていた。

「銀髪で、格好いいって噂よ」

「でも誰にも振り向かないらしいわよ」

「まあ、公爵家のお方だもの。当然でしょう」

声が遠ざかっていった。

エリーゼは廊下の先の窓を見た。夕暮れの光が差し込んでいた。

橙色の、温かい光だった。

(……明日から、か)

それだけ思って、また歩き出した。

今は、それだけで十分だった。