軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第38話 「早退令嬢と、卒業パーティー」

卒業パーティーの会場は、いつもより明るかった。

シャンデリアの光が、ホール全体を照らしていた。ドレスを纏った令嬢たちが笑い、令息たちが話していた。卒業という節目を祝う声が、あちらこちらで上がっていた。

リナは、その端に立っていた。

グラスを手に持って、ホールを見渡した。

隣に立っていた令嬢が、「リナ様、あちらに友人がいるので失礼いたします」と言って離れていった。

少し前にいた別の令嬢も、「婚約者が待っているので」と先に行ってしまった。

また、一人になった。

(……やっぱり、こうなるか)

予想していた。全部を取り返すことはできない。一学期のあの大広間で全部が暴かれてから、積み上げ直してきたものはあった。でも、それは以前と同じものではなかった。ゼロから作り直したものだった。

それでいいと思っていた。

でも、こういう瞬間には、少しだけ寂しかった。

一学期末のパーティー。あのときも一人だった。

今は、隠すものが何もない。それだけ、違った。

ホールの中央では、何組かがダンスを始めている。

「リナ様」

声をかけてきたのは、エリーゼだった。

扇を持っていなかった。令嬢らしい気負いもなかった。ただ、自然な表情でそこに立っていた。

「私と話すときは、自然体で構いませんと伝えたつもりよ。エリーゼ」

前は、様をつけずに呼ぶなんてできなかった。でも今は、なぜかそれが自然だった。

「それでは、遠慮なく」

二人で、ホールの端に並んで立った。

「学園最後の日はどうだった?」

「まあ、こんなものかしら、と思っているわ。またひとりになったし」

「そう」

エリーゼが少し間を置いた。

「でも、前とは違う顔してる」

「そう見える?」

「うん。前は、どこかに力が入っていた。今は、それがない」

リナは少し考えた。

「……そうかもね。隠すものがなくなったから、かな」

「それは、いいことだと思う」

「ほんと、あなただけには、見抜かれちゃうわね」

「私も演技をしていたから、分かる部分があるだけ」

リナはエリーゼを見た。

この人も、変わった。一学期の頃とも、悪役令嬢と呼ばれていた頃とも、全然違った。どこか温かい、ゆとりのある顔をしていた。

「エリーゼも、いい顔してる」

「……そう?」

「うん。なんか、幸せそう」

エリーゼが少し笑った。照れているような顔だった。

「いろいろとあったけど。悪くないとは思ってる」

「ヴァイセンベルク様のこと?」

「……まあ、そういうことも含めて」

「よかったわね」

「ええ、ありがとう」

しばらく、二人でホールを眺めた。

「これから、どうするの」

リナが聞いた。

「家に戻って、それから先はまだ決まっていないけど。ゆっくり考えようと思ってる。やっと、自分のことを考えていい気がして」

「そっか」

「リナは?」

「家に戻って、出直す。あのペンダントのおかげで弁済も片付いたし。今度は、ちゃんと自分のものを積み上げていこうかなって」

「……強いね」

「そんなことはないわ。ただ、もうほかに選択肢がないだけ」

エリーゼが少しだけ笑った。

「それでも、強いと思う」

リナは少し間を置いた。

「……ありがとう。あの夜、話しかけてくれたこと。あれがなかったら、たぶん今の私はいなかった」

「お互い様よ」

「そうかな」

「うん。あなたがいなかったら、あの大広間は終わらなかった」

二人は、しばらく何も言わなかった。

ホールの音楽が、静かに流れていた。

「では、またいつか」

「ええ、また……」

エリーゼがそう言って、ホールの方へ歩いていった。

また、一人になった。

でも、さっきより少しだけ軽かった。

中央では、ダンスが続いていた。

リナはグラスを傾けながら、それを眺めた。

(……また、ここから始めればいい)

一学期に全部崩れた。でも、今日この卒業パーティーに自分の足で立っていられる。隠すものもなく、作った笑顔でもなく、ただここにいられる。それだけで、十分じゃないか。

また積み上げる。ゆっくりでいい。今度は、自分のものを。

そう決めたとき、横から声がかかった。

「リナ」

振り返ると、クロード殿下が立っていた。

側近を離れた場所に置いて、一人で来ていた。

「……殿下」

「一人か」

「ご覧の通りです」

クロードが少し間を置いた。

「一曲、どうだろうか」

リナはクロードを見た。真剣な顔だった。

「……お断りします」

「……そうか」

「一学期のことがありますから。殿下とご一緒するのは、まだ気が引けます」

クロードが少しの間、リナを見た。

「あのときの私は、何も見えていなかった。リナのことも、エリーゼのことも。証拠があっても信じなかった。それは間違いだった」

「……ええ、存じています」

「今のリナを見ていると、強い人だと思う。あの状況から、また立ち上がれる人間はそう多くない。そういう人と、正直に向き合いたいと思った」

リナはしばらく、クロードを見た。

(強いか……エリーゼも言っていたな)

「……また、あなたを騙すかもしれませんよ」

クロードが、少し目を細めた。

「次は、誰にも見抜けぬほど見事に騙してほしい」

リナは、一瞬だけ固まった。

それから、少し笑った。

「……本当に懲りないんですね、殿下は」

「そうかもしれない」

(次は、絶対に失敗しない……今の私は、あの頃とは違う)

リナはグラスをそっとテーブルに置いた。

クロードの手を、取った。

二人がホールの中央に向かう姿を、周りの生徒たちが目で追った。クロード殿下とあのリナが、という声が、ざわめきとなって広がっていった。シャンデリアの光の中で、二人はダンスを始めた。

リナの表情が、少しだけ柔らかかった。

エリーゼは、ホールの端からその光景を見ていた。

中央では、クロードとリナが踊っていた。周囲の生徒たちが次々と気づいて、静かなざわめきが広がっていた。クロード殿下の相手がリナだという驚きと、二人が並んでいる姿への視線が交差していた。

リナは、堂々としていた。一学期のあの頃のような作った笑顔ではなかった。少し緊張しているようにも見えたが、それでも前を向いていた。

(……よかった)

エリーゼは思った。

あの夜、廊下でリナに話しかけたとき、うまくいくかどうかわからなかった。でも、リナは動いてくれた。指示書を保管してくれた。録音を取ってくれた。最後に大広間で立ってくれた。

それがなければ、今日ここにいられなかったかもしれない。

「これでよかった気がする」

思わず、小さく声に出た。

「何を言っている」

隣から声がした。

ルーカスが、グラスを持って立っていた。少し遅れてきたらしかった。

「遅れてすまなかった」

「ううん。来てくれただけで」

ルーカスがエリーゼの隣に立った。ホールを見渡した。

「クロード殿下が踊っているな」

「うん。リナと」

「そうか」

二人で、しばらくホールを眺めた。

周囲の生徒たちが、ちらちらと二人の方を見始めていた。ルーカスとエリーゼが並んでいる。それだけで、小さなざわめきが広がっていった。

「……また注目されてる」

「俺は気にしない」

「知ってます」

エリーゼは少し笑った。

「俺たちも踊るか」

エリーゼはルーカスを見た。

「……踏まない?」

「踏まないように努力する」

「努力って言葉が気になる」

「安心しろ、大丈夫だ」

「……信じてみます」

エリーゼはルーカスの手を取った。

中央に出ると、周囲の視線がまた集まった。

でも、エリーゼにはそれが気にならなかった。

音楽が始まり、ルーカスの手が、エリーゼの腰に添えられた。もう一方の手が、エリーゼの手をしっかりと包んだ。

――踊り始めた。

(……一学期のあの頃)

記憶が、静かに浮かんだ。

クロード殿下のそばで、婚約者として立っていた頃。

求められたままに振る舞って、疲れ果てていた頃。

それでも毎朝、扇を持って廊下を歩いた頃。

中庭で早退した、あの朝のこと。

ルーカスが転校生として来た日のこと。別々のベンチで、初めて言葉を交わした日のこと。

ベンチが壊された日のことも。雪が降り始めた頃の図書室のことも。廊下でルーカスに名前を呼ばれたことも。泣いたことも。手を繋いで歩いたことも。

(いろいろな出来事があった)

全部が、ここに繋がっていた。

(……遠回りだったかもしれない)

でも、悪くなかった。全部があって、今日ここにいる。

「踏んでいないですね」

「当たり前だ」

「よかった」

「失礼だな」

「見直した」

エリーゼは少し笑いながら、ルーカスの肩に視線を向けた。

音楽が続いていた。シャンデリアの光が、二人の上に降っていた。

(……よかった)

早退して、キャラをやめて、よかった。

ダンスが終わり、二人は人気の少ない中庭に出た。

ホールの音楽が、扉越しに遠く聞こえた。中庭は、夜の静けさの中にあった。満開の桜が、風に揺れていた。

「やっぱり、ここは落ち着く」

エリーゼが言った。

「ああ」

「パーティーは賑やかでいいけれど、この静けさの方が好きかもしれない」

「そうだな」

ルーカスが、少し間を置いた。

「一つ、渡したいものがある」

エリーゼは振り返った。

ルーカスが、小さな箱を取り出した。

「開けてみろ」

エリーゼはそっと開けた。

細い銀の鎖に、深紅の宝石があしらわれたペンダントが入っていた。

「……これ」

「以前持っていたものとは違うが、似合いそうなものを選んだ。

あのペンダントは、お前が他人のために使った。だから、これは自分のために使ってほしい」

エリーゼはペンダントをしばらく見ていた。

あのペンダントは、リナに渡した。ルーカスが綺麗だなと言った、あのペンダント。それが今、新しいものになって戻ってきた。

胸の中に、温かいものが広がった。

「……ありがとう」

声が、少し滲んだ。今日は泣かないと思っていたのに、また目頭が熱くなった。

「それと」

ルーカスが続けた。

「後日、ヴァルドラン家に挨拶に伺うことは話した。だが、お前自身には確認していなかった」

エリーゼは顔を上げた。

ルーカスが、真剣な顔をしていた。

「認められれば、婚約者になる。

……俺はそうなりたい。エリーゼは、それでいいか」

エリーゼはしばらく、ルーカスを見ていた。

婚約者。その言葉が、今度は怖くなかった。以前の婚約とは、全然違った。あのときは、求められたからそうなった。今回は、違う。

胸の中が、温かくなった。いっぱいになった。

今まで、これほど嬉しいと思ったことがあっただろうか。演じていた頃にはなかった感情が、今日また溢れそうになっていた。

エリーゼは少し笑った。言葉にするより先に、体が動いた。

ルーカスに、そっと抱きついた。

ルーカスが一瞬だけ止まった。それから、エリーゼの背中に手を回した。

「……いいです」

エリーゼが言った。胸に顔を埋めたまま。声が、少し震えた。

「私の婚約者に、なってください」

ルーカスが、少しの間、何も言わなかった。

「……そうか」

言葉はそれだけだった。

けれど、優しい手が頭をそっとなでてくれた。

この温かさが、全部を言ってくれていた。

しばらくして、二人で夜空を見上げた。

月が出ていた。丸くて、明るかった。

中庭の桜が、月の光の中で白く輝いていた。花びらが一枚、風に乗って舞った。

エリーゼは、その景色をしばらく眺めた。

あのとき、これからどうなるかなんて、何もわかっていなかった。

でも今は、ここにいる。

横に、ルーカスがいる。

私は、悪役でも、誰かの都合のいいキャラでもない。ただの、エリーゼとして、ここに立っている。

もう、疲れていない。

(胸の奥が、静かに満たされていく感じがする……)

月が、静かに輝いていた。

それはとても、とても、綺麗だった。

――ようやく、そう思えた。