軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第34話 「早退令嬢を、忘れるわけがない」

二月に入った。

図書室での読書を終えて、二人で廊下を歩いていた。

夕方の廊下は静かだった。ほとんどの生徒は帰っていて、足音だけが石畳に響いた。

エリーゼは本を抱えながら歩いていた。旅する少女の表紙が手の中にあった。

「もうすぐ卒業ですね」

「ああ」

「なんだか、あっという間でした」

「そうだな」

しばらく、二人とも黙って歩いた。

エリーゼはふと、本の表紙を見た。

「この本、子どもの頃にも持っていたんです」

「そうなのか」

「途中まで読んでいたのですが、 母には不要と言われて取り上げられてしまって。ずっと続きが気になっていたんです。この学園の図書室で見つけたときは、懐かしくて……」

「この本を読んでいると、子どもの頃の記憶が少し戻ってくる気がして。とても、印象に残っている記憶があるんです」

「どんな記憶だ」

転校生が聞いた。

エリーゼは少し考えた。

「父の仕事の関係で、三日間だけ同い年の男の子がうちの屋敷に来たことがあって。一緒に庭で遊んで、それがとても楽しかった記憶があります」

「ふうん」

「銀色の髪の子でした。口数が少なくて。でもその分、話すときは本当のことしか言わない子で」

「そういう子もいるな」

どこか他人事のような、でも否定もしない返事だった。エリーゼは続けた。

「泥だらけになって遊んで、帰ってから親に怒られて。でも全然懲りなくて、また次の日も外に出て」

「楽しそうだな」

「とても楽しかったんです。でも四日目の朝に、急に帰ることになって。また来ると言って行ったきり、来なくて」

「そうか」

転校生の返事は、変わらなかった。落ち着いた、静かな声だった。

エリーゼは少し笑いながら続けた。

「子どもながら、ずっと気になっていたんです。あの子は今どこにいるのかなって」

「その子は、どういう子だったんだ」

「変わっていましたね。少し不機嫌になることがあって」

「何のときだ」

「私が敬語で話すと、嫌そうな顔をするんです」

転校生が、少し間を置いた。

「それは、距離を置かれている感じがしたからではないか」

エリーゼは少し止まった。

「……距離を置かれている感じですか」

「敬語は、壁になることがある。特に子どもにとっては」

エリーゼは転校生を見た。

なぜそこまで踏み込んで言えるのか、少し不思議だった。

「……それ、なんだかその子が言いそうなことです」

「そうか」

また、どこか他人事のような返事だった。

エリーゼは前を向いて歩き続けた。でも、頭の中に小さな引っかかりが生まれていた。

階段を降りながら、エリーゼはまた話し続けた。

「でも、なんで敬語がそこまで嫌だったのでしょうね。向こうも五歳か六歳だったのに」

「もっと、仲良くなりたいと思っていたからではないか」

「そういう表現は、言葉にしづらいものだ」

「そうですかね。確かに、思ったことをそのまま言う子でしたが、感情を表すのは苦手そうでした」

「……そういう性格は、大人になっても変わらないものだ」

エリーゼは少しだけ、足を遅くした。

大人になっても変わらない。

その言葉が、どこか自分のことを言っているような気がした。

「……あなたも、そういう性格ですよね」

「そうかもしれない」

転校生が静かに答えた。

エリーゼは転校生を見た。横顔だった。

(……なんで、さっきからこんなに話が合うんだろう)

引っかかりが、少し大きくなった。

廊下の角を曲がったとき、エリーゼはもう一度口を開いた。

「その子、名前を思い出せなくて。子どもの頃の記憶なので、顔もうろ覚えで」

「そうか」

「でも、話を聞いてもらえているうちに少し思い出してきました」

「確か……名前は、ルーカス、だったような気がして」

エリーゼは歩きながら、頭の中で繰り返した。

ルーカス。

(……ルーカスって、もしかして)

隣を見た。銀色の髪。口数が少ない。思ったことだけ言う。感情表現が苦手。

(すごく……すごく似ている)

今まで積み重なってきた返事が、一気に線になった。

エリーゼは少し足を遅くしながら、静かに口を開いた。

「……あの時の男の子って」

転校生が、足を止めた。

少しの沈黙があった。

振り返った転校生の顔に、いつもとは少し違う表情があった。口の端が、かすかに上がっていた。

「約束通り」

「また会いに来たぞ。エリーゼ」

静かな声だった。

エリーゼは少し開いた口を手で押さえながら、転校生を見ていた。頬が熱かった。目の縁が、少し滲んだ。でも泣かなかった。ただ、言葉が出なかった。

十二年間、ずっと覚えていてくれた。ずっと、約束を持っていた。

それだけのことが、胸の中にいっぱいになって、うまく言葉にできなかった。

しばらく沈黙が続いた後、転校生が口を開いた。

「気づくのが遅いぞ」

少しだけ、呆れたような声だった。

エリーゼは我に返った。

「……いつから、気づいていたんですか」

「学園に来た初日から、気づいていた」

エリーゼは驚いた。

「ずっと、言わなかったんですか」

「お前が気づくかどうか、見ていた」

エリーゼは少し転校生を見た。

「……意地悪ですね」

「こういうのは、言わない方がいいと思って」

「だから、思い出させるために私のそばにいたのですか」

ルーカスが下を向きながら短く返事した。

「ああ」

「あの三日間は、俺にとっても最高の思い出だった。忘れるわけがない」

エリーゼは少し目を伏せた。

あの三日間が、ルーカスにとっても特別だった。それがわかっただけで、十二年間の「また来る」を待っていた時間が、少し軽くなった気がした。

「だが、本当にずっと気が付かなかったのか?」

「……顔はそんなに変わっていないと思っていたが」

ルーカスが言った。

「だいぶ変わったと思いますよ。子どもの頃とは全然違います」

「そうか」

「エリーゼも変わったな。前よりもずっと」

少し間を置いた。

「……綺麗になった」

さらりと言った。何でもないことのように。

エリーゼはまた、固まった。

「……今、なんと」

「そのままの意味だ」

エリーゼは少し俯いた。頬がまた熱くなった。

「だが、わんぱくな性格は、変わっていないな」

「え?」

「突拍子もないことをしたかと思えば、大事なことに全然気づかない。あの頃からそうだった」

エリーゼは顔を上げた。

「……それは私のことですか」

「ああ」

「失礼な……」

「事実だ」

ルーカスが、また少しだけ笑った。

エリーゼも、笑った。

廊下の窓から、冬の最後の光が差し込んでいた。二人の影が、石畳に並んで伸びていた。