軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第29話 「早退令嬢と、大広間①」

転校生のルーカス・ヴァイセンベルクは、引き出しから記録の束を取り出した。

一枚ずつ確認した。全部、揃っている。

制服を整えて、部屋を出た。

大広間に向かいながら、頭の中でもう一度整理した。書状の現物。私的な手紙の文面。複数の証言。それぞれの日付と状況。一つひとつは反論の余地があるかもしれない。でも、全部が同じ人間を指している。並べれば、誰の目にも明らかになるはずだった。

そのはずだった。

大広間に入ると、イザドラが令嬢たちと話していた。

ルーカスが入ってきたのを見て、イザドラが笑顔を向けた。

「あら、ヴァイセンベルク様。どうされたのかしら」

「少し、話がある」

ルーカスが言った。広間全体に向けた声だった。周囲の生徒たちが、動きを止めた。

「皆の前で話したいことがある。イザドラ・カーレン嬢について」

広間が静まった。

ルーカスは記録の束を手に持ったまま、広間の中央に立った。

イザドラの笑顔が、少しだけ変わった。消えたわけではなかった。でも、その奥に何かが混じった。

「今学期、この学園でいくつかの出来事があった」

感情を乗せない、静かな声で言った。

「遠方の令嬢に偽の書状が届き、長年の友人関係が一夜で壊れた件。複数の令嬢が茶会の内容を外に漏らされ、人間関係を失った件。慈善活動の取りまとめ役を担ってきた令嬢に、根拠のない噂を流された件」

一つひとつ、丁寧に並べた。

「これらについて、状況証拠と複数の証言を集めた。全部が同じ方向を向いている」

書状の現物を取り出した。

「偽の書状の筆跡は、イザドラ嬢の字と酷似している。さらに、イザドラ嬢が取り巻きに送った私的な手紙には、被害を受けた令嬢を困らせる予定だという文面がある。日付は、令嬢が孤立し始めた時期と一致している」

広間がざわめいた。知っていた者は確認するように。知らなかった者は驚いたように。生徒たちが顔を見合わせた。

ルーカスは続けた。

「複数の令嬢から、直接話を聞いた。全員が同じ手口を語った。その構図が、繰り返されている」

広間の空気が、重くなった。

イザドラが、一歩前に出た。

笑顔だった。でも今度は、楽しそうというより、迎え撃つ顔だった。

「ヴァイセンベルク様、少しよろしいかしら」

穏やかな声だった。

「筆跡が似ているというだけで、私が書いたという証明にはならないわよね。専門家が鑑定したわけでもないでしょう」

「……」

「それに、お手紙の文面について。困らせる予定、というのは別のことを指していたの。誤解させてしまったなら申し訳ないけれど」

小さく肩をすくめた。

「学園の行事のことで、少し驚かせる演出の話をしていただけよ。まさかこんな風に受け取られるなんて思わなかったですわ」

イザドラが広間を見渡した。

「証言についても、今ここにその方々はいらっしゃるの? 直接お話を聞かせていただけないと、一方的な話になってしまうわね。ヴァイセンベルク様が誰かから聞いたお話を、そのまま広間で話されても……困ってしまうわ」

困った顔をした。被害者のような顔だった。

取り巻きの令嬢が声を上げた。

「そうですわ。証言者も出てこないのに」

「筆跡が似ているだけで決めつけるなんて」

「ヴァイセンベルク様も、何かの勘違いをされているのではないかしら」

場の空気が、少しずつ動いた。

ルーカスは書状を手に持ったまま、次の言葉を探した。

筆跡については断言できない。それはわかっていた。私的な手紙の文面も、イザドラが別の意味だったと言い逃れれば、否定しきれない。証言者を守るため、この場に連れてきていない。一つひとつの証拠は重いはずだった。でも、イザドラはその隙間を正確に突いてきた。

「筆跡の鑑定は、専門家に依頼することができる」

「ぜひそうしていただけると嬉しいわ。それまでは、決めつけるのは早いんじゃないかしら」

イザドラがにっこりと笑った。

(……場が、流れている)

ルーカスは感じた。証拠は揃っているはずだった。でも、イザドラの言葉一つひとつが、場の空気を動かしていた。広間の生徒たちが、どちらを信じればいいのかわからない顔をし始めていた。

証言者がいれば。決定打になる何かが一つあれば、この場を押し切れた。でも今この瞬間、その手がない。

(……詰め切れない)

歯がゆかった。証拠は揃えた。イザドラが何をしてきたかは、わかっている。なのに、この場では言葉が届かない。イザドラの方が、この場の使い方を知っていた。

ルーカスが次の言葉を探している間にも、取り巻きたちの声が続いていた。広間のざわめきが大きくなっていた。

そのとき、大広間の扉が開いた。

音は大きくなかった。でも、なぜか広間の全員が、その方向を向いた。

エリーゼ・ヴァルドランが、立っていた。

扇を持っていた。髪も、服も、きちんと整えていた。一学期に悪役令嬢として大広間に立っていたころの、あの風格がそこにあった。婚約を解消されて、孤立して、静かに学園の端を歩いていたその令嬢が、今日は違った。

広間が、しんと静まった。

エリーゼは広間の中央に向かって、真っ直ぐ歩いてきた。誰かが、小さく息を呑む音がした。

ルーカスの隣に立った。ルーカスを一度だけ見た。

「続きは、私が」

静かな声だった。でも、よく通った。広間の端まで、はっきり届いた。

ルーカスは何も言わなかった。一歩、横に退いた。

イザドラの目が、細くなった。笑顔のままだったが、その奥に、初めて何か別のものが混じった。

エリーゼがイザドラを見た。

感情のない目だった。怒りでも、憐れみでもなかった。ただ、事実を見るような目だった。

一学期のあの大広間を、エリーゼは思い出していた。

あのとき、自分は早退した。だが今日は、降りない。