軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第24話 「早退令嬢と、予期せぬ取り巻き」

その日の昼、廊下が急に騒がしくなった。

エリーゼは人の流れに沿って、足を止めた。

廊下の中央で、イザドラが立っていた。その前に、一人の生徒が蒼白な顔でしゃがんでいた。荷物を抱えて廊下を歩いていたところ、社交実習から戻る途中のイザドラにぶつかってしまったらしかった。

「……本当に、申し訳ございません」

生徒が頭を下げていた。何度も頭を下げていた。

イザドラは笑っていた。

「ねえ、謝るだけでいいと思っているの?」

穏やかな声だった。でも、周囲に集まった生徒たちが静まり返った。

「このドレス、どれだけするか知っているかしら。謝るだけで済む話じゃないわよね」

生徒がさらに頭を低くした。

次の瞬間、イザドラが隣の取り巻きから受け取った飲み物を傾けた。

お茶が、生徒の頭から流れ落ちた。

廊下が、しんと静まった。

誰も声を上げなかった。誰も止めなかった。止められなかった。

生徒がしゃがんだまま、動けずにいた。お茶が制服を伝って床に落ちた。

「これでおあいこね」

イザドラが言った。笑顔のままだった。取り巻きの令嬢たちが、それに倣うように笑った。

廊下を歩き去った。

残された生徒は、しばらく動けなかった。近くにいた友人らしき生徒が駆け寄って、肩を抱いた。

エリーゼは人の輪の端から、その一部始終を見ていた。

(……さすがに、度が過ぎる)

言葉が、思わず口から出た。誰に言ったわけでもない、ただの呟きだった。

隣にいた生徒が、エリーゼの方をちらりと見た。でも何も言わなかった。

エリーゼも何も言わなかった。ただ、その場に少しだけ立ち尽くしてから、廊下を歩き始めた。

翌日の中庭は、いつも通り静かだった。

壊されていたベンチは、新しいものに替わっていた。打診しておくと言った通りだった。

エリーゼが先にベンチに座って本を開いていると、転校生が来た。

しばらく読んでから、転校生がふと顔を上げた。

「今日はあのペンダントをしてきていないのか」

エリーゼは少し止まった。

「……気づきましたか」

「いつもしていたから」

エリーゼは胸元に手をやった。細い銀の鎖の感触が、もうそこにはなかった。

「あのペンダントは、もうつけることはないと思います」

転校生がエリーゼを見た。

「両親と、何かあったのか」

「いいえ」

エリーゼは少し首を振った。

「両親とは、何もありません。ただ、あのペンダントは手放すことにしました。それだけです」

転校生はしばらくエリーゼを見ていた。何かを言おうとするような間があった。でも、何も言わなかった。

「……そうか」

それだけだった。

エリーゼは本に視線を戻した。転校生も本に戻った。

(……うまくいくといいけど)

胸元に何もない感触が、少しだけ寂しかった。でも、役立てる場所が見つかった。それでいい、と思った。

風が吹いた。木の葉が揺れた。

また標的がエリーゼに向いた。

中庭に向かうと、いつものベンチにイザドラと取り巻きの令嬢たちが座っていた。賑やかに話していた。エリーゼのベンチが、占領されている。

エリーゼは入口でしばらく立っていた。

(……どうしよう)

もう一つのベンチを見た。転校生がいつも座っている方のベンチが、空いていた。

その瞬間、先日のことが頭をよぎった。ベンチが壊されていた日に、転校生の隣に並んで座ったこと。思ったより距離が近かったこと。思ったより落ち着いてしまっていたこと。

(……あの感じは、少し)

(……今日は図書室にしよう)

エリーゼは踵を返した。少しだけ早足で、中庭の入口を出た。

なんとなく、今日はあのベンチに座る気分ではなかった。理由は、うまく言葉にできなかった。

しばらくして、転校生が中庭に来た。

エリーゼのベンチを見た。イザドラたちが座っていた。それから、自分のベンチを見た。

何も言わず、いつものベンチに座わり、本を開いた。

静かに読んでいた。イザドラたちの声が遠くに聞こえていた。

しばらくして、転校生が本を閉じた。立ち上がった。

「ヴァイセンベルク様、今日はいつもよりお早いのですね」

イザドラが声をかけた。

転校生はイザドラを一度だけ見た。

「今日は用事があるので」

「まあ、残念ですわ。またゆっくりお話しできたらと思っていたのに」

それから転校生は、何も言わずに中庭を出ていった。

その背中を、イザドラは細められた瞳で見つめていた。

頬の笑みは張り付いたままだが、膝の上で握り込まれた指先が、白くなるほど強くスカートを掴んでいる。

「……ふふ、お忙しいのね」

冷たい声で呟くと、彼女は隣にいた取り巻きに冷たい視線を投げた。

「さあ、私たちも行きましょう。空気が冷えてきたわ」

図書室に、エリーゼはいた。

いつもの席に座って、本を開いていた。

周りには生徒が何人かいた。中庭より、人は多かった。ページをめくる音がした。誰かが小声で話していた。静かではあったが、中庭の静けさとは種類が違った。

(……なんだろう)

エリーゼはページを読みながら、少しだけ考えた。

中庭にいるときと、今とで、何かが違う。人の多さではなかった。静かさの問題でもなかった。

(……いつもより、少し寂しいな)

そう思った。自分でも少し意外だった。一人で過ごすことには、ずっと慣れていた。でも今日は、その一人が、少し違う種類の一人に感じられた。

旅する少女が、最後の国の最後の道を歩いていた。

エリーゼはその一行を、ゆっくり読んだ。

翌日、廊下を歩く生徒たちが、食堂の入口の前で次々と足を止めた。

最初に立ち止まった生徒が、隣の友人の袖を引いた。それを見た後ろの生徒も足を止めた。気づけば、廊下の流れが完全に止まっていた。

イザドラが令嬢たちに囲まれて、いつものように笑っていた。

でも今日は、その輪の中にいつもと違う人物がいた。

輪の後ろに、一人、立っていた。

リナだった。

あの一学期末の大広間で、全てが暴かれたリナが。証言者を並べられ、でっちあげだと叫んでも届かなかったリナが。休み明けからずっと学園の隅で影を潜めていたリナが。

今日は、イザドラの輪の中に立っていた。

廊下が、しんと静まった。

誰かが息を呑む音がした。

「……リナさん?」

誰かが呟いた。確かめるような、信じられないような声だった。

「イザドラ様の取り巻きに……?」

「あの人が?」

「本当に?」

ざわめきが広がった。一気に、波のように。

「信じられない」

誰かが、低い声で言った。

「落ちるところまで落ちたんだな」

責めているわけでも、嘲っているわけでもない声だった。ただ、事実を確認するような、静かな一言だった。その言葉が、廊下に広がって、また別の誰かの口から繰り返された。

廊下の流れが止まったまま、皆がその光景を見ていた。

イザドラは相変わらず笑っていた。周囲の視線を知ってか知らずか、取り巻きたちと話し続けていた。その笑顔が、どこか得意げだった。

リナはその後ろで、表情を保ったまま、前を向いていた。どこを見ているのかは、わからなかった。

エリーゼは廊下の端から、その様子をしばらく見ていた。

ざわめきが続いていた。生徒たちが足を止めたまま、口々に話していた。

エリーゼは少しだけその方向を見た。

それから、視線を前に戻した。

本の続きを読もうと思っていた。