作品タイトル不明
792:鎖されたもの
この時の綻びというエリアは、移動する分にはそれほど困る場所ではない。
木々の生えていない道がはっきりしていて、その間を進んでいくだけならば道を見失うことは無いからだ。
逆に、それ以外のエリアはかなり木が密集して生えているため、進むことは困難だろう。
入れないことは無いだろうが、正直自由に戦うことはできないと思われる。
俺ですらそうなのだから、体のでかいセイランやシリウスは尚更だろう。
「……いちいち足止めを喰らうのが厄介なところだな」
「一度戦闘になると長いですね、これは」
どれだけ斬っても何の素材も落とさず、煙となって消える鎖された蟲。
強さ、経験値量、共に申し分ないため、ドロップアイテムが無い点を除けばよい敵であると言えるだろう。
だが、そこにはどうしても、あの強烈な嫌悪感が立ちはだかる。
効率の良い敵であると分かっていても、怖気の走るあの感覚を味わいたいとは思えなかった。
先ほどの初遭遇からしばし、もう一度だけ遭遇して戦闘になったのだが、そこでもまた長時間の戦いを強いられることとなったのだ。
「経験値が入るのはいいんだがな」
「ドロップアイテムを一切落とさないところも不気味というかなんというか。お金は気にしてないからいいけど、完全に赤字よね」
「そうだな。正直、理由もなしに戦いたい相手じゃない」
これなら、アルフィニールの悪魔の大集団を相手にしていた方がマシだと言える。
無数に群がってくる性質は変わらないが、あちらはまだ戦いやすい相手だったのだ。
とはいえ、スキルレベルが上がること自体は喜ばしいことであるし、そこは素直に喜んでおくべきだが。
(如何せん、情報が少ない。分かっていることはルミナの御伽噺と、あいつらの名前だけだ)
『鎖された蟲』という共通名称と、ルミナの話の中にあった怪物の存在。
恐らく、その怪物こそが『鎖された蟲』なのだろう。
鎖されたと形容されているということは、この時の綻びに収監だか封印されているとも考えられる。
推定、蟲の魔物。それも、このような大掛かりな専用エリアに封印されるほどの。それは果たして、どれほどの怪物なのか。
詳細を聞きたいところではあるが、生憎と事情を知っていそうな時空の精霊はまともに会話ができる相手ではない。
何ともやり辛い状況だが、それでもあの砂時計を探し出さなければ何も分からないままだろう。
「ルミナ、精霊の痕跡は見つけられたか?」
「少し離れていますが、魔力の気配は感じ取れました。そこから辿れば、恐らくは見つかると思います」
「重畳、当てもなく彷徨う羽目にはならなくて済みそうだな」
このままフラフラと内部を彷徨った場合、思いがけず『鎖された蟲』の本体に遭遇してしまう可能性もゼロではない。
その本体が今どんな状況なのかは全く分からないが、少なくとも何の情報もないままに遭遇したい相手ではないだろう。
そのような危険な化け物を封じている場所に招き入れた時空の精霊は、果たして何を考えているのか。
悪意はなかったらしいが、そもそも感情らしい感情があるのかどうかも不明である。
「……この辺りには、蟲はいなさそうだな」
「ええ、私も感知してないわ。一度遭遇すると、周囲の個体は全部巻き込んでリンクするみたいね」
「殺意高いですよねぇ」
「殺意ねぇ……」
蟲というだけあり、やつらはどこか機械的な印象を受ける。
本体から何かしらの命令が下されているのか、或いはそういう風に刷り込まれている存在なのか――何にせよ、あの蟲達からは直接的な意思を感じ取ることはできない。
だが、こちらを害そうという殺意だけは確かだったのだ。
その意識は、決してこちらに対する憎悪から生まれるものではなく、もっと本能的なもの。
言ってしまえば、飢えた獣がこちらに向けてくる感情に近いものだと考えていた。
その時点で、理解はおろか意思疎通すら不可能だろうと思われる。
(正体は不明だが、確実に敵だと考えておいた方がいいだろうな)
気配には常に注意しつつ足を進め――ぴたりと、ルミナが足を止める。
どうやら、目的の場所まで到達できたようだ。
「ここです。どうやら、転移を繰り返しながら移動しているようですね」
「時空の精霊の通常移動手段……ってわけじゃないんだな?」
「はい。転移には少なくない魔力を使います。流石に、普通に移動するだけでその量を消費するのは不自然かと」
であれば、理由は単純で、あの蟲達を避けて通るための手段なのだろう。
転移しながらの移動であれば、たとえあの蟲達に捕捉されたとしても、すぐさま逃げることができる。
こちらは徒歩でしか移動できないというのに、何ともいい御身分なものだ。
まあ、あの蟲達に群がられたら精霊とて無事では済まないだろうし、致し方のない話ではあるのだろうが。
「精霊にとっても、あの蟲は危険……だと見ていいんだよな?」
「はい。私も攻撃されていますし、時空の精霊だけその例から外れるということはないと思います。この場を管理している彼らでさえ、あれらは制御不可能ではないかと」
「そうだろうな。道理が通じる相手には思えん」
であれば、時空の精霊は大層苦労していることだろう。
あの制御不能と思われる怪物の群れを、この場に封じ込め続けなければならないのだから。
尤も、彼らが本当にそのような仕事をしているのかどうかは知らないのだが。
「とにかく、精霊の行方を追うぞ。できるだけ、奴らには見つからんようにな」
「先生にしては珍しいですね。戦いを避けるなんて」
「分かってて言ってるだろ。実入りの以前に、奴らとは関わりたくない」
あの嫌悪感、本能から湧き上がるような怖気。
強制的に冷静さを失わせるあの性質は、俺にとっては大層不愉快なものであった。
目を合わせないようにすることでしか避けられないため戦いづらいし、存在そのものが不快であると言える。
周囲の気配に加えて精霊の気配も探りながら、次なるポイントへと向けて足を進めた。
天気は良く、風も穏やかで、過ごしやすい気候。空に見えている光が果たして太陽なのかどうかすらも分からないが、こうして見る分には非常に居心地の良い空間だ。
しかし、そこに巣食っているのがあの害虫の群れとなると、途端に地獄のような場所に早変わりである。
(あの精霊、俺たちを餌場に放り込んだわけでは――ないと思うんだがな。全く分からん)
そもそも価値基準からして人間とは全く異なっていそうな砂時計である。
女神の側の勢力とはいえ、どこまで信用したものかは全く分からなかった。
ともあれ、あの蟲の気配は極力避けながら森の中を進み――少しずつ近くなる、魔力の気配へと接近する。
その場所にあったのは、このエリアに入ってきた時と同じような、洞のある巨木である。
その周囲をくるくると回転しながら飛んでいた精霊は、俺たちの姿を認めたのかぴたりと動きを止めた。
「ここに放り込んだだけかとも思ったが……俺たちが辿り着くのを待っていたのか?」
「そのようですね。具体的な話までは分かりませんが、歓迎しているようではあります」
「期待はされていたってわけか。結局、よく分からん精霊だな。やはり具体的な意思疎通はできないのか?」
「はい。簡単な感情だけで、言葉を介した交信は不可能です」
このくるくると回る車輪の砂時計、どこまで信用したものか分からない。
だが、俺たちがここに辿り着いたことを好意的に捉えているのなら、少なくとも敵ではない――筈だ。
何にせよ、到着を期待していたというのなら、その先に何か用事がある筈だろう。
「それで、ここまで来た俺たちに何をさせるつもりなんだ?」
俺の言葉にか、或いはそれを伝えたルミナに対してか。どちらかは不明だが、時空の精霊は確かに反応を示し、再び巨木の中へと姿を消した。
そして、ここに入ってきた時と同じように、大きく開いた洞の内側に転移のための門が形成される。
入口か、出口か。その行き先は不明だが、時空の精霊は確かに俺たちを案内しようとしていた。
「またこれってわけか。元の世界に戻るのか、更に別の空間に飛ばされるのか……」
「とりあえず、行ってみるしかないっぽいですかね」
行き先は不明だが、あの蟲達がいるエリアよりはマシであると信じたい。
再びわけの分からない場所に放り出されることも視野に入れつつ、俺たちはスクロールを発動する準備を整えながら洞の中へと足を踏み出し――瞬間、目に入った光景に、思わず眼を見開いていた。
「……!」
天を衝くほどの、巨大な一本の樹木。
太陽の光を浴びる巨木は、魔力を帯びて薄っすらと輝き、その光を周囲に降り注がせている。
そして、大きく葉を広げるその木の根元には、地面に横たわる巨大な龍の姿。
これまでには見たことのない、あまりにも幻想的に過ぎるその光景に、俺たちはしばし言葉を失っていた。