軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

コミカライズ開始&書籍2巻発売記念/冥府の元王女-⑤

ぽっかりと丸く開いたドアからガイルの家に入る。

藁など繊維質な植物を泥で固めたような壁だ。全体的に土の香りが強いが、不思議と嫌な感じはしない。

(まるで鳥の巣だわ。床が抜けたらどうしましょう)

壁に触れながらこわごわと先に進むとキッチンやテーブルといった見慣れた空間が現れる。

ちょこんと座るのが好きなガーゴイル族とあって、すべてが小ぶりだが。

「飲み物を出すわね」

「紅茶かシードルをお願い」

「あいにく魔牛の血かホットワインしかないの。どちらがお好み?」

「……では結構よ」

自分用のワインを持ったガイルの妻は、椅子に飛び乗るとアクアマリンに軽く頭を下げた。

「挨拶が遅くなったわね。ガイルの妻のイリザよ」

「アクアマリンよ。ガイルにはいろいろとお世話になっているわ」

「貴女のことは聞いているわ。人間の部下ができるのは初めてだと言って、書庫で人間の生態について調べていたわ」

イリザは当時のことを思い出したのか微笑みを浮かべたが、すぐに影を落とす。

「主人は愛想こそないけれど、仕事に忠実で頑固な性格よ。魔王陛下を攻撃するわけがない。……いいえ、攻撃してしまったことは事実のようだけれど、そんなことをするはずがないの。貴女がここに来たのはその件なのよね?」

アクアマリンは頷いた。

「わたくしもガイルは無実だと信じているわ。三日以内に証明できれば釈放すると魔王様は約束してくれた。何でもいいから情報が欲しいの」

「……こうなったときに、助けに来てくれるのが魔族ではなく人間だなんてね」

「ガイルはたくさんの部下に慕われているわよ」

「そうかもしれないけれど……結局、魔族は弱肉強食で魔王陛下が絶対なの。主人をかばうことは陛下に楯突くことと同じだし、主人が失脚して喜んでいる者もいるはずよ。こうして行動に出てくれる魔物はいないわ」

「……」

(魔族は魔族なりに苦労があるのね)

弱肉強食の枠組みから外れることがそんなにもいけないことなのだろうか。アクアマリンにはよくわからなかった。

そりゃあ強い者に楯突いて殴り返されることはあるだろう。でも力がないなら頭を使えばいい。金を使えばいい。欲しいものがあるなら自分が持っているあらゆるものを使ってでも手に入れるべきなのに。

イリザは深い溜息を漏らす。

「主人はいきなり性格が変わったようになって陛下を襲ったと聞いたわ。実は、ここ数か月ほど主人は体調が優れなかったの。誰かが毒を持ったんじゃないかと、あたしはそう思っているわ」

「そうなの? 気がつかなかったわ」

「仕事中は緊張感があるから平気だったみたいだけど、家に帰るとぐったりして横になっていたわ。顔色は悪いし食欲も無いと言って……。だけど大好きなお酒だけは呑みたいからと、ふらつきながらバーに行く始末で。今更だけど、あのとき身辺を確認して家にいるように言えばよかったわ……」

「毒を盛られる心当たりはあるの?」

「門番をしているから、いきなり訪ねてきた魔物を追い返す仕事もあるでしょう。逆恨みされたんじゃないかしら」

アクアマリンは顎に手を当てる。

逆恨みされることはあり得るが、最近はどちらかと言うと自分のほうが厳しく追い返しているので、ガイルに矛先が行くものだろうか? 圧倒的に人間である自分のほうが弱いのに。

(毒を盛られた、ねえ……)

毒という言葉を耳にすると嫌でも姉のことを思い出してしまう。

(……お姉さまだったら、この事件をすぐに解決できたのかしら?)

姉から吸い取った強大な力はほとんど残っていない。ものを浄化することはできないし、直接体内に取り込みでもしない限り毒物を判別することもできない。

今の自分に残っているのはこれも僅かな模倣の力だけ。

ベルハイムとラングレーで起きた事件の数々は、もう遠い日のように感じられた。

(……お姉さまのことを考えるのはよしましょう。ろくなことにならないわ)

自分が姉に抱いている感情がいびつなものであることは、アクアマリンも気づいている。

この気持ちには蓋をしておくことが正解なのだと、もうわかっていた。

「イリザ。他に心当たりはない?」

「うちでの生活はずっと変わらないし……交友関係が変わったという話も聞いてないわ。捕まってすぐ主人に面会したのだけど、あの人も憔悴しちゃって、何も心当たりはないと言ってた。仕事でないならば、あたしに言っていないだけで、行きつけのバーの方で実はなにかあったのかもしれないけど……」

「可能性があることはどんどん調べましょう。店の名前と場所を教えてくれる?」

「海羊亭。冥海のすぐ目の前にある店よ」

「行ってみるわ」

アクアマリンがそう言うと、イリザは椅子からぴょんと飛び降りた。

「あたしも一緒に行くわ。背中に乗って」

「…………できれば歩いていきたいのだけど」

「人間の足だと二日はかかるわね」

「…………」

正直に言うとガーゴイルの背中は乗り心地がとても悪い。背骨が当たって痛いし、小回りがきくせいで内蔵がたびたびヒュッと浮かぶのだ。

抵抗感しかないが、すべてはガイルを助けるため。

アクアマリンは腹を決めて再びイリザの背中に乗ると冥府の海――冥海を目指した。

真っ暗な海が近づくにつれて寒さが増す。ぽつぽつと裏寂しげに現れる地上の集落の焚き火は闇に浮かぶ太陽のようだ。

禍々しい冥海に突き出すようになっている崖地の先端に建つのが『海羊亭』。

風を切って店の前に降り立つと、アクアマリンとイリザはさっそく中に入る。冥府はいつも暗いのでわかりにくいが、夕方なので客はまばらだった。

「おや、イリザさんではないですか」

カウンターの中でジョッキを拭いている男性が顔を向ける。物腰柔らかい雰囲気だが、ベルハイムでは見たことがない特徴的な帽子とゆったりした服を着ている。

東洋の書物で同じような挿絵を見たことがあった。その化け物の名前は……確か 僵尸(キョンシー) と言ったか。

「後ろにいるのは人間か? ヒヒッ、柔らかくて旨そうな肉だ」

奥から肉切り包丁を持って出てきた男の顔は、恐ろしいほどにつぎはぎだらけだった。フランケンシュタインである。

(道化屋敷にでも来てしまったのかしら。べっ、別に怖くなんてないんだから)

ぎゅっと強く手のひらを握り込んだアクアマリンの前に、イリザが立ちはだかった。

「この子は主人の無実を証明しようとしてくれてるの。手を出そうもんなら承知しないよ!」

すごむイリザに、僵尸の男は猫のような目を細める。

「まさか。旦那さんの件は聞き及んでいます。いつも贔屓にしていただいてますから、もしできることがあれば協力しますよ。フランキー、人間の肉がうまいのは事実ですが、この娘を調理してはだめですよ」

「嘘だろマスター。低温でじっくり焼いてローストしたら、極上のツマミになるぜ!? 」

「いけません」

言い合うふたりにイリザが訊ねる。

「うちの人、ここでトラブルを起こしたりしてないかしら? 誰かに恨まれることをしたりとか……」

「気がついたことがあれば、小さなことでもいいから教えてちょうだい」

アクアマリンも交互にふたりを見つめるが、かれらはうーんと首をひねる。

「いやぁ、ないよなマスター? どっちかっていうとこのごろは酒の量が減って、ちびちびやる感じだった」

「ガイルさん以外のほうが問題起こしてますからねえ。初物の時期はトラブルが起こりがちなので……」

「ゴブリンとかコボルトの連中な。小型のやつらは飲むと気が大きくなるから」

馴染みの酒場でも同じような話を聞いたことを思い出す。特に食糧危機明けの今季は酒の消費量が大幅に増えているとも。

「そういう困った輩が増えるのはどこも同じなのね」

するとフランケンがつぎはぎの眉毛をつり上げた。

「人間に輩扱いされる筋合いはねえよ」

「美味しいお酒は美しく嗜むものよ。それができないどころか暴れるのであれば、人間も魔物も関係なく輩だわ」

フランケンと僵尸は顔を見合わせる。

「……おまえ、なかなか言うじゃねえか」

「僕たちが怖くないのですか?」

「最初は怖かったけど、そんなことを気にしていたらやっていられなくなったの。食べられたらその時はその時だし、模倣の力でその魔物の身体を乗っ取るくらいの気持ちでいるから、あなたたちもそのつもりでいてよね」

毅然としてアクアマリンが答えると、フランケンは頭のネジを飛ばしながらガハハと豪快に笑った。

「面白い! 綺麗な身なりして根性あるじゃねえか。ほら呑め、俺から一杯サービスだ!」

「ふふふ。今日はいい出会いがありましたね。イリザさんもどうぞ。元気を出してください」

目の前にごとんと音を立てて置かれたのは、いつものバーでも見覚えのあるごつごつのジョッキだ。

中には湯気立ちのぼるホットワインがなみなみと注がれている。

「よく行く酒場でも、みんなこればかり飲んでいるわ」

「ここは年中寒いからな。ワインは煮立たせてて飲むのが冥府流だぜ。温度を保つためにドワーフらが金属を打ってジョッキをこさえてるんだ」

ジョッキを両手でくるむと、アクアマリンの冷えた指先がじわりと暖かくなる。

(冷たいシードルばかり飲んでいたけど……これはこれで悪くないかもしれないわ)

品のないジョッキに、人間界とはまったく違う香りのするワイン。

偏見の目で見て飲まず嫌いをしていたが、これを飲めば自分も冥府の一員に近づけるのではないかと、そんな淡い希望を抱かせるぬくもりが手のひらに広がっていた。

「ほら嬢ちゃん。冷めないうちに飲んでくれ。自慢の酒だ」

「この子、シードルか紅茶が好きみたいなの」

「っかぁ〜! お嬢様だなあ! わりぃがうちにはどっちもねぇぞ!」

「すみませんねえ。炭酸水ならありますよ。交換しますね」

別のジョッキを取りに行こうとする僵尸をアクアマリンは引き止めた。

「これをいただくわ」

「……そうですか。では、冥府の味を楽しんでくださいね」

僵尸は細い目をわずかに見開いたが、穏やかに微笑んだ。

緊張しながらもアクアマリンはジョッキの太い取っ手を掴む。こんな器で酒を飲むのは初めてだ。

(ベルハイムのワインに比べて粘度があるのよね。色もどす黒いし……)

あれこれ考えるとためらいが生まれそうだったので、ひと思いに唇まで持っていく。

ワインを一口飲んだ瞬間――アクアマリンの心臓がドクンと大きく鼓動した。