軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第八十三話

「……」

ゲラリオは寝ぼけているのか、しばし返事をしなかったが、身じろぎするような、肌と石畳がこすれるような音がする。

「お前のいるところから、そうさな……たっぷり十歩分。同じ側じゃねえな。向かい側に並んでる牢だ」

十メートルくらいか?

隣の隣や、はす向かい程度の距離の開き方ではない。

自分の服を触り、これを引き裂いてゲラリオのいるところにまで届くかと思案する。

うまく引き裂いてひも状にできればやれるかもしれないが、自信がない。

失敗したら一巻の終わり。

こんなことなら練習しておくんだったと思う。

「おい、なんでだ?」

焦れた様子のゲラリオが尋ねてくる。

「ここから出られる可能性が――」

あります、と言おうとした瞬間だった。

がしゃん、と金属の音が響き渡る。

音の感じから、遠い、少し上のほうからだ。

続いて硬い革製の靴が石畳を踏む音が複数……二人?

そして、なにかが引きずられる音。

足音は近づいてきて、自分のいる牢のすぐ隣で止まり、鍵束の音、鍵を開ける音、鉄格子の開くきしんだ音。

それから最後に、ごみを捨てるような音。

「へっ、みじめなもんだ」

捨て台詞の後に、ぺっと唾を吐く音もした。

足音が再び遠ざかり、遠くで鉄格子の閉まる音と、鍵のかかる音がした。

しばしの静寂。

「ヨリノブ」

こちらの名を呼んだのは、ゲラリオだ。

「驚くなよ」

戸惑いがちの笑みが見えそうな口調だった。

「今、連れてこられたの、よーく知ってるやつだぜ」

誰だ?

イーリアやクルルのはずがない。

けれどこのロランに、自分たちの知り合いなど他に……。

「コール、さん?」

どんなに馬鹿げていても、最後に残った可能性が答えである。

ミステリ小説かなにかの台詞だが、ゲラリオがくつくつと笑った。

「どういうことだ? 全然わかんねえ」

それは別に自分が答えを当てたことに関してではないはず。

そう。なぜ、どうして、コールがここに?

「うぅ……」

呻きとも泣き声とも取れる声が聞こえてくる。

あるいはそれは、怨嗟の声かもしれない。

「くそ……くそ……」

じゃり、じゃりという音がして、コールが身もだえしているのだとわかる。

けれどうめき声が妙にくぐもって、さらにひどい鼻声なので、おそらく手ひどく殴られている。

運ばれてきた時のなにかを引きずるような音は、自力で歩けないコールを引きずる音だったのだろう。

なにが起こったのかわからない。

わからないが、自分は、大きく息を吸う。

コールは敵だった。ノドンと手を組んでジレーヌ領を食い物にし、私腹を肥やしていた。

その立ち居振る舞いはいかにも嫌味な貴族であり、ノドンと一緒になってイーリアたちを虚仮にしていた。

カリーニが島にきて、その帰り際にいたっても、まだ私腹を肥やす可能性を残すため、魔石取引の一部を上司の目から隠そうとした。

浅ましく、抜け目なく、いけ好かない貴族の子弟。

けれどそのコールが今、自分の隣にいる。

正確には、自分とゲラリオの間に。

「お坊ちゃんよ、どんなおイタをしたんだ?」

ゲラリオが嘲るように尋ねる。

「ずいぶんやられたようだが」

コールは今この場で貴重な情報源。

自分たちがオストロのところで一服盛られた後のことを知っている、たったひとりの存在だ。

「……」

コールは答えない。

気絶しているのかと思うくらい、静かだ。

「可愛い獣耳と尻尾の女の子に手を出そうとしたのか?」

「っっっっ!」

声にならない叫び声は、まさに獣の咆哮のよう。

鉄格子にぶつかる激しい音もして、がんがん響き渡る。

ちょっと頭をぶつけただけでも痛かったのに、薬で錯乱しているのか?

「僕は、僕は――!」

そんな声の後、どさりと音がする。

今度こそ気絶したろうかと思うと、ゲラリオが言う。

「……まさかとは思うが、イーリアちゃんたちを助けようとしたのか?」

そんな馬鹿な、と思った。

どういう理由で、そんなことを?

けれどバックス商会の社員、つまりは貴族の一員であるはずのコールがこんなところにいる理由は、それくらいしか思いつかない。

ノドンと手を組んで私腹を肥やしていた件が原因とは、とても思えない。

「……無能、どもが……」

顔を石畳に押し付けたままのような、くぐもった声だ。

「うう……全員、クソだ、クソッタレだ……」

ぱりっとした仕立ての服を颯爽と着こなしていたコール。

嗚咽交じりの声は、ずいぶん若く、少年らしささえあった。

「おい、小僧」

硬質な音がして、ゲラリオが手錠かなにかで鉄格子を叩いたらしい。

「泣いてる暇があったら説明しろ。お前が連中の敵なら、敵の敵は味方だ。違うか」

戦場暮らしはどこまでも現実的。

右手は魔石を握ってて敵に切り落とされることがあるし、魔法の過剰な威力で体が爆散するかもしれないから、本人だとわかる入れ墨は左手に入れるらしい。

そのゲラリオの問いに、コールは唾を吐いた。

「黙れ……下賤な……」

「へっ。ちっとやそっとのへまじゃそうはやられねえ。殴る側も大変だからな」

そんなにひどいのかと驚くが、コールの悪態は止む。

「おい、聞かせろよ。それ次第で、次にここに間抜けが飯を運んできた時の対応が変わる」

魔法使いで冒険者という情報は伝わっているだろうから、バックス商会もゲラリオには警戒しているはず。けれどさっさと殺さずに生かしているあたりに、彼らの甘さを感じているのだろう。

「……聞いて、どうするんだ……」

ゲラリオの大袈裟なため息。

「間抜けが飯をここに運ぶ。俺は足でそいつの首の骨を折る。鍵を取る。逃げる。魔石を見つけて、全部吹き飛ばす」

あまりに淀みなく言うので、本当にできそうな気がしてしまう。

コールもそう思ったのか、咳き込むように笑っていた。

「できるわけ、ない……」

「そうかな?」

ここまで生き延びてきた自信。

あるいは冗談で言うように、俺は一度も死んだことがないから今度も死なないはずだ、というやつかもしれない。

「……商会に、派閥がある……」

コールが言った。

「ロランの……独立を願う、連中……それと……」

「あ~」

それだけでゲラリオは理解したらしい。

「逆に、帝国と深くつながろうとする連中か。イーリアちゃんをその道具にするかどうかで、見解が別れてたのか」

おそらくは大貴族の血を引くイーリア。

今まではお飾り領主として捨てられた存在だったが、領内の魔石産出量が増え、竜まで倒すような手練れを抱えるまでになった。

そこでにわかに、利用価値が生まれたのだろう。

ロランは戦に負けたかどうかして帝国に組み込まれたが、属州と呼ばれるいわば外様の下っ端であり、帝国内での地位を上げるには本国の大貴族とつながれれば手っ取り早い。

イーリアをその梃子にすべし。

だが、そもそも帝国に組み込まれたことを屈辱と考える者たちは、ロランにまだたくさんいるのだとしたら。

魔道具店でも、帝国からの臨時徴税があるたびに、かつて帝国と戦った時に使われていた魔道具が売れると言っていた。

「で、小僧は帝国派か」

商会の状況を説明する時、真っ先に、独立を願う連中と忌々しそうに言った。

ただ、だとすると気になることがある。

「なぜあなただけが、ここに?」

コールは貴族であり、バックス商会の幹部の一人だ。

その幹部がボロボロにされて牢に放り込まれているのだから、コールと同じ側に立つ者たちもまた、同様の目に遭っているはずではないのか。

「そんなの決まってるだろ。この小僧くらいしかそんな派閥はいないんだよ」

そう言われると、コールを連れてきた牢番の態度がなかなかのものだったことを思い出す。

末端の人間にまで蔑まれているというのは、コールが日ごろから商会の中で目障りな存在だったということでもある。

「……父は、理解、してくれている……」

不服そうにコールは言ったが、さっきまでの覇気はない。

手ひどくやられて気絶寸前なのか、心が折れる寸前なのか。

「父? お偉いさんか?」

苦しそうにコールは咳き込んでから、ため息のように言った。

「……商会の……総支配人……だからな」