軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第八十二話

冷たい壁が迫ってきて、押しつぶされる。

そんな夢を見ていた気がするのだが、もうそれも思い出せない。

混濁する意識の焦点がゆっくり定まってきて、湿った石床にうつぶせになっているのだとわかった。

その頃には、どうしてそうなっているのかも、なんとなく頭の中でつながってくる。

どれくらい意識を失っていたのかわからないが、体は首が痛い程度で、特にひどい乱暴を受けたような感じではない。

そして視線を巡らせると、いかにもな地下牢だった。

「うー……」

ただ、まだ頭の芯がぼんやりしていて、怒りに似たものは湧いてこない。

イーリアたちを助けに行かなければと思うのだが、火がつかない。

ふらふらとしたまま、鉄格子に掴まって立ち上がろうとしたら、聞き覚えのある声がした。

「ヨリノブか?」

少し離れたところから、ゲラリオの声が聞こえてきた。

「……です」

「怪我は?」

もう一度確かめてみるが、特にない。

ついでに服は着ているが、財布やらもない。靴も脱がされ、ほぼ服だけ。

唯一、工房の紋章が刻まれたバックルのついたベルトだけは残っている。鉄製で大した価値はなく、ちょっとした知恵の輪のようになっていたので、外すのも面倒だと思ったのかもしれない。

「ないです。ゲラリオさんは?」

「ないが、素っ裸で縛り上げられてる」

平民と魔法使いの差だろう。むしろ痛めつけられていなかったり、殺されていないだけましだったかもしれない。

「俺が生きてるってことは、イーリアちゃんたちも無事は無事なんだろうが……」

面子の中で一番厄介なのは、冒険者のゲラリオだ。彼が生かされているなら他の面々も無事、という理屈はなんとなくわかる。

ただ、オストロはバックス商会からの命令で自分たちを捕えたのだろうが、なぜそんなことをするのか。

当然、ジレーヌ領の富を分捕るためだろう。

「魔石の大量買い付けが、餌だったんだな、くそめ」

コールを連れてきたバックス商会の副支配人、カリーニ。

序盤はもちろん警戒していたが、途中からは私腹を肥やしていたコールにお灸をすえにきた上司のように見ていた。

「イーリアさんたちが無事だと思う……根拠ってほかにありますか?」

自分の問いに、ゲラリオはすぐ答える。

「領地の鉱山は別として、あの子自身にも価値がある。傷つけたり汚しちまったら、良い縁組をできないだろ。そんなもったいないことするとは思えん」

「……」

あまりな物言いに黙ってしまうが、護衛役のゲラリオは、自責の念で苛立っているのかもしれない。

「クルルは……無事は無事だろうが、ちょっとわからん。イーリアちゃんを脅す道具になるから、殺すとは思えないが……」

その後に濁した言葉がどんなものかは、自分でも想像がつく。

それこそ、くっ殺の話なのだから。

イーリアは貴族の血を引く娘だからそれなりに丁重に扱われても、従者のクルルは部下たちの相手をさせられているかもしれない。イーリアにおとなしく言うことを聞かせるためにも、有効な手段だろう。

「はあ……年金もらっておいて、このざまだ、すまねえなあ」

垣間見えた怒りは鳴りを潜め、緊張感の抜けた声が聞こえてくる。この切り替えの早さは、こういう目にあうのが初めてではないからか。

「いえ、それは別に……」

むしろ自分だって油断していた。

ここでは誰も味方だと信じてはならず、警戒を怠るべきではなかった。

おままごとみたいな、ジレーヌ領ではないのだから。

「……教会の司祭は俺たちの味方か?」

ゲラリオの問いに、うーんとうなる。

「金づる、とは見ているはずです。教会の催しに現れないとなると、なにか勘付いてくれるかも……とは思いますが」

「それでバックス商会と戦ってくれるとは、とても思えんなあ」

むしろバックス商会が利益供与を持ち掛けたら、あの司祭はあっさり乗り換えるだろう。

孤立した島内で多勢に無勢ゆえ、イーリアたちとの共生を選んだに過ぎないのだから。

「……」

ゲラリオはしばし沈黙した後、こう言った。

「できる限りのことはするが、俺は自分の生き残りを優先するぞ」

やけにはっきりした口調だったのは、彼なりの誠意かもしれない。

元々は流れ者の冒険者だし、ゲラリオにはゲラリオが最も守るべき者たちがいて、それは長年命を預け合ってきたバランやツァツァルだ。

できもしないことを安請け合いせず、無意味な希望を持たせない。

戦場で生きてきた人間故の判断だろう。

「ええ、隙を見て逃げてください」

けれど自分が答えると、ゲラリオのいる方向からやや戸惑いが伝わってくる。

ゲラリオはやはりいい人なのだ。

「あなたが生きていたら、いつか辛い目に遭っているあの二人を助けてくれるかもしれない」

その時に自分が生きているかは定かではないが、また別の世界に引っ越しているかもと思えば、死ぬのもそう怖くない。

できれば痛くないのがいいなと思う程度だ。

「お前は……」

ゲラリオは小さく言って、忌々しそうにため息をついていた。

「くそっ」

悪態をついたゲラリオは、そのまま黙ってしまう。

そしてどれだけ時間が経ったのか、ほどなくいびきが聞こえてきた。

ゲラリオだけ念入りに薬が多く盛られたのかもしれないし、戦場暮らしから、寝られる時に寝ておこうという習性なのかもしれない。

そこまで図太くない自分は、独房で胡坐をかく。

胸の中にあるざわめきを直視しないのは、注射されている時に反対方向を向いているのと同じ理屈だ。

イーリアとクルルは囚われた。

そしてこの世界は弱者に優しくない。

なんの罪もない職人や商人の娘たちが、ノドンたちへの借金のせいで一体どれだけひどい目に遭った?

イーリアとクルルだけ優しく扱われるとは到底思えない。

あの娼館の女主人の言葉が思い出される。

クルルはきっと、人気が出る――。

「うぅ……」

鉄格子を掴み、頭を打ち付ける。

大した音すらしないのに、めちゃくちゃ痛い。

これは夢ではなく、現実なのだ。

自分はまたしても失敗した。

さっさとゲームを作るべきだったのに、ぐずぐずしているせいで間に合わなかったように、クルルと仲直りできないままにこんなことになっていた。

大事なことはさっさとやっておくべきなのだ。

ずっと続きそうだった平穏は、いくらでも簡単に覆るのだから。

「くそっ!」

自分はもう一度鉄格子に頭を打ち付け、顔を思い切り細い隙間にめりこませた。

猫だって顔より狭い穴はとおれないが、自分は鉄格子の隙間に押し付けた左目で、地下牢の様子を観察する。

自分が入れられているような独房がいくつもある感じらしい。

薄暗いが漆黒の闇ではなく、多分どこかに空気孔みたいなのがあって、そこから明かりが入っているのだろう。

つまり地下深く、という感じでもない。

それにゲラリオと自分が話していても、警棒を持った者がやってきて小突き回さない。さらに、うるせえ! といかにもなモブキャラが怒鳴らなかったので、ここにいるのは自分とゲラリオだけだということもわかる。

「……」

自分は考える。

必死に考える。

ただ、それはここから出る方法ではない。

ここを出た後、どうすべきかだ。

イーリアたちはバックス商会にいるだろうか? バックス商会からイーリアたちを助け出せたとして、ジレーヌ領に戻れるだろうか?

ジレーヌ領に戻れたとして、バックス商会と戦い抜けるだろうか?

そして、目をそらしてはならないことがある。

自分がイーリアとクルルを見つけたとして、ひどい目にあわされていたらどうする?

現実から逃げず、立ち向かえるか?

健吾やゲラリオにすべてを任せ、自分は自分の間抜けさに自己憐憫してひきこもるような、ゼロ年代セカイ系みたいなヘタレを発揮しないと誓えるのか?

「……」

大きく息を吸って、吐く。

酒場で健吾に起業の話を持ち掛けた時。

自分たちを追いかけてきたクルルに計画を話した時。

私たちに関わるなと言ってきたイーリアを無視した時。

引き返すポイントは、とっくに過ぎている。

やるしかないのだ。

たとえ、どんなひどい現実が待っているにしても。

おままごとみたいな領地経営を続けられて、ボードゲームみたいなのを作って、そのシナリオをクルルに見せるような、そんな毎日の可能性に手を伸ばせるならば、たとえこの世界が根底からひっくり返ったってかまわない。

今、自分の持てるすべてを使うなら、どんな無茶もおそらく実現する。

あの教会の巨大な魔法陣が、それにふさわしいなにかを追い求めて作られたように。

「ゲラリオさん」

その名を呼ぶと、いびきが止まった。

「今いる檻は、どの辺にあるんです?」