軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二百四十四話

道中、フローネと友好的な部族が治める集落に立ち寄り、頼信はそこでも商いの話に花を咲かせていた。

クルルやその他の従者たちは、旅人に振る舞われるきつい酒に舌鼓を打ちつつ、痩せた獣をただ焼いた肉がご馳走という調子に、ジレーヌ領を懐かしく思っていた。

そうこうして、かさかさに冷え切った土地をさらに北に向かって進んでいくと、やがて嗅ぎ慣れた匂いがクルルの鼻をくすぐった。

「海の匂いがするな」

馬の上ですぐ後ろに座る頼信が、言葉に釣られてスンスン鼻を鳴らしているので、その鼻息が首筋に当たって、尻尾の毛がちょっと逆立ってしまった。

ほどなく海辺に到着したのだが、クルルはその光景に呆気に取られていた。

ジレーヌ領では海というものを嫌というほど見ていたというのに、そこはまったく別世界の景色だったのだから。

クルルは思わず、自分の腰に回される頼信の腕を掴んでしまう。

目の前の砂浜があまりに広大過ぎて、眩暈を起こしそうになった。

右を見ても左を見ても、どこまでも砂浜がのっぺりと続いている。

その砂浜に向けて延々と押し寄せる、これもまたやけにのっぺりとした波。

クルルは、波といえば陸にうちつけられ、砕けるものしか知らなかった。

けれど目の前にあるのは、はるか遠くから水面が盛り上がり、なにかを諦めるかのように崩れていく異質な波だった。

その崩れた波は悪い知らせが尾を引くかのように、長い時間をかけて砂浜にたどり着き、ようやく苦しみから解放された安堵のため息のように、砂浜の中に消えていく。

茫漠、寂寥。

本で読んだ単語が思い浮かぶ。

騎士道物語で時折出てくる、クルルにはいまいち実感できなかった単語だ。

なるほど、愛する者と信頼する従者を失った騎士が、海辺を一人で馬に乗って歩くというのは、こういうことかと合点がいった。

ゾノフスからはまあまあの人数がこの行軍に随行していたが、彼らは寄る辺のない場所で道に迷った、哀れな子ウサギの群れにしか見えない。

クルルは正直、ヴォーデン属州など魔法で適当に蹴散らして言うことを聞かせればいいと、たかをくくっていた。

けれど、そうではないのだとこの瞬間に悟った。

こんな広大な空間は、どんな魔法でも埋め尽くせない。

クルルは自分の位置を確かめるため、大声をあげたくなる衝動に、不意に駆られてしまっていた。

「これだけ広ければ」

そこに、頼信の声が聞こえてきた。

「好きなだけ船を出して、好きなだけ工場を建てて、いくらでも魚をジレーヌ領に送れますね」

「……」

言葉もなく背後を振り返ると、子供みたいに首を伸ばした頼信が、目を輝かせて暗い海を見渡している。

「遠浅でしょうから座礁がちょっと心配ですけれど、波は穏やかですし、魚だけじゃなくて貝類なんかもたくさん獲れそうですよね。それにせっかくこれだけ綺麗な砂浜ですから、リゾート開発……とかは無理かなあ」

夜中に鼠が壁の中を這うだけで、可愛い悲鳴を上げている頼信だ。

それがこの光景に怯むどころか、いつになく楽しそうにしていた。

この砂浜が? 綺麗な砂浜だって?

クルルはなぜか悔しくて、少しひねた口調で聞き返す。

「りぞおと? 最高って、なにがだ?」

「避暑地のことですよ。あと、こっちでは海で泳いだりしませんか?」

頼信の言葉に、クルルの眉間に演技ではなく皺が寄る。

「泳ぐ? なんのために?」

避暑地という言葉はわかる。貴族どもがお供をたくさん連れて、夏の暑い盛りに狩りに出かける話は、物語にもたくさん出てくる。

けれど泳ぐというのは、クルルにはわからなかった。

「バダダムたちを鍛えるのか?」

泳ぎとは、兵の技能だ。

ただ、そう言った時に見せた頼信の顔は、腹の立つ、まだそこまで達していないか、みたいな顔だった。

頼信は間抜けの癖に、時折こういう顔をする。

「単に楽しみのためだけに泳ぐんです。あとは、波乗りですね」

「は?」

「こう、大きな木の葉みたいな板を用意して、波が来たらその板に飛び乗って、滑るように波に運ばれるんです。すごく面白いですよ」

「……」

クルルにはまったく面白さの想像がつかないし、海水に濡れたら三日くらい耳と尻尾の毛がごわごわになるので、顔をしかめるほかない。

ただ、海の上を漂う板に乗って、馬鹿みたいな顔で海面を滑っていく頼信を想像したら、クルルはつい吹き出してしまった。

「……私はそんなことしたくないが、そうしてるお前は見てみたいかもしれない」

「絶対楽しいと思うんですけど……」

「ジレーヌ領ではできないのか?」

「遠浅の海のほうが都合がいいんですよ。波が長く続いて、安定していますから」

そんな話をとめどなくしていると、だんだん頼信の声が、広大な砂浜の波の音と同じに聞こえてくる。

もういっぱい会話をしてきたと思うのに、まだまだ知らないことがある。

飽きないな、と思う。

そこに、少し離れた場所でフローネと一緒に地元の人間と会話をしていたヨークンが、声を上げた。

「おーい、大宰相様よ。近くの漁村に向かうぞ!」

東を見ても、西を見ても、漁村などその影もない。

潮風は好きではないのだがとクルルは思いながら、この行軍がいつまでも続けばいいなと、そんなことを思ったのだった。