作品タイトル不明
第二百四十二話
「……」
ゼゼクは難しいことを考えないが、それは馬鹿だという意味ではない。
考える前に動き、考えても仕方のないことは考えないを徹底しているのだ。
けれどそれで生き延びるには、やはり頭が良くないとならない。
そのゼゼクが、難しい話を自分に振ってくる。
そのことの意味に、ヨークンは寄りかかっていた壁から背中を離した。
「善悪の話か? それとも?」
『いまさら天国に行けるかどうかを気にするタマか』
善悪の基準など、とっくに彼岸の向こう。
ヨークンは苦笑し、頭を掻いた。
「大宰相殿が、奴隷解放なんて無茶をどうやって実現するかってことか」
『アレはワレラに殺しをさせたがらない』
「口だけじゃなく?」
ゼゼクは、黒い鼻の頭にしわを寄せた。
『その話をする時、かすかに嫌そうな匂いを出す。本心だろう』
「ふん」
やはり頼信は、見たまま感じたままの、間抜けのお人好し。
それに、なんでもかんでも快刀乱麻に解決できる名君でもない。
食堂の中の頼信も、奴隷交易の解決法についてはすぐ答えられなかったようだ。
頼信の交易計画がうまく回りだせば、交易の儲けによって奴隷を解放してもいいと思う者たちは、確かに増えるだろう。
しかしそもそも交易計画のためには、奴隷獣人が結構な数で解放されているか、最低でもこちらの指示に従って配置されなければならない。
最初の一歩をどうするか。
そして、話に従わない連中をどうするのか。
ただ、フローネもそこは深追いしなかったようだ。
そもそも頼信は、フローネにとって対等の取引相手ではない。
頼信の無茶な命令をどうにかして実現しなければならない立場にいるのが、今のフローネだ。
怒らせてはならない大宰相殿が返答に詰まった時点で、世知に長けたフローネはすぐに話題を切り替えていた。
ついでに空気も入れ替えるためだろう、軽く酒が供され、以降は無難で平和な、ゾノフスの町の発展話で盛り上がっている。
子猫ちゃんだけは不機嫌そうだが、とヨークンは思って、言った。
「出たとこ勝負ってのも、俺はそこまで悪くないと思うんだがね」
ヴォーデンは典型的な部族連合で、号令一致とはいくまい。
全体が納得するような話し合いはそもそも無理で、だからこそ力の論理が幅を利かせている。
結局、それがわかりやすいし、納得しやすいから。
厳しい環境に住む者たちは、なんだかんだ、耐えることと諦めることを知っている。
最初は暴力で言うことを聞かせ、交易計画が回り始めたら手綱を緩めるでも、全然良いとヨークンは思うのだ。
もちろん、あるていどは血が流れるだろうが、必要経費だ。
そして自分たちは、そのために雇われている、とヨークンは思っている。
『オマエは、大宰相に嫌な汗をかかせるのか?』
「俺たちは人殺しが仕事だろう?」
ゼゼクは鼻で笑い、食堂の中を見透かすように、視線をそちらに向ける。
『ワレはさほど同胞たちの事情を知らんがな。ちょっと暴れたくらいで崩れる制度であれば、誰も苦労はすまい』
人と獣人の関係は、どうしようもなく決まり切っている。
ヨークンはゼゼクたちを絶対に裏切らないが、それが普通の人間社会にはなじまない価値観だとも理解している。
だから利益と引き換えに奴隷獣人を使うのをやめろと言ったところで、本当に社会そのものを変えられるのか、ヨークンには疑問だった。
そもそも、見張りの問題がある。
ヴォーデン属州は人が少なく、町がまばらにしか存在しない
広い領土のどこかでこっそり奴隷交易をやられていたって、ジレーヌ領からでは気がつきようがない。フローネですら無理だろう。
ルザード王家も唯一の支配者というより、部族連合の中でたまたま帝国から指名された代表者に過ぎないという感じだ。他の部族連中がこっそり奴隷交易を続けていたって口を挟めまい。
これは、奴隷交易禁止の木札を立てればそれで済む話ではない。
「本気でやるなら、ここを支配するしかないと思う。だが……それでさえ、どうかな」
『どう、とは?』
「こういう場所は、武勲の誉れくらいしか生きる意味がないだろ。生き延びたって楽しいことなんかありゃしないんだからな。そうなると、最後の一人まで、嬉々として剣を取り続ける。帝国の連中がここをろくに支配していないのは、それに付き合いきれんからだろ」
『ふん』
「で、大宰相殿の命令で俺たちがそいつらを蹴散らすのは、できる。戦にすらならんはずだ。だが、その結果はどうなる?」
ゼゼクが大きな背中を丸め、顎を肉球で撫でる。
『そうやって勝ったとしても、貴族連中が軒並み討ち死にしていれば、この広大な土地を治めるモノがダレもいない、か』
「その空き地に、ジレーヌ領かロランの連中が乗り込んで、王朝を開くとしよう。統治は手薄にならざるを得ないし、もうひとつ問題がある」
『ほう?』
「それこそ、帝国から見たら反乱だろう? 奴隷交易を止めるためだけに、そんな大掛かりなことをして天秤が釣り合うものかね。それならば、奴隷交易の件はなあなあに済ませ、石炭やらを手に入れるほうに舵を切るほうが、まだあの大宰相様らしいと感じる」
ヨークンとしては、そもそも頼信がこの奴隷制度について、イーリアと同じ思いを共有しているとはあまり思えなかったのだ。
むしろ実利的、合理的な理由からそうしているように思える。
実利的なヨークンとしては、頼信の態度そのものは評価できるのだが、普段のお人好し加減からいうと妙な感じもする。
やはりここでも、頼信というのは得体が知れない。
『確かに、アレは奴隷たちとすれ違っても、猫姫のように怒りの匂いを発しない』
「だろう?」
ヨークンはそう言ったのだが、ゼゼクはふんと鼻を鳴らす。
『だが、色恋はダレをも狂わせる』
「あ?」
ヨークンはぽかんとしてから、ひきつった笑みを浮かべるしかなかった。
ジレーヌ領を治めるのは犬耳のお嬢さんだが、そのお嬢さんには猫耳の従者がいる。
「大宰相殿が、小猫ちゃんのためにって?」
『そう馬鹿にできん理由だろうと思うが』
「お前に色恋のなにがわかるんだ?」
ゼゼクが色恋に夢中になって判断を誤るというのは、馬が喜んで肉を食べるくらい想像のつかないことだ。
しかし、確かに情で判断を見誤る者は戦場にもたくさんいた。
ぎりぎりそうならなかったのが、ゲラリオだ。
「……大宰相殿は間抜けだが、そういう類の馬鹿じゃないと思うんだよな」
『それ以外だとしたら、なにかとてつもない策があるか、無策かのいずれかだ』
ヨークンは少し考え、言った。
「中途半端よりかはましだ」
『……』
ゼゼクはヨークンのことを見て、それからぞろりと牙を見せた。
『オマエが肩入れするとは珍しい』
今までの長い付き合いでの役割は、ヨークンが慎重に判断し、ゼゼクがその慎重さを考えすぎではないかと諫めるものだった。
考え過ぎればすべてが疑わしく見えるし、考えな過ぎれば、自分たちが餌になる。
冒険者は、前衛と後衛の、ふたつでひとつ。
そうやって、生き延びてきた。
「いかにも気取った大策士様なら、切るのもたやすいんだが」
頼信は、そういう奴らとは明らかに違う。
ゲラリオがどうして半泣きになってまで自分たちに声をかけてきたのか、ようやくわかった気がする。
その善意は疑うべくもないのだが、同時になにをしでかすかわかったものではなく、見ちゃおれんのだ。
「ま、俺たちは魔石を与えられた一兵卒だ。楽しみに号令を待とうじゃないか」
ゼゼクがなにか言いたげにしていたのは、頼信の解釈を巡って意見が異なっているからではなく、これが同胞たる獣人たちに関わる話で、行く末が心配なのだろう。
いつもの貴族同士の権力争いならば、ゼゼクはろくに気にかけず、ヨークンの判断を丸のみにしていたはず。
頼信の得体の知れなさのせいで、いろんなことがあべこべだ。
だが、だからこそ、と思わせるところもある。
ああいう大宰相みたいなのが、誰もが無理と思うことを、成し遂げるのかもしれないと。
ヨークンは軽く肩をすくめ、相棒の毛皮を叩く。
「町で酒でも調達してこようぜ」
『……ろくな酒がなさそうだったが』
「味なんてろくにわからねえくせに」
そんなやりとりをして、中庭を歩いていく。
ヨークンは一度食堂のほうを振り向いたが、軽く笑っただけ。
頼信についていけば、少なくとも退屈はしないようなのだから。