軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二百三十九話

フローネはこちらの申し出に少し驚いていたが、その驚きはポジティブなものだったらしい。

たちまちにんまり笑うと、使用人たちに命じ、ありったけの資料を食堂に運び込ませていた。

途中でアマクが騒ぎに気がついて顔を覗かせたが、気がついたらいなくなっていた。

多分それは、クルルも同じ気持ちだったろう。

クルルは護衛として席を外すわけにはいかないだけで、商いの話にはてんで興味がないのだから。

たちまち飽きて、屋敷の使用人に命じて酒と食事を運ばせていた。

「今自分たちの所では、鉄を大量に生産しようとしています。その鉄で作った道具と、十分な獣人の皆さんの労働力があれば、岩塩や石炭の採掘量を激増させられるはずです。そしてたくさん働く獣人の皆さんの食事量を支えるため、北の海の魚を用いることができます。鮮度を保ったままの輸送が難しい場合は、岩塩を用いて塩漬けにしたり、燻製にすればどうにかなるはずです。それにその保存加工された魚は、全量をジレーヌ領で引き取りますから、売れ残りの心配はしなくて大丈夫です」

早口に説明しても、フローネは一度も聞き返さない。

「ふむ。で、必要な船や網、荷車を作る木材等の費用は、あんたらが用意すると」

「もちろんその分は、分け前から差し引かせてもらいますが」

「もちろんそうだろうさ。で、そうやって大量にとれる魚、岩塩、特に石炭が、あんたらのジレーヌ領に大きな船で送られる……。船で?」

西周りの航路には、帝国の権威が及ばない土地がある。

「蛮族の地のことでしたら、御心配なく」

フローネは曖昧に笑い、とりあえず飲み込むことにしたらしい。

「とにかく、私たちの所に運ばれた諸々の代わりに、私たちが作った鉄の道具がここに送り返されてきて、取引が循環します」

食堂の壁に掲げられた地図には、小さくジレーヌ領を描いた紙が追加で貼られている。

並んで立つ自分とフローネの前で、ジレーヌ領とヴォーデン属州を行き来する商品の流れを示した線が、綺麗な円環を描いている。

「見事だ。が、私も石炭については使い道を調べたことがあるんだがね」

「使い道?」

「ヴォーデンはとにかく木材がないから、木材をやたらと使う鍛冶屋も少ない。煮炊きのための鍋なんかが手に入りにくくて往生したよ。それで製錬に石炭を使えないのかと調べたことがあってね。けれど鍛冶の工房では、石炭は嫌われものだった。本当に使えるのかい?」

「もちろんです。あまりに質が悪いと、やっぱりちょっと問題があるんですが、そこまででなければ、蒸し焼きにすることで十分役に立ってくれるはずです」

木材を木炭にするように、石炭を蒸し焼きにしてコークスに変えることで、不純物を事前に飛ばすことができる。技術史の本を読めば、発明に近い扱いを受けているほど、画期的な方法だ。

それに、燃料の質の悪さは、製錬の際の炉の形式を変えることである程度回避できる。

高炉が無事に実現できれば、そちらも可能だろう。

ただ、フローネがじっとこちらを見る目は、そんなことが本当にできるのか、という疑いの視線ではない。

「そんなあっさりと秘密を話してもいいのかい?」

自分は肩をすくめる。

「この知識だけでは、大規模な鉄の製錬を真似するのはまず無理ですから」

そこには、自分があの高炉試験の場で感じた無力感がたっぷり詰まっている。

目指すべき方向がわかっていても、なお乗り越えるのは大変な山なのだ。

行き先もわからないままでは、山のふもとにさえたどり着かないだろう。

「ですが、使えそうな知識をお渡しすることで、この交易の円環を担いやすくなるはずですから」

自分たちでは到底人材が足りないから、ヴォーデン属州側に協力者を募らなければならない。

そしてこのフローネほど相応しい者はいないだろう。

ただ、それでも限界はある。

どれだけ熱意があろうとも、資源が乏しければ人々の生活を支えるのには限界があるからだ。

石炭を蒸し焼きにしたコークスの知識を渡すことで、ヴォーデンの乏しい燃料問題をいくばくかでも解決できるなら、安いものだ。

「じゃあ、もうひとつ聞いてもいいかね」

「答えるかどうかはわかりませんが」

きっぱり言うと、フローネはむしろ楽しそうに笑う。

「この硫黄はなんのために? 薬に用いるとしても、そんなに必要ないだろう?」

硫黄はヴォーデン属州の南東の端っこの山で産出するらしい。

そのあたりはさらに南に行くとクウォンなど温泉地帯に行き当たるので、火山帯なのだ。

「硫黄は色々使えるんですが……特に欲しがっている錬金術師がいるんですよ」

フローネは顎を引き、首をすくめる。

「永遠の命でも探すつもりかい?」

「まあ、似たようなことかもしれません」

フローネは呆れていたが、自分はまあまあ本気だった。

硫黄から出発して、硫酸を作ることができる。

接触法は触媒の用意が難しいだろうから、硫黄の取れる場所でまま見つかるはずの、硫酸銅か硫酸鉄などの硫化鉱物を利用したい。

そして強酸があれば、様々な化学実験を行うことができる。

ここを起点に化学実験が軌道に乗り、技術を身に着けた人材が育ってくれば、医薬品、特に抗生物質くらいまではたどり着けるかもしれない。

回復魔法がまだ発見されていない中、抗生物質は永遠の命に等しい効果を持つだろう。

それからもちろん、純粋な形の硫黄は、みんな大好き黒色火薬の原料である。

もしかしたらこの世界の人々は、火薬の利用法を聞いたところで、魔法と比べたらなんの意味もないと思うかもしれない。

いや、そう思っているからこそ、この世界にはまだ火薬が生まれていない可能性が高い。

けれど自分たちは、魔法の弱点を知っている。

死神の口で魔法を封じられたところに、獣人が殴り込むのもいいだろう。

しかしその場に、銃を構えた人々を配置したり、大砲を打ち込んだっていいのだ。

クウォンで気がついたように、魔法使いは圧倒的な物理攻撃に弱い。

なんなら死神の口が到底届かない距離からでも、大砲の玉なら届く。

それを魔法で防ぐのは自分たちの知る限り、かなり難しい。

火薬によって解除されるスキルツリーは、十分すぎるほど役に立つはずだ。

この世界では先に魔法が発達してしまったせいで、この世界の人類は魔法を発達させる方向にスキルポイントを振ってしまい、社会が固定化されてしまったのだろう。

魔法を用いずに魔法と同じような効果を引き出すには、いちど不便で弱々しい実験段階にまで戻らなければならないのだからなおさらだ。

資源も限られるこの世界で、そんなことをしようとする者は存在しない。

そもそもその実験の先に、魔法を越えるような世界が広がっていると想像できる者すら、ほとんどいないはずだった。

その例外は、異世界からやってきた者だけ。

だから、火薬を見越した硫黄が必要になる。

それに死神の口戦術の前衛として、獣人ではなく銃を構えた人間が参戦することは、政治的にも非常に重要な意味を持つはずだった。

特に、自分の描く産業革命においては、忘れてはならない視点がある。

獣人たちの労働力が重要になり、多くの仕事を獣人に開放するとなれば、魔法を使えない人々の地位やアイデンティティを間違いなく揺さぶってしまうだろうから。

機械が現れ始めた時代、その機械を壊すことで職人たちを守ろうとした、哀れな英雄ラッダイトを生み出してはならないのだ。

「ただ、自分たちがすぐにでも欲しいのは、ここの海鳥の糞と、北の海の魚と、岩塩に石炭です。特に石炭です。これがないと始まりません。そして激増する交易を支えるためには、新たな流通網の構築が必要です。そのために必要な……必要な武力も含めて、私たちが提供しましょう」

やりたいことのために武力をも用いる。

それは自分には勇気のいる一言だったが、クルルはもちろん褒めてくれなかった。

酒をすすりながら、やれやれという顔をしていた。

「そしてその指揮を、フローネさんにお任せしたいです」

自分がそう言い終えると、赤い髪の女傑はまばたきもせず、地図をじっと睨みつけていたのだった。