軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二百三十八話

フローネとの話し合いは、一度解散した。

とりあえず互いに敵意はなく、協力の道を模索するべし、という合意はとれたと言ってよいだろう。

そしてゾノフスに逗留する間は、アマクの屋敷に泊めてもらえることになった。

この世界では旅行のようなものがまだ普通ではなく、宿泊施設といえば商人向けの雑魚寝の宿がせいぜいだ。一定以上の身分の者ならその土地の有力者の家か、教会に宿泊するのが一般的なので、ありがたく泊めてもらうことにした。

ただ、ヴォーデン属州との交渉のためにロランから同行してくれている行政官や、捕虜となっている冒険者、それを見張る獣人等もいて、屋敷の部屋には到底収まりきらない。

結局中庭に天幕まで張って占拠してしまった。

繊細そうなアマクの顔は晴れなかったが、貴族というより商人だと息子に評されていたフローネのほうは、屋敷の賑やかな様子に楽しそうだった。

そんな中、自分たちに割り当てられたのは中庭に面した南向きの部屋で、最上級の客間なのだろうというのが、調度品からもわかる。

自分がベッドに腰掛けてごつい旅用の革の靴を脱いでいたら、木窓を開けて中庭の様子を見ていたクルルが、ぽつりと言った。

「竜の肉でも持ってくればよかったな」

中庭では、フローネが使用人たちに交じって、天幕の張る場所や煮炊きのための即席の竈の設置の指揮を執っている。

見ようによっては、キャンプファイヤーの準備にも見えた。

「確かにそうですね。日持ちしますし、手土産としては悪くないかも」

前の世界の中世の時代、クジャクの肉は腐らないと言われて珍重されていた。

クジャクのほうはあれだが、竜の肉は実際に長持ちだった。

クルルとゲラリオたちが竜を二頭も屠った時、冷蔵庫がないので保存をどうしようか慌てたが、竜肉の加工をしたことがあるという肉屋の助言によって、軽く干したり、塩をまぶしておくだけでどうにかなってしまった。

竜の肉は滅多に腐らないようで、肉屋の話では、帝国中央では百年前の竜の肉が今も瑞々しい赤身肉のまま残されているらしい。

おかげで大量の竜肉が、今はイーリアの屋敷の地下倉庫にしまわれていて、領主様がたまに盗み食いをしているようだ。

保存食となってよかったという感じだったが、自分にはちょっと気になることもある。

竜は魔物であるから、もしかしたら普通の生物とは肉の組成が異なるのかもしれないとか、その手のことだ。

竜の肉にはこの世界の微生物たちも対応しておらず、分解されないがために腐らないのではないか。

自分たちが追い求めている石炭も、進化の過程で出てきた植物のセルロースを、当時は誰も分解できなかったから、たまりにたまって地層になるくらい折り重なった。

こんなことを思うのは、先ほどのフローネが自分に向けて語ったことが、まさにそういう話だったから。

自分は異世界の知識と、異世界の常識で動く、いわば異界の生物である。

この世界の人々の多くは、そんなふうに行動する生物に対処したことがなく、文字どおりの異物として対峙するしかない。

ロランのように丸呑みしてくれたとしても、彼らがうまく消化できているかはわからない。

もしできる者たちがいるとしたら、それはきっと自分と同じくらい、いやもしかしたら自分以上に、この世界からつまはじきにされている者たちだけだろう。

たとえば、過酷な戦いに暮らす冒険者たち。

それから、二級市民の獣人たち。

あるいは、辺鄙な属州の島にいる、人でも獣人でもない――。

「お前は本当に、打たれ弱いな」

気がつくとクルルが目の前にいた。

◇◇◇

こちらはベッドに腰掛けているので、クルルを見上げる形だ。

クルルのほうが身長が低いので、いつもこちらが見下ろしているはずなのに、不思議とクルルを見上げるこの姿勢に違和感がない。

いつも気持ち的に、クルルが自分の上にいるからだろう。

「えっと……」

黙考から覚め、戸惑いがちに口を開くと、ぐいと頭を押さえつけられた。

「あの女の言うことなど気にするな」

むすっとした様子のクルルは、そう言って乱暴に隣に腰掛けると、靴を脱ぎ始めた。

それから旅用に誂えたズボンの裾をからげ、落ち着きなくベッドから立ち上がり、ぺたぺた裸足で歩いて戸口の近くに向かう。

そこには屋敷の使用人が用意してくれていた桶があり、クルルは桶をベッド脇まで引きずってきた。

桶には水が張られていて、足を洗うためのものだ。

湯船に浸かるのが当たり前の文明からくるとわかりにくいが、水も燃料も貴重なこの世界では、旅人に出される洗足用の水は、結構なもてなしを意味している。

クルルは前かがみになって桶に足を入れ、早速足を洗っていた。

いつもの気の強い雰囲気を見慣れていると、桶に浸して洗っているクルルの足は、ちょっとびっくりするほど小さくて、可愛らしい。

女の子なのだ……としげしげ見つめていたら、顔に水をかけられた。

「なにを見てるんだ」

嫌そうに牙をむかれて、慌てて目を逸らす。

ただ、それならやはり部屋は別にすればよかったのでは、なんて言えば、余計に怒らせるだけだろう。

手早く足を洗い終えたクルルが、亜麻布に手を伸ばして横にずれたので、自分も足を洗っておく。

するとそのクルルが、ため息の後に言った。

「お前は、もっとわがままなくらいでちょうどいいんだよ」

「……?」

足を洗う姿勢から隣のクルルを見上げると、クルルはこちらを見ていなかった。

クルルは洗ったばかりの足を乾かすように、ベッドに腰掛け、華奢な足をぷらぷらさせていた。

「この旅に出されたことだってそうだ。お前、わかってるのか?」

「えっ……と?」

話が飛んで分かりにくい。

ただ、自分がこの旅に同行しているのは、決裁権を持つ誰かがいなければならないのと、もともとこの計画の言い出しっぺが自分だからだったはず。

すんなりと決まったし、他になにかあったろうか……と考えていたら、クルルが久しぶりに舌打ちした。

「ちっ。お前は、本当に……」

「……?」

じれったそうに怒るクルルだが、どうにも不思議なのは、その怒りがこちらに向けられている感じではなさそうだったこと。

そのクルルが、急にこちらを向いた。

「いいか」

「え、あ、はい?」

「もっと胸を張れ。堂々としてろ」

「……」

そう言われたそばから、クルルの前では背中が丸まってしまう。

クルルはそんな情けない自分をじっと睨みつけた後、ものすごく嫌そうに言った。

「なんでいつも私がいじめてるみたいになるんだ?」

唇を尖らせて、そっぽを向く。

なんだかよくわからないが、ようやく分かったことがある。

クルルなりに励まそうとしてくれたのだ。

ベッドの上にぺたんと垂れている尻尾も、こんなはずではなかったのに、とばかりに力ない。

自分はむくれているクルルの横顔を見て、華奢な足首を見た。

クルルはいつも強気だが、本当はこんな感じに年相応の女の子。

コミュニケーションにおいて、相手の本質を理解するのはとても大切なことだ。

そして自分は、その点においてこの世界の人たちにずいぶんな戸惑いを与えているらしい。

なにせ敵が攻めてくるから返り討ちにしようと言っただけで、ゲラリオからは余計な詮索をされたくらいなのだから、一体どれだけ誤解されているのかわかったものではない。

けれどその誤解の原因は、おそらく自分の側にある。

得体のしれぬ大宰相、というのは確かに憧れがなくもないが、自分はそんな立場を上手に活用できるような人間ではない。

では、自分はどうすべきか?

自分のやりたいことを、この世界の常識に近づける頃合いなのかもしれない。

自分は大きく息を吸ってから、隣に座るクルルの手を取った。

「クルルさん」

「っ」

クルルがこちらを見る。

ちょっと驚いたように見開かれた緑の目は、宝石のようだ。

「わがままを言っても?」

ベッドに腰掛けた二人。

クルルの体温が、触れ合った肩から伝わってくる。

そのクルルは目を見開いて肩をそびやかした後、桜色の唇をきゅっと引き結ぶ。

緊張に硬くなった華奢な体が、ほどなく……がっくりと脱力した。

「……もう騙されないからな。なんだ?」

騙す?

聞き返そうとしたが、先回りしたクルルから肩をぶつけられた。

早く話せ、という催促だろうから、自分は言った。

「なるべく穏便に話をというのは、かえって裏があるのではと邪推されてしまいました。なのでいっそ、自分のやってみたいことを全部、フローネさんに言ってみようかと思うのですが」

それがどれほど誇大妄想的で、ヴォーデン属州を実質的に支配するかのようなことであったとしても。

「だと思ったよ」

するとクルルはそう言って、握っていたこちらの手の甲に爪を立てると、そのまま両足を器用に靴の中に押し込んでいた。

「やってみたいこと、ね。いいんじゃないか?」

クルルはこちらを見て、冷ややかな目つきでそう言った。

なんで不機嫌なのかは相変わらずわからないが、本当に不機嫌なら距離を空けるはず。

部屋から出る時には、むしろいつもより近いくらい。

この世界の人々が、自分の振る舞いを得体が知れないと言うように、自分も女の子の気持ちは相変わらずよくわからないのだった。