作品タイトル不明
第二百三十七話
ゾノフスの町は、町自体は賑やかだが、よくよく見ると建物はお世辞にも立派とはいえなかった。
建物のほとんどが日干し煉瓦でつくられ、道に並ぶ露店も地面に敷いた蓆の上での商いが多かった。
建築資材としての木材が、ろくに手に入らないのだろう。
同様に牧草の入手も難しいようで、道を行く馬の数は少なく、時折騾馬のような駄獣を見かけるだけ。
荷物のほとんどは獣人か人間が背負って運び、なるほど、ここでは獣人奴隷がいなければ経済が回らないのだと実感した。
そんなゾノフスの町だったので、アマクの屋敷の様子にはちょっと面食らった。
妙な既視感を感じたのだ。
それがイーリアの屋敷に似た建築様式なのだと気が付くのと、この建築様式が帝国中央に由来するものなのだろうと気がつくのは同時だった。
フローネは帝国中央から追放されてきた貴族だというから、慣れ親しんだ帝国の文化様式の中で暮らすのは理解できる。
ただ、自らを追放した帝国にわだかまりはないのだろうか、と思っていたら、広い食堂に通された。
「応接室みたいな気取ったものがなくて悪いね」
この屋敷の大きさは、イーリアのところの半分くらいだろうか。
やはりジレーヌ領は魔石鉱山を抱えているだけあって、辺境の果てにありながら、世間的には裕福な土地に入るようだ。
「こちらは、ヴォーデン属州の地図ですか?」
使用人に勧められるまま、フローネに最も近い席に座りながら、壁に掲げられた布についてたずねた。
「いかにも。町の特産品が書かれてるだろう?」
ざっと見ると、馬、毛皮、石材、などが目立つ。
知らない名詞も多いが、隣にいたクルルに尋ねると、木の実やある種の香辛料などの植物や、動物の名前らしい。
「良い地図ですね」
思わず口に出すと、フローネが言った。
「どうやらあんたの話は、いくらかは本当みたいだ」
「え?」
「ここに初めて来た領主連中は、その地図に眉を顰めるものだ。地形や水源地を書かず、代わりに商品の書き込んであるこの地図の価値がわからないのさ」
席に着くと、殻付きの木の実と、干して蜂蜜かなにかにつけた果実、それにミントを思わせる香草の入った飲み物が出てきた。
なんとなく砂漠の文化を思わせるのは、ロランでも感じたことだ。
「自分も地図を探すたび、同じことを思いましたから。地図のほとんどが、敵がどこにいて、どうやって戦えばいいのかばかりに注目されているため、実に不便で」
なんならヴォーデン属州について自分の知りたかったことのすべてが、この地図一枚にあると言っても過言ではない。
子細に眺めていけば、鉄や銅、水晶、石灰、硫黄など、鉱物類も数多く点在している。
さらに光り輝くようにさえ見える、岩塩と石炭の文字。
石炭はもちろん、岩塩があれば魚を保存加工して、大量にジレーヌ領に輸出することができる。前の世界でも、奴隷交易の一角を支えたのが北海で捕れる鰊と鱈だ。
その干し魚をイングランドから北米大陸に運び、それを食べた奴隷たちが生産した煙草や砂糖が運ばれてきて、その儲けでアフリカの奴隷を買って北米に送り込む。
倫理とか負の歴史とかをひとまず無視すれば、それは間違いなく見事なグローバル経済システムであり、シミュレーションゲーム好きにはたまらないものだった。
今、その可能性が、この地図には凝縮されていた。
ただ、興奮しているのを悟られたら、クルルから怒られるだけでなく、足元を見られて高値を吹っ掛けられるかもしれない。
縄文土器を思わせる模様の入った素焼きのコップを手に取り、興奮を隠すように口に含んだ。
「この飲み物もとても美味しいですね」
爽やかな香りのする香草の入った、甘くて薄い酒だった。
よく冷えているので、氷室があるのか、気化熱を利用して冷やしているのだろう。
旅で乾いた喉によくしみる……と思っていたら、妙に視線を集めていることに気が付いた。
クルルと、それからフローネもまた、驚いたようにこちらを見ている。
ヨークンだけが、声なく笑っていた。
なにかまずかったかと身を縮めていたら、隣のクルルが鼻の頭にしわを寄せながら言った。
「お前、ロランでのことを忘れたのか?」
「……あっ」
毒。
あの時も大蒜などの強い匂いで、毒の匂いを誤魔化していた。
今、このコップには、強すぎるくらいの香草が入っている。
どうしよう……とばかりにクルルを見れば、呆れ切った冷たい目を向けられた。
クルルはこちらの手からコップを奪い取り、匂いを嗅いで、一口飲んでみせる。
「毒は入っていないが、迂闊に飲むな」
「はい……すみません」
前の世界ならビジネスの場で出された茶を飲むべきかどうか、飲むならどのタイミングかみたいな話は、マナーに関わる話だった。
しかしここでは、命に関わるのだ。
それでも自分が言い訳するとしたら、扉の外にはヨークンの相棒のゼゼクやバダダムがいて、運び込まれる飲食物について目を光らせている――正確には鼻をひくつかせている。
だから間抜けな自分がすべてを疑うより、周囲の人たちの優秀さを信用したほうがいい。
そんなことを思って、逃げるように毒見の終わった飲み物を再び口につけていたら、フローネが肩を揺らして笑いだした。
「ふっ……はっはっはは。どことなく気の抜けた宰相様だと思っていたけれど」
「演技がお上手だろう?」
ヨークンの合いの手に、クルルがため息をつきながら自分の分の飲み物を飲んで、果実の蜂蜜漬けを手に取っていた。
大宰相殿が誰よりも間抜けを晒しているのだから、今更気取る必要はないということだろう。
「うちの息子たちをとっ捕まえて、それでどうしてこんなところにまで足を運んだのか、さっぱり本心がわからなかった」
フローネは肩をすくめた。
「体よくこの町を略奪しに来たのかと思ってたのにねえ」
「は、母上」
現領主としてさすがに立たされてはいなかったが、長テーブルの上座からは一席離れた場所にいるアマクが、慌てたように言った。
「ヨリノブ殿たちは、騎士道に則った対応をされておりました。決してそのような――」
「ふん。言われなくてもわかってるよ。善人の演技をしたところで、真っ先にこの壁に掲げられた地図を話題にあげるなんてこと、普通はできやしない」
「?」
どういう意味かと疑問の視線を向けたが、フローネはこちらを見て半笑いだ。
「おまけに誰よりも先に飲み物に手を付けた。相手を信用しているのだという演技にしても、ちょっと雑過ぎだね」
間抜けであることを丁寧に、遠回しに説明されて身が縮む。
だが、最後についたフローネのため息には、どこか親しみらしきものがあった。
「本当なら腹の探り合いをするところなんだろうけど、探るだけ無駄な気がするよ」
自分は苦笑いするしかないし、隣ではクルルがむすっとしている。
ヨークンはうっすら微笑んでいるが、なんとなく自分の評点を下げられたような気がしてならない。
やはりこういう場には健吾が来るべきだったのに、と自分は恨み言を胸の内だけで呟いておく。
それに今更、冷徹にして隙の無い大宰相の振りをするのは無理だ。
間抜けは間抜けなりに、正直さで勝負するしかない。
「我々は隠し事はしていません。とにかく各種の資源を欲しているのです。それは一度や二度、略奪するだけでは足りない量なのです」
「略奪」
フローネは笑い、ヨークンと、それから扉のほうを見る。
ヨークンは明らかに冒険者を思わせる物腰だし、獣人たちの膂力はそれ以上に一目瞭然だ。
奪いに来たのならとっくに奪っているし、それを妨げる手段は、おそらくこのゾノフスにはない。
唯一その好機があったとすれば、間抜けの大宰相が飲み物を飲んだ、あの瞬間だけ。
「あんたたちは、今ある商品だけじゃ飽き足らない。だから能う限りに生産して欲しいって?」
「開発のための資本もご用意します。我々がそのうえで必要としているのは――」
「領主の許可。それから各種の交易特権に」
フローネは、意味ありげに言葉を切って、少し困ったように笑う。
「労働力としての、奴隷獣人たち。あんたたちは、そのために奴隷を解放したいってわけかい」
アマクはこの母の面会を口にした時、こう言っていた。
「フローネ様は、獣人を奴隷として働かせるのに疑問がおありのようで」
フローネの巻き毛の下に、獣の耳は見えない。
なのでその言葉は、きっと商人としての感覚だろう。
「……なるほど」
フローネは不敵に笑い、自身も飲み物に口をつける。
「けど、あんただって同情だけが理由で動いているわけじゃない。だろう?」
手にしていたコップごと、フローネはクルルに手を向ける。
「そうです。ただ、私たちの領主様に流れる獣の血は半分だけなので、話はあっているかと」
感情が半分。
もう半分は、実益だ。
「ふうむ」
フローネは考えるように唸り、椅子の背もたれに体を預けている。
そこに言葉を挟んだのは、指についた蜂蜜を舐めていたクルルだ。
「こいつの態度から、勘違いするなよ。お前に与えられた選択肢は、どのように協力するかであって、協力するかしないかじゃない。わかってるだろうな?」
フローネは視線を上げ、疲れたように微笑んだ。
「言われずとも承知しているさ。けど、どうしても考えるのさ」
「なにを」
クルルの問いに、フローネはふんと鼻を鳴らす。
「あんたらが血に飢えた戦士のほうが、まだ話が分かりやすいってことだよ」
女傑の顔は、わりと本気で不機嫌なのだった。