作品タイトル不明
第二百三十六話
「ただいま戻りました、母上」
アマクは膝こそつかなかったが、およそ領主らしからぬ態度は、誰がこの領地の支配者かを如実に表している。
「ずいぶん戻りが早いじゃないか」
帝国中央で没落し、辺境の田舎領主に嫁がされた哀れな深窓の御令嬢……。
アマクの様子から、そんな想像をしていた。
そして確かに顔はアマクそっくりで、なんなら美人の部類に入るだろう。
けれどその人物には、実に迫力があった。
背が高く、筋骨隆々とはいかないが、明らかになにか運動をやっている人間の体つきだ。
この世界は野蛮なので、いわゆるスポーツみたいな文化があるわけではない。
あるとすれば、剣術か、馬術。
スカート姿でなく、ある種の男装に近い恰好から、多分その両方だろうと思われた。
「母上。実は、その、我らは……」
「はっ。言わないでもわかるよ。あそこでふん縛られているのは、我らが宮廷魔法使い殿だろう?」
ルベールは、病人を装って毛布を掛けてある。
けれどルベールのことを知っている者ならば、彼が荷馬の背に乗せられておとなしくしているような者ではないと、すぐにわかるはずだ。
「魔法使いを五人も連れて、あっさり負けたってわけだ。しかも、まったく歯が立たなかったってところかい」
そう言ったのは、こちらの隊列の中ほどにいる冒険者を見ながらだ。
両脇をこちらの獣人たちに挟まれ、彼らの前衛である獣人たちは離れた場所に隔離されている。しかし彼らはみな五体満足で、かといって抵抗する意思を欠片も見せていない。
考えられるのは、反撃などまったく無理だという状況くらいのものだ。
「で、うちの捕虜を送り届けてくれたのが、あんたらってわけか」
こういう場面でにやりと笑える人間は限られる。
敗者の側であるのに、まるで勝者のように振る舞えるのは、強い者の証拠だ。
「いかにも。こちらがアズリア属州はジレーヌ領の大宰相様だ」
答えたのはヨークンで、後ろから雑に自分のことを前に押し出した。
外交儀礼みたいなのを理解していない自分には、このお膳立てはかえって助かった。
「高橋頼信と言います」
名乗ってから右手を差し出した。
名刺があれば差し出していたところだ。
アマクの母はやや面食らい、なんだか吸い込まれるように、こちらの手を握り返していた。
多分この世界の常識からすると、どこかがおかしいのだろう。
隣でヨークンが笑っているような気がしたが、アマクの母はじっとこちらを見ていた。
「フローネ・ハーティックだよ」
ルザードと名乗らなかったし、ハーティックの名はアマクの名乗りにも含まれていた。
「それで、どういうつもりなんだい?」
憮然としたフローネの言葉だったが、フローネのほうに悪気はないだろう。
実際、どういうつもりかわからないはずなのだから。
「捕虜の身代金を受け取りにきたわけではありません」
フローネは肩をすくめ、すぐそばで身の置き所がなさそうにしていた息子の肩を掴んでグラグラと揺らし、頭からつま先まで見下ろしていた。
「大きな怪我もなさそうだ。飯も食わせてもらってるみたいだね。額のそれは、落馬でもしたのかい」
アマクの少年のような頬が染まったのは、図星だったから。
「はあ……。あの宮廷魔法使いは、魔法の腕は確かだと思ったんだけどねえ」
「いえ、母上、我らは……」
「いい、いい。聞きたくない。私らは意気揚々と兵を送り込み、あっさり負けたんだ。で、勝った側の将がわざわざこんなところにやってきた。ということは、なんかあるんだろう?」
普通なら捕らえた将兵たちをルザード王家の宮廷に叩きつけ、身代金とともにこちらの要求を呑め、と詰め寄るところだ。
「お話が早くて助かります。我々はヴォーデン属州と戦をしたいわけではないのです」
「はっ。そういうことを言う勝者が、一番怖いんだけどね」
フローネが苦々しく笑うのは、こちらの獣人たちの体格を見るだけで、こちらの資金が豊富だとわかるからだろう。
獣人にそれほど飯を食べさせられるのなら、魔法使いたちは一流どころを揃え、魔石も豊富に準備していると考えるのが自然だから。
そして腕の良い魔法使いとふんだんな魔石があれば、それだけで一騎当千。
この人数でも、属州を平定しかねないのが、この世界というものだ。
「ご推察の通り、我々には下心があります。ただ、それがいささか難しいものかもしれないと思いまして、アマク王子に相談したのです」
フローネはちらりとアマクを見て、こちらに視線を戻す。
「ふん。それで?」
自分は、言った。
「奴隷交易を停止したいのです」
驚いたフローネの顔は、不敵な笑みに近い表情だった。
そしてその見開いた目で、背中を丸めているアマクをもう一度見た。
「アマク……おまえ、とんでもないのを連れて帰ってきたね」
アマクは平身低頭しつつ、慌てて答えた。
「で、ですが母上。このヨリノブ殿たちは、奴隷交易をただ停止するのではなく、同時にヴォーデンの各部族たちと、幅広く交易をおこないたいのだと」
「なんだって?」
そう言ってこちらを見た時には、すっかり取り繕う気もなくなったのだろう、フローネは不機嫌さ丸出しだった。
ただ、その不機嫌さは、わけのわからなさが原因に見えた。
それを見抜いたらしいヨークンが、こう言った。
「あんたの困惑は理解できるが、この大宰相殿の話は真面目に聞いたほうがいいぜ」
ヨークンは後ろからこちらの両肩に手を置いて、どこか面白がるように言葉を続ける。
「このお方が命じれば、あんた諸共にあの屋敷ごと、いや、ここから視界の届く限りを焼け野原にしたうえで、うちの獣人たちがこの町から二度と笑い声が聞こえなくなるようにするまでに、大して時間はかからない」
こちら側の獣人たちは、明らかにヴォーデンにいる獣人たちと体格が違う。
フローネはこちらとその獣人たちを見比べ、口を引き結ぶ。
鍛えられた獣人たちの爪と牙は、百人のならず者に匹敵する。
「で、行きがけの駄賃に、南の山の上からヴォーデンのめぼしい町を大魔法で灰にすることができる。確実に、容易に、迅速にだ」
ヨークンはゲラリオと違い、悪者の演技を自然にできる。
フローネは顎を引き、息継ぎをするかのように口を開く。
「なら王家の宮廷に行って同じことを言えばいい……が、しないっていうのが肝なんだろう?」
フローネはフローネで、場数を踏んでいるようだ。
ヨークンはにんまり笑い、こちらの肩を叩くようにして、手を離した。
「そう。わざわざここにきたのは、アマク殿の機転だ」
ヨークンに名を呼ばれ、アマクが明らかに動揺していた。
「うちの大宰相殿の望みを叶えられる者がいるとすれば、唯一、母君だけだと」
そんな言い方はしなかったが、似たようなものだし、そのことの意味をフローネは即座に悟ったようだ。
町を滅ぼす云々が本当どうかはわからないにしても、少なくとも宮廷魔法使いを討ち取るだけの実力を持った連中が、王家に向かう前に話をしにやってきた。
アマクは自分の母親のことを、商人みたいだと言った。
ではこのフローネに考える頭があるのなら、この事態をどうとらえるだろうか?
「フローネ様、我々は特定の品について、ヴォーデン属州と大規模な交易をおこないたく思っています。そのために我々は労働力を大々的に集め、資本を投下し、その品の産出自体を拡大したいのです。武力で奪ってしまっては、そこで終わりですから」
永遠に絞り続けたい。
そんな風に聞こえたのかどうか、フローネの顔がやや強張った。
「ただ、よそ者がヴォーデン属州でそんなことをするには、現地の領主様たちの許可が必要になるかと思います」
道中、こっそり練習してきた口上を述べ、さらに続けた。
「同時に、その労働力として奴隷の獣人の皆さんを使うことで、無理なく彼らを奴隷の身分から解放したく思っているのです」
フローネがちらりと視線を向けたのは、ものすごく毛並みの良い、ジレーヌの獣人たち。
それから、ヨークンの次に自分と距離が近い、クルルだ。
ドラステルの格好をしているとはいえ、尻尾を完全に隠しているわけではないし、瞳孔の形が人間とは違うので、近くによれば獣人の血を引いているとすぐにわかる。
それにこれほど賑やかな町を統べていれば、逃亡奴隷の話はもちろん知っているはず。
獣人たちがどうして危険を冒してでも、ジレーヌ領を目指すのか。
それは、獣人が治める町と噂されているからだ。
「やっぱり、あんたらは厄介じゃないか」
フローネは大きくため息をついて、アマクを見やった。
「先に屋敷に戻って、もてなす準備をしな。最上級の客だよ」
「え? あ、は、はい」
現領主はアマクのはずだが、今でも子供扱いらしい。
アマクの立場には自分としても共感するところがあり、どこかで彼に花を持たせられるなら、持たせてあげたいなと思ってしまう。
そんなアマクを見送ったフローネは、そうすることで考える時間を稼いでいたのかもしれない。
考えて対処をしないと、大変まずいことになる、と顔に書いてあったから。
「あんたらは、望みを叶えられるだけの力を持っているだろう。だが、安易には使わないってわけだ」
「良い大宰相様だろう? 魔石は使うより、ちらりと見せるほうがいいと理解なされている」
ヨークンの軽口に、フローネは嫌そうに笑ってみせた。
「強者の理想像だね。羨ましいったらないよ」
こちらと一瞬目を合わせたフローネは、腹を括ったらしかった。
「せっかくうちの息子が勇気を奮ってくれたんだ。ものにしなきゃ示しがつかないってもんだ」
その一言に、どうやら自分が思っているほどには、アマクは軽んじられていないのではと思った。
単にこのフローネが、女傑過ぎるのだろう。
「少なくとも話を聞き終えるまでは、生かしておいてくれるんだろう?」
冗談に笑おうとしたら、クルルは笑っていなかったし、ヨークンもただ静かに微笑んでいるだけなので、自分も口をつぐんでおいたのだった。