作品タイトル不明
477 約束の手紙とベランダ
「…はい。手紙のやりとりをすると約束いただきました」
こちらを見ているであろう皇后を見返す事が出来ずにカトリーヌは目を伏せながら返事をした。
「やはり姉妹なのですね。お手紙のやりとりをしたいとお言葉をいただけるなんて。父から聞いたのですが、本来会うご予定ではなかったフォルトゥナガルテンに、アデライーデ様がいらしたそうなんですの。二人だけでしばらく話し込んだとか…」
「そう…まぁ…二人だけで?」
どこまで聞いているのかわからないがギルビットがあの夜の出来事を綺麗に話すと、皇后は目を細めながらワインに口をつけた。
「でも、何を話したか教えてもらえなくて父がすねておりましたわ」
「ふふっ。剛腕な交渉者で知られるダランベール侯でも孫娘には 形無(かたな) しなのね」
皇后はころころと笑い穏やかな笑顔をカトリーヌに向けたが、カトリーヌは貼り付けたような笑みしか返せず、震える手をグラスから離しテーブルの下に隠す。
「ね、アデライーデ様となにをお話したの?」
母にそう尋ねられたが事実を言えるわけもない。宝飾品についての 他愛(たわい) もない話だと濁すとギルビットは不満げな色味を漂わせた顔をし首を 傾(かし) げた。
「良いのよ。姉妹でのおしゃべりなんだもの。秘密にしたいわよね? 二人だけの…」
「は…はい」
そう言って母を止め笑いかける皇后のその瞳が全てを見透かしているような気がして、カトリーヌは爪が食い込むほどに手に力を込めた。
ー皇后様はご存知なの?! いえ、ご存知なら問いただされているはず…落ち着いて…落ち着くのよ。
ーあの子の怪我に関わっているかはわからないけど、二人の間になにかあったのは間違いないわねぇ。でもバルクからの抗議もないし、離宮の影達も普段と変わりなしと言うから…まぁ今は目を瞑ろうかしら。テレサ王妃の話も聞けたし。
ローザリンデは、ワインを一口飲むとカトリーヌに微笑んだ。
「これからも、仲良くしてあげてね」
皇后の言葉に、カトリーヌはほっと胸を撫で下ろす。しかし、二人の親密さを皇后にアピールできなかったギルビットはじれたように「もう帰国したとお手紙は書いたの?」と聞いてきた。
「いえ、まだ…」
「それは、いけないわ。アデライーデ様は姉である貴女からの手紙をお待ちになっているはずよ。異国に嫁がれた寂しさをお慰めして差し上げなければ…」
「ギルビット、カトリーヌはやっと帰国したばかりなのよ。まずは旅の疲れをとらないと。あぁ長く引き留めたようね。下がって良いわ」
皇后の前から下がり夜会の間のギルビット専用のベランダに出て、ほぅと息を吐いて新鮮な空気を吸い込む。
アデライーデはその言葉通りあの夜の事は口外していないのだと思うと、カトリーヌはやっと 人心地(ひとごこち) つけた。
そして、隣で母がしきりにバルクに手紙を書くことを勧め諭してくるのが耳に入ってきた。
「別に…私から書かなくても良いでしょ」
「何を言っているの? 明日にでも書きなさい。お父様が骨を折って使節団にクレーヴェ家を入れたのよ。家門の為に役に立たなくてどうするの。いいわね?」
「……」
手紙に何をどう書けばいいのか。こちらから書けば、あの夜の事について触れないわけにはいかない。
バルクへも行きたくて行ったわけじゃない。行けばいったで、お祖父様からは何としてもあの子に渡りをつけろと強く言いつけられ、あんな事になったのだ。
お母様だって、いつもお祖父様は無理な頼み事ばかり言うと 溢(こぼ) していたくせに、今は同じように無理な事を自分に言ってくる…。
「そうそう、体調はどう?変わりはないの?」
「…変わらないわ」
祖父も母も顔を合わせるとその話ばかり。でも、どんなに言われても初夜すら済んでない自分に子ができるはずもなく、カトリーヌは口を強く引き結んだ。
エリアスは人目がある無しに関わらず、完璧にカトリーヌを公爵夫人として厚く 遇(ぐう) していた。
花や贈り物は欠かさず夜会へのエスコートも完璧で、カトリーヌ付きの侍女達ですら二人の間に閨事が無いのに気が付いていない。
むしろ皇女宮にいた頃よりカトリーヌが落ち着いてきて、二人の仲は睦まじいとすら思っている。
夫婦の寝室付きのメイドには「新婚時代には波があるもの。周りからのご負担がないように寝室で見聞きした事には一切口外しないように。繊細な夫人からどのようなお叱りを受けるかわかりません。何かあれば私に報告を」と、ヒンケルが固く口止めをしている。
カトリーヌの気性を侍女達から漏れ聞いているメイド達はヒンケルの言葉を疑う事なく、時々ヒンケルに細工された寝室を黙って整え続けていた。
初夜が成らなかった事など誰にも知られたくはない。でもそれ以上に、自分からエリアスに初夜のやり直しを願うなど口が裂けても言いたくないと、カトリーヌはずっと悩んでいた。
ーお母様からエリアスを叱ってもらうのは?
でもその為には、初夜に夫に捨て置かれたと話さなければならない。惨めで恥ずかしい告白なのだが、それより顔を合わせる度に高まる母からの期待にカトリーヌは耐えかねていた。
そんなカトリーヌの心中も知らず、ギルビットはいつものより詳しく夢を語る。
「私の時は戦局が激しくなっていて、陛下のお渡り自体が少なかったのよ。でも、その少ない中でもすぐに貴女を産んだわ。貴女とエリアス殿との仲も睦まじいと聞いているし、すぐに子ができるわよ」
カトリーヌは、すぐに子ができると信じて笑う母から目をそらすしかなかった。
ギルビットはそんなカトリーヌに構わず、扇を広げ耳元に弧を描いた口を寄せる。
「4、5人は産みなさい。一人はクレーヴェの跡取りにして、あとの子は私の宮に上げさせなさい。将来生まれる皇太子殿下の御子達の側近にでも侍女にでもしてみせるから」
「な…お母様、何を仰っているの? クレーヴェの子なのよ。エリアスが許すはずは…」
「貴女の為なのよ。ローザリンデ様をごらんなさいな。後継はおろか子の一人も産めず、代替わりをすれば後宮の実権は次の皇后になるエリザベート様とそのご実家に移るのよ。ローザリンデ様のご実家の権勢はそこで絶たれてお終いなの」
「……」
このベランダには誰も居ないと言うのに、ギルビットは扇で口元を隠しカトリーヌの耳元でしか聞こえないような声で囁く。
「でもダランベールは皇帝の血を残しクレーヴェという公爵家も手に入れたのよ。皇后を出す家としては申し分ないわ。もしかしたら貴女は皇后の母か祖母になれるかもしれないのよ。さぞや口惜しいでしょうね」
そう言って微笑む母に、カトリーヌは何も言えずただ口角をあげるしかなかった。
夜会から半月、母からの手紙にも返事を書かず降るような茶会や夜会の誘いを全て断り自室に閉じこもっていたカトリーヌのもとに、一通の手紙がバルクから届けられた。