軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

475 緋の皇女と一片のクリスタルガラス

話は春に遡る。

カトリーヌが妖精の家から出ると、離れた所で待っていたエリアスが近づいてきた。

「夫人」

カトリーヌは、自分がしでかした事を口走るのが怖くてぎゅっと扇を握りしめる。

妖精の家の中で起こった事はアデライーデとカトリーヌだけしか知らないはずなのに、 訝(いぶか) しげな目で自分を見るエリアスとエリアスの後ろで見守る妖精達の視線が怖かった。

「正妃様とは…」

「………話は終わったわ。気分が悪いから、今すぐ帰るわ」

エリアスは帝国貴族として、なにかバルクとの不和の芽があるのであれば芽吹く前にできる事をと探ったが、カトリーヌが遮った。

「…そうですか。では、ライエン伯邸に戻りましょう」

正妃の姉であるカトリーヌが 遮(さえぎ) った事により、エリアスの手からその責は離れた。自分にできる事はもう無いと、紳士として夫人に腕を出す。

「……今夜の事は、私からお祖父様に話すわ」

カトリーヌは震える手をエリアスに悟られたくなくて、差し出された腕をとらずに扇を握りしめ背筋を伸ばし歩き始めた。

歩く道すがら、カトリーヌは答えがわからない問いを自分に問いかける。

異腹妹とはいえ、他国の正妃の顔を傷つけたのだ。故意であろうがなかろうが、それは重大な非である。事が公になれば、自分はどうなるのであろうか。悪ければクレーヴェ公爵家、いや母や祖父にまで累が及ぶかもしれない。

だが、アデライーデは怪我は自分が手を滑らせた事にすると言っていた。

ーでも…本当に?

自分が今まで気に入らない使用人や令嬢相手にしてきた事が頭の中を駆け巡る。自分がアデライーデの立場だったら絶対に許さない事をしたのだ。

一旦は許しても、傷が思ったより深かったら? やはり許せないと思い替えたら?

見送り場の前でバルクの宰相に出迎えられた時には事前に知らされていた事とはいえ、心臓が縮むように痛み早鐘を打ち続ける。顔を作るのがやっとだった。

もしかしたらこのままエリアスから引き離され、捕えられるかもしれない。そう思うと何を言ったかすら覚えてなかった。

エリアスと宰相の社交の会話が永遠の長さに感じる。

早く帝国へ帰りたい。

突然知らせの者が来て、宰相の後ろに控えている護衛騎士達が自分の方に向かってくるかわからない。

そんな張り詰めた時間は、宰相夫妻に見送られて乗った馬車が国境を越えるまで続いた。

馬車の中には車輪の音だけが響く。

時たま自分に視線を送るエリアスとは会話はおろか視線を合わせることもできずに追いかけてくる蹄の音が無いか、カトリーヌは耳をすませ続けていた。

ライエン伯邸に着きバスルームで侍女達に身を任せると、やっとフォルトゥナガルテンから続いていた緊張が温かい湯に溶けていく。と、同時に鉛のような疲れがどっと押し寄せてきた。指1本すら動かしたくない。

ベッドに倒れ込むように入る。

身体は疲れ切っていて早く眠りたいのに、何故か目は冴え頭の中で芝居でも観るように今日一日の出来事が流れだすのだ。

パチ パチッ

しんとした寝室に薪の爆ぜる音だけが響く。

カトリーヌは、1人布団に包まって暖炉の薪の燃えるさまを見続けた。

いつの間にか、泥のように眠っていた。

翌日、朝食の時間に侍女が起こしに来たがカトリーヌは起きられず、昼近くになってようやく居間に顔を出すと、いつもと変わらぬ顔のエリアスと既にエリアスから昨日の出来事を聞いて判断がつきかねないといった家門の長としての顔をした祖父が待っていた。

フォルトゥナガルテンでアデライーデと手紙のやりとりを約束したと伝えると、祖父は途端に顔を 綻(ほころ) ばせ自分を褒めてくれた。

だが、今まで祖父に褒められた時のような嬉しさはない。

「アデライーデ皇女とはどのような話をしたのかね」

「くだらない話ですわ…。覚えるに値しないくらい、くだらない話を、長々と」

エリアスから妖精の家の出来事を聞いていた祖父の問いに、カトリーヌは澄ました顔をしてお茶を口にした。

それ以上聞かれなかったのは幸いだった。祖父も手紙のやりとりができたという成果に重きを置いて、丸く収まったのであればそれで良いと気を留めないようだった。

帝国への帰路の間、カトリーヌはアデライーデの言葉を 反芻(はんすう) していた。

『貴女、皇女だか公爵夫人って事以外に、なにか努力したって誇れるようなところがあるの?』

お祖父様は家門の長として一族の繁栄を目指している。お母様は帝国の妃として家門と家を繋く役目を。夫のエリアスは当主として領地を治め始めている。

ーあの子は? お祖父様は、バルクの繁栄は今までバルクが貯めていたものが、あの子の輿入れで帝国と縁付いたから世に出た。帝国との縁付きをより強める為に、 皇女(アデライーデ) の名を前に出しているだけと仰っていたけれど…

それが本当なのか、確かめる術は自分にない。

だが、自分の目で見たアデライーデとバルクの宮廷の人々の間にあった穏やかな空気。あれは帝国で自分の周りにある空気ではなかった。

それだけはわかる。

公爵夫人として、自分にできる事。

それは後継を産み、社交界でクレーヴェ公爵家を盛り立てる事だ。でも…。

長い往路帰路の間、こんな機会は滅多にないからと度々祖父を馬車に招き、領地運営の事や派閥の当主の好みや交渉のイロハを熱心に聞いていた。

祖父も、分を弁えて教えを乞う 孫娘婿(まごむこ) を気に入っているのか、自分には見せない顔を向けて自慢話や過去の政争でのやりとりを話していた。

時には男同士の話になるからと、エリアスだけを自分の馬車に招くほどに。

今は帝都に入り、二人きりで馬車にいる。

向かいに座るエリアスをちらりと盗み見ると、エリアスは馬車の窓から流れる景色を眺め、時折持ち込んだ領地からの報告書に目を落としていた。同じ馬車にいるのに、まるで1人で書斎にいるかのように。

久しぶりにクレーヴェ公爵家となった小宮殿に戻り、自室に戻ったカトリーヌは、侍女に旅の荷物の中から小箱を持ってこさせ一人になりたいからと下がらせた。

そっと開けた小箱の中には、クリスタルガラスが一粒黒いベルベットのクッションに乗りきらきらと輝いていた。

それは、あの夜のドレスのレースに付いていた『髪飾り』の一片だった。