軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

468 スープカレーとおねだり

じゅわわー

小気味よい油の音がしたあと、アルトがカレーの香り漂う鍋とホカホカと湯気のたった野菜を持って入ってきた。鍋から漂うカレーの香りが強くキッチン中に漂う。

「おや、カレーかい?」

「ええ、カレーはカレーなんですけど…」

アデライーデは油の中から素揚げした薄切りのカボチャと飾り切りをしたナスを取り出した。そうしてアルトの持ってきた鍋からスープと骨付きの鶏もも肉を深めのスープ皿によそった。

その上にじゃがいもとにんじんと蕪、揚げたかぼちゃとナスを彩りよく置き、最後にゆでたまごを二つに切ってのせる。

「カレーをスープにしてみましたの。ノアーデン向けの野菜ごろごろ鶏肉のスープカレーです」

そう。陽子さんは、札幌名物スープカレーを作ったのだ。四半世紀程前、ミレニアムの日本で一大ブームになったスープカレー。

ーいつか行きたかったのよねぇ、北海道。札幌雪まつりとか旭山動物園の空とぶペンギンとか見たかったわ。

家族でただ一人北海道に行けてない陽子さんの北海道への憧れは強い。

「ほう。早速いただこうか」

アルヘルムがスプーンで鶏もも肉を掬おうとすると、ほろりと肉は骨から外れた。

鶏ももにはしっかりとカレーの味が染み込んでいるが、大きめのにんじんや蕪の甘みやほくほくのじゃがいもがスープカレーをよりまろやかにする。

「正妃様、これを…ノアーデンの為に?」

スープカレーを前にしたステンが呟く。

「ええ、ノアーデンってバルクより寒いのでしょう? だったらマッシュポテトにカレールーをかけるより、体を温めるスープの方が良いかと思って」

アデライーデはそう言って、スライスした黒パンと白パンの入った籠をテーブルに置く。

ー確か北海道でスープカレーが生まれたのもそういう理由だったはず…。

「辛さを抑えて飲みやすく、体を温める生姜やニンニクも少し多めに入れているんです。野菜は手に入りやすい物なら何でもいいし、パンにつけて食べても美味しいですよ」

ステンは黒パンを一切れとり、スープカレーに浸して口にする。異国の香りがするが生姜がきいていて、さほど辛さは気にならない。むしろ少しの辛さが野菜の甘みを引き立て、生姜がぽかぽかと体が温かくした。

ー確か侍女殿は、カレー粉は南国ズューデンの料理をアデライーデ様が簡便に使えるように工夫されたと言っていたな。

まだ耳に残っていたマリアの説明を、やっと頭で反芻する余裕が出てきた。ごろりと入っている野菜を口に入れると今日料理で使った物より甘い気がする。

「寒いノアーデンで、このスープは好まれるかと思います。南国ズューデンはノアーデンで憧れの地でありますし…」

「し…?」

中途半端なところで言葉を止めたステンに、アルヘルムの注目とアデライーデの視線が重なる。

「あの…この野菜は本日使わせて頂いたものとは別のものなのでしょうか?」

「? いいえ、同じものよ。どうして?」

「このにんじん…。いえ、ほかの野菜も味が濃く素材の味が強い気がします。本日使わせて頂いた野菜とは違う気がしたのですが…」

「あぁ、それはね。茹でているのではなくて 蒸篭(せいろ) で『蒸し』ているからよ」

「せいろ?」

ステンにとって、付け合わせの野菜をフライパンで少量の油(バター等)を入れ蓋をし、弱火で火を通したり少量のワインやブイヨンなどで煮たりする事が、蒸すであった。

バターやワインの香りが素材に混じりあい、単に茹でたものより好まれていた。だがこの野菜は素材自体の味しかしない。スープの強いカレーの味に負けずに、素材そのものの味を失っていなかった。

アデライーデがアルヘルムをちらり見る。アルヘルムは、ただ笑ってスプーンを動かし続けていた。

「蒸籠、見てみます?」

「ぜひ!」

それまでなんとなく青白かったステンの顔がみるみる料理人の顔に戻っていく。

「元々は夏に蒸し鶏が食べたくて、村の職人さんにお願いして作ってもらっていたの」

マリアに呼ばれてアルトが持ってきた杉で出来た蒸籠の説明をするアデライーデの言葉に、アルヘルムのスプーンがちょっと止まった。

ーなるほど、柳で出来たざると同じような底なんだ。

アデライーデがアルトと一緒に蒸籠の使い方やコツを簡単に説明する間、ステンはじっくりと目に焼き付けるように蒸籠を観察していた。これなら帰国してすぐに作ってもらえる。

「あ。蒸籠はたくさんあるから、新品をお土産に追加するわ」

「え?」

これはぜひ自国に帰りノアーデンの職人に同じ物を作ってもらわねばと思っていたステンはびっくりしてアデライーデとアルヘルムを交互に見比べた。

「蟹の返礼に、かにクリームコロッケとスープカレーのレシピとコツ。カレー粉を贈りたいとのアデライーデの希望でね。その調理に使うものなら遠慮なく受け取ってほしい」

カレースープの最後の一匙を口にした後、ナプキンで口を拭いながらアルヘルムは言う。

「その為に、君をこの研究室へ招いたんだから」

「へ…、研究室?」

「こちらは、正妃様がさまざまなレシピを開発された研究室なのです」

レナードがこほんと咳払いをした後、重々しくステンに告げた。

「さ…さまざま…なって…、あの、もしかして、今、各国で食べる宝石と言われ珍重されている琥珀糖とか…ここで?」

つい、料理人としての知りたいという欲がステンの口を動かした。

「ええ、そうよ。琥珀糖はここで作ったわ」

ーえ?! それなら、ここはバルクの重要機密研究開発室…?!

琥珀糖の材料に天草という物が使われていると知られているが、その正体は今だ分かっていない。噂では天草を手に入れようとした者はバルクから帰ってこないと聞いた。

天草はその名前から植物と思われていて、みな必死にバルクの野山や市場や果樹園を駆け回っていて見つけられないだけなのだ。もちろん生きている。

噂には尾びれ背びれがつく事はよくあるが、完全に別物になっているようだった。

ー聞かなければ良かった…

ステンはこのキッチンから無事に帰れるのかと顔を青くしていた。

「あ。琥珀糖、デザートにいかが? この前試作で作った紅茶味の琥珀糖があるんです。マリア、この前作ったの、まだあったわよね」

「はい、こちらに」

マリアは食器棚の戸を開け、琥珀糖の入った壺を取り出し手近にあった小皿に盛りつけた。

ー未発表の国家機密を、おやつのビスケットを出すみたいに出さないでください!!

そう心の中で叫ぶが、それでも王族や高位貴族しか食べられないという琥珀糖の誘惑に勝てずに、勧められた小皿に手を伸ばすステン。

カリッとしたあとに、とろりとした食感と濃い紅茶の味が口に広がる。

「なんと…美味しい…」

高貴な方しか口にできない琥珀糖。しかもまだ自国の王族ですら食べた事のない味のものを口にする幸せに、ステンは天にも登る心持ちで紅茶味の琥珀糖を味わっていた。

「これも近々ノアーデン王室に贈るのだが、まだこの事は内密に頼む。驚かせたいのでな」

「もももも…もちろんでございます」

王族に頼まれれば嫌とは言えない。それにいずれノアーデンの王室に贈られるのだ。それまで口を噤むのは自国を裏切る事にはならない…はずと、ステンはこくこくと頷いた。

そんなステンにアデライーデは、頬を染めながら北海の国の料理人にぜひ聞いてみたかった事を口にする。

「あの…ステン様。昆布ってご存じありません?」